ターン・プッタタート著作・翻訳

著作

 

 インタビュ形式の自伝で、自身のすべての本の中で最高のものは何かという質問に対して、師は、「ブッダヴァチャナによる四聖諦」と答えています。ブッダの教えを実践するには、これ以上の物はない最高のテキストとして編纂されました。

 在家に限らず、時間と環境が揃っている出家でさえ、母国語でさえ、三蔵のすべてを読むことは簡単ではありません。そして三蔵には、プッタタート師の言葉を借りれば、ブッダの言葉ではない捨てるべき部分が、六割ほどあるそうです。初めて読む人が内容の真偽を判断することもできないので、三蔵は仏教を学ぶほとんどの人にとって、関われないものでした。

 この「ブッダヴァチャナによる四聖諦」は、多少分量はありますが、重要な要旨だけを集め、このように詠みやすい形に編纂された、世界で初めての本です。キリスト教徒が毎晩バイブルを読むように、ブッダの言葉が、読者のみなさんの日常生活と共にあることを願って法施させていただきます。


ブッダヴァチャナによる四聖諦


 四冊あるブッダヴァチャナシリーズの中で、最後に編纂された本です。ターン・プッタタートが、縁起は最重要な教えであるにもかかわらず、誰も関心を示さない教えだと嘆かれているように、日本でも、12のタンマを憶える以上に本気で関心のある人はいないようです。しかし、苦でも何でも、結果を断つには原因と縁を断つこと、結果を生じさせるためには、原因と縁を順に生じさせることを知れば、目的に直行する無駄のない行動ができます。私自身、この一冊を読んで、縁起の重要性を初めて知りました。タンマの実践に非常に役に立つ本です。

ブッダヴァチャナによる縁起


 パーリ三蔵のブッダパーシタ(ブッダが話された言葉)の中から、ターン・プッタタートが珠玉の言葉を集めて、タイ語訳したものです。翻訳についての考えがサンガのパーリ語の先生たちと違うことが、師に独自の道を歩む決意をさせたくらい、他の訳と趣が違うと思われますので、ぜひ読み比べてみて、ブッダが言われた意味を熟慮する素材になさってください。 また、比丘の戒律についてたくさん触れているので、南伝仏教のプラとの接し方を知る上でも役立ちます。


ブッダヴァチャナの宝箱


 パーリ(ブッダの言葉)の中から、ブッダが自身が伝記に関したことについて話した言葉を集めて、伝記の形に編集したものです。特に、出家してからどのような修行をしたのか、悟った時はどのような順で、何を悟ったのか、思いの外詳細に語られています。このように悟りについて具体的に書かれているブッダの伝記は、今まで世界になかったとターン・プッタタートが主張されています。「ブッダ」に関して今まで明らかでなかったことが、ブッダの言葉によって知ることができるのは、非常に喜ばしいことと思います。

 本書は、一般の人のための伝記物語ではないので、まだ普通の伝記を読まれたことがない方は、先ず普通の伝記を読まれてから、本書を読まれるよう、ターン・プッタタートが勧めています。(下にある「学習者のためのブッダの伝記」や「タイ仏教」の頁にある「初心者のための仏教」をお勧めします)。


ブッダヴァチャナによるブッダの伝記


 パーリ・アーナーパーナサティ経の現代語訳です。ターン・プッタタートによるタイ語訳を和訳しました。


パーリ・アーナーパーナサティ経


 

著作



 バンコクでのパーリ語の学習を止めて、荒れ寺に小さな小屋を建てて独居した後、独自のパーリ語翻訳を基礎にして、初めて著したのが「阿羅漢の足跡を追って」です。その時プッタタートという筆名を使い始めました。後の師の生き様を象徴するような一冊です。

阿羅漢の跡を追って 序文 第1経
第2経 第3経
序章 第1章
第2章 第3章
第4章 第5章


 法話として説かれたものですが、書き下ろしの形に編集されているので、著作に分類しました。「人間マニュアル」と同じように、仏教の全体像を掴むことができる本です。すべての知識は、先ず概要を良く理解してから細部に入るように、仏教も全体を知らずに、一部分だけ詳細に知っていても、目的に向かう力になりません。

しかし仏教の教えの核心は何か、目的は何か、どう実践すれば目的に到達するのかを説いている本はほとんどありません。この本でそれらを学んで知り、よく理解してから細部を学ばれることをお勧めします。ターン・プッタタートはアーナーパーナサティの講義の中で、すべてを正しく理解するまで実践を始めるべきではないと言っています。

俺、俺の物 第1章 理解を改める 第2章 仏教の目的

第3章 解決するべきこと 第4章 自我の発生

第5章 自我の消滅 第6章 自我の減らし方


 法話として説かれたものですが、書き下ろしのような形に編集されているので、著作に分類しました。「俺俺の物」と同様に仏教の全体像を掴むことができる本ですが、違いを言えば、「俺、俺の物」は一般的、「人間マニュアル」は多少学問的です。

 英訳では「 handbook for mankind 」と題されています。原語の「クームー マヌット」の、クームーとは、ハンドブックや取扱説明書という意味です。しかし良く読むと、あるいは他の様々な講義から、師の日頃の考え方から忖度すると、この本は人間が読む本ではなく、生き物(衆生)が人間になるために読む本だということが分かるので、ちょっと奇抜ですが、「人間マニュアル」としました。冊子「人間それともヒト」を修正しました。

人間マニュアル


 密林の中の荒れ寺にたった一人で暮らした2年間と、その後の8年。スアンモーク創設からの10年間の「タンマの実践」の実態を綴った記録です。現代の「お寺」とはまったく違う、ブッダの時代の精舎のような生活と、生活そのものであるタンマの実践がつぶさに綴られています。

スアンモークの10年


 ブッダ式精神分析と銘打った、ターン・プッタタートによる精神分析です。すべての犯罪は、優越感というたった一つの本能が原因で生じるというターン・プッタタートの見解を読むと、これを管理しないで生きる恐ろしさを感じ、優越感、つまり「私という慢」を克服することに、強い関心が生じます。

優越感


 次の4編は、ウリアーナ神父の四つの質問に対する回答であり、連続した一つのものです。1話は仏教に神はいるのか、という質問に対する答えで、「神」とは仏教の「タンマ」法と同じであること分かります。

 「世界はどのように生まれたのか」は、世界がどう生まれ、どう発展してきて、これからどうなって行くのか、ブッダの言葉を基に解説しています。宇宙の真実を求め続けて来た方なら、これを読むと心の震えが止まらないかも知れません。

 この四つは、仏教の知識が全くない西洋人に説明しているので、仏教による世界観がない現代の日本人にも良く理解できます。

ウリアーナ神父に答る 1 仏教に神はいるのか 2 世界はどのように生まれたか

3 世界の苦は何によるのか 4 人間は何のために生きるのか


 ブッダの無我と、他の教義や哲学者や研究者たちの自我の比較に関する書き下ろしです。一つのものですから初めから順にお読みください。

ブッダの無我 1  序文 2 ブッダの無我

3 他の教義の無我 4 様々な見解の比較
  
5 否定された自我 6 論客たちの自我


英語からの翻訳

 「ブッダの伝記」は、スリランカで出家したイギリス人僧シーラチャーラ比丘が書いたものを、ターン・プッタタートが翻訳、パーリを基準に加筆修正、あるいは削除し、その経緯と理由が後書きで述べられています。タイでは60年以上も読間れているロングセラーです。

学習者のためのブッダの伝記



 プッタタート比丘が英語版からタイ語訳したものですが、その後漢文を元に修正した部分が多いので、何とも言えないものになってしまいました。素人訳ですので、味見程度にお読みください。

六祖慧能・法宝壇経 前書き集 1章自序

2章般若  3章質疑応答

4章慧定  5章禅  6章懺悔 7章機縁

8章頓悟と漸悟  9章護法 10章最期の教え







人間それともヒト

人間になるも可なり

輝く羽の善がある孔雀のように高い心があれば

低俗な理解も可なり

しかしただのヒトならば、生まれてきた甲斐がない


清潔な心、明るい心、穏やかな心

そのすべてがあれば人間と呼ぼう

つねに正しい言葉と正しい行動

昼も夜も喜悦に満ちて喜ばしいかぎり


汚い心、闇、そして苛立ち

そんな人は亡霊と呼ぶしかない

誤った言葉と誤った行動

すべてにルーズで自ら破滅をまねく


考えてごらん そこまで落ちたくないなら

急いでたゆまず努力をすれば

生きているうちに 心を高めることができる

それでこそ生まれた意味がある

ぐずぐずしていてはならない



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