スアンモークの十年

 

 

 

                              1943年10月27日            

一九三一年の暮、私がまだクルンテープ(バンコクのこと)で勉強をしていた時、その間中、能力にふさわしいタンマの実践の振興について、常にタンマタート・パーニット(弟)と手紙で連絡を取り合っていました。

 

その年も暮れようとする頃、自分も含めて、それを希求する比丘や沙彌に便宜を提供するために、仏教時代(仏教がこの世に存続すると考えられている時代。ブッダの死後五千年間)の前半と仮定した時代に、仏教の輝きを増すことを願って、特にタンマの実践を振興する場所を造ろうということで意見が一致しました。

 

私たちにチャイヤー以上にふさわしい所がなければ、ここチャイヤーに、洞窟も森も、何も美しい自然のないチャイヤーに造る必要がある。それに、私たちには小さな力しかないので、少しずつやっていけば、もしかしたら力のある人が手本として満足し、引き続き広めてくれるかもしれないから。

 

少なくとも私たちがすることは、仏教教団員同朋の目に止まり、タンマの実践の振興に関心を持たせる。あるいは自分でタンマの実践をすることが、多少は好きになるだろう。人々に興味を持たせることができれば、非常に功徳になる。このように納得して、私は一九三一年の暮れにクルンテープを発ちました。

 

 初めに住んだことがある寺、マイプムリエン寺に一か月あまり滞在すると、その近辺に、これ以上の場所はない、という所が見つかり、親しい友人たちが住む所をこしらえてくれて、私がそこへ移ったのは、五月に入っていました。

 

私の記憶では、五月の一二日だったように憶えています。翌六月に、(民主革命によって)タイの統治制度が変わったので、スアンモークの歴史は、「統治制度が変わった年」と憶えやすいです。私たちはそれを、いろんなことが良くなっていく新しい時代の兆しと捉えました。

 

 

 読者のみなさんの中には、スアンモークの最初の二年間についての記述を読まれて、ほとんど私のことばかりなのを不思議に思われるかも知れません。最初の二年間は、スアンモークには誰もいなくて、私一人で住んでいたからです。

 

 県外の人で、スアンモークという名前を聞いたことがある人は誰もいませんでした。季刊紙「佛教」を発行したのはスアンモークができて二年目で、他から比丘や沙彌が訪れるようになったのは、三年目に入ってからでした。だから二年間、雨安居中も他の時期も、私一人でした。

 

 スアンモークがあること、そこへ私が行ったことは、興味のある人だけの口の端にのることで、同じ地域の人でも、本当の目的を理解できない人は少なくありませんでした。特にスアンモークの近くのイスラム教徒には、勝手な解釈する人がいました。

 

 初めて托鉢に出た朝、子供たちがみんなで口々に「キチガイ坊主が来た」と叫びながら走って逃げました。私は、「私はこの荒れ寺を守るように連れて来られたキチガイだから、気をつけなさい」と勝手に説明してやりました。何か月もすると、そのような誤解は消えました。

 

 これは滑稽なだけの話でなく、ほとんど事実でした。法施会の事業として新聞を発行して全国に布教をした時、同じ国民同朋の少なくない人が誤解して、私たちの行為は、宗教を看板にして密かに儲けを狙っていると考える人もいたし、在家が知らなくても良いことを教えて他人を困らせるので、沙彌は苦労する、と考える人もいました。

 

 慈悲で教えてくれた人がいたので知ったのですが、私が偉いお坊さんに誤解されて嫌われるように、匿名の誣告状を書いた人もいました。理解し合えるまでには十年掛かりました。これは、初めから正しく理解をした人はいなかったという意味ではありません。本当は、称賛の手紙を全部保存しきれないくらい沢山いました。

 

 この話をわざわざ話す目的は、他人と違う新しいことをすると、行為者に権力があるなしに関わらず、一部の悪い面を見られてしまうのは当たり前、と考えなければならないという点にあります。行為者に権力があれば、目の前で言えないだけです。

 

 だから何かの改革や、一旦壊して改善しようと考える人は、誤解した人に非難攻撃されても気にしてはいけません。この世界では当たり前ですから。正しい心ですれば十分で、結果は純粋な行動と同じになります。

 

 私たちも事前にそう考えていたので、予想通りだったことを面白く思う以上には関わり合いませんでした。それは私を、良く当たる預言者にするために起きた出来事でした。

 

 最初の住まいは地面を囲ってニッパ椰子の葉で葺いただけの建物で、広さは床几を三つ四つおける程度でした。友人たちが大きな仏像を囲むように作ったもので、トタン小屋と隣接していました。初めは裸の建物で壁がなく、仏像を守るために、古い本堂の場所に載せた形で、大きな木の鬱蒼とした影が、結界のところまで伸びていました。

 

                                 

          

寺は八十年以上荒れ放題になっていたので、四方を囲む密林以外には何もありませんでした。私が住んだ当時でも、普通の人は恐れをなす場所で、お化けや樹の精霊を信じていることと、木々や蔦類がうっそうと絡み合っていたので、ほとんどの男性は、昼でも一人で本堂まで入り込む勇気はありませんでした。

 

その外には、本堂から五十メートルくらい離れた所に、崩れかけた古井戸があり、水は十分使えました。自然のもの、自然にあるもの、と呼べるもの以外には何もありませんでした。

 

 これが初めの二年間のスアンモークの様子です。佛教新聞に掲載したことがある写真、あるいはみなさんが現在スアンモークを訪れた時に目にする光景とは、比較にならないほど違います。しかし本当は、当時のスアンモークに、今でも満足を感じています。

 

 私にとっては、平坦で清潔で快適な住まいのある現在のスアンモークからは得ることができない利益があったと、心で明らかに感じ、心の訓練に関心がある人にとって、忘れることができない原点です。

 

 だから、しかるべき心の訓練を始める人の学習のために、もう少し当初のスアンモークの状境について述べなければなりません。ブッダがパーリ・パヤテーラワスッタ(中部)で述べているあらゆる種類の恐怖。私は同じ種類の恐怖を、少なからず体験したと思っています。

 

 私もほとんどの読者と同じで、つまり森で生まれ育っていないので、慣れていなかったので、パーリ・テーラヴァスッタで勉強したことはあっても、そのような寂しい所に一人で住む前は、私も同じ理由で、一人ではできませんでした。そのパーリ経典のある部分には、

「静寂な座臥所」、つまり「静かな森の住まいに住むのは難しい。静寂になることは難しく、一人で住むことを喜ぶのは難しい。すべての森は、出家者の心に不安をもたらすようだ」。

 

「バラモンよ、次のような考えが私に生じた。もしそうなら、森に霊験があるとされる、木々に霊験があるとされる、恐ろしい物に霊験があるとされる、身の毛も逆立つ一四日、一五日、そして八日の夜には、そのように静寂な場所にいるべきだと。時には恐怖、あるいは怯を捕えることができるかも知れない。バラモンよ、私はその特定の日にそのような静寂な場所へ行って過ごした」。

 

「バラモンよ、私がそのような静寂な場所にいる時、野生動物が密かに近づいたり、孔雀が枯れ枝を落としたり、風が吹いて木の枝を落ちたりすると、私に驚きと恐怖が生じ、それを恐怖だと理解した。次に、なぜ私は恐怖ばかり心配するのだろうという考えが生じた。それならその恐怖を生じさせる行動で、恐怖を抑えてしまおうという考えが生まれた」。

 

「バラモンよ、歩いている時に恐怖が生じたら、私は恐怖に逆らって、歩いて恐怖を克服し、その間中、私は立ち止まらず、座らず、横にならなかった。立っている時恐怖が生じたら、その恐怖を克服するためにわざと立っていて、その間中、歩かず、座らず、横にならなかった。

 

 座っている時恐怖が生じたら、わざと座ってその恐怖を克服し、その間中、私は立ち上がらず、座らず、横にならなかった。私が横になっている時に恐怖が生じたら、わざと寝たまま恐怖を克服し、その間中、歩かず、立ち上がらず、座らなかった」とあります。

 

 たったこれだけでも、動物の本能である恐怖との闘いがどんなに難しいかを表しています。クルンテープの部屋で、自分もこのようにしてこれらの問題を克服し、態勢を立てようと考えていたことは、使い物になりませんでした。一番重要なのはたくさんの教えではなく、ほとんど気力とサティの素早さ、そして熟練だからです。

 

 静寂な場所、そして静寂な夜更けに一人でいる味は、言葉で言い表すことができない、あるいは住んだことがない人が、普通の場所で推測することができないもので、自分は何の庇護もなくたった一人で住んでいると考え始めた時から、すっかり精神力を奪われてしまうような、ある種の威力がありました。

 

 特に、突然大きな音や、強い風の音、重い物が落ちたか、あるいはぶつかったような音がする時には、驚愕を抑えることができませんでした。精神力が少し強くなってくると、サティが少し敏捷になり、多少慣れてくると、普通のことになりました。

 

だから、何らかの教えを使う初等の勉強をして、満足する結果が出るまでに、最低七日は必要でした。

                                           

 

 ある朝、托鉢に出掛けると、スアンモークの中は広いので、池の縁の茂みの間の狭い道の途中で、群れを離れた雄のイタチが出て来て砂の上で転げ回り、時々私の方を振り向きながら二本の脚と体を伸ばしました。

 

 私は、イタチの用事がすっかり済んで去っていくまで、長いこと待ったことがあります。それはたった八、九メートルしか離れていない場所で、体を伸ばすと、私の胸の辺りまである大きなイタチが、「度胸があるなら出て来い」と挑戦しているようでした。

 

私はみなさんと同じ、つまりそれまでにこの種の経験をしたことがなく、ブッダの最高のタンマで自己訓練をすることと、闘わず身を守らないことの最初の段階でしたが、このように逃げず、恐れず、後戻りもしませんでした。みなさん想像してみてください。用が済んで向こうから離れて行くのを待つ以外に、私にどうしろと言うのでしょう。 

 

もう一つ、とても素晴らしいと捉えなくてはならない、そして非常に私の支えになったことがあります。それは知りたい、試してみたいという学習への愛でした。精神力とサティが十分ある時は、試してみたいことばかりでした。

 

 虎に噛まれてみたい、蛇に噛まれてみたい、あるいは幽霊に騙されてみたい、そして妖怪やお化けが出てきたら親しく言葉を交わしたいと思いました。すべて、それらを知る機会と考えたからで、それに自分の精神力も試せますが、そのような機会には恵まれなかったようです。

 

 恐怖は騙すもの、あるいはただ怖がるたけのものになり、それを怖がる自分の愚かさにふさわしい損失と捉えました。だから私に自分を維持するだけの智慧、あるいは理由があれば、期待できるのは安全と、どんどん緻密になっていく一方の勉強の好機です。

 

昔怖かったものが、普通のもの、当たり前の物になり、時には滑稽なものになることもあり、そして別人のように変わった自分を発見しました。そして、心の安定を妨害していた恐怖の害は減り、最後には消滅し、身に着けた黄衣と、期待どおりに訓練する強い意志以外に何も身を護る物が無くても、夜間に広々とした静寂な場所で、一人で座ることもできるようになりました。

 

私はかつて、寂しい場所に一人で座らなければならない時、囲いや傘のような物が頼りになると考えたことがありましたが、一般の学習者は用いるべきではないと言わせていただきます。つまり、すべてを放した新しい気持ちでなく、まだ恐怖があるので、十分に強固な精神力が生じません。心の拠り所となるそういうものがなければ、普通の人の賢さがあります。

 

 正午の頃の森の中には、再び自然の静寂があり、ホトトギスは、昼休みを知らせる係のようです。どの鳥もぽつんと一羽だけで、中には眠っているのもいます。リスも大人しくしていて、野生の鶏は地面を抱き、地上の小動物たちは、安全な所で休んでいます。朝の食事が済んだので、そして昼の蒸し暑さのせいもあり、入れ替わりに静寂になります。

 

時には風も止んでしまうことがあり、そうすると深夜の静寂と同じような静けさになります。二度目の食事、つまり昼食の心配がない比丘は、この時間にも、このような森に住む特別の幸福を味わうことができます。この自然と親しまなければ、非常にもったいないと思います。

 

 このように感情が静まっている時に、突然ギャーギャーと喧しい声が轟き渡ることがあります。観察して見たことがありますが、注意を促す、あるいは本当に危険な出来事を知らせる声だと思います。

 

 これは、まだホトトギスが午後一時を告げていないのですから、動物たちがみんな、昼寝から覚めたからではありません。しかし本当に危険なことがあり、つまり何らかの種類の大きな鳥、ワシ科の鳥が通りすぎたのです。この種の鳥がいる間は、動物たちは叫ぶのを止めようとしません。

 

スアンモークではリスが四十匹以上と、さまざまな種類の数えきれない小動物と、野生の鶏の大群が一斉に声を張り上げ、危険に注意するように知らせます。聞けば誰でも、助けを求める声だとはっきりと分かります。

 

体験したことが無い人は、これにもびっくりします。このような特別な出来事がなければ、ホトトギスが合図する午後まで静寂が続き、一匹二匹と動き出し、普通に目覚めた森になります。

 

 ある月の明るい夜更けに、ガッガッという音が近くでしたので、少しずつ起き上がって聞いてみて、カーテンを開けて音のする方を見ると、四頭のイノシシが群れて何かを食べていました。小屋から七、八メートル離れたところで、少しも恐ろしい光景ではなく、むしろ見ごたえのあるものでした。夜明け近くに、私が扉を開け放しておいた時、突進して森中に轟音を響かせたことがあるのは、たぶんこのイノシシです。

 

ネズミ鹿の親子やウズラの親子が、夕方、親の後に列になって歩く姿は、非常に可愛らしいものでした。ある種の鳥は、わざと文句を言うような鳴き方をし、昼にも夜にもいました。中には、神様の助けを借りていない、すべて自然の腕前とは信じられないほど非常に美しい鳥もいました。

 

雨の降る夜は蛇、つまり毒蛇がたくさん集まってきます。噛まれると毒があって非常に痛み、腐りが広がって指が抜け落ちるか、曲ってしまいます。そして毎晩たくさん集まってくるのは蚊でした。これらが、退屈することなく学ばせてくれる、ありとあらゆる種類の自然でした。

 

村での生活を離れ、密林で暮らし始めたばかりの頃は、何もかも考えさせられることばかりで、様々な新しい考えが生まれて、とても全部は書き切れません。深い意味と難しい問題に満ち満ちたこういう光景を、自然はすべて揃えてくれていますが、そこは、元々の自然に、ほんの少しも手は加えられていませんでした。

 

スアンモークに毎年手を加え続けて何年にもなると、今でも心が痛む幾つかの自然を失いましたが、そのほとんどは、穏やかさ、涼しさを与えてくれました。他でたくさん勉強していたので、本当の自然を学ぶ時に、心に衝撃を受けて熟慮を迫られるような問題はあまりありませんでした。

 

 夜は何もかも眠るというのは本当でしょうか。これはまったく事実ではありません。自然から学んだことは、夜中もまた、最高に世界が目覚めている時だと思います。しかし非常に繊細な目覚めで、様々な種類の動物を見ると、昼間より多くの動物が、昼間より真剣に駈けまわり飛びまわっているように見えます。本当に眠っているように見える世俗の人間と何種類かの動物以外は。

 

一方タンマの人間は、夜中は最高に冴えている時です。昼間は気持ちがいろんな面に奪われ、妨害によってほとんど消えそうになり、あるいは感情を静めるのは困難で、夜になると爽快に、空になることができるからです。心の明るさや鋭さは、昼間以上で、心の中は明るい物を見ることの明るさで輝き、心は非常にさわやかに目覚めています。

 

眠っても、一瞬一瞬、いつでもすべてを、真実のままに感じることができる種類の眠りで、疲れは感じませんでした。昼になると、迎えなければならない客があり、世話しなければならない人がいてする仕事があるので、その疲れでぼんやりし、だるくなり、眠っているような暗さになります。真夜中の静寂を過ぎた頃の明るさとは正反対です。

 

以上の理由により、タンマは世界のように夜中に眠らないと感じます。タンマと世界が正反対な状態のように、これも正反対です。ある種の小さな生き物もすっきり目覚めていて、特にシロアリは、昼間よりも早く飛び回りますが、タンマの生き物かどうかは知りません。

 

しかし世俗の人間の一つ確かなことは、昼間はタンマに目覚めていなくて、おまけに夜は、もっと目覚めていないことです。多分このような理由で、世界は今、私たちが求めているような平和がないのでしょう。

 

 一人暮らしは、訓練と目覚めの課題と、そして自分の目覚めがより柔軟になるように管理することにおいて、これ以上に良いことはなく、いつでも自分の期待通りにできるようになりました。

 

 誰でも同じように森の中で独居して、それが普通になれば、心は変化します。サマーティは半分くらい簡単な状態で、子供の遊びのように非常に簡単なサマーディがあります。簡単に心が静まるからです。

 

 真鍮製の鉢の蓋にご飯を入れて、水の浅い所に置いてやると、小さな魚が、クリーム色の輪の中に群れになって泳いで集り、ほんの一時見つめるだけで、目に焼き付けて、幾晩も見つめることができ、心のあるもののように動く、大きな像小さな像に拡大縮小しました。それを私は「子供の遊びのサマーティ」と呼びます。

 

 しかし大人の本物のサマーティと同じ点がたくさんあり、違うのは、基本にはない身近な自然の遊具を、試してみる感情(心で捉えるもの)にするだけです。このような状態を、いつでも遊びと捉えていれば、そのうち難しいことも、信じられないほど簡単になります。 

 

一人暮らしは、三蔵の学習の面、あるいは半分学習をするにも、確実に非常に良い結果があります。森の静寂な所で読むと、クルンテープで読んだ三蔵の項目の大部分は、四倍から五倍くらい心を捕えました。それに、密集した場所で読んだものの中には、まったく意味が分からず、有効利用できないものがあったと言えるかもしれません。

 

意味の咀嚼、あるいは森の中でするほとんどすべては、長く続けられ、一本の川のように繋がっていて、執筆も、より活き活きとできました。しかし人間だけかどうかは、今後も観察を続けなければなりません。

 

 

 精神的な珍しい味わいについて語れば、クルンテープのような密集した場所では求められないと信じます。それは絶対にできません。気候もふさわしくありません。人で混雑した雰囲気とたちこめる臭いで、違った心の流れになるので、それは正反対です。だから場所の問題は、重要なことの一つです。そしてこれは、私たちが自然から直接学ばなければならないことです。

 

私は冒頭で、非常に自然に近い生活しかないと述べました。それにスアンモークを造ったばかりの頃経験したことです。その後新しい施設を造る時、極めて自然に近くするという一つの原則にして、本の仕事や布教、あるいは賓客の受け入れなどを施設から厳密に切り離し、長い間そのように暮らしてきました。

 

 物や財産について話せば、それも勉強しなければならないことの一つです。ここへ来たばかりの頃、私が持っていた財産は、鉢が一つ、水を飲める真鍮の蓋と、井戸で水を汲む小さなバケツ、それに必要且つ持たなければならない僧衣だけでした。それにガラスのコップで作ったココナツ油ランプが一つ、定位置である仏像の前にありました。

 

いつどこへ出掛けるにも、扉を閉める必要も、鍵をかける必要も、誰かに頼む必要もありません。一人しかいないので、いつ戻って来ても、あらゆる面で心配はありませんでした。維持管理しなければならないものもなく、責任を取らなければならないこともないので、小さな体と、鳥のような自由があると感じました。

 

考えは晴れやかで曇りがなく、あるのは、何も考えなくても良いので、筆舌で表し難い快い軽やかさだけでした。そしていつでも満足があり、真水を飲むように、飽きませんでした。生まれてこの方、憶えている限り、このように暮らす時の、肉体が無いような軽さを体験したことはありません。

 

こういう暮らしへの十分な満足が、将来への不安を消し、誰とも関わることなく、あるいは誰にも迷惑をかけずに、自分自身の幸福を見つけられるかも知れないと確信させ、この世界に一人で生きていける、あるいはヒマラヤに住む人たちのように、誰とも関わらずに生きていけるという、常軌を逸した考えが生まれました。

 

 その後、財産が増え、佛教新聞を出そうと考えた時、紙と鉛筆と、何冊かの本が必要になり、心にも影響がありました。他人から本を借りた時など、外出する時は仕舞って、箱のふたを閉め、ドアを閉め、鍵までかけ、戻ってきて何事もなければ安心しました。

 

ある時、用事があって外泊して戻って来たら、シロアリの群れが本の山に到達する寸前でした。それらの本は三蔵で、当時はまだ法施会がなかったので、あるお寺から借りてきたものもありました。もしシロアリに食い散らされて一冊欠けてしまったら、少なからず面倒な問題になっていたでしょう。自分は森の僧の暮らしをしているのに、街の僧のマネをしたのでいい気味です。

 

これらの、つまり両方の考えは時々衝突し、時には本に関わる考えを止めることもありましたが、最終的に二つの考えは、自然に妥協することができました。その妥協も、何も自分の財産を持たないことによる快適な暮らしをした経験に関連しています。物のない暮らしがそれまでになく快適でも、それは、妥協することと執着しないことから生じる別の知識でした。

 

執着しないことは、執着するものがないことから生じる以外に、自分の財産はあっても、それに執着しないことからも生じます。だから広く大衆の利益のために必要な物があっても、自分の心を重くするものとして執着しないことができるかどうか、ぜひ試してみたいことでした。

 

このように「賭けるような」「挑むような」考えが生まれると、重荷を負う勇気と楽しさ、あるいは何らかの束縛である責任を感じました。遭遇したばかりの幸福を手放したくないというもう一つの気持ちが芽生えると、もう一方が自然に、どちらも活かせる妥協案を探しました。

 

最後に、どちらも承知しておくことができると分かりました。初めに、すべてを捨てることの味を重要な智慧として体験したことがあり、新たに物が増えた時解放することを知っているので、執着するばかりで妥協することを知らない昔とは違います。

 

 いずれにしても真実は、他人の利益にまったく関わらない方が幸福です。あるいは、人間は何らかの自然の負債を身につけているので、例えば私たちがこうしていられるのも、身勝手だけでない昔の人の犠牲によるものです。だから人間は心の自然として、他人の利益や幸福のために、多少は自分の利益や幸福を犠牲にしなければなりません。

 

だから、自分の利益をそれほど損なわないで、どのように他人の利益のためになることをするかは、努力しなければならない問題です。ここで私は、確信をもって答えさせていただきますが、群れから離れた独居を実現し、どんな財産も持たないほど良い方法はありません。一度やってみれば、最後には答えが見つかり、それと同時に、非常に難しい仕事を本当に良く実践する能力も身につきます。

 

心の学習と訓練をしたいと志す人は、常自覚と、可能な限り繊細な観察と意識することによる、このような体験が極めて必要です。自分の精神的な経験から得た知識と、教科書の中の教えで推測した知識は、かなり隔たりがあるからです。

 

だからこの課題をしている学習者同朋に対して、財産があるかないかという問題は、自分が試験的訓練を始める時に、出来るだけ緻密に最善の処理をしなければならない問題である、と忠告させていただきます。

 

 本と新聞の仕事があるので、出家と在家双方の来客が増え、一人きりだったスアンモークの暮らしも、複数の生活、あるいは何人もと関わる暮らしに変わり、その結果、新しく来た沙彌のための掘っ立て小屋と、執筆の仕事のために、白アリや泥棒の心配のない小屋を建てなければなりませんでした。

 

 普段も、病気の時も、何人分もの日用品があり、応接する場所があり、そして他のお寺の何らかの協力がありました。

 

暮らし方やいろんな規則も変え、あるいは変化し始めた出来事に応じて増やさなければなりませんでした。そして一番重要なことは、私たちの理念にそったタンマの実践をする人を余所から探すことは、あまりできませんでした。それが、将来、完璧で現代的な仕事をするために、ここで幼い沙彌のクラスを作って教育することになった理由です。

 

これも問題、あるいは負担を増やし、そして別の生活規則ができました。これからはどうすればきちんと、問題なく過ごせるか、ということを、少しずつ教えて分からせます。

 

要するに、タンマを実践する人のタンマの実践施設を作ることには、他の事業にも独自の方法があるように、当然独自の方法があるということです。

 

 私たちはこの事業を、確実な手本がない新しいものとして進めたので、それ自体、実験的な教育でした。個人的な仕事もあり、報道であり知識の交換ための、あるいは後に直接知識を与える部分も加味された、他人のための普及の仕事もありました。

 

 当初の、まだはっきりした形になっていない頃は、スアンモークにはいろんな物がみな一緒にあり、その後、法施会の事務所と法施図書室に分け、これはタラート村にあります。初めにスアンモークがあった、そして最初の法施の部屋があったプムリエンとは地域が違います。

 

これは、この問題に関心がある方は観察するべき点ですが、タンマの実践を普及、振興させる機関を作るなら、仕事の形をはっきりと分離し、初めから仕事の計画に合った十分なスタッフを揃えれば、すぐに結果が出ます。

 

 

 三年目は、雨安居を共にする友ができ、二人で雨安居をしました。この比丘に関しては、記念するために、幾つか記しておくべきと思います。名前はマイ、戒名はサーソンパチョトー、姓はトゥムサターンと言い、東北のチャイヤプーム県の人でした。病気になるまで、何年もずっと一緒にいて、そして家へ帰って亡くなりました。

 

スアンモークに来た時は、全部歩いて来ました。意志が強く非凡な忍耐があり、正直で秘密がなく、あらゆる点でタンマの修行者にふさわしい人でした。パーリ語の段はなく、僧試験一級もありませんでしたが、私は尊敬して受け入れました。すると誰もから尊敬されていることが分かりました。

 

そして私は、何でも知っていて、すでに三蔵の勉強も修了している人が、反対に三蔵の知識がまったくない僧を尊敬するとはどういう意味なのか、ということが良く理解できました。

 

こういう人は感情に対して鈍く、いつでも変わらず、あらゆる点に素直で誠実で、三蔵の学習が足りなければ真面目に勉強し、何でも質問し、教える人の言葉に忍耐があり、長期的には、相応の知りたいことを知ることができます。

 

大人しく静かで、無口か口数が少なく、説教はできないけれど最高に善いことを言います。長く一緒に暮らせば暮らすほど、心に戒があるのが見え、この種の美徳は、天人が崇拝するに値すると感じました。

 

私自身も、このような人が一人いれば、タンマの実践施設を名乗るスアンモークにとって十分だと感じました。そして、初めての友達がこのように満足できる人で、非常に幸運だと思いました。

 

 

そして後になって、パーリ語の段があることと僧試験一級合格者であること、という受け入れ条件規定は、決意に見合った結果がないかもしれないと考えましたが、しかしどうすることもできず、法施会の他に、私が個人的に特別の人を選ぶ権利がある、というのを新しい規定にしました。

 

これは、タンマの実践施設を作ることに興味がある方は、幾つかの規定を決める判断をする道具として、喜んで読んでいることと思います。なぜなら、決めない、あるいは何も教えが無いという訳にもいかず、あるいは間違って決めることもできませんから。

 

一つ提案させていただきたい観察点は、「善人かどうか知るには、長いこと一緒にいなければならないことは、非常に真実だ」とブッダが言っていることです。そしてこれです。規則を決めることと、特別に受け入れるべきかどうかという決断が難しいのは。

 

 だからできるなら、そして最も良い方法は、昔から顔を合わせている人、あるいは特に自分の所で育った弟子、あるいは考え方が信頼できる友達だけを受け入れ、長い時間一緒に訓練をするのが、もっとも快適な方法です。

 

 そしてこのような形式の心の訓練は長期、あるいは生涯なので、いつまでも受け入れ続ける必要はありません。住む所がいっぱいになったら、受け入れを止める方が良いです。あるいは広い善を求めなければ、私は、死ぬまで幸福に暮らすには、善い友人三、四人で十分だと提言させていただきます。他から誰かを受け入れる必要はありません。

 

 翌年には、一緒に住まわせてくださいと言う比丘や沙彌が、一度に、一人、二人と、どんどん増え、その後、雨安居に十人もいた年もあります。来た人の中には、満足した結果が得られたのか、良友になる人もいました。中には反対に、ここを出た後悪い噂をまき散らす人もいました。満足した一面は、重要点として、問題が起きた時の、心の中のいろんなもの順が一致します。

 

たとえば、どれくらいをサンドーサ(知足)、あるいは簡素な生活と言うか、という問題がある時、これくらいを簡素な暮らし、あるいは質素な生活と言う、という考えが一致しますが、ある人たちには、それだけでは、あまりに乏しすぎて苦行です。

 

たとえばこの種の比丘や沙彌は何をするべきかという問題がある時、一部の人は読経もしなくて良いと考え、それまでの人たちはしているのに、新聞も読まないで、嫌いな項目に挙げます。

 

またある人たちは、書かれたものにこだわり過ぎ、どんなに清潔な水でも、濾し布で濾さなければ気が済まないので、ただ習慣で使っているだけの濾し布で、水は却って不潔になってしまいます。眼で見えない細菌も濾し布で除去できると信じているので、そうしない人が一人でもいると、「嫌だ」と言い出します。

 

また別の人たちは、ほとんど自分のことしか頓着せず、多少緩やかに考えることは、個人の問題と見て、グループ全部を嫌わないで、どのグループとも仲良くします。これは、本当のタンマの実践者と認めることができます。

 

 

この問題に関して一つ観察するべきことがあります。自分自身を「タンマの実践者」と呼ぶ人の中には、心に欠陥があると言える種類の人がいますが、これはますますひどくなります。解決し難い問題です。

 

いろんな方面からの来客を迎える共通の場所は、非常に限定された場所である寺や施設とは異なるものがあります。このような公的な場所には、様々な、ほとんどすべての種類の賓客が訪れるので、泊まらなくても、見学に来て一時休憩するだけでも、問題になることがあります。

 

自分の考え、あるいは自分のすることと違うものは使い物にならない、あるいはバカバカしいと考えている人がいると、そういう人は非常に大変です。これは、本当にどうしようもないと観察しました。

 

たとえばご飯を食べる時、鉢を高い所へ置いて、その下にしゃがみ込んで合掌し、しばらく何か呟いて、それから持って来て食べる客がいる時など、そうしたことがない人たちは、噴き出さずには、あるいは目配せせずにはいられません。

 

本当は、後になって、そうするのは、先ずブッダを崇拝し供えるためで、弟子たちが食べる物に欠乏することないようにと、食べ物を与えてくださるブッダへの感謝の意味だと、説明を聞いても、したことがない人、見たことがない人の方が滑稽です。

 

熟慮して見れば、善い行動であり、理由があります。ほとんどの人は首を横に振って、この教えを信奉しないので、ある地域だけで信じられている教えだと信じています。厳格に信じている人たちは、信じていない人たちを、ブッダの恩を知らないと非難し、信じない人たちは、ブッダに感謝する他の方法があると反論します。

 

そしてそうすることは、精霊にお供えする、あるいはブッダの霊にお供えするようなものだと感じます。これはいろんな賓客が休む、共通の場で目にした同じような出来事の一つの例に過ぎません。

 

自分をタンマの実践者、あるいは修行者のタンマを満たしていると称する沙彌は、(履修した項目の)名前だけ聞くと同じように感じましたが、実際には、街のお寺のカンタドゥラ(経典の勉強)よりもっと差がありました。

 

まったく三蔵を学んだことのない修行者は、住んでいる所が小人数なので、各自が自分で気に入ったように、あるいは自分の考え、あるいは代々言い伝えている先生の考えでしているからです。

 

観察指針である中心線、あるいは道標のようなパリヤッティ(三蔵経の勉強)がなければ、考え方は二つに別れてしまい、その結果パリヤッティを実践の基礎と捉えないグループもあります。これらの修行者、特に「パリヤッティは修行の敵」と考える人たちは、ひたすら中心線に背を向けて歩くので、「他のは間違っていて使い物にならない」という考えが、当然こういう人たちと他の人の間、特に理解し合う機会があまりない、森の僧と街の僧の間に生じます。

 

私は、このような共通の場所があることは、分裂している教義間の混濁を洗い流す場所になるという考えをもっています。観察すると、初めの良くない意図の人たちを全部取り上げて見ると、ほとんどが善意だからです。

 

違いのある教義を信じていても、小さなことは「本当に小さなこと。それに個人的なことでもある」と見ることで妥協できます。他の人はそう捉えなければ、その人のほとんど、あるいは重要点が正しければ、それを嫌うべきではありません。

 

教義を強く捉えすぎると自分を見失い、些細な教義がダンマヴィナヤ(法と律)より重要になってしまうこともあります。たとえば集団にとって大切な基礎である団結を忘れてしまい、あるいは、純粋な友達全般との交際から得るべき利益を失ないます。

 

自分の宗教界と上手に交際できないようでは、異なる宗教の人たちと交際することなどできません。ブッダの弟子は死んだ耳があるべきなのは、これが理由です。

 

 

いろんな方向から来た人から広く聞いたところによれば、いろんな実践施設には、信じている何らかの教えがあり、その施設の商号か商標のようになっていて、他の所より良い、高いと見せたい気持ちが、他の施設と違う何らかのものを探して信じる原因と聞きました。

 

施設が増えると、有名になるために厳しく捉える項目の種類が増え、そして競争心のようなものが芽生えて、仲良くするのが難しくなします。

 

もしその競争が、各自の熟練や得意なことで大きな利益になるようならとても素晴らしいですが、お互いに厳しさを自慢する些細な教義のためだけなら、所属する宗教に罰が下ります。

 

そしてそれが、ほとんどすべての実践施設の心の修行の水準が頭打ちで、少しも高くならない理由と理解します。それは、この種の仕事の身分、あるいは名誉が曇ったままになっている理由でもあります。

 

タンマの実践施設は、ブッダの高いタンマを普及させると同時に、錆び、あるいはこれらの敵を掃滅させる義務がなければなりません。自分の行動を手本にして実際に見せれば、最後には、他の施設を作るより、確実に、はるかに投資に見合った喜ばしい報いのある施設になります。

 

このような施設にいる人は、個人としては勤勉に学んで考え、集団としては、自分と合わないものがある人を嫌わない寛容な心がなければなりません。そして他人に教える部分では、能力にふさわしい努力をし、見返りである品物のことを考えず、純潔で素直にします。

 

こうすればタンマの実践も進歩し、そして公供の物、あるいは国の物を浪費しなくても、宗教は繁栄します。そして最後には、タンマの実践施設は、お金を少ししか使わないで、簡素で慎ましい暮らしをして、結果は、他の種類の施設の何倍も喜ぶべき結果になり、正反対です。本当は、比較になりません。

 

こうした期待は、今はできそうもありません。この種の仕事は難しく見え、一般の人が協力して振興させるのは理解が難しいです。あるいはサンガの権力を維持する事業としても、まだ振興策がありません。あるいは中心となって監督せず、個人的な問題として、個人の意志ですることとして放置しています。

 

それ以上に悪いことは、権力のある某機関は、「そのようにすることは、自分のチャンスだけを求める人の行動」と理解してしまうことです。あるいは「涅槃を望む人は、他人より有利になろうとする人」という理解もあります。これは、この部署の仕事が大衆から関心を持たれず、しかるべき熟慮検討されない理由の一つで、それが私たちの宗教のある物をいびつにし、ある部を必要以上に肥えさせ太らせました。

 

これは私たちの宗教が、十分国民に甘露を流し出す義務を果たしていないことを明示しています。権力のある機関に振興する方針がない、あるいは特にこの仕事に栄誉を与えないことで、この種の仕事は、偶然この種の仕事が好きな人がする個人的な仕事になっています。

 

長い間には、たくさん勉強した人が現れて、この種の仕事を静かに撫で、三蔵の勉強が終わったばかりの若い学生の目を引くものにします。

 

しかし若い学生のほとんどは、当然ですが名誉や目に見える幸運につながる道である、本部の運営や管理の方向を向き、涅槃を望むことなく、あるいはとりあえず高度なタンマの実践をしばらく厳格にしてみることなしに、本当に広い心、あるいは高い心で、向きなおって広く世界の利益になる仕事に取り組みます。

 

以上の理由により、実践を愛す精神をもった人物は少人数で、実践を愛す人が少数なら、一歩踏み出す人はもっと少ないのは当たり前、あるいはまったくいません。だから誰かが設立した、あるいは今設置しようとしているものでも、いろんな実践施設に修行者があまりいない、あるいはまったくいないことは、不思議でも残念でもありません。

 

少なくとも空の施設があることは、いつの日か若い勇敢な学生の心を奮い立たせるものになり、そして宗教のこの面を忘れないようにするものになります。修行者で溢れる施設にすることはできなくても、自由な考えの人、あるいは実践者になる準備をしている人が集まれる施設になります。

 

それでも十分見合う成果が得られ、少なくとも静寂を望む人が、時々学習するために集まる良い場所になります。これでも非常に成果はあります。

 

 

スアンモークに滞在した比丘や沙彌の数について言うなら、訪れた人たちについても述べるべきだと思います。

 

忘れることのできない義侠心に満ちた出家者の賓客もたくさんいます。特に現在の僧議会議長である、テープシリントラーワート寺のプッタコーサーチャーン殿下(ヤーナワロー チャルーン)で、詳細は佛教新聞第5年2号で読むことができます。

 

在家では特に、現在最高裁判所所長であるプラヤーラップリー タンマプラカン氏は、法施会の事業全般に助力いただいた以外にも、比丘沙彌を受け入れ育成、教育しなければならなかった時に、私個人も特別にお世話になり、お陰でこの事業を順調に続けることができました。

 

これらの賓客の中には、二、三日しか泊まらない方もいたし、心行くまで幸福を味わうため、そしてそれまで付き合ったことがない友人と交流するために、一か月二か月と滞在する時間がある出家者の客を除けば、長くても一週間で、平均すれば、そのような客は一年に四、五人でした。私はこの数を多いと見ます。

 

客のほとんどすべては、満足していただけたと信じています。繰り返し来る人もいたし、後でまた来る人もいたからです。しかし、中には手法が合わないために、満足していただけなかった人も、二、三パーセントはいたと信じています。

 

国が戦争等の影響を受けてから、スアンモークにはほとんど来客がなくなったと言ってもよいです。特に在家の客は、いつも、来たくても来る時間がないという噂を聞くだけでした。一般的に考えてみると気の毒なことです。

 

 

住んでいる人の数についてお話したので、次に生活についてお話します。比丘や沙彌の食べることに関しては、直接托鉢して得たものだけに頼っています。つまりご飯もおかずも貰います。簡素な暮らしを望む人には、十年の間、十分快適でした。最後の一年は、お寺へ来て一日一品、料理を作ってくれる人がいました。

 

便宜のため、そして訓練を尊重するためにそうしないより良いと考えて、私たちはずっと、粗末な食器一つきりで食事をしてきました。一つきりの食器と言うのは、一つの食器にご飯をよそって、その上におかずを、その日貰って来て集めた全体から、自分の欲しい分だけ取り分けて載せ、それから自由に座って食べます。

 

人により時代によっては、鉢を食器に使う人もいますが、人により時代によっては、もっと便利な食器を使いました。鉢は、そのように使うにはあまり向いていないからです。

 

現代の鉢は、ブッダの時代のように口が広くなく、水碗の形で、それに、臭いをすっかり洗い落すのが、他の食器のように簡単ではありません。椰子殻の器などのように簡単ではないので、清潔さを維持するのに時間がかかるので、質素な食事を生涯続けるなら、他の器を使う方が良いです。

 

たとえば中くらいの椰子殻の器一つで十分です。主旨を考えれば、鉢の代わりにこのような器を使うことは、何も野望ではありません。十分に頭陀、あるいは愚かさを削り落すことです。

 

このような食事に関しては、奇妙な理解をしている人がいます。たとえば一つに混ぜ合わされるまで掻き混ぜるのが正しいという人もいますが、それは個人の考えであり、自己満足、あるいはその人だけの理屈です。自分の精神力を試したい人だけがそういう食べ方をするからです。

 

私たちは最初から現在までそうしています。スアンモークでも、法施図書室でも、そして去年建てられた上のスアンモークでも。

 

食べる時刻は、できるだけ早くします。一回しか食べないのを望む人は、一回だけ食べますが、時には、建築など肉体的な力仕事をする人と年少の沙彌は、昼食を食べることもでき、適当な理由があれば、普通に献じられた食事をします。

 

ある種の食べ物を避けたい時、あるいは特別な食事を試したい人は、特別な機会を見つけて、たまにならすることができます。私はある時、果物だけしか食べない実験をしたことがあります。快適で、誰でも一度は試してみてくださいとお願いしたいくらい、珍しいことと感じました。

 

体が冷えて快く、体臭がなく、便の色も臭いも、まったく嫌なものでなく、これらを考えて見ると、穏やかに暮らす道具であり、普通より良いですが、欠点は、地域によっては便宜を満たすだけの果物がないことです。

 

野菜や芋類ばかり食べるのは、果物だけ食べるより非常に大変です。それに始めたばかりは、体の調整ができなくて、火の元素、あるいは消化液が変化して多くなり、果物のように適度になりませんでした。

 

いずれにしても野菜や芋類だけ食べるのは、とくに不都合なことの一つで、普段より何度も食べないと夜空腹になります。果物だけ食べるのは、ご飯のように沢山食べないと、消化も早く空腹になるのも早いです。

 

私がもう一つ観察したのは、このような食事をしている間、視覚、聴覚、嗅覚が非常に鋭くなったことです。バジルのような香りのある葉は、六から八メートル離れていても香りを感じました。普通は、何らかの方法で葉をもんで嗅いだ時に香りを感じますが。いろんな花の香りも強く感じ、時には強すぎると感じるもの、我慢できないものもありました。

 

普段はまったくそんなことはありません。それが直接食べ物のせいなのか、あるいは食事に関わる他の理由によるのか、私も良くは分かりません。他の方法でも同じ結果にすることもできるかも知れません。

 

一方舌の感覚は、目や鼻や耳のようには鋭くなりませんが、通常よりは鋭くなりました。だから、誰でも遊びで試してみるべきと思います。しっかりと秩序立てて実験すれば、少なくとも勉強になる結果が出ます。

 

いずれにしても忘れてならないのは、サマーディで安定した心、あるいは穏やかで爽快な時は、どんな方法であれ、目・耳・鼻・舌等の感覚は通常より鋭くなるということです。

 

良い果物はバナナ、パパイヤ、釈迦頭と、それに似た果物です。果物を食事にすることは、生臭物、甘い物、真面目に食べる、気楽に食べる、おやつ、などということがなく、ただ「食べ物」とだけ知る、食事に関わる知識を与える部分の、心の結果を生じさせます。

 

作った人に文句を言いに行く種類の良い出来、悪い出来に関わる話はありません。だからそれは、愚かさを削り落す方法の一つです。

 

 

食事についてお話したので、水についてもお話したいと思います。水は、家を建てる人が重要な問題にする一つであるように、タンマの実践施設にとっても重要問題です。時にはそれ以上の問題です。

 

私たちはできるだけ問題を少なくしているので、本当に必要でなければ、手に入れる苦労や、使用する時間などの負担を増やす物は所有したくありません。もし良い水があればいろんな問題がなくなり、求める幸福を味わえます。

 

恒常的に飲めない悪い水は、体に害があり、石鹸を使わなくてはきれいにならず、水浴をしても涼しくならず、反対に気分が悪くなり、そして皮膚病になったりします。これらの問題は、キリもなくお金がかかり、大変な負担を生じさせます。

 

スアンモークの水は無味で清潔ですが、図書室の水は非常に豊富です。私がこの二か所にいる時、時々比較して、タンマの実践施設の創設に関心のある人が参考にできるように、お話しようという気持ちになりました。

 

上のスアンモーク(現在別の所に建設中)の水はここより良く、景色も気持ち良いです。こういう面の結果を期待して、もう一か所にみんなで作っています。あと何年もしないで、自然の助けによって、すべての点でずっと快適で、掛りも少ない施設になることを願っています。

 

このような生活には、托鉢が一番相応しく、厨房を作ったり、作った料理を献じる人がいるのは、ふさわしくないか、あるいは効果が小さいです。あるいは家へ招かれて食べるのは、避けられるなら避ける方が善いです。

 

だからスアンモークの比丘と沙彌だけは辞退します。そして、本当に必要な理由がある時を除いては、食べに行くのを差し控えていることは、良く知られています。というのも、ある期間、自分を特別に訓練したいという志にふさわしく、空いた時間がたくさんあるよう、自然の中でゆったりできるようにするためです。それが何年間であろうと。

 

これが僧衣の寄進を受けることや、必要のないいろんな祭祀に参加するのを辞退し差し控える理由です。これは勉強と、少なければ少ないだけ精神的な効果がある類のタンマの実践を試すのに、善い効果があります。

 

このように散らかる物が何もない、さっぱりした小さな小屋に住み、彼らが「猫の餌を食べる」と呼ぶご飯を食べる生活、私たちが最初から現在までしている暮らしは、それを固定した原則として使うのに、これ以上確かで善いものはないと証明しています。

 

外部の人は往々にして誤解して、こういう暮らしに臆病になります。幼い沙彌の親が、ここへ来る前の沙彌に「あなたは猫皿のご飯を食べられるの」と聞いたという、滑稽な話があります。実際には、最初から現在まで沙彌の気持には何の影響もありませんでした。

 

それに、一つの自然な暮らしで、こういう生活を試したことがない人だけが、苦のように感じます。だから今後こういう施設を造ろうとする人は、そのことを良く考え、誤解によって、あるいは哀れむべきでないものを憐れむことによって、大きな利益を損ねないよう、詳細に熟慮しなければなりません。

 

 

衣服に関しては、厚地の生地をしっかり染めると節約になり、何倍も問題が減ります。等倍や二倍ではありません。ツギを当て繕った布を使う規則は、聖人の道に適うばかりでなく、心を非常に善く、そして清潔にします。

 

白状させていただかなければなりませんが、私は以前誤解して、そういうものをとても軽蔑していました。後になって、愚かさを研き落とすことを考えると、「これはいい。何の資本もかけずに広い考えを得られる」と感じました。それに布が不足することもありません。

 

善とは、苦や貧困を克服するあらゆる賢さを意味し、この種の誤解による心の状態、知識、そして失った物品は、極めて悪と見なします。もし比丘や沙彌や出家者がこのような教えを持していれば、国の労働力とお金と時間の大きな節約になり、在家の人のとても善い手本になります。

 

私たちは何でも試したもの、あるいは精神的利益のために手に入れたものは、試みる努力をしなければならないという原則があります。それによって理解が沁み込み、自分自身で満足でき、愉快で幸福で、その上、その後のタンマの実践を促進させます。

 

スアンモークでは、たまに黄衣の寄進があります。それに、どなたか名前は分かりませんが、郵便で黄衣を寄進してくれた人もいます。私は、絹の三衣の布をいただいたことがあります。その地域産の厚い手織りで、東北地方から郵送して来た、ということしか分かりません。

 

ずいぶん前のことですが、ここでお返事と、感謝を表明させていただきます。そしてその布は非常に丈夫で、最後まで使い切りました。

 

 

(施設内に)入らないようにお願いしたのは、良い効果があったと見ています。たまに知らない人や、知ることができない人が入ってきましたが、これは当たり前と見なします。ほとんどの人は事情を分かってくれ、非常に必要な用事がない限りはスアンモークへは入りません。

 

この辺のすべての方々が寛恕してくれたことに感謝します。そしてそれは、その人たちの善と見なし、私たちも感謝させて頂きます。

 

一方用事で、あるいは見学のために入ってきた人については、たとえついでに訪れたのであっても、いつでも喜んでお迎えしました。

 

観察した所によると、子供たちは問題の多い部類のように見えます。子供は何かを欲しがる気持ちがあり、それで何かを考えるのをすっかり忘れてしまうので、どのタンマの実践施設でも、もし子供の欲しがるものがあれば、きっと当たり前に妨害されます。

 

スアンモーク周辺でも、子供がこっそり入って来て、観賞用、食用にするために魚を掬って盗み、野菜を採り、キノコを採り、鳥を撃ちます。自然に集まってくるので、これを止めさせるのは困難です。薪にする木や他の用途に使う木もそうです。

 

これから造られる実践施設が、初めからこの問題について熟慮し、初めから回避し防止することができれば、そこに住んでいる比丘や沙彌にとって非常に良い成果があります。何でも欲しがり、忘れるのが得意な子どもと闘うのは、あまり面白くありません。

 

そこに子供が欲しがるものがなければ、問題はないので、時には難しい方便を考えて、それらをその場所から、すっかり移転させなければなりません。これも失うもの以上の結果があるように見えます。

 

 

鳥の鳴き声のような自然の妨害は、少しも問題ではありません。波の音や風の音と同じように意味がないので、すぐに慣れます。それにある点では勉強になります。しかし冷静に、学ばなければならないこともあります。

 

スアンモークには蚊がたくさん来ます。蚊がこない日は滅多にありません。しかし、普通の小さい蚊なので、マラリア菌は発見されたことがありません。ほとんどは海水の堀から来ます。

 

このような場合には、その自然を学んで回避するか、あるいは防ぐかを知らなければなりません。昼間はまったく蚊がいませんが、夕暮れから宵の口に現れます。だから住んでいる所に入らないように防ぐ方法が必要です。

 

たとえば出てきてしまうとか、夜が更けるまで火の灯りが見えないようにします。このように蚊が多い時間帯の自然に合った仕事、あるいは自然にふさわしい時間の使い方を知ります。そうすればしまいには蚊がいないのと同じになります。

 

たとえば排水などの原因を断って、蚊が発生しないようにすることは、とても効果があると同時に、適切に心を配るべきです。時には蚊も役に立つことがあり、寝すぎないように、あるいは体が求める以上に眠るのを防ぎます。

 

蚊帳やマットレスや枕を使わないことは、病気の時以外はとても良いことです。思索が広くなり、心も体も軽く、普通より寝覚めが良いです。眠りは、本当の体の一時的な休息であり、幸福に溺れる、あるいは幸福を求める時間ではないと見ます。最高に良く、そして簡単にシャークリヤーヌヨーグ(惰眠を貪らずに勤め励むこと)ができます。

 

しかしこれは、直接心の訓練をする比丘と沙彌だけで、他の勉強や他の仕事があるなら、述べた十分な結果はないかもしれません。

 

この項目は、心は、静寂に静かに座ってくつろいでいる時間の方が、寝ている時より快適なので、眠りは貪りたくないものになり、立って、散歩して、腰掛けて、すっきり爽快に目覚めていたくなります。その方が楽しく、うっとりするからです。ヨ―ギーの生活のように体の動きが少ないと、眠りは異常と言うほど少ししか必要ではありません。

 

これは、このような生活をしてみたことがなければ、普通の人には理解できません。あるいは、病気でじっと寝ている時は動きが非常に少ないので、あまり眠りたくないのを例に、観察して見ることもできます。つまり寝てもあまり眠れません。しかしこれは病気の話で、穏やかで快適な話とは正反対です。

 

私たちはここで暮らして、個人として満足と利便を感じ、苦痛と感じません。これはすべて、最初に心のレベルを正しく調整したからです。しかし外部の人では、やり過ぎとか、苦痛すぎると考える人もいます。

 

自分の心を静寂にする道が見える人は、こういう所、あるいはこれ以上にもっと締め付けのある場所に住みたくなります。そのような暮らしは、問題が少ないか、ほとんど問題がないので、思索と、目新しい味わいのあるいろんな明かりや光に恍惚とする機会があるからです。

 

まだ教科書で勉強している、あるいは他の初等の勉強をしている比丘や沙彌も、勉強を好むような高尚な気持ちになり、あるいは勉強に酔い、最後には、もっと問題の少ない場所を探しまわります。

 

快適すぎる住まいは、時間、あるいは考えをうっとりする方へ引き寄せ、美しく磨くことや飾り付けることを考えるようになり、少なくとも適度を越えた手入れや注意に関する心配をします。だから学習者の本当の利益になりません。

 

そしてそれは、名誉あるいはそのようなものと見ることで、自覚せずに迷っているもので、心を探究者・求道者でなく、むしろ家してしまいます。もし国民の多くがこういうのに溺れたら、国にとって目に見えない不吉で、物質的にも精神的にも害があります。

 

 

ここまでお話してきたので、学習者である比丘と沙彌に関わるものに限って、玩具についてお話したいと思います。

 

遊び、あるいは玩具は、人間と切っても切れない物のように見えます。たとえ非常に困窮していても遊びはあり、あるいは遊びに時間やお金をかけ、財産のある人は高い物で遊びます。在家も遊び、出家も遊びます。安い物で遊ぶことや、自然にある美しい物で遊ぶのは楽しくないので、高価な時代物を磨くなど、高価な物で遊びます。

 

聖人方も遊びます。つまり禅定で遊び、奇妙な定に入り、それからその定を出て、並外れた別の定に入ります。運動選手が難しい技を練習するのと、あるいは珍しい形を考え出すのが楽しいのと同じです。

 

そうならば、まだ出家したばかりの人、あるいは禅定にはほど遠い人は何で遊ぶでしょうか。私は幼い沙彌たちに、身の周りの知識を学ぶこと、すでに生物の教科書で学んだことに、もっと詳しくなるように、自分でできる範囲で、繁殖と発生と成長について知るために、鳥や魚や草花や木などの身の周りの自然を細かく観察して遊ぶよう提言しています。ミミズやシロアリなど、観察しにくい物は長い時間観察しなければなりません。

 

時には遊びに便利なように、あるいは後で実際に他の仕事に使えるように、使い方や作り方を知るために、建築の仕事について遊ぶよう提言します。音響、電光、力学などの科学の勉強の道具も、探せる物を探して、できる実験をしてみるよう勧めます。

 

これらは玩具ではありませんが、遊びを愛す本能を働かせる力を養うことができます。あるいは遊びの部分は次第に消え、実際の仕事に使えるようになります。それに勉強になれば、精神的に困まることはなく、善い結果になります。

 

年長の比丘や沙彌になると、高度な観察をするように提言しますが、自然と親しむことは避けられないので、遊びとも本物とも言い難いものです。話し合うこと、問題の論争、言語学の原則に則った発声の練習、説法の練習などは、深く知ることができれば楽しいです。

 

まったく笑わないこと、楽しく陶酔する遊びの時間がまったくないことは、きっと神経または筋肉の一部が乾いて詰り、そしてどこかの部分に欠陥がある人になります。あるいは何らかの危険な病気に付け込まれることもあります。

 

だからタンマの実践の練習をする人の世界でも、この問題を上手に解決しなければならず、無関係の話にすることはできません。ある施設で暮らした結果が、精神病となって現れ、考えが狭く欠陥だらけになるのは、これらの問題を軽く見過ごしたからかも知れないと見ています。学習者のみなさん、あるいはこのような施設の創設者は、良く考えて見るべきです。

 

 

遊びについて述べたので、続いて本物、あるいは本業についてお話します。

 

ここにいる私たちが知識の面で自立しているのは、自分の毎日の生活に明るさがあるよう、できるだけ幸福で純潔であるようひたすら注意し、指導や提言を受け入れなければならない誰もが、自分はサマナ(出家者)としての自覚があり、つまりたくさん学び、たくさん働き、簡素な暮らしをし、純潔で忍耐があり、自分と他人の役に立つ高い志を持っているかです。

 

日頃、いつも考えるよう繰り返し言っているのは、何でも細かく観察して、何かに夢中になることがなくなり、苦がなくなるまで、すべての物を早く真実のままに知るために、食べること、寝ること、見聞きすること、遊びや外出、交際等、何でも勉強と捉え、注意深い体験をするよう努めることです。

 

まだ崩壊していないサンカーラ(行。この場合は心身)の義務だけのために真面目に働き、すべての立ち居振る舞いに注意深い賢さを生じさせ、最高の物を知るまで、知識欲を妨害するものは何もありません。

 

スアンモークには、タラート村にある法施図書館とは別の小さな図書室があります。スアンモークの図書室には、タンマとパーリ語の本があります。三蔵からアッタカター、出家者の学習書、そして幼い沙彌のための一般の勉強の本も少しあります。

 

ある季節の暇な時間には、一部の人は、計算のような聡明さを養う種類のものから文学まで、一般の勉強をすることができます。このことに関して私は、比丘や沙彌が相応の知識や熟練を身につけるには、「何が何か」が分かる助けになる身の周りの知識を基礎にするべきと考えています。

 

そうすれば普段一人で考えることが、正しい方向になります。現在の沙彌の学習課程を学ぶだけでは、絶対に足りません。それに世界を経験した人だけにふさわしいことです。もっと正確に言い直すなら、教育課程は、可能なら一人一人に合ったものを作るべきで、そうできれば何より良いと言わなければなりません。

 

暇な時間があれば、いろんな文章を書くなどの、布教の仕方を学びます。まったく素質のない人もいますが、素質のある人に長期間習えば、次第に慣れます。文章を書く練習をして投稿するのは、何より早く文章が書けるようになる方法です。

 

新聞を作って、同じ初歩の学習者の間で読むことを、紙が豊富にある時代には、いつも推奨しています。中には、暇な時間に私の義務である仕事を手伝える人もいます。秘書と呼ぶこともできるし、あるいは推敲、あるいは法施会の佛教新聞に投稿してきた文章のチェックをし、いろんな文章を批評する練習にもなり、非常に早くタイ語を知ることができます。

 

詳しく熟慮して見ると、私たちが立派になるには、あるいは本当の能力をつけるには、教育だけでは不十分で、心身両面の美しい礼儀のしつけが必要なので、非常に時間がかかります。それは、学習と同時に、人前でも一人の時も、自分自身を律すという意味です。この二つは、どちらも同じだけ長い時間がかかります。

 

これらは長くなると退屈するので、いつも先生や友達の激励に依存しなければなりません。他人の心を忖度するのは、身近で観察して眼に止まった時だけしかできないので、この仕事は非常に大変だと思います。そしてこれは本当の仕事の一つです。

 

でなければ義務に従ってするだけの乳飲み子の育児と同様、徳とカンマのままに漂流するので、これらの学生たちは、成功できません。

 

私はいつでも、一緒にいる人全員が愛情を大切にして、互いに激励し合う友人であるように指導する努力をしています。そして他の記録するべきことのように記録しておきます。要するに私たちは、自分で知っても、はっきりと知らなくても、私たちの行動がいつでも私たちを高めてくれるよう、あらゆる努力をしています。私たちが十分長い間ここで暮らした時、その後は幸福になる、あるいは脱出できることを願っています。

 

 

もしあなたが佛教新聞第四年三号、あるいは四号の表紙と裏表紙をめくって、「法施会の夢」の部分を読むことができ、それを良く理解できれば、私は、「私たちは最高に満足した」と、あなたに言うことができるかもしれません。

 

私たちが知力、あるいは子供の仕業と言ってもそれほど間違いではないような能力でしてきたことも、私たちは自分が望みの何十パーセントも達成させることができ、将来、いつか、百パーセントにできると期待しています。

 

そして私たちが望んでいる最後のものは、ブッダの仏教を普及させる能力で、それは力を合わせて、この世界を、自分の能力にふさわしい幸福に満ちた世界にすることです。他の方法で世界を平和にできない時は、私たちは喜んで誤解している人々との衝突に耐え忍び、同時に、私たちが目的に到達するまで続ける仕事を正しく理解して賛同する人がいれば、嬉しく思います。

 

 

最後は、資本について話してお聞かせします。他の話題はほとんど、みなさん既に知っているか、あるいはこのような紙上で語るには、余りに個人的すぎるからです。

 

初めの資本はお金と労働力で、スアンモークに関わる経費は、法施会の会計報告で明らかにしています。ほとんどは施設の内装、鉄条網の設置、僧房の建設、そして病気の時の薬代や、よくある交通費に使い、多い年もあれば少ない年もあります。

 

そして最初から熟慮して見ると、このような施設の運営には少しも無駄遣いがないという、一つの真実が見えます。結果について考えると、経費以上の結果があります。その結果は、本堂やお寺や学校などの建設のための寄付のように明らかな形がある物ではないので、勧めないように見えます。

 

たったこれだけの寄付は、タイ国内の何万人もの人はできるかも知れません。この事業はまだ、それらの犠牲をする覚悟のある人に理解されていないだけです。

 

二番目の資本は気力で、私たちはどこから気力を得ているのでしょうか。みなさんは、冒頭に書いた文章でもうお分かりかも知れません。何らかの希望を目指す強い気力と、友達や出来事による賛同がなければ、飽きてしまうので、この資本は、お金や労働力よりも重要です。

 

だから知識を求めるため、あるいは私たちの事業のニュースを知るためでも、読者がいることは、私たちにとって良い気力を与えてくれるものの一つで、これに関して感謝申し上げます。

 

最後の資本は、勇敢にも主役を引き受けてくれた人です。もしする人、あるいは手伝う人が誰もいなかったら、そのままずっと一人で続け、絶対に止めようとせず、できることだけをしました。いつも資本や気力をくれる人は、来れば出来るものではない点が重要です。

 

述べたような三種類の資本が全部揃っていれば、事業は形になり、運営できます。この種の仕事は、直接報酬をもらう仕事のように、自然にさせる仕事ではないと、断言できます。

 

私は、このような事業を始める決意のある仏教教団員の方は、この三種類の資本を集めなければならないと、希望を表明させていただきます。賃金や給料のない類の善は、本当はあなたの物ではなく、国と宗教のものです。だから何とか運営していけます。

 

最後に、私の長い話を、「私たちは今やっている仕事に満足し、全員勇敢で明るく、そして幸福で健康です。世界の状態がどのように変化しようとも、私たちの義務を遂行し続けていく決意です」と、短くまとめさせていただきます。

 

 


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