パーリ・アーナーパーナサティスッタ

                                             (中部ウバリバンナーサ 14巻190頁282項)

                                                                                                       プッタタート比丘訳

(282)

 私は次のように聞きました。

 ブッダが、最初の目的地であるサーヴァディーにほど近いミカーラマートゥパーサータという精舎にご滞在していらっしゃったある時、広く名の知られている長老である弟子たち、たとえばサーリプッタ、モッカラーナ、カッサバ、マハーカチャーヤナ、マハーコッティダ、マハーカッピナ、マハージュンダ、レーワタ、アーナンダ、その他にも数多くの名のある長老達もご一緒でした。

 その時、長老たちの誰もが、多くの比丘たちに繰り返し教えを説いていました。十人の比丘に常に教えを説いていた長老たちもあり、二十人の比丘に教えを説いていた長老たちもあり、三十人の比丘に教えを説いていた長老たちもあり、四十人の比丘に常に教えを説いていた長老たちもいました。新参の比丘たちは、長老たちが繰り返し教えるのを聞いて、偉大なダンマ、素晴らしいダンマを、それまでより知り尽くすことができました。

(283)

 雨安居の月の十五日、望月の菩薩日(陰暦の毎月八日、十五、二十三日,三十日のこと)の夜、ブッダは月明かり下で、比丘たちに囲まれて座しておられました。その時ブッダは鎮座している比丘たちを見渡して、次のように話し始められました。

「比丘のみんなさん、私はこの道を確信します。比丘のみなさん、私はこの道を確信する人です。だから比丘のみなさん、まだ到達していないものに到達するため、まだ達成していないことを達成するため、まだ明らかに見えないものを明らかにするため、全員が、更に一層努力することを考えなさい。私はここサーヴァディーの、紅蓮の花咲く所で、雨季が終る四月まで待っています」。

 田舎にいる比丘たちは、ブッダがサーヴァディーの紅蓮の花咲く所で、雨季が終わるまで四ヶ月間お待ちになるという知らせを聞いて、ブッダに拝謁するために続々とサーヴァディーへ押し寄せてきました。

 更に、すべての長老たちは、非常にたくさんの比丘たちに教えを説き、十人の比丘に教える長老たちもいれば、二十人の比丘に説法する長老たちもいるし、三十人の比丘に繰り返し教えを説く長老たちもいれば、四十人の比丘に教えを説く長老たちもいました。新しい比丘たちはそれらの長老の教えを聞いて、偉大なダンマ、素晴らしいダンマを、それまでより知り尽くすことができました。

(284) 

 雨季も終わりの四月目の十五日、望月の菩薩日の夜、ブッダは月明かりの下、紅蓮の花咲く所で、比丘たちに囲まれて座しておられました。ブッダは静まっている比丘たちに視線を投げると、次のように話し始められました。

「比丘のみなさん。この教団はくだらないものではありません。比丘のみなさん。この教団はめちゃくちゃではありません。比丘のみなさん。この教団は純潔なダンマを維持しています。比丘のみなさん。この比丘サンガは、迎えられるにふさわしく、敬いの言葉を受けるにふさわしく、布施を受けるにふさわしく、合掌して拝まれるにふさわしい教団員であり、世界の徳の田であり、これに優る徳の田はありません。

 比丘のみなさん。この比丘サンガは、人々が僅かな寄進をしても大きな結果を受け取り、大きな寄進なら更に大きな結果を受け取ることができる教団員です。

 比丘のみなさん。この比丘サンガは世界でも珍しい教団員です。

 比丘のみなさん。この比丘サンガは、人々が食べ物を持って、連れ立って会いに来る価値のある教団員です。

(285)

 比丘のみなさん。罪悪を消し去り、終わった梵行があり、成すべきことを成し遂げ、重荷を下ろし、界に繋ぐサンヨージャナ(十種類の煩悩。十結)が無くなり、正しく知ることで解脱して阿羅漢になった比丘もこの集団にいます。比丘のみなさん。この比丘サンガにはそういう比丘もいます。

 比丘のみなさん。サンヨージャナの初めの五項目を滅亡させてアナーガミー(不還)になり、やがて化生し、その界で完全に消滅し、その世界から再び戻ってくることのない比丘が、この比丘サンガにいます。比丘のみなさん。この比丘サンガには、そういう比丘もいます。

 比丘のみなさん。欲と怒りと愚かさを軽減させてサンヨージャナの三項目をなくし、サキターガミ(一来)になり、この世界にもう一度だけ戻って来て苦を滅亡させることができる比丘が、この比丘サンガにいます。この比丘には、そういう比丘もいます。

 比丘のみなさん。サンヨージャナの三つがなくなり、普通の人に戻ることはなく、将来確実に悟りに至るソターパンナ(預流)もこの比丘サンガにいます。比丘のみなさん。この比丘サンガにはそういう比丘もいます。

 比丘のみなさん。常に四念処に励む努力をする比丘も、この比丘サンガにいます。比丘のみなさん。そのような比丘もこの比丘サンガにいます。

(286)

 比丘のみなさん。四正勤に励む努力をする比丘、四如意足に励む努力をする比丘、五根に励む努力をする比丘、五力に励む努力をする比丘、七覚支に励む努力をする比丘、八正道に励む努力をする比丘、悲を念じる努力をする比丘、慈を念じる努力をする比丘、喜を念じる努力をする比丘、捨を念じる努力をする比丘、不浄を念じる努力をする比丘、常に無常を見ることに励む努力をする比丘も、この比丘サンガにいます。

 比丘のみなさん。このような比丘もこの比丘サンガにいます。

(287)

 比丘のみなさん。日頃からアーナーパーナサティに励む努力をする比丘もこの比丘サンガにいます。

 比丘のみなさん。アーナーパーナサティに励めば、当然偉大な成果、偉大な功徳があります。

 比丘のみなさん。アーナーパーナサティに励めば、当然四念処も完璧になります。

 比丘のみなさん。四念処に励めば、当然七覚支も完璧になります。

 比丘のみなさん。七覚支に励めば、当然明を生じ、解脱も完璧になります。

(288)

 比丘のみなさん。ではどのようにアーナーパーナサティに励めば、偉大な成果、偉大な功徳が得られるでしょうか。

 比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘は、森へ行っても、木の根元へ行っても、廃屋へ行っても、結跏趺坐し、体を真っ直ぐに立ててサティを安定させ、その比丘は息を吐く時サティがあり、息を吐く時サティがあります。その比丘は、

1) 息を長く吐いた時、「長く息を吐いた」と余すところなく自覚し、長く息を吸った時は、「長く息を吸った」と余すところなく自覚し、

2) 短く息を吐いた時、「短く息を吐いた」と余すところなく自覚し、短く息を吸った時は、「短く息を吸った」と余すところなく自覚し、

3) 当然、すべての体はこのように息を吐いていると知ることを課題とし、当然、すべての体はこのように息を吸っていると知ることを課題にし、

4) 息を吐いて、当然カーヤサンカーラ(体を作っているもの。呼吸)を静めることを課題とし、息を吸って、当然カーヤサンカーラ(呼吸)を静めることを課題とします。

                  四半分の終り 

5) 息を吐いて、当然喜悦を知悉することを課題とし、息を吸って、当然喜悦を知り尽くすことを課題とし

6) 息を吐いて、当然幸福を知り尽くすことを課題とし、息を吸って、当然幸福を知り尽くすことを課題とし、

7) 息を吐いて、当然チッタサンカーラ(心を作っているもの。受と想)を知り尽くすことを課題とし、息を吸って、当然チッタサンカーラを知り尽くすことを課題とし、

8) 息を吐いて、当然チッタサンカーラを静めることを課題とし、息を吸って、当然チッタサンカーラを静めることを課題とします。

                     半分の終り

9) 息を吐いて、当然心を知り尽くすことを課題とし、息を吸って、当然心を知り尽くすことを課題とし、

10) 息を吐いて、当然心を極めて喜ばすことを課題とし、息を吸って、当然心を極めて喜ばすことを課題とし、

11) 息を吐いて、当然心を安定させることを課題とし、息を吸って、当然心を安定させることを課題とし、

12) 息を吐いて、当然心を解放することを課題とし、息を吸って、当然心を解放することを課題とします。

                    四分の三の終り

13) 息を吐いて、当然常に無常を見ることを課題とし、息を吸って、当然常に無常を見ることを課題とし、

14) 息を吐いて、当然常に薄れる(離欲。ヴィラーガ)のを見ることを課題とし、息を吸って、当然常に薄れるのを見ることを課題とし、

15) 息を吐いて、当然常に滅尽(ニローダ)を見ることを課題とし、息を吸って、当然常に滅を見ることを課題とし、

16) 息を吐いて、当然常に返却(自分のものと執着していた自然のものを、自然に返却すること。パティニサッカ)が見えることを課題とし、息を吸って、当然常に返却が見えることを課題とします。

                     全部の終り

 比丘のみなさん。アーナーパーナサティに励めば、当然このように偉大な成果、偉大な功徳があります。

(289)

 比丘のみなさん。どのようにアーナーパーナサティに励めば、四念処が完璧になるでしょうか。

 比丘のみなさん。いつでも比丘は、(1)長く息を吐いた時、「長く息を吐いた」と余すところなく自覚し、長く息を吸った時、「長く息を吸った」と余すところなく自覚することであれ、(2)短く息を吐いた時、私は短く息を吐いたと余すところなく自覚し、短く息を吸った時、私は短く息を吸ったと余すところなく自覚することであれ、

(3)息を吐き、息を吸って、当然すべての体を知ることを課題とすることであれ、(4)息を吐き、息を吸って、当然カーヤサンカーラ(呼吸)を静めることを課題とすることであれ、比丘のみなさん、その時、常に体のすべてが見える人と呼ばれる比丘は、煩悩を焼く努力があり、自覚があり、サティがあり、世界の貪りと憂いを取り出すことができます。

 比丘のみなさん、私は吐く息と吸う息は、すべての体の一つだと言います。比丘のみなさん、この理由により、その比丘はその時、常にすべての体が見える人と呼ばれ、煩悩を焼き払う努力があり、自覚がありサティがあり、貪りと憂いを出すことができます。

 比丘のみなさん、(5)息を吐き、息を吸って、当然喜悦を知り尽くすことを課題とすることであれ、(6)息を吐き、息を吸って、当然幸福を知り尽くすことを課題とすることであれ、(7)息を吐き、息を吸って、当然チッタサンカーラ(受と想)を知り尽くすことを課題にすることであれ、(8)息を吐き、息を吸って、当然チッタサンカーラ(受と想)を静めることを課題とすることであれ、比丘のみなさん、その時すべての受の中の受が見える人と呼ばれる比丘は、煩悩を焼き払う努力があり、自覚がありサティがあり、世界の貪りと憂いを出すことができます。

 比丘のみなさん。息を吐き息を吸うことで心を良い状態にすることを、私はすべての受

の中の一つの受と言います。比丘のみなさん、以上の理由により、その比丘は、すべての受の中の受を見る人と呼ばれ、その時煩悩を焼く努力があり、自覚がありサティがあり、世界の貪りと憂いを出すことができます。

 比丘のみなさん、いつでも比丘が(9)息を吐き、息を吸って、当然心を知り尽くすのを課題とすることであれ、(10)息を吐き、息を吸って、当然心を極めて喜ばすのを課題にすることであれ、(11)息を吐き、息を吸って、当然心を安定させるのを課題とすることであれ、(12)息を吐き、息を吸って、当然心を解き放つのを課題とすることであれ、比丘のみなさん、常に心の中の心が見える比丘と呼ばれる比丘は、その時煩悩を焼く努力があり、自覚がありサティがあり、世界の貪りと憂いを出すことができます。

 比丘のみなさん。いつでも比丘が(13)当然、息を吐き、息を吸って、無常を見る人であるのを課題にすることであれ、(14)当然、息を吐き、息を吸って、薄れること(離欲)を見る人であるのを課題にすることであれ、(15)当然、息を吐き、息を吸って、滅尽を見る人であるのを課題にすることであれ、(16)当然、息を吐き、息を吸って、返却を見る人であるのを課題にすることであれ、比丘のみなさん。常にダンマの中のダンマが見える比丘と呼ばれる比丘は、その時煩悩を焼く努力があり、自覚がありサティがあり、世界の貪りと憂いを出すことができます。

 良く注視できる比丘は、智慧で自分の喜びと憂いを捨てられるからです。比丘のみなさん。だからこれは、常にダンマの中のダンマが見える比丘と呼ばれる比丘は、当然、その時煩悩を焼く努力があり、自覚がありサティがあり、世界の貪りと憂いを出すことができます。

 比丘のみなさん、アーナーパーナサティはサティを忘れた人、理知に欠ける人のものではないと、私は言いません。比丘のみなさん、以上の理由で、その比丘は心の中を見る人と呼ばれ、その時煩悩を焼く努力があり、自覚がありサティがあり、世界の貪りと憂いを出すことができます。

 比丘のみなさん。比丘がこのように励んでたくさんしたアーナーパーナサティは、当然四念処を完璧にします。

(290)

 比丘のみなさん。それではどう四念処に励んでたくさんすれば、七覚支が完璧になるでしょうか。

 比丘のみなさん。その時常に体の中の体が見える比丘であれ、常に受の中の受が見える比丘であれ、常に心の中の心が見える比丘であれ、常にダンマの中のダンマが見える比丘であれ、全員煩悩を焼く努力があり、自覚がありサティがあり、世界の貪りと憂いを出してしまうことができ、その時比丘が維持しているサティは、忘れない自然です。

 比丘のみなさん。その時比丘が維持しているサティが忘れない自然である時はいつでも、その時七覚支のサティもその比丘に現れているということで、その時その比丘は当然七覚支に励む努力があると言われ、その時七覚支のサティは揃ったと言われます。その比丘は、そのようなサティがあるればいつでも、当然智慧でダンマを選び、当然熟慮します。

 比丘のみなさん。比丘にそのようなサティがあり、ダンマを選んで熟慮する時はいつでも、七覚支の択法もその比丘は始めているということです。比丘が七覚支に励んでいると言われる時、その比丘の七覚支の択法が成熟したと言われ、その比丘が智慧でそのダンマを選んで熟慮している時、弛まぬ努力は、その比丘が始めているダンマと言われます。

 比丘のみなさん。智慧でそのダンマを選んで熟慮している比丘が、弛まぬ努力をする時、その時その比丘は、七覚支の精進も始めているということです。その時比丘は、当然七覚支の精進に励んでいると言われます。その時その比丘の七覚支の精進は成熟したと言われ、その比丘が弛まぬ努力を始めている時、餌のない喜悦が生じます。

 比丘のみなさん。努力を始めている比丘に餌のない喜悦が生じた時、その時その比丘は七覚支の喜悦も始めているということです。その時比丘は、当然七覚支の喜悦に励んでいると言われ、その比丘の七覚支の喜悦は成熟していると言われます。その比丘の心に喜悦がある時、体も静まり、心も静まります。

 比丘のみなさん。喜悦がある比丘の心と体が静まっている時、七覚支の軽安(抑制されて静まることもその比丘は始めているということです。その比丘が当然七覚支の軽安に励んでいると言われる時、その比丘の七覚支の軽安は成熟してると言われます。その比丘が静まって幸福な時、当然心も安定します。

 比丘のみなさん。体が静まっている比丘が幸福で、当然心が安定している時、七覚支のサマーディ(三昧)もその比丘は始めているということです。その比丘が七覚支のサマーディに励んでいると言われる時、その比丘の七覚支のサマーディは成熟していると言われます。その比丘は、当然、そのように安定した心を見つめています。

 比丘のみなさん。その比丘がそのように安定した心を見つめている時、その比丘は七覚支の捨を始めているということです。その時比丘は、当然七覚支の捨に励んでいると言われ、その時比丘の七覚支の捨は成熟していると言われます。

 比丘のみなさん。このように四念処に励んでたくさんすれば、当然七覚支も完璧になります。

(291)

 比丘のみなさん。七覚支にどう励めば、明と解脱が完璧になるでしょうか。

 比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘は、当然ヴィヴェカ(閑居。孤居)に依存し、ヴィラーガ(離欲)に依存し、ヴィムッティ(滅)に依存して、ヴォッサッガ(返却)に傾いていくために七覚支のサティに励む努力をし、

 当然ヴィヴェカ(閑居。孤居)に依存し、ヴィラーガ(離欲)に依存し、ヴィムッティ(滅)に依存して、ヴォッサッガ(返却)に傾いていくために七覚支の精進に励む努力をし、

 当然ヴィヴェカ(閑居。孤居)に依存し、ヴィラーガ(離欲)に依存し、ヴィムッティ(滅)に依存して、ヴォッサッガ(返却)に傾いていくために七覚支の喜悦に励む努力をし、  

 当然ヴィヴェカ(閑居。孤居)に依存し、ヴィラーガ(離欲)に依存し、ヴィムッティ(滅)に依存して、ヴォッサッガ(返却)に傾いていくために七覚支の軽安に励む努力をし、

 当然ヴィヴェカ(閑居。孤居)に依存し、ヴィラーガ(離欲)に依存し、ヴィムッティ(滅)に依存して、ヴォッサッガ(返却)に傾いていくために七覚支のサマーディに励む努力をし、

 当然ヴィヴェカ(閑居。孤居)に依存し、ヴィラーガ(離欲)に依存し、ヴィムッティ(滅)に依存して、ヴォッサッガ(返却)に傾いていくために七覚支の捨に励む努力をします。 

 比丘のみなさん。このように七覚支に励めば、当然明と解脱を完璧にすることができます。

 ブッダがこのように説明なさると、すべての比丘たちはブッダの言葉に聞き惚れ、深く感銘しました。

 

参考  この経の詳しい解説

http://buddhadasa.hahaue.com/anapana/kunren.html

http://buddhadasa.hahaue.com/anapana/saisyuubi.html

http://buddhadasa.hahaue.com/anapana/sizenhou.html

http://buddhadasa.hahaue.com/anapana/teigi.html

http://buddhadasa.hahaue.com/anapana/kaisetu.html

http://buddhadasa.hahaue.com/anapana/samaati.html

http://buddhadasa.hahaue.com/anapana/kyou.html

http://buddhadasa.hahaue.com/anapana/sizenno.html

http://buddhadasa.hahaue.com/anapana/gihouron.html

http:/buddhadasa.hahaue.com/anapana/toutatu.html

 


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