在家のタンマ

(全24話)

 

目次

 

1.人生は水牛の二頭立て                2.人類のたった一つの問題

3. 在家であること                      4.在家のためのタンマ

5.道具である在家のタンマ                                 6.在家の幸福 

7.在家の苦                         8.在家と出家共通のタンマⅠ

9.在家と出家共通のタンマⅡ                             10.在家のサティがあること

⒒.在家の性の問題                                          12.在家の性の感覚の管理

13.在家と空                                                    14.在家とボーディサッタの理想

15.在家の力                                                   16.在家の基礎の脱出

17.在家の衰退                                    18.現代式文明の下賎な心の状態・貪

19.現代式文明の下賎な心の状態・瞋と痴            20.現代式文明の下賎な心の状態・身勝手

21.在家と呪術                                                 22.在家と仏教学Ⅰ

23.在家と仏教学Ⅱ                                          24.在家のためのタンマのコツ

 


 

挨拶

 

 この講義は、一つの誤解を解くために話された講義です。それは、在家は世界を越えるレバルの滅苦の話のダンマに関心をもつ必要はなく、生業をたくさん、そして正しく探求すれば十分だという項目です。在家にローギヤ(世俗)の話だけに関心を持たせる考えは、在家を永遠に生き地獄に落とす考えです。

 ブッダに、「すべての在家を永遠に支援する利益があるダンマは何でしょうか」と質問する人がいた時、ブッダは、「イェー テー スッタンター タターガタバーシター ガムピーラッター ロークッタラー スンニャタッパッティサイユッター=如来が述べたすべてのスッタンタは、深く、世界を越えた意義があり、空にだけ関わっている」と言われました。これが、空、あるいは空っぽの話は、場合によって基礎であり、心臓部であり、そして頂点であると説いている教えで、それは在家を永遠に「支援する利益」であるタンマです。これは、次のように説明して、簡単に見せます。

 どんどん狂気になっていく世界に住んでいる私たちは、それの足の下にいるのが良いのか、頭の上にいるのが良いのか、世界は汚れと悲しみと焦燥と苦で満ちていて、それの足の下で暮らすのが良いのか、背中で、肩で、頭上で暮らすのが良いのか、これを良く考えて見れば、なぜブッダが、冒頭に挙げたように言われたのか、すぐに理解できます。

 特に、世界の上という意味の「ロークッタラー」という言葉は、食、性、名誉の話に狂ったように溺れた人は、このことで異常になり、損害があってもこの話を理解できません。しかし普通の人は、「私たちは、常にできるだけ多く、世界の包囲より上にいるように努力しなければならない。そうでなければ、私たちは永遠に生き地獄に落ちる」と聞くことができます。

 ブッダは、「私たちの身勝手に合う、浅く楽しいスッタンタは、生き地獄へ落ちる問題を解決できない。世界の足の下にいないよう援けるに十分深いスッタンタ、あるいはタンマでなければならない」という意味にしています。

 家を維持するという意味の在家という言葉は、若い年代あるいは夕方に、何としてもこの世界に勝つため、そして夜の年代に何としても次の世界に勝つために、そして未明に、世界より上を意味するすべての世界に勝つために、世界と戦わなければならないという意味です。このようにできれば、「人間に生まれ、仏教に出合った機会が無駄でない」と言います。人間が得るべき最高に善いものをすべて受け取るからです。みなさん、このような在家の理想で正しい在家になってください。

 この講義集は、もう一つ特別な意図が隠れています。私たちは世俗的な進歩と同時に、脱世俗の方の進歩も創ることができ、職業や人生と呼ぶもので失敗する度に、世俗が脱世間に関わる真実を教えます。失敗する度に私たちは怒らず、後悔せず、恐れず、悲しまず、そのような悪いことは何もしません。これは、世俗の物から苦を受け取らなくても良いようにし、そして、その後苦が無くなるのに十分なだけ、常に無常・苦・無我の光があるようにします。

この世界は、失敗を生じさせるものがいっぱいですが、ロークッタラダンマの知識は、何をしても失敗しないように、あるいは失敗を最小限にしてくれます。ロークッタラタンマの知識は、多すぎず少なすぎず、ちょうど良く教えます。世間の人たちがしているように、何でも煩悩でバタバタとしないよう防止する話だからです。もし何か非常に失敗しても、それは涙を流さなくても済むようにしてくれ、少なくとも、そのようにヤクザな人がいっぱいの世界で良く使われ、良く話されているような、ヤクザな空っぽの心を使わないで、誰にもできないような状態で、涙を拭いてくれます。

 みなさん、私たちは十分な休息と交替で、重い仕事をしなければならないと観察して見てください。しかしそれは体の話で、心の面、精神の面は、ローギヤタンマは重労働と同じで、ロークッタラタンマは、精神の休息と同じなので、バランスが良くなければ精神面の破滅が生じ、体はまだ良く見えても、精神面ではすっかりロクデナシになります。善いものがあると言うのは、偽りの善ばかりです。どれも心の苦があり、自分を拝める部分はありません。

 精神面の休息が足りないので、神経症や精神異常などの慢性病気になり、ロクデナシになり、あるいは意識がなく死んで行きます。まだ病気でなくても、まだ死ななくても、「イェー パムッター ヤター=不注意な人は死んだ人」と言われているように、死んだのと同じになります。それが地獄界の人で、どんな在家も、地獄界の人になるべきではありません。

 人生は旅です! 苦の威力下から苦の上に行く旅です。どんな種類の苦も、貧困から生じる苦も、私たちは、その苦より上へよじ登って行かなければなりません。在家も命がある生き物なので、旅をしなければなりません。早く善く歩ける方法で、歩かなければなりません。誰もが、仕事はローギヤタンマで、休息はロークッタラタンマと見るべきです。

 それが後退しない人であり、冒頭で引用したように、「永遠に在家を支援する利益がある」とブッダが言われた言葉があり、早く歩く在家にとって、最高に善い旅です。この講義集はこのような目的があり、在家を仏教教団員に、このような在家に、ブッダが提案されたような在家にする努力をします。

 人は在家でも、出家でも、遅くても早くても、どちらも前方へ旅する命でなければなりません。そうでなければ、高い心がある動物、あるいは高い心がある人の一族という意味の人間ではなくなります。在家も出家も、それなりの、あるいは自分の標準である高い心がなければなりません。在家に、出家が歩いている所から引き返させれば、犬などのような動物に戻るだけです。良く考えて見てください。しかし、在家の暮らしを出家と一緒に前へ歩くことにするなら、この講義集は、その旅を、多少は楽にしてくれます。

 

モーカパラーラーム チャイヤー

1971年10月23日


 

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