ブッダヴァチャナの宝石箱

第十八章 重要な立場から失墜しないことについて




(第九章と対)



    誘い懇願する言葉 

比丘のみなさん。

可愛がることに依存して支援する利益を求める

可愛がる人である教祖が

すべての弟子にすべきことは何でも、

私はみなさんにしました。


比丘のみなさん。それはすべての木の根元、

それはすべての廃屋。


比丘のみなさん。煩悩を燃やす努力をなさい。

油断してはいけません。

みなさん。後で焦慮する人になってはいけません。

これです。私がみなさんに繰り返し教える言葉は。

   (相応部サラーヤタナヴァッガ 18巻441頁674項)






危機を脱すのは指導者ゆえ

パーリ・ブッダバーシタ
中部ムーラパンナーサ 三蔵12巻418頁390項

 比丘のみなさん。前にあった話です。生まれつき知恵のあるマガタ国の牛飼いが、雨季の終わりの月であることを考慮してガンガ(ガンジス川)のこちら岸を調べ、牛を渡らせる場所で牛の群れを追い立てて向こう側のヴィデーハラッダの北側に渡らせました。

 その牛飼いが、最初に群れのリーダーである雄牛の一群を追い立てて渡らせると、雄牛の群れはガンガの流れを泳いで横切って無事に向こう岸へ渡りました。二番目に力仕事に使う牛と、仕事を覚え始めた牛の群れを追い立てると、その群れもガンガの流れの向こう岸へ無事に泳ぎ着きました。

 三番目に若い雄牛と雌牛の群れを追い立てると、その群れも無事にガンガの流れを横切って泳いで向こう岸へ渡り、それから四番目に子牛と痩せた牛の群れを追い立てると、それも泳いでガンガの流れを横切り、無事に向こう岸へ渡れました。比丘のみなさん。以前にあった話です。

 その日に生まれたばかりの子牛も、母牛の声を追って泳ぎ、ガンガの流れを横切って無事に向こう岸へ渡ることができました。それはどうしてでしょうか。それはマガタの牛飼いが知識者で、雨季の終わる月であることを考慮し、ガンガのこちら岸を調査し、牛を渡らせる場所から牛の群れを追い立てて、向こう側のヴィデーハラッダの北側に渡らせたからです。

 比丘のみなさん。同じようにこの世界のことに賢く、他の世界のことにも賢く、悪魔の住処である輪廻に賢く、悪魔の住処でない非輪廻に賢く、閻魔の住処である輪廻に賢く、閻魔の住処でない非輪廻に賢いサマナやバラモンたちの言葉を、聞くべき信じるべきと理解する人たちは誰でも、幸福のためになり、それらの人々を支援する利益になります。

 比丘のみなさん。群れのリーダーである雄牛の群れ全部が、ガンガの流れを横切って泳いで無事に向こう岸へ渡ったように、漏がなくなり、梵行が終わり、するべき仕事が何もなくなって重荷を下ろすことができた阿羅漢である比丘たちは、

後から到達した自分自身の利益がある人で、有のサンニョージャナ(動物を輪廻に結ぶ煩悩。十結)が終わり、すべてを正しく知って解脱した人、それらの比丘も悪魔の流れを横切って無事に涅槃の岸へ渡りました。

 比丘のみなさん。力仕事に使う牛たちと仕事を覚え始めた牛たちが、泳いでガンガの流れを横切って無事に向こう岸へ渡ったように、比丘のみなさん。突然出現し、そしてその段階(浄居天)で般涅槃するアナーガミー(不還)である比丘は、初めの五つのサンニョージャナがなくなったので、その世界から戻ってくる必要はありません。それらの比丘も悪魔の流れを横切って無事に涅槃の岸へ渡ります(戻って来ません)。

 比丘のみなさん。若い雄牛と雌牛の群れもガンガの流れを泳いで横切って無事に向こう岸へ渡ったように、比丘のみなさん。サンニョージャナの三つがなくなり、そして貪・瞋・痴を薄くしたサカダーガミー(一来)である比丘は、この世界にもう一度だけ戻り、そして苦を終わらせる行動をし、それらの比丘たちも悪魔の流れを横切って、無事に涅槃の岸に渡ります。

 比丘のみなさん。子牛と痩せ牛の群れもガンガの流れを横切って無事に向こう岸へ泳いで渡ったように、比丘のみなさん。サンニョージャナの三つを終わらせたので当然落ちて普通になることはなく、将来悟ることが確実なソターパンナ(預流)である比丘たちも、悪魔の流れを横切って(将来)涅槃の岸へ直行します。

 比丘のみなさん。その日に生まれた子牛が母牛の声を追って泳いで、ガンガの流れを横切って無事に向こう岸へ渡ることができたように、比丘のみなさん。ダンマの道に沿って走る人、信仰の道にそって走る(すべての行を熟慮することで預流向を目指す)人である比丘たち、それらの比丘たちも、悪魔の流れを横切って(将来)無事に涅槃の岸に渡ります。





ダンマで正しい戒師

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻301頁251項

 比丘のみなさん。五種類のダンマのある比丘は具足戒を授ける戒師であるべきです。五種類のダンマとは何でしょうか。五種類とは、この場合の比丘は、

(1)無学(学ぶべきことがない人。阿羅漢)である戒の塊がある人で、

(2)無学であるサマーディの塊のある人で、

(3)無学である智慧の塊のある人で、

(4)無学である解脱の塊のある人で、

(5)無学であるヴムッティニャーナダッサナ(解脱智見)の塊がある人です。

 比丘のみなさん。これら五つのダンマのある人は具足戒を授ける戒師になるべきです。





ダンマで正しくなければならないアーチャン

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻301頁252項

 比丘のみなさん。五種類のダンマある比丘は良家の子息を薫陶するアーチャンになるべきです。五種類のダンマとは何でしょうか。五種類とは、この場合の比丘は、

(1)無学である戒の塊のある人で、

(2)無学であるサマーディの塊のある人で、

(3)無学である智慧の塊のある人で、

(4)無学である解脱の塊のある人で、

(5)無学であるヴィムッティニャーナダッサナ(解脱智見)の塊のある人です。

 比丘のみなさん。これら五種類のダンマのある人は良家の子息を薫陶するアーチャン(先生)になるべきです。





支援者である弟子を持つべき人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻301頁253項

 比丘のみなさん。五種類のダンマのある人は沙弥を支援者にすることができます。五種類のダンマとは何でしょうか。五種類とは、この場合の比丘は、

(1)無学である戒の塊のある人で、

(2)無学であるサマーディの塊のある人で、

(3)無学である智慧の塊のある人で、

(4)無学である解脱の塊のある人で、

(5)無学であるヴィムッティニャーナダッサナ(解脱智見)の塊のある人です。

 比丘のみなさん。これら五種類のダンマのある人は沙弥を支援者にできる人です。





善い長老

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻129頁87項

 比丘のみなさん。長老レベルの比丘に五つがあれば、当然梵行仲間から愛され、信頼され、尊敬され称賛される人です。五つとは何でしょうか。五つとは、

(1)戒がある人で、パーティモッガ(二二七戒)戒で細心の注意をし、行儀作法とゴーチャラ(好んで行く場所)が完璧で、小さな罪と見なされているものでも平素からすべての罪の害が見え、すべての教条を学んで遵守します。

(2)博学で、聞いたダンマを記憶し、聞いたダンマを集めます。初めも美しく中間も美しく終わりも美しい、意義も細部も純潔で完璧な梵行を説いたダンマはどれも、彼はそれらのダンマを聞いて憶えることができ、淀みなく話すことができ、心で見ることができ、見解で洞察することができます。

(3)美しい言葉を使い、聞いて心地よい話し方を知っていて、庶民が好む正しい言葉があり、美しく、しどろもどろでないので、意味を簡単に理解させることができます。

(4)現生のスッガヴィハーラ(幸福の精舎)である最高の心と繋がっている四つの禅定を、望み通りに簡単に苦労せずに得ることができる人です。

(5)すべての漏がなくなって漏を探すことができない心解脱、智慧解脱を、生きているうちに最高の智慧で明らかにし、(そのダンマの徳行の高い感覚の中に常にいる)人です。

 比丘のみなさん。これらの五種類がある長老レベルの比丘は、当然一緒に梵行をする友人仲間から愛され、信頼され、尊敬され称賛される人です。





注意しなくて良い長老

パーリ・ブッダバーシタ
増支部ティカニカーヤ 20巻307頁531項

 カッサバさん。長老である比丘でも自分で三学を望み、三学を実践する人を褒め、三学を愛さない人を誘い、三学の実践を愛す人を褒めるべき時に事実通りに褒める人は、カッサバさん。私はこの種の長老比丘を称賛します。

 それはなぜでしょうか。他の比丘が「教祖はこの種の比丘を褒める」と知るので、この種の比丘と付き合い、その種の長老比丘と付き合う比丘は誰でも、その種の比丘長老を後世に伝えるべき手本とし、その種の比丘長老を手本にすることで当然それらの比丘にとって永遠に利益と幸福になる物を生じさせるからです。

 カッサバさん。だから私はこの種の長老比丘を称賛します。





博学者である長老

パーリ・ブッダバーシタ
増支部チャトゥカニバータ 21巻78頁22項

 比丘のみなさん。まだ年の若い子供で、まだ熱中世代で、髪はまだ黒々して、まだ成長期、つまり少年でも、その人が時にふさわしいことを言い、本当のことを言い、利益になることを言い、ダンマであることを言い、律であることを言い、根拠があり、利益があり、終わりのあることを言うなら、当然その人は「本当に博学者である長老」と見なされます。





異常でない長老

パーリ・ブッダバーシタ
増支部チャトゥカニバータ 22巻130頁88項

 比丘のみなさん。この五つがある長老は、当然大衆を支援し、大衆を幸福にするために実践する人で、多くの人の利益のため、天人と人間の幸福のためにする人です。

 五つとは何でしょうか。五つとは、

(1)出家してからの年月が長い長老である比丘で、

(2)多くの人に知られ、名誉があり、在家にも出家にも部下がいて、

(3)チーヴァラ(衣)、食べ物、住まい、そして八物医薬品が豊かな人で、

(4)博学で聞いたダンマを記憶し、聞いたダンマを集め、(等々)

(5)そして正しい見解で正しい見方があります。

 比丘のみなさん。この比丘はたくさんの人に悪法を捨てさせ、正法を目指させます。すべての庶民は、彼は出家して長い長老比丘だからと考え、大衆に信仰され、在家にも出家にも知られ、名誉があり、部下がいるからと考えたり、チーヴァラ、食べ物、住まい、医薬品と八物が豊富だからと考えたり、彼は博学で聞いたダンマを記憶し、聞いたダンマを集めるからと考えて、当然その比丘を手本にします。

 比丘のみなさん。これらの五種類がある長老比丘は当然大衆を支援し、大衆を幸福にするために実践する人で、多くの人の利益のため、天人と人間の支援のため、幸福のためにする人です。





不確実でない長老

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻126頁81項

 比丘のみなさん。これらの五種類がある長老比丘は、当然梵行仲間から愛され、信頼され、尊敬され、称賛される人です。

 五種類とは何でしょうか。五種類とは、

(1)その長老レベルの比丘は欲情の基盤である感情に欲情せず、怒りの基盤である感情に怒らず、惑溺の基盤である感情に惑溺せず、興奮の基盤である感情に興奮せず、陶酔の基盤である感情に陶酔しません。

(2)その長老レベルの比丘は貪りがない人で、怒りがない人で、愚かさがない人で、恩知らずでない人で、偉い人と対等に振る舞わない人です。

(3)その長老レベルの比丘は騙すのが得意でなく、だらだらと際限なく喋るのが得意でなく、甘言を弄すのが得意でなく、挑発することを言って悔しがらせるのが得意でなく、濡れ手で粟のような収入を求めるのが不得意な人です。

(4)その長老レベルの比丘は信仰があり、罪を恥じ、罪を恐れ、努力に言及する人、智慧のある人です。

(5)その長老レベルの比丘はすべての形に耐え、すべての声に耐え、すべての臭いに耐え、すべての味に耐え、すべての接触に耐えることができる人です。

 比丘のみなさん。これらの五種類のある長老比丘は当然梵行仲間から愛され、信頼され、尊敬され、称賛される人です。





子を殺さない父

パーリ・ブッダバーシタ
相応部ニダーナヴァッガ 16巻246頁494項

 カッサバさん。あなたはすべての比丘に教えなさい。すべての比丘に解説のあるダンマを説きなさい。私とあなたが協力してすべての比丘に教え、すべての比丘に解説のあるダンマを説くべきです。

 「スガタ様。今時の比丘は非常に言うことを聞かず、言うことを聞かない人にする理由があり、忍耐がなく、尊敬して忠告を聞きません」プラマハーカッサバが答えました。

 カッサバさん。本当にあなたが言うとおりです。以前、長老レベルの比丘は森に暮らすことを勤めとして遵守し、そのような行為を推奨し、托鉢を勤めとして遵守し、そのような行為を推奨し、糞拭衣(捨てられていた布)を(拾って自分で染めて衣として)使うことを勤めとして遵守し、

そのような行為を推奨し、チーヴァラ(衣)を三枚だけ使うことを勤めとして遵守し、そのような行為を推奨し、望みを少なくする人で、そしてそのような行為を推奨し、群れから離れて遠離する人で、そしてそのような行為を推奨し、静かに暮らす人で、そのような行為を推奨し、

人と交わらない人で、そしてそのような行為を推奨し、努力を考える人で、そしてそのような行為を推奨し、森に暮らすことを勤めとして遵守し、そのような行為を推奨し、努力を好む人で、そしてそれらの行為を推奨する長老レベルの比丘は誰でも、

すべての長老レベルの比丘が「お出でなさい比丘。この比丘の名前は何ですか。この比丘は本当に福徳のある方で、実践を望む方でもあられる。お出でなさい、比丘。お招きします。この席にお座りなさい」とこのような言葉と座布団で、特にその長老比丘を招きたいと望みます。

 カッサバさん。長老である比丘がこのように振る舞えば、新参比丘に「森に住むことを勤めとして遵守し、そのような行為を推奨し、托鉢を勤めとして遵守し、そのような行為を推奨し、糞拭衣(捨てられていた布)を(拾って自分で染めて衣として)使うことを勤めとして遵守し云々・・・・・推奨する長老レベルの比丘は誰でも、

当然 『お出でなさい比丘。この比丘の名前は何ですか。この比丘は本当に福徳のある方で、実践を望む方でもあられる。お出でなさい比丘。お招きします。この席にお座りなさい』と、このような言葉と座布団で、特にその長老比丘を招きたがると聞いた」という考えが生まれます。

 出家して日の浅いこれらの比丘たちは、そのようになるために揃ってそのように振る舞い、そしてそれは当然、永遠にそれらの比丘たちの幸福のためになります。





教えと一致する住職

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻290頁231項

 比丘のみなさん。この五種類がある比丘は、住職として称賛されるべきです。五種類とは何でしょうか。五種類とは、

(1)行儀作法が完璧で、勤めが完璧な住職

(2)博学で解説できる住職

(3)煩悩を研き落とし、遠離を喜び、善を喜ぶ住職

(4)聞いて快い穏やかな物言いの住職

(5)智慧があり、愚かでなく、役立たずでない住職

 比丘のみなさん。これらの五種類がある比丘は、住職として称賛されるべきです。





地域に夢中にならない住職

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻286頁224項

 比丘のみなさん。目標を持って暮らすことの功徳はこの五種類です。五種類とは何でしょうか。五種類とは、

(1)彼は当然住まいを惜しまず(つまり快適な座る場所を惜しまず、一緒に住む人が現れた時には喜んで分けて住み)、

(2)当然支援者である良家を惜しまず(つまり他の比丘が自分の支援者である氏族と知り合い親しくするのを喜び)、

(3)当然貰い物を惜しまず(つまり目標のある生活で、物を集めようと考えないので、貯めるために物を惜しまず、生じた貰い物を喜んで分け)、

(4)当然名声名誉を惜しまず(つまりその地域で有名になった人に対して喜=他人の幸福を喜ぶ気持ち=があり)、

(5)当然徳行を惜しまず(つまり、ダンマの学習、ダンマの実践、ダンマの実践の結果で他人を支援して発展させたいと望む気持ちがあり、自分を支配するライバルと考えません)。

 比丘のみなさん。この五種類が目標のある暮らしの功徳です。





住居に夢中にならない住職

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻286頁223項

 比丘のみなさん。目標のある生き方の功徳はこの五種類です。五種類とは何でしょうか。五種類とは、

(1)目標のある生き方をする比丘は当然たくさんの物品を持たず、物をたくさん集めるのを好まない人で、

(2)目標のある生き方をする比丘は当然たくさん医薬品を持たず、医薬品をたくさん集めるのを好まない人で、

(3)目標のある生き方をする比丘は当然たくさん仕事がなく、しなければならない仕事があまりないので直接サマナの義務を良く行うことができ、

(4)目標のある生き方をする比丘は、当然サマナにふさわしくない在家式の交わり方で在家や出家と交わることがなく、

(5)目標のある生き方をする比丘はその住居を去って行く時、当然未練のない心で去って行きます。

 比丘のみなさん。この五種類が目標のある生き方の功徳です。





住職の極楽

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻239頁236項

 比丘のみなさん。この五種類がある住職は当然天国に連れて行かれたような喜びがあります。五種類とは何でしょうか。五種類とは、

(1)叱るべき人を叱る前に熟慮し、周到に精査する住職である比丘。

(2)褒めるべき人を褒める前に熟慮し、周到に精査する住職である比丘。

(3)尊敬するものでない立場で、尊敬しないことを表す前に熟慮し、周到に精査する住職である比丘。

(4)尊敬する立場で尊敬を表す前に熟慮し、周到に精査する住職である比丘。

(5)布施をする支援者の信仰を失わせない住職です。

 比丘のみなさん。この五種類のある住職である比丘は、当然天国に連れて行かれたような喜びがあります。







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