ブッダヴァチャナの宝石箱

第十九章 世界の徳の田について





    誘い懇願する言葉

比丘のみなさん。

可愛がることに依存して支援する利益を求める

可愛がる人である教祖が

すべての弟子にすべきことは何でも、

私はみなさんにしました。


比丘のみなさん。それはすべての木の根元。

それはすべての廃屋。


比丘のみなさん。煩悩を燃やす努力をなさい。

油断してはいけません。

みなさん。後で焦慮する人になってはいけません。

これです、私がみなさんに繰り返し教える言葉は。

   (相応部サラーヤタナヴァッガ 18巻441頁674項)





徳の田は戒など三つから生まれる

パーリ・ブッダバーシタ(仏説)
増支部ティカニカーヤ 三蔵20巻314頁536項

 比丘のみなさん。三種類がある国王の良馬は当然国王にふさわしい馬であり、王の乗り物であり、国王と一緒にバーラミー(波羅密。解脱の後押しをする善)を積む伴侶と見なされます。三種類とは何でしょうか。

 この場合の国王の良馬は、①色が美しく②力があり③速さが完璧です。比丘のみなさん。この三つがある国王の良馬は当然国王にふさわしい馬で、国王の乗り物であり、そして国王と一緒にバーラミーを積む伴侶と見なされます。

 比丘のみなさん。同じように比丘に三つがあれば当然お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、布施を受けるにふさわしく、合掌するべき人であり、それに勝る徳の田はない世界の徳の田です。三つとは何でしょうか。三つとは、この場合の比丘は①色が美しく、②力があり、③智慧の速さが完璧な人です。

 比丘のみなさん。色が美しい比丘とはどのようでしょうか。比丘のみなさん。このダンマヴィナヤ(法と律。この宗教、この教団という意味)の比丘は戒がある人で、パーティモッガ戒(二二七戒)に細心の注意をし、行儀とゴーチャラ(好んで行く所)が完璧で、小さな罪と見なされていることでも、平素からすべての罪の危険が見え、すべての教条を学んで遵守する人です。

 比丘のみなさん。このような比丘を色が完璧な比丘と言います。

 比丘のみなさん。力がある比丘とはどのようでしょうか。比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘はすべての悪を捨てるため、すべての善があるために努力を始めた人で、強力に確実に前進する努力をし、すべての善である仕事を投げ捨てません。比丘のみなさん。このような比丘を、力が完璧な比丘と言います。

 比丘のみなさん。智慧が俊敏な比丘とはどのようでしょうか。比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘は当然、「苦はこのよう、苦が生じる原因はこのよう、苦の消滅はこのよう、苦の消滅に至らせる実践項目はこのよう」と真実のままに明らかに知る人です。比丘のみなさん。このような比丘を智慧の速度が完璧な人と言います。

 比丘のみなさん。これらの三種類がある比丘は当然お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積むものにふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない、世界の徳の田です。





徳の田は律儀があることから生まれる

パーリ・ブッダバーシ 増支部チャッカニバータ 22巻310頁272項

 比丘のみなさん。比丘に六種類があれば当然お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしく、合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。六種類とは何でしょうか。六種類とは、この場合の比丘は、

(1)目で形を見ても喜びも悲しみも生じず、中間の心があり、(サティで)思い出すことができ、常自覚があり、

(2)耳で声を聞いても喜びも悲しみも生じず、中間の心があり、思い出すことができ、そして常自覚があり、

(3)鼻で臭いを嗅いでも、喜びも悲しみも生じず、中間の心があり、思い出すことができ、そして常自覚があり、

(4)舌で味を味わっても、喜びも悲しみも生じず、中間の心があり、思い出すことができ、そして常自覚があり、

(5)体で接触をしても、喜びも悲しみも生じず、中間の心があり、思い出すことができ、そして常自覚があり、

(6)心で考えを知っても、喜びも悲しみも生じず、中間の心があり、思い出すことができ、そして常自覚があります。

 比丘のみなさん。比丘にこの六つがあれば当然お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。





徳の田は正しい暮らしから生まれる

パーリ・ブッダバーシタ
増支部チャトゥカニバータ 21巻248頁190項

 比丘のみなさん。この比丘教団員はでたらめではありません。

 比丘のみなさん。この比丘教団員は腐っていません。

 比丘のみなさん。この比丘教団員は要旨であるダンマに立脚しています。

 比丘のみなさん。この種の比丘サンガだけ、この種の比丘教団員だけが世界に珍しい教団員です。

 比丘のみなさん。この種の比丘サンガだけ、この種の比丘教団員だけが崇拝する物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしく、合掌するべき教団員であり、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。

 比丘のみなさん。この種の比丘サンガだけ、この種の比丘教団員だけが支援者の少ない布施に大きな結果があり、大きな布施には相応に加算される結果があります。

 比丘のみなさん。この種の比丘サンガだけ、この種の比丘教団員だけが何ヨージャナ(長さの単位。一ヨージャナは十六キロ)も、道がなくなるほど歩かなければならなくても、あるいは食糧を携えて行かなければならないほどでも、行って見るべき教団員です。

 比丘のみなさん。この種の比丘サンガだけです。天人であることに達した比丘も、梵天であることに達した比丘も、不動であることに達した比丘も、聖人に達した比丘たちもいるのは、この比丘サンガだけです。

 比丘のみなさん。天人に達した比丘とはどのようでしょうか。比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘は愛欲が静まり、すべての悪が静まることで、ヴィタカ・ヴィチャーラ(熟慮熟考)があり、遠離から生じた喜悦と幸福がある初禅に達し、そして常にその感覚の中にいます。

 ヴィタカ・ヴィチャーラが静まることで、心の内部に一つだけの感情があるサマーディ(三昧)を生じさせ、ヴィタカ・ヴィチャーラはなく、あるのはサマーディから生じた喜悦と幸福だけの、明るくするものである二禅に達し、そして絶えずその感覚の中にいます。

 喜悦が薄れることで当然捨にいて、サティと自覚があり、名で幸福を味わい、聖人方が「この定を得た人は捨にいる人であり、サティがあり、幸福に暮らす」と言われる三禅に達し、そして常にその感覚の中にいます。

 幸福と苦を捨てられることで、そして憂いと過去の憂いが消滅することで、あるのは捨ゆえに純粋な自然であるサティだけの、苦も幸福もない四禅に到達します。比丘のみなさん。天人に達した比丘はこのような状況であり得ます。

 比丘のみなさん。梵天であることに達した比丘とはどのようでしょうか。比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘は、慈・悲・喜・捨のある心を、第一、第二、第三、第四の方向、上方と投げる方向、下方へ同じ状態で広げ、

すべての世界へ恨みのない心、復讐心のない心慈・悲・喜・捨がある心、計ることができない偉大な徳のある広い心を広げ、常にその感覚の中にいます。比丘のみなさん。梵天であることに達した比丘は当然このような状況であり得ます。

 比丘のみなさん。不動に達した比丘はどのようでしょうか。比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘は、形を認識することから脱したので、不満で怒る感情を認識することが消滅したので、そして心の中のいろんな状態を認識しないことができることで、心の中を「終わりのない空」にする空無辺処に入り、空無辺処をすべて通り過ぎることができることで心の中を「終わりがない識」にする識無辺処に入り、そして絶えずその感覚の中にいます。

 識無辺処をすべて通り過ぎることができることで、心の中を「無」にする無所有処に入り、無所有処をすべて通り過ぎることがことができることで、非想非非想処に入り、常にその感覚の中にいます。比丘のみなさん。不動に達した比丘は当然このような状況であり得ます。

 比丘のみなさん。聖人に達した比丘はどのようでしょうか。比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘は、当然「苦はこのよう」と真実のままに明らかに知り、当然「苦を生じさせる原因はこのよう」と真実のままに明らかに知り、「苦の消滅はこのよう」と真実のままに明らかに知り、「苦の消滅に至らせる実践項目はこのよう」と真実のままに明らかに知ります。

 比丘のみなさん。聖人であることに達した比丘は、このような状況であります。





徳の田は煩悩の言いなりにならないことから生まれる

パーリ・ブッダバーシタ
増支部チャッカニバータ 22巻432頁329項

 比丘のみなさん。比丘に六つがあれば、当然お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしく、合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。六つとは何でしょうか。六つとは、

 比丘のみなさん。この場合、

①心を憂鬱にするどんな煩悩も律儀で捨てることができ、比丘も律儀によってそれらの煩悩を捨てた人になり、

②心を憂鬱にするどんな煩悩も使用することで捨てることができ、比丘も使用することで煩悩を捨てた人になり、

③心を憂鬱にするどんな煩悩も忍耐で捨てることができ、比丘も忍耐によって煩悩を捨てた人になり、

④心を憂鬱にするどんな煩悩も避けることで捨てることができ、比丘も避けることで煩悩を捨てた人になり、

⑤心を憂鬱にするどんな煩悩も減らすことで捨てることができ、比丘も減らすことで煩悩を捨てた人になり、

⑥心を憂鬱にするどんな煩悩もバーヴァナー(願って努力すること)で捨てることができ、比丘もバーヴァナーで煩悩を捨てた人になります。

 比丘のみなさん。心を憂鬱にするすべての煩悩をどのように律儀で捨てることができ、比丘は律儀で煩悩を捨てた人になるでしょうか。比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘は、よく熟慮して根、つまり目・耳・鼻・舌・体・心を律儀で注意深く管理します。

 比丘が注意しなければ、当然困窮させ焦燥させ心を憂鬱にするすべての煩悩が生じますが、比丘が注意深くすれば、困窮させ焦燥させ心を憂鬱にする煩悩は、その比丘に生じるべくもないからです。

 比丘のみなさん。、私が「心を憂鬱にする煩悩は律儀で捨てられる」と言う心を憂鬱にするものである煩悩を、その比丘は律儀で捨てることができました。

 比丘のみなさん。使うことで捨てることができる心を憂鬱にするどんな煩悩も、比丘はどのように使うことで煩悩を捨てた人になるでしょうか。比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘は、理に適った熟慮してから寒さを和らげるため、暑さをしのぐため、アブや蚊や風や日差し、すべての爬虫類を避けるため、恥を感じる部分を隠すためだけにチーヴァラ(衣)をまといます。

 彼は「私は古い受(空腹)を除いてしまい、新しい受(苦しいほどの満腹)は生じさせない。歳を重ねること、食べ物による害がないこと、そして安楽で楽しいことは私にある」と考えて、熟慮してから、遊びのためでなく、酔うためでなく、飾り立てるためでなく、飾るためでなく、この体を維持するため、命を維持するため、困難を防止するため、梵行を援けるためだけに食べます。

 彼は絶妙の熟慮をしてから、暑さ寒さをしのぎ、アブや蚊、風、日差し、すべての爬虫類との接触から守るため、季節の害を軽減し、そして隠遁を喜ぶ人であるためにだけ住まいを使い、彼は絶妙の熟慮をして、それから病人を援ける縁である医薬品を、いろんな病気から生じる苦受を和らげるためにだけ、そして激しい苦に耐えなくても良いためにだけ使います。

 比丘のみなさん。それは比丘が熟慮をしないでこれらの物を使えば、当然困窮させ焦燥させ心を憂鬱にするすべての煩悩が生じますが、比丘が熟慮して使えば、困窮させ焦燥させ心を憂鬱にするすべての煩悩は、その比丘に生じるべくもないからです。

 比丘のみなさん。私が「心を憂鬱にする煩悩は使うことで捨てられる」と言う憂鬱を、その比丘は使うことで捨てることができました。

 比丘のみなさん。心を憂鬱にさせるどんな煩悩も、どのような忍耐で捨てることができ、比丘も忍耐でその煩悩を捨てた人になるでしょうか。比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘は暑さ寒さに耐え、空腹に耐え、渇きに耐える人です。

 アブや蚊、風、日差し、そしてすべての爬虫類との接触に耐える人で、暴言、悪口の流れに忍耐する生まれの人で、そして身体に生じる激烈で辛辣で苦痛で快くない苦、ほとんど死にそうな苦にも耐える人です。

 比丘のみなさん。それは、比丘がそのような状態で忍耐しなければ、困窮させ焦燥させ心を憂鬱にするすべての煩悩が必ず生じ、そして比丘が忍耐すれば、困窮させ焦燥させ心を憂鬱にさせる煩悩はその比丘に生じるべくもないからです。

 比丘のみなさん。私が「心を憂鬱にする煩悩は、忍耐で捨てられる」と言う煩悩を、その比丘は忍耐することで捨てることができました。

 比丘のみなさん。避けることで捨てられる心を憂鬱にするどんな煩悩も、その比丘はそれらの煩悩をどう避けることで捨てた人になるでしょうか。比丘のみなさん。

 このダンマヴィナヤの比丘は絶妙に熟慮して、当然凶暴な象、荒馬、荒牛、猛犬、ヘビ、障害物、邪魔物、谷、不潔な溜め池や肥溜を避け、そして座るべきでない場所、行くべきでない場所、そしてそれらの下賤な友人をきっぱり避けます。その比丘は絶妙の熟慮をして、当然座るべきでない場所、行くべきでない場所を避けてしまい、そして当然下賤な友人をきっぱりと避けます。

 比丘のみなさん。それは、比丘がこのように避けなければ、当然困窮させ焦燥させ心を憂鬱にするすべての煩悩が生じますが、比丘が避ければ、困窮させ焦燥させ心を憂鬱にするすべての煩悩は、その比丘に生じるべくもないからです。

 比丘のみなさん。私が「心を憂鬱にする煩悩は、避けることで捨てられる」と言う煩悩を、その比丘は、避けることで捨てることができました。

 比丘のみなさん。心を憂鬱にするすべての煩悩を、減らすことでどのように捨てることができ、その比丘は、減らすことでそれらの煩悩を捨てた人になるでしょうか。比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘は絶妙の熟慮をし、当然心で受け入れず、当然捨ててしまい、当然減らし、当然終わりにし、当然あり得ない状態に達します。

 愛欲の考えや復讐の考えが生じても、当然心で受け入れず、当然捨ててしまい、当然減らし、当然終わりにし、当然生じたすべての悪があってはならない状態に達します。比丘のみなさん。それは、比丘がこのように減らさなければ、困窮させ焦燥させ心を憂鬱にさせるすべての煩悩が必ず生じますが、比丘がこのように減らせば、困窮させ焦燥させ心を憂鬱にするすべての煩悩が、その比丘に生じるべくもないからです。

 比丘のみなさん。私が「心を憂鬱にする煩悩は、減らすことで捨てることができる」と言う心を憂鬱にする煩悩を、その比丘は減らすことで捨てることができました。

 比丘のみなさん。心を憂欝にするどんな煩悩も、どのようにバーヴァナー(願って努力すること)で捨てることができ、その比丘はバーヴァナーで煩悩を捨てた人になるでしょうか。

 比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘は、絶妙な熟慮をして当然七覚支のサティの練習をし、当然七覚支の択法の練習をし、当然七覚支の精進の練習をし、当然七覚支の喜悦の練習をし、当然七覚支の軽安の練習をし、当然七覚支のサマーディの練習をし、当然七覚支の捨の練習をし、当然群れから離れて一人で暮らし、離欲に依存し、滅に依存し、そして手放すことへ傾いていきます。

 比丘のみなさん。それは比丘がこのようにバーヴァナー(願って努力すること)をしなければ、困窮させ焦燥させ心を憂欝にさせるすべての煩悩が必ず生じますが、比丘がバーヴァナーをすれば、困窮させ焦燥させ心を憂欝にするすべての煩悩は、その比丘に生じるべくもないからです。

 比丘のみなさん。私が「煩悩は心を憂欝にするものであり、バーヴァナーで捨てることができる」と言う心を憂欝にする煩悩を、その比丘はバーヴァナーで捨てることができました。

 比丘のみなさん。比丘にこの六つがあれば当然お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしく、合掌するべき人であり、それ以上の徳の田はない世界の徳の田です。





徳の田は欲望の奴隷でないことから生まれる

パーリ・ブッダバーシタ
増支部チャッカニバータ 22巻314頁276項

 比丘のみなさん。六つがある国王の良馬は、当然国王にふさわしい馬であり、国王の乗り物であり、そして王と一緒にバーラミーを積む伴侶と見なされます。六つは何でしょうか。この場合の国王の良馬は、

(1)すべての形に耐えられる馬で、

(2)すべての声に耐えられる馬で、

(3)すべての臭いに耐えられる馬で、

(4)すべての味に耐えられる馬で、

(5)すべての接触に耐えられる馬で、

(6)力が十分な馬です。

 比丘のみなさん。これらの六つがある国王の良馬は、当然国王にふさわしい馬であり、国王の乗り物であり、国王と一緒にバーラミーを積む伴侶と見なされます。


 比丘のみなさん。同じように、六つがある比丘は、当然お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしく、合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。六つは何でしょうか。六つは、この場合の比丘は、

(1)すべての形の誘惑に耐えられ、平然としていられる人で、

(2)すべての声の誘惑に耐えられ、平然としていられる人で、

(3)すべての臭いの誘惑に耐えられ、平然としていられる人で、

(4)すべての味の誘惑に耐えられ、平然としていられる人で、

(5)すべての触の誘惑に耐えられ、平然としていられる人で、

(6)すべての心の概念の誘惑に耐えられ、平然としていられる人です。

 比丘のみなさん。比丘にこれらの六つがあれば、当然お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしく、合掌するべき人であり、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。





徳の田はダンマを熟慮して見ることから生まれる

パーリ・ブッダバーシタ
増支部サッタカニバータ 23巻13頁16項

 比丘のみなさん。この七種類の人物はお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしく、合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。七種類とは何でしょうか。七種類とは、

 比丘のみなさん。この場合の人物は、平素からすべてのサンカーラ(行)を無常と見ることができ、常に無常と意識し、特に無常を知り尽くし、片時も休むことなく絶えず心を無常に埋め、智慧で(そのダンマを)掴んでいます。

 その人は生きているうちに、漏がなくなって漏を探すことができないチェトーヴィムッティ(心解脱)、パンニャーヴィムッティ(慧解脱)を、最高の智慧で明らかにし、そして常にその高い感覚の中にいます。比丘のみなさん。これがお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい人、合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である初めの種類の人です。

 比丘のみなさん。この場合の人物は、平素からすべてのサンカーラ(行)を無常と見、常に無常と意識し、特に無常を知り尽くし、片時も休むことなく絶えず心を無常に埋め、智慧で(そのダンマを)掴みます。更にその人の漏の終わりと命の終わりは、前後しないで現れます。

 (つまり漏が尽きると同時に死にます)。比丘のみなさん。これがお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である二番目の人です。

 比丘のみなさん。次の場合の人物は、平素からすべてのサンカーラ(行)を無常と見、常に無常と意識し、特に無常を知り尽くし、片時も休むことなく絶えず心を無常に埋め、智慧で(そのダンマを)掴みます。その人はサンニョージャナ(十結)の初めの五つがなくなったパリニッパージブッガラ(中般涅槃者。寿命半ばに達しないで涅槃する人)です。

 比丘のみなさん。これがお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である三番目の人です。

 比丘のみなさん。次の場合の人物は平素からすべてのサンカーラ(行)を無常と見、常に無常と意識し、特に無常を知り尽くし、片時も休むことなく絶えず心を無常に埋め、智慧で(そのダンマを)掴みます。その人はサンニョージャナ(結)の初めの五つがなくなったウパハッチャパリニパーユブッガラ(生般涅槃者。寿命が尽きようとする時涅槃する人)です。

 比丘のみなさん。これが、お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である四番目の人です。

 比丘のみなさん、次の場合の人は平素からすべてのサンカーラ(行)を無常と見、常に無常と意識し、特に無常を知り尽くし、片時も休むことなく絶えず心を無常に埋め、智慧で(そのダンマを)掴みます。その人はサンニョージャナの初めの五つがなくなったアサンカーラパリニバーユブッガラ(努力しないで涅槃に入る人)です。

 比丘のみなさん。これがお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である五番目の人です。

 比丘のみなさん。平素からすべてのサンカーラ(行)を無常と見、常に無常と意識し、特に無常を知り尽くし、片時も休むことなく絶えず心を無常に埋め、智慧で(そのダンマを)掴みます。

 その人はサンニョージャナの初めの五つが終わったササンカーラパリニバーユブッガラ(有行般涅槃者。努力して涅槃する人)です。比丘のみなさん。これがお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である六番目の人です。

 比丘のみなさん。次の場合の人は平素からすべてのサンカーラ(行)を無常と見、常に無常と意識し、特に無常を知り尽くし、片時も休むことなく絶えず心を無常に埋め、智慧で(そのダンマを)掴みます。その人サンニョージャナの初めの五つがなくなって、有頂天へ行く流れのある人です。

 比丘のみなさん。これがお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である七番目の人です。





(別の経)二

パーリ・ブッダバーシタ
 増支部サッタカニバータ 23巻14頁17項

 比丘のみなさん。この七種類の人物はお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。七種類とは何があるでしょうか。七種類とは、

 比丘のみなさん。この場合の人物は平素からすべてのサンカーラ(行)を苦と見ることができ、云々。(以下は前の経と同じですが、「無常」の代わりに「苦」について述べています。読者は、無常という言葉を、すべて「苦」という言葉に入れ替えて読んでください)。





(また別の経)三

パーリ・ブッダバーシタ
増支部サッタカニバータ 23巻14頁17項

 比丘のみなさん。比丘のみなさん。これらの七種類の人物はお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい、合掌するべ人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。七種類とは何があるでしょうか。七種類とは、

 比丘のみなさん。この場合の人は、平素からすべてのサンカーラ(行)を無我と見ることができ、云々。(以下は初めの経と同じですが、「無常」の代わりに「無我」について述べています。読者は、無常という言葉を、すべて「無我」という言葉に入れ替えて読んでください)。





(また別の経)四

パーリ・ブッダバーシタ
増支部サッタカニバータ 23巻14頁17項

 比丘のみなさん。これらの七種類の人物は、お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい、合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない、世界の徳の田です。七種類とは何でしょうか。七種類とは、

 比丘のみなさん。この場合の人は平素から到達した涅槃の幸福を見ることができ、常に幸福と意識し、特に幸福を知り尽し、片時も休むことなく休まず心を幸福に埋め、幸福に欠点がなく、智慧で掴み、その人は生きているうちに、漏がなくなって漏を探すことができない心解脱、智慧解脱を最高の智慧で明らかにし、そして常にその感覚の中にいます。

 比丘のみなさん。これがお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしいで合掌するべき人、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である一番の人です。

 比丘のみなさん。次の場合の人は平素から涅槃の幸福を見ることができ、常に幸福を意識し、特に幸福を知り尽くし、幸福を休むことなく心に刻み、智慧で(そのダンマを)掴み、更にその人の漏の終わりと命の終わりは前後しないで現われます。(つまり漏が終わると同時に死にます)。

 比丘のみなさん。これがお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である二番目の人です。

 比丘のみなさん。次の場合の人は平素から涅槃の中の幸福を見ることができ、常に幸福と意識し、特に幸福を知り尽し、休むことなく心を幸福に埋め、智慧で(そのダンマを)掴み、その人はサンニョージャナ(十結)の初めの五つのがなくなったパリニッバージブッガラ(中般涅槃者。寿命半ばで涅槃する人)です。

 比丘のみなさん。これがお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である三番目の人です。

 比丘のみなさん。次の場合の人は平素から涅槃の中の幸福を見ることができ、常に幸福と意識し、特に幸福を知り尽し、休まず心を幸福に埋め、幸福に欠点がなく、智慧で(そのダンマを)掴み、その人は、サンニョージャナの初めの五つを終わらせたウパハッジャパリニッバーナ(生般涅槃者。寿命が尽きようとする時涅槃する人)です。

 比丘のみなさん。これがお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である四番目の人です。

 比丘のみなさん。次の場合の人は平素から涅槃の中の幸福を見ることができ、常に幸福と意識し、特に幸福を知り尽し、休まず心を幸福に埋め、幸福に欠点がなく、智慧で(そのダンマを)掴み、その人はサンニョージャナの初めの五つを終わらせたアサンカーラパリニッバージブッガラ(無行般涅槃者。努力しないで涅槃する人)です。

 比丘のみなさん。これがお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である五番目の人です。

 比丘のみなさん。次の場合の人は、平素から涅槃の中の幸福を見ることができ、常に幸福と意識し、特に幸福を知り尽し、休まず心を幸福に埋め、幸福に欠点がなく、智慧で(そのダンマを)掴み、その人は、サンニョージャナの初めの五つを終わらせたササンカーラパリニッバージブッガラ(有行般涅槃者。努力して涅槃する人)です。

 比丘のみなさん。これがお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である六番目の人です。  比丘のみなさん。次の場合の人は、平素から涅槃の中の幸福を見ることができ、常に幸福と意識し、特に幸福を知り尽し、休まず心を幸福に埋め、幸福に欠点がなく、智慧で(そのダンマを)掴み、その人は、サンニョージャナの初めの五つを終わらせて有頂天へ行く上層の流れがある人です。

 比丘のみなさん。これがお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田である七番目の人です。

 比丘のみなさん。これらの七種類は、お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。





徳の田は宣言を忘れないことから生まれる

パーリ・ブッダバーシタ
増支部アッダカニバータ 23巻301頁149項

 比丘のみなさん。八種類の人はお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。八種類とは何でしょうか。八種類とは、

(1)預流

(2)預流果を明らかにするために実践する人

(3)一来

(4)一来果を明らかにするために実践する人

(5)不還

(6)不還果を明らかにするために実践する人

(7)阿羅漢

(8)阿羅漢果を明らかにするために実践する人

 比丘のみなさん。この八種類の人物はお供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしく、合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。


  四種類の実践者と四種類の結果を出した人

  それが真直ぐな僧であり

  智慧と戒が盤石な人

  お供えすることで徳を望むすべての人間に対して、

  当然オッパーティカに関わる別の徳を生じさせる行動をする

  だからサンガにした布施には大きな成果がある





徳の田は心の毒の消滅から生じる

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻152頁107項

 比丘のみなさん。比丘に五つがあれば、当然お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。五つとは何でしょうか。五つとは、この場合の比丘は、

(1)戒が完璧な人で、

(2)サマーディが完璧な人で、

(3)智慧が完璧な人で、

(4)解脱が完璧な人で、

(5)解脱智見が完璧な人です。





(別の経)二

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻152頁108項

(1)無学(学ぶべきことがない人。阿羅漢)である戒蘊(戒の集まり)がある人で、

(2)無学である定蘊(サマーディの集まり)がある人で、

(3)無学である智慧蘊(智慧の集まり)がある人で、

(4)無学である解脱蘊(解脱の集まり)がある人で、

(5)無学である解脱智見蘊(解脱智見の集まり)がある人です。

 比丘のみなさん。比丘に五つがあれば、当然お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしく、合掌するべき人であり、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。





徳の田は、段階的な訓練を受けて生じる

パーリ・ブッダバーシタ
中部ムーラパンナーサ 13巻175頁173項

 バッダーリさん。非常に短い時間でしたが、私があなた方に血統の良い若い馬の例えでダンマを説いた時の話を、あなた方はまだ憶えていますか。

 「スガタ様。その例え話は憶えておりません」。

 バッダーリさん。憶えていないのは、何が原因ですか。

 「スガタ様。それは教祖様の教えの勉強に十分時間をかけず、完璧にしなかったからです」。

 バッダーリさん。それは原因でなく、縁でもありません。本当は私はずっとあなたの心を良く見ていたので、「この無益な男は、私がダンマを説いている時もダンマを求める人になろうとせず、関心がなく、心で全体を整理せず、耳をほってダンマを聞かない」と知りました。

 バッダーリさん。しかしもう一度若い血統の良い馬の譬え話でダンマを説きます。この譬え話である説法を、しっかり心してお聞きなさい。これから話します。

 バッダーリが世尊にお応えすると、世尊は次のようにブッダヴァチャナをお話になりました。
 バッダーリさん。腕の良い調教者が血統の良い馬を手に入ると、当然初めに目隠し(遮眼革)を装着する訓練をします。馬に目隠しをする訓練をしている時は、訓練を受けたことがない馬の反抗的な振る舞いがあります。その馬は継続して訓練され、繰り返し訓練されることで目隠しをしても抵抗しなくなります。

 バッダーリさん。その血統の良い馬を継続して訓練し、繰り返し訓練し、それらの奇行がなくなったら、その時調教者は馬に軛(くびき)を繋ぎます。その馬が軛の訓練をしている時は、敵であり障害である間違った行動や暴れ回るなど、訓練を受けたことがない馬にある反抗的態度があります。その馬は継続して訓練を受け、繰り返し訓練を受けることで、軛を繋がれることに抵抗しなくなります。

 バッダーリさん。その血統の良い馬が、継続して訓練を受け、繰り返し訓練を受けることで軛に反抗をしなくなったら、その時調教者はその馬に更に上の訓練、

(1)足を分けて、四本足全部で素早く飛び上がり、

(2)騎者が落とした武器を拾えるように体を丸くかがめ、

(3)音を立てないように蹄の先だけで着地して走り、

(4)逃げる時、追う時の速度、

(5)いろんな種類の大きな音を恐れない、

(6)国王の価値を知る、

(7)優良馬にふさわしい態度、

(8)卓絶した速度、

(9)馬の頂点であること

(10)穏やかな言葉だけを聞くのにふさわしくなる訓練をします。

 バッダーリさん。その馬は継続して訓練を受け、繰り返し訓練を受けることで、この十項を達成します。

 バッダーリさん。その血統の良い馬が継続して訓練を受け、すべての反抗的行動がなくなるまで繰り返し訓練を受けたら、調教者は質も力も更に上の訓練を増やします。

 バッダーリさん。この十項目の徳行のある良馬は、当然国王にふさわしい馬であり、王の乗り物であり、そして王と一緒にバーラミーを積む伴侶と見なされます。

 バッダーリさん。同じように、十項のある比丘は、当然お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。十項は何でしょうか。十項は、この場合の比丘は、

(1)無学(学ぶべきことが終わった人。阿羅漢)である正しい見解がある人で、

(2)無学である正しい望みがある人で、

(3)無学である正しい言葉がある人で、

(4)無学である正しい業がある人で、

(5)無学である正しい生業がある人で、

(6)無学である正しい努力がある人で、

(7)無学である正しいサティがある人で、

(8)無学である正しいサマーディ(専心)がある人で、

(9)無学である正しいニャーナ(智)がある人で、

(10)無学である正しい解脱がある人です。

 バッダーリさん。比丘にこの十項があれば、当然お供えする物にふさわしく、迎える物にふさわしく、徳を積む物にふさわしい合掌するべき人で、これに勝る徳の田はない世界の徳の田です。





サンガの父の遺言

パーリ・ブッダバーシタ
長部マハーヴァッガ 大涅槃経 10巻180頁143項

 比丘のみなさん。如行はみなさんに「すべてのサンカーラ(行)は当然衰退します。みなさん、不注意でないことを完璧になさい」と忠告させてもらいます。

 これがプラタターガタ(如行)の最期の言葉です。






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