ブッダヴァチャナの宝石箱

第十四章 欲望の奴隷でないことについて



(第五章と対)




    懇願して誘う人

比丘のみなさん。

可愛がることに依存して支援する利益を求める

可愛がる人である教祖がすべての弟子にすべきことは何でも、

私はみなさんにしました。


比丘のみなさん。それはすべての木の根元。

それはすべての廃屋。


比丘のみなさん。煩悩を燃やす努力をなさい。

油断してはいけません。

みなさん。後で焦慮する人になってはいけません。

これです。私がみなさんに繰り返し教える言葉は。

   (相応部サラーヤタナヴァッガ 18巻441頁674項)





ダンマのことばかり考える人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部ドゥカニバータ 20巻93頁293項

 比丘のみなさん。比丘教団員には二種類います。二種類は何でしょうか。二種類とは見返りを重視して正法を重視しない比丘と、正法を重視して見返りを重視しない比丘です。

 比丘のみなさん。正法を重視し、見返りを重視しない比丘はどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の比丘教は「あの比丘はグ分解脱(註)の聖人だ。あの人は智慧解脱の聖人だ。あの人は身証の聖人だ。あの人は隋法行の聖人だ。あの人は隋信行の聖人で戒があり美しい暮らしをしている。そしてあの人は破戒で低劣な暮らしをしている」などと在家の前で褒め合いません。

 これらの比丘は、当然褒め合わないことが原因で貰い物を得、貰い物を得ても貰い物の虜にならず、ひれ伏さず、惑溺せず、害の部分が見え、その貰い物を消費する苦から出る方便を明らかに知る人です。

 比丘のみなさん。このような比丘教団員を、私は「正法を重視し見返りを重視しない教団員」と呼びます。

註: グ分解脱の「グ」は、人偏に具





庶民のご飯を無駄にしない

パーリ・ブッダバーシタ 
増支部エーカニバータ 20巻12頁56項

 比丘のみなさん。指を弾く一瞬の間でも、比丘が慈心などを起こせば、比丘のみなさん、その比丘を私は、定(煩悩を焼くこと)から離れない人、教祖の教えたとおりにする人、教祖の教戒に応える人で、当然庶民のご飯を食べることを無駄にしないと言います。心の中を大きな慈心にする人については、言うまでもありません。





ご飯に見合う価値

パーリ・ブッダバーシタ
増支部ティカニカーヤ 20巻354頁563項

 比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘がどこかの村や町に行って住むと、長者、あるいは長者の息子がその比丘を訪ねて、翌日の食事に招待します。比丘のみなさん。この比丘はその食事に望みがありるので招待を受け入れ、夜が過ぎると、彼はチーヴァラ(衣)をまとって鉢を持ち、長者、あるいは長者の息子の家に入って用意された席に座ります。

 長者、あるいは長者の息子は上等な食べる物かじる物を、彼が満足して制止するまで自ら給仕します。彼は「実に素晴らしい。この長者あるいは長者の息子は、上等な食べる物かじる物で私をもてなし、私が満足して制止するまで、自ら給仕をする」などと内心で考えず、「ああ今後も長者あるいは長者の息子が、上等な食べ物、齧るもので、私が満腹して満足して制止するまで自ら接待してくれればなあ」と期待して考えません。

 彼は食べ物の虜にならず、ひれ伏さず、惑溺せず、害の部分が見え、その料理を食べることの苦から出る方便を明らかに知る人です。彼は当然愛欲の考えから出ることを考え、恨まない考えを考え、無意識に他人を困らせない考えを考えます。

 比丘のみなさん。このような比丘に献じた布施は大きな成果があると私は言います。この比丘には惑溺がないからです。





罠に掛からない鹿

パーリ・ブッダバーシタ
中部ムーラパンナーサ 12巻333頁328項

 比丘のみなさん。五欲の虜にならず、ひれ伏さず、惑溺しないサマナやバラモンは誰でも、害の部分が見え、五欲を味わう苦から出る方便を明らかに知る人で、誰もが「そのサマナやバラモンは破滅に至らない人だ。罪な心の悪魔の望みどおりになる必要はない」とこのように理解するべきです。

 比丘のみなさん。罠に掛からない野生の鹿は、罠に沈んで寝ている必要がないので、誰でも「それは破滅しない鹿で、悪魔の望みどおりにしなければならないことは何もない。猟師が来ても逃げる必要はない」と理解しなければならない動物であるように、

比丘のみなさん、そのサマナやバラモンが五欲の虜になってひれ伏して惑溺しなければ、害の部分が見え、五欲を味わう苦から出る方便を明らかに知る人です。だから誰もが「これらのサマナ・バラモンは破滅しない人で、罪な心の悪魔の望みどおりになる必要はない」とこのように理解するべき人です。

 比丘のみなさん。五欲の五種類とは何でしょうか。五種類とは、望ましいものであり、喜ばしいものであり、目を魅惑するものであり、欲望の基盤、心を染める欲情の基盤である目で見る形、耳で聞く声、鼻で嗅ぐ臭い、舌で味わう味、体で触れる触です。比丘のみなさん。五欲はこの五種類です。





繋がれない人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部ダサカニバータ 24巻21頁14項

 比丘のみなさん。比丘でも比丘尼でも、五種類の心を繋ぐ物を切断した出家は誰でも、その出家の日々はすべての善の発展だけが期待でき、衰退はありません。その出家が切断ができた五種類の心を繋ぐ物はどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘はすべての愛欲に欲情しない人で、すべての愛欲に愛、渇き、焦燥、野望、満足がありません。このような比丘は誰でも、その比丘の心は当然煩悩を焼き滅ぼす努力、継続してする努力、連続してする努力、そして頑丈な基礎である努力に傾いていきます。誰の心でも今述べた努力に傾けば、それが、彼が良く切断した心を繋ぐ物を断つ道具の一つ目です。

 比丘のみなさん。もう一つ、比丘は体に欲情しない人で、体への愛、渇き、焦燥、そして野望、満足がありません。このような比丘は誰でも、その比丘の心は当然煩悩を焼き滅ぼす努力、継続してする努力、連続してする努力、そして頑丈な基礎である努力に傾いて行き、誰の心でも、当然述べた努力に傾けば、それが、彼が良く切断した心を繋ぐ物を断つ道具の二つ目です。

 比丘のみなさん。もう一つ。比丘が形を欲しがることがない人で、形への愛、渇き、焦燥、そして野望、満足がありません。このような比丘は誰でも、その比丘の心は当然煩悩を焼き滅ぼす努力、継続してする努力、連続してする努力、そして頑丈な基礎である努力に傾いて行きます。誰の心でも、当然今述べた努力に傾けば、それが、彼が良く切断した心を繋ぐ物を断つ道具の三つ目です。

 比丘のみなさん。もう一つ、比丘が望み通り腹いっぱい食事をし、夢中になって眠りの幸福を求めず、ゴロゴロ横たわる幸福を求めず、ダラダラと寝て起き上がろうとしないことがなければ、このような比丘は誰でも、その比丘の心は当然煩悩を焼き滅ぼす努力、継続してする努力、連続してする努力、そして頑丈な基礎である努力に傾いて行きます。誰の心でも、当然今述べた努力に傾けば、それが、彼が良く切断できた心を繋ぐ物を断つ道具の四つ目です。

 比丘のみなさん。もう一つ、「私はこの勤めで、この苦行で、あるいはこの梵行で大きな力のある天人、あるいは何らかの種類の力の少ない天人になる」と望んで、天人になる決意で梵行をしない比丘は、このような比丘は誰でも、その比丘の心は当然煩悩を焼き滅ぼす努力、継続してする努力、連続している努力、そして頑丈な基礎である努力に傾いて行きます。誰の心でも今べた努力に傾けば、それが、彼が良く切断できた心を繋ぐ物を断つ道具の五つ目です。

 比丘のみなさん。比丘であろうと比丘尼であろうとこれら五種類の道具で心を繋いでいる物を切る出家は誰でも、その出家の日々は、当然すべての善の発展だけを期待できる状態で過ぎて行き、衰退はありません。太っていく時期の月は色も明るく弧も大きく広く、輝きも増して太るのと同じです。





比丘である友達

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻192頁146項

 比丘のみなさん。この五種類がある比丘である友は、誰もが付き合うべき人です。五種類は何でしょうか。五種類とは、

(1)他人を仕事に使わない比丘で、

(2)問題や事件を起こさない比丘で、

(3)アーチャンレベルの長老に敵対しない比丘で、

(4)目的がなく遠出をするのが好きでない比丘で、

(5)ふさわしい機会に解説のあるダンマを説き、説明し、鼓舞し、楽しませる能力のある比丘です。

 比丘のみなさん。これら五種類がある比丘である友達は、誰もが本当に付き合うべき人です。





徘徊病でないこと

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻285頁222項

 比丘のみなさん。いつも決まった場所に住むことの功徳は五つあります。五つは何でしょうか。五つとは、

(1)彼は当然まだ到達していないものに到達し、

(2)当然到達したものは衰退せず、

(3)到達したものでも、何かに精通した人で、

(4)生活を困難にする病気がなく、

(5)そして友達がいる人です。

 比丘のみなさん、一定の場所で暮らすことを知っている功徳は、この五つです。






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