ブッダヴァチャナの宝石箱

第十章 戒があることについて




(第一章と対)




    懇願して誘う人


比丘のみなさん。

可愛がることに依存して支援する利益を求める

可愛がる人である教祖がすべての弟子にすべきことは何でも、

私はみなさんにしました。


比丘のみなさん。それはすべての木の根元、それはすべての廃屋。


比丘のみなさん。油断をしないで煩悩を燃やす努力をなさい。

みなさん。後で焦慮する人になってはいけません。

これです。私がみなさんに繰り返し教える言葉は。

  (相応部サラーヤタナヴァッガ 18巻441頁674項)







カーシー布

パーリ・ブッダバーシタ 
増支部ティカニカーヤ 三蔵20巻319頁539項

 比丘のみなさん。カーシー(ヴァーラーナシー)の布はまだ新しくても色が美しく、身にまとえば肌に馴染み、値段は高く、中古でも色が美しく、身にまとえば肌に馴染み、値段も高く、古くなってもまだ色が美しく、身にまとえば体に心地よく、値段も高く、カーシー布は古くても誰もが宝石を包むのに使い、あるいは香箱にしまっておきます。

 比丘のみなさん。同じように出家したばかりの比丘でも、戒があって美しい生活をしていれば、私は、この比丘はまだ新しくても色が美しいカーシー布のように、肌に美しいツヤがあると言います。その比丘はカーシー布に譬えられると言います。

 更にどんな人でもその比丘と付き合い、交際し、近づき、その比丘のように振る舞えば、それはそれらの人々にとって、永遠に幸福で利益であるものを生じさせる道です。だから私は、その比丘は誰が近づいても、身にまとえば肌に馴染むカーシー布のように、体に心地良いと言います。その比丘はカーシー布に譬えられると言います。

 更にその比丘は、どんな人たちからチーヴァラ(衣)、食べ物、住まい、医薬品八物の布施を受けても、当然布施した人たちにとって大きな結果があり、大きな功徳があると言います。その比丘は値段の高いカーシー布のように価値があると言います。私はその比丘を、カーシー布のようだと言います。

 比丘のみなさん。中年の比丘でも、戒があって美しい生活をしているなら、新しくても色が美しく見えるカーシー布のように、美しい肌のツヤがあると言います。私は、その比丘は、身にまとえば体に心地よいカーシー布のようだと言います。その比丘はカーシー布に譬えられると言います。

 更にその比丘は、それらの人からチーヴァラ、食べ物、住まい、医薬品八物を受けると、その布施は当然その人たちにとって大きな結果、大きな功徳があります。だからその比丘は値段の高いカーシー布のように価値があると言います。私はその比丘を、カーシー布のようだと言います。

 比丘のみなさん。長老である比丘でも戒があり、美しい生活をしている人なら、まだ新しくても色が美しく見えるカーシー布のように、肌に美しいツヤがあると言います。だからその比丘はカーシー布のようだと言います。

 更にその比丘と付き合い、交際し、近寄り、同じようにする人は誰でも、利益になるもの、それらの人々にとって永遠に幸福なものを生じさせる道です。だから私は、その比丘は身にまとえば体に心地よいカーシー布のように、近づいても安心だと言います。その比丘はカーシー布に譬えられると言います。

 更にその比丘は、どんな人々からチーヴァラ、食べ物、住まい、医薬品を受けても、当然その布施はそれらの人々にとって大きな結果があり、大きな功徳があると言います。だからその比丘は値段の高いカーシー布のように価値があると言います。その比丘はカーシー布に譬えられると言います。

 更にこのような長老である比丘が僧たちの中で何か発言すると、すべての比丘は「みなさん静かにしてください。今、ご老体比丘がダンマとヴィナヤを話されます」とこのように言います。比丘のみなさん。だからこのことはみなさん、「私たちはカーシー布のようになり、麻布のようにならない」と心に留めなければなりません。比丘のみなさん。このように心に留めまければなりません。





涙で梵行を維持する

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻4頁5項

 比丘のみなさん。比丘でも比丘尼の誰でも、顔中涙で濡らして泣くほどの体の苦、心の苦でも、強い意志で完璧に梵行をする出家がいます。これは、今彼にある五種類のダンマにふさわしく称賛するべきです。五種類とは何でしょう。五種類とは、

(1)すべての善の中の信仰というダンマが彼にはあります。

(2)すべての善の中の慙(罪を恥じる)というダンマが彼にはあります。

(3)すべての善の中の愧(罪を恐れる)というダンマが彼にはあります。

(4)すべての善の中の精進というダンマが彼にはあります。

(5)すべての善の中の智慧というダンマが彼にはあります。

 比丘のみなさん。比丘であろうと比丘尼であろうと、顔中涙で濡らして泣くほどの体の苦、心の苦でも、強い意志で完璧に梵行をする出家もいます。これは、今彼にあるこの五種類のダンマにふさわしく称賛するべきです。





近づきになるべき人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部ティカニカーヤ 20巻157頁465項

 比丘のみなさん。誰もが仲間になって交際し、近づきになるべき人物はどんなでしょうか。比丘のみなさん。この場合の人物は戒とサマーディ(三昧)と智慧が同程度ある人で、このような人は仲間になって交際し、近づきになるべき人です。なぜでしょうか。

 それは、自分に戒とサマーディと智慧が同程度あれば、戒とサマーディと智慧について話すことができ、私たちの戒とサマーディと智慧の会話は共感でき、そして戒とサマーディと智慧の話は愉快な物になるので、このような人は誰もが仲間になって交際し、近づきになるべき人です。

 比丘のみなさん。礼拝して敬意を表してから仲間になり、それから近づきになるべき人とはどんな人でしょう。比丘のみなさん。この場合の人は、みなさんより戒とサマーディと智慧がある人です。このような人には礼拝して表敬し、それから近づきになって付き合い、交際しなければなりません。

 それはなぜでしょうか。そうすれば、みなさんはまだ完璧でない戒群とサマーディ群と智慧群を完璧にすることができ、完璧な戒群とサマーディ群と智慧群を、そのダンマの智慧で大切に維持できます。だからこのような人物は、礼拝し表敬し、それから仲間になって交際し、近づきにならなければならない人です。





捨てられればプラとして暮らす

パーリ・ブッダバーシタ
  増支部ティカニカーヤ 20巻142頁454項

 比丘のみなさん。体と言葉と心の不正、体と言葉と心の罪、体と言葉と心の渋汁(衣を染める染料。この場合心を染める物)のような煩悩をまだ捨てることができなければ、比丘でも比丘尼でも、片側を六日以内で(急いで粗雑に)作りあげた車輪は真っすぐ立たないで傾いて倒れるように、その出家者は、自然にこのダンマヴィナヤから落伍しなければなりません。

 比丘のみなさん。比丘でも比丘尼でも、体と言葉と心の歪み、体と言葉と心の罪、体と言葉と心の渋汁のような煩悩を捨てることができる比丘は誰でも、六か月に六日足りない長い月日を掛けて作った車輪は真っすぐ立って回転するように、その出家者はこのダンマヴィナヤ(法と律)の中で安泰です。

 比丘のみなさん。だからこのことはみなさん。「私たちは体の不正、体の罪、体の渋汁でしかない煩悩を捨て、言葉の歪み、言葉の罪、言葉の渋汁でしかない煩悩を捨て、心の不正、心の罪、心の渋汁でしかない煩悩を捨てる」と、このように心に留めなければなりません。

 比丘のみなさん。みなさん、このように心に留めなければなりません。

  (訳注:プラとはタイ語で僧や神様などを呼ぶ言で、素晴らしい人という意味)





尊敬すべきサマナ・バラモン

パーリ・ブッダバーシタ
中部ウパリバンナーサ 14巻530頁834項

 バラモンと長者のみなさん。もし異教の出家がみなさんに「あなた方が拝礼し、敬い、尊敬し、敬意を表すべきサマナやバラモンはどんな類ですか」と訊いたら、みなさんがこのように訊かれたら、

「目で見る形、耳で聞く声、鼻で嗅ぐ臭い、舌で味わう味、体で接触する触、心で明らかに知るダンマーラマナ(心の中の概念)に貪り、怒り、愚かさがなく、内部が静まった心があり、体と言葉と心の行動、行儀がきちんとしているサマナやバラモンは誰でも、それらのサマナやバラモンは、拝礼して敬い、尊敬し、敬意を表すべき種類です。

 それはなぜでしょうか。私たちは目で見る形、耳で聞く声、鼻で嗅ぐ臭い、舌で味わう味、体で接触する触、心で明らかに知るダンマーラマナ(感情。心の概念)にまだ貪り、怒り、愚かさがあり、内部にまだ静かでない心があるのは事実ですが、際立ってきちんとしているそれらのサマナやバラモンの体と言葉と心の行動は、それを最高の手本と見る私たちの物になるので、それらのサマナやバラモンは、本当に拝礼し、尊重し、尊敬し、敬意を表すべき人です」と説明しなければなりません。





サマナであることの結果

パーリ・ブッダバーシタ
相応部マハーワーラヴァッガ 19巻30頁101項
祇園精舎にて

 比丘のみなさん。サマナである結果は何でしょうか。預流果、一来果、不還果、そして阿羅漢果です。比丘のみなさん。これらの結果を、私はサマナであることの結果と言います。

 比丘のみなさん。サマナである利益はどのようでしょうか。比丘のみなさん。貪りの終わり、怒りの終わり、愚かさの終わりのどれでも、みなさんこれらを私は、サマナであることの利益と言います。

 比丘のみなさん。「サマナであること」とはどのようでしょうか。この八正道だけ、すなわち正しい理解、正しい目標、正しい発言、正しい仕事、正しい生業、正しい努力、正しいサティ、正しい専心です。比丘のみなさん。私はこの八正道をサマナである意味と言います。





破戒を捨てることができる人

パーリ・ブッダバーシタ 
増支部ティカニカーヤ 20巻311頁533項

 比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘にとって、最高の静かさ(つまり罪から離れること)はこの三種類しかありません。三種類とは何でしょうか。三種類とは、

(1)このダンマヴィナヤの比丘は戒がある人で、破戒を捨てることができ、破戒から離れる人で、

(2)正しい見方のある人で、誤った見方を捨てることができ、誤った見方から離れる人で、

(3)アーサヴァ(漏)の終わりがある人で、漏を捨てることができ、すべての漏から離れる人です。

 比丘のみなさん。比丘に今述べた三つの美徳があれば、私はその比丘を「頂点に達し本質に達し純潔で本質を維持している人」と呼びます。

 比丘のみなさん。長者百姓の田んぼは、実が成ると急いで刈り取らせ、それから急いでまとめさせ、急いで中庭に運ばせ、急いで山積みにさせ、それから急いで脱穀させ、急いで藁を叩かせ、急いで投げ(選り分け)させ、急いで精米させ、急いで精白させ、それから急いで籾殻を吹き分けさせると、

その長者百姓の玄米は最高に達し、精華に達し、清潔な米になるように、比丘のみなさん。戒があり、破戒を捨てることができ、そして破戒から離れている人であり、正しい考えがあり、誤った考えを捨て、誤った考えから離れている人であり、

アーサヴァ(漏)の終わりのある人で、すべての漏を捨てることができ、そしてすべての漏から離れている人である比丘は、比丘のみなさん、この比丘を私は「頂点に達し、本質に達し、純潔で本質を維持している人」と言います。





完璧な戒のある比丘

パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻83頁103項
ラージャカルハに近いジーバカコマーラバッチャ医師のマンゴー園にて

 大王。完璧な戒のある比丘はどのようでしょうか。大王。このダンマヴィナヤの比丘は殺生を捨て、殺生を避け、丸太や刀剣類を置いてしまい、恥があり、すべての動物を可愛がり、支援する利益を望む憐れみに達します。これも彼の戒の一つです。

 窃盗(所有者が与えてない物を取得すること)を捨て、窃盗を避け、人から与えられた物だけを所有し、人から貰う物だけを望む清潔な人で泥棒ではありません。これも彼の戒の一つです。

 梵行でないカンマを捨て、普通に深遠な行動である梵行をし、在家の物である性交を避けます。これも彼の戒の一つです。

嘘を言うことを捨てた人であり、嘘を言うことを避け、真実だけを言い、誠実を維持し、確実で信頼できる言葉を言い、わざと間違わせることを言いません。これも彼の戒の一つです。

 告げ口を捨てる人で、告げ口を避け、こちら側で聞いたことをしまっておかず、こちら側にひびを入れさせるために向こう側に教えること、あるいは向こう側で聞いたことを向こう側にひびを入れさせるためにこちら側に伝えないということがなく、分裂した人を親しくさせ、再び心を一つにさせ、心を一つにしている人たちを援けて、更に心を一つにさせます。

 心を合わせることが好きで、心を合わせることを喜び、心を合わせることに満足し、一致団結させることだけを言います。これも彼の戒の一つです。

 粗暴な言葉を言うことを捨て、粗暴な言葉を言うのを避け、耳に心地よい、愛を生じさせる害のない言葉、心を膨らませる言葉、大衆が望み満足する、庶民が話す丁寧な言葉だけを言います。これも彼の戒の一つです。

 利益を撒き散らしてしまう言葉を捨て、饒舌を避け、時にふさわしいことだけを言い、ダンマ(教え)でありヴィナヤ(律)である利益になる真実だけを言い、終わりがあり、利益があり、時にふさわしく、根拠があることだけを言います。これも彼の戒の一つです。

 このダンマヴィナヤの比丘は、二種類の植物(プーチャガーマとブータガーマ)を全滅させることを避ける人で、一日に一度だけ食べる人で、夜間や時ならぬ時間に食べることを避けます。舞踏、歌唱、演奏、そして善の敵である類の物を観るのを止めます。

 装飾つまり髪に花を刺し、香りの良い物、そして塗る物で飾ることを避け、大きくて背の高い寝台で寝ることを避け、金銀を貰うのを避け、籾米を貰うのを避け、生肉を貰うのを避け、女性と少女を貰うのを避け、女性の奴隷、男性の奴隷を貰うのを避け、オス・メスに関わらず羊、ヤギ、ニワトリ、豚、象、牛、馬を貰うのを避け、

田んぼや庭園を貰うのを避け、長者の使節として各地へ行くのを避け、売買を避け、秤でごまかすこと、贋物で騙すこと、(升や定規など)計る物で搾取するのを避け、賄賂や誘惑による不正を避ける人で、斬る、殺す、監禁、隠れて危害を加える、略奪、そして恐喝を避ける人です。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は植物を消滅させない

パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻85頁104項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、まだ植物(プーチャガーマとブータガーマ)を悪化させます。植物とは何でしょうか。つまり根から生まれる植物、幹から生まれる植物、実から生まれる植物、先端から生まれる植物、そして五番目は種から生まれる植物です。

 このダンマヴィナヤの比丘は、そのような植物を悪化させるのを避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は集めた物を消費しない

 パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻85頁104項

 もう一つ、あるサマナやバラモンたちが支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、その方たちはまだ常に集めた物を消費する人です。集めた物とは何でしょう。それはご飯を集め、飲み水を集め、布を集め、乗り物を集め、寝具を集め、香りの物を集め、お金を集めます。

 このダンマヴィナヤの比丘は、そのように集めた物を消費するのを避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は演じ物を見ない

パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻85頁106項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが、支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、それらの方々はまだ絶えず演じ物を観る人でもあります。演じ物を見るとは何でしょうか。

 それは、舞踊を観、歌を聴き、演奏を聴き、曲芸を観、物語を聴き、歌を聞いて手拍子を打ち、銅鑼を聞き、木琴を聴き、操り人形を観、乞食の歌を聞き、笙を聞き、闘象を見、競馬を見、闘水牛を見、闘牛を見、闘羊を見、闘山羊を見、闘鶏を見、闘鶉を見、木舞を見、手舞を見、拳闘を見、戦うのを見、力試しを見、兵の整列を見、兵の行列を観ます。

 このダンマヴィナヤの比丘は、その時見られる演じ物を観るのを避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は賭け事をしない

パーリ・ブッダバーシタ 
長部シーラカンダヴァッガ 9巻86頁107項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが支援者が信仰によって布施した食べ物を食べる時、それらの方々はまだ賭け事をする人、あるいは不注意の基盤である遊びを継続してする人でもあります。賭け事、あるいは不注意の基盤である遊びとは何でしょうか。

 それは、一列が八目や十目の将棋をし、お手玉をし、女奪いをし、挟み将棋、回り将棋、輪投げ賭博をし、マイフン(木の棒をパスしたり投げたりして遊ぶ遊び)をし、いろんな形に投げ、サイコロを投げ、木の葉笛を吹き、とんぼ返りをし、風車で遊び、砂を計って遊び、小車で遊び、小弓で遊び、書いた文字を言い当てる遊びをし、心を推測する遊びをし、障害者をからかう遊びをします。

 一方このダンマヴィナヤの比丘は、その時見える賭け事、あるいは不注意の基盤である遊びをするのを避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は高くて大きい寝台で寝ない

パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻86頁108項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが、支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、その方々は、まだ絶えず高くて大きな寝床で寝る人でもあります。高くて大きな寝床とは何でしょうか。

 それは普通より脚の高い寝台、脚が獅子などの足の形に作られている寝台、毛足の長いヤギの毛織物の上、美しい刺繍の山羊毛の絨緞の上、白い山羊毛の敷物、花輪のような形の山羊毛の敷物、カポック入りの敷物、華麗な猛獣の形の敷物、金銀を撚り込んだ絹織物の敷物、十六人の女が踊れるくらい大きな山羊毛の敷物、象の鞍用の敷物、馬の鞍用の敷物、車の敷物、獣皮でできた敷物、ジャコウネコの毛皮でできた敷物、赤い天上と赤い脇息のある敷物です。

 このダンマヴィナヤの比丘は、その時見える高くて大きな寝台に寝ることを避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は身体を飾らない

パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻87頁109項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、その方々はまだ体を飾る人でもあります。体を飾るとは何でしょうか。

 それは、香水を塗り、按摩をし、肌を美しくする物を塗り、マッサージをし、鏡に映して見、目の輝きを美しくするための目薬を差し、花で飾り、香りの良い物を塗り、粉を叩き、口紅を塗り、手に飾りをつけ、脳天に飾りをつけ、杖を持ち、豪華な印籠を提げ、冠のような飾りをつけ、かんざしを挿し、美しい扇を使い、長く垂れた三尺、あるいはしごき帯を使います。

 このダンマヴィナヤの比丘は、その時見える体を美しく飾ることを避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は畜生談をしない

パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻87頁110項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、それらの方々はまだ、絶えず畜生談をする人でもあります。畜生談とは何でしょうか。

 それは王族の話、強盗の話、役人の話、兵隊の話、怖い物の話、戦争の話、米の話、水の話、布の話、寝場所の話、花の話、香りの話、親戚の話、乗り物の話、村の話、県の話、都の話、田舎の話、女の話、男の話、勇者の話、面白い話、港の話、死んだ人の話、世間のいろんな不思議な話、海の話、破滅や繁栄の話です。

 一方このダンマヴィナヤの比丘は畜生談を避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は競い合う言葉を言わない

パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻87頁111項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、それらの方々はまだ、いつでも競う言葉を言う人でもあります。競う言葉とは何でしょうか。

 それは「あなたはこのダンマヴィナヤを知り尽くしていない。私はこのダンマヴィナヤを知り尽くしている。あなたはこのダンマヴィナヤを知り尽くすことはできない。あなたの実践は間違っている。私の実践は正しい。私の言葉には利益がある。あなたの言葉には利益がない。

先に話すべきことをあなたは後に話し、後で話すべきことをあなたは先に話す。あなたが精通していたことは変化してしまった。私はあなたの言葉を否定し、圧倒した。あなたは自分の言葉を撤回しなさい。それともできるなら反論しなさい」と競います。

 このダンマヴィナヤの比丘は、競い合う言葉を避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は伝達者にならない

パーリ・ブッダバーシタ 
長部シーラカンダヴァッガ 9巻88頁112項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、それらの方々は常に用事を言いつけられて、いろんな場所へ遣いとして行く人でもあります。遣いとは何でしょうか。

 それは「ここへ行きなさい」「そこへ行きなさい」「これを持って行きなさい」「あそこのこれを持って来なさい」と、このように言われる王様の遣い、王の家来の遣い、武士の遣い、バラモンの遣い、長者の遣い、そして子供の遣いです。

 このダンマヴィナヤの比丘は、用事を言いつけられていろんな場所へ行くのを避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は庶民を騙さない

パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻88頁112項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、それらの方々はまだ騙す言葉を言い、際限なく喋り、策略で仕向ける話し方、支援者が我武者羅に布施したくなるようにさせる言い方で貰い物を求め、そして価値のある物を価値のない使い方をします。

 このダンマヴィナヤの比丘は、このような騙す方便で貰い物を探求するのを避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は幸運の占い師ではない

パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻89頁114項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちは、支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、その方々はまだ間違った生活で暮らしを成功させています。その時見える畜生知識の勉強をするからです。畜生知識とは何でしょうか。

 それは体の特徴を占い、吉兆や凶兆を占い、落し物を占い、夢で占い、運勢を占い、ネズミがかじった布で占い、護摩を焚く儀式をし、蝋燭立ての蝋燭に点火し、参列者間で手渡しして回す儀式をし、籾殻を撒く儀式をし、糠を撒く儀式をし、米を撒く儀式をし、三神を迎える点火の儀式をし、火を焚いて祭る儀式をし、入魂の儀式をし、

血を供える儀式をし、体の器官を占い、家相を見、田んぼの相を見、入魂師になり、幽霊使いになり、まじない師になって家に護符を貼り、ヘビ使い、毒消し師、サソリ使い、ネズミの齧り方占い、鳥やカラスの鳴き声占い、年齢占い、矢を防ぐまじない、動物の足跡占いをします。

 このダンマヴィナヤの比丘は、その時見える畜生知識による間違った生業を避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は品物の状態の占い師ではない

パーリ・ブッダバーシタ 
長部シーラカンダヴァッガ 9巻89頁115項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、それらの方々はまだ畜生知識の間違った生業によって生活を成功させています。それは何でしょうか。

 それは宝石の状態で占い、布の状態で占い、杖の状態で占い、刃物の状態、刀の状態、矢の状態、弓の状態、女性の状態、男性の状態、奴隷の状態、象の状態、馬の状態、水牛の状態、雄牛の状態、牛の状態、羊の状態、山羊の状態、鶏の状態、鶉の状態、大トカゲの状態、カメの状態、鹿の状態などで占います。

 このダンマヴィナヤの比丘は、その時見える畜生知識による間違った生業を避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は戦いの占い師ではない

パーリ・ブッダバーシタ 
長部シーラカンダヴァッガ 9巻90頁116項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、それらの方々はまだ畜生知識による間違った生業で生活を成功させています。それは何でしょうか。

 それは「この日は兵を挙げるべき、この日は兵を挙げるべきでない。中の王は攻め、外の王は退く。外の王は攻め、中の王は退く。中の王は勝ち、外の王は負ける。外の王は勝ち、中の王は負ける。この王は負け、この王は勝つ」と、国王が兵を進める吉祥時を占います。

 このダンマヴィナヤの比丘は、その時見える畜生知識での間違った生業を避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は占星術師でない

パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻90頁117項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、その方々はまだ畜生知識で間違った生業をすることで生活を成功させています。それは何でしょうか。

 それは月食で占い、日食で占い、恒星食で占い、月、太陽、惑星が拠り所を進行している、変則的な進行していると占い、流星や隕石、大火事、地震、雷鳴などがあると占い、(運の)上昇、下降、停滞を占い、月や太陽や星を清浄にするとこういう結果になると、このように占います。

 このダンマヴィナヤの比丘は、その時見える畜生知識による間違った生業を避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は天候占い師ではない

パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻91頁118項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、それらの方々はまだ畜生知識で間違った生業をし、生活を成功させています。それは何でしょうか。

 それは、雨が降る、日照りが続く、豊作になる、不作になる、快適に暮らせる、困難になる、病気になる、病気にならないなどと占い、収穫を数え、計算し、集計し、詩に綴って世間のテキストとして教えます。

 このダンマヴィナヤの比丘は、その時見える畜生知識による間違った生業を避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は吉祥時を占い師でない

パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻91頁119項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが、支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、それらの方々はまだ畜生知識による間違った生業をして生活を成功させています。それは何でしょうか。

 それは、嫁を迎える吉祥時を見、花嫁が家を出る吉祥時を見、友情を結ぶ吉祥時を見、仲違いをする吉祥時を見、財産を蓄える吉祥時を見、投資する吉祥時を見、幸運不運を見、胎児を育てる薬を与え、塞ぐ呪文、縛りつける呪文、払い落す呪文、防音の呪文を唱え、霊媒師、山の女神を呼んで質問し、神に質問し、花と蝋燭と線香でお天道様を祭り、大梵天を祭り、火を噴く呪文、招魂の呪文を唱えることです。

 このダンマヴィナヤの比丘は、その時見える畜生知識で間違った生業を避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。





戒のある人は幽霊使いや薬師でない

パーリ・ブッダバーシタ
長部シーラカンダヴァッガ 9巻92頁120項

 もう一つ、サマナやバラモンのある人たちが支援者が信仰で布施した食べ物を食べる時、それらの方々はまだ畜生知識による間違った生業をして生活を成功させています。それは何でしょうか。

 それは天人に祈願し、花と蝋燭と線香で祭ってお礼をし、家を幽霊から守る呪文を教え、オカマを男にし、男をオカマにし、地鎮祭を行ない、家の建設用地を花と蝋燭と線香で祭り、聖水を撒き、火を祭り、嘔吐させる薬を調合し、毒消しの薬を調合し、上の害を下す薬を調合し、頭痛薬を調合し、油を炊いて耳に垂らし、目薬を作り、嗅ぎ煙草を調合し、噛みつかせる薬を調合し、親密にさせる薬を調合し、目薬屋になり、外科医になり、小児科医になり、接骨医になることです。

 このダンマヴィナヤの比丘は、その時見える畜生知識による間違った生業を避けてしまいます。これも彼の戒の一つです。

 大王。その比丘はこのように完璧な戒があり、聖水頂礼を受けた国王が敵を打ち滅ぼしてしまえばどこにも敵による危険が見えないように、当然律義戒から生じる危険はどこにも見えません。彼らはこの聖人の徳である戒があるので当然幸福を味わい、内面に罪を探すことはできません。

 大王。比丘はこのように完璧な戒がある人です。





増上戒

パーリ・ブッダバーシタ
増支部ティカニカーヤ 20巻303頁529項

 比丘のみなさん。増上戒とはどんなでしょうか。

 比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘はパーティモッガ(二二七戒)戒に細心の注意を払い、行儀作法とゴーチャラ(良く行く場所)が完璧で、小さな罪でも普段からすべての罪の危険が見え、すべての戒条を学習して遵守します。

 比丘のみなさん。このような実践を、私は増上戒(高い戒の学習)と呼びます。





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