ブッダヴァチャナの宝石箱

第七章 宣言を忘れることについて




財宝を指差す人


 アーナンダ。

 私は、土鍋屋がまだ(成形したばかりの)濡れている柔らかい土鍋を扱うように、

 あなたたちを大事にする努力はしません。

 アーナンダ、私は休まず叱ります。

 アーナンダ、私は休まず咎めます。

 本質である道果がある人は耐えられます。

(中部ウパリパンナーサ マハースンニャタースッタ14巻245頁356項)



 私たちは、常に叱ってくれ、

 常に罰を与えてくれる智慧のある人は誰でも、

 「その人は宝を指さす人だ。こういう知識者とつき合うべきだ。

 このような知識者とつき合えば良いことばかりで、悪いことは何もない」

 と見なければなりません。

 (小部ダンマパダ バンディタヴァッガ 24巻25頁16項)






「俺は牛だ」

パーリ・ブッダバーシタ(仏説)
増支部ティカニカーヤ 三蔵20巻294頁522項

 比丘のみなさん。牛の群れの後をついて行くロバが「オレは牛だ」「オレは牛だ」と叫んでも、ロバの毛色は牛にならず、ロバの声は牛にならず、ロバの脚は牛にならず、できるのは牛の群れの後をついて歩いて「オレは牛だ」「オレは牛だ」と叫ぶだけです。

 比丘のみなさん、この場合の比丘も同じように、比丘の群の後をついて歩いて「私も比丘だ」「私も比丘だ」と叫んで表明しても、彼の戒学の行動をする望みは、他のすべての比丘と違い、彼の心学の行動をする望みは、他のすべての比丘と違い、彼の智慧学の行動をする望みは、他のすべての比丘と違い、その比丘ができるのは比丘の群の後をついて歩いて「私も比丘だ」「私も比丘だ」とこのように叫んで表明するだけです。

 比丘のみなさん。だからこれはみなさん、「私の戒学の行動をする望みは常に厳格でなければならず、私の心学の行動をする望みは常に厳格でなければならず、私の智慧学の行動の望みは常に厳格でなければならない」と心に留めなければなりません。比丘のみなさん。このように心に留めておかなければなりません。





空籾サマナ

パーリ・ブッダバーシタ
増支部アッダカニバータ 23巻170頁100項

 比丘のみなさん。みなさんこの人を追い出してしまいなさい。比丘のみなさん。みなさんこの人を追い出してしまいなさい。この人を連れて行ってしまいなさい。慣習破りで何て迷惑な。比丘のみなさん。ある出家たちは、すべての比丘が彼の破戒をまだ見ていない間は、他のすべての比丘と同じように歩き、戻り、見、振り向き、腕を曲げ脚を曲げ、手を伸ばし足を伸ばし、サンガーティ(外衣)をまとって鉢を持ち、チーヴァラ(衣)を着ます。

 しかしすべての比丘が彼の破戒を見ると、誰もが「これは危険なサマナ、空籾サマナ、ゴミのサマナ」と見ます。みんながこのように知ると、彼を群れから追放します。それはなぜでしょうか。それはすべての人が「悪人が他のすべての善い比丘に危害を加えてはいけない」とこのように願うからです。

 比丘のみなさん。稲作の季節に田んぼいっぱい生える、穂をつけても殻だけで、食べられる実がない幽霊稲と同じです。根も茎も葉も、穂が出るまでは稲のように見えますが、穂が出れば「これは食べられない殻だけの幽霊米だ」と分かります。このように知れば、彼らは協力し合って根から引き抜いて、田んぼの外に捨ててしまいます。それはなぜでしょうか。誰もが「幽霊米が他の良い稲に害を与えないように」と望むからです。
 比丘のみなさん。同じようにこの場合の何人かのサマナは、すべての比丘が彼の破戒を見ていないうちは、他のすべての比丘と同じように歩き、戻り、見、振り向き、腕を曲げ脚を曲げ、手を伸ばし足を伸ばし、サンガーティ(外衣)をまとって鉢を持ち、チーヴァラを着ます。

 すべての比丘が彼の破戒罪を見ると、誰もが「これは危険なサマナ。空籾サマナ。ゴミのサマナ」と見ます。みんながこのように知ると、彼を群れから追放します。それはなぜでしょうか。それは、すべての人が、「悪人が他のすべての善い比丘に危害を加えないでほしい」と、このように願うからです。

 比丘のみなさん。人々が空中に投げる大きな籾の山は、熟した籾米が落ちて山になり、未熟な籾は風が吹き飛ばして別の山になるので、百姓は箒で未熟な籾を捨ててしまうのと同じです。それはなぜでしょうか。百姓は「未熟な籾米が他の米に混じってはいけない」と望むからです。

 比丘のみなさん。同じようにこの場合の何人かの比丘は、すべての比丘が彼の破戒を見ていないうちは、他のすべての比丘と同じように歩き、戻り、見、振り向き、腕を曲げ脚を曲げ、手を伸ばし足を伸ばし、サンガーティ(外衣)をまとって鉢も持ち、チーヴァラを着ます。

 すべての比丘が彼の破戒を見ると、すべての人は「これは危険なサマナ。空籾サマナ。ゴミのサマナ」と見ます。誰もがこのように知ると、彼を群れから追放します。それはなぜでしょうか。それは、すべての人が「悪人が他のすべての善い比丘に危害を加えてはいけない」と、このように望むからです。

 比丘のみなさん。更に木の水桶を求めて、鋭い斧を持って森に行く男と同じです。彼がいろんな木を斧で叩くと、芯材のある固い木は当然重い音がし、内部が腐って水が沁みている木は、斧で叩くと音が大きく響くので、その種の内部が腐った木の根元を切り、先端を切り落とし、内部をきれいに抉り出せば、それで水桶として使うことができます。

 比丘のみなさん。同じようにこの場合の出家は、すべての比丘が彼の破戒を見ていない間は、他のすべての比丘と同じように歩き、戻り、見、振り向き、腕を曲げ脚を曲げ、手を伸ばし足を伸ばし、サンガーティ(外衣)をまとって鉢も持ち、チーヴァラを着ます。

 しかしすべての比丘が彼の破戒罪を見た後は、すべての人は「これは危険なサマナ。空籾サマナ。ゴミのサマナ」と見ます。みんながこのように知ると、彼は自らの意志で群れから離れます。どうしてでしょうか。それは、すべての人が、「悪人が他のすべての善い比丘に危害を加えないでほしい」と、このように望むからです。

 一緒にいるので、この人は下賤な願望があり、怒りっぽく、恩知らずで、頑固で、身の程知らずに偉い人と対等に振る舞い、嫉妬心があり、ケチで、自慢好きたと知ることができます。

 人前では、善いサマナが使うような甘い物言いをしますが、人がいない所では、当然悪人のことをします。低劣な考えがあり、規律を大切にせず、嘘を言って騙し、どんなこともします。

 みんなで協力して、彼を追放してしまうべきです。全員で助け合って幽霊米のような人を抜き捨ててしまうべきです。百姓が未熟な籾を捨てるために籾米を空中に投げるように、みんなでサマナでないのに自分はサマナだと自慢する人を、捨ててしまうべきです。

 更に清潔な人でも不潔な人でも人と一緒に暮らす時は、管理するサティがなければなりません。それから団結して、自分の苦を終わらせる智慧があるべきです。





女性に世話をさせるのが好き

パーリ・ブッダバーシタ
増支部サッタカニバータ 23巻56頁47項

 バラモンさん。この世界のサマナあるいはバラモンの中には、自分は正しい修行者と宣言し、彼は女性と性交をしないのは事実ですが、女性に按摩や(薬や薬油の)湿布やマッサージをしてもらうのを喜ぶ人がいます。彼は女性からそのようなことをしてもらうと大喜びします。

 バラモンさん。これが梵行の欠如であり、欠陥であり、汚れであり、シミです。

 バラモンさん。私は「この人は純潔な修行をせず、まだ性交と関わりがあり、当然生・老・死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、そして苦悶から抜け出していないので、苦から脱していないと言われる」と言います。





女性をからかうのが好き

パーリ・ブッダバーシタ
増支部サッタカニバータ 23巻56頁47項

 バラモンさん。もう一つ、この世界のサマナ・バラモン中には、自分は正しい修行者だと宣言し、彼は女性と性交をせず、按摩や塗布やマッサージを喜ばないことは事実ですが、女性をからかって笑いに興じる人がいます。彼は女性とそのような行動をして大喜びします。

 バラモンさん。これが梵行の欠如であり、欠陥であり、汚れであり、シミです。

 バラモンさん。私は「この人は純潔な修行をせず、まだ性交と関わりがあり、当然生・老・死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、そして苦悶から抜け出していないので、苦から脱していないと言われる」と言います。





女性と目を合わせるのが好き

パーリ・ブッダバーシタ
  増支部サッタカニバータ 23巻56頁47項

 バラモンさん。もう一つ、この世界のサマナやバラモンのある人は、自分は正しい修行者だと宣言し、彼は女性と性交をせず、女性から塗ったりさすったりマッサージしたりしてもらうのを喜ばず、女性をからかって笑いに興じるのを喜ばないのは事実ですが、彼は女性と目を合わせるのが好きな人がいます。彼は女性とそのようなことをするのを大喜びします。

 バラモンさん。これが梵行の欠如であり、欠陥であり、汚れであり、シミです。

 バラモンさん。私は「この人は純潔な修行をせず、まだ性交と関わりがあり、当然生・老・死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、そして苦悶から抜け出していないので、苦から脱していないと言われる」と言います。





女性の声を聞くのが好き

パーリ・ブッダバーシタ
増支部サッタカニバータ 23巻56頁47項

 バラモンさん。もう一つ、この世界のサマナ・バラモンのある人は、自分は正しい修行者だと宣言し、彼は女性と性交をせず、女性に塗ったりさすったりマッサージしたりされるのを喜ばず、女性をからかって笑いに興じるのを喜ばず、女性と目を合わせるのも喜ばないことは事実ですが、

彼はまだ女性の声を聞くのが好きで、笑い声でも、話声でも、歌声でも、泣き声でも、壁の外でも、塀の外でも、女性のそのような声を聞くのが好きな人がいます。彼は女性のそのようなことを大喜びします。

 バラモンさん。これが梵行の欠如であり、欠陥であり、汚れであり、シミです。

 バラモンさん。私は「この人は純潔な修行をせず、まだ性交と関わりがあり、当然生・老・死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、そして苦悶から抜け出していないので、苦から脱していないと言われる」と言います。





女性に関わる過去を思い出すのが好き

パーリ・ブッダバーシタ
増支部サッタカニバータ 23巻57頁47項

 バラモンさん。もう一つ、この世界のサマナやバラモンのある人は、自分は正しい修行者だと宣言し、彼は女性と性交をせず、女性から塗ったり按摩したり、塗布したりマッサージしてもらうのを喜ばず、女性をからかって笑いに興じるのを喜ばず、女性と目を合わせるのを喜ばず、女性の声を聞くのを喜ばないのは事実ですが、過去に女性とふざけあい、慰められ、笑ったことを思い出すのが好きな人がいます。彼は女性に関したこのようなことを大喜びします。

 バラモンさん。これは梵行の欠如であり、欠陥であり、汚れであり、シミです。
v  バラモンさん。私は「この人は純潔な修行をせず、まだ性交と関わりがあり、当然生・老・死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、そして苦悶から抜け出していないので、苦から脱していないと言われる」と言います。





他人が愛欲を味わっているのを見るのが好き

パーリ・ブッダバーシタ
増支部サッタカニバータ 23巻57頁47項

 バラモンさん。もう一つ、この世界のサマナやバラモンの中には、自分は正しい修行者だと宣言し、彼は女性と性交をせず、女性から塗ったり按摩したり、塗布したりマッサージしてもらうのを喜ばず、女性をからかって笑いに興じるのを喜ばず、女性と目を合わせるのを喜ばず、女性の声を聞くのを喜ばず、過去に女性とふざけあい、慰められ、笑ったことを思い出すのを喜ばないのは事実ですが、

彼は幸福な長者や長者の息子が五欲で満たされているのを見るだけで、五欲に保養されている人がいます。彼はこのような行動を見て大喜びします。

 バラモンさん。これは梵行の欠如であり、欠陥であり、汚れであり、シミです。

 バラモンさん。私は「この人は純潔な修行をせず、まだ性交と関わりがあり、当然生・老・死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、そして苦悶から抜け出していないので、苦から脱していないと言われる」と言います。





天人になるための梵行

パーリ・ブッダバーシタ
増支部サッタカニバータ 23巻57頁47項

 バラモンさん。もう一つ、この世界のサマナやバラモンのある人は、自分は正しい修行者だと宣言し、彼は女性と性交をせず、女性から塗ったり按摩したり、塗布したりマッサージしてもらうのを喜ばず、女性をからかって笑いに興じるのを喜ばず、女性と目を合わせるのを喜ばず、

女性の声を聞くのを喜ばず、過去に女性とふざけあい、慰められ、笑ったことを思い出すのを喜ばず、幸福な長者や長者の子息が五欲に満たされているのを見て喜ばないのは事実ですが、彼は何らかの種類の天人になる目的で梵行をしています。

 バラモンさん。これが梵行の欠如であり、欠陥であり、汚れであり、シミです。

 バラモンさん。私は「この人は純潔な修行をせず、まだ性交と関わりがあり、当然生・老・死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、そして苦悶から抜け出していないので、苦から脱していないと言われる」と言います。





波で破滅する

パーリ・ブッダバーシタ
増支部サッタカニバータ 21巻165頁122項

 比丘のみなさん。波によって生じる危険はどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の信仰のある人は「私は生と老、死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、悩みに支配され、苦の海に落ちているので目前に苦がある。どうすればこの苦の海の終わりを出現させることができるだろう」と考えるので、家を出て出家し、家に関わりません。「

 出家すると一緒に梵行をする仲間が、当然「あなたは僧になったのだからこのような挙措で前へ歩かなければならない。このような挙措で後ろへ下がらなければならない。このような挙措で見なければならない。このような挙措で振り向かなければならない。このように腕や足を曲げなければならない。このような仕草で手や足を伸ばさなければならない。サンガーティ(外衣)や鉢やチーヴァラはこのような仕草で着たり持ったりしなければならない」とこのように訓戒し、指導します。

 彼は「家にいた頃は、当然私が他人に言い聞かせて教えた。今は自分の子や孫のような年齢の比丘たちが、機会を見つけては私に教え指導する」とこのように回顧します。彼は腹を立て、恨み、学習を止めて在家の低い暮らしに戻ると言います。

 比丘のみなさん。この種の比丘を、波から生じる危険だけを恐れて勉強を止め、在家の低い暮らしに戻る人と言います。比丘のみなさん。波から生じる危険とは怒りによる困窮の代名詞です。比丘のみなさん。これを波から生じる危険と言います。





ワニで破滅する

 パーリ・ブッダバーシタ
増支部サッタカニバータ 21巻165頁122項

 比丘のみなさん。ワニによる危険とは何でしょうか。比丘のみなさん。この場合の信仰のある人は「私は生・老・死・悲しみ・嘆き・体の苦・心の苦・悩みに支配され、苦の海に落ちているので目前に苦がある。どうすればこの苦の海の終わりを出現させることができるだろう」と考えるので、家を出て出家し家に関わりません。

 出家すると、一緒に梵行をする仲間が当然彼に「これは齧るべき。これは齧るべきではない。これは食べるべき。これは食べるべきではない。あなたはふさわしい物だけを齧り、食べ、舐め、飲まなければならない。ふさわしくない物は、齧り、食べ、舐め、飲むべきではない。あなたはふさわしい時間内に齧り、食べ、舐め、飲まなければならない。ふさわしくない時間には齧り、食べ、舐め、飲むべきではない」と訓戒します。

 彼は「私が家にいた時は何を望んでもそれを齧り、食べ、舐め、飲むことができた。この比丘がふさわしい、ふさわしくないと言ったどんな物も、ふさわしい時間も、それ以外にも齧り、食べ、舐め、飲むことができた。あの方は昼間の時間外に、信仰のある長者が献じた高級な食べ物、齧る物を食べるのを禁じる」と回顧します。彼は腹を立て、恨み、梵行を止めて在家の低い暮らしに戻ると言います。

 比丘のみなさん。この種の比丘を、ワニによる危険を恐れて梵行を止めて在家の低い暮らしに戻ると言う人と呼びます。比丘のみなさん。ワニによる危険とは、食べることばかり考えている人の代名詞です。





渦で破滅する

パーリ・ブッダバーシタ
増支部サッタカニバータ 21巻167頁122項

 比丘のみなさん。渦による危険とはどんなでしょうか。比丘のみなさん。この場合の信仰のある人は、家を出て出家し家に関わりません。「私は生・老、死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、悩みに支配され、苦の海に落ちている人なので目前に苦がある。どうすればこの苦の海の終わりを出現させることができるだろう」と考えるからです。

 出家すると朝チーヴァラをまとって鉢を持って村や町へ托鉢に行き、体を維持せず、言葉を維持せず、心を維持せず、サティを据えず、根に注意しません。そこで彼は五欲に満たされた長者や長者の子息が、(部下に)かしずかれているのを見ます。

 彼は「私が家にいた頃は五欲で満たされ人にかしずかれていた。私の一族は財産もある。そして私は財産を消費しながら布施することができる。これではいけない。梵行を止めて在家の低い暮らしに戻ると言い、財産を消費しながら布施をしよう」とこのように回顧します。彼は勉強を止めると言って、在家の低い暮らしに戻ります。

 比丘のみなさん。この種の比丘を、渦による危険を恐れて梵行を止めて在家の低い暮らしに戻る人と言います。比丘のみなさん。渦による危険とは五欲の代名詞です。比丘のみなさん。これが渦から生じる災いです。





凶暴な魚で破滅する人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部サッタカニバータ 21巻168頁122項

 比丘のみなさん。凶暴な魚による危険はどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の信仰のある人は、家を出て出家し家に関わりません。「私は生、老、死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、悩みに支配され、苦の海に落ちている人なので目前に苦がある。どうすればこの苦の海の終わりを出現させることができるだろう」と考えるからです。

 出家すると朝チーヴァラをまとって鉢を持って村や町へ托鉢に行き、体を維持せず、言葉を維持せず、心を維持せず、サティを意識せず、根に注意しません。そこで彼は悪をまとっている女性を見、彼が悪をまとっている女性を見ると、欲情が心を突き刺します。心が欲情に刺されると、彼は梵行を止めると言って、在家の低い暮らしに戻ります。

 比丘のみなさん。この種の比丘を、凶暴な魚の害を恐れて梵行を止めて在家の低い暮らしに戻る人と言います。比丘のみなさん。凶暴な魚とは(庶民である)女性の代名詞です。比丘のみなさん。これが凶暴な魚による害です。





柔らかい先端を芯と見る

パーリ・ブッダバーシタ
中部マハーサーロパ経 12巻362頁347項

 比丘のみなさん。この場合の良家の子息は「私は生、老、死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、悩みに支配され、苦の海に落ちている人なので目前に苦がある。どうすればこの苦の海の終わりを出現させることができるだろう」と考え、家を出て出家して家に関わりません。

 良家の子息がそう考えて信仰で家を出て出家すると、貰い物と称賛を生じさせることができ、彼はその貰い物と生じた称賛を喜び、一通り考えます。彼はその貰い物と生じた称賛によって「私は貰い物と生じた称賛がある。他の比丘は身分が違う」と傲慢になります。

 彼は貰い物と生じた称賛に酔い、溺れて迂闊になり、迂闊なら見苦しい生活になります。

 比丘のみなさん。芯材を求めている男が心材を探し歩き、芯材がある大木まで来て芯材を見落とし、辺材を見落とし、生皮を見落とし、外皮を見落とし、枝の先の柔らかな葉を「芯」だと理解して千切って持って帰ると、目のある人がそれを見て「この人は言っているようには芯材を知らず、内皮を知らず、生皮を知らず、外皮のクズを知らず、枝先の若芽を知らない。

 この人は芯材が欲しくて芯のある木を探し歩き、芯のある大木に至っても、芯を見落とし、辺材を見落とし、生皮を見落とし、外皮のデコボコを見落とし、枝先の柔らかい葉を芯材と理解して千切って持って行く。彼が芯材で作らなければならない物は、完成しない」とこのように言います。

 比丘のみなさん。同じように私は「この種の出家は枝先の柔らかな葉を梵行と見なし、貰い物と称賛を生じさせるたけの行動で梵行の終わりに至った」と言います。





乾いた外皮を芯材と迷う

パーリ・ブッダバーシタ
中部マハーサーロパマ経 12巻363頁348項

 比丘のみなさん。この場合信仰のある良家の子息は「私は生、老、そして死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、悩みに支配され、苦の海に落ちている人なので目前に苦がある。どうすればこの苦の海の終わりを出現させることができるだろう」と考えて、家を出て出家し家に関わりません。

 そう考えると、その良家の子息は信仰で出家し、出家すると貰い物と称賛を生じさせることができます。彼は喜んでも、その貰い物と生じた称賛についてめいっぱい考えず、その貰い物と生じた称賛で傲慢にならず、酔わず、溺れず、その貰い物と生じた称賛で不注意になりません。

 不注意でなければ、彼は戒による到達を生じさせることができ、喜んで、戒による到達について一通り考えます。彼は戒による到達ゆえに「私は戒があり善いダンマがある。他の比丘は破戒で、下賤な生活をしている」と、このように自慢します。彼はその戒による到達に酔い、溺れ、不注意になれば、彼は見苦しい生活になります。

 比丘のみなさん。芯材を求める男が芯材を探し歩き、芯のある大木に至りながら、芯を見落とし、辺材を見落とし、生皮を見落とし、外皮のデコボコを「芯」と理解して削って持って行きます。目のある人がそれを見ると「この人は、本当には芯を知らず、辺材を知らず、生皮を知らず、外皮のデコボコを知らず、

枝先の若芽を知らない。この人は芯材が欲しいと言ったように芯材のある木を探し歩き、芯材のある大木に至っても、芯材を見過ごし、辺材を見落とし、生皮を見落とし、外皮のデコボコを芯材と理解して削って持って行く。彼が芯材で作らなければならない物は完成しない」とこのように言います。

 比丘のみなさん。同じように、私はこの種の出家を「外皮のデコボコに当たる梵行をし、戒を完璧にする努力だけで梵行の終りに至った」と言います。





生皮を芯と迷う

パーリ・ブッダバーシタ
中部マハーサーロパマ経 12巻365頁349項

 比丘のみなさん。この場合の信仰心のある良家の子息は「私は生、老そして死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、悩みに支配され、苦の海に落ちている人なので、目前に苦がある。どうすれば、この苦の海の終わりを出現させることができるだろう」と考え、家を出て出家し、家に関わりません。

 そう考えた時、その良家の子息は信仰で出家し、出家すると貰い物と称賛を生じさせることができます。彼は喜んでその貰い物と生じた称賛について目いっぱい考えず、その貰い物と生じた称賛ゆえに傲慢にならず、酔わず、溺れず、その貰い物と生じた称賛のせいで不注意になりません。

 不注意でなければ、彼は戒の到達を生じさせることができ、彼はその戒による到達を喜んでも、戒による到達について目いっぱい考えず、戒による到達で傲慢になりません。戒による到達に酔わず、溺れず、不注意になりません。

 不注意でなければサマーディによる到達を生じさせることができ、彼は「私は安定した心がある。他の比丘たちは散漫で安定していない」とこのように自慢します。彼はそのサマーディによる到達に酔い、溺れて、不注意になれば彼は見苦しい生活になります。

 比丘のみなさん。芯材を求めている男が芯材を探し歩き、芯のある大木に至りながら、芯を見落とし、芯材を見落とし、辺材を見落とし、外皮のデコボコを見落とし、生皮だけを削ぎ取って「芯材」だと理解して持って行くと、目の良い人がそれを見て

「この人は、芯材が欲しいと言ったように本当には、芯材を知らず、辺材を知らず、生皮を知らず、外皮のデコボコを知らず、枝先の若芽を知らない。この人は芯材が欲しくて芯材のある木を探し歩き、芯材のある大木に至っても、芯を見過ごし、辺材を見落とし、生皮を芯材と理解して生皮だけを剥ぎ取って持って行く。彼が芯材で作らなければならない物は完成しない」とこのように言います。

 比丘のみなさん。同じように私はこの種の出家を「生皮に当たる梵行を行い、サマーディの完璧だけで、彼は梵行の終わりに至った」と言います。





辺材を芯と迷う

パーリ・ブッダバーシタ
中部マハーサーロパマ経 12巻368頁350項

 比丘のみなさん。この場合の良家の子息は「私は生、老、そして死、悲しみ、嘆き、体の苦、心の苦、悩みに支配され、苦の海に落ちている人なので、目前に苦がある。どうすれば、この苦の海の終わりを出現させることができるだろう」と考え、家を出て出家し家に関わりません。

 そう考えた時、その良家の子息は信仰心で出家をし、出家すれば貰い物と称賛を生じさせることができます。彼は喜んでその貰い物と生じた称賛について目いっぱい考えず、その貰い物と生じた称賛で傲慢にならず、酔わず、溺れず、その貰い物と生じた称賛が原因で不注意になりません。

 不注意でなければ、彼は戒による到達を生じさせることができますが、彼はその戒による到達を喜び、戒による到達について目いっぱい考えません。彼は戒による到達で傲慢になりません。戒による到達によって彼は酔わず、溺れず、不注意になりません。

 不注意でなければ、サマーディによる到達を生じさせることができます。彼はそのサマーディによる到達を喜びますが、サマーディで到達したことを一通り考えません。彼はそのサマーディによる完成で傲慢にならず、酔わず、溺れず、不注意になりません。

 不注意でなければ、彼は智見、ダンマで見る智慧を生じさせることができます。彼は喜び、その智見を目いっぱい考え、「私は知る人、見える人で、他の比丘は知らず、見えない」とこのように自慢します。彼は酔い、溺れ、その智見で不注意になり、不注意になれば、彼は見苦しい生活になります。

 比丘のみなさん。芯材を求めている男が芯材を探し歩き、芯のある大木に至って芯を見過ごし、辺材を芯材と理解して辺材を削いで持って行く人のように、芯を見落とし、辺材を芯材と理解して、辺材だけを持って行きます。目のある人がそれを見ると、

「この人は、芯材が欲しいと言ったようには芯材を知らず、辺材を知らず、生皮を知らず、外皮のデコボコを知らず、枝先の若芽を知らない。この発展した人は芯材が欲しくて芯材のある木を探し歩き、芯材のある大木に至っても、芯材を見過ごし、辺材を芯材と理解して辺材だけを剥ぎ取って持って行く。彼が芯材で作らなければならない物は完成しない」とこのように言います。

 比丘のみなさん。同じように、私はこの種の出家を、「辺材に当たる梵行をして、智見を生じさせただけで、彼は梵行の終わりに至った」と言います。





五蘊の「秘密」を知らない

パーリ・ブッダバーシタ
相応部カンダワーラヴァッカ 17巻62頁101項

 ソーナさん。当然形・受・想・行の状態を知らず、生じる原因を知らず、消滅を知らず、消滅させる実践法を知らず、当然識の状態を知らず、識が生じる原因を知らず、識の消滅を知らず、識を消滅させる実践法を知らないサマナあるいはバラモンの誰でも、ソーナさん。

 そのサマナあるいはバラモンがすべてのサマナの中のサマナと仮定されても、すべてのバラモンの中のバラモンと仮定されても、サマナでもバラモンでもありません。素晴らしい智慧で、生きている間に到達したサマナの利益、あるいはバラモンの利益を明らかにし、その感覚の中にいることはできません。





取蘊の秘密を知らない

パーリ・ブッダバーシタ 
相応部カンダワーラヴァッカ 17巻195頁293項

 比丘のみなさん。五取蘊とは形である取蘊、受である取蘊、想である取蘊、行である取蘊、識である取蘊です。

 比丘のみなさん。この五取蘊の旨味を知らず、害を知らず、それらから脱す方便を知らないサマナあるいはバラモンの誰でも、比丘のみなさん。

 そのサマナ・バラモンがすべてのサマナの中のサマナと仮定されても、すべてのバラモンの中のバラモンと仮定されても、サマナでもバラモンでもありません。生きている間にサマナの利益、あるいはバラモンの利益を、素晴らしい智慧で明らかにし、その感覚の中にいることはできません。





四大種の秘密を知らない

パーリ・ブッダバーシタ 
相応部カンダワーラヴァッカ 16巻209頁416項

 比丘のみなさん。これらの四大種とは、土(界)、水(界)、火(界)、風(界)です。みなさん。これらの四大種の旨味を知らず、害を知らず、脱す方便を真実のままに知らないサマナやバラモンは誰でも、比丘のみなさん。

 そのサマナやバラモンがすべてのサマナの中のサマナと仮定されても、すべてのバラモンの中のバラモンと仮定されても、サマナでもバラモンでもありません。この生で到達したサマナの利益、あるいはバラモンの利益を、素晴らしい智慧で明らかにし、その感覚の中にいることはできません。





六根の秘密を知らない

パーリ・ブッダバーシタ
相応部カンダワーラヴァッカ 19巻273頁909項

 比丘のみなさん。六根の根とは目根、耳根、鼻根、舌根、身根、心根です。

 みなさん。これらの六根の発生を知らず、消滅を知らず、旨味を知らず、害を知らず、そして脱す方便を真実のままに知らないサマナ・バラモンは誰でも、すべてのサマナの中のサマナと仮定されても、すべてのバラモンの中のバラモンと仮定されても、サマナでもバラモンでもありません。生きている間に到達したサマナの利益、あるいはバラモンの利益を、素晴らしい智慧で明らかにし、その感覚の中にいることはできません。





五根の秘密を知らない

パーリ・ブッダバーシタ
相応部カンダワーラヴァッカ 19巻257頁848項

 比丘のみなさん。五根とは信仰である根、精進である根、サティである根、サマーディである根、智慧である根です。

 比丘のみなさん。これらの五根の発生を知らず、消滅を知らず、旨味を知らず、害を知らず、そして脱す方便を真実のままに知らないサマナ、あるいはバラモンは誰でも、比丘のみなさん。

 そのサマナ、あるいはバラモンはすべてのサマナの中のサマナと仮定されても、あるいはすべてのバラモンの中のバラモンと仮定されても、サマナでもバラモンでもありません。現生で到達したサマナの利益、あるいはバラモンの利益を明らかにし、そしてその感覚の中にいることはできません。





縁起を知らなければサマナではない

パーリ・ブッダバーシタ
相応部ニダーナヴァッカ 16巻17頁38項

 比丘のみなさん。老死を知らず、老死が生じる原因を知らず、老死の消滅を知らず、老死を消滅させる実践を知らず、

 生を知らず、生が生じる原因を知らず、生の完全な消滅を知らず、生を完璧に消滅させる実践項目を知らず、

 有を知らず、有が生じる原因を知らず、有の完全な消滅を知らず、有を完璧に消滅させる実践項目を知らず、

 取を知らず、取が生じる原因を知らず、取の完全な消滅を知らず、取を完璧に消滅させる実践項目を知らず、

 欲を知らず、欲が生じる原因を知らず、欲の完全な消滅を知らず、欲を完璧に消滅させる実践項目を知らず、

 受を知らず、受が生じる原因を知らず、受の完全な消滅を知らず、受を完璧に消滅させる実践項目を知らず、

 触を知らず、触が生じる原因を知らず、触の完全な消滅を知らず、触を完璧に消滅させる実践項目を知らず、

 六処を知らず、六処が生じる原因を知らず、六処の完全な消滅を知らず、六処を完璧に消滅させる実践項目を知らず、

 名形を知らず、名形が生じる原因を知らず、名形の完全な消滅を知らず、名形を完璧に消滅させる実践項目を知らず、

 識を知らず、識を生じさせる原因を知らず、識の完全な消滅を知らず、識を完璧に消滅させる実践項目を知らず、

 行を知らず、行を生じさせる原因を知らず、行の完全な消滅を知らず、行を完璧に消滅させる実践項目を知らないサマナまたはバラモンは誰でも、

 比丘のみなさん。これらのサマナあるいはバラモンは誰でも、すべてのサマナの中のサマナと仮定されても、すべてのバラモンの中のバラモンと仮定されても、サマナでもバラモンでもなく、智慧によって現生で到達したサマナの利益、あるいはバラモンの利益を明らかにし、常にその感覚の中にいることができません。

 



四聖諦を知らなければサマナではない

 パーリ・ブッダバーシタ
相応部マハーワーラヴァッカ 19巻542頁1700項

 比丘のみなさん。苦はこのようと真実のままに知らず、苦を生じさせる原因はこのようと真実のままに知らず、苦の消滅はこのようと真実のままに知らず、苦の完璧な消滅に到達する実践項目はこのようと、真実のままに知らないサマナやバラモンは誰でも、

 比丘のみなさん。そのサマナまたはバラモンは、すべてのサマナの中のサマナと仮定されても、すべてのバラモンの中のバラモンと仮定されても、サマナでもバラモンでもなく、そして智慧によって現生で到達したサマナの利益、あるいはバラモンの利益を明らかにし、常にその感覚の中にいることができません。






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