ブッダヴァチャナの宝石箱

第六章 ダンマに関したガサツさについて




財宝を指差す人


 アーナンダ。

 私は、土鍋屋がまだ(成形したばかりの)濡れている柔らかい土鍋を扱うように、

 あなたたちを大事にする努力はしません。

 アーナンダ、私は休まず叱ります。

 アーナンダ、私は休まず咎めます。

 本質である道果がある人は耐えられます。

(中部ウパリパンナーサ マハースンニャタースッタ14巻245頁356項)



 私たちは、常に叱ってくれ、

 常に罰を与えてくれる智慧のある人は誰でも、

 「その人は宝を指さす人だ。こういう知識者とつき合うべきだ。

 このような知識者とつき合えば良いことばかりで、悪いことは何もない」

 と見なければなりません。

 (小部ダンマパダ バンディタヴァッガ 24巻25頁16項)





 
オウムと九官鳥

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 三蔵22巻100頁74項

 比丘。この場合の比丘は当然(各種の)ダンマの学習、つまり経、応頌、授記、ガーター、自説、如是語、本生経、未曾有法、方広(毘陀羅)を勉強しますが、彼はそのダンマの最高に深い意味を智慧で知りません。その比丘を私は、学習が多い人(学生)で、まだダンマ精舎で暮らす人ではないと言います。

 もう一つ、他人から聞いて勉強したダンマを詳しく説きますが、そのダンマの最高に深い意味を智慧で知りません。この比丘を私は、規定が多い人(著者)で、まだダンマ精舎で暮らす人ではないと言います。

 もう一つ、聞いて勉強したように詳細に唱えますが、そのダンマの最高に深い意味を智慧によって知りません。その比丘を私は、唱える(読経家)ことが多い人で、まだダンマ精舎で暮らす人ではないと言います。

 もう一つ、聞いて勉強したようにダンマの考えが湧き上がっていますが、そのダンマの最高に深い意味を智慧で知りません。その比丘を私は、考えることが多い人(思索家)で、まだダンマ精舎で暮らす人ではないと言います。





風の袋

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻98頁73項

 比丘。この場合の比丘は当然(各種の)ダンマ、つまり経、応頌、授記、偈、自説、如是語、本生経、未曾有法、方広(毘陀羅)を勉強し、一日中そのダンマの勉強に時間を浪費し、隠遁生活を放り投げなければならず、心の内面を静めるダンマがありません。この比丘を私は、学習が多い人(学生)で、ダンマ精舎で暮らす人ではないと言います。

 もう一つ、比丘は他人から聞いて学んだダンマを詳細に説きますが、一日中そのダンマを規定するために時間を浪費し、隠遁生活を放り投げなければならず、心の内面を静めるダンマがありません。この比丘を私は、規定が多い人(著者)で、まだダンマ精舎で暮らす人ではないと言います。

 もう一つ、聞いて勉強したとおりに詳細にダンマを唱える比丘はそのダンマを唱えることに一日中時間を浪費するので、隠遁生活を放り投げなければならず、心の内面を鎮めるダンマがありません。その比丘を私は、唱えることが多い人(読経家)で、まだダンマ精舎で暮らす人ではないと言います。

 もう一つ、比丘は聞いて勉強したとおりにダンマを興奮して考え、一日中ダンマを考えて時間を浪費するので、隠遁生活を放り投げなければならず、心の内面を静めるダンマがありません。その比丘を私は、考えることが多い人(思索家)で、まだダンマ精舎で暮らす人ではないと言います。





毒ヘビである学習

パーリ・ブッダバーシタ
中部ムーラパンナーサカ 16巻267頁278項
祇園精舎にて

 比丘のみなさん。この場合の無益な人たちは(各種の)ダンマ、つまり、経、応頌、授記、偈、自説、如是語、本生経、未曾有法、方広(毘陀羅)の学習をします。その無益な人たちがそのダンマを勉強すると、そのダンマの内容を智慧で注意深く熟慮しません。

 智慧で慎重に熟慮しなければ、それらのダンマは当然その無益な人の証明に堪えず(その人や、一緒にいる人の罪や誤りに注目するという意味)、その無益な人たちは(ダンマ、あるいはいずれかの教義の)欠点に注目してダンマを勉強し、何らかの教義を攻撃する道具にすれば功徳になると考えます。

 すべての智者がどんな利益のためにダンマを勉強しても、その無益な人たちは、ダンマのその利益を受け取りません。だからその無益な人たちはそれらのダンマを良く掴むことができないので、援ける利益のためにならず、永遠にそれらの人にとって苦のためになります。それはなぜでしょうか。それはその無益な人たちがすべてのダンマを良く掴まないからです。

 比丘のみなさん。ヘビを捕まえたくてヘビを探して歩いている人が大きなヘビを見つけると、近づいて体や尾を掴むので、毒ヘビはその人の手か腕か、体のどこかの部分に噛みつき、その人はその毒ヘビに噛まれたことが原因で死ぬか、死ぬほどの苦を受け取ります。それはなぜでしょうか。その人のヘビの掴み方が正しくないからです。

 比丘のみなさん。この場合の無益な人たちも同じで、彼は当然(各種の)ダンマ、つまり、経、応頌、授記、偈、自説、如是語、本生経、未曾有法、方広(毘陀羅)を勉強し、その無益な人たちがそのダンマを勉強すると、そのダンマの要旨を、智慧で注意深く熟慮せず、智慧で慎重に熟慮しなければそれらのダンマは当然その無益な人の検証に堪えません。

 それらの無益な人は(ダンマ、あるいはいずれかの教義の)欠点に注目してダンマを勉強し、そして何らかの教義を攻撃する道具にすれば功徳になると考えます。すべての智者がどんな利益ためにダンマを勉強しても、それらの無益な人たちは、ダンマのその利益を受け取りません。

 だからその無益な人たちはそれらのダンマを良く掴むことができず、支援する利益のためにならず、永遠にその人たちの苦のためになります。それはなぜでしょうか。それはその無益な人たちがすべてのダンマを良く掴まないからです。





アビダンマを語るべきでない人

パーリ・ブッダバーシタ
 増支部パンチャカニバータ 22巻122頁79項

 比丘のみなさん。遠い将来、体の訓練を受けず、戒の訓練を受けず、心の訓練を受けず、智慧の教育を受けない比丘がたくさんいます。彼らはそのような時、アビダンマあるいは方広(毘陀羅)について話し、気づかないうちに邪見の系統に落ちてしまいます。比丘のみなさん。このように汚れたダンマで律が汚れ、汚れた律でダンマが汚れます。

 これが、今はまだ生じていないけれど、後で生じる未来の災いです。みなさん、心に留めておくべきです。心に留めたらその危険を排除する努力をしなければなりません。




消える本物

パーリ・ブッダバーシタ 
相応部ニダーナヴァッガ 16巻211頁67項
祇園精舎にて

 比丘のみなさん。これは以前にあった話です。ダサーラハの武士たちにアーナカという陣太鼓がありました。このアーナカ太鼓が疵ついて割れたり少し欠けたりすると、ダサーラハの武士たちは(その都度)別の木材をその割れ目に嵌め込みました。比丘のみなさん。何度も何度もそのように繰り返したある時、太鼓は元の木がなくなって、後から足した物ばかりになりました。

 比丘のみなさん。同じように遠い将来、空についてだけ話しているロークッタラの意味のある話、如行(ブッダの一人称。漢訳では如来)の言葉であるスッタンタ(深遠な部分である経)のどれでも、それらのスッタンタを話す人がいると、良く聞かず、耳をよく掃除して聞かず、すべてを知ろうと決意せず、そして自分が勉強するべきものと理解しない多数の比丘がいます。

 一方華麗な言葉と響きの良い韻で、いろんな形式の詩に綴る人がいるスッタンタのどれでも、系統が違いであり、弟子の言葉であるそれらの詩人が綴った経について話す人がいると、彼らは良く聞き、耳を掃除して聞き、すべてを知ろうと心して聞き、そして自分が勉強すべきことと重視します。

 比丘のみなさん。これらのロークッタラの深い意味があり、深い内容の如行の言葉であるスッタンタの消滅は、このような状態で生じます。





宗教を衰退させる人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部チャドゥカニバータ 21巻197頁160項

 比丘のみなさん。正法を汚して消滅させるこれら四つの原因は何でしょうか。四つとは、

 比丘のみなさん。子音節の使い方を間違え、間違って信じられてきた経を勉強する比丘たちが、句や子音節の使い方を間違えれば意味は別のものになります。比丘のみなさん。これが正法を汚して消滅させる一番目の原因です。

 比丘のみなさん。もう一つ、言うことを聞かない比丘たちには言うことを聞かなくする原因があり、忍耐がなく、深い敬意をもって指導を受けようとしません。比丘のみなさん。これが正法を汚して消滅させる二番目の場合の原因です。

 比丘のみなさん。もう一つ、博学でブッダヴァチャナ(ブッダの言葉)に精通し、ダンマを維持し、律を維持し、題目を維持している比丘たちは誰でも、他人にたくさんの経を教えることに関心がないので、それらの人が亡くなると、たくさんの経は根源である人(アーチャン)を失い、伝承の拠り所がありません。比丘のみなさん。これが正法を汚して消滅させる三番目の場合の原因です。

 比丘のみなさん。もう一つ、長老レベルの比丘は八物(比丘が私有を許されている生活必需品)を集め、三学の行動が衰え、蓋の威力で心が低くなり、ヴィヴェカ(訳注:群れから離れて住むこと。遠離)の仕事に関心がなく、まだ到達していないものに到達するため、まだ達成していないことを達成するため、まだ明らかにしていないものを明らかにするための努力に関心がありません。

 後に出家した人がそれらの長老である比丘を見ると、それを手本にするので、彼らも八物などを集める人になり、三学の行動が衰え、蓋の威力で低い心になり、ヴィヴェカ(遠離)の勤めに関心がなく、まだ到達していないものに到達するため、まだ達成していないことを達成するため、まだ明らかにしていないものを明らかにするために努力することに関心がありません。比丘のみなさん。これが正法を汚して消滅させる四番目の原因です。

 比丘のみなさん。これら四つ原因が、正法を汚して消滅させます。





牛を飼うべきでない人

パーリ・ブッダバーシタ
中部マハーゴーパーラ経 12巻410頁384項
祇園精舎にて

 比丘のみなさん。十一種の欠点のある牛飼いは牛を飼うべきでなく、牛の群れを発展させることはできません。十一種の欠点は何でしょうか。

 十一種とは、この場合の牛飼いは牛の体を知らず、牛の状態に賢くなく、ハエの卵をほじり出さず、傷を塞がず、煙でいぶさず、牛を導く仕草を知らず、牛が飲むべき水を知らず、牛が歩くべき道を知らず、行くべき場所に関して賢くなく、残さず牛の乳を搾ってしまい、群れのリーダーである雄牛に気を配って名誉を与えない人です。

 比丘のみなさん。このような十一種の欠点のある牛飼いは、牛を飼うにふさわしくなく、そして群れを発展させることができません。

 比丘のみなさん。同じように、十一種がある比丘は、このダンマヴィナヤ(教えと戒律。仏教という意味)の中で繁栄するべくもありません。十一種の欠点は何でしょうか。

 この場合の比丘は形を知らず、状態に賢くなく、ハエの卵をほじり出さず、傷を塞がず、煙で燻さず、行くべき場所を知らず、飲むべき水を知らず、歩く道を知らず、行くべき場所に賢くなく、牛乳を残らず搾ってしまい、長老や出家して長い人、サンガの父である人、サンガの指導者を特に崇拝することで、すべての比丘を崇拝しない人です。

形を知らない族


 比丘のみなさん。形を知らない比丘はどのようでしょうか。みなさん。この場合の比丘は当然「どんな種類の形もすべて形と言う。つまり四大種と形取、つまり四大種が依存する形」と、このように真実のままに知りません。比丘のみなさん。比丘はこのように形を知らない人です。

状態に賢くない族

 比丘のみなさん。状態に賢くない比丘はどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の比丘は当然「愚かな人は商標である悪業があり、智者は商標である善業がある」と、真実のままに知りません。比丘のみなさん。比丘はこのように状態に賢くない人です。

ハエの卵を穿らない族

 比丘のみなさん。ハエの卵を穿らない比丘はどのようでしょうか。みなさん。この場合の比丘は生じている愛欲について熟慮せず、害意について熟慮せず、他人を困らせることについて熟慮せず、忍耐がなく、生じたすべての悪や低劣なものを捨てて減らさず、終わらせず、絶滅させません。比丘のみなさん。比丘はこのようにハエの卵を穿らない人です。

傷を塞がない族

 比丘のみなさん。傷を塞がない人たちはどのようでしょうか。みなさん。この場合の比丘は、目で形を見、耳で声を聞き、鼻で臭いを嗅ぎ、舌で味を味わい、体で接触し、心で感情(心が感じている概念)を知ると、全体を捉える形でも部分に分けた形でも執着する心があります。

 悪で低劣なもの、つまり貪欲と憂いはいずれかの根に細心の注意をしないことが原因で、目・耳・鼻・舌・体・心に注意をしない人に流れていきます。彼はそれらの根を塞ぐ行動をせず、目・耳・鼻・舌・体・心に細心の注意を払って維持しません。比丘のみなさん。比丘はこのように傷を塞がない人です。

煙で燻さない族

 比丘のみなさん。煙で燻さない比丘はどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の比丘は、他人から聞いて学んだように詳しくダンマを説きません。みなさん。比丘はこのように煙で燻さない(薫陶しない)人です。

行くべき場所を知らない族

 比丘のみなさん。行くべき場所を知らない比丘はどのようでしょうか。みなさん。この場合の比丘はブッダヴァチャナ(ブッダの言葉)に精通し、ダンマを維持し、律を維持し、題目を維持する博学な比丘に会っても、ふさわしい時「先輩、このブッダヴァチャナはどのようですか。このブッダヴァチャナの意味はどうですか」と質問攻めにしません。

 だからその博学の人は、まだ秘された内容を明らかにせず、深い内容を浅くせず、そしてその比丘にとっていろんな疑問の基礎であるすべてのダンマの疑問を減らしません。比丘のみなさん。比丘はこのように行くべき場所を知らない人です。

飲むべき水を知らない族

 比丘のみなさん。飲むべき水を知らない比丘はどのようでしょうか。みなさん。この場合の比丘は、如行が公開したダンマヴィナヤ(教えと律)を誰かが説いても、彼はダンマの知識を得ず、深い意味を得ず、ダンマに依存する喜びを得ません。比丘のみなさん。比丘はこのように飲む水を知らない人です。

歩く道を知らない族

 比丘のみなさん。歩く道を知らない比丘はどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の比丘は当然八正道を真実のままに明らかに知りません。比丘のみなさん。比丘はこのように歩く道を知らない人です。

行くべき場所に賢くない族

 比丘のみなさん。行くべき場所に賢くない比丘はどのようでしょうか。みなさん。この場合の比丘は当然四念処の真実を明らかに知りません。比丘のみなさん。比丘はこのように行くべき場所について賢くない人です。

牛乳を残らず搾ってしまう族

 比丘のみなさん。牛乳を残らず搾ってしまう比丘はどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。信仰のある長者たちは、当然この宗教の比丘に対して、チーヴァラ(衣)や食べ物、住まい、医薬品八物に何でも喜んで出費する気持ちがあります。彼らがこのように何でも喜んで出費するのに、比丘はチーヴァラなどの四依(衣食住薬)を受ける程度を知らない人です。比丘のみなさん。比丘はこのように牛乳を残らず搾ってしまう人です。

老人を敬わない族
 比丘のみなさん。長老レベルのすべての比丘を、特別に非常に敬わない比丘はどのようでしょうか。

 みなさん。この場合の比丘は、出家して歳月が長いサンガの父である長老レベルのすべての比丘に対して、影日向なく慈しみのある身業、口業、意業を維持していません。比丘のみなさん。比丘はこのように長老のレベルのすべての比丘を特別に敬わない人です。

 比丘のみなさん。この十一の欠点がある比丘は、このダンマヴィナヤの中で繁栄しません。





習慣に反した人

パーリ・ブッダバーシタ
相応部マハーワーラヴァッガ 19巻196頁689項

 比丘のみなさん。一羽のタカが舞い降りて、一瞬にしてイワミセキレイを捕まえました。タカに運ばれていたセキレイが「おいらは徳がある人の状態じゃない。おいらは徳が少ないから、遊びに行くべきでない領域に遊びに行った。もし今日親父の領域に行っていれば、このタカに捕まることはなかったのに」と独り言を言いました。

 「おいセキレイ、お前が親父の領域というのはどこだ」とタカがと聞くと、イワミセキレイは「耕した人が捨てた土塊のある所さ。そこがおいらの親父の領域だよ」と答えました。

 その時自分の能力を自慢して傲慢になっていたタカは、「行くが良い!セキレイ。お前がそこへ行っても、俺様から逃げられるがずはない」と言ってセキレイを放しました。セキレイは耕した人が捨てた土塊の山のある場所へ行き、大きな土塊の上に立って、「ここだよ来てみろ。ここだ来てみろ」とタカに挑みました。

 自分の能力を自慢して威張っていたタカは、翼を広げて素早くセキレイのいる場所に舞い降りました。比丘のみなさん。そのセキレイは「大タカが自分を捕まえに来る」と気づく前に土のへこみへ逃げました。比丘のみなさん。その時タカは胸を土にぶつけて即死しました。速度が速かったからです。比丘のみなさん。自分が遊ぶべきでない領域へ遊びに行く人は、当然このように偶発的な事故に遭遇します。

 だからこのことはみなさん、自分が遊びに行くべきでない領域に遊びに行ってはいけません。みなさんが、自分が遊びに行くべきでない領域へ行けば、悪魔は攻撃する隙があり、悪魔はみなさんを自由にする機会があります。

 比丘が遊びに行くべきでない地域とは何でしょう。それは五欲です。五つは何でしょう。五つとは、非常に望ましく愛らしく、喜ばしく、魅惑して愛させる物であり、欲情の住処であり、欲情の基盤である目で見る形、耳で聞く声、鼻で嗅ぐ臭い、舌で味わう味、体で触れる触です。比丘のみなさん。これが比丘は遊びに行くべきでない領域です。





当てにならない人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部アッダカニバータ 23巻343頁183項

 比丘のみなさん。この八つの原因は、まだ涅槃に到達するための実践の仕事が終わっていない比丘にとって、当然衰退になります。八つの原因は何でしょうか。

(1)普請(建築工事)で働くことに満足する人

(2)お喋りに満足する人

(3)寝ることに満足する人

(4)集団で交際するのが好きな人

(5)根の門を管理しない人

(6)食べる適度を知らない人

(7)身体面の快適で楽しい触を生じさせる行動に満足する人

(8)仕事を一貫性なく拡大して遅らせることに満足する人

 比丘のみなさん。この八つの原因は、まだ涅槃に到達するための実践の仕事が終わっていない比丘にとって、当然衰退になります。





唄を歌う比丘

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻279頁209項

 比丘のみなさん。声を長く伸ばしてダンマを説く比丘の害は、これらの五種類あります。五種類とは何でしょう。五種類とは、

(1)自分自身もその声を喜びを意識し、

(2)他人もその声を喜び、

(3)長者たちも揃って「サーキヤプッタサマナ(シャキャ族の子の弟子であるサマナ)も、我々と同じように唄を歌う」とその罪を許し、

(4)その比丘がその声の流れに陶酔すれば、サマーディは崩壊し、

(5)後の世代の人が前例にします。

 比丘のみなさん。長く伸ばした歌声でダンマを説く比丘の害は、このような五種類あります。





夢中になって賢さを自慢する人

パーリ・ブッダバーシタ
相応部ニダーナヴァッガ 16巻240頁283項

 「カッサバさん。あなたが比丘に教え、比丘に解説のあるダンマを説きなさい。カッサバさん。私かあなたのどちらかが比丘に教えなければなりません。私かあなたのどちらかが比丘に解説のあるダンマを説かなければなりません」。

 「猊下。今の比丘はみな言うことを聞きません。それに言うことを聞かなくさせる原因があり、忍耐がなく、敬意を持って指導を受け入れません。猊下。このことは、私はプラアーナンダと一緒に住んでいるパンダという比丘と、プラアヌルッダと一緒に住んでいるアービチャジカという比丘が、

「来なさい比丘。そうすれば誰がたくさん話せるか、誰が美しく話せるか、誰が長く話せるか分かる」とこのように知識に関して挑戦しているのを見ました」とプラカッサバが申し上げました。

 そこで世尊は二人の比丘を呼ぶようお命じになり、二人の比丘に問い質すと、二人の比丘が本当にそのように挑戦したと答えました。

 「比丘のみなさん。二人は当然私が説いたダンマを、私が『来なさい比丘。そうすれば誰がたくさん話せるか、誰が美しく話せるか、誰が長く話せるか分かる』とこのように説いたと理解していますか」。

 二人の比丘は「そうではありません」と答えました。

 「比丘のみなさん。二人は、私がそのように説明しなかったと理解しているなら、何ですか。無益な人二人は、私が良く説いたダンマヴィナヤで出家しながら、どう知り、どう見て、『来なさい、比丘。そうすれば誰がたくさん話せるか、誰が美しく話せるか、誰が長く話せるか分かる』とこのように、挑戦したのですか」。

 二人の比丘は反省して世尊にお任せし、「スガタ様。行き過ぎた私たちの行き過ぎです。粗暴で愚かで賢くない性分のせいで行き過ぎました。私たち二人は、世尊が良く話されたダンマヴィナヤで出家しながら、

『来なさい、比丘。そうすれば誰がたくさん話せるか、誰が美しく話せるか、誰が長く話せるか分かる』と、このように知識のことで挑戦しました。世尊、これから注意できるよう、私たち二人の行き過ぎた罪としてお許しください」とこのように許しを乞いました。

 「比丘のみなさん。確かにみなさんは粗暴な性分、愚かな性分、賢くない性分でした罪があります。みなさんは、良く説いておいた私のダンマヴィナヤで出家しながら、反対に知識の問題で『来なさい、比丘。そうすれば誰がたくさん話せるか、誰が美しく話せるか、誰が長く話せるか分かる』と挑戦しました。

 比丘のみなさん。みなさんは罪を罪と見、そしてこのように正しい規律に戻しました。私はみなさんの罪を許します。比丘のみなさん。罪を罪と見、規律で正しく戻して、今後注意する人は、それは当然聖人の律での発展です」。





ルアンター

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻190頁59項

 比丘のみなさん。この五つがあるルアンター(祖父くらいの年齢の僧。高齢の僧)は滅多にいません。五つとは何でしょうか。五種つとは、

 四聖諦を知る繊細な智慧のあるルアンターは珍しく

 規律正しいルアンターは珍しく

 よく聞いてたくさん記憶するルアンターは珍しく

 説教者であるルアンターは珍しく

 律で厳格に実践するルアンターは珍しいです。


(また別の経では)

 比丘のみなさん。言うことを聞く従順なルアンターは珍しく

 提言を受け入れてよく実践するルアンターは珍しく、

 敬意をもって忠告を聞くルアンターは珍しく、

 説教者であるルアンターは珍しく、

 律で厳格に実践するルアンターは珍しいです。

 比丘のみなさん。これらの五つがあるルアンターは滅多にいません。





殺される僧

パーリ・ブッダバーシタ 
増支部チャドゥカニバータ 21巻151頁111項

 ケーシーさん。私はあなたが馬の訓練をするのと同じように、穏やかな方法で躾けることも、厳しい方法ですることも、二つの方法を併せることもあります。

 「猊下。もしその人がその三つの方法のどれも受け入れなかったら、世尊はその人をどうなさいますか」。

 ケーシーさん。もしその人が穏やかな方法の訓練も、厳しい方法の訓練も、そして二つの方法を織り交ぜた訓練も受け入れないなら、あなたと同じように、私もその人を殺してしまいます。

 「殺すのは世尊はにふさわしくないのではありませんか。その人を殺してしまうなどと、どうしてそのようにおっしゃるのですか」。

 本当にケーシーさん、殺すのは如行にふさわしくありません。しかし穏やかな方法でも、激しい方法でも、二つの方法を併せた訓練も受け入れない人は、如行はその人を、その後教え諭すべき人と見なさず、智者である梵行仲間もその人を教えるべき人と見なしません。ね、ケーシーさん。如行がその人を教えるべき人と見なさないことを、智者である梵行仲間が教えるべき人と見なさないことを、聖人のヴィナヤから抹殺すると言います。

 「それなら抹殺と言うに違いありません、猊下」とケーシー氏が言いました。





宗教から脱落した人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部チャドゥカニバータ 21巻2頁2項

 比丘のみなさん。四つの原因がないサマナは、当然このダンマヴィナヤ(法と律)から脱落した人と言います。四つの原因とは何でしょうか。四つの原因とは、

(1)敵から離れる(註)道具である戒がない人をこのダンマヴィナヤから脱落した人と呼び、

(2)敵から離れる道具であるサマーディがない人をこのダンマヴィナヤから脱落した人と呼び、

(3)敵から離れる道具である智慧のない人をこのダンマヴィナヤから脱落した人と呼び、

(4)敵から離れる道具である解脱がない人をこのダンマヴィナヤから脱落した人と呼びます。

 比丘のみなさん。この四つの原因がない人を、このダンマヴィナヤから脱落した人と呼ぶことができます。

註 :直接滅苦を目指す戒という意味で、世俗的な利益や貰い物のための戒ではない。



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