ブッダヴァチャナの宝石箱

第四章 煩悩の威力ですることについて




財宝を指差す人


 アーナンダ。

 私は、土鍋屋がまだ(成形したばかりの)濡れている柔らかい土鍋を扱うように、

 あなたたちを大事にする努力はしません。

 アーナンダ、私は休まず叱ります。

 アーナンダ、私は休まず咎めます。

 本質である道果がある人は耐えられます。

(中部ウパリパンナーサ マハースンニャタースッタ14巻245頁356項)



 私たちは、常に叱ってくれ、

 常に罰を与えてくれる智慧のある人は誰でも、

 「その人は宝を指さす人だ。こういう知識者とつき合うべきだ。

 このような知識者とつき合えば良いことばかりで、悪いことは何もない」

 と見なければなりません。

 (小部ダンマパダ バンディタヴァッガ 24巻25頁16項)







財宝を指す人

 アーナンダ。

 私は、土鍋屋が(成形したばかりの)まだ濡れている柔らかい土鍋を扱うように、

 あなたたちを大事にする努力はしません。

 アーナンダ、私は休まず叱ります。

 アーナンダ、私は休まず咎めます。

 本質である道果がある人は耐えられます。
(中部ウパリパンナーサ マハースンニャタースッタ14巻245頁356項) 







木の枕を当てない人

パーリ・ブッダバーシタ(仏説)
相応部ニダーナヴァッガ 三蔵16巻312頁675項

 比丘のみなさん。今リチャヴィー王族たちは丸太を枕にする油断のない生活をし、弓道の練習に厳しい努力をしています。ヴェーデーヒの子(ピンピサーラ王の子)であるアジャータサットルーというマガタの王が破滅させる隙はなく、それらのリッチャヴィー王族を思いのままにする機会はありません。

 比丘のみなさん。しかし将来リッチャヴィー王族たちは、掌も足の裏も柔らかくなるほど自分たちを優雅な人にし、大きな枕のある柔らかい布団で朝日が昇るまで眠るようになります。その時ヴェデーヒの子であるアジャータサットルーというマガタ国王は、彼らを破滅させる隙があり、たくさんのリッチャヴィー王族を思いのままにする機会があります。

 比丘のみなさん。今、みなさんも丸太を枕にする油断のない生活をし、基礎である努力の段階の煩悩を焼く努力をしているので、罪な心の悪魔が破滅させる隙はなく、これらの比丘を悪魔が思いのままにする機会はありません。

 比丘のみなさん。遠い将来、掌も手の甲も柔らかくなるほど優雅な比丘がたくさんいます。それらの比丘は朝日が昇るまで、大きな枕のある柔らかい寝床で寝ることができます。その時心が罪な悪魔はそれらの比丘を壊滅させる隙があり、思いのままにする機会があります。

 比丘のみなさん。だからこのことは「私たち全員は丸太を枕に使い、油断のない暮らしをし、大原則である努力の段階の、煩悩を焼く努力をする」と、このように心に留めなければなりません。比丘のみなさん。このように注意しなければなりません。





寝ることばかり考える人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部チャッカニバータ 22巻333頁288項
祇園精舎にて

 比丘のみなさん。これをどのように理解しますか。「聖水灌頂を受けて国王になった王は、眠りに幸福があり、横になる幸福を求め、いつでも望みどおりに眠れる幸福を求め、その上王座にある間中国民から愛され、満足される国王の徳を維持する」と聞いたことがありますか。

 「そのようなことは、聞いたことも見たこともありません。猊下」。

 良いです、比丘のみなさん。私自身、そのように見たことも聞いたこともありません。

 比丘のみなさん。みなさんはどう理解しますか。国を治める人でも治世者の後継者でも、大臣でも長者でも集落の長でも、寝る幸福があり、横になる幸福を求め、いつでも寝たいだけ寝る幸福を求め、その上すべての領民に愛され気に入られ、生涯地位を維持すると聞いたことがありますか」。

 「そういうのも、見たことも聞いたこともありません、猊下」。

 良いです。比丘のみなさん。今言ったことは、私自身も聞いたことも見たこともありません。みなさんはこれをどう理解しますか。眠る幸福だけ、横になる幸福だけを求め、いつでも気ままに眠る幸福を求めているサマナやバラモンは、すべての根の門を管理しない人で、食べる適量を知らず、目覚める道具であるダンマがなく、すべての善が明らかに見えず、

昼も夜も八正道の行動をしないで、それでも生きているうちに素晴らしい智慧で、漏が尽きて漏を探すことができないチェトーヴィムッティ(心解脱)、パンニャーヴィムッティ(慧解脱)を明らかにし、そして常にその感覚の中にいることができないと、聞いたことがありますか。

 「これも、見たことも聞いたこともありません。猊下」

 良いです、比丘のみなさん。これについては、私自身も見たことも聞いたこともありません。比丘のみなさん。だからこのことは、『私たち全員は、すべての根の門を管理し、食べる適量を知り、目覚める道具であるダンマがあり、すべての善が明らかに見える人であり、そして八正道を実践する』と、このように心に留めなければなりません。比丘のみなさん。このように心に留めなければなりません。





美しい衣服を欲しがる人

パーリ・ブッダバーシタ 
増支部パンチャカニバータ 22巻124頁80項

 比丘のみなさん。遠い将来、衣服(チーヴァラ。衣)に美しさを求めるたくさんの比丘がいます。みなさん、そうなればバンスクラ(捨ててある布)を使うのを止め、静かな森や密林で暮すことから離れ、村や町や都だけに住むことに夢中になり、そして衣服に美しさを求め、アネーサナカンマ(不適切な探求である業)に至り、不適当な物をさまざまな方法で求めます。

 比丘のみなさん。これが、今はまだ生じていないけれど、今後生じる将来の危険の第一です。みなさん。心に留めておいて、気づいたらその危険を取り除く努力をしなければなりません。





良い食べ物を欲しがる人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部 パンチャカニバータ 22巻124頁80項

 比丘のみなさん。遠い未来、食べ物の美味しさを求める比丘がたくさんいます。そうなれば托鉢を止め、静かな森や密林に住むことから遠退き、村や町や都だけに住むことに夢中になり、アネーサナカンマ(不法業)に至り、美味しい食べ物を望むことが原因で、いろんなふさわしくない物をあの手この手で求めます。

 比丘のみなさん。これは、今はまだ生じていないけれど今後生じる、将来の危険の二番目です。みなさん。心に留めておいて、気づいたらその危険を取り除く努力をしなければなりません。





良い住まいを欲しがる人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部 パンチャカニバータ 22巻124頁80項

 比丘のみなさん。遠い未来、快適な寝床、快適な住まいを求める比丘がたくさんいます。そうなれば、森(あるいは木の根元)に住むことを止め、森や密林を寝床や居所にすることから離れ、村や町や都だけに住むことに夢中になり、アネーサナカンマ(不法業)に至り、快適な寝床や居所を望むことが原因で、ふさわしくない物をあの手この手で求めます。

 比丘のみなさん。これが、今はまだ生じていないけれど、今後生じる将来の危険の三番目です。みなさん。心に留めておいてください。気づいたら、その危険を取り除く努力をしなければなりません。





女性と交わるから災いがある

パーリ・ブッダバーシタ
増支部 パンチャカニバータ 22巻124頁80項

 比丘のみなさん。遠い将来、比丘尼やシッカマーナー(比丘尼になる前に二年間学習しなければならない沙弥尼)や沙弥尼たちと、近くで交わる比丘がたくさんいます。そのように近くで交われば、次のような結果が期待できるということです。つまり彼らは憂鬱に満ちた梵行に耐えなければならず、そうでなければ学習を止めて在家の低い暮らしに戻ると言わなければなりません。

 比丘のみなさん。これが、今はまだ生じていないけれど、今後生じる、将来の危険の四番目です。みなさん。心に留めておいて、気づいたら、その災いを取り除く努力をしなければなりません。





飢えの恐怖から生じる災い

パーリ・ブッダバーシタ
増支部 パンチャカニバータ 22巻124頁80項

 比丘のみなさん。遠い未来、沙弥や寺の用事をする人と交わる比丘がたくさんいます。そのように一緒に過ごすようになれば、次のことが期待できます。つまり彼らは食べ物を掻き集めていろんな物を食べ、そして彼らに土を掘らせ、彼らが草木を消滅させる切掛けを作ります。

 比丘のみなさん。これが、今はまだ生じていないけれど今後生じる、将来の危険の五番目です。みなさん。心に留めておいて、気づいたらその災いを取り除く努力をしなければなりません。





出家の疵

パーリ・ブッダバーシタ
増支部 チャトカニバータ 21巻65頁50項

 比丘のみなさん。お天道様とお月様を曇らせるものは四種類あります。お天道様とお月様の明るく輝く美しさを失くさせる原因である、四種類とは何でしょうか。

 それは、雲、カスミ、塵埃、そして日食月食を生じさせる悪魔です。比丘のみなさん。お天道様とお月さまを曇らす物、お天道様とお月様の明るく輝く美しさを失わせる原因はこの四種類です。

 比丘のみなさん。同じようにサマナ・バラモンを憂欝にするものも四種類あります。出家を澄明でなく、明るく輝く美しさを失わせる原因である四種類とは何でしょう。

 比丘のみなさん。それは、

(1)一部のサマナ・バラモンは酒類や飲めば酔う物を飲み、酒類を飲むのを止めません。

(2)一部のサマナ・バラモンは男女が(雰囲気を出すために)するような(何らかの)行動をし、そういう行動を止めません。

(3)一部のサマナ・バラモンは金や銀を受け取り、金や銀を貰うのを止めません。

(4)一部のサマナ・バラモンはサマナの範囲でない生活を実現し、限度を超えた生活を止めません。

 比丘のみなさん。これがサマナ・バラモンを憂欝にするもので、四種類あります。サマナの澄明さと輝きと、明るい美しさを失わせる原因です。





盗族が領民を盗めば

パーリ・ブッダバーシタ
論蔵 マハーヴァッガ 1巻169頁230項

 比丘のみなさん。これらの五種類の大盗賊は世界にいます。五種類とは何でしょうか。

(1)比丘のみなさん。この場合の大盗賊は「自分が百人の手下、千人の手下に囲まれて集落や町や都へ行き、自分で殺すことも手下に殺させることもでき、自分で斬ることも手下に斬らせることもでき、自分で燃やすことも手下に火を点けさせることもできるのはいつだろう」と考えます。

 その後その大盗賊が、百人の手下、あるいは千人の手下に囲まれて集落や町や都へ行った時、自分で殺し、手下に殺させ、自分で斬り、手下にも斬らせ、自分で燃やし、手下にも火を点けさせます。

 同じように、比丘のみなさん。この場合の下賎な比丘は「私が百人、あるいは千人の部下に囲まれ、集落や町や都へ遊行し、在家と出家から尊敬され、信頼され、祭られ、敬われる人物になり、チーヴァラと食べ物と住む場所と医薬品八物が豊富になるのはいつだろう」と考えます。

 その後その下賎な比丘が百人、あるいは千人の部下をもって村や町や都へ遊行すると、在家と出家に尊敬され、信仰され、祭られ、表敬される人物になり、チーヴァラと食べ物と住む場所と治療薬八物が豊かになります。

 比丘のみなさん。この下賤な比丘は一番目の大盗族に属し、世界にいます。世界で見ることができます。

(2)比丘のみなさん。この場合の下賎な比丘たちは当然如行が公開したダンマヴィナヤ(教えと規律。法と律)を勉強し、自分で知ったと自慢します(あるいはそれで自分の利得を追求する)。比丘のみなさん。この下賤な比丘は二番目の大盗族に属し、世界にいます。世界で見ることができます。

(3)比丘のみなさん。この場合の下賎な比丘は、当然真実の理由がない、梵行でないもので純潔な梵行をする人を追放します。比丘のみなさん。この下賎な比丘は三番目の大盗賊に属し、世界にいます。世界で見ることができます。

(4)比丘のみなさん。この場合の下賎な比丘は当然サンガの物である備品、つまりお寺内の建設やお寺の用地、本堂、本堂の土地、寝台、脚つき台、座蒲団、枕、金属鍋、金属の桶、金属と鉢、中華鍋、大刀、斧、手斧、スコップ、キリ、縄、竹の棒、葺く草、葦、草、粘土など、これらの木製品や陶器で在家を支援し、話して丸め込みます。比丘のみなさん。この下賎な比丘は四番目の大盗賊に属し、世界にいます。世界に見ることができます。

(5)比丘のみなさん。最後の部類は天界・魔界・梵天界も含めた世界から、サマナ・バラモンも天人も人間も含めた動物群の中で、最高の大盗賊に分類されます。つまり下賎な比丘は事実でない、真実でない上人法(ウッタリマヌッサダンマ)を自慢します。それはどうしてでしょうか。比丘のみなさん。それは庶民のご飯を盗んで食べるからです。

 本当ではない自分を演じて、事実と違う理解をさせる比丘は、

 罠にかけた動物を食べる猟師のように、盗人行為で手に入れた食べ物を食べる。

 首に巻く袈裟を持っている人のほとんどは下賎な暮らしをし、慎みに欠ける。

 それらの下賎な人たちは下賎な行動のカンマが原因で地獄に生まれなければならない。

 非常に熱い炎のような鉄の塊を食べる方がまだ良い。

 破戒者は慎みがないので庶民のご飯を食べるにふさわしくない。





名簿にない人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部チャドゥカニバータ 21巻33頁26項

 比丘のみなさん。人を騙し、反抗的で、多弁で自慢好きで傲慢で心が尊大な比丘は、これらの比丘は「私の人」ではありません。

 比丘のみなさん。それらの比丘はこのダンマヴィナヤ(教えと規律。つまりこの宗教という意)の外へ出てしまい、そしてこれらの比丘は、当然このダンマヴィナヤで発展、成長、繁栄に至りません。





常軌を逸した人

パーリ・ブッダバーシタ 
増支部ティカニカーヤ 20巻133頁450項

 比丘のみなさん。一般大衆に信頼されている比丘にこの三つの行動があれば、「大衆を衰退させる人で、大衆の幸福を消失させるため、大衆の破滅のためにする人で、支援する利益がなく、すべての人間と天人の苦のためになる」と言われます。三種類の行動は何でしょう。三種類とは、

(1)仏教の苦を終わらせる系統でない身業に大衆を誘い、

(2)仏教の苦を終わらせる系統でない口業に大衆を誘い、

(3)仏教の苦を終わらせる系統でない心の面の修行に大衆を誘います。

 比丘のみなさん。一般大衆に信頼されている比丘にこれらの三種類の行動があれば、「大衆を衰退させるため、大衆の幸福を消失させるため、大衆の破滅のためにする人で、支援する利益がなく、すべての人間と天人の苦のためになる」と言われます。





ダンマを捨てた人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部ティカニカーヤ 20巻355頁564項

 比丘のみなさん。比丘たちに奪い合い仲違いが生じて互いに口の槍で刺し合っている方向は、比丘のみなさん、その方向は、思い出すだけでも私にとって平安でなく、それについて話す必要はありません。

 この場合、私は、それらの比丘は三種類のダンマを捨て、そして揃って三種類のダンマを掴んで増やしていると確信するからです。彼らが捨てた三種類のダンマは何でしょうか。三種類とは、

(1)愛欲と関わることから離れる考え

(2)害意のない考え

(3)他人を困らせない考え

 その比丘たちが捨てたのはこの三種類のダンマです。

 それらの比丘たちが掴んで増やしている三種類のダンマとは何でしょうか。

(1)愛欲の考え

(2)害意のある考え

(3)他人を困らせる考え

 これが、その比丘たちが順守し、増やしている三種類のダンマです。

 比丘のみなさん。比丘たちに奪い合いや仲違いが生じ、口の槍で刺し合う方向は、考えるだけでも、私にとって平安ではなく、それについて話す必要はありません。この場合私は、それらの比丘はその三種類のダンマを捨て、そして揃ってこの三種類のダンマを掴んで増やしていると確信するからです。





闇しかない日々

パーリ・ブッダバーシタ
増支部チャッカニバータ 22巻483頁355項

 比丘のみなさん。この六つがある比丘の日々は、当然すべての善の衰退だけが望め、発展は望めません。六つとは何でしょう。六つとは、

(1)この場合の比丘はチーヴァラ(三衣)、食べ物、住まい、そして医薬品八物に関して満足を知らないので、苦になるほど願望し、

(2)信仰のない人で、

(3)破戒の人で、

(4)怠け者で、

(5)サティが混乱した人で、

(6)智慧が愚鈍な人です。

 比丘のみなさん。これらの六つがある人は、当然すべての善の衰退だけが望め、発展は望めません。





釘づけにされた人

パーリ・ブッダバーシタ
増支部ダサカニバータ 24巻19頁14項

 比丘のみなさん。比丘でも比丘尼でも、心を釘づけにしている五本の釘を捨てることができない出家者の日々は、当然善の衰退だけが期待でき、発展は期待できずに過ぎて行きます。心を釘づけにする五本の釘とは何でしょうか。

 比丘のみなさん。この場合の比丘は教祖を疑って信用せず、信頼せず、尊敬しません。このような比丘の心は当然煩悩を焼く努力、継続した努力、常に基礎固めをする努力に傾きません。述べた要旨に傾かない心は、その人が捨てることができない、心を釘づけにする一番目の釘です。

 比丘のみなさん。もう一つ、ダンマを疑って信用せず、信頼せず、尊敬しません。このような比丘の心は当然煩悩を焼く努力、継続した努力、常に基礎固めをする努力に傾きません。述べた要旨に傾かない心は、その人が捨てることができない、心を釘づけにするニ番目の釘です。

 比丘のみなさん。もう一つ、サンガを疑って信用せず、信頼せず、尊敬しません。このような比丘の心は当然煩悩を焼く努力、継続した努力、常に基礎固めをする努力に傾きません。述べた要旨に傾かない心は、その人が捨てることができない、心を釘づけにする三番目の釘です。

 比丘のみなさん。もう一つ、三学を疑って信用せず、納得して信頼せず、尊敬しません。このような比丘の心は当然煩悩を焼く努力、継続した努力、常に基礎固めをする努力に傾きません。述べた要旨に傾かない心は、その人が捨てることができない、心を釘づけにする四番目の釘です。

 比丘のみなさん。もう一つ、梵行をする友達に怒りを抱き、喜ばず、怒りの心で当て擦りを言い、その結果心を釘づけにする釘を生じさせる比丘は、このような比丘の心は、当然煩悩を焼く努力、継続した努力、常に基礎を固める努力に傾きません。述べた要旨に傾かない心は、彼が捨てることができない、心を釘づけにする五番目の釘です。

 比丘のみなさん。比丘であろうと比丘尼であろうと、心を釘づけにしている五本の釘を捨てることができない出家者の日々は、当然善の衰退だけを望め、発展は望めずに過ぎて行きます。





ハエに集られる人

パーリ・ブッダバーシタ 
増支部ティカニカーヤ 20巻316頁568項

 比丘のみなさん。今朝私がチーヴァラをまとって鉢を持ってパラナシーへ托鉢に行くと、一人の比丘が、未開人たちが乳製品を売買している地区へ托鉢に行くのを見ました。愛欲に飢えている様子で、還俗を考え、サティを放棄して自覚がなく、心が散漫で心が歪み、皮膚が乾いて黒ずんでいました。

 その比丘を見た時私は「比丘よ。あなたは腐って膨れたように振る舞ってはいけません。腐って膨れた体は生臭い臭いがするので、ハエに集られないようにすることはできませんよ、比丘」と、このように言いました。その比丘は、私にそう声を掛けられて、内心驚きました。

 世尊がこのように言われた時、一人の比丘が「腐って膨れた物と呼ばれるのは何ですか。生臭い臭いと言われる物は何ですか」と質問しました。

 貪欲ですよ、腐って膨れた物と言われるのは、比丘。悪臭を呼ばれるのは恨みで、ハエと言われるのは悪で下賎な考えです。腐って膨れた体は悪臭を放つので、ハエが集らないようにすることはできません。ね、比丘。このようです。





土葬の墓地

パーリ・ブッダバーシタ
増支部パンチャカニバータ 22巻298頁249項

 比丘のみなさん。この五つの害は土葬の墓地の害です。五つとは何でしょうか。五つとは、土葬の墓地は清潔な場所でなく、悪臭がし、直接危険があり、凶暴な人間が住む場所であり、多くの人が繰り返し嘆く場所です。これら五つの害が、土葬の墓地の害です。比丘のみなさん。同じように、これらの五つの害は、土葬の墓地に譬えられる出家の害です。五つとは何でしょうか。五つとは、

(1)この場合の出家は清潔でない体の行動があり、清潔でない言葉の行動があり、清潔でない心の行動があります。その人のこのような行動を、清潔でない土葬の墓地のように不潔な人と言います。この種の出家は清潔でない場所に譬えられると言います。

(2)出家に清潔でないカンマがあれば、悪い噂も流れます。比丘のみなさん。私はその人の悪い噂を、悪臭がする土葬の墓地の悪臭と言います。この種の出家は、悪臭のする場所に譬えられると私は言います。

(3)一緒に梵行をする仲間は愛する物である戒があるので、そのように悪臭のする人から離れています。比丘のみなさん。友人がその人から離れることを、直接危険がある土葬の墓地のように直接の危険と言います。私は、この種の出家は直接危険がある場所に譬えられると言います。

(4)その邪悪な人は体と言葉と心の清潔でないカンマがあるので、同じような行動をする人としか一緒に住むことができません。比丘のみなさん。私はその人が一緒に住めないことを、凶暴な人たちが住む所である土葬の墓地のように、悪人たちの住む場所と言います。私はこの種の出家を、凶暴な人の住む場所に譬えられると言います。

(5)愛する物である戒がある梵行仲間がこの種の出家を見ると「ああ私たちの苦は、この種の出家と一緒に暮さなければならない点にある」と責める考えをします。比丘のみなさん。梵行仲間に苦を生じさせる同居を、多くの人が嘆き悲しむ場所である土葬の墓地のように、キリもなく嘆く場所と言います。私は、この種の出家は多くの人が嘆き悲しむ場所に譬えられると言います。

 比丘のみなさん。これら五つの害は、土葬の墓地に譬えられる出家の害です。






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