財宝を指差す人
アーナンダ。
私は、土鍋屋がまだ(成形したばかりの)濡れている柔らかい土鍋を扱うように、
あなたたちを大事にする努力はしません。
アーナンダ、私は休まず叱ります。
アーナンダ、私は休まず咎めます。
本質として道果がある人は耐えられます。
(中部ウパリパンナーサ マハースンニャタースッタ14巻245頁356項)
私たちは、常に叱ってくれ、
常に罰を与えてくれる智慧のある人は誰でも、
「その人は宝を指さす人だ。こういう知識者とつき合うべきだ。
このような知識者とつき合えば良いことばかりで、悪いことは何もない」
と見なければなりません。
(小部ダンマパダ バンディタヴァッガ 24巻25頁16項)
ポー布
比丘のみなさん。ポー布(訳注:ポーという草の茎の皮で織った布)は、新しくても色は美しくなく、着れば擦れて肌が痛み、値段も安く、中古になっても美しくなく、着れば肌が痛み、値段は非常に安く、古くなっても色は美しくなく、着れば肌が痛み、値段は非常に安く、古いポー布は釜を拭く雑巾に使われ、あるいはゴミの山に捨てられています
比丘のみなさん。同じように下賤な暮らしをする破戒の比丘は、新しくても色が美しくないポー布のように、出家したばかりでも肌の色艶が悪いと私は言います。この比丘はポー布に譬えられると私は言います。更にこの比丘と付き合い、仲良く交際してこの比丘のように行動する人は、利益にならないことを生じさせる道であり、その人たちにとって永遠に苦です。
だから私は、その比丘に近づけばポー布のように肌が痛み、着ても肌が痛むと言います。だから私は「その比丘はポー布のようだ」と言います。
更にその比丘がチーヴァラ(僧衣。三衣)や食べ物や、住まいや医薬品八物(比丘が私有することを認められている物。下衣、中衣、外衣、鉢、剃刀、縫い針、腰帯、水を濾す筒)の布施を受けても、その布施には当然大きな結果はないと言います。その布施をした人たちにとって大きな功徳がないので、私は、その比丘は値段が安いポー布のように値打がないと言います。だからその比丘はポー布のようだと言います。
比丘のみなさん。中年の比丘でも下劣な暮らしをしている破戒の人は、新しくても色が美しくないポー布のように、皮膚のツヤが悪いと私は言います。その比丘はポー布に譬えられると私は言います。更にこの比丘と付き合い、交際してこの比丘の振る舞いを真似れば、それは利益にならないことを生じさせる道であり、その人たちにとって永遠に苦になります。
だからその比丘は、着れば肌が痛むポー布のように、近寄る人は肌が痛むと私は言います。その比丘はポー布に譬えられると言います。更にその比丘が誰からチーヴァラ(衣)、食べ物、住まいと医薬品八物の布施を受けても、その布施には当然大きな結果はありません。その布施をした人に大きな功徳がないので、私は、その比丘は値段の安いポー布のように値打がないと言います。その比丘はポー布のようだと言います。
比丘のみなさん。長老であっても下劣な暮らしをしている破戒の人は、新品でも色が美しくないポー布のように、肌にツヤがないと私は言います。その比丘はポー布のようだと私は言います。更にこの比丘と付き合い、交際してその比丘のような行動をすれば、それはその人にとって永遠に苦であり、利益のないことを生じさせる道です。
だからその比丘の傍に寄る人は、着ると肌が痛いポー布のように肌が痛むと私は言います。その比丘はポー布に譬えられると言います。更にその比丘がチーヴァラ、食べ物、住まい、そして医薬品八物を誰から貰っても、その布施に大きな結果はなく、布施をした人に大きな功徳がないので、私は、その比丘は値段の安いポー布のように値打がないと言います。その比丘はポー布のようだと私は言います。
更にその種の長老比丘が発言すると、多くの比丘たちが「あなたの言葉には利益がない。あなたのように愚かで自堕落な人は、言うべきことを知っていません」と言って上げます。その長老はそう言われて腹を立て、恨み、後で僧たちからウッゲーパニーヤカンマ(罪を指摘される行為。挙罪羯磨)をされる態度で暴言を吐きます。だから人々がゴミ捨て場に捨てる古いポー布のようです。
ヤシ殻の底についている水
ラージャカルハに近い竹林精舎で、自ら足を洗われている時に。
ラーフラ。この器に少し残っている水が見えますか。
「見えます。猊下」。
ラーフラ。嘘と知りながら嘘を言って恥じない出家のサマナである意味は、この器の底に残っている水のように少ししかありません。
世尊は(わずかしかない水を捨てる仕草で)その水を注いで捨てて言われました。
ラーフラ。今捨てた水が見えたでしょう。
「見えました、猊下」。
ラーフラ。嘘だと知りながら嘘を言うのを恥じない、出家のサマナである意味は、この器についている水のように僅かしか残っていません。
世尊はその器を伏せて言われました。
ラーフラ。伏せた器が見えるでしょう。
「見えます。猊下」。
ラーフラ。嘘と知りながらわざと嘘を言って恥じない出家のサマナである意味は、伏せた器についている水くらいしかありません。
世尊はその器を上向きにして言われました。
ラーフラ。水のない食器が見えるでしょう。
「見えます、猊下」。
ラーフラ。嘘と知りながらわざと嘘を言って恥じない出家のサマナである意味は、器に水がないように、まったくありません。
ラーフラ。嘘と知りながらわざと嘘を言って恥じない、下賤な行動があってはなりません。あってはいけません。だからこのことについて『私たちは誰も偽りを言わない。たとえ冗談でも』と注意しなければなりませんよ、ラーフラ。あなたたちはこのように注意なさい。
ラーフラ。鏡は何のためにありますか。
「鏡は映して見るためにあります。猊下」。
ラーフラ、すべてのカンマも、鏡のように映して良く熟慮して見て、それから体と言葉と心の行動に移さなければなりません。
糞まみれのヘビ
比丘のみなさん。誰からも嫌われ、付き合うべきでない、交際するべきでない、傍へ行ってはいけない出家はどんな人でしょうか。
比丘のみなさん、この場合の出家は破戒があり、下劣な暮らしをし、不潔で自分で考えても自分を疑うような振る舞いがあり、隠しておかなければならない行動があり、サマナではないのにサマナだと宣言し、純潔な行動をしていないのに純潔を行なっていると宣言する人は、内部がドロドロに腐って、ゴミ捨て場のように積み重なった本性があります。
比丘のみなさん。誰からも嫌われ、付き合うべきでなく、交際すべきでなく、近づくべきでない出家はこの種類です。それはなぜでしょうか。比丘のみなさん。近づいた人がこの種の人を手本にしなくても、「この人には悪い友達がいる。下劣な友人がいる。下品な仲間がいる」と、良くない噂が広まるからです。
比丘のみなさん、肥溜に落ちたヘビは、噛みつくことができないのは事実ですが、肥溜から助け出してやろうとする人を(暴れて)糞で汚すことはできます。比丘のみなさん、近づいた人がこの種の出家を手本にしないのは事実でも、「この人には悪い友達がいる。下劣な友人がいる。下品な仲間がいる」という悪い噂が広まります。だからこの種の出家は誰からも嫌われ、付き合うべきでない、交際すべきでない、近づくべきでない人です。
大盗賊のような振る舞い
比丘のみなさん。五つがある大盗賊は抜け道を探すことができ、忍び寄ることもでき、財産を奪うこともでき、加害して奪うこともできます。五つとは何でしょう。この場合の五つとは、①大盗賊は密かな集合場所に依存し、②隠れる場所に依存し、③権力者に寄りかかって依存し、④金品を撒き散らすことに依存し、⑤一人で行動します。
大盗賊は密かな集合場所に依存する、とはどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合大盗賊は川の中州や山の峡谷に依存します。これを大盗賊は隠れた集合場所に依存すると言います。
大盗賊は隠れる場所に依存する、とはどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合大盗賊は隠れる場所として草むらや密林に依存し、丘陵や大きな森に依存します。これを大盗賊は隠れる場所に依存すると言います。
大盗賊は権力者を頼って依存する、というのはどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合大盗賊は「もし誰かに告訴されたら、国王又は国王の顧問が代わりに反撃してくれる」と、国王や大臣を拠り所として依存し、何かの問題でその盗賊が告訴されれば、本当に国王、あるいは大臣が代わりに戦ってくれます。これを大盗賊は権力者に頼り依存すると言います。
大盗賊は財産をバラ撒くことに依存する、とはどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の大盗賊は財産がたくさんあるので、「誰かに告訴された時はこの財で口を塞ぐ」計画があり、誰かが何かの問題で本当に告えた時には、その財産で口を塞いでしまいます。これを大盗賊は財産をバラ撒くことに依存すると言います。
大盗賊は一人で歩き回るというのはどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の大盗賊は家のない人のように一人で彷徨します。それは何故でしょうか。その大盗賊は、「自分の秘密の呪文が外部に漏れて広まってはいけない」と考えるからです。これを大盗賊は一人で行動すると言います。比丘のみなさん。この五つがある大盗賊は、当然逃げ道を探すことができ、忍び足もでき、財産を奪うこともでき、強盗もできるように、
・・・
比丘のみなさん、五つがある下賎な比丘は、自分自身の根を掘り上げ、善を根絶やさせ、悪が身についた人になり、智者から一斉に非難され、恩恵でないものにたくさん遭遇します。五つの理由は何でしょうか。この場合の五つの原因は、①下賎な比丘は集まる場所に依存し、②隠れる場所に依存し、③権力者に依存し、④財をバラ撒くことに依存し、⑤一人で行動します。
下賤な比丘は集まる場所に依存する、とはどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の下賤な比丘は狡猾な身業があり、狡猾な口業があり、狡猾な意業がある人です。これが、下賤な比丘は集まる場所に依存すると言います。
下賤な比丘は隠れる場所に依存する、とはどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の下賎な比丘は誤った見解の人で、すべての見解の極端を掴むために突っ走るディッティ(見解)があります。これを下賎な比丘は隠れる場所に依存すると言います。
下賎な比丘は権力者に依存する、とはどのようでしょうか。比丘のみなさん、この場合の下賎な比丘は、「誰かに何かで告訴されたら、国王あるいは大臣が私の代わりに反撃してくれる」と、国王あるいは大臣に依存し、誰かがその下賎な比丘を告発すれば、国王や大臣が、本当に代わりに反撃して助けます。これを下賎な比丘は、権力者に依存すると言います。
下賎な比丘は財産をバラ撒くことに依存するとは、どのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合下賎な比丘は衣や食品や住まいや医薬品八物が豊富にあるので、「誰かが私を告訴したら、これらの品で彼らの口を塞ぐ」計画があり、何かの問題で誰かに告えられた時には、その品物でそれらの人々の口を塞ぎます。これを下賎な比丘は財産をばら撒くことに依存すると言います。
下賎な比丘は一人で歩き回るとはどのようでしょうか。比丘のみなさん、この場合の下賎な比丘は辺境に一人で逃亡し、(教育のない)田舎の一族の中に入って利得を得ます。これを下賎な比丘は一人で歩き回ると言います。
比丘のみなさん。下賎な比丘は、これらの五つの理由で当然自分の根を抜かれ、善を根絶しさせられ、悪が身についた人になり、智者から一斉に非難され、このように非常に恩恵でないものにたくさん遭遇します。
松明を抱く
比丘のみなさん。あの、赤々と燃えて燦然と輝いている大きな松明が見えますか。
「見えます、猊下」。
比丘のみなさん。みなさんは二つのうちのどちらを選びますか。あの赤々と燃えて輝いている大きな松明を抱いて座り抱いて寝るのと、幼い王女、あるいはバラモンの幼い娘、あるいは長者の幼い娘、いずれも柔らかい掌と柔らかい足の裏をしている娘を抱いて座り抱いて寝るのと、どちらが良いですか。
「猊下。幼い王女、あるいはバラモンの幼い娘、あるいは長者の幼い娘、いずれも柔らかい掌と柔らかい足の裏をしている娘を抱いて座り抱いて寝る方が良いです。赤々と輝いて燃えている大きな松明を抱いて寝るのは苦であり、堪え難いからです。猊下」。
比丘のみなさん。教えます。みなさんが理解できるように説明します。
赤々と燃えて輝いている大きな松明を抱いて座り抱いて寝るのは、下賎な暮らしをし、清潔でなく、自分でも自分を疑うような振る舞いがあり、隠さなければならない行動があり、サマナ(煩悩を鎮めた人)ではないのにサマナと宣言し、梵行をしていないのに梵行をしていると宣言し、内部がドロドロに腐って、ゴミ捨て場のように積み重なった本性がある下賎な比丘にとっては良いことです。それはどうしてでしょうか。
比丘のみなさん。彼が大きな松明を抱いて座り、抱いて寝ることで死ななければならないのは、あるいは死ぬほどの苦を味わうのは、体が壊れて死んだ後で、苦界、悪趣、報いを受ける場所、地獄に生まれなければならない原因ではありません。
一方彼が破戒の人であり、不潔で下賎な暮らしをし、自分で自分を疑いたくなる振る舞いがあり、隠さなければならない行動があり、サマナではないのにサマナだと宣言し、梵行をしていないのに梵行をしていると宣言する、中がドロドロに腐って、ゴミ捨て場のように積み重なった本性があり、
その上幼い王女、あるいはバラモンの幼い娘、あるいは長者の幼い娘、どれも柔らかい掌と足の裏をしている娘を抱いて座り抱いて寝る(と考える)ことは、当然苦のためになり、永遠に彼を支援しないので、体が壊れて死んだ後、当然彼は苦界、悪趣、報いを受ける場所、地獄に至ります。
骨膜まで切る
比丘のみなさん。二つのうちどちらを選びますか。力持ちの男が丈夫な小鹿の毛で作った紐を両すねに巻きつけて擦ると、表皮が切れ、表皮が切れると皮膚が切れ、皮膚が切れると肉が切れ、肉が切れると腱が切れ、、骨が切れると骨の膜に達すのと、偉大な国王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者の拝礼を受けるのと、どちらが良いですか。
「猊下。偉大な国王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者の拝礼を受ける方が良いです。力持ちの男が粘りのある小鹿の毛を撚って作った紐を、両脚のすねに巻いて擦り続け、皮膚を切り、肉を切り、腱を切って骨膜に達すのは堪えられない苦だからです。猊下」。
比丘のみなさん。教えます。みなさんが理解できるように説明します。力持ちの男が粘りのある小鹿の毛の紐を両脛に巻きつけて擦り続けて、皮膚が切れ、肉が切れ、腱が切れ、骨が切れて骨膜まで達すのは、不潔で下賎な暮らしをし、自分で考えても自分を疑う振る舞いがあり、隠しておかなければならない行動があり、サマナ(解脱した人)でないのにサマナだと宣言し、梵行をしていないのに梵行をしていると宣言し、内部がドロドロに腐って、ゴミ捨て場のような本性が積み重なっている人にとって良いです。それはなぜでしょうか。
比丘のみなさん。彼が力持ちの男に、丈夫な小鹿の毛で作った紐を両脛に巻きつけられ擦られて死ななければならない、あるいは死ぬほどの苦を味あわなければならないのは、体が崩壊して死んだ後、彼が苦界や悪趣や報いを受ける場所や地獄に生まれなければならない原因ではありません。
一方彼が下賎な暮らしをしている破戒者であり、不潔で、自分で考えても自分を疑う振る舞いがあり、隠さなければならない行動があり、サマナではないのにサマナだと宣言し、梵行をしていないのに梵行をしていると宣言し、内面がドロドロに腐って、ゴミ捨て場のように積み重なった本性がありながら、偉大な国王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者の拝礼を受ける(と考える)ことが、当然苦のためになり、永遠に彼を支援しないので、体が壊れて死んだ後、彼は当然苦界、悪趣、報いを受ける場所、地獄に至ります。
槍で突かれる
比丘のみなさん。みなさんは二つのうちどちらが良いですか。
力持ちの男に、滑りを良くするために油を塗った鋭い槍でみぞおちを突かれるのと、偉大な国王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者に合掌されるのと、どちらが良いですか。
「猊下。偉大な王、あるいは偉大なバラモン、偉大な長者に拝まれる方が良いです。力持ちの男に油を塗った鋭い槍でみぞおちを突かれるのは、堪え難い苦だからです。猊下」。
比丘のみなさん。教えます。みなさんが理解できるように説明します。
力持ちの男に油を塗った鋭い槍でみぞおちを刺されるのは、不潔で下賎な暮らしをし、自分で考えても自分を疑うような振る舞いがあり、隠さなければならない行動があり、サマナでないのにサマナだと宣言し、梵行をしていないのに梵行をしていると宣言し、内部がドロドロに腐って、ゴミ捨て場のように積み重なった本性のある破戒の人にとっては良いことです。
比丘のみなさん。力持ちの男に油を塗った鋭い槍でみぞおちを刺されて死ななければならない、あるいは死ぬほどの苦を味わうのは、体が崩壊して死んだ後、苦界や悪趣、報いを受ける場所や地獄に生まれなければならない原因ではありません。
一方彼が破戒者であり、下賎な生活をし、不潔で、自分で考えても自分を疑う振る舞いがあり、隠さなければならない行動があり、サマナではないのにサマナだと宣言し、梵行をしないのに梵行をしていると宣言し、中はドロドロに腐って、ゴミ捨て場のように積み重なっている本性があり、それでまだ偉大な王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者に拝まれる(と考える)ことが、当然苦のためになり、永遠に支援しないので、体が崩壊して死んだ後、当然彼は苦界、悪趣、報いを受ける場所、地獄に至ります。
燃えているチーヴァラ
比丘のみなさん。みなさんは、二つのうち、どちらが良いですか。剛力の男に、溶けて赤々と燃えて輝いている鉄板を体に押し付けられるのと、偉大な王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者が信仰で献じたチーヴァラ(衣)を身に纏うのと、どちらが良いですか。
「猊下。偉大な王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者が信仰で献じたチーヴァラをまとう方がいいです。力の強い男に、融けて火のように燃えている熱い鉄板を体に押し付けられるのは、堪え難い苦だからです、猊下」。
比丘のみなさん。教えます。みなさんが理解できるように説明します。力持ちの男に、融けて赤々と燃えて輝いている鉄板を体に押し付けられるのは、不潔で下賎な暮らしをし、自分で考えても自分を疑いたくなる振る舞いがあり、隠さなければならない行動があり、サマナでないのにサマナだと宣言し、梵行をしていないのに梵行をしていると宣言し、内面がドロドロに腐った、ゴミ捨て場のように積み重なった本性がある破戒の人にとって良いことです。それはどうしてでしょうか。
比丘のみなさん。力持ちの男に、融けて燃え上がり赤く輝いている鉄板を体に押し付けられて死ぬ、あるいは死ぬほどの苦を味わうのは、体が壊れて死んだ後に、苦界、悪趣、報いを受ける場所、地獄に生まれなければならない原因ではありません。
一方彼が破戒者であり、下賎な生活をし、不潔で、自分で考えても自分を疑う振る舞いをし、隠さなければならない行動があり、サマナでないのにサマナだと宣言し、梵行をしていないのに梵行だと宣言し、内部がドロドロに腐って、ゴミ捨て場のように積み重なった本性があるのに、その上偉大な王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者に献じられたチーヴァラを着る(と考える)ことは、当然苦のためになり、永遠に助けないので、体が崩壊して死んだ後、彼は当然苦界、悪趣、報いを受ける場所、地獄に到ります。
燃えている飯塊
比丘のみなさん。みなさんは、二つのうちどちらがいいですか。力持の男に思いっきり口を引き開けられ、溶けて火のように燃え上がっている鉄の鉤(かぎ)を投げ込まれ、唇が焼け焦げ、口が焼け焦げ、舌が焼け焦げ、喉が焼け焦げ、腹が焼け焦げ、大腸が焼け焦げ、小腸が大腸と一緒に下の門から出るのと、偉大な王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者が信仰で献じた飯の塊を食べるのと、どちらが良いと思いますか。
「猊下。偉大な王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者が信仰で献じた飯の塊を食べる方が良いです。力持ちの男に口を引き開けられ、融けて赤々と燃え上がっている鉄のかぎを口に投げ入れられ、唇が焼け焦げ、口が焼け焦げ、舌が焼け焦げ、喉が焼け焦げ、腹が焼け焦げ、彼の小腸が大腸と一緒に下の門から出てくるのは、堪え難い苦ですから、猊下」。
比丘のみなさん。教えます。みなさんが理解できるように説明します。力持ちの男に口を引き開けられ、融けて燃え上がり、赤く輝いている鉄のかぎを口に投げ入れられ、それが唇を焼き、口を焼き、舌を焼き、喉を焼き、腹を焼き、小腸が大腸と一緒に下の門から出るのは、
下賎な暮らしをし、不潔で、自分で考えても自分を疑う振る舞いがあり、サマナ(煩悩を滅した人)ではないのにサマナだと宣言し、梵行でもないのに梵行と宣言し、内部がドロドロに腐って、ゴミ捨て場のように積み重なった本性がある破戒者には良いことです。それは何故でしょうか。
比丘のみなさん。力持ちの男に、融けて燃え上がって赤く輝いている鉄のかぎで口を引き開けられ、そして赤い鉄を口に投げ込まれて死ななければならない、あるいは死ぬほど苦しまなければならないのは、彼の体が崩壊して死んだ後、苦界、悪趣、報いを受ける場所、地獄に行かなければならない原因ではありません。
一方彼が不潔で下賎な暮らしをし、自分で考えても自分を疑う振る舞いがあり、隠さなければならない行動があり、サマナでないのにサマナだと宣言し、梵行をする人でないのに梵行だと宣言し、内部がドロドロに腐って、ゴミ捨て場のように積み重なった本性がある破戒者であり、
それでもまだ偉大な王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者が信仰で献じた飯の塊を食べる(と考える)ことは、当然苦のためになり、永遠に支援しないので、体が崩壊して死んだ後、彼は当然苦界、悪趣、報いを受ける場所、地獄に至ります。
燃えている寝台
比丘のみなさん。みなさんは、二つのうちどちらが良いですか。力持ちの男に頭あるいは首を掴んで押さえられ、赤々と輝く焔を上げて燃えている熱い鉄の寝台に寝かしつけられ、あるいは座らされるのと、偉大な王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者が信仰で献上した寝台を使うのと、どちらが良いと思いますか。
「猊下。偉大な王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者が信仰で献じた寝台を使う方が良いです。力持ちの男に頭や首を押さえられて、赤々と輝く炎を上げて燃えている鉄の寝台に座らされ、あるいは寝かされるのは、堪え難い苦だからです、猊下」。
比丘のみなさん。私が教えます。みなさんが理解できるように説明します。
力持ちの男に頭や首を掴まれて押さえつけられ、赤々と輝く炎をあげて燃えている熱い鉄の寝台に座らされるか、あるいは寝かされることは、不潔で下賎な生活をし、自分で考えても自分を疑う振る舞いがあり、隠さなければならない行動があり、サマナではないのにサマナだと宣言し、梵行をしていないのに梵行だと宣言し、内部がドロドロに腐って、ゴミ捨て場のように積み重なった本性がある破戒の人には良いことです。それはどうしてでしょうか。
比丘のみなさん。力持ちの男に頭か首を掴まれて押さえつけられ、赤々と輝く炎を上げて燃えている熱い鉄の寝台に座らされるか、寝かされて死ぬか、あるいは死ぬほどの苦を味わわなければならないのは、体が崩壊したことによって死んだ後、苦界、悪趣、報いを受ける場所、地獄に生まれなければならない原因ではありません。
一方彼が不潔で下賎な暮らしをし、自分で考えても自分を疑う振る舞いがあり、隠さなければならない行動があり、サマナではないのにサマナだと宣言し、梵行をしていないのに梵行だと宣言し、内部はドロドロに腐って、ゴミ捨て場のように積み重なっている生まれがあるのに、
その上まだ偉大な王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者が信仰心から献じた寝台を使う(と考える)ことは当然苦のためになり、永いこと助けないので、体が崩壊して死んだ後、当然彼を苦界、悪趣、報いを受ける場所、地獄に至ります。
燃えているクティ(僧房)精舎
比丘のみなさん。二つのうち、どちらが良いと思いますか。力持ちの男に足を掴まれて逆さ吊りにされ、赤々と炎を上げて燃えている熱い金属の鍋の中に投げ入れられ、ぐらぐら煮え立ち、時には浮き、時には沈み、時には横たわっているのと、偉大な王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者たちが信仰で献じたクティ・精舎に住むのと、どちらが良いですか。
「猊下。偉大な王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者たちが献じた精舎に住む方が良いです。力持ちの男に足を持って逆さ吊りにされ、赤々と炎を上げて燃えている金属の鍋に放り込まれ、ぐらぐら煮られ、時には浮き、時には沈み、時には横たわっていることは、堪え難い苦だからです、猊下」。
比丘のみなさん。私が教えます。みなさんが理解できるように説明します。
力持ちの男に足を持って逆さ吊りにされて、赤々と燃えている熱い金属の鍋に投げ込まれ、ぐらぐら煮られ、時には浮き、時には沈み、時には横たわっているのは、不潔で下賎な暮らしをし、自分で考えても自分を疑う振る舞いがあり、隠さなければならない行動があり、サマナでないのにサマナだと宣言し、梵行をしていないのに梵行だと宣言し、内部がドロドロに腐って、育ちがゴミ捨て場のように積み重なっている人にとっては良いことです。それは何故でしょうか。
比丘のみなさん。力持ちの男に足を持って逆さ吊りにされ、赤々と炎を上げて燃えている熱い金属の鍋に投げ込まれて死ななければならないこと、あるいは死ぬほど苦しまなければならないことは、体が崩壊して死んだ後、その人が苦界、悪趣、報いを受ける場所、地獄に生まれなければならない原因ではありません。
一方その人が不潔で下賎な生活をし、自分で考えても自分を疑う振る舞いがあり、隠さなければならない行動があり、サマナではないのにサマナだと宣言し、梵行をしていないのに梵行だと宣言し、内部はドロドロに腐って、ゴミ捨て場のように積み重なっている生まれがあるのに、
その上まだ偉大の王、あるいは偉大なバラモン、あるいは偉大な長者が信仰心から献じた精舎に住む(と考える)ことは、当然苦のためになり、永いこと助けないので、体が消滅して死んだ後、彼は当然苦界、悪趣、報いを受ける場所、地獄に至ります」。
・・・・・・・
比丘のみなさん。だからこのことは、『私はたくさんの支援者からのチーヴァラや食べ物や住まいや医薬品八物を、必ず布施した人が大きな結果を受け取り、支援者に多くの功徳があるように使用する。そうすれば私たちが出家であることは無駄にならず、反対に儲けのある結果になる』と、このように心に留めなければなりません。比丘のみなさん。みなさんはこのように心に留めなければなりません。
比丘のみなさん。自分の利益だけを考える比丘も、不注意でないことで、本当に自分を完璧にするべきです。比丘のみなさん。他人の利益だけを考える人も、不注意でないことで本当に自分を完璧にするべきです。比丘のみなさん。双方の、つまり自分と他人の利益を考える人も、不注意でないことで、本当に自分を完璧にするべきです。
世尊がこのように説明なさると、六十人ほどの比丘が口から血を吐いて、「この梵行を実践するのは難しい、非常に困難だ」と考えて、還俗して在家の低い暮らしに戻ると申し出ました。しかし残りの六十人ばかりの比丘は、すべての煩悩から解脱して、心に取による執着がない阿羅漢になりました。
絶望した人
比丘のみなさん。どのような種類の人を絶望した人と言うでしょうか。世界では、低い家系に生まれただけで、たとえば両親の身分が違う家系、竹細工の家系、猟師の家系、皮細工の家系、あるいはゴミを捨てる家系など、食べる物にも事欠く貧しい人、非常に困窮した人、残飯を探すのさえ困難で、その上皮膚は汚く、ボロをまとい、体が矮小で病気があり、
目が満足でなく、手の指が曲がらず、脚は麻痺し、疲れ易く、他の人のように食べ物や水や衣服や乗り物、装身具、化粧品、線香や盆、寝具や燈明を手に入れる機会がないなど、このような人が「王族が即位式を行なって、ある王子を国王にする」というニュースを聞くと、「私は、即位式をされて王に任命される希望はない」とわが身について考えます。比丘のみなさん。これを「絶望した人」と言います。
比丘のみなさん。同じように比丘の中には、不潔で下賎な暮らしをし、自分で考えても自分を疑う振る舞いがあり、隠さなければならない行動があり、サマナではないのにサマナだと宣言し、梵行をしていないのに梵行だと宣言し、内部がドロドロに腐って、本性がゴミ捨て場のように積み重なっている破戒の人の場合、
「ある比丘は、最高の智慧で随眠をなくし、随眠のないチェトーヴィムッティ(心解脱)、パンニャーヴィムッティ(智慧解脱)を明らかにし、ダンマの精舎に住んでいる」と聞くと、「私には、智慧を極めることで随眠をなくし、現生で随眠のないチェトーヴィムッティ、パンニャーヴィムッティを明らかにし、ダンマ精舎に住める希望は、当然ない」と自分について考えます。比丘のみなさん。これを「絶望した人」と言います。
盗賊が威力を増せば
比丘のみなさん。国王の権力が衰え、盗賊たちが勢力を増した時はいつでも、出入りや伝達を出すにも、国王でさえ平安はなく、バラモンや長者たちが出入りし、あるいは都の外で仕事をするにも不便です。
同じように、比丘のみなさん。下賎な比丘が権力を持って戒を愛している比丘たちが権力を失えば、戒を愛している比丘たちは比丘の中で沈黙していなければならず、あるいは辺境に住まなければなりません。
比丘のみなさん。だからたくさんの人の利益にならず、大衆の便宜が失われるので、大衆にとって甚大な損害でもあり、苦であり、天人と人間どちらにとっても支援になりません。
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