解説十八  正しい生業について
(16話)





イ 正しい生業の解説と分類


正しい生活の解説

 比丘のみなさん。正しい生業(サンマーアーチヴァ)はどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の聖人の弟子は、誤った生業を捨て、当然正しい生業で暮らしています。比丘のみなさん。私はこれを正しい生業と言います。

長部マハーヴァーラヴァッガ 10巻348頁299項





二種類の正しい生業(ローギヤとロークッタラ)

 比丘のみなさん。正しい生業はどのようでしょうか。比丘のみなさん。正しい生業にも二種類あると私は言います。漏になり、徳の部分であり、報いとしてウパティがある正しい生業と、アリヤであり(素晴らしい)漏がなく、ロークッタラ(世界から脱す)でありマッガ(道)の項目である正しい生業です。

 比丘のみなさん。まだ漏になる正しい生業とはどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の聖なる弟子は間違った生業を捨ててしまい、正しい生業をすることができます。比丘のみなさん。これがまだ漏になり、徳の部分であり、報いとしてウパティがある正しい生業です。

 比丘のみなさん。アリヤであり漏がなく、ロークッタラであり、マッガの項目である正しい生業はどのようでしょうか。それは心が聖人である人、無漏の人、八正道がある人、八正道に励む人の誤った生業(註1)を控え、避け、抑止することです。

 比丘のみなさん。これがアリヤであり、漏がなく、ロークッタラであり、マッガ(道)の項目である正しい生業です。

中部ウパリバンナーサ 14巻186頁276項

註1: この場合の比丘の誤った生業は、沙門果経:長部シーラカンダヴァッガ 9巻89頁114項等で詳しく話されています。学習者は三蔵を調べて見るか、あるいは本書の付録の「梵行集・全文」を見てください)。




ロ 正しい生業の状態と例えについて

正しい生活はサンドーサの意味もある

 大王。この場合の比丘、体を維持するチーヴァラ(衣)にサンドーサ(あるもので満足すること。知足)の人で、腹を維持する食べ物にサンドーサの人で、その比丘がどの方向へ回避して行くにも、その鉢と衣を持って回避して行くことができます。

 大王。その比丘は体を維持するチーヴァラに満足を知る人で、腹を維持する食べ物に満足を知る人で、翼のある鳥は、どこへ飛んで行くにも重荷は翼だけのように、その鉢と衣を持ってどこへでも回避して行きます。

 大王。比丘はこのようにサンドーサ(知足)の人です。

長部シーラカンダヴァッガ 9巻94頁134項

 (正しい生業を正しい生き方と解釈すれば、命が依存する必需品に満足を知ることにも、正しい生き方の状態があるので、編者はここに引用しました)。





森暮らしにも、いろんな意味がある

 比丘のみなさん。森に住むのを勤めとして遵守する比丘にも、五種類あります。五種類はどのようでしょうか。五種類とは、

①愚かで迷って森に住む人、
②下賎な望みで、期待に支配されて森に住む人、
③心が散漫で、憧れで森に住む人、
④ブッダやブッダの弟子が称賛すると考えて森に住む人、
⑤望みが少なく、サンドーサ(知足)に依存し、煩悩を削ぎ落とすことに依存し、パヴィヴェカ(遠離)に依存し、そのようにする願望に依存して森に住む人です。

 比丘のみなさん。これが森に住むことを勤めにする五種類の人たちです。

 比丘のみなさん。この五種類の森に住む比丘のうち、望みが少なく、知足に依存し、煩悩を削ぎ落とすことに依存し、遠離に依存し、そのようにする願望に依存して森に住む人は、卓絶して素晴らしく、最高に秀でて、勤めとして森に住むことを遵守する五種類の比丘の中で、最も素晴らしい人たちです。

 牝牛から絞った生乳、生乳から作るヨーグルト、ヨーグルトから作る濃いバター、濃いバターから作る透明なバター、透明なバターから作る上等なバターの、生乳から生まれるすべての味のうち、上等なバターが最高の味なのと同じです。

 (この後、いろんな項目の頭陀について、たとえば糞掃衣を守る、木の根元に住む、野外で眠らない、人が作ってくれた座臥所に住む、一日一食で、食べ終わった後供えられた食べ物を食べない、そして托鉢を勤めとすることなどについて、どれにも盲信・欺瞞の類と、純粋の類があると話されています。頭陀をする比丘を崇拝する人は、この意味で注意しておいてください)。

増支部パンチャカニバータ 22巻245頁181項





六方向で正しい在家の生き方

 「猊下。このアリヤヴィナヤ(素晴らしい律。仏教、あるいはこの教団という意味)では、どのように六方向を敬うのですか。猊下。アリヤヴィナヤ(ブッダの宗教という意味)での六方向の敬い方を説いてください」。

 (長者の)ご子息。聖なる弟子が四つの煩悩を捨てることができれば、四つの罪であるカンマを作らず、財産が減少する六つの道を嗜みません。

 その時その人は、十六の罪であるカンマのない人、六つの方向を塞いだ人と呼ばれます。このような状態で、彼はこの世界と別の世界の、二つの世界に勝つために実践したと言われます。その人はどちらの行動も始め、体が消滅して死んだ後、善趣・天国の世界に至るということです。

 その聖なる弟子が捨てることができた、四つのカンマキレーサ(カンマを傷つける物。業垢)はどのようでしょうか。(長者の)ご子息。殺生は業垢であり、窃盗は業垢であり、邪淫は業垢であり、虚言は業垢であり、この四つの業垢は、聖なる弟子が捨て去った物です。

 聖なる弟子が四つの罪であるカンマを作らないのは、どのようにでしょうか。貪りに至った人は罪であるカンマを作ったと言われ、憤怒に至った人は罪であるカンマを作ったと言われ、愚かさに至った人は罪であるカンマを作ったと言われ、恐怖に至った人は、罪であるカンマを作ったと言われます。

 (長者の)ご子息。聖なる弟子が貪りに至らなければ、憤怒に至らなければ、愚かさに至らなければ、恐怖に至らなければ、その時は四つの状態の罪であるカンマを作らないと言われます。

 聖なる弟子が財産を減少させる、六つの道を嗜まないとはどのようでしょうか。(長者の)ご子息。酔う物である醸造酒と蒸留酒による油断の基盤であるダンマは、財産を減らす道であり、夜間に横丁や小路を遊び歩くことは財産を減少させる道であり、

酔わせる物が集まっている場所へ遊びに行くことは財産を減少させる道であり、油断の基盤であるダンマ、つまり博打をすることは財産を減少させる道であり、悪友を持つことは財産を減少させる道であり、怠惰は財産を減少させる道です。

 (この後、六つの破滅の門の害についてと、本当の友、偽の友の状態について詳しく話されています。読みたい人は、どこの寺にもあるナワコワーダ、僧試験三級用テキストで読むことができます)。

 (長者の)ご子息。聖なる弟子、特に六つの方向を塞いだ人はどのようでしょうか。(長者の)ご子息。この六つの方向があることを知るべきです。つまり両親は前方と知るべきで、先生は右側と知るべきで、妻子は後方と知るべきで、友人は左側と知るべきで、使用人は下方と知るべきで、サマナ・バラモンは上方と知るべきです。



前方に対して実践するべき義務

 (長者の)ご子息。前方である両親に次の五つの形で実践しなければなりません。

①扶養してもらったから、私も扶養する。
②親の用事をする。
③家系を維持する。
④相続者として行動する。
⑤亡くなったら供養する。

 ご子息。前方である両親に、子がこの五つの形で実践すれば、(両親は)当然五つの形で子を支援けます。

①罪を犯させない。
②善を維持させる。
③技術を学ばせる。
④ふさわしい配偶者を持たせる。
⑤時が来れば家督を譲る。

 このようなら、前方はその良家の子息が塞いだことになり、危険が生じない安全な方向です。



右側に対して実践するべき義務

 (長者の)ご子息。右側である先生は、弟子が五つの形で実践しなければなりません。

①立ち上がって迎える。
②近くに立って、いつでも奉仕する準備がある。
  ③最高に聞き従う。
④お世話をする。
⑤敬意をもって技術や知識を学ぶ。

 ご子息。右側である先生にこの五つの形で実践すれば、(先生は)当然五つの形で弟子を援けます。
 ①良く導き、
 ②良く学ばせ、
 ③技術や学問をすべて教え、
 ④友達と知り合いにさせ、
 ⑤すべての面で守ってくれる。

 このようなら、その右側は、良家の子息が塞いだことになり、危険が生じない安全な方向ということです。



後方に対して実践するべき義務

 (長者の)ご子息。後方である妻に、夫は五つの形で実践しなければなりません。

①褒める。 
②軽蔑しない。
③浮気をしない。
④仕事に関わる権限を譲る。
⑤装飾品を与える。

 ご子息。後方である妻に、夫がこの五つの形で実践すれば、当然(妻は)五つの形で夫を助けます。

①仕事を良く仕切る。 
②周囲の人を良く援ける。
③浮気をしない。
④ある財産を護る。
⑤すべての仕事に勤勉である。

 このようなら、後方はその良家の子息が塞いだ方向であり、危険が生じない安全な方向ということです。



左側に対して実践するべき義務

 (長者の)ご子息。左側である友人親友に、良家の子息は五つの形で実践しなければなりません。

①分配する。
②聞いて美しい物言いをする。
③利益のある振る舞いをする。
④対等に接す。
⑤仲違いする言葉を言わない。

 ご子息。左側である友人に対してこの五つの形で実践すれば、当然(友人は)五つの形で援けます。

①不注意な友人を護る。
②不注意な友人の財産を護る。
③災難があった時拠り所になる。
④危険があった時も見捨てない。
⑤友人の家族を敬う。

 このようなら、左側である友人は、その良家の子息は塞いだことになり、危険が生じない安全な方向ということです。



下方に対して実践するべき義務

 (長者の)ご子息。下方である下僕や使用人には、五つの形で実践しなければなりません。つまり 

①技量に合った仕事を与える。
②食べ物と褒美を与える。
③病気の時は治療と看病をする。
④珍しい食べ物を分け与える。
⑤時に応じて自由を与える。

 ご子息。下方である下僕や使用人に対して、五つの形で実践すれば、当然(部下は)五つの立場で、主人を助けます。

①主人より早く起きて働く人になる。
②主人より後まで働く。
③主人が与えた物だけを所持する。 
④最高に良い仕事をする。
⑤主人の徳や名誉が広まる。

 このようなら、下方は、その良家の子息が塞いだ方向であり、危険が生じない安全な方向ということです。



上方に対して実践するべき義務

 (長者の)ご子息。上方であるサマナ・バラモンに五つの形で実践しなければなりません。

①慈しみの身業で。
②慈しみの口業で。
③慈しみ意業で。
④門を閉めないで(つまり歓迎する)。 ⑤財施をする。

 ご子息。上方であるサマナ・バラモンにこの五つで実践をすれば、当然五つの立場でその良家の子息を援けます。

①罪を禁止する。
②善を維持させる。
③美しい心で支援する。
④聞いたことがないことを聞かせる。
⑤聞いたことがあることを最高に明らかにさせる。天国への道を教えてくれる。

 このようなら、上方は、その良家の子息が塞いだ方向であり、危険が生じることがない安全な方向ということです。

まとめのガーター(詩)

 母は前方、先生は右側、

 妻子は後方、友達は左側

 下僕使用人は下方で、サマナ・バラモンは上方

 家を治めている在家はこれらすべての方向を敬わなければならない


 戒が完璧な博学者は、丁重な物言いで機知があり

 頭が低く行状が良く、反抗的でない

 このようなら当然尊敬される


 勤勉な人は立ち上がり、怠慢でなく

 どんな危険にも動揺せず

 隙のない振る舞いで智慧がある

 このようなら当然尊敬される


 支援するのが好きな人は友情を育て、

 言葉の意味を知っていて、ケチでなく

 素晴らしい指導で絶えず導く人

 このようなら当然尊敬される


 布施、

 美しい物言い、

 ふさわしい時に何らかの利益のある行動、

 すべての仕事で、その場に応じて平等に接す

 この四つは、クサビが走っている車を止めるように、

 世界に依存する道具


 これに依存しなければ、

 尊敬も、崇拝も、

 母は子から何も受け取れない

 父は子から何も受け取れない


 これらの依存する物は博学者が目指す行動なので、

 その人はこれらに依存して偉大な恩恵に至り

 あらゆる称賛が生じる

長部パーティヴァッガ 11巻195頁174項

 (サンマーアーチヴァ=正しい生業という言葉は、今まで正命とだけ訳されてきましたが、本当は在家の物である最低の意味から、涅槃に到達するために生きることまで次第に高くなり、「正しい生き方」という意味まで拡大することができます。

 それでここの説明は、ここで取り上げたような在家の話である六方向を塞ぐなど、最低のレベルから、実にオハーラサムッチェトーと呼ぶ漏がなくなる結果になる、高いレベルの実践まであります。時には正しい言葉、正しい行いと関連することもあります。これらの教えは当然関連し合い、連結し合っているからです。学習者はこのように観察しなければなりません)。





在家の最高レベルの生き方

 長者さん。これらすべてのカーマボーギー(愛欲を享受する在家)の中で、公正に適度に消費財を求め、自分を幸福にして十分満足させ、分け与えて徳を満たし、欲情せず、酔わず、溺れず、平素から害が見え、振り払う智慧があります。それらの消費財を消費するカーマボーギーは誰でも、長者さん。このカーマボーギーは四つの条件で称賛されるべきです。

 つまり公正に、適度に消費財を求めた一番の条件で称賛されるべきで、自分を幸福にして十分満足させた二番目の条件で称賛されるべきで、消費財を配分して徳を満たした三番目の条件で称賛されるべきで、消費財に惚れ込まず、酔い痴れず、惑溺せず、普通に害が見え、振り払う智慧で消費財を使用できる四番目の条件で称賛されるべきです。

 長者さん。このカーマボーギーは、すべてのカーマボーギーより傑出し卓絶したレベル、素晴らしいレベル、最高レベルのカーマボーギーです。牝牛から絞った生乳、生乳から作ったヨーグルト、ヨーグルトから作った濃いバター、濃いバターから作った透明なバター、

透明なバターから作った上等なバター、生乳から生まれるすべての味のうち、上等なバターが最高の味であるように、この種のカーマボーギーは、すべてのカーマボーギーより卓絶しています。

増支部ダサカニバータ 24巻194頁91項





二番目に素晴らしい在家の生き方

 長者さん。これらすべてのカーマボーギー(愛欲を享受する在家)の中で、公正に適度に消費財を求め、自分を幸福にして十分満足させ、分け与えて徳を満たしますが、消費財に惚れ込んで、酔い、惑溺し、普段から害が見えず、振り払う智慧がありません。それらの消費財を消費するカーマボーギーは誰でも、長者さん。このカーマボーギーは三つの条件で称賛されるべきで、一つの条件で非難されるべきです。

 つまり公正に適度に消費財を求めた一番の条件で称賛されるべきで、自分を幸福にして十分満足させた二番目の条件で称賛されるべきで、消費財を配分して徳を満たした三番目の条件で称賛されるべきですが、彼は消費財に惚れ込み、酔い、溺れ、普通に害が見えず、振り払う智慧なしに消費財を使用する一つの条件で非難されるべきです。長者さん。このカーマボーギーは三つの条件で称賛され、一つの条件で非難されるべきです。

増支部ダサカニバータ 24巻193頁91項





普通の在家の生き方

 長者さん。これらすべてのカーマボーギー(愛欲を享受する在家)の中で、公正に適度に消費財を探求し、適度に求めれば自分を十分に幸福にして十分満足させますが、分け与えて徳を満たさないカーマボーギーは誰でも、長者さん。このカーマボーギーは二つの条件で称賛されるべきで、一つの条件で非難されるべきです。

 つまり公正に、適度に消費財を求める一番の条件で称賛されるべきで、自分を幸福にして十分満足させる、二番目の条件で称賛されるべきですが、消費財を分配せず、徳を満たさないことで非難されるべきです。長者さん。このカーマボーギーはこの二つで称賛され、この一つで非難されるべきです。

増支部ダサカニバータ 24巻193頁91項





二つの世界の結果のための生き方

 「猊下。在家である弟子たちは愛欲を享受し、子らに囲まれて、家を治め、カーシー産の白檀や、花や香りの物、塗る物を使い、金銀を喜んでいます。世尊にお願いいたします。どうか現生と来生で利益のあるダンマを説いてください。猊下」。


現生の利益になる生き方

 ビャッガパッチャさん。この四つのダンマは、良家の子息の現生での利益のため、幸福のためになります。四つはどのようでしょうか。四つとは、勤勉が具わっていること、護りが具わっていること、良い友がいること、安定した生活です。

 ビャッガパッチャさん。勤勉が具わっているとはどのようでしょうか。ビャッガパッチャさん。この場合の良家の子息は立ち上がって働くことで生活しています。

 農業、あるいは商売、酪農、武器を持つ仕事、王子の仕事、あるいは何らかの技術で、その人は熟練者で、怠けず、その方便に注意深さがあり、仕事ができ、仕事を指図することができます。ビャッガパッチャさん。私はこれを勤勉が具わっていると言います。

 ビャッガパッチャさん。守りが具わっているとはどのようでしょうか。ビャッガパッチャさん。この場合の良家の子息が立ち上がって腕力でかき集め、体を汗で濡らして努力で手に入れた消費財は公正に手に入れたダンマのある消費財で、

彼は「どうすれば国王に消費財を没収されないか。どうしたら盗賊に盗まれず、火事に遭わず、洪水に持ち去られず、私を嫌っている相続人に奪われないか」とこのように考えて精一杯管理します。ビャッガパッチャさん。私はこれを守りが具わっていると言います。

 ビャッガパッチャさん。善い友がいるとはどのようでしょうか。ビャッガパッチャさん。この場合の良家の子息はどこの村や町に住んでいても、その村や町にどんな人がいても、長者でも長者の息子でも、戒に励む若者でも、誰でも信仰があり戒があり布施する気持ちがあり智慧があれば、その良家の子息はその人たちの仲に加わって一緒に話し、一緒に会話します。

 そこで信仰が具わっている人に信仰が具わることを学び、戒が具わっている人に戒が具わることを学び、善友と親交がある人に善友との友情が具わることを学び、智慧がある人に智慧が具わることを学びます。ビャッガパッチャさん。私はこれを善友がいると言います。

 ビャッガパッチャさん。安定した生活とはどのようでしょうか。ビャッガパッチャさん。この場合の良家の子息は消費財の増加を知り、消費財の減少を知り、そして「私の収入はこのように支出を上回り、支出は収入を上回らない」という教えがあり、有り余らず、あまり逼迫しない安定した生活をします。

 ビャッガパッチャさん。秤を持っている人、あるいは秤を持っている人の手伝いは秤を持ち上げると、「まだこれだけ足りない」あるいは「これだけ多い」と分かるように、この良家の子息は消費財の増加と消費財の減少を知り、「私の収入はこのように支出を上回り、支出は収入を上回らない」という教えがあり、有り余らず、欠乏しすぎない安定した生活をします。

 ビャッガパッチャさん。この良家の子息の収入が少ないのに有り余る生活を営むなら、「この息子さんはイチジクを食べるように消費財を使う」と言い、ビャッガパッチャさん。反対に良家の子息に巨万の収入があるのに、非常に窮乏した生活をすれば、「この息子さんは貧乏人のように餓死する」と言う人がいるのと同じです。

 ビャッガパッチャさん。この良家の子息が消費財の収入を知り、消費財の減少を知り、「私の収入はこのように支出を上回り、私の支出は収入を上回らない」という教えで、過剰すぎず、欠乏しすぎず、いつも一定の生活をすれば、ビャッガパッチャさん。私はこれをいつも安定した生活と呼びます。




現生の利益に関わるアパーヤムッカとアーヤムッカ

 ビャッガパッチャさん。財産が減少する四つの出口は、このように揃っています。つまり①女遊びをする人、②酒呑み、③博打打ち、そして④悪友がいることです。

 ビャッガパッチャさん。大きな沼に四つの水の入り口と四つの水の出口があり、男がそれらの水の入り口を塞ぎ、水の出口を開けてしまって季節の雨も降らなければ、そんな時その沼に望めるのは枯渇だけで、満水を期待することはできません。ビャッガパッチャさん。同じように衰退の道がある消費財に生じる結果も四つあります。つまり女遊びをする人、酒呑み、博打打ち、悪友仲間がいることです。

 ビャッガパッチャさん。生じた財産が発展する四つの道も、このように四つ揃っています。女遊びをしない、酒呑みでない、博打打ちでない、悪友仲間がいないことです。

 ビャッガパッチャさん。男がそれらの水の入り口を開き、そして水の出口を塞いでしまえば、降った雨が適宜に注ぐように、そのようならその沼が満水になることは期待できるので、枯渇を期待する必要はないということです。ビャッガパッチャさん。四つの発展する入り口である、女遊びをしない、酒飲みでない、博打打ちでない、悪友仲間がいないことの、消費財に生じる結果も同じです。

 ビャッガパッチャさん。この四つ(アパーヤムッカ=破滅の門)四つを避け、アーヤムッカ(破滅しない門)四つがあるダンマは、良家の子息の現生でも幸福のため、利益のためになります。




来生の幸福の利益になる生き方

 ビャッガパッチャさん。この四つのダンマは良家の子息の来生の幸福のため、利益のためになります。四つはどのようでしょうか。四つとは信仰が具わっていること、戒が具わっていること、布施が具わっていること、智慧が具わっていることです。

 ビャッガパッチャさん。信仰が具わっているとはどのようでしょうか。

 ビャッガパッチャさん。この場合の良家の子息は信仰があり、教祖の悟りを「このような理由で教祖は煩悩から遠い人、自分で正しく悟った人、知識と徳行が具わった人、良く行った人、世界を明らかに知る人、訓練すべき人を誰よりも良く訓練できる人であり、すべての天人と人間の先生であり、智者であり、目覚めた人であり、

ダンマで明るい人であり、ダンマを分類して動物に教える人」と、このように信じます。ビャッガパッチャさん。私はこれを、信仰が具わっていると言います。

 ビャッガパッチャさん。戒が具わっているとはどのようでしょうか。ビャッガパッチャさん。この場合の良家の子息は殺生を避ける人で、盗みを避ける人で、邪淫を避ける人で、虚言を避ける人で、飲酒を避ける人です。ビャッガパッチャさん。私はこれを、戒のある人と言います。

 ビャッガパッチャさん。布施が具わっている人はどのようでしょうか。ビャッガパッチャさん。この場合の良家の子息は汚点である出し惜しみをせず、家を治め、定期的に施しをし、普通に湿った掌をしていて、求めに応じる犠牲を喜び、分配して施すことを喜びます。ビャッガパッチャさん。これを布施が身についている人と言います。

 ビャッガパッチャさん。智慧が具わっているとはどのようでしょうか。ビャッガパッチャさん。この場合の良家の子息は、発生と消滅の真実に至らせる智慧、敵から離れる智慧、煩悩を突き抜ける智慧、正しい苦の終りに至る智慧があります。ビャッガパッチャさん。私はこれを、智慧が具わっていると言います。

 ビャッガパッチャさん。この四つのダンマは、良家の子息の来生での幸福のため、助けのためになります。

増支部アッダカニバータ 21巻289頁144項





聖人の項目で正しい生き方

 比丘のみなさん。この四つのアリヤヴォン(聖人の血筋であるダンマ)は素晴らしいダンマで、永遠で、古くからの伝統であり、捨てられたことがなく、捨てられてなく、これからも捨てられないダンマで、智者であるすべてのサマナ・バラモンが反論しないダンマです。四つのアリヤヴォンとは何でしょうか。四つとは、

1. このダンマヴィナヤの比丘は、あるだけ、貰うだけのチーヴァラ(衣)で満足する人であり、そしてあるだけ、貰うだけのチーヴァラに満足することを称賛する人で、チーヴァラが原因で適切でない探求をせず、チーヴァラが手に入らなくてもヤキモキせず、

チーヴァラが手に入っても喜んで陶酔して夢中にならず、輪廻の害の部分が見え、いつでも自分を抜き出す方便に関した智慧でそのチーヴァラをまとい、更にあるだけのチーヴァラに満足することを自慢せず、そのことで他人を貶しません。

 賢く、怠惰でなく、自覚があり、あるだけ、手に入るだけのチーヴァラで満足することに、安定したサティがある比丘は誰でも、私はこの比丘を、古より素晴らしいと分かっているアリヤヴォンに安住している人と言います。

2. もう一つ、比丘があるだけ、貰うだけの食べ物で満足する人で、そしてあるだけ、貰うだけの食べ物に満足することを称賛する人で、食べ物が原因の適度を越えた探求をせず、食べ物が得られなくてもヤキモキせず、食べ物が得られても喜んで陶酔して夢中にならず、

輪廻の害の部分が見え、自分を引き抜く方便に関した智慧でその食べ物を食べ、更にあるだけ貰うだけの食べ物に満足していることを自慢せず、そのことで他人を貶しません。

 賢く怠け者でなく、自覚があり、あるだけ、貰うだけの食べ物に満足する安定したサティがある比丘は誰でも、私はその比丘を、古より素晴らしいダンマと分かっているアリヤヴォンに安住している人と言います。

3. もう一つ、あるだけ、手に入るだけの住まいで満足する人で、あるだけ、手に入るだけの住まいに満足することを称賛する人で、度を越えた探求をせず、住む場所がなくても気を揉まず、住まいを得られても喜んで酔って夢中にならず、輪廻の害の部分が見え、自分を引き抜く方便に関した智慧でその住まいを使い、更にあるだけ、手に入るだけの住まいで満足することを自慢せず、そのことで他人を貶しません。

 賢く、怠け者でなく、自覚があり、あるだけ、得ただけの住まいに満足する安定したサティがある比丘は誰でも、私はその比丘を、古より素晴らしいダンマと分かっているアリヤヴォンに安住している人と言います。

4. もう一つ、実践すべきことを満たすのを喜ぶ人で、実践すべき物を実践して喜び、捨てるべき物を捨てて喜ぶ人で、捨てるべき物を捨てて喜び、更に、それが原因で自慢をして他人を貶しません。

 賢く、怠け者でなく、自覚があり、実践すべきことを実践し、捨てるべき物を捨てる安定したサティがある比丘は誰でも、私はその比丘を、古より素晴らしいダンマと分かっているアリヤヴォンに安住している人と言います。

 比丘のみなさん。この四つのアリヤヴォンは永遠に素晴らしいダンマであり、古よりの伝統であり、打ち捨てられたことがなく、打ち捨てられてなく、捨てられないダンマであり、智者であるすべてのサマナ・バラモンが反対しないダンマです。

 比丘のみなさん。この四つのアリヤヴォンがある比丘は、東にいても西にいても、北にいても南にいても、当然その人が不満を踏み潰すだけで、不満がその人を踏み潰すことはありません。それはなぜでしょうか。智慧がある比丘は、当然不満も喜びも踏み潰してしまうことができるからです。


 


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