ニ マッガ(道)の原因と縁について


ダンマは八正道の夜明け

 比丘のみなさん。太陽が昇ってくる前に見えるニミッタ(兆し)は暁です。比丘のみなさん。同じように、比丘に八正道が生じる前に見えるニミッタは善友です。比丘のみなさん。これが善友を持つ比丘が期待できることです。つまりその人は八正道に励むことができ、八正道をたくさんすることができます。

 比丘のみなさん。善友をもつ人はどのように当然八正道に励み、どのように当然八正道をたくさんするでしょうか。比丘のみなさん。

 この場合の比丘は、当然ヴィヴェガ(遠離)に依存し、ヴィラーカ(離欲)に依存し、二ローダ(滅)に依存し、振り捨てることに傾いていく正しい見解に励み、正しい考えに励み、正しい言葉に励み、正しい業に励み、正しい生活に励み、正しい努力に励み、正しいサティに励み、正しいサマーディに励みます。

 比丘のみなさん。善友がいる比丘は、このように当然八正道に励み、当然八正道をたくさんすることができます。

相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻36頁129項


 (八正道の夜明けである物を、別の経では、いろんな言葉で説かれています。

 シーラサンパダー(戒が揃っていること)は夜明け。

 チャンダサンパダー(チャンダ=満足があること)は夜明け。

 アッタサンパダー(自分にふさわしさがあること)は夜明け。

 ディッティサンパダー(正しい見解があること)は夜明け。

 アッパマーダサンパダー(不注意でないこと)は夜明け。

 ヨニソマナシカーラサンパダー(理に適った思考。如理作意)は夜明け。


 別の経では、善い友のいる人は、遠離に依存し、離欲に依存し、滅に依存し、振り捨てることに傾いていく類の、八正道に励んでたくさんする他に、終局である貪・瞋・痴を出す類のマッガに励むことができると説かれています。

 上記の八正道を生じさせる夜明けである七つのダンマを、別の経では夜明けと呼ばず「八正道が生じることに非常に恩恵のあるダンマ」と呼んでいるのもあり:19巻40頁147項、「まだ生じていない八正道を生じさせ、生じている八正道を完璧に発展させるダンマ」と呼んでいるのもあり、

 19巻44頁165項、経末に「善友等がある人は、当然ヴィヴェカ等に依存する類の道と、最後に貪・瞋・痴を出す類の道に励んでたくさんする」とあるのもあります)。





八正道は、善に最高に注意深くなることで成功する

 比丘のみなさん。すべての動物、足がない物も、二本足、四本足、多足、形がある物、形がない物、識がある物、識がない物、識があるでもなく無いでもない物など、どれほど多くの生き物がいても、サンマーサンブッダである如行(ブッダの一人称。そのように行ったという意味。漢訳は如来)は、当然それらの動物より卓絶していることは明らかです。

 比丘のみなさん。同じようにあるだけの善、そのすべての善は不注意でないことが根源にあり、不注意でないことの塊があるので、不注意でないことは、当然それらすべての善よりも卓絶していることは明白です。

 比丘のみなさん。これ、つまり八正道に励んでたくさんすることは、不注意でない比丘が期待できることです。(註1)。

 (不注意でないことはすべての善より優れていることを、この経では如行がすべての動物より優れていることに例えていますが、別の経では、

 象の足跡はすべての動物の足跡より大きい、

 屋根の先端はすべての構造より上にある、

 チャンデーンの心材はすべての香木の芯材より優れている、

 ヴァッサカ(ジャスミン? 原文のママ)の花は、すべての香る花の香より優れている、

 月の光はすべての光より輝いている、

 雲のない雨後の太陽の光は、空にあるどの光より澄み切っている、

 カーシー布は他のすべての糸で織った布より優れている、等々に例えられています)。

 相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻62頁254項

註1: 四聖諦には四つの形があり、遠離・離欲・滅に依存し、そして振り捨てることに傾いていくもの①、貪・瞋・痴を出すことを求めるもの②、不死に至り、不死が先々にあり、不死が求めるものであるもの③、そして涅槃に傾いていくもの④です。





ホ 道の功徳について

八正道は四聖人への道

 「猊下。比丘のみなさんがスガタ様の下で梵行を行うのは、(各方式の)サマーディバーヴァナー(心にサマーディを生じさせるための努力)を明らかにするためでしょうか」。

 マハーリさん。比丘のみなさんが私と梵行をするのは、それらのサマーディバーヴァナーを明らかにさせるためもありますが、そのサマーディバーヴァナーより素晴らしい緻密なダンマがあります。それに比丘のみなさんが一斉に私の梵行をするのは、それらより素晴らしいもっと緻密なダンマを明らかにするためです。

 「猊下。より素晴らしい、より緻密なダンマはどのようでしょうか」。

 マハーリさん。この場合の比丘は、三つのサンヨージャナ(結)がなくなったので、普通に落ちることがない人、涅槃が確実な人、将来悟る人預流です。マハーリさん。これがより素晴らしい、より緻密なダンマです。

 マハーリさん。まだあります。比丘は三つのサンヨージャナがなくなったので、そして貪・瞋・痴が薄くなったので、もう一度だけこの世界に戻って来て、そして当然苦を終わりにする一来です。マハーリさん。これがより緻密なダンマです。

 マハーリさん。まだ他にあります。比丘は初等の五つのサンヨージャナがなくなったので、その有で涅槃し、当然その有に戻って来ない不還です。これがより緻密なダンマです。

 マハーリさん。まだあります。比丘はすべての漏がなくなったので、漏を探すことができない心解脱・智慧解脱を、生きているうちに、最高の智慧で明らかにし、そして常にその高い感覚の中にいます。マハーリさん。これがより優れた、より緻密なダンマです。

 マハーリさん。このすべてのダンマが、比丘がそれを明らかにするために私の梵行をする、より優れた、より緻密なダンマです。

 「猊下。それらのダンマを明らかにするマッガ(道)はありますか。パティパダー(道)はありますか」。

 マハーリさん。それらのダンマを明らかにするマッガはあります。パティパダーはあります。

 「それらのダンマを明らかにするマッガはどのようですか。パティパダーはどのようですか」。

 八正道です。すなわち正しい見解、正しい考え、正しい言葉、正しい生活、正しい職業、正しい努力、正しいサティ、正しいサマーディです。マハーリさん。これがそれらのダンマを明らかにするマッガであり、パティパダーです。

長部シーラカンダヴァッガ 9巻199頁251項





岸へ渡る道具である八正道

 比丘のみなさん。人がこの八つのダンマに励んでたくさんすれば、岸でない所(輪廻)から岸(涅槃)へ行きます。八項目はどのようでしょうか。八項目とは正しい見解、正しい考え、正しい言葉、正しい生活、正しい職業、正しい努力、正しいサティ、正しいサマーディです。比丘のみなさん。人がこの八つのダンマに励んでたくさんすれば、当然岸でない所から岸へ行きます。

経末のガーター(詩)

 すべての人間の群れの中で、

 涅槃の岸に至る人は非常に少ない。

 それ以外の人は、当然その岸の内側を回転している。

 正しく説いてあるダンマの、

 ダンマにふさわしいダンマの品行をする人たちは誰でも、

 非常に越えがたい悪魔の頸木を抜け、

 涅槃の岸に至る。


 博学者になって黒いダンマを捨ててしまい、

 白いダンマに励みなさい。

 水のある所から水のない所に来なさい。

 愛欲を捨てしまい、心配事のない人になりなさい。

 動物が喜ぶことが難しい静まった物である、涅槃だけを喜びなさい。

 博学者は悟る道具である「正しい智慧」で心の煩悩を拭って、

 良く訓練された人の心のように清浄になさい。


 執着しない人は誰でも、執着の返却を喜び、

 漏がなく、智慧による夜明けがある。

 その人たちはこの世界で鎮まった(般涅槃した)人。

相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻29頁97項





梵行としての八正道

 比丘のみなさん。梵行と、梵行の結果について説明します。みなさんお聞きなさい。

 比丘のみなさん。梵行とはどのようでしょうか。それは八正道、つまり正しい見解、正しい考え、正しい言葉、正しい仕事、正しい職業、正しい努力、正しいサティ、正しいサマーディで、比丘のみなさん。私はこれを梵行と呼びます。

 比丘のみなさん。梵行の結果はどのようでしょうか。預流果、一来果、不還果、阿羅漢果で、比丘のみなさん。私はこれを梵行の結果と言います。

相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻31頁111項





八正道はカンマの終わったカンマ

 比丘のみなさん。この四つのカンマは、私が卓絶した智慧で明らかにし、広く公開しました。この四つのカンマはどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。黒い報いがある黒いカンマもあります。比丘のみなさん。白い報いがある白いカンマもあります。比丘のみなさん。黒白の報いがある、黒白のカンマもあります。比丘のみなさん。黒くも白くもない報いがある黒くも白くもないカンマもあります。

 比丘のみなさん。黒い報いのある黒いカンマはどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の人は当然加害になるカーヤサンカーラ(身行)を作り、当然加害になるヴァチーサンカーラ(口行)を作り、当然加害になるマノーサンカーラ(意行)を作ります。彼がこのように三つの行を作れば、

当然加害になる世界に至り、加害になる触は当然加害になる世界に至った人に触れ、加害になる触がある人は当然苦だけの加害になる受を、地獄の動物のように味わいます。これが黒い報いのある黒いカンマです。

 比丘のみなさん。白い報いがある白いカンマはどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の人は、当然加害にならない身行を作り、当然加害にならない口行を作り、当然加害にならない意行を作ります。彼がこのような三つの行を作れば、当然加害にならない世界に至ります。

 加害にならないすべての触は当然加害にならない世界に至った人に触れ、加害にならない触に触れた人は、当然天人のように加害にならない受を味わいます。比丘のみなさん。これを白いカンマは白い報いがあると言います。

 比丘のみなさん。黒白の報いがある黒白カンマとはどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の人は当然加害になるのと加害にならない身行を作り、当然加害になるのと加害にならない口行を作り、当然加害になるのと加害にならない意行を作ります。彼がこのように三つの行を作れば、当然加害になるのと加害にならない世界に至ります。

 加害になるのと加害にならないすべての触は、当然加害になるのと加害にならない世界に至った人に触れます。加害になるのと加害にならない触の人は、当然加害になるのと加害にならない受を、人間と、ある種の天人の幸福と苦が混じった受を味わいます。比丘のみなさん。これを黒白カンマは黒白の報いがあると言います。

 比丘のみなさん。黒でも白でもない報いがあります。カンマがなくなる黒でも白でもないカンマとはどのようでしょうか。それは正しい見解、正しい考え、正しい言葉、正しい生活、正しい職業、正しい努力、正しいサティ、正しいサマーディです。比丘のみなさん。これを黒でも白でもないカンマはカンマの終りになると言います。

 比丘のみなさん。私が卓絶した智慧で明らかにして、広く公開したこの四種類のカンマは、これです。

増支部チャトゥッカニバータ 21巻320頁237項

 (この経では「黒でも白でもないカンマは八正道」と説かれていますが、別の経では七覚支と言われているのもあり、黒いカンマと白いカンマを捨てる意図と説かれているのもあります)。





教祖あるいは実践方法の選び方
(納得して信じる教えを探せない時)

 カッサバさん。他にも話さなければならないことがあります。それはすべての智者、ゴータマサマナでも、他の発展した先生の弟子でも、これらすべてのダンマを、善を善と、罪がないダンマを罪がないと、関わるべきダンマを関わるべきと、

アリヤにふさわしいダンマをアリヤにふさわしいダンマと、白いダンマを白いダンマと、これらの発展した人が一致して認めているかどうか、双方の発展した教祖と教祖、弟子と弟子を比較して、何度も繰り返し質問しなさいということです。

 カッサバさん。これはあり得ます。つまりすべての智者を分類して、それらすべてのダンマをこのように一つも欠かさず純潔な行動をしているかどうか、精査し、質問攻めにして見れば、それらの智者は揃ってそれを称賛します。

 実践した人が「ゴータマサマナはふさわしい時に話す人で、真実のままに正しく話し、要旨を話し、ダンマを話し、律を話す」と自分自身で見、自分自身で知ることができるマッガ(道)があり、パティパダー(道)があるからです。

 カッサバさん。マッガ(道)はどのようでしょうか。パティパダー(道)はどのようでしょうか。道とは八項目から成る素晴らしい道で、つまり正しい見解、正しい考え、正しい言葉、正しい生活、正しい職業、正しい努力、正しいサティ、正しいサマーディです。

 カッサバさん。これが、その道を実践した人は「ゴータマサマナは、常に時にふさわしく話し、真実のままに正しく話し、要旨を述べ、ダンマを話し、ヴィナヤを話す」と自分自身で知り、自分自身で見えるマッガであり、パティパダーです。

長部シーラカンダヴァッガ 9巻209頁265項





ヘ その他

八正道と涅槃

 「猊下。人がどれだけのダンマに励んでたくさんすれば、行く場所である涅槃があり、前方である涅槃があり、終点である涅槃があるでしょうか」。

 ナンディヤさん。人がたくさんすれば行く所である涅槃があり、前方である涅槃があり、終点である涅槃があるダンマはこの八項目のダンマです。八項はどのようでしょうか。

 それは正しい見解、正しい考え、正しい言葉、正しい業、正しい生活、正しい努力、正しいサティ、正しいサマーディです。ナンディヤさん。この八項目のダンマに、人が励んでたくさんすれば、行く場所である涅槃があり、前方である涅槃があり、終点である涅槃があります。

相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻14頁45項





道としての七覚支

 比丘のみなさん。欲望を終わらせるどんなマッガ(道)、どんなパティパダー(道)も、みなさんそのマッガ、そのパティパダーに励みなさい。

 比丘のみなさん。そのマッガ、そのパティパダーはどのようでしょうか。それは七覚支です。つまり七覚支のサティ、七覚支のダンマヴィチャヤ(択法)、七覚支のヴィリヤ(精進)、七覚支のピーティ(喜悦)、七覚支のパッサッティ(軽安)、七覚支のサマーディ(三昧)、七覚支のウペカー(捨)です。

 (こう述べられると、プラウダージが「どのように七覚支に励むのですか、猊下」と質問しました)。

 ウダージさん。この場合の比丘は、ヴィヴェカ(遠離)に依存し、ヴィラーガ(離欲)に依存し、ニローダ(滅)に依存する七覚支のサティ、七覚支の択法、七覚支の精進、七覚支の喜悦、七覚支の軽安、七覚支のサマーディ、七覚支の捨に励みます。それは計ることができない偉大な徳に至る、繁栄した七覚支で、困難はありません。

 このように七覚支のサティ(等々)に励めば、欲望は当然捨てられ、欲望が捨てられればカンマも捨てられ、カンマが捨てられれば苦が捨てられます。ウダージさん。当然このようにカンマの消滅があります。欲望の終り苦の終りは、カンマ(業)の終りによってあるからです。

 (このように欲望を終わらせるためにマッガ、パティパダーである七覚支を説かれている以外にも、別の意味でも説かれています)。

 比丘のみなさん。煩悩を突き刺すマッガを説きます。みなさん良くお聞きなさい。煩悩を突き刺すマッガはどのようでしょうか。それは七覚支です。七覚支は何でしょうか。それは七覚支のサティ、七覚支の択法、七覚支の精進、七覚支の喜悦、七覚支の軽安、七覚支のサマーディ、七覚支の捨です。

 (ここでプラウダージが、「煩悩を突き刺す七覚支に励む時は、どのように励むのですか、猊下」と質問しました)。

 ウダージさん。この場合の比丘は遠離に依存し、離欲に依存し、滅に依存する七覚支のサティ、七覚支の択法、七覚支の精進、七覚支の喜悦、七覚支の軽安、七覚支のサマーディ、七覚支の捨に励みます。

 それは計ることができない偉大な徳に至る励んだ七覚支で、困難はありません。その比丘は、励んだ七覚支のサティ、七覚支の択法、七覚支の精進、七覚支の喜悦、七覚支の軽安、七覚支のサマーディ、七覚支の捨のある心で、まだ突き刺したことのない貪りを突き刺し、当然攻撃し、当然まだ突き刺したことのない怒りを突き刺し、当然攻撃し、当然まだ突き刺したことのない愚かさを突き刺し、当然攻撃します。

 ウダージさん。このように七覚支に励んでたくさんすれば、当然煩悩を突き刺せます。

相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻123頁449項





七覚支を始めれば、マッガも始めたことになる

 比丘のみなさん。七覚支を間違って始めた人は誰でも、その人は正しい苦の終りに至る道である八正道も間違って始めたことになります。比丘のみなさん。七覚支を正しく始めた人は誰でも、その人は苦の終りへ導く道である八正道も正しく始めたことになります。

 七つはどのようでしょうか。それは七覚支のサティ、七覚支の択法、七覚支の精進、七覚支の喜悦、七覚支の軽安、七覚支のサマーディ、七覚支の捨です。

 比丘のみなさん。七覚支を間違って始めた人は誰でも、その人は正しい苦の終りに至る道である八正道も間違って始めたことになります。比丘のみなさん。七覚支を正しく始めた人は誰でも、その人は、苦の終りへ導く道である八正道も正しく始めたことになります。比丘のみなさん。人が励んでたくさんした七覚支は、素晴らしく出すダンマで、当然七覚支をする人を正しい苦の終りに導きます。

 比丘のみなさん。人が励んでたくさんした七覚支は、当然一方的に倦怠、愛欲の弛緩、消滅、静まり、究極の知識のため、涅槃のためになります。

相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻117頁431項





四念処を始めればマッガを始めたことになる

 比丘のみなさん。四念処を間違って始めた人は誰でも、その人は正しい苦の終りに至る道である八正道も間違って始めたことになります。比丘のみなさん。誰であろうと四念処を正しく始めた人は誰でも、その人は正しい苦の終りに至る道である八正道も正しく始めたことになります。

 四念処はどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の比丘は当然普段から常に体の中の体が見え、普段からすべての受の中の受が見え、普段から心の中の心が見え、普段からすべてのダンマの中のダンマが見え、煩悩を焼く努力があり、サティがあり自覚があり、世界の貪りと憂いを出してしまうことができます。

 比丘のみなさん。四念処を間違って始めた人は誰でも、その人は正しい苦の終りに至る道である八正道も間違って始めたことになり、比丘のみなさん。四念処を正しく始めた人は誰でも、その人は正しい苦の終りに至る道である八正道も正しく始めたことになります。

 相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻240頁801項


 


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