識が滅すことで智慧とサティと名形が滅す

 「無憂の人、スガタ様。質問させてください。そのダンマ、つまり智慧とサティと名形についてお答えください。私の智慧とサティと名形は、どこで消滅するのでしょうか」。

 アジタさん。あなたがその問題のどの質問をしても、私はその問題を解決します。名と形が消滅する所はどこでも、智慧、そしてサティと名と形も当然そこで消滅します。識が消滅するからです。

増支部スッタニバータ 25巻530頁425項
増支部チュラニバータ 30巻20頁80項





世界は木屑、草屑の価値しかないと見る

 すべての物は何もかも自然の物が生じたに過ぎないと、何もかも作り出す縁がある物の鎖のような連なりに過ぎないと真実のままに正しく見れば、当然恐怖はありません。

 世界には木屑、草屑以上の価値はないと智慧で見れば、その時その人は、その後再び生まれないこと以外、何も望みません。

小部チュラニデーサ 30巻253頁505項

 (この二つの文章はどちらも長老の言葉ですが、ブッダバーシタの解説として引用しました)。




円が無くなれば回転は止まる

 丸い輪を切り離してしまえば、望む物が何もない状態に達す。駆け巡る欲望を干乾びさせてしまえば、流れることはできず、(このように)切られた輪は、その後は回転できない。それが苦の終わりだ。

小部ウダーナ 25巻199頁148項





黒い人も白い人も涅槃を期待できる

 「猊下。ブーラナカッサバは種族は六種類あると、つまり黒族、緑族、赤族、黄族、白族、そして純白族と規定しています。

 猊下。ブーラナカッサバの規定では、山羊や羊を殺す人、豚を殺す人、鳥を殺す人、鹿を殺す人、漁師、強盗、強盗殺人者、監獄の役人、その他の低い仕事をする人を黒族と規定しています。

 猊下。ブーラナカッサバは臥棘修行者、業論者、その他の(修行)行動をする人たちを緑族と規定しています。

 猊下。ブーラナカッサバは布一枚だけのジャイナ教徒を赤族と規定しています。

 猊下。ブーラナカッサバは裸業者の弟子である白衣の在家を黄族と規定しています。

 猊下。ブーラナカッサバはアジーヴァカ派の修行者たちを白族と規定しています。

 猊下。ブーラナカッサバはナンダヴァッチャ、キッチャサンキッチャ、そしてマッカリゴーサラという教義の人を純白族と規定しています。

 猊下。ブーラナカッサバはこの六種類だけと規定しています」。

 アーナンダ。世界全体が、ブーラナカッサバの六種類の種族の規定を受け入れているのですか。

 「いいえ。猊下」。

 アーナンダ。それなら肉が手に入る希望がないのに、肉の代金の一部を負担しなければならない非常に貧しい人は、「旦那。この肉は食べられないが、旦那は肉の代金を払わなければならないよ」と言う人がいれば当然断るように、すべてのサマナ・バラモンから受け入れられないのに、ブーラナカッサバが六種類の種族を規定するのは、愚か者で頭が鈍く、限度を知らず、賢くない人の状態があります。

 アーナンダ。私が六種類の種族を規定するので、心してお聞きなさい。話します。アーナンダ。六種類の種族とはどのようでしょうか。

 アーナンダ。この場合六種類の種族とは、

 ①ある人は黒族で黒いダンマを生じさせ、

 ②ある人は黒族で白いダンマを生じさせ、

 ③ある人は黒族で、白でも黒でもないダンマである涅槃(貪・瞋・痴の終わり)を生じさせ、

 ④ある人は白族で黒いダンマを生じさせ、

 ⑤ある人は白族で白いダンマを生じさせ、

 ⑥ある人は白族で、黒でも白でもないダンマである涅槃を生じさせます。

 アーナンダ。黒族で白いダンマを生じさせる人はどのようでしょうか。

 アーナンダ。この場合の人は低い身分に生まれ、つまり両親の身分が違う家系や猟師の家、竹細工の家柄、車を作る家柄、あるいはゴミ捨ての家柄などは、貧しくて米にも水にも不自由する逼迫した暮らしで、食べ物、着る物を手に入れるのも困難で、肌の色艶が悪く醜く、非常に背が低く病気がちで、盲目で障害があり、体が一方へ傾いています。

 米や水や着る物、乗る物、花、香りの物、塗る物、寝具、住まい、そして灯明に事欠きますが、彼はまだ不正な振る舞い、不正な発言、不正な考えをします。不正な振る舞いをすれば体が滅びて死んだ後、当然苦界や悪趣や償いのための生や地獄に至ります。こういうのをアーナンダ、黒族で黒いダンマを生じさせる人と言います。

 アーナンダ。黒族で白いダンマを生じさせる人はどのようでしょうか。

 アーナンダ。この場合の人は低い身分、つまり両親の身分が違う家柄や猟師の家柄(その他省略)に生まれ、肌の色艶が悪く、食べ物も着る物も(略)灯明も手に入れるのが困難ですが、それでも彼は正しい体の振る舞いをし、正しい言葉の振る舞いをし、正しい考えをします。

 体と言葉と心の振る舞いが正しければ、体が滅びて死んだ後、当然天国界に至ります。こういうのをアーナンダ、黒族で白いダンマを生じさせる人と言います。

 アーナンダ。黒族で黒でも白でもないダンマである涅槃を生じさせる人はどのようでしょうか。

 アーナンダ。こ場合の人は低い身分、つまり両親の身分が違う家や猟師の家柄(その他省略)に生まれ、肌の色艶が悪く、醜くて非常に背が低い人で、彼は髪と髭を剃り、柿渋で染めた布をまとって家を出て出家し、家に関した利益の無い人になります。

 彼がこのように出家すると、心を憂鬱にし智慧を後退させる五蓋を捨てることができ、四念処で心を安定させ、さらに七覚支を真実のままに発展させ、黒でも白でもないダンマを生じさせると言われます。こういうのをアーナンダ、黒族で黒でも白でもないダンマである涅槃を生じさせる人と言います。

 アーナンダ。白族で黒いダンマを生じさせる人はどのようでしょうか。

 アーナンダ。この場合の人は高い身分、つまり王族や武士の家柄や偉大なバラモンや偉大な長者の家柄に生まれ、財産とモミ米が十分あり、美しい容姿で恰幅が良く、信頼できそうで、すべすべした美しい艶のある肌をしていて、水と飯、着る物、乗り物、花や香りの物、体に塗る物、寝具、住まい、そして灯明は豊富ですが、彼は体の不正な振る舞い、言葉の不正な振る舞い、心の不正な振る舞いがあります。

 不正に振る舞えば、体が滅びて死んだ後、当然苦界や悪趣、償いのための生や地獄に至ります。こういうのをアーナンダ、白族で黒いダンマを生じさせる人と言います。

 アーナンダ。白族で白いダンマを生じさせるとはどのようでしょうか。

 この場合の人は高い身分、つまりカッティヤ(武士)の家柄や、偉大なバラモンの家柄や、偉大な長者の家柄に生まれ、財産と籾米が十分あり、美しい容姿で恰幅が良く、信頼できそうで、すべすべした美しい艶のある肌をしていて、水と飯、着る物、乗り物、花や香りの物、体に塗る物、寝具、住まい、そして灯明が豊富です。

 彼は体の正しい振る舞い、言葉の正しい振る舞い、心の正しい振る舞いがあり、正しく振る舞えば、体が滅びて死んだ後、当然天国の世界に至ります。こういうのをアーナンダ、白族で白いダンマを生じさせる人と言います。

 アーナンダ。白族で黒でも白でもないダンマである涅槃を生じさせる人とはどのようでしょうか。

 アーナンダ。この場合の人は高い身分、つまりカッティヤ(武士)の家柄や、偉大なバラモンの家柄や、偉大な長者の家柄に生まれ、財産とモミ米が十分あり、美しい容姿で恰幅が良く、信頼できそうで、すべすべした美しい艶のある肌をしていて、水と飯、着る物、乗り物、花や香りの物、体に塗る物、寝具、住まい、そして灯明が豊富です。

 彼は髪と髭を剃り落とし、渋染めの衣をまとって家を出て出家し、家に関わる利益の無い人になります。このように出家すると、彼は心を憂鬱にし、智慧の力を弱める五蓋を捨てることができ、四念処で心を安定させることができます。

 更に七覚支を真実のままに発展させることができ、黒でも白でもないダンマである涅槃を生じさせたと言われます。こういうのをアーナンダ、白族で、黒でも白でもないダンマである涅槃を生じさせた人と言います。

 アーナンダ。これが六つの種族です。

増支部チャッカニバータ 22巻428頁329項





解脱には、実践者の身分による違いはない

 「猊下。これら四つの身分、つまりカッティヤ(武士)、バラモン(司祭)、バイシャ(町人)、シュードラ(賤民)があり、これらの身分の者がこの五つの努力すべきことをしたら、猊下、この場合これらの人々に違いはありましょうか」。

 大王。この場合私は、その人の努力の違いだけと言います。

 大王。訓練すべき象でも馬でも牛でも、良く訓練され良い指導を受けている動物と、訓練すべき象でも馬でも牛でも、良く訓練されていない、良い指導を受けていない動物では、大王。これをどう思われますか。良く訓練された動物は必ず訓練された動物の状態になり、良く訓練された動物の境域に到達するのではないですか。

 「それはそうです。猊下」。

 一方どんな動物でも、訓練されていない、指導を受けていない動物は、良く訓練され良く指導された動物のような訓練された動物の状態、良く訓練された動物の境域に達しますか。

 「それはできません。猊下」。

 大王。信仰があり、病気が少なく、自慢をせず、策略がなく、努力を喜び、智慧のある人が到達する結果に、信仰がなく病気が多く、自慢好きで策略があり、怠け者で智慧に欠ける人が到達することはあり得ません。それと同じです。

 猊下。猊下は道理のある話をなさる。スガタ様は筋の通った話をなさる。猊下。これら四つの身分、カッティヤ、バラモン、ベーシャ、シュードラがあり、それぞれの身分の人がこの五つの努力をし、そして正しい努力をすれば、それらの人に違いはありましょうか」。

 大王。この場合私は、ヴィムッティ(解脱)を比較した時、それらの人に違いがあると言いません。大王。乾燥したサラの薪に火を点けて火界を現すのと、マンゴーの薪に火を点けて火界を現すのと、桑の薪に火を点けて火界を現すのと、大王。あなたはこれをどう思われますか。炎を比べ、色を比べ、光を比べた時、いろんな木の火に違いがあるでしょうか。

 「ありません。猊下」。

 これも同じです。どんな行動主がヴィリヤ(精進)によって生じさせる(ダンマの)火も、解脱を比較した時、私はそのダンマの火に違いがあると言いません。

中部マッジマバンナーサ 13巻522頁578項





すべての階級の人のためのアリヤローグッタラダンマ

 「ゴータマ様。バラモンのみなさんは当然四つの財産を規定しています。つまりバラモン(司祭)の財産を規定し、カッティヤ(武士)の財産を規定し、バイシャ(庶民)の財産を規定し、シュードラ(賤民)の財産を規定しています。

 ゴータマ様。バラモンは四つの財産のうち、乞食行をバラモンが身に着けている財産と規定しています。バラモンが自分の財産である乞食行を蔑み自分の義務以外の仕事をするなら、彼はふらふら歩き回って他人の物を盗む牛飼いの子供と同じです。ゴータマ様。これがバラモンたちが規定したバラモンの財産です。

 ゴータマ様。バラモンは、その四つの財産のうち、弓と矢をカッティヤが身に着けている財産と規定しています。カッティヤたちが自分たちの財産である弓矢を軽んじ自分の義務外の仕事をするなら、あちこち歩き回って他人の物をくすねる牛飼いの子供と同じです。

 ゴータマ様。バラモンは、その四つの財産のうち、農業と牧畜をバイシャが身に着けている財産と規定しています。バイシャたちが自分たちの財産である農業と牧畜を軽んじ自分の義務外の仕事をするなら、あちこち歩き回って他人の物を盗む牛飼いの子供と同じです。

 ゴータマ様。バラモンは、その四つの財産のうち、鎌と天秤棒をシュードラの財産と規定しています。シュードラたちが自分たちの財産である鎌と天秤棒を軽んじ自分の義務外の仕事をするなら、ふらふら歩き回って他人の物をくすねる牛飼いの子供と同じです。

 バラモンはこの四つの財産を規定しました。この場合ゴータマ様はどうおっしゃいますか」。

 バラモンさん。世の中の人すべてが「みなさん、この四つの財産を規定しましょう」と、そのようなバラモンの規定を受け入れているのですか。

 「左様なことはございません。ゴータマ様」。

 バラモンさん。これは財産の無い赤貧の人に「旦那。この鹿は旨そうだ。しかし代価を支払わなければならないよ」と言って、望んでいない肉を吊るして見せる人がいるのと同じです。

 バラモンさん。すべてのサマナ・バラモンが受け入れていないのに、バラモンのみながこれら四つの財産を規定したのも同じです。バラモンさん。私は素晴らしいロークッタラダンマ(世俗から出る教え。第一義諦)を、人が身に着けている財産と規定します。

中部ムーラパンナーサ 13巻614頁665項





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