解説五 欲望の発生と生じる場所
欲望の発生
比丘のみなさん。欲望の発生はどのようでしょうか。
比丘のみなさん。目と形に依存して眼識(視覚)が生じ、三つの出合いで触が生じ、触が縁でヴェーダナー(受)が生じ、受が縁で欲望が生じます。これが苦の発生です。
比丘のみなさん。耳と声に依存して耳識(聴覚)が生じ、三つの出合いで触が生じ、触が縁で受が生じ、受が縁で欲望が生じます。これが苦の発生です。
比丘のみなさん。鼻と臭いに依存して鼻識(臭覚)が生じ、三つの出合いで触が生じ、触が縁で受が生じ、受が縁で欲望が生じます。これが苦の発生です。
比丘のみなさん。舌と味に依存して舌識(味覚)が生じ、三つの出合いで触が生じ、触が縁で受が生じ、受が縁で欲望が生じます。これが苦の発生です。
比丘のみなさん。体と触に依存して身識(触覚)が生じ、三つの出合いで触が生じ、触が縁で受が生じ、受が縁で欲望が生じます。これが苦の発生です。
比丘のみなさん。心と想念に依存して意識が生じ、三つの出合いで触が生じ、触が縁で受が生じ、受が縁で欲望が生じます。これが苦の発生です。比丘のみなさん。これが苦の発生です。
相応部サラーヤタナヴァッガ 18巻106頁154項
欲望が生じる条件
比丘のみなさん。欲望の発生は、生じる時はどんな感情でも、当然比丘に生じます。四種類あります。四種類は何でしょうか。四種類は、
比丘のみなさん。欲望が生じる時は、衣が原因で、当然比丘に生じます。
比丘のみなさん。欲望が生じる時は、食べ物が原因で、当然比丘に生ます。
比丘のみなさん。欲望が生じる時は、住まいが原因で、当然比丘に生じます。
比丘のみなさん。欲望が生じる時は、あれこれ(立場や身分や状況)になったこと、ならなかったことが原因で、当然比丘に生じます。
比丘のみなさん。これらが欲望の発生で、生じる時はどんな感情でも、当然比丘に生じます。この四種類あります。
増支部チャトゥカニバータ 21巻12頁9項
21巻335頁257項
欲望が発生・維持する場所
比丘のみなさん。欲望が生じる時は当然どこに生じ、維持する時は当然どこで維持するでしょうか。
比丘のみなさん。世界の愛や喜びの状態があるものは何でも、欲望が生じる時は当然それに生じ、維持する時は当然そこで維持します。
比丘のみなさん。世界の愛や喜びの状態があるものとは何でしょうか。
比丘のみなさん。目は世界の愛や喜びの状態があり、耳は世界の愛や喜びの状態があり、鼻は世界の愛や喜びの状態があり、舌は世界の愛や喜びの状態があり、体は世界の愛や喜びの状態があり、心は世界の愛や喜びの状態があります。欲望が生じる時は当然それらに生じ、維持する時は当然それらで維持します。
比丘のみなさん。すべての形は世界の愛や喜びの状態があり、すべての声は世界の愛や喜びの状態があり、すべての臭いは世界の愛や喜びの状態があり、すべての味は世界の愛や喜びの状態があり、すべての触は世界の愛や喜びの状態があり、すべての考えは世界の愛や喜びの状態があります。欲望が生じる時は当然それらに生じ、維持する時は当然それらで維持します。
比丘のみなさん。目からの識は世界の愛や喜びの状態があり、耳からの識は世界の愛や喜びの状態があり、鼻からの識は世界の愛や喜びの状態があり、舌からの識は世界の愛や喜びの状態があり、体からの識は世界の愛や喜びの状態があります。心の識は世界の愛や喜びの状態があります。欲望が生じる時は当然それらに生じ、維持する時は当然それらで維持します。
比丘のみなさん。目の触は世界の愛や喜びの状態があり、耳の触は世界の愛や喜びの状態があり、鼻の触は世界の愛や喜びの状態があり、舌の触は世界の愛や喜びの状態があり、体の触は世界の愛や喜びの状態があり、心の触は世界の愛や喜びの状態があります。欲望が生じる時は当然それらに生じ、維持する時は当然それらで維持します。
比丘のみなさん。目の触から生じる受は世界の愛や喜びの状態があり、耳の触から生じる受は世界の愛や喜びの状態があり、鼻の触から生じる受は世界の愛や喜びの状態があり、舌の触から生じる受は世界の愛や喜びの状態があり、体の触から生じる受は世界の愛や喜びの状態があり、心の触から生じる受は世界の愛や喜びの状態があります。欲望が生じる時は当然それらに生じ、維持する時は当然それらで維持します。
比丘のみなさん。形を知ることには世界の愛や喜びの状態があり、声を知ることには世界の愛や喜びの状態があり、臭いを知ることには世界の愛や喜びの状態があり、味を知ることには世界の愛や喜びの状態があり、触を知ることは世界の愛や喜びの状態があり、考えを知ることには世界の愛や喜びの状態があります。欲望が生じる時は当然それらに生じ、維持する時は当然それらで維持します。
比丘のみなさん。形について考えることには世界の愛や喜びの状態があり、声について考えることには世界の愛や喜びの状態があり、臭いについて考えることには世界の愛や喜びの状態があり、味について考えることには世界の愛や喜びの状態があります。
触について考えることには世界の愛や喜びの状態があり、考えについて考えることには世界の愛や喜びの状態があります。欲望が生じる時は当然それらに生じ、維持する時は当然それらで維持します。
比丘のみなさん。形を欲望することには世界の愛や喜びの状態があり、声を欲望することには、世界の愛や喜びの状態があり、臭いを欲望することには世界の愛や喜びの状態があり、味を欲望することには世界の愛や喜びの状態があります。
触を欲望することには世界の愛や喜びの状態があり、考えを欲望することには世界の愛や喜びの状態があります。欲望が生じる時は当然それらに生じ、維持する時は当然それらで維持します。
比丘のみなさん。形を思案することには世界の愛や喜びの状態があり、声を思案することには世界の愛や喜びの状態があり、臭いを思案することには世界の愛や喜びの状態があり、味を思案することには世界の愛や喜びの状態があり、触を思案することには世界の愛や喜びの状態があり、考えを思案することには世界の愛や喜びの状態があります。欲望が生じる時は当然それらに生じ、維持する時は当然それらで維持します。
比丘のみなさん。形の熟考には世界の愛や喜びである状態があり、声の熟考には世界の愛や喜びの状態があり、臭いの熟考には世界の愛や喜びの状態があり、味の熟考には世界の愛や喜びの状態があり、触の熟考には世界の愛や喜びの状態があり、考えの熟考には世界の愛や喜びの状態があります。欲望が生じる時は当然それらに生じ、維持する時は当然それらで維持します。
長部マハヴァッガ 10巻343頁297項
苦の終りのために知らなければならない、捨てなければならない物
比丘のみなさん。すべてを最高に良く知らず、知り尽さず、欲情が緩まず、捨てなければ当然苦を終らせるにふさわしい人ではない、すべての物は何でしょうか。すべての物とは、
六内処 (目・耳・鼻・舌・体・心)
六外処 (形・音・臭・味・触・考え)
六識 (眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)
六触 (目・耳・鼻・舌・体・心の触)
六受 (目・耳・鼻・舌・体・心の受)です、
比丘のみなさん。これらが、最高に良く知らず、知り尽さず、欲情が緩まず、捨てなければ、当然苦の終りにふさわしくない人であるすべての物です。
相応部サラーヤタナヴァッガ 18巻21頁27項
(次に、反対の意味で、知って捨てた時、苦の終わりにふさわしい人になるすべての物について話されています。学習者は、自分自身で対照できます)。
苦の終わりのために知るべき、捨てるべき物 二
比丘のみなさん。最高に良く知らず、知り尽さず、欲情が緩まず、捨てなければ当然苦を終らせるにふさわしい人ではないすべての物とは何でしょうか。すべての物とは、
六内処 (目・耳・鼻・舌・体・心)
六外処 (形・音・臭・味・触・考え)
六識 (眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)
六ヴィンニャーナヴィンニャータッバダンマ
比丘のみなさん。これら最高に良く知らず、知り尽さず、欲情が緩まず、捨ててしまわなければ当然苦を終わらせるにふさわしくない人であるすべての物です。
相応部サラーヤタナヴァッガ 18巻22頁29項
(この後、反対の意味で、知って捨てた時、苦の終わりにふさわしい人になるすべての物について話されています。学習者は、自分自身で対照できます)。
可愛いくて喜ばしい状態は、この教団ではイバラ
比丘のみなさん。イバラがたくさんある森に行かなければならない男は、前にもイバラがあり、後ろにもイバラがあり、すぐ上にもあり、すぐ下にもあり、上の方にも下の方にもあるので、「イバラに刺されないように」と考えて少しずつ前進するサティ、少しずつ後退サティが必要です。
比丘のみなさん。同じように(欲望を生じさせる)世界の愛らしい状態、喜ばしい状態は何でも、比丘のみなさん。この愛すべき喜ぶべき物を、私は「聖人のヴィナヤ(訳注:ブッダの教団のこと)のイバラ」と言います。
相応部サラーヤタナヴァッガ 18巻234頁334項