ブッダヴァチャナによる四聖諦
第二部 集諦
苦の原因である素晴らしい真実
誘い懇願する言葉
比丘のみなさん。みなさんがするべきヨーガカンマは、
「これが苦、これが苦を生じさせる原因、
これが滅苦、これが滅苦に至る道」と知るためです。
涅槃はもう説明しました。
涅槃への道もみなさんに説明しました。
可愛がる教祖が、可愛がることの利益を求めて、
弟子のみなさんにするべきことは何でも、
みなさんにしました。
ほら、木の根本、ほら、空き家。
みなさん煩悩を燃やす努力をなさい。
油断をしてはいけません。
後で苦しむ人になってはいけません。
これが、私がみなさんに口うるさく教えることです。
相応部マハーヴァーラヴァッガ サラーヤタナヴァッガ
集諦の例示
比丘のみなさん。苦を生じさせる原因である素晴らしい真実はどのようでしょうか。比丘のみなさん。再び生まれさせるどんな欲望にも、陶酔の威力による欲情があり、普通はその感情に夢中にさせます。つまり、愛欲、所有したい、存在したい欲(有欲)、所有したくない、存在したくない欲(無有欲)。これを苦の原因である素晴らしい真実と言います。
相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻534頁1680項
集諦の説明
解説四 欲望の状態
欲望が作る状態
比丘のみなさん。欲望はどれも再び生まれさせ、陶酔の威力による欲情があり、通常その感情(心の概念)に陶酔させます。
相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻32頁52項
19巻529頁1665項
欲望は当然陶酔した行動をする人を(生い茂って木を隠す)蔦のように覆う。だから欲望に覆われた人は、猿が果物を求めて森を歩き回るように、当然大小の有を回遊する。
下賤な欲望がこの世界全体に撒き散らされて誰かを覆うと、当然すべての悲しみがヴィラナ(非常に早く繁茂する草の名)のように、あっという間にその人に蔓延する。
木は幹を切られても、根がまだしっかりして危険がなければ、当然芽が出て成長できるように、苦は(その苦の根っこである)欲随眠が抜かれていなければ、当然キリもなく生じる。
三十六の流れがある欲望は、誰かの思いのままに力強く流れる物もある。貪りに依存した考えには大きな流れがあり、当然間違った見解のある人をかっさらって行く。
(欲望の)流れは当然、すべての感情に滔々と流れ、蔦(つまり欲望)は伸びている。蔦が生じたのを見たみなさんは智慧でその根を断ってしまいなさい。
全身に沁みわたる喜びと愛着があるので、動物たちは喜びに依存して幸福を求める。その動物こそ生と老に至る人。
罠に掛かった兎が猟師と遭遇すると、不安でドキドキするように、動物の群れが欲望に遭遇すると、当然ドキドキする。サンニョージャナ(結)で繋がれている動物は、永遠に際限なく苦がある。
小部ダンマパダ 25巻60頁34項
有身集は欲望の同義語
比丘のみなさん。有身集はどのようでしょうか。再び生まれさせる欲望は何でも陶酔の威力による欲情があり、その感情に極めて陶酔させます。つまり愛欲・有欲・無有欲。比丘のみなさん。これをサッカーヤサムダヤ(有身集)と言います。
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相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻194頁286項
(別の経では、サッカーヤサムダヤと言われる代わりに、サッカーヤサムダヤヤンタ=有身集辺と言われているのもあります)。
世界の動物の王
「世界は何に導かれていますか。世界は何に引き回されていますか。すべての世界の動物が同じ物の威力下に落ちている物は何ですか」。
世界は欲望に導かれ、世界は欲望に引き回され、世界の動物のすべてが一つの物の威力下に落ちているのは、欲望です。
相応部サカーダヴァッガ 15巻54頁182項
一番のサンニョージャナ(結)
比丘のみなさん。タンハーサンニョージャナ(欲結)がすべての動物にある時ほど、輪廻へ走り、当然永遠に輪廻を回遊させる他のサンニョージャナは、私には一つも見えません。
比丘のみなさん。すべての動物に欲結があるので、当然輪廻に走って行き、本当に永遠に輪廻を回遊します。
小部アティウッタカ 25巻236頁193項
バヴァ(有または界)へ誘うもの
「スガタ様。スガタ様が『有に導く物』『有に導く物』とおっしゃるのは、どのような物ですか。そして有に導く物の消滅はどのようですか」。
ラーダさん。チャンダ(満足)にしても、ラーガ(満足して欲しがること。欲貪)にしても、ナンディ(陶酔)にしても、タンハー(欲望)にしても、そしてウパーヤ(有になる煩悩)も、重りであり、依存する物であり、そして心を眠り続けさせる物である形・受・想・行・識のどんなウパーダーナ(取。執着)も、それらの煩悩を私は「有に導く物」と言います。
有に導く物の消滅は、満足や欲貪などのある煩悩が消滅することによって生じます。
相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻233頁368項
バヴァの種
「猊下。世尊は『バヴァ』『バヴァ』とおっしゃいますが、バヴァ(有)は当然どのような原因であるのでしょうか」。
アーナンダ。カンマ(業。カルマ)に報いである欲界がなければ、欲界は現れるでしょうか。
「現れません。猊下」。
アーナンダ。だからカンマは田で、識は種で、欲望は種を涵養する樹液(あるいは水分)です。阻む物である無明があるすべての動物の識は、繋ぐ物である欲望があり、低劣な界(カーマダートゥ=欲界)を維持しています。その後新しい界に生まれることは当然このような状態であります。
アーナンダ。報いである形界がなければ、形界は現れるでしょうか。
「現れません、猊下」。
アーナンダ。だからカンマは田で、識は種で、欲望は種の樹液です。阻む物である無明があるすべての動物の識は、繋ぐ物である欲望があり、中等の界(形界)を維持しています。その後新しい界に生まれることは、当然このような状態であります。アーナンダ。報いである無形界がなければ、無形界は現れるでしょうか。
「現れません。猊下」。
アーナンダ。だからカンマは田で、識は種で、欲望は種の(命を涵養する)樹液です。阻む物である無明があるすべての動物の識には、繋ぐ物である欲望があり、上品な界(無形界)を維持しています。その後新しい界に生まれることは、このような状態であり得ます。
小部ティカニカーヤ 20巻287頁516項
生まれさせる種
「世尊。世尊は『有(または界)』『有』とこのようにおっしゃいますが、当然どれほどの理由であるのですか」。
アーナンダ。カンマに報いである欲界がなければ、欲界は現れるでしょうか。
「いいえ、現れません」。
アーナンダ。だからカンマは田で、識は種で、欲望は種(を涵養する)の樹液です。阻む物である無明があるすべての動物の意図も望みも、保護する物である欲望があり、低劣なレベルの界を維持しています。次に新しい界に生まれることは、このようにしてあります。アーナンダ。カンマに報いである形界がなければ、形界は現れるでしょうか。
「あり得ません。猊下」。
アーナンダ。だからカンマは田で、識は種で、欲望は種(を涵養する)の樹液です。阻む物である無明があるすべての動物の意図も望みも、保護する物である欲望があり、中間の界を維持しています。次に新しい界に生まれることは、このようにしてあります。アーナンダ。カンマに報いである無形界がなければ、無形界は現れるでしょうか。
「いいえ、あり得ません。猊下」。
アーナンダ。だからカンマは田で、識は種で、欲望は種(を涵養する)の樹液です。すべての動物の意図も望みも、阻む物である無明があり、保護する物である欲望があり、上品な界を維持しています。次に新しい界に生まれることはこのようにしてあります。
アーナンダ。界は当然このような様相であり得ます。
小部ティカニカーヤ 20巻288頁517項
ウパディが生まれる所
比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘が継続して熟慮すれば、「このウパディ(註)は何が原因で生じるのだろう。何が生まれさせるのだろう。何が発生源だろう。何があればウパディがあり、何がなければウパディがないのだろう」とこのように更に深く熟慮します。
比丘のみなさん。その比丘が熟慮していれば、当然「ウパディは生せる原因である欲望があり、生まれせる物である欲望があり、生む物である欲望がある。そして発生源である欲望があり、欲望があればウパディがあり、欲望がなければウパディがない」とこのようにハッキリと知ります。
相応部ニダーナヴァッガ 16巻131頁257項
註: ウパディ=依。依著(渇愛煩悩)。存在の基礎。生の素質。妻子等。(水野弘元編パーリ語辞典)
取が生まれる所
比丘のみなさん。この四取は何が原因で生まれるのでしょうか。何が生まれさせる物で、何が生む物で、そして何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。この四取は欲望が原因で生まれ、欲望が生まれさせる物で、欲望が生む物で、そして欲望が発生源です。
比丘のみなさん。この欲望は何が原因で生まれるのでしょうか。何が生まれさせる物でしょうか。何が生む物で、そして何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。この欲望は受が原因で生まれ、受が生まれさせる物で、受が生む物で、そして受が発生源です。
中部ムーラバンナーサ 12巻134頁158項
(注目点: 通常ウパディという言葉はいろんな意味がありますが、熟慮して見ると、①ウパディとウパダーナが生じる原因について述べた言葉は、どちらも同じ欲望から生じているので、ウパディとウパダーナは同じような訳語にするべきです。組織と有為に満足すると言う意味の知識の前に、広い意味があるウパディの見本として、解説6の「欲望は悲しみの原因」を参照してください)。
食べ物の発生源
比丘のみなさん。この四食は生まれた動物が生存するため、生まれる場所を探している生き物(求生)を援けるためにあります。四食とはどのようでしょうか。
四種類とは、一番目の食べ物は上等でも下等でもご飯、二番目の食べ物は触、三番目の食べ物は意思、四番目の食べ物は識です。比丘のみなさん。これら四種類の食べ物は生まれた動物が生存するため、生まれる場所を探している動物(求生)を援けるためにあります。
比丘のみなさん。何が四食を生じさせる原因で、何が生じさせる物(集)で、何が生む物で、そして何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。これらの四食は欲望が生じさせる原因で、欲望が生じさせる物で、欲望が生む物で、そして欲望が発生源です。
相応部ニダーナヴァッガ 16巻14頁28項
六種類の感情による欲望の分類
比丘のみなさん。タンハー(欲望)はどのようでしょうか。
比丘のみなさん。六種類の欲望とは形の欲望、声の欲望、臭いの欲望、味の欲望、触の欲望、考えの欲望です。比丘のみなさん。これをタンハー(欲望)と言います。
相応部ニダーナヴァッガ 16巻3頁10項
バヴァ(有)の三分類
比丘のみなさん。有はどのようでしょうか。 比丘のみなさん。三種類は、
1.欲界 愛欲がある界
2.形界 形がある界
3.無形界 形がない界
これを有(または界)と言います。
相応部ニダーナヴァッガ 16巻3頁8項
三種類に分類した欲望
比丘のみなさん。欲望にはこれらの三種類があります。三種類はどれでしょうか。
1.カーマタンハー(愛欲) 愛欲の欲
2.バヴァタンハー(有欲) 存在したい欲
3.ヴィバヴァタンハー(無有欲) 存在したくない欲
比丘のみなさん。これが三種類の欲望です。
相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻86頁329項
註: 三欲とは、愛欲、有欲、無有欲
カーマタンハー(愛欲)は、貪り、貪欲等々で、欲界のある心の貪りを愛欲と言う。
バヴァタンハー(有欲)は、貪り、貪欲等々で、有見のある心の貪欲を有欲と言う。
ヴィバヴァタンハー(無有欲)は、貪り、貪欲等々で、断見のある心の貪欲を無有欲と言う。
論蔵ヴィバンガ 35巻495頁933項
愛欲の状態
比丘のみなさん。カーマヨーガ(愛欲に繋がれること。欲軛)とはどのようでしょうか。
比丘のみなさん。この世界のある人は、当然すべてのカーマ(愛欲)の発生、すべての愛欲の消滅、すべての愛欲の旨味、すべての愛欲の害、そしてすべての愛欲から出る方便を真実のままに明らかに知りません。
比丘のみなさん。彼がそのように知らなければ、愛欲の欲情、愛欲の陶酔、愛欲の魅力、愛欲に平伏すること、愛欲の渇き、愛欲が原因の焦燥、愛欲に惑溺すること、そしてすべての愛欲の欲望がその人の中で眠っています。比丘のみなさん。これをカーマヨーガ(欲軛)と言います。
増支部チャトゥカニバータ 21巻13頁10項
五欲は首かせ
比丘のみなさん。五欲はこの五種類あります。五種類とは何でしょうか。
五種類とは望ましい物、愛らしい物、満足すべき物であり、目や心を魅惑して愛させる物であり、欲望の住処であり、心を染める欲情の基盤である目で見る形、耳で聞く声、鼻で嗅ぐ臭い、舌で味わう味、体で感じる触です。比丘のみなさん。これを五欲と言います。
比丘のみなさん。五欲に首丈になり、平伏し、惑溺しているサマナ・バラモンはどの人たちも、害の部分が見えず、苦から脱出する方便を明らかに知る人でなく、五欲のすべてを享受しています。そのサマナ・バラモンたちは、罪な心の悪魔の心次第で、思いどおりに破滅させられる人と、誰もが理解すべきです。
比丘のみなさん。罠に掛かって罠の中で寝ている野生の鹿は猟師が来てもどこへも逃げて行けないように、比丘のみなさん。そのサマナ・バラモンたちは揃ってこれらの五欲に首丈になり、平伏し、惑溺して、害の部分が見えないので、苦から脱出する道具である方便が明らかに見える人でなく、五欲のすべてを享受しています。
そのサマナあるいはバラモンは、罪な心の悪魔の考え次第で、メチャメチャに破滅する人と、誰も理解なさい。
中部ムーラバンナーサ 12巻333頁327項
愛欲は捕縛具
鉄製、木製、抜き取った草で作った物、どんな捕縛具でも、智慧のある人は、その捕縛具を堅牢な捕縛具と言いません。
耳飾りや宝石などを喜ぶことも妻子への恋慕も、すべての智慧ある人は、その喜びや恋慕は動物を縛り付け、本当に低い所へ引っ張て行き、縛り方は緩くても解け難いと言います。
相応部サカーダヴァッガ 15巻112頁353項
愛欲はマヤカシ
比丘のみなさん。すべてのカーマ(愛欲)は無常であり、空っぽの物であり、偽物であり、当たり前に騙して信じさせる物です。
比丘のみなさん。愛欲はマヤカシで作った物のように、愚かな人が際限なく嘆く物です。つまり愛欲と愛欲の想は、現在も先々の成り行きも、すべて悪魔の領分であり、悪魔の範囲であり、悪魔の餌であり、悪魔が餌を探す場所です。
貪りも復讐心も競争も、罪悪である心は当然悪魔の領分になり、更にそれらの悪は、当然このダンマヴィナヤで学んでいる聖なる弟子にとって、本当に危険のために現れます。
中部ウパリバンナーサ 14巻74頁81項
愛欲に涼しさはない
マーガンディヤさん。あなたはこれをどう思いますか。つまり国王でも国王の重臣でも、満ち足りた五欲に喜ばされ、まだ愛欲を捨てることができず、愛欲による焦燥を減らすことができない人が、欲望のない人、心の内面が静まった人になったのを、過去でも現在でも未来でも、あなたは見たこと、あるいは聞いたことがありますか。
「一度もありません。ゴータマさん」。
そうです、マーガンディヤさん。私も、国王や国王の重臣が満ち足りた五欲に喜ばされ、まだ愛欲を捨てることができず、愛欲による焦燥を減らすことができないのに、欲望のない人、心の内面が静まった人になったのは、過去でも現在でも未来でも、見たことも聞いたこともありません。
中部マッジマバンナーサ 13巻280頁286項
人は愛欲ゆえに嘘を言う
「猊下。私は訴訟の審判の席で、富豪で財産があり、消費財がたくさんあり、金銀も十分あり、財産を集める物もたくさんあり、基本の財産である籾米がたくさんある偉大な王や偉大なバラモンや偉大な長者が、愛欲ゆえに、愛欲が原因で、愛欲が元で、愛欲が言わせたと分かる嘘を言うのを見ました。猊下。私に『今審判するに十分だ。今審判する善なる王が現れた』と、このような考えが生まれました」。
大王、それはそうです。大王、それはそうです。富豪で財産があり、消費財がたくさんあり、金銀も十分あり、財産を集める物がたくさんあり、基本財産である籾米がたくさんある偉大な王や偉大なバラモンや偉大な長者が、愛欲ゆえに、愛欲が原因で、愛欲が元で、愛欲が言わせたと分かる嘘を言います。これらの人々のこのような行動は苦になり、永遠に利益になりません。
このように言われて、次のガーター(詩)を詠まれました。
すべての愛欲に夢中になり
惑溺し
愛欲の享受に染まっている人は
罠に入る魚のように
当然自分が深入りしていると考えないので
当然後で困窮する
その人が作った結果は悪だから
相応部サカーダヴァッガ 15巻107頁343項
愛欲の威力
「猊下。このような場合『莫大な資産を手に入れて酔わず、陶酔せず、すべての愛欲を喜ぶに至らず、そしてすべての動物に対して間違った振る舞いをしない動物は、世界に非常に少ない。実際動物が莫大な財産を手に入れると、酔い、陶酔し、すべての愛欲を喜ぶに至り、そしてたくさんの動物の中で間違った振る舞いをする。それらの動物は世界に非常にたくさんいる』という考えが生まれます」。
大王。それはそのようです。大王。それはそのようです。莫大な財産を得て、酔わず、陶酔せず、すべての愛欲を喜ぶに至らず、そして多くの動物の中で間違った振る舞いをしない動物は、世界に非常に少ないです。
どの動物も本当に莫大な財産を手に入れると、酔い、陶酔し、すべての愛欲を喜ぶに至り、そして多くの動物の中で間違った振る舞いをします。そういう動物は、世界にたくさんいます。
このように話された後、次の詩を詠まれました。
『愛欲を享受することに染まって虜になり
すべての愛欲に陶酔する人は
罠に入る鹿や小鳥のように
自分が深入りしていると当然考えない
だからその人に
当然後で苦しみが訪れる
その人が作った結果は悪の物だから』
相応部サカーダヴァッガ 15巻106頁340項
愛欲ゆえに死に近づく
ある朝世尊がチーヴァラ(衣)をまとい、鉢を持ってサーヴァッディーの町へ托鉢に行かれ、たくさんの町の人が愛欲に関わり、愛欲から離れられなくなり、愛欲に夢中になっているのをご覧になり、大声で感嘆なさいました。
『すべての動物は愛欲の威力の闇があり、動物の罠である欲望に覆われ、欲望に目隠しされ、迂闊な者の一味のような悪魔の群れに捕まり、罠に入る魚のように、乳を飲んでいる子牛が母牛に近づくように、当然老いと死に近づく』。
小部ウダーナ 25巻200頁150項
陶酔は苦が生まれるところ
プンナさん。目で見る形も、耳で聞く声も、鼻で嗅ぐ臭いも、舌で味わう味も、体で感じる触も、そして心で感じる想念も、望ましい物、可愛くて欲しくなる物、満足する物、目や心を魅惑して愛させる物で、欲望の基盤であり、愛欲の基盤である物があります。
比丘が形などがあるその感情に夢中になり、褒めちぎって惑溺すれば、当然ナンディ(気に入ること)が生じます。私は「気に入ることが集(生じさせる物。原因)で、苦集(苦の発生)が生じる」と言います。
中部ウパリバンナーサ 14巻481頁755項
内処を楽しむのは、苦を楽しむのと同じ
比丘のみなさん。目に夢中になっている人は、苦である物に夢中になっているのと同じです。私は「苦である物に夢中になっている人は当然苦から解脱できない」と言います。
比丘のみなさん。耳に夢中になっている人は、苦である物に夢中になっているのと同じです。私は「苦である物に夢中になっている人は当然苦から解脱できない」と言います。
比丘のみなさん。鼻に夢中になっている人は、苦である物に夢中になっているのと同じです。私は「苦である物に夢中になっている人は当然苦から解脱できない」と言います。
比丘のみなさん。舌に夢中になっている人は、苦である物に夢中になっているのと同じです。私は「苦である物に夢中になっている人は当然苦から解脱できない」と言います。
比丘のみなさん。体に夢中になっている人は、苦である物に夢中になっているのと同じです。私は「苦である物に夢中になっている人は当然苦から解脱できない」と言います。
比丘のみなさん。心に夢中になっている人は、苦である物に夢中になっているのと同じです。私は「苦である物に夢中になっている人は当然苦から解脱できない」と言います。
相応部サラーヤタナヴァッガ 18巻16頁19項
(その後、外処について、上記の内処入の場合とすべて同じで、違うのは処入の名前だけで、外処入について話されています)。
苦の山の旨味(愛欲の欺瞞)
マーガンディヤさん。ハンセン病の人は病原菌に蝕まれた体が傷で光り、爪で傷口を引っ掻いては、炭火で体を燻しています。マーガンディヤさん。その人がどんなにそのようにしても傷口は清潔にならず、ますます悪臭を放ち、すればするほど腐ります。多少の満足と快さを感じるのは、傷の掻いた所、その火によって温められた部分です。
マーガンディヤさん。同じようにすべての欲情を欲しがる動物は、愛欲に蝕まれ、愛欲に炙られて焦燥し、それでもすべての愛欲を享受しています。マーガンディヤさん。その人がそのようにすればするだけ、それらの動物の愛欲は当然重症になり、愛欲が原因の焦燥に炙られます。そしてそれらの動物が多少の満足と快さを感じるのは、五欲の味だけです。
中部マッジマバンナーサ 13巻274頁285項
苦に見合わない旨味
比丘のみなさん。アリッダ比丘カンダヴァーディプッバは、自分が間違って捉えて、それを私のダンマだと言って自分自身の根を掘り、非常にたくさんの徳でないものに遭遇します。みなさんも私が説明したダンマをアリッダ比丘のように理解しますか。
「いいえ、スガタ様。世尊は私たち弟子のみんなに、実践者にとって危険なダンマは本当に実践者を危険に曝すことができると、いろんな角度からおっしゃいました。すべての愛欲は旨味が少なく、苦が多く、悩ませる問題が多い。そして極めて害がある。
骨の欠片、肉の一切れ、草の松明、燃えている炭の穴、夢、借り物、果物、挽肉を作るまな板の、槍と竹槍、タイワンドジョウに例えられるべき物とス世尊はおっしゃいました」。
比丘のみなさん。そうです。みなさんは私が説明したようにダンマを理解しています。
比丘のみなさん。私がみなさんに「実践者にとって危険なダンマ」と、様々な角度から話したダンマはどれも、本当に実践者を危険な目に遭わせることができます。「すべての愛欲は旨味が少なく苦が多く、悩ませる問題が多く、そして害は極めて多く、
骨の欠片、肉の一切れ、草の松明、燃えている炭の穴、夢、借り物、果物、挽肉を作るまな板の、槍と竹槍、そしてタイワンドジョウに例えられるべき物」と、私は言います。
しかしアリッダ比丘カンダヴァーディプッバは、私が説明したダンマを間違って捉えて、私のダンマだと言って自分の根を掘り、そして徳でない物にたくさん遭遇します。それはその無益の人にとって、永遠に利益になりません。
中部ムーラバンナーサ 12巻266頁277項