ブッダヴァチャナによる四聖諦



解説二 五取蘊に集約される苦(95話)





 比丘のみなさん。「要するに五取蘊は苦」とはどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。五取蘊とは、執着の基盤である蘊は形。執着の基盤である蘊は受。執着の基盤である蘊は想。執着の基盤である蘊は行。執着の基盤である蘊は識。これらを「要するに五取蘊は苦」と言います。

長部マハヴァッガ 10巻343頁295項





1 五蘊の分類

(1) 五蘊の分類

 比丘のみなさん。過去でも現在でも、内部でも外部でも、下品でも上品でも、粗悪でも緻密でも、近くにあっても遠くにあっても、何らかの形があります。これを形蘊と言います。

 比丘のみなさん。過去でも現在でも、内部でも外部でも、下品でも上品でも、粗悪でも緻密でも、近くにあっても遠くにあっても、何らかの受があります。これを受蘊と言います。

 比丘のみなさん。過去でも現在でも、内部でも外部でも、下品でも上品でも、粗悪でも緻密でも、近くにあっても遠くにあっても、何らかの想があります。これを想蘊と言います。

 比丘のみなさん。過去でも現在でも、内部でも外部でも、下品でも上品でも、粗悪でも緻密でも、近くにあっても遠くにあっても、何らかの行があります。これを行蘊と言います。

 比丘のみなさん。過去でも現在でも、内部でも外部でも、下品でも上品でも、粗悪でも緻密でも、近くにあっても遠くにあっても、何らかの識があります。これを識蘊と言います。

 比丘のみなさん。これらを五蘊と言います。

相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻59頁95項





形蘊の分類 ルーパ(形)とルーパーサヤ

 比丘のみなさん。四大種とその四大種に依存している形を形と言います。

相応部ニダーナヴァッガ 16巻4頁14項
相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻72頁113項



 比丘のみなさん。形を知らないと言われる比丘はどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の比丘は、当然「何らかの形は、四大種(土・水・火・風)とその四大種に依存する形」と真実のままに知りません。比丘のみなさん。これを形を知らない比丘と言います。

増支部エーカーダサカニバータ 24巻378頁224項





 比丘のみなさん。形を知っていると言われる比丘はどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の比丘は、当然「何らかの形は、四大種とその四大種に依存している形」と、このように真実のままに知っています。比丘のみなさん。これを形を知っている比丘と言います。

増支部エーカーダサカニバータ 24巻381頁224項





大種とは四ダートゥ

 比丘のみなさん。ダートゥ(要素。種、あるいは界)にはこれらの四種類があります。四種類とは何でしょうか。四種類とは、土・水・火・風です。比丘のみなさん。これらを四ダートゥ(四界)と言います。

相応部ニダーナヴァッガ 16巻203頁403項





 比丘のみなさん。土界はどのようでしょうか。内部で経過する土界もあり、外部である土界もあります。比丘のみなさん。内部で経過する土界はどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。識界が依存している固い物、粗い物の部分で、自分の内部、特に自分にある物です。つまり毛髪、体毛、爪、歯、皮膚、腱、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、筋膜、脾臓、肺、腸、胃の中の食べ物、大便、あるいはその他いろいろ(同様の状態の物)です。比丘のみなさん。これを内部で経過する土の要素と言います。比丘のみなさん。内部で経過しても外部でも、これらを土界と言います。

中部ウパリバンナーサ 14巻437頁684項





 比丘のみなさん。水界はどのようでしょうか。内部で経過する水界も、外部の物もあります。比丘のみなさん。内部で経過する水界とは何でしょうか。

 比丘のみなさん。識界が依存する沁みて濡れ湿る部分で、自分の内部、特に自分にある物です。つまり水、痰、膿、血、汗、脂、涙、リンパ液、唾液、鼻汁、涎、尿、あるいはその他(同様の状態のもの)何でもです。比丘のみなさん。これを内部で経過するのも外部の物も、水界と言います。

中部ウパリバンナーサ 14巻438頁685項





 比丘のみなさん。火界はどのようでしょうか。内部で経過する火界も外部の物もあります。比丘のみなさん。内部で経過する火界はどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。識界が依存する燃える物、炙る物で、自分の中、特に自分にあります。つまり体を温める火、体を老いさせ衰えさせる火、体を焦燥させる火、食べたり飲んだり噛んだりした食べ物を良く変化させる火です。比丘のみなさん。内部で経過するのも外部のも、これを火界と言います。

中部ウパリバンナーサ 14巻438頁686項





 比丘のみなさん。風界はどのようでしょうか。風界は内部で経過するのも外部のものもあります。比丘のみなさん。内部で経過する風界はどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。識界が依存する動いて移動できる部分で、自分の内部に、特に自分にあります。つまり上へ吹く風、下へ吹く風、腹の中で止まっている風、腸で止まっている風、全身を駆け巡る風、そして呼吸、あるいは他の(同じような状態の)ものです。比丘のみなさん。これを内部の風界と言います。比丘のみなさん。風界は内部で経過する物も、外部のもの、これらを風界と呼びます。

中部ウパリバンナーサ 14巻439頁687項





四界の発生は苦の発生

 比丘のみなさん。土界・火界・水界・風界の発生、維持、著しい発生、そして出現は、苦が生まれるのと、普通に突き刺す物があるのと、そして老死が現れるのと同じです。

相応部ニダーナヴァッガ 16巻208頁414項





四界に陶酔することは苦に陶酔するのと同じ

 比丘のみなさん。土界・火界・水界・風界に最高に陶酔する比丘は、当然苦である物に陶酔するので、私は当然「苦である物に最高に陶酔する人は、当然苦から脱すことはできない」と言います。

相応部ニダーナヴァッガ 16巻208頁412項





旨味-害-四界から脱す方便

 比丘のみなさん。私がまだ大悟する前、まだ大悟していないボーディサッタ(菩薩)だった時、私に「何が土界・火界・水界・風界の旨味だろう。何が土界・火界・水界・風界の害だろう。何が土界・火界・水界・風界から脱す方便だろう」という疑問が生じました。

 比丘のみなさん。私に「土界・火界・水界・風界に依存して生じる幸福、喜びは何でも、それが土界・火界・水界・風界の旨味だ。そして土界・水界・火界・風界は無常であり、苦であり、当たり前にいろんな状態で変化する。

 土界・火界・水界・風界の害、満足する威力による欲情を出してしまうには、土界・火界・水界・風界に満足することによる欲情を、何らかの方便で捨てることだ。この方便は、土界・火界・水界・風界から脱す方便だ」という知識が生まれました。

相応部ニダーナヴァッガ 16巻203頁404項





四界の秘密

 比丘のみなさん。土界でも火界でも水界でも風界でも、それらに旨味がなければ、すべての動物は、土界・火界・水界・風界をそれほど欲しがりません。比丘のみなさん。しかし土界でも火界でも、水界でも風界でも、旨味があるので、すべての動物は土界・火界・水界・風界を喜んで欲しがります。

 比丘のみなさん。土界でも火界でも水界でも風界でも害がなければ、すべての動物は土界・火界・水界・風界に倦怠しません。比丘のみなさん。しかし土界でも火界でも、水界でも風界でも害があるので、すべての動物は土界・火界・水界・風界に倦怠します。

 比丘のみなさん。土界でも火界でも水界でも風界でも、それから出る方便がなければ、すべての動物は土界・火界・水界・風界から出ることができません。比丘のみなさん。しかし土界でも火界でも、水界でも風界でも、それらから出る方便があるので、すべての動物は土界・火界・水界・風界から出ることができます。

相応部ニダーナヴァッガ 16巻205頁408項





四界は無常であり、苦であり、無我

 ラフラ。あなたはこれをどう理解しますか。土界・火界・水界・風界は不変ですか、不変でないですか。

 「不変ではありません。スガタ様」。

 では不変でないものは苦ですか、幸福ですか。

 「苦です。スガタ様」。

 無常であり苦である物は、当たり前に変化があります。「それは私の物。それは私。それは私自身」と見るべきですか。

 「そのように見るべきではありません。スガタ様」。

相応部ニダーナヴァッガ 16巻291頁616項





まだ四界を喜んでいるのは、四界を知らないから

 比丘のみなさん。この世界の凡夫は聖人が見えず、話を聞かない人で、聖人のダンマに賢くなく、聖人のダンマの忠告を受けず、善人が見えず、善人のダンマに賢くなく、善人のダンマの忠告を受けないので、当然土・水・火・風を土・水・火・風と知り、

土・水・火・風を土・水・火・風と知れば、当然土・水・火・風を土・水・火・風と思い込み、当然「土・水・火・風は私の物」と思い込み、そして当然、土・水・火・風に夢中になります。

 それは何故でしょうか。私は当然「土・水・火・風は、その凡夫がまだ良く認識し尽していないものだから」と言います。

中部ムーラバンナーサ 12巻1頁2項





形という言葉の意味

 比丘のみなさん。一般の人が「形」と言うのは、何の意味に依存して言うのでしょうか。比丘のみなさん。崩壊する動きがあるので、それを形と呼びます。なぜ崩壊するのでしょうか。

 寒さで崩壊することもあり、暑さで崩壊することもあり、飢えで崩壊することもあり、渇きで崩壊することもあり、アブ、蚊、風、陽射し、そして這う動物に刺されて崩壊することもあります。比丘のみなさん。崩壊の動きがあるので、それは形と呼ばれます。

相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻105頁159項





形のたとえ

 比丘のみなさん。ガンガ(ガンジス川)の流れが大きな水の泡の固まりを運んでくると、(普通に)目の良い人がその大きな泡の固まりを見て、絶妙な熟慮分析をします。その人が絶妙な熟慮分析で見れば、水の泡は当然空虚な物、実体のない物として現れます。比丘のみなさん。その水の泡に実体のあろうはずがありません。

 比丘のみなさん。同じように過去でも現在でも、内部でも外部でも、上品でも下品でも、粗悪でも緻密でも、近くにあっても遠くにあっても、何らかの形があり、比丘がその形を見ると、当然絶妙の熟慮をして見ます。その比丘が絶妙の熟慮で見れば、当然その形は空虚な物と分かり、そして実体のない物として現れます。比丘のみなさん。その形に実体があろうはずがありません。

相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻171頁242項





形の旨味

 比丘のみなさん。形の旨味(アッサーダ)はどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。十五歳か十六歳と言うべき、背は高すぎず低すぎず、太り過ぎず痩せ過ぎず、黒すぎず白すぎないカッティヤ(武士階級)の娘、あるいはバラモン(司祭階級)の娘のようです。比丘のみなさん。その美しい娘たちは、その時代は非常に美しい肌の色をしていますね。

 「はい、スガタ様」。

 比丘のみなさん。美しい色艶に依存して生じるどんな幸福や喜びも、この幸福と喜びが形の旨味です。

中部ムーラバンナーサ 12巻173頁201項





形の害

 比丘のみなさん。形の害はどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。この場合の娘が、その後八十歳でも、九十歳でも、百歳でも、老い衰え、背中が屋根の樽木のように曲がり、体のあちこちが曲がり、杖をついて前へ歩けば体がブルブル震え、よろよろし、丈夫な年齢を過ぎて歯が折れ、白髪になり、

髪は千切れ、肌は皺だらけになり、体中シミだらけになったのを、人は見ることができます。比丘のみなさん。みなさんこれをどう理解しますか。昔あったどんな美しい色も、その美しい色は当然消え、害は当然現れるのではないですか。

 「そのとおりです。猊下」。

 比丘のみなさん。まだ他の害もあります。その娘が病気になって苦を受け取り、重症になり、自分の大小便の中を転げ回り、起き上がるにも寝るにも他人の介添えが必要なのを、人は見ることができます。比丘のみなさん。みなさんこれをどう理解しますか。かつてあったどんな美しい色も、その美しい色は当然消滅し、害は当然現れるのではないですか。

 「そのとおりです。猊下」。

 比丘のみなさん。これも形の害です。

 比丘のみなさん。まだ他の害もあります。死体捨て場である墓地に捨てられたその娘を、死後一日でも、死後二日でも、死後三日でも、あるいは膨れ上がって緑色になり、腐敗して膿が垂れているのを人は見ることができます。比丘のみなさん。みなさんはこれをどう理解しますか。昔あったどんな美しい色も、その美しい色は当然消え、害は当然現れるのではないですか。

 「そのとおりです。猊下」。

 比丘のみなさん。これも形の害です。

 比丘のみなさん。まだ他の害もあります。死体捨て場である墓地に捨てられた娘を、カラスの群れが突っついて喰っているのでも、鷲の群れが突っついて喰っているのでも、コハゲコウの群れが突っついて喰っているのでも、犬の群れが噛みついて喰っているのでも、

キツネの群れが噛みついて喰っているのでも、ウジ虫が喰い尽くしていくのも、人は見ることができます。比丘のみなさん。みなさんはこれをどう理解しますか。かつてあったどんな美しい色も、その美しい色は当然消失し、害は当然現れるのではないですか。

 「そのとおりです。猊下」。

 比丘のみなさんこれも形の害です。

 比丘のみなさん。まだ他の害もあります。死体捨て場である墓地に捨てた娘を、まだ血と肉と繋いでいる腱がある骸骨も、肉はないが血で汚れていて、まだ腱で繋がっている骸骨も、肉も血もなく、しかしまだ繋いでいる腱がある骸骨も、繋いでいる腱がなく、手の骨は一方に、足の骨はもう一方に、

脛の骨はもう一方に、脚の骨はもう一方に、腰の骨は一方に、背根骨は一方に、肋骨は一方に、胸骨は一方に、腕の骨は一方に、肩の骨は一方に、喉の骨は一方に、顎の骨は一方に、歯は一方に、頭蓋骨はまた一方に散らばっている骨を、人は見ることができます。

 比丘のみなさん。みなさんはこれをどう理解しますか。昔あったいろんな美しい色はどれも、その美しい色は当然消失し、害は当然現れるのではないですか。

 「そのとおりです。猊下」。

 比丘のみなさん。これも形の害です。

 比丘のみなさん。まだ他の害もあります。死体捨て場である墓地に捨てられた娘の巻貝のように白い骨の欠片も、一年以上散乱していた骨の欠片も、腐食して細かい粉になった骨も人は見ることができます。比丘のみなさん。みなさんはこれをどう理解しますか。昔あったいろんな美しい色はどれも、その美しい色は当然消滅し、害は当然現れるのではないですか。
 「それはそのとおりです。猊下」。

 比丘のみなさん。これも形の害です。

中部ムーラバンナーサ 12巻173頁202項




形のニッサラナ

 比丘のみなさん。形のニッサラナ(脱出する方便)はどのようでしょうか

 比丘のみなさん。形に満足する威力による愛欲を取り出してしまうこと、形に満足する威力による愛欲を何らかの方便で捨ててしまう、その方便が形から出る方便です。

中部ムーラバンナーサ 12巻175頁203項
相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻77頁119項





形に関して規定すべきこと

 比丘のみなさん。形に依存して生じる幸福、喜びは何でも、それが形の旨味です。形は無常であり、苦であり、当たり前に変化します。どんな様相でもこの様相が形の害です。形に満足する威力による欲情を取り出してしまえること、形に満足する威力による欲情を捨ててしまえること、その方便が、形から脱出する道具(ニッサラナ)です。

相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻34頁59項、77頁119項




四聖諦の意味の形蘊

 比丘のみなさん。形(体のこと)はどのようでしょうか。比丘のみなさん。四大種と四大種に依存している形です。比丘のみなさん。これを形と言います。

 形の発生は食べ物の発生によってあり、形の消滅は、食べ物の消滅によってあります。この八正道である正しい見解、正しい考え、正しい言葉、正しい業、正しい生活、正しい努力、正しいサティ、正しいサマーディが、形を消滅させる道です。

相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻72頁113項




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