鵬鳥鯤魚

 

 ある日座って、魚鉢の中のアンベラ草を見ていたら、考えが浮かんできました。どうしてアンベラ草でゴザや袋を編もうと考えたのか、昔の人の気持ちを考えました。みなさんも考えてみてください。石器時代の人、あるいは石器時代に続く時代の人は、どうして布を纏うことを知ったのでしょうか。彼らは、手本がないので、誰にも教わらずに知ることができました。

初めは木の皮、動物の皮を纏っていて、それからいろんな糸で作った布を纏うようになります。ここで私たちが動物の毛皮を纏うのは、難しい考えではありません。動物の皮はどこにもあり、殺してスープにして食べたのもあります。しかし、糸を織ったり編んだりするのは難しいです。現代人がテレビやラジオを珍しいものと見るように、きっと難しい物、珍しくて素晴らしい物だったでしょう。

 アンベラ草をゴザや袋にするのは、手本がないので大変です。だから難しさ、苦労、あるいは彼らの進歩は、現代人が月へ行く考え、あるいは能力と同じくらい大変でした。

 アンベラ草を袋やゴザにできる時代の、原始人の苦労、あるいは偉大さ、あるいは能力、何でも、それは現代人が月へ行くのと同じくらい重要で、意味がありました。そして将来は、月へ行くことは簡単になり、他に難しいことができます。

 この欺瞞の法則に騙されないように、熟慮する練習をしてください。Relativity、あるいはそのもののだけ、その時代だけのバランスで関わると、私たちは騙されて愚か者になります。私はそう感じました。

 初めの人がカヤツリグサやアンベラ草でゴザや袋を編むのは、現代人が月へ行くのと同じくらい大変でした。この相関性、関連の部分を良く見れば、空の心で暮らすこと、あるいは涅槃に行くことも、その難しさ、簡単さについての理解が生まれます。

 難しい、あるいは大変なことは、時には別のレベルの可笑しさになります。

 別のレベルの可笑しさとは、簡単、あるいは浅い、あるいは小さいと考えることと同じくらい何でもありません。現代人がアンベラ草でゴザを編むなどは、簡単で、子供でもできると感じるほどですが、月の世界へ行くことは、子供は、考えられません。見えていても、あるいは何でも。行こうと思えません。

 特に教育のない庶民、お百姓などは、現代は写真を見て、記事を読んだことがあっても、どうしたら月へ行けるのか理解できません。これが一つのレベルで、もう一つのレベルはその結果で、どちらが多いでしょうか。

 私は、アンベラ草で袋を編むことを知っている方が、今現実にあるように、月の世界へ行くことより役に立つと言います。世界中の国の人が使っているからです。月の世界へ行くことには、まだ利益がなく、まだどんな利益があるか証明できていません。月の世界から何かを持って来て利用することはできません。あるいは、何の利益もないこともあります。

 ある科学者、あるいは研究者が、海底を探索する方が良いと言っていました。大洋の底には、まだ人間の利益になるものが、月の何百倍、何千倍、何十万倍も、手に届く範囲にあります。金塊も海底を探す方がいいです。しかし人はしません。月の世界へ行く方が、海底へ探しに行くより、俺、俺のものの名誉になるからです。このように反対です。中国人も、こういうことを考えたことがあります。

 荘子の話はとても興味深いです。

 荘子は老子の弟子か孫弟子か何かで、寓話を使って教えました。荘子の話で一番有名なのが「鵬鳥鯤魚」です。

 話はこうです。巨大な鵬鳥は、翼の長さは九万里あるというように、人間が測って話せないほどの大きさで、世界と比べて見ると、私たちの世界は、この鳥が翼をそっちの方向、東にずらすだけで、一度に東から西へ、そして北から南へ広がります。あるいは一二度羽ばたくだけで、その当時の人が平らだと考えていた世界の、北から南へ飛んでしまいます。

 小さなフナが、「もし私が小さなミソサザイだったら、庭や庭園の木の間を飛んで歩く方が、比べ物にならないほど楽しくて利益になる。翼が九万里もあり、一度羽ばたくだけで世界の端から端へ届いてしまう鳥は、何の利益もないバカだ」と哄笑しました。

 みなさんも難しいこと、あるいは難しいことの利益を考えてみてください。これほど大きな鳥がいること、あるいは鳥になることは、難しいですが、利益はどうかと言えば、何もありません。一度羽ばたくだけで、世界のあっちの端、こっちの端に着いてしまうからです。

 小さなミソサザイには、遊ぶ所がたくさんあります。このスアンモークだけでも、小さなミソサザイには、楽しさ、愉快さを求めて遊びまわる場所が、限りなくあり、遊び尽くせません。楽しさや愉快さをたっぷり味わっても、まだ全部ではありません。それに、巨大な翼があって無益に飛び回る苦労もありません。

 これが時と空間の関わりです。つまり時と空間は、このように欺瞞し、そして私たちは、この欺瞞の奴隷になり、その鵬鳥のように限度を超えた大望を持つので、何も手に入れられません。その鵬は何の利益もありません。巨大な鵬は、巨大な鵬であることから、何の利益も得られませんが、ミソサザイは、たくさんと言う以上にたくさんのものを得ることができます。

 タンマの話も同じです。難しいもの、巨大なものにしないよう注意してください。できても何の利益もありません。本当は、タンマはそれほど難しいものではありません。そして、多少の難しさ以上の利益があります。タンマはいつでも、僅かな困難以上の、より多くの利益があります。

しかし人間はこの難題を見ないので知りません。そして巨大な鳥のように、何の意味を探しているのか知らずに、更に長い翼を欲しがります。世界より大きな翼を持ったら、どこへ行くのでしょう。現代人のように、月の世界へ行くのでしょか。どんどんバカな話になるばかりです。下品な言葉で失礼しました。小さなミソサザイに敵いません。

 私たちはミソサザイのように、仏教から、タンマから、正しく気持ち良く利益を得ることを知らなければなりません。バカな族の後を追ってバカにならないでください。何も完成するものがなく、そして最終的に何も手にしません。

 三蔵の経に、こういう人たちを「梯子を担ぐ族」と呼んで非難している話があります。知識や学問があって非常に賢く、考えれば月の世界でもどこの世界へでも行けるくらい、それくらい知識があっても、その知識をどう使うかを知らないので、途方に暮れています。彼らは梯子を担ぐ族と呼んでいます。

梯子を持っていてあちこち担いで歩きますが、どこに架けたら良いか、何のために使うか知らず、梯子を担いで、あっちの街、こっちの街の道を歩き回ります。梯子を担いであっちへ行き、こっちへ行って梯子を自慢します。外国へ留学して凧のシッポのように長い学位を取って、それで梯子を担いで歩きまわる人と同じで、どこへ架けたら利益があるか、喜ばしく満足できるか知りません。

 この世界は梯子を担ぐ人、あるいは梯子を担ぐ準備をしている人ばかりです。この世界でわざわざ勉強して教育を受けても、梯子を担ぐ話、あるいは梯子を担ぐ準備をする話になってしまい、その知性をどこで何に使うか知りません。どこで何に、どう使うか知らずに、子供も小さな梯子を担ぎ、成長した人は、大きくて長い梯子を担ぎます。梯子はどんどん長くなります。そしてどこで使うか、世界の苦、世俗の苦をどう滅すかを知りません。

 梯子を担ぐ話は、すべての人間のことと言います。月の世界へ行くことができても、この世界ではまだ食糧が足りず、文字を知らず、毎日何千何万の人が殺し合い、自殺しています。これが梯子を担ぐことの結果で、平和のために、どこでどう使うか知りません。

 人間がしなければならないことに関わる難しさについて、時間を惜しまず、一気に話しました。本当は、それほど難しいことは何もないのに、ただ関心がないだけなのに、知らないうちに誤解して、タンマの実践は難しいと考えます。月の世界へ行くことは、無意味、あるいは難しくなく見えますが、難しいこと、意味があることになります。

 そして轟音に驚くようにびっくり仰天して、月へ行く話に大騒ぎします。しかしそれよりも利益がある、あるいは難しくても同じくらいか、あるいは難しい方ではないタンマの話は、誰も関心がありません。だから世界の宗教は不毛です。

 難しい角度からタンマを見るので、そして見合った利益がないと、割に合う利益がないと見るので、タンマの実践は不毛です。

 私がこう言うと、人は、私には布教する勤めがあるので、自分に都合のよい話をする、他の学問を基準に話すと見ます。しかし本当は身贔屓な話、あるいは他の知識を基準にはしていません。

 みんなで良く考えなければなりません。難しさに関する、あるいは人間が先ずしなければならないことに関する事実、あるいは真実を指摘したいと思います。空の心で暮らすことは、月へ行くように難しい話ではありません。難しいのは、初めての発見者がブッダであること、それが難しさの一つで、そしてもう一つ難しいか難しくないかは、興味があるかないか、したいと思うか思わないかにあります。

 昔のインドでは、タンマの実践は難しいことではなく、ブッダに続いてタンマに到達した人がは数多くいて、そして身と蓋が合っている話でした。今は、みんな違う方法で努力している所に難しさがあり、蓋と身が合わず、違う道を歩いています。道が分かれています。

 これは、タンマの実践、あるいはタンマの到達の言い訳にしないで、難しさ、あるいは易しさの話を終わらせることができる、つまり誰でも興味をもち、そして自分のすべての知性と考える力をこの問題に使いたい、ということです。


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