4 女性に関した実践原則





問 : 先生は女性に関して、どんな規則がありますか。

答 : 「ブッダの伝記」第一巻で、ブッダがアーナンダに言われた通りです。

 『まだ初めのうちは、女の人とは連絡しない、見ないのが善い。連絡して何か利益を得るために犠牲にしなければならないなら、連絡しない方を選びなさい。連絡する必要があるなら、極力知性が必要です。高くなって、女性に教えなければならない義務の段階になったら、それは別の段階で、害がなくできると自分を信頼できるならなさい。害が懸念され、自信がないなら止めなさい。関わって触れてはいけません』とアーナンダに言いました。

 ブッダが言われたことと違う教えは何もありません。

問 : 先生はどれくらいこの教えでなさっていますか。

答 : 最大限に注意しなければなりません。つまり私は、こういうことに大胆ではなく、小さなことと見ません。「人が良くしているようなのは怖い」と言います。彼らが怖いと言うのは律の面です。私はできません。タンマの意味でするべきではありません。危険です。ちょっとうっかりするだけで危険です。

問 : 先生はお若い頃、女性と話される時、相手の顔を見なかったとアルンワディーさんが話していましたが、どんな理由ですか。

答 : 顔を見なければならない問題ではありません。私はそう思います。人の顔を見るのが好きではありません。顔を見て目が合うと、何かの意味が生まれて誤解になります。顔を見ないで、目を閉じて話せればもっと良く、サマーディがあります。話すべきこと、利益のある本当のことだけを話すことができます。

 顔を見ると、心を無駄に混乱させる感情があります。美しい顔の人も美しくない人もいますが、何も知りません。知るだけ時間の無駄です。しかし全然見ない訳ではありません。ちらっと見ることもあります。対面して見ることもあります。彼らに引かれない堅固さを表わせれば十分です。

問 : 先生。女性と一対一で話されたことはありますか。

答 : 怖いとは言えません。今はたまにあります。私が一人で座っていると、近づいて来て話し掛ける人がいて、時には話すこともあります。一対一で欲情の形です。(笑) キマリが悪いというか、恥ずかしいというか、あるいは怖いというか。こういうことは律を遵守します。律に反せば罪の告白をして、正しく罪の告白をしてしまいます。

問 : 先生。出家して以来一度も、誰も女性を好ましいと思われたことはないのですか。

答 : 好きでも違う種類の好きで、性的な意味の好きではありません。それだけだと感じます。すべて同じです。出家したばかりの頃、ピッタヤーロンコーン親王の本を読んだことがあります。ロウソクを消せば誰もみな同じと書いてありました。(笑) 狂った感覚は誰もみな同じということです。

 美しいもなく、上品もなく、特に素晴らしいもなく、ロウソクを消してしまえば誰もみな同じと。こういうのは、いろんなことを考えさせました。美しい人もなく、醜い人もなく、ロウソクやランプを消してしまえば、皮膚の接触はみな同じです。

問 : 先生。還俗を考えたことは、一度もなかったですか。

答 : (笑) 考えたことはあります。ある時代ある時期には、時々傾いたことがあります。しかし少しです。危うく還俗しそうになったことも、あったんでしょう。忘れてしまいました。しかしするには至りませんでした。(笑) 幸運だったと言わなければなりません。自然に回避しました。あるいは自然に回避させる環境がありました。

問 : 先生は性のエネルギーを昇華する方法でなさいましたか。

答 : 自然の成り行きで、計画ではありません。私は日夜よく働いたので、そっちの方の残っているエネルギーは減り、無くなりました。有名になりたい、私の作品を待っている人の役に立ちたいと促す力の方が大きかったので、力が尽きるまでし、疲れると眠り、起きたらまた働き、性の方に使うエネルギーはありませんでした。

 意図しませんでしたが自然にそうなりました。状況がそう強いました。熱中できることを探して仕事に夢中になり、仕事に満足し、働くことに幸福を感じました。それ自体が昇華で、知性の方に使いました。

 煩悩の威力を知性のことに使うには、天女に夢中になるくらい満足できる仕事がなければなりません。三蔵の勉強のように、天女くらい夢中にならなければなりません。

 若い頃「佛教」に短文を書きました。誉める人もけなす人もいました。書くことが面白かったです。それが変わっていて「これは珍しい。他の人と全然違う」と感じれば楽しく、他の人の繰り返しなら面白くないので、すぐに眠くなりました。型破りで変わっていると感じればちょっと大騒ぎしました。

 みな親戚ですが四五人仲間がいて、彼らは楽しむに待っていて読み、読むだけではなく応援しました。掲載した文章を支持する発言を聞くと、あるいは遠い人から称賛や支持する手紙が来ると楽しく感じて、また書こうと思いました。時々手紙を貰い、遠くからの手紙もありました。

 特に私は、還俗すれば、自分にとっても他人にとっても、利益になることは今より少ないと知っていました。人間の役に立つには、物質面でも知性面でも、出家している今のように役に立つ道はありません。出家でいれば、役に立つことがいろいろできます。

 名声やその類の気持ちも、普通の人の感覚であったかもしれませんが、強くはありませんでした。簡単に言えば、出家でいれば、自分や一族の名誉になることができ、還俗すればそれだけです。百倍も千倍も万倍も隔たりがありました。

 人類の利益の面の価値を考えれば、今どれだけの価値があるとしても、還俗すればできません。還俗して本を印刷しても、あまり信頼されません。還俗して本を印刷して売った人を、たくさん見ていますが、タンマの面の信頼はなく、それに従って行動する人はいません。僧でいれば何か一言言っても人が関心を持ち、庶民と人間同朋の利益になります。

問 : 先生。地域社会の役に立ちたい考えが、性的な気持ちに粉砕されないのですか。

答 : あります。それも必ずあります。性的な気持ちも生まれますが、この面の感覚は岸に寄せる波のように抵抗し、波も強いけれど、岸も十分頑丈です。

 僧でいることは、より多く、より遠く、より高く、より高価にできるという気持ちは、初めからありました。三蔵を勉強し始めた時から、この考えはありました。その後この種の仕事をするようになって、これ以上に価値のあることができるかも知れないと、更に明らかに見えました。

 自分のことだけを考えれば、最高でも家族を持つだけで、それしかありません。人が良く言う家名を継ぐことも、タンマで家名を継ぐこととは比較にならないと、勝手に考えたことがあります。タンマで、名の面の、タンマ語の善の家名を継ぐ方が、世俗的な生々しい話より良いです。

 たとえばシェークスピアの子孫を、今は誰も知りません。次にブッダは、自分自身で家名を継ぎました。ブッダは、自分の家系を人物や血統では継がなかったので、ブッダの家系が、今はどこにあるか分かりません。

 しかしブッダのタンマの家系はまだあります。この徳行の家系の方が真実であり、確実です。私はタンマで家系を継ぐ方が、長くて堅固で善いので、還俗して家を継ぎ、家名を継ぐように勧めた人たちは、重みがなく、意味がありません。(笑) 家系を継ぐ話は、結局問題なく、キャンセルできました。(笑)

問 : 先生が本当の危機に遭遇なさった時、直接方便を使われましたか。

答 : 本当の危機があったようには見えません。(しばらく間) いつどんな危機があったと言うことはできません。

問 : ほとんど還俗しそうでしなかった時、どう決意なさいましたか。

答 : それは夢みただけで、時間が助けました。あるいは知らぬ存ぜぬが(笑)助けてくれ、岸に打ち寄せる波のように、時がすぎ、時代が経ると、どこかへ消えてしまいました。しかし結局仕事をしなければなりません。時が来れば、働かなければなりません。仕事を愛しているので、働く時になると、その考えは少しずつ薄らいで、仕事で楽しくなりました。

問 : しかし心の奥の葛藤は常にあります。

答 : それは、妨害されると言います。愛欲蓋が妨害しますが、その気持ちより仕事の楽しさが多ければ、威力は自然に消えます。彼らが例えているように、蓋は私に何もできません。私は時々、三蔵の話、ワーニーという名前の蓮の花から生まれた天女の話をしたことがあります。

 つまりムニーのドンであるブッダの言葉で、『私の心を、思いきり縛りつけなさい』。それは、自然にそうなりました。新しい物、珍しい物、難しい物、深い物を勉強すると、それが心を縛りつけました。

 私だけではないと理解します。西洋の勇敢な学者も、きっとこういう結果を受け取っていると思います。勉強は心を捕えるので、欲情と付き合う機会は非常に少ないです。天女と結婚しました。(笑) 天女と結婚するという言葉を使います。三蔵、あるいは自分が心底好きなことなら何でもいいです。

問 : 先生。タンマに到達することの牽引力は、十分ではないですか。

答 : 私たちはあまり良く知らないので、十分になるのは難しいです。一般人のほとんどは、心全部を引っ張って行くほど知りません。しかし私は、きっと他に何かがあると見ます。趣味を楽しんでいる人を見たことがあります。

 特に野鳥や闘魚、闘鶏などは、彼らは一日中野鳥のことばかり考えていて、あまり家にいません。田んぼを歩き回って、夜も野鳥のことばかり関心を持っているので、妻子と別れなければならない人もいます。同じ味で、それはラーガ(欲)です。ラーガの中に入ります。

 ウィエン寺の近くにウォードさんという人がいました。彼は野鳥と闘魚を愛していて、闘鶏もし、この三つが彼をさらって行ってしまいました。「自分の物」である妻はなく、性欲も忘れるほど、全部有欲に引っ張られました。

 彼は私の親の家へ時々来ました。私の父も野鳥が好きでしたが、そこまで遊びませんでした。人から借りて来て(野鳥の声を)聴きました。

 科学の研究者、発明者もこのタイプに違いないと理解します。最高の智慧の話ではなく、最高のマーナ(慢)の話、サマーディの話です。智慧の話ではありません。一つだけで満足する人がいます。還俗すれば手首までしかできませんが、還俗しなければ何間も、何町も、何キロもできます。(笑)

 問 : 先生は、性のエネルギーを他のことに使う、ヨギーの人たちの手法を勉強したことがありますか。

答 : 基本を勉強しましたが、詳しく勉強したことはありません。ヨギーのいろんな姿勢で、性的感覚を減らし、そしてタンマの感覚を増やす技術です。彼らは、性的な感覚を促進させるいろんな事を禁止し、性的感覚を抑える姿勢をさせるので、心が強くなる結果があります。

 あれも高いレベルの話で、高いレベルのヨーガです。食事も、性の感覚を増進させる物を食べません。これらの教典の中にあるので、読んで見てください。

問 : 先生は、食べ物を観察なさったことはありますか。

答 : 彼らが言うのは本当で、熟したカボチャを料理やお菓子にすると、(性欲が)増進し、ジャックフルーツもこの面を増進させ、この方向に感じます。その種の糖分があるので、ヨギーの人たちは食べません。熟したラムット(柿に似た果物)も同じです。

 呪術師たちの呪術のテキストもヨギーのと同じで、いろんな果物を食べません。彼らは呪文の妨害と見なし、食べると精液が薄く透明になり、そして妨害します。

 性的な感覚を生じさせる生活をしてはいけません。今の新聞やテレビを見ると大変です。これらの物で暮している僧もいますが、絶えずこの感覚がくすぶっているので、最後には往生します。

 だから自分の心を善くしておくよう、環境を善くするよう注意します。出家生活を愛して続けるなら、欲情を「それだけ」と見、生きている動物を騙して性殖させる賃金にすぎないと見ます。何も楽しくないと動物が性殖をしないので、欲情を餌にしました。

 だから大々的に志願してして、それが賃金とは知らず、気付かず、罠に掛かります。猟師の罠にかかって、望みどおりに行為します。自然では気づくことはありません。




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