9 その他いろいろと健康





問 : 先生は、キリスト教とイスラム教はどのように勉強なさいましたか。

答 : 一般の教えで勉強しました。キリスト教を勉強するには聖書から始め、イスラム教を勉強するには、コーランから始めました。

問 : 詳しく読まれましたか。

答 : (笑) 聖書を読んだのは、コーランを読んだより詳しいですが、でも最高に詳しいとは、たぶん言えません。(笑) 私たちには何も関わりがないからです。読みたいだけ読んでも、この項目は仏教の教え、あるいは仏教の話と一致するかどうか、後で比較して話すほど、いつも内心比較する気持ちがあるので、滅苦の話にするよりは、アマチュアの話、嫌わなくても良いように、理解するために比較する話です。

問 : 先生がスアンモークを作られたばかりの頃、仏教徒とキリスト教徒の衝突はありましたか。

答 : 現れてはいません。キリスト教徒は彼らの希望通り布教をしていて、タイ政府は何も毛嫌いする項目は作っていないと、庶民は信じています。しかし、異教徒という自然の感覚はありました。一般の教えとして、仏教徒である庶民や先祖たちは「邪見」と見なし、仏教徒でなければ「邪見の教義」と見なしました。

 西洋の文字、西洋の文字が印刷された紙までで、西洋の新聞を、年寄りたちが「邪見の文字」(笑)と言っているのを聞きました。包装紙も持ちこめませんでした。これを、根底では抵抗している、あるいは嫌っていると言います。

 しかし人々は何もしませんでした。身を守るだけ、あるいはそれ以上入れないように守る塀を作るだけでした。だから西洋の本は読めません。邪見の本を読むと見なしました。私がクルンテープへ行った時、パトゥムコンカー寺のチャオクンも、この原則がありました。私がクルンテープへ行って間もなく、「西洋の本はまったく読む必要はない。邪見の本と見なす。そのうち、気付かないうちに邪見の物に支配される」と説明されました。

 一般庶民の心の底はこのようで、これは、強かったか、それとも強くないでしょうか。西洋人が、タイ人が満足する役割をするようになった時、この感覚がなくなり、彼らはキリスト教を布教して増やすことができました。しかし見られるように、結果は非常に小さく、何も変化を生じさせることはできませんでした。

問 : 佛教新聞のいくつもの号に、先生は、彼らと競う何かをするべきだというような書き方をなさっています。ブッダニコム学校を作ったのも、キリスト教のようにしなければならないと感じたからです。

答 : 競う気持ちはありませんが、良い方法なら見習う気持ちはありました。彼らがしているように、学校を作って宗教を教えるのは良い方法なので、私も見習いたいと思いました。抵抗や競争する気持ちはあまりなく、仏教を発展させる良い方法なら採用しました。

 彼らの教典の中に、仏教と一致する物が時々あります。たとえば「自分の目の中に丸太が一本あるのも見えずに、他人の目の埃を拭き取りに行く」などというのがあちこちにあり、入れ替えて使うことができます。最高レベルではない初等の教えは、ほとんどどの宗教も入れ替えて使うことができると感じました。しかし最後に、完全に苦を滅す言葉は、当然違います。

問 : 当時の大物のテーラ(長老)の方たちには、キリスト教に注意しなければならないという気持ちはありましたか。

答 : あまり見ません。私が出家したばかりの頃は、ないと感じました。それほど動揺はありません。「彼らがした所で、たかが知れてる」と考えていました。

問 : ソムデットプラプッタコーサーチャーン、あるいはプラ・ピモンタムのような大物の方が、サンガ大臣の立場でサンガを運営する時、このことに注意すべきと感じておられましたか。

答 : その気配はありませんでした。あの方たちは、危険な物、危害と見ていませんでした。時には慈悲をお感じになったこともあります。それに彼らが庶民に対して、善意で老人や病人にお金を配るのは良いことで、仏教の教えでも正しいです。

問 : 先生が強くお書きになっているところがあります。たとえば「ローマカトリックが私たちのある集団を現在支配している」(1941年)などは、私たちは彼らに負けないように、善くしなければならないと、あるいは彼らに支配されないように注意しなければならないと言っているのに近いです。先生がそう話された物質的な原因がありますか。

答 : それは多分神父の問題に答えている時代です。しかし憶えている限りでは、まだ憶えていますが、本当に恐れたことはありません。しかし他の人のため、あるいは将来のためにそのように書いたのかもしれません。

問 : 「神父の質問に答える」は、どのように生まれたのですか。

答 : ジョン ウリアーナ神父は、箇条書きの質問状を書いて来た初めての人です。仏教の「生まれ変わり」はどのような教えがあるのか、神様に関する教えはどうかなど、仏教徒はどのように見ているか、一つ一つ問題を挙げて来ました。

 それらの問題を観察した時、悪い方の気持ちが生じたと言わなければなりません。彼らは仏教の秘密に探りを入れて、布教、あるいは抵抗する時に役立てるのだろうと感じました。それで煩悩が生まれて(笑)嫌いになり、「仲良くして行く道はない」というような答え方をしました。そして当時は、本当にそうでした。人物である神様だけが念頭にあったからです。

 今は人物である神様とタンマの神様の二つの神様ですが、その時はタンマのような神様はなく、前は彼らにあるような神様一人だけ(笑)だったので、前もって防衛して、強烈に返事をしました。

 もう少しでイスラムの人たちにも影響するところでした。その本を読んで、イスラムの人が直接非難する手紙を書いて来ました。当時は実にいろいろ感じました。悪い方へ、悪意の方へ。(笑) 何もかも束縛するような神様は、好きじゃなかったからです。

 それから長い時が流れて、「神様は必ずしもそうである必要はない。そのように話したり書いたりしても、他の物を指していることもある」と見えました。今は自然の法則の類の神様がいます。もしかしたら彼は、自然の法則を神様と呼んだのかもしれませんが、彼は人物の形、あるいは物質の形で書きました。

 その後ジョンウリアーナ神父と知り合いになって、親しくなりました。彼らはここで二回集まったことがあります。彼は考えがすっかり変わり、後にはあのように話さないので、友達のようになりました。彼が亡くなった時、葬儀への招待状を彼が書いておいたほどです。つまり幕を閉じて終わるまでということです。激しく答えたことを、今では恥ずかしく思います。

問 : 先生がプロテスタントの人たちに講義をなさったのはどんな経緯ですか。

答 : もっとずっと後です。私がお互いに理解を調整し合わなければならないと書いたら、チエンマイのプロテスタントが、お互いに理解し合おうと言うように、話すよう招待してきました。

 こういう目的なので、私は同調できるように解釈し直して、比較する形で話す努力をしました。本当の気持ちの比較は二通りできます。二通りにできると感じました。意図次第で、同調できない形にもでき、妥協して同調できるように話すこともできます。

 今でも変わりません。話す意図次第で、益々嫌いにさせるように話すこともできますが、何も利益はありません。世界はどんどん狭くなり、人は一緒に暮らさなければならなくなります。そして彼らは彼らの心にふさわしい宗教があります。だから私たちは許さなければなりません。

 だから今は、すべての宗教がなければならないと言います。(笑) すべてのレベルの人のために、すべての種類、すべての宗教を維持しなければなりません。

問 : 先生。神父の質問に答えていたのと同じ時代に、先生は普遍的な宗教について強調なさっていますが、なぜですか。つまり仏教は普遍的な宗教で、本当に普遍という観点で。

答 : それはかなり身贔屓な言い方、あるいは自分の利益になるようにする機会で、誰が普遍になれるかという形で話に誘っています。ブッダが他よりも普遍であることを望んだので、仏教が普遍の宗教である話に誘いました。

 今は、私は普遍の意味が変わりました。昔は智慧のある人、知性のある人、学ぶ人たちだけが普遍でしたが、今はバカな人、遅れている人、原住民、お百姓まで普遍です。普遍がそこまで低くなれば、すべての宗教が揃っていなければなりません。だから普遍になる宗教は、多分一つだけでは駄目です。神様に頼らなければならない人間が、まだたくさんいるからです。

 普遍の宗教にするなら、全部を一緒にしなければならないように思います。しかしこういう考えを認める人はいないように見えます。私はそう考えます。全部まとめなければなりません。そうすれば普遍の宗教になります。

 どんな種類の教えも持って来て並べれば、人はどの部分でも、その人にふさわしい部分を使うことができます。人次第で、どの部類でも選べ、土地の精霊のような神様(笑)を拝むこともでき、キリストのように高い神様を拝むこともできます。あるいは仏教のように神様がなく、あるのは自然の法則だけでもいいです。

 全部揃っている宗教があれば、そういうのは普遍に違いありません。しかし誰にも作れないように見えます。そのように全部揃っている宗教はどこにもありません。全部別の場所、別の時代、別の時期に、違う出来事によって生まれたからです。だから普遍的な宗教にするなら、全部をまとめます。

問 : プロテスタントの人たちとは、どう知り合ったのですか。

答 : 彼らも常に佛教新聞を読んでいました。私が神父の問題に答えている時も、きっと読んでいました。彼らは、私にはきっと会話するべき事があると見ました。もしかしたら彼らは、話をすれば私の気持ちに勝つかもしれないというくらい、遠い考えがあったかもしれません。

問 : 先生の図書室で、キリスト教の現代思想家の本を二三冊見ました。先生は読まれましたか。かなり現代的な神様の解釈をする思想家です。たとえばThe Phenomena of Man と The Future of Man 、あるいは Thomas Merton の The New Man など。

答 : (笑) あまり読む興味がありません。めくって見たことがあるだけです。(笑) 今は問題ありません。滅苦は自然の法則で正しくしなければなりません。

問 : 先生。彼らがチエンマイで話すよう招聘したのは、個人的な連絡ではありませんよね。

答 : 違います。個人的には知りません。しかし彼は多分私の仕事を知って、珍しい人に善い講義をさせたくて、四五回言ってきました。私が行ったのは、おそらく五回目だったと思います。

問 : 先生が勉強なさった本は聖書だけで、他の本はあまり使わないのですね。

答 : おお(笑)、ありません。本はありません。見解として書いた本は、多少あります。The Imitation of Christ などには、興味深い話もあります。

問 : 先生。意見の交換の形で勉強なさったことはありますか。ジョン ウリアーナ神父と座ってお喋りするような形で、座って議論したことはありますか。

答 : 一度もありません。

問 : 先生が初めてチエンマイで話された時、抗議する人はいましたか。

答 : いません。それに向こう側(キリスト教)以外には、読んだ人などいませんよ。何人もいません。当時は今のように、僧や上級僧たちは何かに関心を持たなかったと言います。この問題が生じて、彼らに呑み込まれるのではないかという恐怖が生まれて、最近騒ぎ出しました。

 それにあなたも見てください。今でも少数です。何も感じず何も考えない人たちがたくさんいて、一斉に慌てふためきます。最終的に科学者と対峙できるのはどの宗教か、将来のことを考える方が良いです。科学が最高に進歩したら、他よりも有益に使えるという観点から、どの宗教が太刀打ちできるかを。

問 : 先生。それではイスラムの友達との交際はどうですか。

答 : プラユーン ワターナヤクンさんは、当時の左翼政治家ファク ナ ソンクラーさんの友人で、ファクさんは共産主義なのに仏教の勉強をしました。そしてスウィチャーンの店を事務所にして、いろんな人が何人も集まり、プラユーンさんは個人的な友人なので来ました。

 だからプラユーンさんはスアンモークのことを良く知り、それから長い時間が過ぎてから話ができると見て、法施会とスアンモークの事業へ寄付する連絡をして来ました。プラユーンさんは、イスラムの教えでは、教えに反すと言わなければならないほどたくさん寄付しました。異教への布施と見なし(笑)、イスラム教の友人の多くは、きっと不満でした。

 プラユーンさんは満足して信奉するだけでなく、徳を積む形で寄付をしました。その他に、タイ語で話したものを英語に翻訳する仕事を頼みました。チエンマイで話したものも、彼がタイ語から英語に翻訳しました。

 彼は仏教徒の友達と付き合ったことでスアンモークを知り、そして気に入り、関心を寄せ、会話することで、いろんな話が合うようになりました。彼が、人物でない神様を持ち始めたからです。それでも彼は、自分は最高にイスラム教徒だと自称していました。(笑)

 インドへ一緒に行った時、スリランカの僧の宿泊所に泊めて貰ったことがありました。私たちは「仏教徒が旅をしている」と考えていたら、プラユーンさんが(笑)「私だけイスラムだ」と言い始め、彼は仲間という解釈を認めようとせず、宿泊所の主人に「私はイスラム教徒なので、拝む場所がない」と言いました。

 プラユーンさんは、そこで礼拝をし、そして写真をたくさん撮って来ました。彼は禅僧やマハトマ・ガンディーに興味がありました。途中で偶然イスラム寺院を見つけると、一人で行くこともありました。彼は今、糖尿病で大変なようです。

問 : プラユーンさん以外に、イスラムの友達はいますか。

答 : いません。



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