10.西洋と科学





問 : 先生が教えを広めてこられた間中、本を書き始めた時から、ずっと西洋の文化を批判なさっているように見えます。先生が西洋のことを勉強なさったのはどんな方法か教えてください。

答 : あまりありません。観察して見てください。直接批判するつもりの物はあまりありません。比較として、あるいは関心を持つべきこととして、書き加えるべきこととして書いたことはありますが、直接批判を書いたことはありません。あなたが見たのは、たとえばどこですか。

答 : 「西洋の尻を追いかけ過ぎるのは一大事。大事の一つ」と話されています。先生が社会に投げかけたものを、私たちは「自分で出口を探さなければならない」と、他の人を目覚めさせなければなりません。

答 : (笑) その通りです。これは気持ちの中に非常にたくさんあります。タンマの発展を妨げると見るからです。仏教教団員はタンマの実践をする代わりに西洋の尻ばかり見て、西洋を真似た教育制度の害を理解しません。これらの人はタンマの勉強や実践にふさわしくありません。この観点で関わるなら、多少は言います。

 それほど意図はありません。こいうのは西洋の尻を追っていると、たまには気付かせます。しかし西洋を貶す言い方はしていません。タンマの発展の障害になると見えるよう、分かるように話します。国の政治もタンマに依らなければなりません。西洋のようにすればタンマになりません。

 特に妨害になるのは自分を律しないことで、西洋の文化、あるいは西洋の教育理念には、自制する話はありません。誰もが民主主義ではないと見るので、自分自身を管理するよう教えません。子供たちは自由で、自分を抑えません。

 私は、こういうのは極めて損失と見ます。こういう子供はタンマを知るのにふさわしくありません。自分を抑えない文化は、仏教の本当の敵です。

 正しいことと見て、公共の場所で抱き合ってキスをします。これは気持ちを抑えないことで、感覚のまま、煩悩のままにする習性になり、気持ちを抑えて規律の中にいさせる教えに背を向けます。西洋の文化、あるいは西洋式の教育制度には賛成しません。生徒と教師の間に民主主義を持ち込みすぎます。

 心に触れる物があった時だけ話します。「意に反す」という範囲に入った時には話します。否定するつもりはありません。あるいは何度も繰り返しません。抵抗する計画はありませんが、タンマを広める話の妨害になる時は話すこともあります。

問 : 先生。先生はお話の中で、西洋人がどう考えるか引用されています。たとえば判事の研修の初めての年に、先生が物質主義についてお話しになり、西洋人は物質主義をどう考えるか、あるいは無我の話を西洋人はどう考えるか、あの人この人がどう考えるか、詳しく説明なさっています。このような知識を、先生はどのように勉強なさったのですか。

答 : ああ、本があるだけ勉強しました。本を読めば一致するかないか、仏教の教えと合うか合わないか分かります。特に自我・無我の話は、ブッダ以外は、何らかの形の自我の話と結論することができます。自我が好きな人たちに話して教えて、無我を理解させるのは大変で、多少は逆らう言い方をしなければなりません。

 西洋か西洋でないかの話ではなく、ほとんどの人が「気づかずに自我の原則を掴んでいる」と言います。私は比較して、無我を信じる利益を説明する努力をしています。これも努力しています。

問 : 先生がある思想家を批評なさる時、その人の本を読みますか。それともその思想家の作品を説明している物を読まれますか。

答 : ある物次第で、どちらもです。時にはその人を批評している物を読むこともあります。西洋人やインド人が書いた本もあり、西洋人のいろんな人の自我の考えを受け入れる努力をしました。パカヴァットギターは、自我の話だけです。私は無我に引き入れたくなります。ここには完璧な図書室がないので、新聞を読む時もあり、(笑)、人から借りて読むこともあります。

問 : 彼らがどう考えているか調べる時、先生はどの全集を基礎になさいますか。

答 : 基礎にはならないので、気楽に。つまり対抗する構図にしません。すべて他の人たちの自我の考えを批評する一部分です。時には小さな糸口を分析して解釈し、ある部類の人間の話にすることもあり、そして反論、批判の対象にすることもあります。しかしあまり多くはありません。

 百科事典もしょっちゅうは使いません。何か疑問があった時、それだけに使います。ほとんど道徳のことだけ、他のことにはあまり使わないと言えます。本気で使うのは道徳の話です。(笑)

  The Great Books of The West はほとんど使いません。表面的に見るだけです。これらの本はあってもないのと同じで、非常に少ししか使いません。百科事典は、「ブッダ」という言葉しか見ません。それにブッダに関連する言葉は全部書かれています。 Morality という言葉と、それに関連した言葉も見ます。ほとんど元が取れない使い方のようです。

問 : 先生がマルクス、あるいは dialectic materialism を批評なさる時、マルクスを読まれますか。

答 : あまり読みません。(笑) 便宜的に読むだけです。本や新聞や人が話していることで、だいたいの概要は分かり、それで読む必要はないと決めつけてしまいます。「マルクスは正しく仏教を学んだことがないので、間違って話す。初歩の上辺だけの仏教を勉強した」と切り捨ててしまいます。

 カール マルクスは仏教を他の宗教と同じ部類に分類しているので、宗教について間違って話し、仏教について間違って話しています。本当の仏教を知れば、きっとあのように言いません。そう見たので、興味を持ちませんでした。

 The Great Books of The West の中に、マルクスだけで一冊の厚い本がありますが、読めません。(笑) 読むことができず、開けて見て通り過ぎます。開いても読むことができません。マルクスは仏教を知らないので、マルクスの考えは何も原則にすることはできないと、初めから否定しているからです。だからあまり読みたくありません。

問 : それで批評なさって、間違わないか心配ではありませんか。

答 : 「仏教を知らない」と批判しているので、間違うべくもありません。彼は世界のためにタンマを基礎として敷く道がありません。敷いても人間にとって正しくありません。そのような宗教の意味の解釈は、真実に照らして正しくありません。「宗教は麻薬」という言葉を聞いただけで信頼を失います。仏教は麻薬でなく、反対に、呪術などの麻薬を追放する物です。

問 : 先生。次は科学のことですが、先生の作品を読んで、先生は最初からかなり科学を信頼なさっていると感じました。そこで先生が本を作りを始められた当時、当時のタイ人は科学をどう見ていたか教えていただけませんか。先生が読まれた当時の知識人の本では、彼らは科学についてどう話していましたか。

答 : 興味があるのは、仏教の説明に使える、仏教を後支えできる科学だけで、科学全体や、他の分野の科学には興味はありません。初めはこうでした。「科学を引き寄せて宗教に関わらせる」と言います。

 読む価値があるのは、サマック ブラーワートの本で、彼は外国にいる時から書いていました。そして問題が項目別になっていて、科学の小さな項目では、仏教の大きな教え、特に無常、苦、無我を支持していたので、読んで、そして勉強する努力をしました。

 しかし(仏教を)支持できると見ると、それ以上勉強する意味がなくなり(笑)、確信できたので、それで十分でした。サマック ブラーワートさんは、初めは仏教と科学を対比して書いていましたが、後になると書き過ぎて、仏教は哲学と書きました。仏教は哲学というのは、読めません。

問 : しかし先生はサマックさんより先に、彼がその本を書く前に科学について書かれました。サマックさんは一九四七年に書きましたが、先生は一九三二年に科学を引用なさっています。

答 : (笑) そうなんです。彼らが言っているような科学、彼らが言っているのは、当時はまだ、彼らは科学が何たるかも知らず、知っているのは、実験と検証できるのは科学で、考える話なら哲学でした。

 私は、仏教の教え、タンマの題目は検証を望み、推測や憶測を望まないと見ていました。カラーラーマスッタの原則に反すので、理論で示された物、理解したことを、滅苦ができると証明できるまで、試して検証しなければなりません。

 だから私にとって科学は重要ではありません。科学をたくさん教えるつもりはなく、仏教は科学の状態があるので、科学の手法で触れ、関わらなければならないと満足しただけです。だから話して友達にも知らせただけです。

 一九三二年に遡れば、私はもっと科学の知識はありませんでした。知っていたのは、「検証して試して研究しなければならない。考察するなら哲学で、論理か何かなので、仏教に関わらせてはいけない」ということだけで、明快な説明ではありません。

 みなさん、仏教を科学のように捉え、ブッダを世界の最高レベルの科学者、滅苦の話、滅苦に関した心に関わる科学者にしましょうと言いました。

問 : それなら、初めは教科書か何かのような本を読まれたのですか。

答 : 教科書も読みました。教科書で勉強した限りでは、科学という言葉の意味を結論するには、当時一つ問題がありました。タイで使われていた(笑)科学という言葉は、ほとんどが錬金術を意味したからです。

 市井では「科学の金。本物の金」という言葉が使われていて、庶民の科学(笑)という言葉には別の意味があり、騙す物、人工の物になってしまいました。大物長老も「科学のヤツ」「科学の類のヤツ」という言い方をし、偽物、面白い物、旨味のある物、騙す物という意味ばかりで、科学を嫌い、科学の部類を嫌いました。

 だから(笑)新たに提言するのは大変でした。科学を、タンマを知り、タンマに使い、タンマを科学にす教えにするのは、庶民と、ほとんどの長老たち(笑)の心情に逆らうので、非常に厄介でした。当時はほとんど害のある言葉で、信頼できる言葉ではありませんでした。

問 : 留学して帰国した知識人は、科学を称賛したのでしょうね? 先生が読まれたピッタヤーロンコーン親王の本、あるいはクルーテープ、あるいはルアンウィチットなどの本は。

答 : あまり科学の話は書きませんよ。見てください。他の話ばかり書いています。しかし大衆が完全に、科学は騙す物、メッキ物と捉え、信用できない(笑)と見なしていたのは、「科学の金」がニセの金を意味したように、何でもでき、いつでも、どこでも人を騙せたからです。

問 : それなら、最初の頃、先生はタイ語の教科書を越えた研究はできません。

答 : 超えません。研究書もなく、それに難しい英語は読めません。

問 : それではなぜ先生は、幾つかの言葉をタイ語に翻訳できたのですか。たとえばエレクトロン、プロトンは電子、陽子というようなのは。

答 : (笑) 私が初めてではなく、他の人が言いました。私が初めて訳した人ではありません。サマックかもしれません。サマック ブラーナート。私は関わらないという意味で、ただ科学の言葉が好きなだけです。検証に堪えるから。(笑) タンマは科学のように、検証に堪えます。

問 : 先生。科学の勉強が、先生のタンマの理解を助けたことはありますか。

問 : 私はそれほどたくさん科学の勉強をしていません。タンマを勉強して科学にします。科学を勉強してタンマに近づくのではありません。全身全霊でタンマを学び、そして仏教を支持するために科学に這い寄りました。

問 : でも先生のタンマの説明は、たとえばダーウィンの進化論の引用や、フロイドの精神分析の引用など、少なからず科学の影響を受けています。

答 : 見えているだけ、理解しているだけは、友達がそう考えられるように話したいと思います。

問 : それで先生は、将来の科学と宗教の関係の未来をどのようにご覧になりますか。

答 : こういうのは、考え続けなければならない話で(笑)、今も、ほとんど毎回のように「科学的な検証に堪える教えがあるので、この種の教えだけを選ばなければなりません。月食や日食、鬼の国の話など、この手の話、三蔵の科学の原則に合わない部分は避けなければいけません」と言っています。

 私は今でも、仏教は科学の時代の世界に、これからの世界に、最高に立ち向かえると考えています。科学が世界を救うことができない時は、科学者が科学で世界を救えるように、教えあるいはタンマが近づくよう提案します。

問 : なぜ科学は、現在世界を救うことができないのですか。

答 : 科学は滅苦の(笑)問題を見ないからです。科学は、人の心の滅苦を見ないで、休まず物質面に進歩しています。科学を滅苦に使わないで、世界を際限なく発展させるために科学を使っているようなものです。それでは科学は、人の煩悩を増やす助けをしているので、しばらく過ちを改める時間を与えなければなりません。

 そうすれば滅苦を重視して、科学の知識で煩悩を捨てる支援をする(笑)など、科学の知識や能力を滅苦に使います。物質面でも、あるいは物質からでもまだマシです。まだ非常に良いです。薬で貪瞋痴を軽減する所まで行くかもしれません。しかし彼らが考えるかどうか分かりません。

問 : 使えますか。煩悩を捨てるために薬を飲むのは。

答 : 私も、毎日使っているような安定剤、体の神経を鎮める薬を貰います。科学で薬、怒れないようにする化学物質を作るのは、たぶん不可能ではありません。作れると思います。怒れないようにさせるか、あるいは非常に異常にならないようにさせれば、一時的に良い結果があります。勉強すれば、怒りが生じたと分ると、何か化学的な反応が出て、それでその症状を抑えるために飲む薬を作れます。

 滅苦の面、煩悩を滅す面に科学を使えば、怒りを防ぐこと、あるいは抑えることができるかもしれません。神経系統の化学的変化に関してそこまで研究でき、その変化を支配し煩悩を止める、あるいは煩悩を防ぐ結果を出すことができます。一時的でもないよりマシです。科学の(メッキの)金のように、身を飾る金が何もないより良いです。

問 : もうあるんじゃないですか。私は精神科医と話をしたことがあります。

答 : まだ本格的ではありません。まだ核を作る考えや、コンピューターやら何やらを作る考えのようではありません。考えのすべてをこのことに使えばきっと良いです。しかしそれは体のこと、あるいは神経系統のことなので、心について最高に勉強しなければなりません。

 特に縁起の話は、縁起の流れを管理できるまで理解を極めれば、永遠に苦が滅す結果があります。今は物質の方で、煩悩を増やす物を作る方向に向かっていて、煩悩を管理する、抑える方向になりません。彼らは煩悩を増やす物しか欲しがらないので、この種の薬を作っても、誰も買う人がいないに違いありません。

問 : 現代の僧は、科学の一般原則を知るべきとお考えになりますか。

答 : 当然です。教えを理解する利益のある部分は、非常に知るべきです。イダッパチャヤター(因果。縁生)は科学の法則です。

問 : 科学のどの部分がタンマの理解を援けますか。

答 : 「道理で」という科学の法則で、「これがあるからこれがある」というイダッパチャヤターは完璧な科学の状態です。人間が苦の原因、危機の原因に十分関心を持って探し、そして人間の心の中の悪い問題を排除、あるいは管理すれば、減少します。

問 : 現在の科学の限界はどこにあるとご覧になりますか。

答 : まだ限界はないと言わなければなりません。もっと遠くまで行けます。終わりはありません。まだ新しい、珍しい物をキリもなく作れます。原則は(笑)正しい原因と縁ですることです。そうすれば、正しい結果が現れます。

問 : 質問し直します。現在の科学の弱点は何ですか。

答 : それは今言ったようなことです。滅苦の方に使わないで、苦を増やす方に、煩悩を増やす方に使っていること、煩悩を増やす物であることです。

問 : そういう科学と滅苦の科学の違いはありますか。滅苦の科学は各自が自覚するもので、普通の科学は証明されて公共で使われているもので。

答 : 科学を使って利益を追求する話です。彼らが、それらの考えをタンマの話に注ぎ、そのようにだけ誘えば、滅苦の話に関心が増えます。今は誰も気づかないうちに、煩悩の縁であるものに陶酔するよう引き込まれています。

 それこそが科学の産物で、より珍しく、より美しく、より美味しく、より不思議なものを求めます。それは、新しい物珍しい物をどんどん作り出す科学の原則による「正しい行動」の結果です。

 そしてそれは、自動的に日付を合わせる新式の時計のように、人が陶酔するほど不思議です。二十八日の月もあり、三十一日の月もあるのに、手を触れなくても(笑)自然に調整するほど、このように不思議です。これはどれだけ頭を使って考えたでしょう。

 こういう頭を使って、多少は心の滅苦について考えます。要するに、煩悩を増やす原因や縁を増やす方へ頭を使います。

問 : この点で苦を治療する方法を考えたとしても、配って全員に使わせることはできません。売って誰でも使える時計とは違います。

答 : (笑)その通りです。しかし、それで滅苦ができると証明すれば、他の人も自然に興味を持ちます。神経症の人にだけ売るのでも十分です。簡単な初歩は、神経症を発症させる感覚を除き、あるいは今発生している神経症を除きます。

 しかし今私は、神様のいる宗教と神様のいない宗教の違いを比較するために話しています。仏教は科学で、神様は必要ありません。神様のいる宗教は、何もかも神様なので、科学になる術はありません。人物のように感情がある神様は、この点が非常に不利です。

 人物のような考えや感情があり、神様が本当にそのよう(彼らが言っているよう)なら、今よりもっと善い世界を、問題のない世界を造ってくれなければなりません。

問 : サマック ブラーワートさんが、「先生は自然学者で、スアンモークのすべての木を知っている」と書いているのを見ました。それは本当ですか。

答 : (笑) あり得ません。できるだけ知るように努力しているだけです。

問 : 先生は、自然学の勉強を本でなさったのですか。それとも本物でですか。

答 : 両方です。基本は生物学の本を読みました。これらの木をどの面から知ったかで、生薬の面で知ったのなら、かなり興味がありました。植物学的に知っても関心はありました。この木は木材としてどんな特質や価値があるかも、非常に興味があり、いつでも勉強していました。

 楽しい遊びです。私は関心のない人よりも関心があっただけです。その結果、少しずつ、これらは何科か、何属かを知りました。このように勉強して観察する方法があります。

 一番良い木とその次は同属の木で、同じ系統の木です。別種でも同属の木です。私はキエム(フタバガキ科の木)が最高に固いことを調べたことがあります。それからタキエン(これもフタバガキ科の木)で、そしてその間の木になり、ゴムの木になり、そしてゴムの木よりも悪い物です。それが同じ系統であること、そして自然は自然の法則に従って来たと分かりました。

 生薬の面も興味がありました。昔は生薬を使わなければならないので、この木は何の治療に使えると分かれば、近い種類の木も使えるはずなので(笑)、 だから悟ったように使いました。こういうのは時々ありました。そして「ああこれも同じだ。これでも治せる」と分かりました。

 しかし中には害がある種類もあり、悪臭や嘔吐を催させる部分もあり、その木は使えません。使うには抽出しなければなりません。でなければ嘔吐や苦痛を我慢して効果を取る、つまり病気を治すこともできます。たとえばお話したようなタイワンセンダンとアカニナなどです。

問 : 自分で使われたことはありますか。

答 : ありません。しかし他の人で試したことはあります。「ジーヴァカ コマーラバッチャ医師はどこを歩いても、森中の木々が、『私は何を治せる。どんな効能がある』と叫ぶ」という言葉を思い出します。これは熟練です。

 何種類もの木を見たことがあれば、「この木はどういう種属の木だから何に効く」と言うことができ、葉を千切って匂いを嗅ぐだけで、何の種類かが分かりますが、私はそこまでは行きませんが、普通の人よりたくさん知っています。自然学はたくさんの観点、角度、面があります。

問 : 鳥や何やらの話についても勉強なさいましたか。

答 : 少し遊びました。鳥の本、魚の本、動物の本、鉱物の本を読んで、鉱物を集めたこともあります。山のように見本を集めて勉強したことがあります。今はどこへ行ったか分かりません。

問 : 先生。鉱物も楽しいですか。綺麗でも何でもありません。

答 : それほど楽しくありませんが、初期の鉱物、中期の鉱物、後期の鉱物と、興味深い面もあります。サマック ブラーワートさんがチャイヤーの温泉山の近くで発見した初期の火成岩は、地球が冷えた時に火成岩が(笑)あったと言われています。

 火成岩が少しずつ溶けては固まり、溶けては固まっていろんな鉱物になったので、地球にある鉱石という鉱石の母です。温泉山にも幾つかあり、彼が持って来て、彼が学んだように見せました。本当かどうか知りません。彼は、温泉山は地球ができた時と関わりがあり、この辺は火山だったことがあり、全部流れて無くなったと言いました。何百万年前か知りません。

 サマックさんはここへ二三日泊まりに来ました。一回来た時、見せるべきだと思ったので、見に連れて行き、温泉山とナーンエー山の辺りを歩き回りました。彼は私より幾つも若くありません。外国にいる時から佛教新聞を読んでいました。

 それに彼の父親も仏教を勉強していました。どこのお寺の清信士か、プラヤー某と言ったか忘れました。農業省に近いプラヤー何か、プラヤーポーチャーコン、あるいはそんな感じの。しかし見てください。サマックさんは滅苦に興味がなく(笑)、 関連のある話しか興味がありません。涅槃や縁起の話には十分な興味がありません。

 その後方向を変えて、吉祥時(何かするのに幸運な時間。呪術の一種)の計算をしているようです。

問 : 人間は、世界のことで動揺すると、呪術に近づかずにはいられません。

答 : 呪術は重要と言います。

問 : 人間世界の九十九パーセントは、必ずこれらに関わっています。

答 : 失望した時も、理解できない物のことを考えます。

問 : 失望か、非常に望む時です。

答 : タンマをたくさん勉強した人、科学と同じくらいたくさん勉強した人はそうならないので、非常に良いです。

問 : 占星学には科学の部分もあるのではないですか。

答 : どうか知りません。

問 : この星が来たらこういう結果になる、と知るに十分な統計を集めました。

答 : それもできます。そういう理由があれば科学になります。今占星学はそのようではなく、それは何の神、この日は何の神、この星は何の神、水星、旗星(海王星)、夜叉星(冥王星)、何星と、そういう言い方をします。(笑) 天文学は科学かもしれませんが、占星学は違います。

問 : 占星学は、天文学を人間の人生に投影しています。

答 : カンマの力と闘えますか。星の力はカンマ、つまり行動の力と闘えますか。

問 : そういう考えは、非常にブッダのような考えです。世界の物を全然恐れなければ、どんどん探求できます。

答 : 正しい行ないが(笑)何よりも重要です。しかし彼は反論し、正しくすることもまだ結果が得られなくて(笑)、呪術に方向転換しました。彼は学問的に最高に良くしました。最高に正しくしてもまだ赤字です。本当は良く見ていないので、中に正しくない何かが隠れているのが見えません。

 だから自分はすべて正しくしていると理解します。それでまだ成功しません。あるいは元が取れません。そしてこの人たちは、まだ正しくない部分の学習、勉強をしません。その後サマックさんは哲学の本を読み切れないほど出しました。山ほど。だから私は読めませんでした。

問 : 先生が時々心理学について書かれているの見ましたが、どなたの本で勉強なさったのですか。

答 : 一般の(笑)本を読みました。サワーミー・サッタヤーナンタブリーが Social Science を出した時、ちょっとの間に何冊も出しました。彼はこういう物ばかり翻訳して書きました。

 サワーミーも科学の本を書き、簡潔に読めて難しくありません。簡単に読めて簡単に要旨が掴めました。彼が、フロイドが何と言ったかについて話したので、それで私は興味を持ちました。すべては性的な感情に原因があると言っています。それは本当です。

 最高に真実ですが、それは欲界だけです。形界・無形界の心の人たちは、そうではありません。フロイドはそれを知りません。欲情しか知りません。普通の人間は欲情の話なので、そのように書きました。フロイドは形界、無形界について何も知らないと見なします。だからその発言は半分正しいです。

問 : つまり先生は、西洋の心理学を幾らも本格的に勉強なさらなかったということですか。

答 : 仏教の勉強に使っただけで、読んでもあまり意味が判りませんでした。この系統の本はたくさんありません。大原則、概要を聞いただけで、自分で分析しました。何もかも性的感情次第と言う人がいると聞けば、それも最高に正しいです。

 願望が生じれば貪りが生じ、期待通りにならなければ怒りが生じ、痴が生じ、何かが生じ、性的感情はすべての物を生じさせる原因です。しかし性的なレベルに(笑)ある人、性の感覚の威力下にいる心の人たちの中だでけです。

 形界、無形界の人たちと阿羅漢は除外されますが、フロイドは阿羅漢の意味を知らないので、屁理屈を通すような類の言い方で、なぜ出家するかと言えば、性に飽きたから(笑)で、 しかし性が抑圧して出家させるという反対の面で、性に依存していると言います。(笑)

 凡夫の話は、すべてセックスと呼ばれる物に根源があると言うことができます。戦争をするのも、セックスの縁が欲しいからです。

問 : 先生がオマールカイヤムの名言について書かれた、印刷していない原稿を見たことがあります。先生はこの哲学者がお好きなように見えました。これも先生が楽しまれている西洋の一面です。どうしてお好きなのか教えていただけませんか。

答 : 彼は神様を信じる人、あるいは神様を簡単に信じて溺れる人を揶揄した最初の人です。しかし反対の物がたくさんあり、一般の人は、オマールカイヤムは性を崇拝すると非難します。オマールカイヤムを、何でも性を祭り上げる人として引き合いにしますが、本当は、愚弄しています。

 彼は性を崇拝する人と、神様を崇拝して神の助けを求める人たちを愚弄しています。だから彼は「酒を飲む方がいい。女の人といる方がいい。女の人を誘って何かをする方が、座って神様を拝むよりマシだ」と綴り、最後は、「愛欲は神様より良い」という言葉を使って、人に分からないほど巧妙に性を愚弄し、神様を愚弄する人です。誰も考えられません。

 つい最近オマールカイヤムの翻訳をし直す人がいました。この本は彼を正しく理解しています。愛欲を味わうよう誘わないで、緻密で巧妙で美しいです。私は初めて読んだ時、「違う」と感じました。愛欲を崇拝するよう勧めるのでなく、「座って神様を拝むより、愛欲を味わう方が良い」という話で、本当は、神様に迷っている人を非難しています。

 ところが人々は「愛欲を崇拝する」と非難します。他に翻訳する人はいなかったので、初めはクロムプラナラーティパプラパンポンのオマールカイヤムを読み、その後英語のを読んで、要旨で正しく訳されている部分が多いと知りました。

 一般の人は、座って神様を拝む人を揶揄する意図が理解できません。しかしクロムプラナラーは、多分正しく理解していました。元はどこから持って来たのか知りませんが、あの方は最後の部分に脚注で書いています。「人が好んで使う「映画を見、芝居を見て自分を振り返る」という言葉などは、クロムプラナラーティパプラパンの言葉と理解しています。

 それともう一つ、「神様が私たちを創った。神様を創ったのは誰だ」という言葉がありますが、これは、あの方も神様を信じていない証拠で、オマールカイヤムと同じ、神様を信じない族です。

 オマールカイヤムの英語版は三十あり、それぞれが自分の考えで翻訳されていて、あまり一致しません。しかし結局、誰もかも、「オマールカイヤムは色情狂(笑)」と信じていると結論できます。だからオマールカイヤムの本を読んだ人たちは(笑)、間違った知識を得ています。

 プラドゥラヤナートナイピチットが私に、皮表紙(笑)の本をくれました。

問 : この他の西洋の文学作品は、誰のを読まれましたか。

答 : 本気で読んでいないので、読んでいないと言うべきです。しかし多少は読み、オマールカイヤムはちょっとたくさん読みました。ナコンシータンマラートのスットさんが持っていて、彼は読んで意味が分からなかったので私にくれました。

 タンマタートが非常に気に入ったので、タンマタートにやりました。考えが深く、神様を無意味でどうしようもない物と見て、祭壇の前に座って神様を拝むより、女の人を訪ねて酒を飲んで何かする方がマシだと、神様を拝む人たちを揶揄しています。

 彼は非常に鋭く書き、「女の人といる方がいい。酒を飲むほうがいい」と誘う言葉を弄していることが、「あっ、この人はそういうことが好きなんだ!」と理解させる原因です。これの深さはこのようで、このように正しく知っている西洋人は何人もいないと理解します。

 彼らはオマールカイヤムを、色情狂の見本にするだけです。極めて重い物質主義とし、「明日は死ぬかも知れなくても、酒を飲む方がいい。明日は死ぬかも知れないから、性を享受する方がいい」という類に分類し、オマールカイヤムをその典型にします。しかしそうではありません。哲学レベルの本「 catalog 」 の中に、最高に神様を揶揄している、神様を崇拝する人を非常に非難していると観察できる、些細な言葉があります。

 調べて見れば、オマールカイヤムの本の名前が何冊もあります。それぞれ違う人が訳していて、同じ人ではありません。いろんな出版社です。オマールカイヤムの本は非常に広まっていると観察したことがあります。完全版は二百章あり、省略版でも百以上あります。

問 : それでは、他に感動なさった西洋文学はありますか。読まれて、ああこれは深いとお感じになったものは。

答 : 思い出せません。こういう物でも、それほど感動しなかったからです。

問 : シェークスピアはお読みになりましたか。

答 : タイ語で読みました。書き写して(笑)、格言や忠告する言葉に使ったこともありました。すべての言葉が非常に聡明です。私が読んだのは「お気の召すまま」「ヴェニスの商人」それと「ロミオとジュリエット」の三つだけです。

 ロミオとジュリエットは得る物は何もなかったようで、ヴェニスの商人には箴言があります。「乞食は真実を教える。そして教える人に逆らうように教える」(笑) 初めは乞わないように教え、後では反対に乞います。ラーマ六世の翻訳です。

問 : それでは左の文学、左側の小説などは読まれましたか。

答 : 何が左か分りません。たとえば何ですか。

問 : シーブラパーやメックシム コーキーなどの本は先生の所に来ましたか。

答 : 来たことはあります。読んではいません。メックシム コーキーは多少読んだことがあります。

問 : それではタイの小説は読まれましたか。

答 : タイの小説は、手元に来たのは全部読みました。

問 : 「生花」は読まれましたか。

答 : ああ、そういう小説ですか。多少は読みました。昔、日刊新聞で読みました。若者らしくそういう物を読みました。

問 : 出家した時代も読まれましたか。

答 : 出家してからはあまり見る機会がありません。美しい文章で書くサン テーワラックの物も読んだことがあります。しかし私がそのように書けば、嫌らしいです。

問 : 西洋の学問について、どなたか相談する人、あるいは相談する友達はいましたか。

答 : いません。ここにいてはいません。手紙で相談する人もいません。少しいたのは、ポーン ミリンターンクーンさんで、彼は瞑想家で非常にサマーディをしました。同期で、パトゥムコンカー寺で会いました。パトゥムコンカー寺にいる時は、この種の話もしました。年齢も近いです。でも今はできません。きっと十分老いました。自分の考えでの(笑)哲学学習者です。(笑)




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