7 インド学





問 : 先生は一時期、かなり本気でインドの哲学を勉強なさったとおっしゃいました。それについてどのように勉強なさったのか、ということから質問させてください。

答 : あまり思い出せなくなってしまいました。昔のことと、必要なものと受け止めなかったからです。膨大な話で、そして、私はあまり精通していません。サワーミー・サッタヤーナンタブリーが、彼の知識と主義をクルンテープで布教した時に勉強し始めました。

 ラーマ七世の時代に、サワーミー・サッタヤーナンタブリーがチュラーで講義をして、ラーマ七世も聞きにお出ましになったと記憶しています。彼は長く話しましたが、一番心に引っ掛かったのは、仏教の背景、あるいは根底はヴェーターナタだと、仏教はヴェーターナタから出たと言ったことです。

 私は侵害されたと、あるいは衝撃(笑)と感じたので、彼が言うヴェーターナタとは何かを知りたくなって、インドの六派哲学も勉強しましたが、関心を持つ価値はありませんでした。ヴェーターナタは非常に良く似ていますが、自我があり、純潔にして解脱をして、パラマートマンと一体になる自分がある類の、そのように似ている教えです。

 だから仏教ではありません。しかし煩悩を捨てる話を教え、正しい見方を教える点は、非常に似ています。だからそれ以上は興味がなく、何も有益に使える物がないので、結局止め、あまり知りません。

 本当に知るには、たくさん勉強し、詳しく勉強しなければなりませんが、見合う価値はありません。見合わないと思ったので止めました。アーラーラ仙人がブッダに教えた教義だとサワーミーは言いますが、ブッダが捨てた(笑)教義です。見てみると、あり得ません。パーリ(ブッダの言葉である経)に現れているのは、アーラーラ仙人が教えたのは無所有処、つまり第七形禅定です。

 だから私は止めてしまいました。ヴェーターナタだけで終わらせたので、六派哲学のインドの哲学について、何も知識がありません。見合いません。ただの哲学で、滅苦ができると思いません。

 六派哲学を実践する時、彼らは、六つの中の一宗派である、ヨーガと呼ばれる教えで実践します。私もヨーガスッタを読んでみました。サワーミーがタイ語に翻訳したのが二部あります。一番興味があってした人は、プラヤーパロットラーチャスピットですが、言われているようには成功しませんでした。

 熟考して見たら、アーナーパーナサティと一致しないので止めました。でも彼のある言葉、ある文章は上手いです。インドの哲学は何も知りません。理解しようと努力して読んだだけです。

 役に立たない、拠り所にならないと見えたので止め、直接パーリ(ブッダの言葉である経)の中の、ブッダ哲学だけを目指しました。そしてアーナーパーナサティに出合ったので、(笑)拠り所になると見て、そして本当にブッダの物なので、満足しています。だから他の物は、同じインドの物でも捨てました。

問 : アーナーパーナサティに出合うまで、先生は実践に行き詰まりをお感じでしたか。それでヨーガまで行かれたのですか。

答 : もっと前に、ヨーガはクルンテープでブームになっていて、サワーミーの時代には、勉強に行く人がたくさんいました。ナーガプラティープも行きました。サワーミーの施設で何回も会ったことがあります。ある時期、ナーガプラティープはサワーミーにアビダンマの解説を頼み、三日毎、五日毎と約束をしました。

 私も二三回行ったことがありますが、最後には行けなくなりました。私は「その訳は正しくない」と、かなり無礼な反論をしました。「ローパムーラン」を「ローパ(貪り)の根源、この心が貪りの根源」と訳してありました。私は「タイでは根源である貪りと訳します」と言いました。(笑)

 心の根源に貪りがあるのであり、心が貪りの根源ではありません。(笑) 繰り返し反論し合い(笑)、ナーガプラティープは「お坊さまが正しい」と言いましたが、サワーミーは認めませんでした。(笑) 私とインドの哲学の話をすることができず、話すと粗暴になり、つまり信頼尊敬しませんでした。

 結局、「すべてのヒンドゥー哲学には、インドの思想の進化の流れの最高点としてヴェーターナタがあり、そして最高であるアートマンがあり、アートマンの域を脱すことはない。仏教になると、アートマンの域を脱し、アートマンがないのでレベルが違う」とまとめることができます。

 パーリで「何もない。アートマンもない」と述べられているようなのは、六派哲学にはありませんが、、反対に三蔵のパーリに現れています。つまり彼らが好んで称賛する六派哲学の断見も、アートマンの信仰や教えの威力から脱せず、解脱する人であるアートマンがなければなりません。

 仏教は、心が解脱する(笑)と見なすので正反対で、彼らには主人公であるアートマンがいます。心はアートマンの財産、アートマンの外皮で、本当の解脱者はアートマンです。

 仏教ではパーリの中のブッダの言葉として、「解脱するのは心」、そして「自分、つまりアートマンはない」とハッキリ主張しています。だから私はいつでも、「仏教教団員は正しく『心が解脱する』と言わなければならない。自分、あるいは人はいないので、それが解脱すると言ってはいけない」と忠告しています。これは相入れることができない相違です。だからインドの哲学を学ぶのを止めました。

問 : 先生。私の記憶違いでなければ、ヴェーターナタもローギヤを捨てるよう教えていると書かれています。

答 : 捨てなければなりませんよ。アートマンに到達するには、低劣なローギヤ、たとえば情欲を捨てなければなりません。彼も善い説明をしている面もあり、非常に聞く価値のあるサワーミーの説明もあります。アートマンが解脱する時は、世界、特に五欲から解脱しなければなりません。

問 : 本当に解脱できるなら、無為(縁によって作られない物。涅槃を意味している)を自分と捉えるのですか。

答 : 彼らは無為の話について非常に少ししか話していませんが、「自分である物がある。どの命にもアートマンがある」と言って、その自分が進歩するまで間違いや正しいことをし、そして解脱し、新しい物、古い物の区別がなくなります。

 彼らは、解脱するに十分なだけ熟すとマハートマンと呼ぶと言います。マハトマ・ガンディーのように(笑)、マハートマンになると、その後確実にパラマートマンへ行くと言っています。勉強した限りではこのような要旨を掴みました。

問 : ローギヤタム(世界の領域)を脱したら、私たち仏教の初等の聖人ですね。

答 : アートマンがあって有身見(体を自分と見ること)を捨てていないので、多分なれません。預流になるには、アートマンの中心である有身見を捨てなければなりません。ここが規定の違う点です。

 つまり彼らは我取を捨てることはありません。彼らはそのアートマンを、永遠に存在する自分である人にするので、自分を捨てられません。仏教は我取を捨てたいと望みます。つまり自分があるという感覚を何としてもなくします。これは違う分類にしなければなりません。

問 : 私たちの仏教は、自分がないのは、高い段階の捨てる時、阿羅漢になる時ですね。初めにはまだあります。

答 : 初等でも部分的には捨てますよ。削り始めて、だんだん残りを少なくし、最後には自然になくなります。有身見とは初めの段階で初等の我取を捨てることです。しかし同じ説明を「五蘊の執着を捨てる」という説明にしてしまえば、預流の有身見を捨てることで阿羅漢になってしまいます。(笑) 

 何も知らない人は、訳が分かりません。パーリ(ブッダの言葉である経)では、有身見を捨てることと我取を捨てることは同じと説明し、「自分がある」という理解、「五蘊に自分がある」、「蘊である自分がある」という感覚を捨てるのは同じです。しかし私たちは、預流はまだ最後の段階ではない、まだ到達していないとすぐに分かります。

問 : サッカーヤディティ(有身見)と二種類のマーナヌサヤ(慢隋眠)は、アッターワートゥパターナ(我取)の部類になるということですね。

答 : 同じ部類ですが、段階が違います。マーナーヌサヤ(慢隋眠)は預流の段階でも使う言葉で、預流以上、阿羅漢まで、捨てなければなりません。まとめてマーナーヌサヤ(慢隋眠)と言います。アハンカーラ(我)、ママンカーラ(我所有)、マーナーヌサヤ(慢隋眠)と、全部言わなければなりません。この長ったらしい言葉に全部含まれます。預流が捨てるのは、外の部分、粗い部分一部だけです。阿羅漢はすべて捨てます。

問 : それなら彼らが彼ら式のローギヤを捨てても、仏教の初等の聖人と見なすことは難しいですね。

答 : 道はありません。彼ら式の聖人になります。彼らのにも聖人があり、阿羅漢という言葉も使っています。

問 : それではヒンドゥーダンマは、先生の解釈のクリストダンマと同じように、ブッタダンマと同調できる余地はありますか。

答 : そう。それを調和させる努力をしています。調整させなければなりません。調和させるには、いろんな規定を言わないで、神様とはこういう物と言うだけです。ヴェーターナタは高く、何かを祈願する種類の神様はいません。神様はブラフマで、パラマートマンで、一般の神様より高いです。

 ヴェーターナタの教義の説明は、ほとんど仏教に届くくらい、非常に聞く価値のある部分があります。サワーミーは、仏教はヴェータータナから生まれたと言います。理解している人は何人もいないと、私は勝手に理解しています。その本は読む価値があります。しかしサワーミー・サッタヤーナンタブリーが書いた「仏教が生まれた井戸」を読んだ人は何人もいません。

問 : サワーミーの本以外に、他の本を勉強なさいましたか。

答 : 多少はあります。それについて書かれた良い本があれば、何でも読み、何か珍しい物があるかどうか聞いてみるように読みました。そして結局、何も新しい物がないので止めました。

 西洋の説明は、サワーミーの説明に敵いません。六派哲学についても、何人もの西洋人が何冊も書いています。サワーミーも当時何とかいう本を出しました。自分の出版社の月刊誌に、こういう話をたくさん書いていました。私は最後にはこの種の物を読むのを止めました。しかし聞き、滅苦ができる文章や言葉があれば、聞きました。(笑)

 そして、見ても滅苦ができる話がないので止めました。今はこういう原則があります。仏教の側の教典でも私はそう考えます。仏教の話でなくても、聞く価値のある話なら喜んで聞きます。インドの哲学を掴んでから二三十年になりますが、本気で勉強したのはブッダの伝記を書いた一時期だけです。

 本当に詳しくなるには、もっと勉強しなければなりません。本も、高いタンマについて話している本があれば、いろんな人の本を何冊も使いました。哲学面では、いつでも六派哲学を比較材料にし、哲学やヒンドゥーの知識は、どの本も(佛教新聞の)社説にしました。

問 : 先生の手紙や書棚を拝見すると、先生はその後、後期のヒンドゥー思想家、ヴィヴェカナンダ、ラーマクリシュナ、ピンタラナード タークーラ、クリシュナムルティなどを勉強なさったようですね。

答 : もちろんです。ヴィヴェカナンダはヒンドゥーダンマを世界中に広めた人だからです。ヴィヴェカナンダがサワーミー・サッタヤーナンタブリーの先生です。ヴィヴェカナンダは、ラーマクリシュナの弟子であることを、最高に誇りに思っています。

 読んでみると(笑)バカです。ラーマクリシュナは堪りません。狂人のうわ言のような症状があります。しかし彼は、神様の教えに由来していると言います。本は七冊セットで、一冊はラーマクリシュナについて述べていて、他の六冊はヴィヴェカナンダについて述べています。全部が Complete Works of Vivekananda です。

 チャオクンラップリーが全巻買ってくれました。クリシュナムルティはもっと後です。それぞれ別で、クリシュナムルティは何の教義も広めません。そして「教義」「先生」という言葉を止め、自然の真実だけを残しています。私が話すのに近く、どの教義も支持しません。

問 : でもチャオクンラップリーに宛てた先生の手紙には、「クリシュナムルティの教えは本当の命を自分と捉えるヴェーターナタのようだ。ただ言わないだけだ」とあります。

答 : 違いますよ。もしどこかの教義に分類するなら、ヴェーターナタに入れられる、と言っています。しかし本当ではありません。彼には神様がなく、仲間がなく、教義がないからです。彼は神様という言葉、あるいは神様に関わるいろんな体系、あるいは先生、あるいはタンマより遠く飛躍していて、「極めて解き放たれた人」という言葉が浮かびます。

 「何もいらない」という類まで解放されています。どんな教えか、解放されすぎて(笑)何を持ったら良いか分からないほどです。仏教で使うことができるかもしれません。解放された人とは、ローギヤから解放されてローグッタラへ行った人です。

 クリシュナムルティはこれに近いです。彼が「いろんな教団に所属するのを止めて、自分の内面の感覚から学ぶ」という言い方をしているのは、自由のためを意味します。正しく言えば、自由に解放された教義と言います。教団があれば教団次第、教義の教えで話さなければならないので、自分の内面の真実に従う必要はありません。

 見える通りに言うのは仏教に似ています(笑)が、仏教ではなく、考える自由の教義です。大きなテープを五巻くれた人がいますが、一度も聞いたことはありません。(笑)

問 : 先生はサワーミー・サッタヤーナンタブリーとどのように知り合われたのですか。

答 : チャオクンラップリーが連れて行きました。チャオクンラップリーが先に、サワーミーがどこでこの種の会話をしていると知って、私を誘って行って、その後親しくなりました。初回はバーンランプーの、サワーミーが借りて住んでいた部屋で話しました。一度シープラヤー通りへ移って話したことがあり、誰かの家か会社で、二階にありました。

 何回も会って、その後私から連絡をしなくなりました。彼が書いた本を読む方が便利です。思い出しました。彼は Voice of the East という本を何冊も出し、月刊で、タイ語と英語がありました。彼は私を抵抗者と見ていたと言いたいです。

問 : 先生。それでカルナー クサラーサイは、先生のインドの勉強と関係ありましたか。

答 : 関わりがあると言います。インドにいる間、良い本を探して、読むべきと言える本は送ってくれました。インドにいる時の方がたくさん手紙を書いて来て、帰国すると、あまり会いませんでした。彼は、私が還俗した人と付き合いたくないと誤解していたようです。そう理解しています。

問 : それでアーチャンカルナーとどのように知り合ったのですか。

答 : ああそれは「プラ・ローガナートと行く」にあります。プラ・ローガナート集にあります。誰が先に書いたか憶えていません。インドにいる間に連絡を取り合い、ほとんどは本の仕事の話でした。安くて良い本、Theosophy 協会の本を選んで、値段が高くなく役に立つ本を選んで、買って送ってくれました。私たちは貧しい人がするようにしました。

問 : インドの哲学に関しては、これだけです。

答 : そう。私は非常に少ししか知りません。魚と蛇の見分けができないくらいです。しかし明らかに知っていることは、仏教の教えと一致しないことで、一段下と知っています。最高の段階である、仏教の空に達しません。彼らは自分を欲しがり、永遠の自分である終点があり、永遠の滅で終わりません。学んでこのように本質が違うと知れば十分です。

 何の役にも立たないので、何のために勉強するか分かりません。しかしインド哲学はたくさんの教義とたくさんの宗派があり、膨大と知っています。そして仏教のような滅苦はできません。つまり因果(縁生)、縁起などの話がありません。だから少ししかありません。それなら仏教の教えの滅苦ではないので、何かを作り出す威力のある最高の物があります。




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