6 大乗の勉強と中国の知識





問 : 先生。ここで大乗の勉強と中国の知識について質問させていただきます。先生はいつから大乗に興味を持たれ、きっかけは何ですか。

答 : 私は大乗に造詣が深い訳ではありません。少し関わっただけで、大乗には何もないと、あるいはテーラワーダより劣る(笑)と結論できたので、それほど研究しませんでした。大乗から何かを得ても、テーラワーダにある物より善くも上でもありません。

 初めは名前を聞くだけで、大乗について何も知らなかったので、それに、大乗は非常に多くの物を増やして複雑にしたと、悪い面ばかり聞いていたので、どんな物があるのか、それは本当なのか知りたいと思い、大乗の人たちが来た時や、どこかに読める物があれば読んで、勉強して、考えました。

 その結果、彼らは簡単にしたかったという要旨を掴みました。教育のない庶民のためのいろんな教えを規定し、簡単にしました。彼らは深遠なブッダの徳を考察できないので、「ブッダの名前を唱えるだけ」まで低くして、「アミダパ(阿弥陀仏)」などのブッダの名前を唱えるだけです。

 そして八万回、あるいは四万回唱えれば確実に極楽へ行けると説明しました。これには同情します。彼らは、教育がなく智恵が少ない人たちが、他のもっと簡単な宗教に散らばらないように、仏教の範囲内にいるように維持したからです。そして忘れていけないのは、大乗はインドで生まれ、それから中国へ行きました。

 教育のない庶民をまとめたことは称賛するべきです。テーラワーダのように真っすぐにすれば、何の利益も得られない人がいます。そこで大乗は、八万回名前を唱えるだけで、彼らが唱えているブッダ(笑)の西方浄土へ行くことができる、簡単な規定を作りました。

 これが、大乗にはいろんな種類のブッダがいる理由です。教育のない人たちの期待に応えるために、いろんなブッダを規定しただけでは足りず、ブッダを助ける菩薩を規定し、一人で何千何万の菩薩を助けるターラーを規定しました。

 すべての人を乗せる大きな乗り物という意味の、大乗と呼ぶにふさわしいです。テーラワーダでは何人も行けません。(笑) 彼らは大乗を牛の車に例え、そしてテーラワーダを羊、あるいはウサギの車に例えています。(笑) 少数の人しか運べません。

問 : 先生。彼らが愚かな人のために作ったのなら、ナーガルジュナの中論などはなぜ深遠なのですか。

答 : それも一部ですが、愚かな人のためではありません。愚かな人は中論を理解できません。深い部分の大乗は、テーラワーダと違いがなく、中論は中道の中に入ります。つまり時代にふさわしい説明で、大乗は大きく拡大したと言うことができます。

 一方は低い方、教育のない庶民の方へ、そしてもう一方は高い方、知性と良い教育のある方で、教育のある人たちのために生まれた経もたくさんありますが、ほとんどは信じること、信仰することから脱しません。法華経なども、大部分は信仰を使います。

 だから私は、テーラワーダにある物より高い物、深い物、変わった物はないと言います。そしてその経の中に、彼らが特に望む物が含まれるので、長たらしい経になりました。それには、愚かな人のための簡単な部分と、知性のある人のための深遠な部分の、すべての段階があります。ブッダの偉大さ、菩薩の偉大さは愚かな人のための物で、ブッダや菩薩に執着します。

 しかしそれで終わらず、中国に行くとさらに別の教えがあります。人真似をしてからかう、あるいは問答をする禅が生まれました。小母さんたちの非常に古い大乗は、阿弥陀仏の名前を八万回唱えると、極楽へ行けますが、禅はそれを「阿弥陀仏とは何か」という揶揄します。

 禅の重要な観点では、阿弥陀仏とは本来の心で、本来の心の名前を八万回も唱えれば、きっと本来の心の糸口を知るだろう、という解脱のための話で、天国や極楽へ行くためではありません。だから禅には極楽や天国の話はありません。

 一般人のための大乗の極楽の宗派は、天台という別の宗派になりました。禅で注目するべきは、サマーディと智慧を分けずに、同時に生じさせる点です。今比較して見ると、アーナーパーナサティの系統は禅と対峙することができます。つまりサマタとヴィパッサナーが並行しています。同じ系統が二つの種類になりました。

問 : 先生が大乗を学ばれた本は、何語ですか。

答 : ほとんどは英語です。タイ語のは特別のが一冊あります。ラーマ五世の「大乗教義評論」で、ソムデットクロムプラヤーワチラヤーナワローロットに意見を述べられた本です。この本はとても良いです。今は探すのが大変になり始めたようです。

 ラーマ五世の大乗評論は、とても良く書かれていて、本生経を引用して、どのように大乗が生まれたか、いろいろ話しています。そしてラーマ五世も良い部分があると見ていらっしゃることが分かります。時には、大乗がタイを支配したら恐ろしいとまで見られています。

 一冊持っていましたが、どこに仕舞ったか分かりません。他のタイ語の本は、短く浅く簡単で、多くの人に受け入れられるよう説明しているだけで、大乗に本当に理解していません。

 それに禅宗を大乗に入れている人がいます。誰かは言いませんが、まだ本当に大乗を知らないと言います。禅は大乗を揶揄する人、大乗に抵抗する人です。まだインドにあった頃は高度な話で、高い方へ広がり、いろんな哲学を支配しました。

 中国へ行くと低い方へ拡大し、教育のない人も一緒にしたので、「阿弥陀仏の名を何万回唱えれば、その人が死んだ時は、確実に屋根の上に迎えの車が来る」と言うほど簡単になりました。だから(中華系の)オバサンたちは「南無阿弥陀仏」だけを唱えます。

問 : それで英語の本は、注文して買われたのですか。それとも自分で買いに行かれたのですか。あるいは買ってくれる人がいましたか。

答 : いろいろです。今は何冊も持っていません。揃っていません。大乗の重要な経、あるいは一流のは九経、あるいは十四経で、楞伽経、法華経などは持っています。法華経は The Sacred Books of The East の中にありますが、この訳はあまり信頼できません。

問 : 大乗の話を佛教新聞に載せて、抗議されたことはありますか。

答 : ありません。非難というほど抗議されたことは明らかになっていません。反対に、珍しい話を聞かせて貰ったと感謝されました。中には、禅で仏教を知ったと、私に話す人もいました。慧能の本を読んだ人もたくさんいます。読んで本当に意味が分かったかどうかは知りません(笑)。 しかし慧能の本だけで、他の本は読まないと自慢する人がたくさんいました。

問 : アーチャンチャーもそれに近いことを言っていたようです。

答 : だからアーチャンチャーは、「東北のテーラワーダの禅師」と呼ばれています。

問 : 何の本から始められましたか。

答 : 慧能からです。チャオクンラップリーが送って来て、翻訳して欲しいと言いました。私は翻訳できませんでしたが、翻訳するようしつこくせがまれました。英語はかなり易しいのですが、正しい意味の解釈が難しく、本当のタンマを知らなければ、多分間違って訳します。普通の言葉、普通の文章で、深い意味がある本だからです。

 テーラワーダの本当のタンマを知っているので、問題がある時にこちら教えを使うと、気づかないうちに間違うことがあるかもしれません。しかし慧能の意味と一致すると信じています。

問 : チャオクンラップリーは、どうして翻訳して欲しかったのでしょう。

答 : あの方は、この小さな本のように知性を使う話が好きです。読んでみたら、非常に関心があり、非常に満足したと言います。ウォン・ムーラムが中国語から英語への訳者で、英語で出版された初めての物と言います。

 タン モーシエン(註1)医師は、正しくない所が何か所もあると抗議していますが、私は本当かどうか知りません。「ウォン・ムーラムの訳は正しくない。英語訳が歪ませた」と彼は言っています。しかし私は、タイ語に訳すことで、重要な教えを、正しい原則を維持することができました。

問 : タイ語版の訳文を、チェックする人はいましたか。

答 : いません。全部自分でしました。

問 : タン モーシエン医師が誤訳と言うのは、英語ですか、それとも先生が訳されたタイ語ですか。

答 : 彼は中国も英語も知っています。しかし彼は、私の訳で知ったのかもしれません。私は英語のとおりに訳したと主張しましたが、彼は、小さな部分で重要部分ではないが、正しくない部分があると言いました。

 私はクルンテープへ行くたびに、タンモーシエン医師と話しました。行く度と言うことができます。その後行けなくなると、私が入院している病院へ彼が訪ねて来ました。彼も十分いい歳、同じ世代です。彼も非常に老いていました。黄檗希運を訳した時には、言葉の相談役がいて、ワタンユー ナ タラーンさんがここで出家している時、英語の言葉について質問しました。

問 : 先生。タン モーシエン医師とは、どんな話をなさったのですか。

答 : 何でもです。彼はいろんな話をしましたが、全部忘れました。思い出せません。あの人に関した話、この人に関した話。中国語について言うなら、彼は勉強家です。知っているのはタンマの方だけで、歴史は多少話せました。つまり彼は、あまり(笑)関心がなく、タンマにしか興味がありません。

問 : サティエン ポーティナンタと並びますか。

答 : 否定するのも、矛盾するのもあり、幾つかの論理は矛盾します。タン モーシエン医師が私にそう説明しました。しかしサティエンさんはタン モーシエン医師をとても尊敬しています。

 大乗は教育のない人の低い方と、教育の多い人の高い方へ拡大したと観察します。そしてインドも、この面の学習が盛んで、ナーランダ大学の時代には、思想家、学習者がいました。だから、もしかしたら大乗は、そこでできたのかもしれません。あるいはそこの学生が楽しく討論(笑)したのかもしれません。

 重要な経はインドで始まり、それから中国へ行ったと言います。禅宗が生まれる前、これらの大乗の経が中国に入りました。

 たぶん玄奘(三蔵法師。602-664年)の時です。法顕(337-422年)は神聖な類の物を探求する話で、知らないうちに呪術が混じり、ヒンドゥーが混じっているということもあり得ます。しかし玄奘は本当の学習者であり、直接の話、本当の物を取り、それが教典になります。法顕は歴史の記録家なので、彼が記録した物は歴史物が多く、現代でもそれを使っています。

 もう一人、同じくらい有名なのが義浄(635-713年)です。この人は実践に興味があり、実践の話ばかり、通り過ぎたあの国この国にどんな実践があったかを、記録しています。義浄は実践面の記録をしたと結論することができます。この三人は非常に役立ちます。私は義浄と玄奘の本を持っていますが、法顕の本はありません。欲しくありません。無くてもいいと思うので、探す努力をしませんでした。

問 : 慧能を訳すのに時間が掛かりましたか。

答 : 気ままにしたので、何カ月も掛かりました。章ごとに訳して、後で印刷しました。それに、最後の二三章は怠け、何かあって訳さないで、本に印刷しました。それで十分です。内容は同じような話の繰り返しです。何とかいう人が残りの部分を訳したのを、その後印刷する時、継ぎ足しました。

問 : 意味の解釈ができない時、どうなさいましたか。

答 : 諦めるというほど困ったことはなく、今まで勉強して来た教えの知識で何とかできました。佛教新聞に連載していたので休めず、可能な限りしなければなりませんでした。結論すれば利益があり、有益に使えました。黄檗希運はもっと難しくて深いです。空の観点で話すので、言葉がもっと深いです。空の話を庶民に深く話しています。

問 : タン モーシエン医師やサティエン ポーティナンタさんが読んで、どこかが誤訳だと言わなかったのですね。

答 : あったようには見えません。サティエンさんはこの本を読んで、そして私の翻訳も読みましたが、批判を書いたのは現れせんでした。

問 : 禅の勉強が、先生のテーラワーダの理解の一部を明らかにしたとか、あるいは何か考えが変わったということはありましたか。

答 : ありません。何かの考えが変わったというのもありません。しかし知識が頓智のようになり、言葉が鋭く、深く、鋭敏になりました。慧能のような話し方、記録されている哲学者のような話し方は、聞く価値があります。老子の道教を勉強した人が、喜んで文盲の僧(笑)慧能の話を聞きました。

問 : 初版の時、なぜ訳者の名前を「法施会教書局」になさったのですか。

答 : そうすれば自慢になりません。(笑) しかし一人で翻訳し、法施会教書局にはタンマタート以外には誰もいなくて、彼は少しも関わらなかったので(笑)事実と一致しません。

問 : 佛教新聞四年(1936年)第一号に、日本から来た僧が持っていた、日本の三蔵の詳しい索引を見たと書かれているのを読みました。どのように出会ったのか教えてください。大乗に興味を持たれた出発点ですか。

答 : 彼は「ナンソー」の本の目録を、勉強するために目録に集めて、いつも携行していて、引用するのに便利でした。誰のを見たことがあるのか、忘れてしまいました。(しばらく沈黙) ああ、昔は時々、日本の僧が仏教の勉強のために出家させてくださいと言って来ました。二三度ありました。

 一度に二三人で、トンブリー(チャオプラヤー川の西)側のアルン寺(暁の寺)に住んでいました。珍しいので私も会いに行きました。珍しいので、日本の僧に会いたいと思いました。わざわざタイ語を勉強していた人もいました。スアンモークを作ったばかりの頃は、いつもクルンテープへ行きました。年一回以上です。

 その時新聞で日本の僧が来たと知って、会いたいと思って、写真のことで顔見知りだった日本人の写真屋に通訳を(笑)頼んだことがありました。彼らはタイ式の出家をしに来る努力をしました。若い人たちばかりで、珍しいし、何か価値あるものがあると見たのでしょう。

 しかし何も利益はありませんでした。何も犠牲にしないからです。この仕事に生涯を捧げないで、疲れて困難に遭遇するとすぐに止めてしまいました。二三回会いに行きましたが、あまり話しになりませんでした。通訳を通さなければならないので、会話が難しいです。

問 : 先生がタイ-中華仏教協会に招聘されたのは、どのように始まったのですか。

答 : これはすべてタン モーシエン医師の話で、タン モーシエン医師が、中国人にテーラワーダのタンマ、あるいはテーラワーダと大乗を対比する話を聞かせたがり、私も対比して話すのは好きでした。

問 : タン モーシエン医師とはどのようにして知り合ったのですか。

答 : たぶん佛教新聞を通してだと思います。最初に会ったのはどうだったか、忘れてしまいました。私がクルンテープに行った時に訪ねて来たようで、それから常に交流し、長い時間お喋りをしました。彼は最高に良い計画を、中国語で書いてくれたことがあり、しまっておいたのですが、どこかへ行ってしまいました。読んで聞かせ、訳して聞かせてくれました。(笑) 

 私は(タイ-中華仏教協会に)何回も話しに行き、ほとんどタン モーシエン医師が通訳しました。初回は、慧能を佛教新聞に連載して間もなくだったと思います。世界仏教協会会議が、タンマの子ボーイスカウト(スアンモークの隣)で開催された時、一度スアンモークへ来たことがあります。

問 : 先生。サティエン ポーティナンタは知り合いですか。

答 : 彼は佛教新聞を読んで知り合いになりたいと思って、どのように連絡をしてきたか知りません。クルンテープへ行くと、まだスチーブさんが僧だった時は、必ずカンマートゥヤーラーム寺でお喋りをしました。他の話よりも、いろんなタンマの判断について話しました。

 彼は良い知識があり、確かな記憶力がありました。しかし意見や考えについては、当たり前ですが一致しない物もありました。私が空の心と、素晴らしい心、そして本来の心について説明すると、サティエンさんは同意しない面があり、彼は本でかなり強烈に書きました。

問 : リエン サティエンスットさんは、どのように先生と知り合いましたか。

答 : 初めてはどんなだったか憶えていませんが、この人も佛教新聞を通してです。憶えているのは、初めの頃泊まったパトゥムコンカー寺に、よく私を訪ねて来たからです。

 彼も、いつでもタン モーシエン医師と話しました。多分タン モーシエン医師と二人で私の話もしました。彼はテーラワーダの教典を中国語に翻訳しようと考え、始める決心をしましたが、成功しませんでした。マッジマニカーヤ(中部)を訳したか、あるいは何を訳したか忘れました。

 翻訳してテーラワーダの良さを自慢しようと考え、中国では、テーラワーダの教典の何が欠けているか、いつも調べていました。彼は、見つけたことがあると言っていました。今私は(笑)テーラワーダも大乗もいりません。滅苦ができると証明できれば、何の言葉でも満足です。

問 : 先生。仏教と禅以外に、中国の哲学に関する学問を勉強なさいましたか。

答 : 能力の範囲外なので、あまり勉強しません。老子、荘子、孔子のような細々した本は、少し勉強し、機会があれば英語で読んだり、タイ語で読んだりしました。プラヤーヌマーンの「隣人の教義」も読み、(笑) 老子も読みました。西洋で出版された小さな本は十冊以上あり、私も二三冊持っていますが、訳がみんな違い、信頼できるのもあれば、信頼できないのも、荘子のがありました。

問 : 映画館にある中国の「道教」の話の絵は、どうなさったのですか。

答 : 探せるだけ探して集めました。深くも、隠された物でもありません。タン モーシエン医師が集めて、本や、中華協会の何かからコピーしてくれ、英語の本から写した絵もあります。

問 : 以前、中国語を知っている僧が住んだことがあると話されたことがありましたが、一緒に何か勉強なさいましたか。

答 : 一緒に勉強はしませんが、読んで聞かせてもらいました。サーンという名前で、タイの名前がありましたが忘れました。中国語の知識は使い物になりました。どう勉強したかは知りませんが、文字が読めて、正しいと信頼できました。中国のタンマを何とか理解できました。

 珍しい話(笑)、短い話をたくさん読んでもらいました。機知に富んだ話ばかり(笑)選んでもらいました。その中にアッタカターのような慧能の解説がありました。彼に全部の本の目録を、どの本にどんな話があるか、目録を作ってもらったことがありましたが、失くしてしまいました。全部で百冊もありました。

問 : 先生。映画館にあるチベットのタンマの謎の絵は、どのようになさいましたか。

答 : 二枚しかありません。鬼が縁起を説明している絵と、象と猿の水墨画です。初めの絵は、ラビン(ヌンナーク)さんに、ジョン ボルフレートが持っていた絹布に描いた絵をコピーして来てもらいました。彼はチベットで手に入れました。チベットのどこの菩薩堂にもある絵です。意味は同じですが、腕は雑なのも緻密なのもあります。

 もう一つはダライラマさんから貰ったヴィパッサナーニャーナのいろんなレベルを説明している絵です。あの方自身の発案で描いたと理解しています。スアンモークを訪ねて来た時にくれました。意味は私たちのと近く、妥協することはできますが、同じではありません。

註1 : タンモーシエン=大乗の研究者であり、タイの華人社会の説教家。ターン・プッタタートの教えを中国人に伝えた。



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