3 探求生活





問 : 最初に、タイの仏教界がアッタカターレベルの経典にしか興味がない時代に、なぜ先生はパーリ(ブッダの言葉)のレベルに興味をお持ちになったのか、きっかけを聞かせてください。

答 : 私が初めにパーリ(ブッダの直接の言葉)に興味を持ったのには二つの意味があります。確実、厳正、明確さはパーリにあり、三蔵はまた別のレベルです。

 一般の(僧の)学校の勉強は、後でパーリを読むためにアッタカター経典を勉強をし、アッタカターに精通した人は、自分でパーリ経典を読むことができます。しかし今は、いろんな(パーリ語)文章試験が終わると、そこで止まってしまうことが分かっています。

 何も強制がないのでパーリ経典に興味を持ちません。と言うのも、試験がアッタカター経典で行なわれるからです。だから「アッタカターだけに興味を持つ」と責めるのは正しくありません。学生の課程に使うから、アッタカターだけに興味を持たなければなりません。三蔵に関心をもつ機会がなく、それに自分で買わなければならず、探さなければならず、高価です。しかし、基本の話を知りたければ、三蔵のパーリに興味を持たなければなりません。

 ほとんどの庶民が教えられているのはアッタカターのレベルだけなので、パーリ経典レベルは難しいかも、あるいは高すぎるかも知れません。アッタカターのレベルは神通力の話があり、呪術の類の話に合わせて解説してあるので、一般の人には楽しくて良く、眠くなりません。

 「トライプームプラルアン」のような経は、アッタカターを編集して作りました。一般庶民はそのレベルしか知りません。それしか機会がないからで、本当は庶民の意志ではありません。直に知るには、パーリ(ブッダの言葉)を調べなければならないという真実があります。

問 : 先生。なぜ彼らはパーリ経典(ブッダヴァチャナ)をナックタム(僧学校の)教科書として使わないのですか。それがあれば深遠な内容と勉強は、何年もに、たくさんの文章になります。

答 : 彼らはタンマの勉強ではなく、語学の勉強で、アッタカターを知っていればパーリ語が読めるという真実があるからです。パーリ語アッタカターのすべての部分を知れば、自分でパーリ語が読めるので、個人的なこととして、一人でパーリ経典を勉強させるために、アッタカターの勉強をさせます。

 しかし麻痺して(笑)、そこで止まってしまいます。これはアッタカターが読めれば、必ずパーリ経典が読めるという、教育課程を作る人の考えです。アッタカターの文章はパーリ経典より難しいので、いつでも、今でもこういう原則があります。

問 : どの国の(僧の)教育課程もそうですか。

答 : 私は、全部がそうではないと理解しています。ビルマでは、直接パーリ経典の一部分を勉強させていますが、タイでは最初から最後までアッタカターだけです。

問 : スアンモークに来る前に、先生はどれくらいパーリ経典を勉強なさったのですか。

答 : スアンモークを作ろうと考える前にも、パーリ経典には非常に興味がありました。その時はまだアッタカターと関わることから逃れられなかったので、パーリ経典もアッタカターも興味がありました。私は、一つの話で一冊の本を作りたいと思って、「布施」という本を印刷しました。これだけでも、非常にパーリ経典を勉強しなければなりませんでした。つまり布施に関したものがあれば、どこからでも持って来て入れました。

 アッタカターは手近ですが、重要で興味のある美しい要旨はパーリ経典にしかありません。だからスアンモークを作ろうと考える前から、基本になる本を作る考えがあったので、三蔵に興味があって、買いに行くと、お話したようにナコンカセム宮殿(跡の市場)で、セット崩れの三蔵を安く売っていました。

問 : その時、タイ語訳の王国版はまだ出ていませんね。

答 : まだタイ語版はありません。あったのは、ソムデットクロムプラヤーワチラヤーワナローロットの時代のタンマチャックに連載された、タンマソンバットというのだけで、全部合わせると相当の量になるので、頼りになりました。それとタイ印刷版の二三冊を頼りに、あるだけの本で、いろんな訳語を比較し、それ以外は、自分で七転八倒して訳語を探しました。

 そしてアッタカターが頼り、イギリスのPali Text Societyなど特に良いレベルの辞書が頼りでした。タイで売っていたので、スアンモークを始める前から持っていました。まだ厚い本になっていない時期で、どこで買ったか、良く憶えていません。しかし外国へ注文して買ったのでないことは確かです。

 タイの、パーリ語に本気の人は、こういう本を知っていて、本当に本気の人は、ナーガプラティープ セッティヤコーセッドのレベルを知っています。彼らは全員、これらの本を持っています。

問 : 先生。スアンモークを始めてから、決意どおり探し始めましたか。

答 : スアンモークを作ろうと考えると、念処やヴィパッサナーの実践に関したものばかり探し、他の話、たとえば布施などの話は止めました。もう一度集めなければならないので、あるだけの力と時間では、心の実践に関した話を探すには足りませんでした。

問 : すみませんが探究方法について、どう構想し、どう選んで順に勉強されたのか、あるいは別の方法かお話しいただけませんか。

答 : 前にお話したように、その後「阿羅漢の足跡を追って」と題した、完璧な構成の実践の本を作りたかったので、これから作る本に使う話を探すために、「阿羅漢の足跡を追って」の第一部にするために、長い継続した時間を掛けて、説法を聞いてブッダの恩徳に満足し、出家し、それから順に実践して森から出る段階まで、直接念処の実践をする部分に、何度も何度も三蔵全巻に目を通しました。

 書くのが間に合わなくて、何年もの間放ってありました。つい先ごろ、「アーナーパーナサティ」と呼ぶ形で新たに書き、アーナーパーナサティバーヴァナーの本である、厚い本になりました。「阿羅漢の足跡を追って」の先端を繋げたと見なすことができます。

問 : 先生。戒だけで出来ている「阿羅漢の足跡を追って」の資料を集めるために、戒とサマーディと智慧を集められましたか。それとも戒だけでしたか。

答 : そう、初めにどの部分も全部集めて、そして初めから順に書き始めました。「阿羅漢の足跡を追って」は、パーティモッガを基礎にしないで、チュラシーラ、マッジマシーラ、マハーシーラの戒を基本にしました。

問 : パーリ経典(ブッダの言葉)を読まれる時、アッタカターと対比して読まれますか。頭陀などは、清浄道論に依存なさいますか。

答 : それも使います。どこかにあれば、それも助けにはなります。しかし私はパーリ経典(ブッダの言葉)の要旨を使う大原則があり、読んで要旨が掴めなければ、何とか要旨を掴むためにアッタカターを開きました。

 英語のはまだあまりありませんでした。当時はパーリテキストソサエティの英語版のことを良く知らず、使い始めたのはもっと後、スアンモークを作って二十年後です。対比するために英語版と関わり、本気ではありません。本物はパーリ経典にあり、そして自分で訳したものを信じるからです。

 西洋の物も含めて、他の人が訳したものは、あまり信じません。私は、見つけたもの、手に入ったもの、便利に手に入ったものを訳しました。英語版も初めは一冊だけ持っていたようで、対比して学びました。そして買うのが大変でした。ビルマで会議が行なわれた時に本屋へ寄ったら高くないので、英語版三蔵の初めの三つのニカーヤを買い足しました。

問 : 三蔵の探求は、天女と交際するような味わいがあるとお書きになっていましたが、そうですか。

答 : 恍惚とします。彼が言っている言葉です。自分を励まし思い切り満足させるために使いました。それに、何もしたくなるほど恍惚とするような、そう例えられる状態があります。今まで聞いたことがない、新しい珍しいものと感じました。

 多分、多くの人も聞いたことがないと信じます。言葉の珍しさが、珍しい深遠なものだと満足させます。これがパリヤッティへ(学習)の陶酔です。ある時代、こういうことだけに没頭し、昼夜時間と労力を注ぎました。楽しいことは本当に楽しいです。時々はそうしていました。

問 : 先生。探している間、くじけて、力尽きて止めようと思われたことはありましたか。たとえば読んでも意味の解釈ができないなど。

答 : 一度もありません。分からない時、解釈できない時はメモしておくと、その後少しずつ分かり、いろいろ読むうちに自然に分かります。誰も知らないことを探して人々に提示したい気持ちがあったので、まだ公開されていないものを公開する、自慢と同じ煩悩の状態がありました。

 こういう煩悩があったので、楽しかったです。私が公開したので、公開され話がたくさんあります。「縁起」や「空」や「真如」などという言葉は、以前の庶民は話せませんでしたが(笑)、 今では庶民でも話せる人がいます。

問 : 一日何時間読まれましたか。

答 : 決めてなく、都合で。他に用事がある日は読みません。プムリエンのスアンモークにいる間は、たいてい夜に本を読んだので、電球ランプを使わなければならなくなりました。それまでは、コップに芯を入れたヤシ油ランプを使っていましたが、写したり、タイプを打ったりするのに不便なので、電球ランプを使わなければなりませんでした。

 スアンモークに来た頃は、もうタイプは使いたくないと思って法施会にやりましたが、本を作り始めるとまた必要になったので、返してもらって使い、佛教新聞に載せる、あるいは印刷屋へ送る原稿を書いている間は、ずっと使いました。探して、書き抜いて、タイプして、何もかも一人で、どれくらいできたか考えてみてください。

問 : 先生。読み終わってからもう一度振り返るのですか。それとも一つ一つ止まって考えるのですか。

答 : 自分が求めるものを探すために読まなければならず、そして引用するため、突き合わせるために書き写します。しかし直接翻訳できるものは直接翻訳して、佛教新聞に掲載しました。三蔵の翻訳が(笑)、三蔵の仕事をする森の僧にしました。

 感覚はあまりありませんよ。森に住むなら、ずっと住み続け、今は同時に森の僧と三蔵の仕事をする僧です。三蔵の仕事をする森の僧は、森の暮らしについて探す森の僧として、慎重な森の僧でいるためです。

問 : 初めの頃、探求と執筆と個人的な実践の関係はどうでしたか。

答 : 個人的な実践は「できるだけ」で、読経して、時間どおりに座ってサマーディをし、毎日の勤めが終わると、本を読んで(笑)、要するに、本を作る時間の方が多かったです。

問 : 初期に書かれたものは、サッタムパティルーパ(改革妙法。ブッダが教えた元来のタンマではない、偽物のタンマ)についてたくさん話してらっしゃるのを見ました。これらのものを追放する目的があったのですか。

答 : それも一つの要素ですが、目的の範囲を越え、ある一時期、サッタムパティルーパ(改革妙法)の風刺を書いたことがあります。カラスの持戒の話、スコンヤックの話がアッタカターの中にあり、一時こういう話を掘り出し、そして風刺しました(笑)。

 サッタムパティルーパだけでなく、破戒僧まで風刺しました。サッタムパティルーパは検証するのは難しいです。彼らは、根を下ろすまでしたので、引き抜くのが難しいです。しかし、「パーリ経典(ブッダの言葉)では、あなたが言ったようではなく、こう言っていますよ」と、こういうのもあります。

問 : 先生。サッタムパティルーパ(改革妙法)には何があったか、憶えてらっしゃいますか。

答 : 呪術の話、呪術のような話、祭祀の話、いろんな祈祷の話があります。今の読経礼拝の仕方も、いろんな祈祷の言葉が多く、祈願、誓願、交渉の形で唱え、あるいは仏・法・僧が生きている人物であるかのように、罰を与えるのを堪えてくださいと祈祷するので、考えは、仏教の手法としては正しくないと見、その時から考え始めました。

 しかしあまり重要でないと見ました。こういうことを期待するレベルの庶民には利益があるので、私は翻訳文を直し(笑)、すっきり読経できるようにしました。

 サッタムパティルーパ(改革妙法)と呼ばれるものは底辺の教えや、経典や、何かそのようなものを意味し、巷に少しずつあるものはサッタムパティルーパと呼ぶには至りません。一般庶民は、祈願し、祈祷し、神聖なものに頼るのが好きなので、呪術など(笑)が知らないうちに混入します。

問 : それではサッタムパティルーパ(改革妙法)であることが明らかな経典レベルはありますか。

答 : 私の感覚ではあります。彼らが今でも印刷して配っているような経、たとえばアーカーンワッタスッタと呼ばれるようなのは、何十もの形のイティピソー(如来号)を繰り返して暗誦します。こういうのは呪術です。

 そして彼らが善意で作った経、たとえばチョムプーボディースッタ、プラヤーチョンプーの話は、庶民が好んで聞きます。パーリ経典(ブッダの言葉)にも、アッタカターにもありませんが、タラバヤシに刻んだのは非常に良く売れ、どこのお寺でも読み、説教し、教えています。

 こういう経もサッタムパティルーパと呼びます。パーリ経典にもアッタカターにもないからです。目的を見ると、月食経、日食経と同じように、仏教を信じさせる意図です。月食や日食の話は、三蔵の中にあっても、サッタムパティルーパに仕分けするべきと言わなければなりません。三蔵の中にも、聞いて、サッタムパティルーパの一つと見るべき常見の経があります。

問 : 先生。それらの経は、その時から見ていましたか。

答 : おお、もっと前から、スアンモークに住む前、出家前から見ていました。人々はこの本が好きで大切にしていて、私がタンマに興味を持つと、持って来て見せる人、勉強させる人、憶えさせる人がいました。二三枚読むと、「こりゃー駄目だ。これは違う、違う」。イティピソーは前に進みません。一言言っては繰り返して、前進しません。

問 : これらの経はタイで作られたのですか。それともスリランカですか。

答 : タイで作られたと理解します。

問 : スアンモークを作る前、輪廻や天人についてどうお考えでしたか。

答 : パーリ(ブッダの言葉)を勉強する前、勉強し始めたばかりの頃は、他の人と同じに、「死んだら生まれなければならないので、善く生まれなければならない。善く生まれるために善いことをしなければならない」と説教していました。しかし、確実に生まれるとか、生まれないとか主張したことはないようです。(ナックタムの)学校で他の人と同じように学んだからです。

 私はアビダンマッタサンガハを説いたのを憶えています。死んだら生まれるというような、海へ商売しにいく話しをしました。商売をしに海へ行って舟が腐り、どの舟も腐って商売ができなくなり、商売が嫌いになって商売を止め、二度と航海をしなくなったという話を。

 天人の話は考えなければなりません。三蔵に、天人は居るのか居ないのか、ブッダに質問した人の話があります。ブッダは、「国中に知れ渡っていて、国中が信じているのに、更に何を訊くのだ(笑)」と、反対にこう答え、居るとも居ないとも答えられませんでした。こういうのと、「天使たちの姿はどうかを見たければ、美しく健やかなチッチャヴィーのクシャトリアたちを見なさい」とブッダが言われたことも一緒に、急いで印刷し、話して耳に入れました。

 しかし、どうすればそのような天人になれるかと質問すれば、ブッダは多分(笑)答えないか、あるいはこのタンマ、あのタンマの行動をすれば天人になれると答えたかもしれません。これらは「佛教」の創刊号に載せてあるので見てください。私は、これから広める大事なものと見ました。彼らは幽霊や天人の話を非常に信じていて、文化になっていたからです。

問 : 先生は、どのようにこういうものを発見なさったのですか。

答 : 探しものをしていて見つけました。今でもそういうことがあります。「ブッダの言葉による四聖諦」の話を探している時に、他の小さな、深いものをいっぱい見つけて、書き留めておいて有益に使いました。そして私が少ししか知らないものを見つけ、そして完璧な解説を見つければ、全部揃います。

問 : 先生は三蔵全巻を読んだことがおありですか。一ページずつ順に捲って読む読み方で。

答 : すべての文字は読んでいませんが、すべての話を読んでいるので、少なくとも題名を見れば何の話か、今探しているものかどうか分かります。

問 : 先生はいつ三蔵を揃えられたのですか。プラボロマタート寺まで歩いて借りに行かなければならなかったとお話になっていたようですが。

答 : 全巻揃ったのは、マハーマクットラーチャ大学の学長、大僧正チャオクロムプラヤーワチラヤーナウォンから貰った時です。私がマハー・トーンスーブに、スアンモークにも三蔵があるべきだと話したら、マハー・トーンスーブが申し上げて、大僧正が注文してくれました。

 その後もくれる人がいたので、今は五セットもあります。パーリ語版はチャヤーラーム寺に一セットあり、あっちの書棚に一セット、図書室に一セットあるので、何をするにも便利です。マハー・ウィチットが一セット使っています。

問 : 自分で買われたことはないのですか。

答 : 自分でも買いました。お話したように一冊五バーツで買ったことがあります。全部で二十冊。(笑) 一番気に入っています。当時はあまりお金がありませんでした。

問 : 「阿羅漢の足跡を追って」を書いた後、何をなさいましたか。

答 : 何をしたらよいかと考え時、ブッダの言葉のシリーズを作るのが良いという考えが生まれたので、「ブッダの伝記」(笑)を作り、「四聖諦」を少し作って休みました。短い時間で、すぐ印刷して本にできる、親指くらいの厚さの本にできる伝記より難しいです。

 マハー・トーンスーブが気に入って、マハーマクットの学生の教科書にするよう命じました。初めは、誰もこういう変わったことをしないのが不思議でした。珍しくて、そして根拠にもなります。(笑) だから話がどんどん増えて、今は十二センチくらいあります。(笑)

問 : ブッダの言葉集を作る時は、また全部読まなければなりませんか。

答 : 全部開いて見なければなりません。だからこの四十年間に何周も、何回も開いています。しかし欲しいものが何もないので、論蔵は必要ありません。開いて見ますがざっとで、経の要旨のような部分だけです。たとえばブッダの言葉による縁起の中に、「心に煩悩が生じれば、縁起が始まる」という、論蔵からの重要な文章があります。こういうのは論蔵にあります。

問 : 常に三蔵を捲っているというのは、どういう意味ですか。

答 : 関わっている、あるいは探しているという意味です。初めから今まで、見られれば開いて見ています。今でも、いつも疑問があるので、いつも調べて見ます。

問 : 一番見るのは、一番使うのはどの部ですか。

答 : 中部、相応部で、増支部はその次ですが、多いです。長部はあまり使いません。

問 : なぜ中部を使うことが多いのですか。

答 : 庶民にちょうど良く、学生にちょうど良いからです。そして明解です。初めも何も明確です。長部のブラフマチャーラスッタ(梵網経)などは、ブッダの言葉による四聖諦を作った時(1984年)に、本気でしました。それまでは表面的でした。

問 : それで行き詰まった時にはどうなさいましたか。どなたかに相談なさるのですか。

答 : 誰も相談する人はいません。スアンモークの中で、相談する人を探すのは難しいです。あれこれ努力して調べ、近い物をいろいろ探しました。サンスクリット語にしてサンスクリット語の辞書を調べると、良い訳語が得られる言葉もありました。サンスクリット語の辞書も持っています。

 今はシロアリに喰われてしまったかもしれません。その他の良い話がたくさんあり、マハー・ウィチットと一緒に考えたことがあります。彼がもう一度手伝ってくれれば、ブッダの言葉による最後の本、「ブッダの言葉によるサマーディバーヴァバーナー」を作ります。

問 : 先生。行き詰まった時、ソムデットプラプッタコーサーチャーンワットテープシリンに相談なさいましたか。

答 : (笑) しません。パーリ語の問題はあまり相談しません。本当に決意のある人なら、ほとんど問題はありません。その経のアッタカターに依存すれば話が分かり、正しいか間違いかは時次第です。時にはアッタカターを使わないで、誇らしく思うことも、しょっちゅうあります。

問 : 先生。この文章はどの時代で、この文章はどの時代か判別するまでに、どれくらい時間が掛かりますか。

答 : いつと言えはできませんが、どんどん多くなって、馴れたので、どんどん観察するようになりました。律蔵はこういう言い回し、経蔵はこういう言い回し、論蔵はこういう言い回しで、少なくともこの三種類は同じではありません。経蔵は、いろんな時代のものが重なっているので、いろんな形式があります。

 何度も捲っているうちに自然に分かるようになります。馴れて来ると、「あら、こういうのがまた出て来た」と分かります。

問 : ここでの最後の質問は、これから勉強する人の利益のために、精通するまでブッダの言葉を勉強する秘訣は何でしょうか。

答 : 秘訣はありません。休まずするだけです。絶えずしていれば少しずつ習熟し、自然が教え、それ自体が教えてくれます。秘訣のある人は誰もいないように見えます。行き詰った時は、良い訳語を推測するために常識的な知識が重要という、一つの真実があります。手本通りにするだけでは一致しません。

問 : 先生。例を上げていただけますか。

問 : たとえば(笑)、木や野菜に関したこと、病気に関したこと、生死に関したことなどに広く明らかな理解があれば、これらに関したパーリ語の訳語に詰っても、良い判断をすることができます。庶民のこと、家庭のことに精通していても、非常に役に立ちます。何か秘訣を話すことはできません。秘訣は「続けること」だけです。たくさんすること、熟達することで成功します。

 他の人はしません。彼らはしたがらず、する必要もありません。パーリに興味を持つ必要はありません。一般の人は、他の人が翻訳して書いたのを読むだけで満足します。しかし私は満足せず、もっと多くを求めました。本当は、楽しくするなら、もう一つでき、三蔵の珍しいものと言い(笑)、小さな一つの話を取り出して見せ、公開すれば、一冊の本になります(笑)。 しかし元気がありません。今はする力がありません。

問 : 随分前から「ブッダの言葉によるサマーディバーヴァナー」の構想があるのを見ました。完成していない原稿を、スアンモークに来たばかりの頃見ました。

答 : 私の仕事の範囲内なので、考えたことがあります。一冊出せれば、最高に素晴らしく、多くの実践者が使うことができます。

 以前は、三蔵に手を触れてはいけないと考えていましたが、今になると、三蔵も検討しなければ(笑)なりません。選別し、検証しなければなりません。三蔵にあるというだけでは信じないと言います。滅苦ができると見たら、そうしたら信じます。(笑)

註: 1.パーリ語レベルの経典とは、ブッダヴァチャナである三蔵という意味。アッタカターレベルとは、後世のアーチャンがパーリ経典を解説するために書いた経を意味する。




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