問題100 : 一瞬の間に仏教を消滅させる

質問 : 彼は先生のことを、人は来世に生まれることはできないと教えて、一瞬のうちに仏教の心臓を撃ちぬいて、あるいは攻撃して仏教を消滅させると非難しています。これにはどう言われますか。

答 : どうして来世に生まれるのを待たなければならないんですか。危害のある生まれることは、現世に生まれることです。私たちが死んで来世に生まれるのは、どんな意味の生でしょうか。ヒト語の意味の生、母親の腹から生まれることなら、お預けにしておきます。

来世について、私は話したくありません。まだ苦ではなく、私たちにとって火急の問題ではありません。今日ここに生じている、生まれている、そしてこの人生で来世として生まれる生にしか興味がありません。これには非常に興味があります。恐ろしいほど興味があり、再び生まれることがないように、それを支配したいと望みます。

 仏教の心臓部とは、二度と生まれないように注意すること。こういうことと主張させていただきます。もう一つの棺に入った後、母の腹から生まれる生も、煩悩である自分を生じさせないことで管理できすので、カンマを作る、来世に生まれる種を作る煩悩はありません。母の腹から生まれて棺に入る生には、大した意味がないという点が重要です。

 苦は、「俺、俺のもの」が今ここで生まれること、そして何度も繰り返し棺に入る種類の生を、「俺の」と信じることにあり、だから苦が生じます。どうぞもっと凶悪な生に、つまり「俺」という煩悩が生まれることに興味を持って、何としても管理してください。

それは肉体が生まれること、母の胎内に生まれて、そして棺に入る種類の生まれることも管理できます。この話は、とりあえずしまっておいて構いません。急いで直接の原因に対処する方がいいです。煩悩欲望が生まれることを管理できれば、物質的な誕生も確実に管理できます。他に何かありますか。

問題101 : コミュニストに門を開く

質問 : 彼は先生を、宗教のない政治家が入ってきて国を治めるために広く門を解放し、そして比丘を追い立てて田畑を耕作させていると非難しています。この真実はどうなのですか。

答 : これは私が、コミュニストに国を治めさせるために門を開き、コミュニスト式に比丘を追い立てて田畑を耕作させるという意味です。そのような考えは私の頭になく、私はどうしたら滅苦ができるかということしか話しません。宗教のない政治家という言葉は、もし内部の政治家なら、たぶんコミュニストを意味しています。それもまだできません。

なぜなら私の教えは、私の説明は「滅苦の話」「タンマを戻す」「人に道徳を持たせる」話ばかりだからです。そうしていれば、彼らは道徳があり、道徳のある人が国を治め、比丘たちは田畑を耕す必要はありません。道徳のある人が国を治めるからです。さて、次にしましょう。

問題102 : 左傾の人と手をつなぐと言う

質問 : 彼は先生のことを、間違った教えを広めるため、左傾の人たちと手をつなぐと非難しています。これには何と言いますか。

答 : 彼は、コミュニストたち、あるいはコミュニストの弟子、共産党の人たちが間違った教えを広めることに協力していると非難しています。彼らが間違った教えを広める手伝いをするのは、これはあり得ません。なぜなら彼らにとって何の利益もないからです。それともその間違った教えは、彼らにとって利益があるでしょうか。

もしそうなら、その教えが間違っているか正しいかを見てください。私が教えている教えは、タンマに反していないと主張させていただきます。誰かが広めてくれるならなお結構です。無理やり間違った教えにして、「自分の好きなようにしている」と罵り、「左傾の人が奨励し、撒き散らして増やしている」と言います。これはわざと泥を投げ付ける行為です。答える必要はありません。さて、次。

問題103 : 誤った教義の布教を手伝う弟子がいる 

質問 : 彼は、先生にはたくさんの弟子がいて、来世はないと言うことに関わる間違った教義を、四方八方に広める手伝いをしていると言っています。これには何と言いますか。

答 : 弟子がたくさんいて、来世はないという間違った教義を広める手伝いをしている。このように広める手伝いをしている弟子というのは、誰ですか。連れて来てみてください。どの弟子ですか。連れてきた人には、ある人が一万褒美をあげます。もう話しません。次。

問題104 : 浅いものしかないと人に誤解をさせる

質問 : 彼は、「仏教には先生が話しているような浅い話しかない」と人々に誤解をさせると、先生のことを非難しています。

答 : 私は浅い話は教えていませんが、深い話を浅く教えます。庶民が仏教の深い話を理解できるように、深い話を浅くします。浅い話しか教えなければ、誰も興味をもって聞きに来ません。真実はそれに現れています。解脱の話、「俺、俺のもの」を生じさせないタンマを教えるのは、浅いですか。どの意味が、どれくらい浅いですか。

浅いとすれば、何も知らない人にとって浅いのです。だから浅いと理解します。自分がない話は、仏教で最高に深い話で、浅い話を教える努力はしません。浅ければ、彼らは自分で理解でき、教える必要はありません。私は深い話を浅く教えるよう努力しています。さて、次にしましょう。

問題105 : 庶民が宗教に背を向けるまで教える

質問 : 先生の浅い教えは、たくさんの庶民を仏教に背を向かせてしまうと先生を非難しています。

答 : 私の教えのせいで仏教に背を向けたと言う人を、連れて来てみてください。いたことがありません。教えが浅いこともありません。それに教えは深いです。理解できない庶民が自然に仏教に背を向けるのは自由ですが、私は縁起のような、浅くない滅苦の話を教えます。

浅くはありません。最高に深遠です。そして必ず縁起を勉強しなければならないと、いつも強調しています。庶民が理解できないで、自分には無理だと思って止めたのなら、その人の自由です。私の教えが浅いからではなく、彼に興味がないのです。さて、次にしましょう。

問題106 : 聞く人が考えたがらなくなるまで教える

質問 : 彼は、先生の浅い教えは、庶民を人生の真実を探求したがらなくさせる。それは彼らの今後にとって非常に大きな利益なのに、と言っています。

答 : 私は、考える必要のない浅い教え方はしていないと言っています。浅く教えるつもりはありません。深い話を浅いものにして、庶民の利益になるように教える決意なので、質問のような問題はありません。私は仏教の最高に奥深い話を教えることで、庶民の大きな利益になるよう努力しています。

深い話を浅くする行動をし、庶民が何とか理解できるものにした結果、この話を理解する人が増えたことは証明されています。この話の本は関心が高く、いつでも売り切れ、配っても足りず、読むのも足りません。これはつまり、庶民が考えられるようになり、それが役に立ち、非常に興味を持たれている証拠です。さて次にしましょう。

問題107 : 如来の十力を消滅させるような教え

質問 : これもまた浅い教えに関するものです。彼は先生のことを、先生が教えている浅い教えは、ブッダの至高の十力の意味を消失させると非難しています。これには何とおっしゃいますか。

答 : たとえば「ブッダの言葉によるブッダの伝記」という本を開いて見てください。ブッダの十力が不毛にならないように、ブッダの十力について非常に詳しく、重視しています。こう答えるだけで十分です。さて次。

問題108 : ブッダを軽視するよう教える

質問 : 彼は、先生の浅い教えは、ブッダの智慧を軽蔑させると、先生を非難しています。

答 : 聞く人がブッダを軽蔑するように教える。それは愚かな聞き手で、聞いて意味が分からない、そして何を教えているのかも分からない人です。浅い教えは誰も興味がありません。もし聞いた人がブッダの智慧を軽蔑するなら、それは私が教えるブッダの教えの言葉を知らないから、理解できないからです。

なぜならそれは浅い話ではなく、深遠な話だからです。浅い教えではあり得ません。指をしゃぶっている子どもに教える浅い教え。そういう部分もあります。私は引き受けませんが、他の人は教えるかもしれません。私が引き受けるのは深い部分だけで、それを浅くします。さて、次。

問題109 : 人が読経する僧を拝まない

質問 : 彼は、先生の浅い教えが、人に読経する僧を拝まなくさせ、そして亡くなった親戚や友人に善を供えなくさせると先生を非難しています。

答 : スアンモークの翻訳読経の本は、何万冊印刷しても、欲しい人の需要に追い付きません。これは、人が読経する僧を拝まないようにしているのは、浅い教えではないという証拠として十分です。今は国中が、スアンモーク式に読経をする僧を拝んでいます。この人は何も調べず言っているか、あるいは難癖をつけています。さて次。

問題110 : 仏教を消滅させるよう教える

質問 : この問題も繰り返しです。先生の教えのすべてが、仏教を消滅させると言っています。

答 : これも、いろんな書物に印刷されている物で証明でき、証拠として現れています。それが仏教を破壊するか否かは、自分で見てください。次に他の話を。

問題111 : 三つの篭をそろえて提示しない

質問 : 先生は庶民に、仏教の教えの三つの篭(三蔵。パーリ語では蔵ではなく篭と言う)全部そろえて提示しないと非難しています。これには何と言いますか。

答 : 私は庶民に三つの篭全部を勉強させて、時間を無駄にさせません。滅苦のために知らなければならない急ぎのもの、それだけを教えます。半分の篭には触れる必要はなく、四分の一の篭は触れず、膨れ上がったアビダンマは教えません。そして法蔵の無用な部分も教えません。そして僧のヴィナヤ(律)も庶民には教えません。庶民のヴィナヤを教えるだけで十分です。

だから庶民に教えるものは大雑把に計算して、半分にもなりません。四分の一にもなりません。全体の十分の一にも達しません。このように主張させていただきます。庶民に三蔵全部を教えるつもりはありません。滅苦の実践には、ある篭(蔵)は空っぽで、ある部分は庶民にとって必要がないので、時間を無駄にさせることは、ある種の罪にもなるからです。さて次。

問題112 : 重複する問題

質問 : この問題も、また重複しています。彼は先生のことを、浅くて薄っぺらな間違った考えで、「来世はない」、つまり「輪廻はない」と教えると非難しています。

答 :これの答は問題11の答の中にあります。それ以上言うことはありません。

問題113 : ブッダのように振る舞う

質問 : 彼は先生のことを、ブッダのように振る舞っていると非難しています。

答 : ブッダの奴隷(プッタタート)と名乗りながら。さあ、答える必要はありません。パスします。

問題114 : 黄衣をまとって稼ぐ

質問 : 彼は先生のことを、身を黄衣でまとって庶民を騙して稼いでいると非難しています。

答 : どう騙しているか自分で見てください。そしてタイの十万以上いる黄衣をまとった人の、誰がどのように庶民を騙して稼いでいるか、自分で見てください。公正な心の人が自分で見てくれるよう、委ねます。誰でもこのように知っていることを、長々と議論する必要はありません。

彼が罵りたいと決意すれば、罵らなければ済まないので、罵りたいと思っている悪意のある人とは、理解し合うことはできません。もしかしたら黄衣をまとって稼ぐ方が、罵って稼ぐよりマシかもしれません。さて、他の質問にしましょう。

 

問題115 : 比丘サンガではない

質問 : 彼は、先生は比丘サンガではないので、住まいと、食事の面倒と、尊敬を受けるべきではないと言っています。

答 : どう見ようと、見る人のお好きなように。住む場所を与えず、何でなくてもご勝手に。好きなように。これは強制や説得をする話ではありません。在家支援者の自由に任せます。私をどう見ようと、見えるようにしてください。このような問題に答える時間を無駄にしません。しかし見れば質問者はパーリ語を知らないようで、比丘サンガを一人の人としています。次。

問題116 : 間違った見解を増長させる

質問 : 彼は、先生に住む場所と、食事の面倒と、尊敬を与えることは、間違った見解をますます増長させると言っています。

答 : それは悪意のある人の個人的な考えなので、これ以上改めること、あるいは調整することはありません。彼が悪意でこう言うとき、私はこのような発言者に反論する必要はありません。さあ、次の話にしましょう。

問題117 : 涅槃を明らかにするための出家

質問 : 彼は、先生はどのようにして比丘になったのかと非難しています。なぜなら先生は、出家したとき、「涅槃を明らかにするために出家します」と宣誓した、導師の前での誓約を守っていないと言っています。

答 : 今でも常に、涅槃を明らかにするために努力していると主張させていただきます。自分と他人の双方のために、明らかにできただけ、あるだけ、生じただけ教える努力をしています。「涅槃を明らかにするために出家する」という出家の日の誓約を破ったことは一度もないと主張させていただきます。(しかし罵っている人が言っているような誓約の言葉ではありません)。これは今でも堅持しています。さて次。

問題118 : カンマが来世を作る

質問 : 彼は、行動したカンマが来世で報いることはできないと、先生が教えていると言っています。

答 : そのように言ったことはありません。カンマの結果は順に繋がっていて、一瞬一瞬の心の行動であるカンマの結果は、次の、その後の心の瞬間に現れます。だから「俺、俺のもの」が生まれ、そしてカンマを作れば、新しく生まれる「俺、俺のもの」に繋がる結果があります。そして前の行動の威力が、原因なので、来世の報いよりもっとすごいです。なぜならそれは、即座に来世を作るからです。さて、次の話にしましょう。

問題119 : 智慧の話を教えたことがない

質問 : 彼は先生のことを、最高に重要な話である、仏教の四十七の智慧の話を、一項目も庶民に教えたことがないと非難しています。これには何と言いますか。

答 : 私は四十七種の智慧は、好きじゃありません。多すぎ、増やしすぎです。好きなのは、「そのようになる」というタタター(真如)が見えるヤターブータサンマッパパンヤー(如実正智)だけです。この一種類の智慧だけで、他の百種類千種類を網羅することができます。

ここで聞いている大勢のみなさんにお願いします。四十七種もの智慧に興味を持たないでください。「そのようになる」と見える、つまりタタターを見えるようにするヤターブータサンマッパパンヤー(如実正智)だけに興味を持ってください。それ一種類で十分です。さて、次の項目は、

問題120 : 教えるのは道徳だけで、四十七種の智慧を教えない

質問 : 彼は先生が、道徳しか教えず、仏教の四十七種の智慧を教えない、それで、今後仏教の比丘としてやっていけるだろうかと非難しています。

答 : これは、四十七種の智慧には興味がないと回答済みです。興味があるのは、自分はない、すべてはそのようになると見て、自分という取を捨てることができる一種類だけです。これが仏教の本当の比丘で、こうしなければなりません。人にこれ以上時間の無駄をさせてはいけません。さて、他に何か。

問題121 : ヒト語とタンマ語に分ける

質問 : 彼は先生が、自分の自由な考えで、教える基礎としてヒト語、タンマ語に分けていると非難しています。この事実はどうですか。

答 : ヒト語とタンマ語は自然にあります。タンマを知らない人は、タンマを知らない人の言葉で話すので、ヒト語で話し、タンマを知っている人は、その人が知っているタンマ語で話します。人の利益になるようにするには、庶民の言葉より更に深い、もっと良い言葉があると見えるようにするために、分けなければなりません。

 たとえば、ヒト語で話せば人物が基準で、ブッダは涅槃に入って火葬され、骨だけしか残っていません。これがヒト語で、このように言います。

 次にタンマ語で話せば、「ブッダはまだいる。ブッダは永遠に私たちと共にいる」と言います。ブッダは「タンマが見える人は私が見える。私が見える人はタンマが見える」と言ったので、タンマ語で話せば、ブッダはまだいますが、ヒト語で話せば、ブッダは涅槃に入り、火葬され、骨しか残っていません。

 これはどちらが好きか、ヒト語のブッダが好きか、あるいはタンマ語のブッダが好きか、自分で選ぶことにしましょう。このように二段階の違いがあるので、どちらが利益になるか、自分の好きなように選んでください。私は、真実はこうだと

見えるように説明します。さて、他に何かありますか。

問題122 : 「フィシックス」と「メタフィシックス」という言葉を間違って使う

質問 : 彼は先生が、哲学の言葉、つまり Physics Metaphysics という言葉を、自分式のヒト語とタンマ語に分ける理由として使い、そして Physics と Metaphysics という言葉の使い方が、原語の意味と違っていると非難しています。これには何と言いますか。

答 : 私は非難している人と種類が違う勉強をしてきたので、一致するように話すことはできません。私が言う Physics は、Physics (物理学) という言葉の原則通り、物質的原則のものを意味し、Metaphysics(形而上学) とは、見ることができない、Physics のような手法では学ぶことができない、それを越えたもの、つまり物質の知性を越えたものを意味します。これ以上のものにしたくありません。

つまりそれには二種類あること、物質的原則である物質の話のレベルと、もう一つは物質より上のレベル、物質的手法で学んで理解することができない物があると言います。

 ヒト語は物質の言葉で、 Physics と呼ぶ普通の原則を使い、タンマ語はもっと深く、Physics あるいは Meta-physics より上の原則を使います。もし私が、Physics あるいは Meta-physics という言葉を原語の意味と違って使っていると見るなら、私が違った理解をしているとしてください。一致させ、一つにすることはできません。一つに合わせる道はありません。私が知っているこの二つの言葉の意味は違うからです。さて、他に何かありますか。

問題123 : ヒト語、タンマ語と分けるべきでない

質問 : 彼は、ヒト語はタンマを知らない人の言葉、あるいはタンマを知らない人の感覚による言葉、タンマ語はタンマを知っている人の言葉と分けて、いたずらに複雑にする必要はないと言います。タンマ語もヒト語によってできている一つの決まりにすぎないのだから、複雑にして、時間を無駄にするべきでないと言います。これには何と言われますか。

答 : これは、ヒト語、タンマ語の違いを説明して見せる必要があると主張させていただきます。そしてまだ、ヒト語はタンマを知らない人の言葉、そしてタンマを知らない人の感覚で話す言葉であり、タンマとは、タンマを知っている人が話す言葉、そしてタンマを知っている、あるいはタンマが見える感覚で話す言葉と主張させていただきます。

先ほどの例のように、ヒト語で言えば、ブッダは死んで火葬され、そして何も残っていませんが、タンマ語で言えば、私たちと一緒に、今ここに、そして永遠にいます。このような必要性があるので、この種類の言葉を使わなければなりません。すべての物事を、ヒト語とタンマ語で説明できます。

タンマのサンディティコ(自分で見ることができる)の話なら、タンマ語を使わなければなりません。そうすれば話してはっきりとサンディティコ(自分で見ることができる)と見せることができます。ヒト語では、サンディティコ(自分で見ることができる)の深い意味を説明する術はありません。だからヒト語も使わなければならないし、タンマ語も使わなければならないと主張させていただきます。

ヒト語では説明できないサンディティコ(自分で見ることができる)のもの、あるいはパチャッタムヴェーティタッボ(自分で知ることができる)のものを説明するために、タンマ語を使う必要があります。さて、他に何かありますか。

問題124 : 名のものについて話すヒト語もある

質問 : 彼は、ヒト語は物質に使い、タンマ語は名のものに使うと言うのは真実ではない。名のものについて話すヒト語もあると、先生を非難しています。これには何と言われますか。

答 : ヒト語とタンマ語の二種類がなければならないと、今まで通り主張させていただきます。名のものについて話すヒト語はあっても、それは人が話すように話し、浅く話すので何の利益もありません。ヒト語はいつでも自分があるように話すので、タンマ語を使わなければ、自分がないことを説明できません。

だからヒト語で深遠な名のものについて話しても、ヒト語の浅い話しかできず、最高に深く話せません。だから私には、ヒト語とタンマ語の両方がなければなりません。市井の浅い話はヒト語で話し、お寺の深い話は、タンマ語で話さなければなりません。そうすれば簡単便利に役立てることができます。さて次。

問題125 : プッタタート語がある

質問 : 彼は、タンマ語を物質と世界に使わないのも、世界のこと(ローギヤ)に使わないのも、脱世界(ロークッタラ)にしか使わないのも、こういうのは理由がない話し方、意味がない言葉で、プッタタート語だと先生を非難しています。これには何と言いますか。

答 : 彼がプッタタート語を作ってくれたので、どうぞプッタタート語には、ヒト語とタンマ語があると知ってください。ヒト語は知性のない普通の人と話すためにあり、タンマ語は高い知性の賢い人と話すためにあります。プッタタート語はこのように二種類あります。今後ずっと、喜んでプッタタート語を使います。他に何かありますか。

問題126 : よく調べずにだらだらと喋る問題

質問 : 彼は、先生がヒト語、タンマ語と規定して使うのは理屈に合わない、論理的に正しくない、前よりも意味を狭めてしまうことであり、プラタムの真実から見て正しくない。ブッダの言葉を自分のものだと主張することであり、本当のブッダの言葉を歪曲することであり、緻密で深遠な仏教の教えに無関心であると言っています。これには何と言いますか。

答 : この非難の言葉は、悪意によるもので、滅茶苦茶で、何も原則を捉えていません。ヒト語とタンマ語があることは、浅い話と深い話をするために二つの言葉がある道理に合っています。これが二つの言葉が必要な理由です。そして論理的にも何も間違っていません。タンマ語こそが、論理的に正しい形をしています。深いだけの子どもの論理ではありません。

 前よりも意味を狭めるとは、あり得ません。なぜなら意味を深め、真実にするので、このような行動は、正法を改ざんして偽物を混合させることではありません。しっかりした教えを丈夫な防護壁として埋めてあるので、正しくなり、正法を改ざんする機会はありません。ヒト語は愚かな人の言葉なので、正法の改ざんを防ぐには力不足です。

 私には、賢い人の言葉である、正法の改ざんを防護できるタンマ語が必要です。そしてこの項目は、深遠なものであるタンマの真実に照らして正しく、深遠な部分のタンマを話すには、タンマ語がなければなりません。これはブッダの言葉のどこを詐称することでもありません。たとえばヒト語で、「地獄は地下に、極楽は天上に」などと言うように、ブッダが言ったことと違ったことは言いません。これはどれほど愚かか。

 しかしブッダのタンマ語は、「地獄や極楽は根に現れる」と、ブッダ自身が言っています。根(六処)にとは、この目、耳、鼻、舌、体、心で、これがタンマ語です。こういうのはブッダの教えを、自分のものと言っていることではありません。タンマ語は、ますますブッダの教えをはっきり、正しく、完璧に説明します。このような行動は、ブッダの教えを歪曲しません。

 彼には、もう一つ、ブッダのタンマ語があります。彼は、ブッダのタンマ語を歪曲すると非難しています。私は、ますますブッダのタンマ語を明瞭にすると、そしてこうすることは、仏教のブッダのタンマ語の奥深い緻密さに対するガサツさではなく、配慮だと主張します。これが答えです。真実と一致する短い答はこのようです。しかし夢中で泥を投げつけている悪意の人には理解できません。さて、次にしましょう。

問題127 : 西洋人も、きっと勝手な解釈と見る

質問 : 彼は先生のことを、西洋人の哲学者もきっと、先生は仏教の言葉を、さきほど述べた Metaphysics のように好き勝手に解釈していると見なすだろう、と非難しています。これには何と言われますか。

答 : たぶんそう理解するのは、私が勝手な解釈で説明をすると非難する、その西洋人比丘だけです。私は全面的に否定します。西洋人の誰でも、本当の哲学者ならば、それはそうしなければならないと、今私がしているような方法でしなければならないと、はっきりと見えます。Metaphysics (形而上学)という言葉は、話し方、考え方、実践方法には二つのレベルがあるということを教える以外には、それほど意味はありません。

一種類は物質の法則で変化し、もう一種類は、物質の法則によって変化しません。それだけしかありません。だからこの規則を使うことに間違いはありません。それは物質と呼ばれるものもあり、物質より上のものもあると、手法を二種類に分ける言葉だけです。真の哲学者である西洋人なら、そこまで理解できないで歪むことはありません。Metaphysics という言葉の使い間違いは、一つもないと、ここで保証させていただきます。さて、他に何かありますか。

問題128 : 他のディアラティーで、ブッダディアラティーではない

質問 : 彼は、先生の教えを学んだことがあり、その後アビダンマを学んだ人に何人も会ったが、その人たちは、長い間迷って先生の教えを学び、ブッダの教えだと思っていたが、本当はディアラティーの教えだったと告白していると言っています。これは先生に関してどんな真実がありますか。

答 : 私はこの種の人に会ったことがありません。昔から時間が経っている人を、一人ばかり連れて来て見せてください。アビダンマを勉強して、私の教えをディアラティーの教えと見る人を、連れて来て見せてください。

ディアラティーという言葉が、ブッダディアラティーという意味なら、それは正しいですが、他のディアラティーではありません。アビダンマを勉強したと言うのは、膨れ上がったアビダンマばかりなので、だから私がブッダの教えで教えているものが、他のディアラティーの教えに見えてしまいます。私が「ブッダの教え」として教えるものの中に、他のディアラティー(教祖)の教えが混入していないことは保証します。

私はブッダの忠実な僕で、他の人を騙すようなこと、あるいはブッダのものを自分のものと詐称するようなこと、あるいは自分の利益のためにすることはしません。私は他のディアラティーの教えがこのディアラティー、つまりブッダディアラティーの教えに混入するのを防ぎます。さて、次にしましょう。

問題129 : プッタタート語の「生」

質問 : 彼は先生のことを、プッタタート語の意味の「生」という言葉は、ブッダのタンマのように詳しい説明ではない、と非難しています。この真実はどうなっていますか。

答 : ブッダのタンマの意味で、最高に奥深いと主張させていただきます。肉眼で見える、指しゃぶりをしている子どもにも見える、母親の腹から生まれることでなく、タンマ語の「生」、煩悩・取で「俺」に生まれることは、指しゃぶりをしている子どもには見えず、アビダンマを何十年も勉強している人たちにも見えません。このように微妙で深遠です。

膨れ上がったアビダンマ(論蔵)ではなく、本当のアビダンマ(無上のタンマという意味)を学び、偽のタンマ語でない本当のタンマ語を使わなければなりません。そして「生まれる」とはどんな意味か、明らかに見ます。つまりいつでもどこでも、欲望・取が生まれた時はいつでも生があり、生がある度に苦があります。

生がこのようなら、どんな方法で駆除できるか、そしてまったく苦がなくなるかを見ます。いつまでもこのように主張させていただきます。他に何かありますか。


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