第六章

後の弟子が手本にすべき前生のバーラミー





解説

 ここに集めたブッダが自身の過去世について述べた話は、三蔵のパーリ(ブッダの言葉)レベルの経にある話だけで、私たちが「ジャータカ」と「アッタカター」と呼ぶ話は避けたので、幾つもありません。

 みなさんが至る所で読んだことがあるブッダバーシタ(ブッダが言われた、という意味)であるジャータカ(アッタカタージャータカ)は、パーリ(ブッダの言葉)にはないので、その種の話は入れません。それに(ジャータカは)掲載しきれないくらい多いです。

 更に三十五話あるパーリ・チャリヤーピダカも、ここでは珍しい八話だけを、章の最後に収め、マハースダサナチャリヤーを真ん中にしました。

 もう一つブッダの前生の話を「ブッダの言葉によるブッダの伝記」に収めるのは、バーラミーを積む、あるいは善を集めると呼ばれるブッダチャリヤを、読者が後に続く手本にするために熟慮して見るためであり、物語ではありません。本書は物語よりダンマに重点をおいているからです。

編纂者









四聖諦を知らないから、輪廻しなければならなかった

ヴァッチー地方コーディガーマで
相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻541頁1698項

 比丘のみなさん。四つの聖諦を良く知らなかったから、洞察しなかったから、私とみなさんは、それだけ永い時間輪廻を回遊しなければなりませんでした。比丘のみなさん。どの四つの聖諦を知らず、洞察しなかったからでしょうか。

 四つとは苦である聖諦、苦を生じさせる原因である聖諦、苦の消滅である聖諦、苦の消滅に至る道である聖諦です。比丘のみなさん。この四つの聖諦を知らず、洞察しなかったから、私もみなさんも、これだけ長い時間輪廻しなければなりませんでした。

 (他のパーリでは、四聖諦の代わりに四聖法、つまりアリヤシーラ、アリヤサマーディ、アリヤパンニャー、アリヤヴィムッティで述べられています。長部マハーヴァーラヴァッガ 10巻142頁109項)





浄居天に生まれたことはない 

大獅子吼経
中部ムーラバンナーサ 12巻162頁187項

 サーリプッタ。サマナ・バラモンのある人たちは「純潔は輪廻するからある」と言います。サーリプッタ。私はその長い時間で輪廻したことがない輪廻は、浄居天以外に探すのは簡単ではありません。サーリプッタ。私が浄居天の天人群に輪廻すれば、この世界には来ません。(当然その有で般涅槃する)。

 サーリプッタ。サマナ・バラモンのある人たちは「純潔は生まれることによってある」と言います。サーリプッタ。私はその長い時間で生まれたことがない生は、浄居天以外に探すのは簡単ではありません。サーリプッタ。私が浄居天の天人群に生まれたら、この世界には来ません。(当然その有で般涅槃する)。

 サーリプッタ。サマナ・バラモンのある人たちは「純潔は住む場所である有故にある」と言います。サーリプッタ。私はその長い時間で住んだことがない有は、浄居天以外に探すのは簡単ではありません。サーリプッタ。私が浄居天の天人群で暮らしたら、この世界には来ません。(当然その有で般涅槃する)





過去の輪廻で供え物と火を焚く祭祀をしたことがたくさんある

大獅子吼経
中部ムーラバンナーサ 12巻163頁190項

 サーリプッタ。サマナ・バラモンのある人たちは「純潔はお供えをして祭祀することで生じる」と言います。サーリプッタ。私はその長い間、私がお供えによる祭祀をしたことがないのは、王族、聖水灌頂を受けた国王、偉大なバラモンの時でも、探すのは簡単ではありません。

 サーリプッタ。サマナ・バラモンのある人たちは「純潔は火を焚くことで生じる」と言います。サーリプッタ。私はその長い間、火を焚いたことがないのは、武士、聖水灌頂を受けた国王、偉大なバラモンの時でも、探すのは簡単ではありません。





前生で積んだ善の手本

ラッカナスッタ・祇園精舎で
長部パーティヴァッガ 11巻159頁131項

 比丘のみなさん。前生で、如行(ブッダの一人称。漢訳では如来)が過去の有で人間に生まれた時、善に奮闘努力する人で、正しい体、正しい言葉、正しい心にこだわり、寄付や持戒、菩薩堂の維持、両親への実践、サマナ・バラモンへの実践、一門の発展した人への恭順、そしてその他の善に努めました。そのカンマの行動をし、積み、塗り重ね、集めたので、体が壊れて死んだ後、当然善趣・天界へ至りました。

 比丘のみなさん。如行が過去の有で人間に生まれた時、大衆に幸福をもたらす人で、危険、つまり戦慄を減らす人で、ダンマで管理し、八物も含めた布施をし、殺生を避け、武器と刑罰を置いてしまい、恥と可愛がることがあり、すべての動物に憐れみと支援がある人で、上等な食べる物、齧る物、なめる物、飲む物、見る物を布施する人でした。

 四つの支援、つまり物を与え、きれいな言葉使いをし、他人の利益のために行動し、そして対等に扱うことで支援し、意義とダンマがあることを言う人で、たくさんの人に提言し、すべての人に幸福をもたらす人で、自身もダンマを尊重しました。そのカンマの行動をし、積み、塗り重ね、集めたので、体が壊れて死んだ後、当然善趣、天国の世界へ至りました。

 比丘のみなさん。如行が過去の有で人間に生まれた時、それらの動物が早く知り早く実践し永遠に悲しまない人になるよう願って、敬意をもって技術と実践項目を教える人でした。サマナ・バラモンに会いに行き「発展した方。何が善で何が悪で、何が罪で何が罪でないですか。何を尊敬すべきで何を尊敬すべきでないですか。

 どうすれば利益がなく、長く苦になり、どうすれば利益があり、長く幸福になり、怒らない人になり、恨みが多くない人になり、大勢の人に文句を言われても頓着せず、怒らず、復讐心を起こさず、恨まず、怒りや凶悪さ、無念を表さない人になれますか」と質問する人で、同時に樹皮で織った布、綿、絹の布、床に敷く毛織物を布施する人でした。

 比丘のみなさん。如行が過去の有で人間に生まれた時、親戚、友人、同輩、同族と同調する人で、長く離れている人と仲良くし、母と子、子と母、父と子、子と父、兄弟と姉妹、姉妹と兄弟と仲良くし、団結したら褒めて喜び、大衆の下層を観察する人で、常に知ることができ、自分で知ることができ、「この人はこれにふさわしい」と普通の人を知り、特別の人を知り、それらの人々に特別の利益をなす人でした。

 「どうすればこれらの人々が信仰と戒と学習と知識、寛大、ダンマ、智慧、財産と籾米(備蓄米)、田と果樹園、二足動物、四足動物、子と妻、奴隷と労働者、そして親戚・友人・郎党で発展するだろう」と多くの人たちの支援、幸福、努力から生じる安全の利益になることを望む人でした。

 比丘のみなさん。如行が過去の有で人間に生まれた時は、素手でも石や棒ででも武器ででも、すべての動物を苦しめない人で、ジッと見つめず、横目で見ず、陰で見つめない人で、快活で真っ直ぐに見、好意を表す視線で他人を見る人でした。

 すべての善の用事で多くの人たちの先頭であり、布施の分類、戒の遵守、菩薩堂で過ごすこと、母・父・サマナ・バラモンの支援、一族の中の栄達した人に拝礼すること、何らかの高い善の中で嘘を避け、本当のことを言い、確実で正直な言葉で溢れ、世界を欺かないこと等々において、正しい体、正しい言葉、正しい心のある人の群れの代表でした。 

 比丘のみなさん。如行が過去の有で人間に生まれた時、告げ口(仲違いするよう仕向ける言葉)、つまりこちらから聞かないのにこちらに打撃を与えるために言い、あちらで聞かないのにあちらに打撃を与えるために言うことを捨てた人で、仲違いした人を団結させ、仲間を一致団結させる人で、粗暴な言葉を言うのを捨てた人で、罪がない聞いて心地よい言葉、心に沁みる愛の基盤である言葉、庶民が使う言葉、多くの人が満足し、喜ぶ言葉だけを言う人でした。

 比丘のみなさん。如行が過去の有で人間に生まれた時、キリもなく話すことを避ける人で、時にふさわしいこと、本当のこと、ダンマであること、意義のあること、秩序のあること、根拠のあること、根拠のあること、終わりがあること、利益があることを話す人で、誤った生活を捨てた人で、正しい生活を営み、騙すこと、計量、秤で騙すことを避け、切り、殺し、縛り、加害し、奪い、恐喝等々を避ける人でした。





大梵天、サッカ(帝釈天)等に生まれたことがある

小部イティウタカ 25巻240頁200項

 比丘のみなさん。如行は過去の生で七年間メッターバーヴァナー(慈しみの努力をすること)に励んだので、七つのサンヴァッタカッパ(成劫)とヴィヴァッタカッパ(壊劫)の間、人間に生まれたことはありませんでした。その成劫の間、私は梵天界の極光浄天に生まれ、空っぽの梵天宮殿に住んでいました。

 比丘のみなさん。その間私は梵天であったことがあり、誰も支配できない偉大な大梵天であったことがあります。すべての物を厳格に見る人で、最高の権力者でした。

 比丘のみなさん。私は天人の統領である帝釈天だったことが三十六回あります。私はダンマによる王で、四つの海で終わる領地があり、善い勝者で、豊かな田舎があり、七つの宝があるダンマのある皇帝だったことが何百回もあります。普通の王だったことは言うまでもありません。

 比丘のみなさん。私に「何のカンマの報いでこのように偉大な威力の人になったのだろう。このような権力者になったのだろう」という考えが生じました。

 比丘のみなさん「三つのカンマの報いが私をこのように偉大な威力の人にした。このような権力者にした」という考えが生じました。つまり①与えること、②忍耐、③注意深さの結果です。





ジョーティパーラ青年の生

ガティカーラスッタ
コーサラの田舎を旅している途中の木陰で
中部マッジマパンナーサ 13巻374頁405項

 アーナンダ。あなたに「あの時のジョーティパーラ青年は他の人だ」という考えがあるかもしれません。アーナンダ。そのように見るべきではありません。あの時のジョーティパーラ青年はこの私です。

 アーナンダ。大昔、ここはヴェバラガという豊かに繁栄した町で、人が沢山いました。アーナンダ。カッサパという名のブッダがこのヴェバラガの町に住んでいて、住まいはこの場所だったと聞いています。

 アーナンダ。ヴェバラガの町にガティカーラという陶工がいて、カッサパブッダの素晴らしい支援者でした。ガティカーラにはジョーティパーラという親友がいました。

 アーナンダ。その時ガティカーラがジョーティパーラを呼んで「ジョーティパーラ、お出でよ。一緒に行こう。私は世尊阿羅漢サンマーサンブッダであるカッサパブッダに拝謁しに行く。サンマーサンブッダに拝謁することは善いと、智者は異口同音に言うよ」と言いました。

 「止めよう、ガティカーラ。ハゲ頭のサマナを見ても何の利益もないよ」。

 「ジョーティパーラ。一緒に行こうよ。サンマーサンブッダに拝謁することは善いと、智者は異口同音に言うよ」このように三回反論し合いました。

 「止めよう、ガティカーラ。ハゲ頭のサマナを見ても何も利益はないよ」。

 「それなら体を擦る物を持って川へ水浴に行かないか」。

 アーナンダ。その時ガティカーラとジョーティパーラは体を擦る物を持って川へ水浴に行き、ガティカーラがジョーティパーラに「ジョーティパーラ。ほら、世尊の精舎はここから遠くない。行こうよ、友よ。一緒に世尊に拝謁しよう。サンマーサンブッダを見ることは善いと、智者は揃って言うよ」と言いました。

 「止めてくれ、ガティカーラ。ハゲ頭のサマナを見ても何の利益もない」。

 (このように、あと三回言い合います)。

 アーナンダ。ガティカーラはジョーティパーラの腰のポケットを引っ張って「ジョーティパーラ。ここだよ。世尊の精舎はすぐそこだ。行こう。一緒にブッダに拝謁に行こう。サンマーサンブッダを見ることは、すべての智者が善いと言うよ」と言いました。

 アーナンダ。その時ジョーティパーラは腰を掴んでいるガティカーラを払おうと努力して「止めよう、ガティカーラ。ハゲ頭のサマナを見て、何の利益があるのだ」と言いました。アーナンダ。その時ガティカーラは水浴して整えたジョーティパーラの髷を引っ張って、同じように言いました。

 アーナンダ。ジョーティパーラ青年の心の中に「変だなあ。今までなかった。初めてだ。身分の低い陶工であるガティカーラが私の髷を掴んでいる。これは小さなことではない(一大事だ)」という考えが生まれました。

 「ガティカーラ。本気か」。

 「本気だとも、ジョーティパーラ! サンマーサンブッダを見ることは本当に善いことだからさ」。

 「ガティカーラ、放せ。それなら一緒に行こう」。

 アーナンダ。その時ガティカーラとジョーティパーラ青年は、カッサ世尊の住まいを訪ねました。ガティカーラだけが拝礼して適当な場所に座り、ジョーティパーラ青年もカッサパ世尊を褒めて親しく会話し、座っていました。

 ガティカーラはカッサパ世尊に「これは私の友人、ジョーティパーラ青年です。どうぞ彼にダンマを説いてください」と申し上げました。アーナンダ。カッサパ世尊はガティカーラとジョーティパーラにダンマの説明で真実を見せ、受け入れさせ、勇敢で明るくしました。二人はカッサパ世尊の言葉に聞き惚れ、楽しい心で立ち上がり、拝礼してタクシナ(表敬の作法)をして辞去しました。

 アーナンダ。その時ジョーティパーラ青年がガティカーラに「ガティカーラ。あなたはこのダンマを聞いて、どうして出家して家からの利益を期待しない人にならないのだ」と訊きました。

 「友よ、分からないのか。ジョーティパーラ。私は老いて目が見えない両親を養わなければならないのだ」。

 「ガティカーラ。それなら私が出家して家に関わらない人になる」。

 アーナンダ。その時二人はもう一度カッサパ世尊に拝謁し、ガティカーラが「世尊。私の愛する友ジョーティパーラが、出家を望んでいます。ジョーティパーラを出家させてください」と申し上げました。アーナンダ。ジョーティパーラ青年はカッサパ世尊の住まいで出家して具足戒を授かり、およそ半月ほどで、カッサパ世尊はバラーナシー等へ遊行の旅に出ました。

 アーナンダ。あなたに「あの時のジョーティパーラ青年は他の人だ」という考えがあるかもしれません。アーナンダ。そのように見るべきではありません。あの時のジョーティパーラ青年はこの私です。





マハースダッサ王だった時

クシナラーの都に近いサーラの森で
小部マハースダッサナチャリヤ 33巻554頁4項

 私はクサーヴァディーという都の国王で、マハースダッサという名の権力のある皇帝でした。その時私は至る所で一日三回触れを出しました。

 「何かを望む人、何かを願う人、何らかの消費財を求める人、飢えた人、焦燥している人、花輪を求める人、塗る物を求める人、いろんな色に染めた布を、布のない人は纏いなさい。旅をする人は傘を持ち、美しい靴を履いて行きなさい」。

 (訳注: この文は前半の一部が抜けていると推測します。つまり本来は最後の二文のように、「このような人はこうしなさい」という形になるように、「求めなさい」「食べなさい」などの語句が欠落していると推測しますが、確認できません)。

 私はこのように至る所で朝夕触れを出し、乞食のために準備した消費財は十か所でも百か所でもなく、何百か所もありました。昼も夜も、乞食が来れば何時でも、その人は欲しい物を両手いっぱい持ち帰ることができました。私は生涯このように偉大な布施をしました。そして私は好きでない財産を与えたのでもなく、私に財産を集めることがあった訳でもありません。

 病人が病気から脱しようと焦燥して医者に気が済むだけ成功報酬の約束をすると、当然病気が治癒するように、私が十分乞食に与えようとしたのは、まだ欠けている点を満たすため、財産を惜しまないため、財産にしがみつかないため、すべてを知り尽くす智慧に次第に到達するためでした。

 アーナンダ。あなたに「あの時のマハースダッサ王は別人だ」という考えがあるかもしれません。アーナンダ。そのように見るべきではありません。あの時のマハースダッサ王はこの私です。

 八万四千(註)ある都の一番はクサーヴァディーであり、それは私のもので、八万四千ある城の筆頭であるダンマ城は私の物で、八万四千の塔の筆頭であるマハーヴィユーハは私の物で、八万四千の傘の最高である金製の傘、銀製の傘、象牙でできた傘、模様ガラスでできた傘、絨毯を敷いた傘、毛織物を敷いた傘等々は私の物で、八万四千を数える象の筆頭である金等で飾った象、

菩薩種のパヤー象は私の物で、八万四千を数える馬の筆頭である金等で飾った馬、ワラーホク種のパヤー馬は私の物で、八万四千を数える車の中の最高である、獅子の毛皮で装丁し、大トラの毛皮等で装丁したヴェチャヤッタ車は私の物で、八万四千ある宝石の最高である九つの宝石は私の物で、八万四千の女の中で最高であるスバッダ天女は私の物で、

八万四千の長者の中の統領であるパティラッタナ長者は私の物で、取り囲んで栄誉を飾る八万四千の武士は大将が筆頭ですが、それは私の物で、八万四千の乳牛の中で最高に乳を出す牛は私の物で、八億四千万の布、つまり上等なリンネル、上等な綿布等は私の物でした。

 如行は朝夕人が運んで並べる八万四千の料理が飾られ、それらは私のものでした。アーナンダ。私が住んでいた都(等々)、私が使った料理の盆は、最高の材料だけで作ってありました。

 アーナンダ。ご覧なさい。それらはすべて過ぎ、消え、すっかり変化しました。アーナンダ。すべてのサンカーラ(行)はこのように不変でなく、このように永遠でなく、このように所有者のない物です。

 アーナンダ。すべてのサンカーラに飽きるには、欲情が緩むには、解脱するには、これだけで十分です。アーナンダ。私は私を埋めた穴を知っています。彼らは私の体をここに埋めました。

 この時地上に体を捨てたのは、私が皇帝であった七回目の生です。

註: 八万四千という数字は、最高に多いと称賛する時に使うパーリ語の言い回し。





祭祀を教える王の顧問だった時

クッダンタスッタ
マガタ地方カーヌマッタラ村のアンバラッディ苑で
長部シーラカンダヴァッガ 9巻171頁205項

 バラモンさん。その時私はマハーヴィチタラージャ王に祭祀を教えるバラモンでした。

 バラモンさん。昔の話です。マハーヴィチタラージャ王は豊かな王で、莫大な財産があり、有り余る金銀があり、財産の道具がどっさりあり、財産と籾米が有り余るほどあり、蔵や納屋は満杯でした。

 ある日静かな場所にいると「私は豊かな人間の財産を味わい、広大な領地を支配している。それなら偉大な祭祀をするべきだ。それは利益があり、永遠に私の幸福になる。祭祀を教えるバラモンを探してこの考えを話し、供え物をする祭祀の方法を教えてもらおう」という考えが生まれました。

 バラモンさん。祭祀を教える顧問は「王様の領地はまだ敵や障害があります。町の中でまだ盗みや殺しがあり、県にも盗みや殺しがまだあり、都でもまだ盗みや殺しがあり、街道で略奪もあります。領地内にこのような敵や障害がある時、王様がこれらの税金を集めるのを止めさせれば、するべきでない仕事をすると言われます。もう一つ、王様は「障害を除こう」つまり「盗賊を投獄し、処刑し、没収し、暴露し、あるいは追放しよう」と、このようにお考えになるかもしれません。

 これも良く平定したと言われません。まだ処刑されない残党がいて、後で王様の領地を苦しめるからです。しかしそれらの障害を抜き取って平定する方便があります。農業のために奮闘努力し、牛を飼っている人誰にでも、それらの人々に種を与え、商売に奮闘努力をしている人誰にでも、与えるお金を増やし、役人には手当てを与えてください。

それらの人間はそれぞれ自分の仕事に労を惜しまず、王様の領地を侵害しません。そして王の財政も増え、領地は敵や障害がなく安全に維持できます。人間たちは明るく楽しくなり、寝ころんで子を抱き上げて胸の上で躍らせ、夜中に家に錠を掛けなくても暮らせます」と答えました。

 バラモンさん。田舎の敵や障害が静まると、祭祀を教える顧問はお供えの仕方を奏上しました。

 (それは十六あります。つまり属国、大臣、偉大なバラモン、大長者から賛同を得ること。これを四つとします。マハーヴィチタラージャ王は優雅な姿など八つの美徳があり、これがあと八つで、そして祭祀を教える顧問に、純潔な生まれと、ヴェーダの知識があることなど四つの美徳があり、これがあとの四つで合わせて十六です。

 それとお供えの三要素、つまりお供えをする人は祭祀する前、祭祀している時、祭祀が終わった後も、ケチで後悔を生じさせないようにと奏上しました。そして施しを受ける十種類の人たち、殺生、窃盗をする人たちなどを、悪人が施しを受けに来たと残念に思わないないよう、後悔するべきでない理由を言いました)。

 バラモンさん。その祭祀で牛、羊、ヤギ、鶏、豚は殺されず、他の動物も災難に遭わず、木も生贄の台のために切られることなく、燃やす木も、何らかの動物を苦しめるために切られず、奴隷、使用人、労働者たちも、処刑と恐怖による脅威を受けないので、仕事をしながら涙を流す必要はありませんでした。

 したいと望む人はし、望まない人はする必要がなく、何を望んでも、それだけをし、望まないことはする必要はありません。その祭祀は透明なバター、濃いバター、ヨーグルト、蜂蜜と砂糖水で行われました。

 バラモンさん。私はそれらの人々がそのような祭祀をすれば、体が壊れて死んだ後、当然善趣天国に生まれるとハッキリと知っていました。バラモンさん。その時私は、マハーヴィチタラージャ王に祭祀を教える顧問でした。



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