マガデーヴァラージャ王だった時

マガデーヴァスッタ
ミディラーの都に近いマガデーヴァンバヴァナで
中部マッジマパンナーサ 13巻105頁453項

 アーナンダ。あなたに「その時のマガデーヴァラージャ王は別の人だ」という考えがあるかもしれません。アーナンダ。そのように見るべきではありません。その時のマガデーヴァラージャ王はこの私です。

 アーナンダ。大昔の話です。このミティラー国にマガデーヴァという王がいました。ダンマを維持し、都でも田舎でもバラモンと長者の中で王のダンマを行うダンマの王で、十四日もしくは十五日と八日には菩薩堂にいました。

 マガデーヴァ王は理髪師を呼んで「友よ、私の頭に白髪を見つけたらすぐに私に知らせなさい」と命じました。

 アーナンダ。それから何年も過ぎて、理髪師は白髪を見つけたので、奏上してお知らせしました。マガデーヴァ王は毛抜きで白髪を抜くよう命じ、それから掌の上に載せて視線を投げて見た時、理髪師に退職金として家を下賜しました。

 長男である王子を呼ぶよう命じ「ほら王子。天からの使いが来ました。頭に白髪が生えました。私は人間の愛欲を味わうことが終わり、今天の愛欲を探求するにふさわしい時になりました。さあ、王子。お前が王位に就きなさい。私は髪と髭を落として渋染めの布をまとい、家を出て家に関わらない人になりましょう。

更にあなたが自分の頭に白髪を見つけたら、その時は理髪師に退職金として家を与え、王太子に分けを説明して王位を譲り、それから髪と髭を落として渋染めの布をまとって、家を出て家に関わらない人になりなさい。あなたは私が規定した善い勤めをなさい。私が決めた善い勤めをするたくさんの子の最後の人になっはいけません。

この善い勤めが誰の時代に絶たれても、私の善い勤めをする最後の人と呼ばれます。ね、王子。あなたは私が規定した善い勤めをなさい。私の善い勤めをするたくさんの子の、最後の人になってはいけませんと、勤めについて今あなたに述べさせてもらいます」と言いました。

 アーナンダ。マガデーヴァ王は理髪師に家を下賜し、王位を王子に譲ると、髪と髭を下ろして渋染めの布をまとい、家から出て出家し、マガデーヴァンバヴァナの森で家に関わらない人になりました。出家した彼は慈しみのある心の感覚を第一、第二、第三、第四の方向に同じように広げました。

 だから彼は、豊かで最高の慈しみがあり、比較できる物はなく、恨みと復讐心がなく、上方にも、下方にも、投げる方向にも広げたので、すべての世界に広げる慈がある心の人ということです。

 彼は憐れみ、他人の幸福を喜ぶこと、捨がある人で、上にも、下にも、投げる方向にも広げ、すべての世界に広げ、その感覚の中にいました。彼は出家するとマガデーヴァンバヴァナの森で梵行をし、ブラフマヴィハーラダンマ(梵住)に励んだので、体が壊れて死んだ後梵天界に至りました。

 アーナンダ。その時のマガデーヴァ王は私で、後に生まれた若い人は私が規定した善い勤めをしました。しかしその善い勤めは倦怠、欲情の弛緩、消滅、鎮静、最高の知識、すべてを知ること、涅槃のためにならず、梵天界に至るだけでした。

 アーナンダ。しかし私が今規定した善い勤めは、当然一歩医的に倦怠、欲情の弛緩、消滅、鎮静、最高の知識、すべてを知ること、涅槃のためになります。善い勤めとは八つの正道で、正しい見解、正しい考え、正しい言葉、正しい業、正しい生業(生活)、正しい努力、正しいサティ、正しいサマーディです。





マハーゴヴィンダバラモンだった時

マハーゴヴィンダスッタ
ラージャガハに近い鷲山で
長部マハーヴァッガ 10巻285頁234項

 パンチャシカさん。まだ憶えています。その時私はマハーゴヴィンダという名のバラモンで、梵天の方々と一緒に住むために実践する道を弟子たちに説いていました。しかしその梵行は、倦怠、欲情の弛緩、消滅、鎮静、最高の知識、すべてを知ること、涅槃のためにならず、梵天界に至るだけでした。

 (マハーゴヴィンダの弟子への説法は、次のパンチャシカ ダッバプッタの言葉で知ることができます。マハーゴヴィンダバラモンは慈しみのある心の感覚を第一、第二、第三、第四の方向に同じように広げました。だから彼は、豊かで最高の、比較できる物がない、恨みと復讐心がない心を、上方にも、下方にも、投げる方向にも広げたので、すべての世界に広げる慈しみ(慈)がある心の人ということです。

 彼は憐れみ(悲)、他人の幸福を喜ぶこと(喜)、泰然としていること(捨)がある人で、上方にも、下方にも、投げる方向にも広げ、すべての世界に広げ、そしてすべての弟子たちに、梵天と一緒に暮らすための道を説いています)。

 パンチャシカさん。しかし今の私の梵行は、当然、倦怠、欲情の弛緩、消滅、鎮静、最高の知識、すべてを知ること、涅槃のためになるだけです。その梵行とは八正道で、すなわち正しい見解、正しい考え、正しい言葉、正しい業、正しい生業(生活)、正しい努力、正しいサティ、正しいサマーディです。





車職人だった時

バラーナシーに近いイシパタナマルガダーヤヴァナで
増支部ティカニバータ 20巻140頁454項

 比丘のみなさん。大昔、パチェタナという名の王がいました。その時パチェタナ王が車職人を呼んで「ほら、車職人の友。六か月後に戦いがある。新しい車輪を一対作ることはできるかね」と命じました。

 車職人は「謹んで申し上げます。お作りできます」と答えました。その時車職人は片方の車輪を作るのに、六か月に六日足りない時間を費やしました。

 パチェタナ王は車職人を呼んで「車職人である友。六日後に戦いがある。新しい車輪は出来上がるかね」と言いました。

 車職人は「謹んで申し上げます。完成します。王様」と答えました。その時車職人は二つ目の車輪を六日間で仕上げて持って参じ、パチェタナ王に「謹んで申し上げます。王様、新しい車輪が出来上がりました」と申し上げました。

 王は「車職人の友。六か月に六日足りない月日をかけて作った車輪と、たった六日で作った車輪は何も違わないように見えるが、どこが違うのだね」と聞きました。

 車職人は「二つの車輪には違いがあります、王様。車輪の違いをご覧になってください」。車職人が六日で作った車輪を力いっぱい転がすと傾いて地面に倒れ、六か月に六日足りない期間を掛けて作った車輪を転がすと、車軸についているように真っ直ぐに立っていました。

 パチェタナ王は「車職人の友。何が原因で何が縁で、六日で作った車輪は転がして全速力になると地面に倒れ、六カ月に六日足りない時間を費やして作った車輪は、全速力て転がしても車軸が付いているように真っ直ぐに立っているのだね」と尋ねました。

 車職人は「謹んで申し上げます。六日で作った車輪は車輪の外輪に害があり、腐食した肉と辺材が混じった曲がった竹でできています。握りと舵も同じで害があり、腐食した肉と辺材が混じった曲がった竹でできています。

 握りと舵に害があり、腐食した肉と辺材が混じった曲がった竹でできているので、全速力で回転すると傾いて地面に倒れます。六か月に六日足りない時間をかけて作った車輪は、握りも曲がりがなく害がなく、腐った肉と辺材を除いた竹です。握りと舵は曲がりがなく、害がなく、腐った肉と辺材を除いた竹なので、全速力で回転しても車軸に付いているように真っ直ぐに立っていることができます」と答えました。

 比丘のみなさん。もしかしたらみなさんは「その時の車職人は別の人だ」という考えがあるかもしれません。比丘のみなさん。そのように見るべきではありません。その時の車職人はこの私です。比丘のみなさん。その時私は害のある竹の歪みと、竹の純潔でない(節や目がある)肉に賢い人でした。

 比丘のみなさん。しかし今私は阿羅漢サンマーサンブッダであり、体と言葉と心の歪みについて賢い人で、体と言葉と心の害に賢い人で、体と言葉と心の渋のようでしかない煩悩に賢い人です。

 比丘のみなさん。体と言葉と心の歪み、体と言葉と心の害、体と言葉と心の渋のようでしかない煩悩を、比丘でも比丘尼でも、誰でもまだ捨てられなければ、それらの比丘比丘尼は、六日で作った車輪のようにこのダンマヴィナヤから転げ落ちます。

 体と言葉と心の歪みについて賢い人で、体と言葉と心の害について賢い人で、体と言葉と心の渋のようでしかない煩悩を比丘でも比丘尼でも捨てることができれば、それらの比丘比丘尼は、六か月が六日駆ける月日を費やして作った車輪のようにこのダンマヴィナヤで真っ直ぐに立っていることができます。

 比丘のみなさん。だからこれはみなさん「私たちは体と言葉と心の歪み、体と言葉と心の害、体と言葉と心の渋のようでしかない煩悩を捨てる」と心に留めなさい。みなさんこのように心に留めなさい。





アキッティ仙人だった時

小部チャリヤー 33巻551頁1項

 四阿僧祇十万劫の間に私が積んだバーラミーのどれも、それらはすべてボーディニャーナ(菩提智)を熟させる物でした。過去の劫の大小の有で私が積んだバーラミーの話はさておいて、この劫で行動したバーラミーだけを話すので、私の言葉をお聞きなさい。

 私がアキッティという名の仙人だった時、人が出入りしない静かな森に住んでいました。その時私が苦行をしたカンマの威力で、トウ利天の偉大な人であるサッカ王(帝釈天)はイライラして(註1)、我慢できずにバラモンに変装して来て私に食べ物を乞いました。

 私はそのバラモンが門の所に立っているのを見て、森から持ってきた油も塩気もない(註2)木の葉を全部差し上げ、差し上げた後、私は器を伏せて仕舞い、新たに探しに行かずに草庵に入りました。

 二日目も三日目も、そのバラモンは私に貰いに来ました。私は動揺することなく、嫌にもならず、前回と同じように食器いっぱい差し上げました。食べ物を食べないことによる体の肌艶の衰弱はありませんでした。私は喜悦から生じる幸福を喜んで、毎日時間を潰しました。

 仮に私に施しを受ける素晴らしい人が一か月、あるいは二か月いても、私はいつもより動揺もせず、嫌にもならず、いつでも最高の布施をすることができました。私がそのバラモンに布施をする時、名誉や幸運を望まず、すべてを知ったと知ること(一切智)を望んでそれらのカンマを行いました。

註1: 誰かが最高の苦行をしていると知ると、サッカ王はいつも自分の地位を奪おうと望んでいるのではないかと疑念を抱いたという意味。

註2: この修行者はその心配を断つために、マークマオの葉を茹でて食事にしていました。





チャンダ王子だった時

チャンダクマーラチャリヤー
小部チャリヤー 33巻556頁7項

 また別の時、私はブッパヴァディーの都のエカ王の子で、チャンダと名付けられていました。その時私は(恨みをもつ祭祀の顧問が父王をそそのかして信じさせた)生贄として殺されることから脱して、内心に憐れむ気持ちが生じ、偉大な布施をしました。

 当然布施を受けるべき人が食べない時は自分もまだ飲まず、(果物など)をかじらず、ご飯を食べませんでした。時には五日も六日もありました。商売は儲けが多い場所へ行けば行くほど儲かるように、私が他人に布施をするために食べ物を控えるのも同じでした。(つまり布施を受ける人がいなければ、自分も食べない)。

 だから誰でも他人に布施をしなければなりません。そうすれば百倍善が生じます。私自身、このように利益の威力が見えたので、どの有でも布施をしました。私は大悟する道具である智慧に到達するための布施から、後退することはありませんでした。





サンカバラモンだった時

サンカチャリヤー
小部チャリヤー 33巻552頁2項

 また別の時、私はサンカという名のバラモンで、海を渡るために港へ行き、そこで、自分で煩悩に勝った人、二度と煩悩に負けない人を見ました。その人は灼熱の砂漠を越える厳しい旅をしていました。

 私は旅の途中のそのサヤンブー(独覚ブッダの一人)を見て、心に「この徳田に、徳を求めている私は出合うことができた。百姓が良い田んぼを手に入れて種を撒かないなら、その百姓は籾米を求めない人であるように、徳を求めるなら、最高の徳田に出合ってそのカンマの行動を始めないことはない」という考えが生じました。

 このように考えると、私は靴を脱いでそのサヤンブーの足に拝礼し、自分の傘と靴を献上しました。そのカンマによって、私は(この生で)幸福を味わい、百倍も高貴に生まれて幸福を味わいました。そして十分な布施・バーラミーをしました。私はそのような方にだけ布施をしました。





ヴェラーマバラモンの時

祇園精舎で
増支部ナヴァカニバータ 23巻406頁224項

 長者さん。大昔、ヴェラーマという名前のバラモンがいて、偉大な布施をしていました。

 銀を山盛りにした八万四千の金の盆、金を山盛りにした八万四千の銀の盆、旗も網もすべて金で飾った八万四千の象、獅子の毛皮、虎の毛皮、黄色の毛氈で装丁し、金で飾り、旗も金製で、金製の網で塞いだ八万四千の車、乳の出の良い八万四千の牝牛、宝石の耳飾りをした八万四千の少女、絨毯を敷き、毛織物を敷き、刺繍のある布を敷き、

ジャコウネコの毛皮を敷いた赤い天蓋があり、赤い脇息がある八万四千の玉座、八万四千の布、つまり上等な植物の皮で織った布、上等な絹布、上等な綿布を布施しました。ご飯や水や齧る物、食べる物、擦る物、塗る物、そして寝具を布施したのは言うまでもありません。川が絶えず流れているように、ヴェラーマは絶えず与えました。

 長者さん。あなたに「その時のヴェラーマは別の人だ」という考えがあるかもしれません。バラモンさん。そのように見るべきではありません。その時のヴェラーマというバラモンはこの私です。私はその偉大な布施をしました。長者さん。しかしその時の布施は、その布施を受け取るにふさわしい人は誰もいませんでした。誰もその布施を純粋にしてくれる人はいませんでした。





ヴェッサンタラだった時

ベッサンダラチャリヤー
小部チャリヤー 33巻559頁9項

 私の母だったブサディーという女性は、前生でサッカ王(帝釈天)の妃でした。天人の統領であるサッカ王は、その妃の命が尽きる時、妃に「美しい人よ。私はあなたが選べるように十の祝福をしましょう」と言いました。

 妃は王に「私にどんな誤りがあるのでしょう。私は陛下に嫌われたので、風に根こそぎ引き抜かれる樹のように、楽しい世界を捨てさせられるのでしょうか」と質問しました。

 妃がそのように呟いたのを聞いたサッカ王は「あなたが罪を作ったのでも、私から愛されていないのでもない。寿命がこれだけなのです。今あなたは行く時なので、私が与える十の祝福を受けなさい」と言いました。

 王妃は亡くなった後カッティヤ(武士や王族階級)の家に生まれ、名をブサディーと言い、ジェトゥタダラの都のサンチャイ王に嫁ぎました。私が愛する母の胎内に下りて行った時、母は私の威力でいつでも布施を喜び、財産がなくて困窮し嘆き悲しんでいる乞食とサマナ・バラモンに休まず布施をしました。

 臨月の母ブサディーは都へ遊びに行って、商人の店の前の道路で私を出産しました。商人の道路で生まれたので、私の名前は両親の名に関わりなく、ヴェッサンドラ(商人の間)と名付けられました。

 私は八歳の時、城の中に座って「私に乞う人がいれば、私は心臓、目、肉、血、体の布施をする」と、布施することばかり考えていました。そのように確信し動揺しなくなると、大地が揺れ、シネル山が振動しました。

 十五日と晦日の菩薩日に、私はパッチャヤナーガという名の象に乗って布施に行きました。カーリンガの辺りのサマナ・バラモンがやって来て、吉祥と仮定されている素晴らしい象を欲しがり、彼らは私に「私の田舎は雨が降らず、大変な飢饉になっています。どうか最高の象、卓絶した象、全身が真っ白なあなたの象を私にください」と言いました。

 私は「やる」と納得し動揺しませんでした。私の心は布施を喜ぶので、惜しんで隠さず自分の持ち物を与えました。遭遇した貧しい人を拒否するのは私にふさわしくないので、自分の布施の実践を消滅させないよう、素晴らしい象を与えました。

 私は片方の手で象の鼻を触り、もう片方の手で水瓶の水をバラモンの手に注いで象をバラモンに与えました。私が最高の象を布施した時、大地が揺れ、シネル山が振動しました。

 私がその象を与えるとシーピー国の領民が非常に怒り、私を都からヴァン山に追放する会議をしました。領民が一斉に立ち上がった時も私は動揺せず、もう一度大きな布施をしたいと彼らに請うと、シーピーの人々は請われたので認めました。

 私が偉大な布施をすると盛大に触れを出すと、布施をして追放され、それでもまだ布施をするというので、大きな噂になりました。私は象、馬、車、奴隷、牛、そして財産を布施し、偉大な布施をした後都を出ました。都の境界を出る時、告別のために振り返ると、その時もう一度、大地が揺れ、シネル山が揺れました。

 十字路に来た時、四頭の馬を繋いだ車を布施しました。男友達を失った私は、マッダリー妃に「あなたは小さなカンハー王女を抱けば多少は軽いでしょう。私が重い兄のチャーリーを抱きます」と言いました。つまりマッダリー妃が白蓮のように美しいカンハーを抱き、私が金の鋳像のように美しいチャーリーを抱いたということで、高尚な生まれの四人の王族が、ヴァン山へ行くデコボコした道路を踏みしめました。

 道中で誰かに合う度に「ヴァン山はどこですか」と訊くと、彼らは私たちを気の毒がって、「まだまだ遠い」と答えました。子供が森の果物を見つけて、その実を欲しいと言って泣きました。子供が泣いているのを見て、木が自然に子供の前に枝を垂れました。鳥肌が立つような不思議な光景を見て、マッダリー妃が「何て不思議なのでしょう。世界で初めてです。鳥肌が立ちます。ヴェッサンドラ王子の威力で、木が自然に枝を垂れました」と驚嘆しました。

 鬼たちが子供たちのために旅を縮めてくれ、都の境界を出た日にチェッタ王の領地に達しました。そこの親戚が大人も子供も泣いて嘆き悲しみ、転げ回りました。親戚の領地を出ると、ヴァン山を目指しました。

 天人の元首が権力者ヴィッスカムに涼しくて心地よい草庵を建てるよう命じ、ヴィッスカムはサッカ王にふさわしく良く建てました。私たち四人は、静かで人気のない森に到着し、山間のその草庵に住んで、そこで悲しみを癒し合いました。

 私が高い山に住んでいる時も、まだ私に物をねだる人がやって来て、私の子、つまりチャーリーとカンハーチナの二人をくださいと言いました。施しを受ける人を見て楽しさが生じ、貰いに来たバラモンに二人の子を渡しました。ジュージャカというバラモンに子を譲った時、また大地が揺れ、シネル山が揺れました。

 その後サッカ王がバラモンの身形になって訪ねて来て、戒があり夫に対して勤めのあるマッダリー王女(ヴェッサンドラの妃)が欲しいと言いました。私は(妃の)手を掴んで、そしてバラモン(の姿をしたサッカ王)の手に水を注ぐと、明るく澄んだ心でマッダリー王女を与えました。譲り渡す時、空の天人たちが喜んで、また大地が揺れ、シネル山が揺れました。

 私がチャーリー、カンハー、そして夫に義務のあるマッダリー王女を犠牲にしてためらわないのは、大悟する(世界の動物の苦の消滅を知る)道具である智慧のためで、私が二人の子を嫌っていたからでも、マッダリー王女を嫌っていたからでもありません。一切智を愛していたので、(愛している物のために)愛している物を与えました。

註: パーリレベル(ブッダヴァチャナ)の経であるチャリヤーピダカでは、ジャータカ経のように、すべての話の最後ではないので、私は多くの人が信じているように、最後の話にしません。





マータンガチャティラだった時

マータンガチャリヤー
小部チャリヤー 33巻575頁17項

 また別の生で、私はマータンガという名の苦行をするチャティラ(仙人)で、戒があり安定したサマーディがありました。私ともう一人のバラモンがガンガ(ガンジス川)の岸に住んでいて、私の庵は上流に、バラモンの庵は下流にありました。

 そのバラモンが川岸を歩いて来ると、川上にある私の庵を見つけて嫌悪し、私が呪っていると、頭が割けるよう呪っていると非難しました。実際、私がそのバラモンに腹を立てれば、あるいは私の戒が私を管理できなければ、私は見るだけで、バラモンが言うようにできました。

 そのバラモンは怒って、何らかの呪いで私に加害しようと考え、結果は反対にそのバラモン自身に現れ、私は自分の徳の力によって逃れられました。私は自分の戒を維持し、自分の命(栄誉という意味)を維持しませんでした。その時私が戒を維持したのは、大悟する道具である智慧のためだけです。





チュラボーディだった時

小部チャリヤー 33巻571頁14項

 また別の生で、私はチュラボーディという戒のあるバラモンで、有を恐ろしい物と見て出家しました。私の元の妻は金の像のような体形のバラモンの女性でしたが、彼女も輪廻するのを望まなかったので、一緒に出家しました。

 私たち二人は未練に感じるものがなく、一族と縁を切って一門の人々に何も求めず、町や県を旅してバラーナシーに着きました。そこで私は智慧を満たし、集団と交わらず、人気のない王の庭園に滞在していました。

 王が庭園へ遊びに来てバラモンの女性に目をやり、そして私に「あの女性はあなたの妻女ですか」と訊きました。私は「私の妻ではありません。一緒にダンマの実践をしている人、同じ教えの人にすぎません」と答えました。王はバラモンの女性が欲しくなり、女性を捕まえるよう命じ、武力で都へ連れ去りました。

 女性が連れ去られた時、私に怒りが生じましたが、怒りが生じると同時に戒と勤めを思い出すことができ、その時私は怒りを抑え、怒りを再び生じさせませんでした。私は「誰かが鋭い槍で彼女に加害しても、(彼女のことより)菩提智のことを考えるので、自分の戒を犯さない」と考えました。しかし彼女が私の愛するものではないと言うのではなく、私に腕力がないのでもなく、一切智のニャーナが最愛のものだったので戒を維持しました。





ユダンチャヤ王子だった時

小部チャリヤー 33巻579頁21項

 私がユダンチャヤという名の王子だった時、極めて栄誉のある人で、朝露が朝日で乾くのを見て命の儚さをを感じました。私はその感覚を安定した感情にすると、更に憐れを感じ、母と父に出家の許しを請いました。

 母上と父上が、都の人、領地の人と一緒に来て、繁栄している領地を治めてほしいと懇願しました。私は両親、王族、都の人、領地の人を気に留めず、(自分の地位を)振り捨てました。

 私が王位と親戚、家臣、栄誉、そしてすべての物を、大悟する道具である智慧のために未練もためらいもなく振り捨てたのは、私が母上と父上を愛していないからではなく、栄誉を嫌ったからでもなく、一切智のニャーナが最愛のものだったので、王の財産を捨てました。





ブッダの輪廻の終り

小部ダンマパダ 25巻35頁21項

 私がまだ光を発見できなかった時、夢中で家を建てる人(つまり欲望。家を建てる人とは体)を探して輪廻の中を回遊し、生まれてはまた生まれ、無数の生に生まれ、どの生も苦の連続だった。

 家を建てる人よ。私はあなたを知ってしまったので、この先あなたは私の家を造ることはできない。

 あなたの家の骨組み(つまり新たに生まれる種である残っている煩悩)を、私は木っ端微塵にしてしまった。家の先端を潰してしまった。私の心は、感情がけしかけて怒らせることができない自然に達し、すべての欲が終わった状態に達した。








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