第五章 涅槃





八十年、未だ呆けず

中部ムーラバンナーサ 12巻163頁192項

 サーリプッタ。「この人はまだ若く真っ黒な髪をして、若さが溢れている間は鋭く鋭敏な智慧がありますが、人が老いて群れの長になり、歳月と年齢を重ね、生まれて八十年九十年あるいは百年になると、その時その人は当然鋭く鋭敏な智慧が衰えます」とこのように言い、このように見るサマナあるいはバラモンがいます。

 サーリプッタ。あなたはすぐにそう考えてはいけません。私は今老人で群れの長であり、歳月を重ね齢八十を数えます。

 サーリプッタ。説いている説法も変わらず、如行(ブッダの一人称。そのように行ったという意味。漢訳では如来)のダンマの説明も変化せず、問題に答える如行の機知も変化せず(等々)、サーリプッタ。みなさんが私を(輿のように担ぐ形の)小さな寝台で運んでも、如行の鋭敏な智慧が変わることはありません。

 サーリプッタ。誰でも「当たり前に愚かさがない動物が大衆の利益のため、幸福のため、世界を援けるため、すべての天人と人間の利益のため、幸福のために生まれた動物」と正しく言うなら、その人は私についてだけ言うべきです。





一般人と同じ体の老いがある

相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻287頁963項

 (その時年老いたプラアーナンダが世尊の住まいを訪ね、拝礼して世尊のお体をさすりながら次のように言いました)。

 「猊下。これは不思議です。これは今までにありません。猊下。今世尊の皮膚のツヤは今までのように清浄無垢でなく、萎びて垂れ下がり、そして体も前にかがみ、目も耳も鼻も舌も体も、すべての根はすっかり変化しました」。

 アーナンダ。必ずこうなります。つまり老いは若さの中に(隠れて)いて、病気は病がないことの中に(隠れて)いて、死は命の中に(隠れて)いるので、皮膚のツヤは今までのように清浄無垢でなく、萎びて垂れ下がり、そして体は前にかがみ、目も耳も鼻も舌も体も、すべての根はこのようにすっかり変化します。

 世尊はこのように言われた後、次の詩を述べられました。

  ああ、下劣な老いよ。

  嫌らしいことをする老いよ。

  満足すべき体は今、

  老いにすっかり踏みつけられた。

  百年生きる人も、

  誰でも先々行く場所である死がある。

  死は誰も例外なく、

  すべての人を踏みにじる。





ブッダの勤めを完璧にした

パーサーディカスッタ・ジュンダ沙弥に
長部パーティヴァッガ 11巻137頁104項

 ジュンダさん。今教祖である私が阿羅漢サンマーサンブッダとして世界に生まれ、更に動物を苦から出す道具であり、静まるためになるダンマを良く説き、良く公開し、「サンマーサンブッダによって公開された」と言われました。

 更に私はすべての弟子にサッダンマ(正法)を教え、純潔完璧な梵行を、それらの動物のために明らかにし、裏返し(即座に理解できる)、支援する物にし、天人とすべての人間が良く公開(伝承)するのに十分驚異的であるようにしました。ジュンダさん。今私は老いた教祖で、長い夜を知り、出家して久しく、次第に経過した長い歳があります。

 ジュンダさん。今、私の弟子である長老比丘は誰も賢く、勇敢な指導者で、素晴らしい努力から生じた安全なダンマに到達し、サッダンマ(正法)を説くことができ、生じている敵の言葉をダンマで平定して静め、驚異と共にダンマを説くことができます。

 ジュンダさん。今、私の弟子で中堅、新参の比丘もいます。ジュンダさん。今私の弟子である比丘尼で長老、中堅、新参もいます。ジュンダさん。今私の弟子で白衣を着て梵行を行う在家である清信士も、私の弟子で白衣を着て愛欲を味わう在家もいます。ジュンダさん。今私の弟子である白衣を着た在家で梵行を行う人も、愛欲を味わう人もいます。

 ジュンダさん。今私の梵行(宗教)は安定し、発展し、普及し、大衆が知るものであり、天人とすべての人間が良く公開(伝承)する十分な安定があります。





般涅槃の前の細々したこと・比丘のアパリハーニヤダンマ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻85頁67項
マハーヴァーラヴァガ 10巻92頁71項

 アーナンダ。行ってラージャガハに住んでいる比丘全員に、ウパッターナサーラー(ラージャガハの都にある)に集合するよう言いなさい。(アーナンダが比丘を集めに行って来て報告すると、例として一つだけ、比丘のアパリハーニヤダンマ=不衰退法を話されました)。

 比丘のみなさん。みなさんにもう一つの不衰退法について説きます。耳を掘って心してお聞きなさい。

(1) 比丘のみなさん。比丘が普請(建築、土木工事)を喜ぶ人でなく、普請を喜ばず、普請を喜ぶ人でなければない分だけ、その比丘たちの発展は期待できる物であり、衰退はありません。

(2) 比丘のみなさん。比丘がお喋りを喜ぶ人でなく、お喋りを喜ばず、お喋りを喜ぶ人でなければない分だけ、その比丘たちの発展は期待できる物であり、衰退はありません。

(3) 比丘のみなさん。比丘が眠ることを喜ぶ人でなく、眠ることを喜ばず、眠ることを喜ばない人ならば喜ばない分だけ、その比丘たちの発展は期待できる物であり、衰退しません。

(4) 比丘のみなさん。比丘が集団と交わることを喜ばない人で、集団と交わることを喜ばず、集団と交わるのを喜ぶ人でなければない分だけ、その比丘たちの発展は期待できる物であり、衰退しません。

(5) 比丘のみなさん。比丘が低劣な望みがない人で、低劣な望みをせず、低劣な望みのない人ならその分だけ、その比丘たちの発展は期待できる物であり、衰退しません。

(6) 比丘のみなさん。比丘が悪友と付き合わない人で、悪友と交際せず、悪友と交際しない人ならその分だけ、その比丘たちの発展は期待できる物であり、衰退しません。

(7) 比丘のみなさん。比丘がわずかな成果(聖果)に到達にして、それに止まってしまう人でなければその分だけ、その比丘たちの発展は期待できる物であり、衰退しません。





アンバラッティカー苑へ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァッガ 10巻96頁76項

 アーナンダ、お出でなさい。アンバラッディカー苑に行きます

 (そこで戒・サマーディ・智慧の話を次のようにされました)。

 戒はこのようで、サマーディはこのようで、智慧はこのようで、戒が訓練して増やしたサマーディは当然結果が大きく、功徳が多く、サマーディが訓練して増やした智慧は当然結果が大きく、功徳が多く、智慧が訓練して振興した心は当然漏、つまり欲漏、有漏、無明漏から解脱します。





ナーランダーヘ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻96頁77項

 アーナンダ、お出でなさい。私たちはナーランダーへ行きます。(比丘サンガを伴ってナーランダーへ行かれ、パーヴァーディカンバ苑に滞在し、そこでプラサーリプッタに会話されました)。

 サーリプッタ。あなたが「私は世尊よりも智者であるサマナ・バラモンはいないし、今後も現れないと世尊に帰依しています」と、このように獅子吼した言葉は非常に聡明です。サーリプッタ。あなたは過去と未来と現在の私の、すべての阿羅漢サンマーサンブッダの心の感覚を、それらのブッダはこういう戒・サマーディ・智慧があり、こういうヴィハーラダンマと解脱があると知っているのですか。

 「いいえ、そうではありません、猊下」。

 サーリプッタ。なぜあなたはそのように獅子吼したのですか。

 「猊下。私は過去と未来と現在の阿羅漢サンマーサンブッダのお心を知るニャーナがないことは事実ですが、そのダンマの経過で知りました」。





パータリガーマ村へ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻99頁78項

 アーナンダ、お出でなさい。パータリガーマへ行きます。

 (そこでその村の住民から精舎の寄進を受け、戒について話されました)。

 長者さん。五つの破戒の人の破戒の罪は、当然偉大な財産を不注意によって衰退させる道に至ります。これが一つ目です。当然不名誉が広まります。これが二つ目です。カッティヤやバラモン、長者、あるいはサマナ・バラモンの会衆の中でも、当然恥ずかしがり屋で勇気がありません。これが三つめです。当然呆けて死ぬのが四つ目で、そして体が壊れて死んだ後、当然苦界、悪趣、報いを受ける場所、地獄に至ります。これが五つ目です。

 (この後、戒が完璧であることの功徳を説かれています)。





コーディガーマ村へ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻106頁86項

 アーナンダ、お出でなさい。私はコーティガーマ村へ行きます。

 (ガンジス川を神通力で渡り、つまりイカダを使わないでこちら岸から消えて向こう岸に現れ、この村で四聖諦、戒・サマーディ・智慧について話されました)。

 比丘のみなさん。四つの聖諦を明らかに洞察しないから、私とみなさんは永遠と言える時間、輪廻していました。





ナーディカ村へ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻108頁89項

 アーナンダ。お出でなさい。私はナーディカ集落へ行きます。

 (そこでレンガ造りの宿舎に泊まり、亡くなった大勢の人々の次の有の話についてアーナンダの質問に答えられました)。

 アーナンダ。(ここナーディカの町で亡くなった)サーラハ比丘はすべての漏が終わって漏を探すことができない心解脱、智慧解脱を、現生で最高の智慧で明らかにし、常にその感覚の中にいました。(阿羅漢果に到達した)

 アーナンダ。ナンダー比丘尼は下五結がなくなったウッパーティカ(自分で生まれた人)で、その有で般涅槃し、その世界から戻ってきません。(つまりアナーガーミ=不還)。

 アーナンダ。清信士スダッタは三つの結がなくなり、そして貪・瞋・痴が少なくなったサカダーガーミ(一来)で、この世界にもう一度だけ戻って来て、そして苦の終りに達します。

 アーナンダ。清信女スカーターは三つの結がなくなったソターパンナ(預流)で、当然(苦界に)落ちることがなく、(涅槃が)確実な人で、将来悟る人です。

 アーナンダ。清信士カクタ、清信士カーラリンバ、清信士ニカタ、清信士カティッサハ、清信士トゥッタ、清信士サントゥッタ、清信士ラータ、清信士スバタ、そして清信士あと五十人余は下五結がなくなったオッパーティカで、その有で般涅槃し、その世界から戻ってきません。(つまりアナーガーミ=不還)。

 アーナンダ。ナーディカ集落で亡くなったあと九十六人の清信士は、三つの結がなくなり、貪・瞋・痴が薄くなったサカダーガーミ(一来)で、この世界にもう一度だけ戻って来て、それで苦の終りに至ります。

 アーナンダ。ナーディカ町で亡くなったあと百五十人の清信士は、三つの結がなくなったソターパンナ(預流)で、当然(苦界に)落ちることがなく、(涅槃が)確実な人で、将来悟る人です。

 (この後、自分は預流かどうかを測る道具について、信仰があるか、ブッダ・ダンマ・サンガに対して不動の帰依があるか、そして極めて純潔な戒があるかどうかで測るという話をされました)。





ヴェーサリ国ーへ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻112頁90項

 アーナンダ。お出でなさい。私はヴェーサリー国へ行きます。

 (ここで、アンバパーリ苑に滞在され、比丘たちに四念処について話されました。アンバパーリ女はリッチャヴィーの領主たちより先に招待を受けてほしいと申し上げ、そして車をぶつけてリッチャヴィーの領主を嘲笑しました。

 アンバパーリ女は僧が適宜に滞在する場所としてその苑を寄進し、そこでアンバラッディカーと同じ内容で戒・サマーディ・智慧について話されました)。




ヴェルヴァガーマへ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻116頁93項

 アーナンダ。お出でなさい。私はヴェルヴァガーマへ行きます。

 (その村で比丘たちに雨安居するように言われました)。

 比丘のみなさん。さあ、みなさん、ヴェーサリー周辺の地域で、友人同士親戚同士で雨安居をなさい。私はこのヴェルヴァガーマで雨安居をします。

 (比丘はみな適宜に雨安居をしました。世尊は死ぬほど病が重い雨安居でしたが、常自覚があるので焦燥なさらず、支援者と比丘サンガに知らせて明らかにしてから、涅槃するのがふさわしいとお考えになり、病気が治った時、称賛者であるアーナンダにご自身の苦受の忍耐について話され、プラアーナンダは重要なことを話す前に般涅槃なさらないようお願いました)。

 アーナンダ。比丘たちは私にこれ以上何を望むのですか。私は休まずダンマを説きました。説いたこと以外に私が握っているダンマはありません。

 アーナンダ。今私は老いて群れの長になり、歳月と齢を重ね、齢八十歳になりました。アーナンダ。如行の体は人々が竹を添えて修理する古い車のように古くなりました。

 アーナンダ。如行が心の中をニミッタにしないでニミッタがないチェトーサマーディに入っている時は、幾つかの受が消滅しているので、その時如行の体は当然非常に幸福です。

 (この後、ダンマがあるよう、あるいは自分を拠り所にするよう、つまり四念処をするよう話されています)。





パーヴァーラチェディーのディヴァーヴィハーラへ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻119頁94項

 アーナンダ。敷いている布を持ちなさい。私はこれから昼の間休憩するためにパーヴァーラチェディーに行きます。

 (そこで如意足に精一杯励む人は一劫の間でも生きることができると、如意足の威力について話されました。しかしプラアーナンダは気づけなかったので、生きているようお願いしませんでした。プラアーナンダを払うと、悪魔が「仏教が安定したら般涅槃する」という約束を蒸し返したので、世尊は「入滅の予告」と呼ぶ涅槃する決意をなさり、地震と地震を起こす原因について、

「①暴風、
②威力のある人が起こす、
③菩薩が移動する、
④生まれる、
⑤悟る、
⑥ダンマチャクラを説く、
⑦ブッダが死を予告する、
⑧般涅槃」と話されました)。

 アーナンダ。今しがた罪な心の悪魔がここパーヴァーラチェディーに私を訪ねて来て、側に立って私に「世尊、般涅槃なさいまし。今、世尊は般涅槃なさる時です。世尊は以前『悪魔よ。私は弟子である比丘、弟子である比丘尼、弟子である清信士、弟子である清信女が完璧になり、梵行(宗教)が安定し、発展し、普及し、大衆に広く知られ、

天人とすべての人間が良く公開できるに十分なだけ盤石になるまで、私は般涅槃しない』と言われたからです」と言ったので、私は「罪な心の悪魔よ。焦らなくても良い。間もなく如行は般涅槃する。後三か月で般涅槃する」とこのように答えました。





死期の予告

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻134頁102項

 アーナンダ。今私は、ここパーヴァーラチェディーで行の寿命を予告する常自覚があります。

 (プラアーナンダが気づいて、四如意足の威力で一劫、あるいは一劫以上でも生きてくださいとお願いしましたが、拒否なさいました)。

 アーナンダ、止めなさい。如行に懇願してはいけません。既に如行に懇願する時ではありません。

 (プラアーナンダは三回懇願し、三度同じ返事を受け取りました。「十六ケ所でアーナンダに説明してチャンスを与えましたが、アーナンダは気づかなかった。アーナンダ一人の過ちです」と言われました)。

 アーナンダ。そこであなたが如行に懇願していれば、如行は二度断わり三度目に受け入れました。アーナンダ。だからこれはあなた一人の過ちです。

 アーナンダ。如行は「動物は必ず愛する者、気に入っている物と別れなければなりません。動物はこのサンカーラ(行。この場合は身体)を望みどおりにすることなどできません。生まれた物、生きている物、作った縁がある物、当たり前に崩壊がある物を、これは消えてはいけないと望むことはできません。当然それはあり得ません」と言ったではないですか。

 アーナンダ。如行が脱した物、吐き出した物、手放した物、捨てた物、払った物、それは如行のサンカーラの寿命です。如行は今から丸三か月後に般涅槃します。この言葉は確定で、これを戻すことは、死ななければならない理由があってもあり得ません。





死期の予告に関わる地震

長部マハーヴァーラヴァッガ 10巻126頁98項

 アーナンダ。大きな地震を起こす原因と縁は八つあります。

 アーナンダ。如行に常自覚があり、サンカーラ(行。この場合は身体)の寿命を予告する時、その時大地は当然揺れ、当然振動し、当然震えます。アーナンダ。これが大きな地震が現れる七つ目の原因と縁です。





マハーヴァンの森へ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻139頁106項

 アーナンダ。お出でなさい。私はマハーヴァンの森に行きます。アーナンダ。あなたはヴェーサリー国に住んでいる比丘全員をウパッターナサーラーに集めなさい。

 (比丘が集まると、次のようにアビンニャーデーシタダンマを話されました)。

 比丘のみなさん。私が最高の智慧で説いたダンマのどれも、それらのダンマを良く勉強し、この梵行(宗教)が永遠に安定して維持する状態ですべてを使用し、励んでたくさんしなければなりません。そうすればそれは大衆を援けるため、大衆の幸福のため、世界を支援するため、天人とすべての人間を援けるため、幸福のためになります。

 比丘のみなさん。私が最高の智慧で説いたダンマはどれでしょうか。それは四念処、四正勤、四如意足、五根、七覚支、八正道です。

 比丘のみなさん。今私はみなさんに忠告します。すべてのサンカーラ(行)は当たり前に衰退します。みなさん、自分の利益と他人の利益を不注意でないことで完璧になさい。如行の般涅槃は間もなくです。如行は今から三か月後に般涅槃します。

 すべての動物は、老いも若きも、
 愚か者も学者も、富める人も貧しい人も、
 すべては先方に死があります。
 陶工が捏ねた土器は、
 大きくても小さくても、焼いても生でも、
 最後は割れてなくなるように、
 すべての生物の命は前方に死があります。

 私の齢は熟し、命は消えかかり、
 私は間もなくみなさんを捨てます。
 私は自分自身の拠り所を作っておきました。
 比丘のみなさん。不注意でない人でいなさい。
 サティがあり、善い戒があり、自分自身の心を維持し、
 決意を善く維持しなさい。
 このダンマヴィナヤの不注意でない比丘は誰でも、
 生と行を捨てて苦を終わらせることができます。





バンダガーマ村へ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻142頁109項

 アーナンダ。如行がヴェーサリーを見るのは今回が最後です。アーナンダ、お出でなさい。私はバンダガーマ村へ行きます。

 (ここで幾つもの説法を説かれました。要旨は「ブッダも他の人も、戒・サマーディ・智慧・解脱を洞察で知らなかったから、輪廻しなければならなかった」等です)。

 それ以上の物がない戒・サマーディ・智慧・解脱、

 これらはプラゴータマが知り、到達したもの。

 知った時、当然すべての比丘に教えた。

 教祖は苦を終わらせることができたので、

 目を開けたように般涅槃した。

 (この後、戒・サマーディ・智慧について、アンバラッティカー苑で話されたのと同じように、たくさん話されました)。





ハッティガーマ村へ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻144頁112項

 アーナンダ。お出でなさい。私はハッティガーマ、アンバガーマ、チャンプガーマ、そしてボッガナガラへ行きます。

 (ボッカナガラではアーナンダチェディーに滞在し、こういう発言、あるいは「これはブッダの言葉だ」という引用が真実かどうかという問題を判断する時のために、マハーパデーサ(四大教法)を話されました)。

 比丘のみなさん。このダンマヴィナヤの比丘が「私はこれがダンマで、これがヴィナヤで、これが教祖の教えの言葉だと世尊から直接聞きました。受け取りました」とこのように言ったら、みなさんはすぐに受け入れても、すぐに反論してもいけません。

 その内容を良く憶えておいて、後でスッタ(経)を調べ、ヴィナヤ(律)と照合して、一致しなければ、照合できなければ「それは世尊の言葉ではない。その比丘の記憶違いだ」と確信し、みなさんはそれらの言葉を捨ててしまうべきです。

 一致し、照合できれば「それは世尊の言葉に違いない。その比丘は良く記憶している」と確信し受け入れなさい。これがマハーパデーサの一番目です。

 (この後の内容は同様です。違うのは二番目はその住まいの長である博識な長老も含めた僧から聞いたこと、三番目はその修道院の博学である長老から聞いたこと、四番目はその住まいに住んでいる博学な長老から聞いたことである点だけです。

 戒・サマーディ・智慧について、アンバラッティカー苑で話されたのと同じように、たくさん話されました)。





パーヴァー国へ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻147頁117項

 アーナンダ、お出でなさい。パーヴァーに行きます。

 (ここでジュンダ カンマープッタのマンゴー園に滞在し、ジュンダにダンマを説かれ、翌朝家に食事に行きました)。

 ジュンダさん。用意したスーカラマッダヴァ(註)は私に、他のきれいに作った噛じ物、食べる物は比丘サンガに食べさせなさい。

 ジュンダさん。残ったスーカラマッダヴァは穴に捨てておしまいなさい。天人界、悪魔界、梵天界を含めたこの世界のサマナ・バラモンと天人と人間を含む動物群の誰も、如行以外に消化できる人はいないと私には見えます。

 (この後、死ぬほど激しい下痢をなさいました)。

註: スーカラマッタヴァは、今まで子豚の肉と訳されてきましたが、世界の研究者はそれを正しい訳と見なさず、むしろ毒のある植物の根の一種と見るに至りました。ここでは豚肉と訳さずに、パーリ語のままにしました。





クシナラー国へ

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻149頁119項

 アーナンダ。お出でなさい。私はクシナラーへ行きます。

 (まだ病が癒えないのに出発し、途中、木の下で休憩なさいました)。

 アーナンダ。外衣を四つに畳んで敷いておくれ。とても疲れた、座って休みます。アーナンダ。飲む水をおくれ。咽が渇いた。

 (プラアーナンダが、五百台の車が通ったばかりで水がすっかり濁っているので、先にあるカクタナディー川まで我慢なさってくださいと申し上げましたが、二度繰り返されたので、アーナンダが水を汲みに行くと、水は少しも濁っていませんでした。

 戻って来てこの不思議な話を報告しました。それから第四部の「特に安定した定がある」で述べたように、プックサマンラプッタと最高のサマーディについて会話され、最後に彼は生地の良い布を献上しました)。

 プックサさん。それなら一枚は私に掛け、もう一枚はアーナンダにおやりなさい。

 (プックサがそのようにして去った後、プラアーナンダが世尊に近づくと、非常に肌が透き通っているので、質問しました)。

 アーナンダ、このようです。如行の体が当然肌が透き通ったのは二度あります。つまり無上正菩提智を悟った夜と、如行が無余依涅槃で般涅槃する夜です。

 アーナンダ。如行は今夜の三更にクシナラーに近いマッラ王たちが休憩する場所であるサーラの林の、二本のサーラの樹の間で般涅槃します。

 さあ、アーナンダ。一緒にカクタナディー川へ行きましょう。

 (川で水浴をされ、マンゴー園に行き、休憩するために四つに畳んだ外衣の上で獅子の姿で横になられました。そしてジュンダについて話されました)。


 アーナンダ。きっと誰か「ジュンダさん。あなたが最後に献じた珍しい食べ物は幸運ではなくなった」と、このようにジュンダ カンマープッタを苦しめる人がいます。アーナンダ。あなたは

「ジュンダさん。あなたが最後に献じた食べ物は善であり、あなたにとって幸運です。私は世尊から『二つの食べ物は同じ結果があり、他の食べ物より最高の結果がある。つまり如行が食べてアヌッタラサンマーサンボーディニャーナを悟った食べ物と、食べて無余依涅槃で般涅槃する食べ物です。ジュンダが積んだ善は当然寿命、肌艶、幸福、栄誉、天国、そして偉大になる』と聞きました」と述べて、その苦を除きなさい。

 アーナンダ。あなたはこのように述べて、ジュンダ カンマープッタの苦を取り除きなさい。

  徳は当然与える人、支援者を発展成長させ、

  罪業は当然罪業を抑えて避けてしまった人に受け継がれない

  賢い人だけが罪を捨てることができ、

  貪りと怒りと愚かさが尽きて涅槃する





般涅槃、あるいは最後の横臥

マハーパリニッバーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァガ 10巻159頁128項

 アーナンダ、お出でなさい。私はヒランニャヴァディー川の向こう側へ行き、クシナラーに近い、マッラ王の休息所であるサーラの森へ行きます。

 (そこへ着くと、涅槃の床を作るように命じました)。


 アーナンダ。二本のサーラ樹の間に、頭を北側にして寝床を作っておくれ。非常に体が辛いので、横になります。

 (獅子の寝相で横になると、不思議なことに季節はずれのサーラの花が咲いて御頭上に散りかかり、マンダーラバの花、栴檀の粉、いずれも天のものが如行を祭るために散りかかり、天の音楽が流れてきました)。

 アーナンダ。これらの祭る物は、如行がその尊敬、尊重、信頼、崇拝を受ける人とは言いません。

 アーナンダ。ダンマにふさわしくダンマの実践をし、非常に正しく実践をし、ダンマで実践をする比丘、比丘尼、清信士、清信女、その人たちが当然尊敬、尊重、信頼、崇拝を受ける人と言います。

 アーナンダ。だからあなたは「私はダンマにふさわしくダンマの実践をし、非常に正しく実践し、ダンマで実践をする」と、このように心に銘じなさい。

 (この後、傍で扇いでいたプラウパヴァーナを人払いしたので、プラアーナンダが払った理由をお尋ねすると、次のように答えられました)。

 アーナンダ。世界の十種の天人のほとんどが如行を見るために集まってきます。アーナンダ。クシナラーのマッラ王の休憩所である周囲十二ヨージャナ(百九十二キロ)のサーラ苑は、鹿の毛ほどの隙間もなく、栄誉ある天人がいる場所がありません。

 天人のみなさんは当然「私らはみな遠くから如行様を見にやって来た。非常に長い時間に一度だけ世界に如行様が現れ、そして今夜の三更に般涅槃なさるが、権威のあるこの比丘が前に立って妨害するので、私たちは如行のご最期が見えない」と、このように責めます。

 (この後、プラアーナンダが天人たちの心情について質問し、次のように答えられました)。

 アーナンダ。空を大地と理解する人と大地を空と理解する天人たちは、足を切断させるように泣いて嘆き悲しみ、腕を抱えて泣き、「世尊はすぐに般涅槃なさる。猊下はすぐに般涅槃なさる。世界の太陽である方が、すぐに消えてしまわれる」とこのように独り言を言って、のたうち回ります。貪りのない天人たちは常自覚があり「すべてのサンカーラは不変ではない。これを自分の思い通りにすることはできない」とこのように考えて堪えます。

 (この後プラアーナンダが「猊下の亡き後は、弟子たちは今のように会わない」と申し上げると、四つの場所、つまり生誕地、大悟した場所、初転法輪の地、そして涅槃の地を、この章の最後にあるように仏教教団員が集まる場所と見るべきだと言われました。その後女性に対する実践について、「(女性に)会わない。会わなければならないなら話さない。話さなければならないならサティがあること」と話され、その後プラアーナンダが遺体の祭り方について質問しました)。

 アーナンダ。如行の体の葬祭のために駆け回ってはいけません。自分の利益(つまり真剣に実践する)を続け、努力なさい。油断しないで、自分の利益の努力をなさい。アーナンダ。私を非常に信仰している王、バラモン、あるいは長者もいるので、彼らが私の遺体を祭ります。

 「猊下。彼らはどのようにするのでしょうか」。

 アーナンダ。彼らは皇帝の体のように祭ります。皇帝の体には新しい布を巻いて、それから綿、そして新しい布を巻いてから綿、このように五百回して、それから油がいっぱいの鉄の棺に入れて鉄の蓋をして、あらゆる香りの良い物を積み上げて火葬台を作って火を点け、皇帝を(記念する)塔を四つ角に建てます。

 アーナンダ。それらの人々は、如行の体を皇帝の体を扱うように祭るに違いありません。どの人々がそこに花輪や香りの良い物、あるいは香粉を置くのでも、あるいは跪拝、心の中で尊敬するのでも、それは彼らにとって永遠に幸福のためになります。

 (その後、塔を建てるべき四種類の人について、如行、独覚ブッダ、弟子、皇帝と話されました。プラアーナンダはタオカピシーサの木を引っ張って泣いていたので、呼んで来るように言われ、「アーナンダはすべての支援者の中で最高の支援者でした」と褒めました。そして、勤めとお付き合いする人に好かれる物言いを褒めました。それからプラアーナンダが、この国は枝の国であり、高地なので、他の国で般涅槃してくださいとお願いしました)。

 アーナンダ。小さな国、高地の国、枝の国と、そのように言ってはいけません。かつてはマハースダッサというダンマの王である皇帝の国で、四つの海が国境である領地があり、戦勝し、豊かな田舎があり、七つの宝がありました。アーナンダ。クシナラーはクサーヴァディーという名のマハースダッサ王の首都で、長さは東西十二ヨージャナ(百九十二粁)、南北七ヨージャナ(百十二粁)あり、どこにも人間がたくさんいました。

 アーナンダ。クシナラーの都へ行ってクシナラーのマッラ王に「今日、如行様が般涅槃なさいます。どうぞ急いで行ってください。後になって、如行様の涅槃は私の領地であったが、私たちは如行様のご最期を見ることができなかったと困らないようになさってください」と知らせなさい。

 (プラアーナンダ一人でマッラ王に知らせに行くと、世尊が言われたように泣き崩れ、揃って世尊に拝謁にやって来ました。プラアーナンダはグループごとに呼んで捌き、初更前に終わりました。それから異教の修行者スバッダが拝謁する機会があり、他の教義の正しさ、あるいは誤りについて質問したのを止めて、本当のサマナは八正道がある宗教にだけいて、八正道がない宗教にはいないと話されました)。

 スバッダさん。私は二十九歳の時に出家して何が善かを探求し、出家してから五十一年になります。悟る道具であるダンマは、このダンマヴィナヤ以外にありません。サマナ(第一のサマナ、つまり預流)もいません。このダンマヴィナヤの外には、第二、第三、第四のサマナ(一来、不還、阿羅漢)もいません。他の人が教える教義には、他の人たちのサマナはいません。スバッダさん。これらの比丘が正しくある限り、世界に阿羅漢が絶えることはありません。

 (この後スバッダが説法を褒め、例外として具足戒の前に夜を過ごさずに、具足戒を授けてくださいとお願いし、その後間もなく阿羅漢果に到達しました。彼はブッダが見ることができた最後の弟子です。その後重要なことを四つ五つ話されました)。


 アーナンダ。みなさんに「私たちのダンマヴィナヤの教祖が亡くなってしまったら、私たちに教祖はいない」とこのように考えるかもしれません。アーナンダ。そう考えてはいけません。アーナンダ。私が去った後は、私が規定してみなさんに説いたダンマ(教え)とヴィナヤ(律)、そのダンマヴィナヤがみなさんの教祖です。

 アーナンダ。現在一般の比丘たちは(老いも若きも)「アーウッソー」と呼び合っていますが、私がいなくなったら、そのように呼ぶ必要はありません。老いた人が若い人を呼ぶ時は名前、あるいは氏名、あるいはアーウッソーという言葉で呼び、年下の人は年上の人を「バンテ(尊者)」あるいは「アーヤスマント(尊者)」と呼びなさい。

 アーナンダ。私がいなくなったら、サンガは必要なら小さな教条は削除しても良いです。

 アーナンダ。私がいなくなったら、サンガはチャンナ比丘にブラフマダン(梵罰)を与えなさい。つまりチャンナ比丘は何でも好きに言うことができ、比丘のみなさんは彼に忠告して教える必要はありません。

 (この後、まだブッダ・ダンマ・サンガに疑念や不満があったら、その人が考えを述べる最後の機会を与えられました)。

 比丘のみなさん。もし比丘の誰かが、ブッダ、ダンマ、サンガ、マッガ(道)、実践項目にでも疑念や反論があるなら、質問してしまいなさい。「私はブッダの面前にいたが直接質問する勇気がなかった」と、このように後悔する人になってはいけません。

 (三回繰り返しても質問する比丘はいませんでした。最後に自分で訊けなかったら、代わりに友達に質問してもらっても良いと言われましたが、それでも質問者はいませんでした。プラアーナンダが、比丘サンガの誰一人、教祖、あるいはダンマヴィナヤに疑念がある人はいないと称賛しました)。

 アーナンダ。あなたは尊敬と推測で言っています。本当はこれについて、如行はブッダ・ダンマ・サンガ・マッガ、実践項目に、このサンガの誰一人疑念を持っていないと感じていました。アーナンダ。それは、これら五百人の比丘は一番低い人でも、普通に落ちることがない人、涅槃が確実で将来悟る人、預流だからです。

 (最後に、最期の忠告を述べられました)。

 比丘のみなさん。今みなさんに忠告します。すべてのサンカーラ(行)は当然衰退します。みなさん。自分と他人の利益を不注意でないことで完璧になさい。

 (その後沈黙なさり、初禅(註)、二禅、三禅、四禅、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処、想受滅に入り、そして順に初禅まで戻って、それからもう一度四禅まで行き、四禅から出る時般涅槃されました)。

註:一旦それぞれの定から出て、それから次の段階の定に移動すると知るべきです。


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 (この後の話は涅槃前にいろんな場所で話された話です。ここに並べるのは、ブッダの伝記を組成するためです。読者の方は般涅槃された後、なぜまだ話し続けるのかと戸惑わないでください)。




涅槃による地震

増支部アッタカニバータ 23巻323頁167項

 アーナンダ。如行がアヌパーディセサニッバーナダートゥ(無余依涅槃)で般涅槃する時、その時大地は当然揺れ、当然震え、当然振動します。アーナンダ。これが大地震が起こる八つ目の原因であり縁です。





体が現れている間中、ブッダを見ることができる

ブラフマジャーラスッタ
ラージャガハ国とナーランダー国の間のアンバラッディカー苑で
長部シーラカンダヴァッガ 9巻59頁90項

 比丘のみなさん。如行の体は、有に導く欲望が如行によって抜かれてしまって、それを維持しています。天人とすべての人間はこの体がある間だけ如行を見ることができます。体が消滅して命の支配が終わった後は、すべての天人と人間は、如行を見ることはできません。

 比丘のみなさん。マンゴーの房が切れると、その茎に繋がっているすべてのマンゴーが当然一緒に落ちるように、比丘のみなさん。如行の体は有に導く欲望が如行によって抜かれてしまって、それを維持しています。天人とすべての人間はこの体がある間だけ如行を見ることができます。体が消滅して命の支配が終わった後は、すべての天人と人間は如行を見ることはできません。

 (阿羅漢サンマーサンブッダになった時「体は、新しい有に導く種が終わった、つまり新たな生は終わり、崩壊するまでの間存在することができるが、崩壊したら空っぽの物になり、何も残らない。次の体の構成要素は、有に導く物である欲望で房になっている」ので、このように言われました)。





ブッダの般涅槃は大衆の苦

増支部エカニバータ 20巻29頁142項

 比丘のみなさん。一番の人の死は、当然大衆の大きな苦です。一番の人の死とは誰の死でしょうか。それは自分で正しく悟った阿羅漢である如行の死です。

 比丘のみなさん。一番の人の死は、当然大衆の大きな苦です。





ブッダが般涅槃した後の追悼の地

二本のサーラの木の間で
マハーパリニッバーナスッタ
長部シーラカンダヴァッガ 10巻163頁131項

 「猊下。いろんな場所で雨安居してらっしゃる比丘のみなさんが、当然世尊に拝謁に来るので、私たちは心を楽しませる比丘のみなさんの姿を見る機会がありました。世尊が亡くなったら、これからは当然見る機会、あるいは心を楽しませる比丘のみなさんと会う機会はありません」と、プラアーナンダが般涅槃の日に申し上げました。

 アーナンダ。信仰のある良家の子息にとって、思い出すべき四つの村があります。アーナンダ。

 「如行様はここでお生まれになった」と、信仰のある良家の子息が思い出すべき場所、

 「如行様はここで無上正菩提智を悟られた」と、信仰のある良家の子息が思い出すべき場所、

 「ここで如行様は無上法輪を公開された」と、信仰のある良家の子息が思い出すべき場所、

 「如行様はここで般涅槃された」と、信仰のある良家の子息が思い出すべき場所です。

 アーナンダ。信仰心のある良家の子息が見るべき、追悼すべき場所は、この四つの村です。

 アーナンダ。信仰のある比丘あるいは比丘尼、あるいは清信士・清信女のみなさんが「如行様はここでお生まれになった」「如行様はここで無上正菩提智を悟られた」「如行様はここで無上法輪を公開された」「ここで如行様は般涅槃された」と意図してこれら四つの村に連れだって行きます。

 アーナンダ。塔や廟のある場所に行く人は誰でも信仰が生じ、体が崩壊して死んだ後、それらの人は善趣、天国へ行きます。




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