第三章

大悟してから五比丘を救うまで





長兄であるヒヨコ

  律蔵 1巻5頁3項

 バラモンさん。八個、あるいは十個、あるいは十二個の卵を産んだ雌鶏が卵の上に座って良く温める時、それらの卵の中で他の卵よりも早く蹴爪で殻を割って、あるいは首を伸ばして出て来たヒヨコを、私は何と呼ぶべきでしょうか。長兄、それとも末っ子と呼ぶべきでしょうか。

 「ゴータマ様。誰でも長兄と呼ぶべきです。それらの卵の中で一番年上ですから」とバラモンがお答えしました。

 バラモンさん。同じようにこの私は、動物が卵の殻のような無明に包まれている時、包んでいる殻つまり無明を壊して誰よりも先に出て来た世界でただ一人の人で、これに勝る物はないニャーナであるサンマーボーディニャーナを大悟しました。バラモンさん。私は世界で一番発展した人、一番素晴らしい人です。

 私は始めた努力を緩めず、サティをしっかり維持し、忘れず、体も静まって揺れず、心が一つに安定し、初禅、二禅、三禅、四禅に到達したので、心を宿命智に傾けました。

 それは卵の殻から出るヒヨコの最初の嘴打ちで、心を天眼智に傾けたのは卵の殻から出るヒヨコの嘴打ちの二回目で、心を漏尽智に傾けたのは卵の殻から出るヒヨコの嘴打ちの三回目です。





根を脅せる人

マーガンディヤスッタ
中部マッジマパンナーサ 13巻272頁279項

 マーガンディヤさん。目は喜ぶ物である形があり、喜ばせる物である形を欲しがり、その目を如行(ブッダの一人称。漢訳は如来)は苦しめ、支配し、維持し、慎むことができ、そして如行は当然目を慎むダンマを説きます。

 マーガンディヤさん。耳は喜ぶ物である声があり、喜ばせる物である声を欲しがり、その耳を如行は苦しめ、支配し、維持し、慎むことができ、そして如行は当然耳を慎むダンマを説きます。

 マーガンディヤさん。鼻は喜ぶ物である臭いがあり、舌は喜ぶ物である味があり、体は喜ぶ物である接触があり、心は喜ぶ物である感情があり、喜ばせる物である感情を欲しがり、その鼻、舌、体、心を如行は苦しめ、支配し、維持し、慎むことができました。そして如行は当然心を慎むダンマを説きます。





十の如行力智

相応部ニダーナ 16巻33頁65項
中部マッジマパンナーサ 12巻140頁16項

 比丘のみなさん。如行は十のバラニャーナ(力智)と四つのヴェーサラッチャニャーナ(恐れないことを知る智)があるので、世界の元首であると宣言して獅子吼を轟かせ、すべての教団員に梵行を公開しました。

 サーリプッタ。これが世界の元首であると宣言して獅子吼を轟かせ、多くの教団員に梵行を公開した如行の十の如行力です。十とは、

1. 如行はあり得る(出来る)ことをあり得(出来)ると、あり得(出来)ないことをあり得(出来)ないと、当然真実のままに知っています。これが如行の如行力です。

2. 如行は過去と未来と現在でカンマを作ることの報い(結果)を、理由も条件(あり得るか、あり得ないか)も、当然真実のままに知っています。これが如行の如行力です。

3. 如行は実践者をすべてのブーミ(心のレベル。境)に行かせる道を、当然真実のままに知っています。これが如行の如行力です。

4. 如行は世界は一つだけのダートゥ(種または界)でできているのではなく、いろんなダートゥがあると当然真実のままに知っています。これが如行の如行力です。

5. 如行はすべての動物のいろんな欲と志向を、当然真実のままに知っています。これが、如行の如行力です。

6. 如行は他の動物の根が素晴らしいか弛んでいるかを、当然真実のままに知っています。これが如行の如行力です。

7. 如行はすべての定、解脱、サマーディ、サマーパティの曇り、清浄、脱出を、当然真実のままに知っています。これが如行の如行力です。

8. 如行は自分がかつていたことがあるいろんな蘊を、当然真実のままに思い出せます。つまり一つの生、二つの生、(駐)等々を思い出せます。これが如行の如行力です。

9. 如行は人間の目を超えた純潔な天の目で、すべての動物を当然真実のままに見ることができます。これが如行の如行力です。

10. 如行はすべての漏が無くなって漏を探すことができない心解脱・智慧解脱を、当然明らかにすることができます。これが如行の如行力です。

駐: 詳細は「大悟の状態」にあります。 http://buddhadasa.hahaue.com/butuden/2-5.html

 サーリプッタ。これが如行にある十の如行力で、当然世界の元首と宣言し、獅子吼を轟かせ、すべての教団員に梵行を公開しました。


 (他のパーリ:小部22巻466頁335項では、3,4,5,6が無く、如行力が六つだけのもあります。)





五つの如行力

パンチャカニバータ 小部22巻10頁11項

 比丘のみなさん。私は今まで聞いたことがないすべてのダンマの中のアビンニャーヴォサーンバーラミー(通智究竟完成)に到達したので宣言しました。比丘のみなさん。この五つの如行力のすべてがあるので、私は世界の元首であると宣言して獅子吼し、すべての教団員の中で法輪を公開しました。五つとは何でしょうか。五つとは、信力・慚力・愧力・精進力・智慧力です。

 比丘のみなさん。これが如行に全部揃っている如行の如行力です。だから世界の元首であると宣言して獅子吼し、すべての教団員の中で法輪を公開しました。





動物の、極めて弛んだ根を知られる

中部13巻177頁181項

 ウダージさん。この四つの分類の人が世界にいます。四つの分類とは何でしょうか。四つとは、

① ウダージさん。この場合の人はウパディを捨てるため、返却するために実践する人で、彼を包囲しているウパディがあり、散漫な考えがあることに耐え、捨ててしまわず、減らしてしまわず、終わらせてしまう行動をせず、ない状態に至る行動をしません。ウダージさん。私は当然、この人は煩悩がある人で、煩悩がない人ではないと言います。私はなぜそのように言うのでしょうか。ウダージさん。私はこの人の根の最高の弛緩を知っているからです。

② ウダージさん。しかしこの場合の人は、ウパディと彼を包囲しているウパディがあり、散漫な考えを捨てるため、返却するために実践する人で、これらの考えがあることに耐えず、捨て、減らし、終わらせる行動をし、ない状態に至る行動をしています。ウダージさん。私は当然、この人は煩悩がある人で煩悩がない人ではないと言います。私はなぜそのように言うのでしょうか。ウダージさん。私はこの人の根の最高の弛緩を知っているからです。

③ ウダージさん。しかしこの場合の人は、ウパディを捨てるため、返却するために実践する人で、時々うっかりサティを忘れるので、ウパディがある散漫な考えが彼を包囲しています。ウダージさん。サティが戻って来て生じるのは、これらの考えを捨て、減らし、終わらせる行動をした後です。

 ウダージさん。焼けている鉄鍋に男が一日中水滴を二三滴ずつ垂らしていて、垂らした水が落ちるのは、垂らされた水が乾くのより遅いように、ウダージさん。この場合の人はウパディを捨てるため、返却するために実践する人で、時々うっかりサティを忘れるので、ウパディがある散漫な考えが彼を包囲しています。

 ウダージさん。サティが戻って来て生じるのは、これらの考えを捨て、減らし、終わらせる行動をした後です。私は当然、この人は煩悩がある人で、煩悩がない人ではないと言います。私はなぜそのように言うのでしょうか。ウダージさん。私はこの人の根の最高の弛緩を知っているからです。

④ ウダージさん。しかしこの場合の人は「ウパディは苦の根源」と明らかに知り、ウパディがなく、ウパディがないことで解脱した人です。ウダージさん。私は「この人は煩悩がない人で、煩悩がある人ではない」と言います。なぜ私はそのように言うのでしょうか。ウダージさん。私はこの人の根の最高の弛緩を知っているからです。

 ウダージさん。この四つの分類の人が世界にいます。


解説: この文章はパーリ(ブッダの言葉)の言い回しに慣れていない人には理解し難いかもしれないので、次のようにまとめさせていただきます。

 1番の人たちはウパディを捨てるために実践し、ウパディに関した煩悩の考えである考えが生じると、彼はその考えに耐え、考えを捨てて減らさない、まだウパディがある人です。

 2番目の人たちはウパディが生じると耐えようとしないで、その考えを捨てて減らす努力をしますが、まだ捨てることができないのでまだウパディがある人です。

 3番目の人たちはウパディを捨てるために実践し、考えが生じるとうっかりしてサティを生じさせるのが間に合いません。その人は考えを捨てることができますが、まだウパディを捨てることができないのでウパディがある人です。

 4番目の人たちはウパディは苦の原因と智慧で知っていて、ウパディが終わって解脱をしたので、これをウパディがない人と言います。この四種類の人はブッダのニャーナで知ることができる違いがあります。

 パーリの別の所にはインドリヤパロパリヤタニャーナについて説いている話があり、違うのはプリシナドリヤニャーナという名前だけで、六種類の動物の根について説いています。一番目の人たちは悪が現れ善が現れませんが、善の原因はあるのでその後衰退しません。

 二番目の人たちは善が現れ悪は現れませんが、悪の原因があるのでその後衰退します。三番目の人たちは白いダンマがなく、あるのは黒いダンマだけなので死後苦界へ行きます。

 四番目の人たちは悪が現れ、善が現れず、善の原因が抜かれたのでその後衰退します。五番目の人たちは善が現れ、悪が現れず、悪の原因が抜かれたのでその後衰退しません。

 六番目の人たちは黒いダンマがなく白いダンマだけなので現生で般涅槃します。こういうのも動物の根の違いの説明です。関心のある人は小部22巻451頁22項で詳細を読んでください。





勝解処をすべて明らかにした如実智がある

小部ダサカニバータ 24巻38頁33項

 アーナンダ。ダンマ、つまりどのニャーナも、それらすべてのアディムッティパダ(すべてのものを手放さなければならないダンマ。勝解処)を最高の智慧で明らかにする行動のためになります。

 アーナンダ。私は勇敢な人で、ダンマ、つまりそれらすべてのアディムッティパダであるダンマを説くために、「実践者は、有るアディムッティパダを有ると、無い物を無いと、悪い物を悪いと、緻密な物を緻密と、もっと良い物があればもっと良い物があると、もっと良い物がなければもっと良い物はない」と知りました。

 もう一つ「実践者は知るべきことを知り、あるいは見るべき物を見、あるいは明らかにするべき物を明らかにすると知る」と説くために、そのダンマ、つまりそれらのニャーナを知りました。

 アーナンダ。すべてのニャーナの中でそれ以上の物がないニャーナ。そのニャーナは、すべてのアディムッティパダのヤターブータニャーナ(如実智)です。アーナンダ。私はこれ以上に緻密で素晴らしいニャーナは他にはないと言います。アーナンダ。私はそのニャーナより素晴らしい、更に緻密なニャーナは当然ないと言います。

 (続いてそれ以上の物がないニャーナであるヤターブーダニャーナダッサナ(如実智見)である十如行力を説かれました。詳しくは本書の「十如行力がある」をご覧ください)。





四ヴェサーラッジャニャーナがある

増支部チャトゥカニバータ 21巻10頁8項
大獅子吼経
中部ムーラパンナーサ 12巻144頁167項

 比丘のみなさん。これが如行のヴェサーラッチャニャーナ(無畏智)で、これが完璧になったので世界の元首と宣言し、すべての教団に獅子吼して梵輪を公開しました。

1. 如行はサマナ・バラモン・天人・悪魔・梵天、あるいはこの世界の誰であろうと、「自分はサンマーサンブッダだと宣言しているが、あなたはこれらのダンマを悟っていない」とこのような理由で私を告発できる気配は見えません。比丘のみなさん。その動向が見えないので、如行は安全に到達し、恐怖がない状態に到達し、勇敢でいられる状態に到達した人です。

2. 如行はサマナ・バラモン・天人・悪魔・梵天、あるいはこの世界の誰であろうと「自分は漏がなくなった阿羅漢だと宣言しているが、あなたのこれらの漏はまだ完全に終わっていない」と、このような理由で私を告発できる気配は見えません。比丘のみなさん。その動向が見えないので如行は安全に到達し、恐怖がない状態に到達し、勇敢でいられる状態に到達した人です。

3. 如行はサマナ・バラモン・天人・悪魔・梵天、あるいはこの世界の誰であろうと「あなたが関わっている人とって危害があると言うダンマは、それらのダンマに人が関わっても危害はない」と、このような理由で私を告発できる気配は見えません。比丘のみなさん。その動向が見えないので如行は安全に到達し、恐怖がない状態に到達し、勇敢でいられる状態に到達した人です。

4. 如行はサマナ・バラモン・天人・悪魔・梵天、あるいはこの世界の誰であろうと「あなたがどんな利益のためにダンマを説いても、その利益は苦が正しく終わる道ではなく、それらのダンマの行動をする人に危害がある」と、このような理由で私を告発できる気配は見えません。比丘のみなさん。その動向が見えないので如行は安全に到達し、恐怖がない状態に到達し、勇敢でいられる状態に到達した人です。

 比丘のみなさん。この四つが如行の無畏智(恐れがないと知ること)です。如行はこれが完璧になったので世界の元首と宣言し、すべての教団員に獅子吼して梵輪を公開しました。





教団員の中で梵輪を公開なさる

相応部ニダーナサンユッタ ニダーナ 16巻33頁64項

 五蘊と縁起の話

 比丘のみなさん。如行は十の力智と四つの無畏智があるので世界の元首と宣言し、教団員の中で「形はこのよう、形を生じさせる原因はこのよう、形が維持できないことはこのよう、そして受はこのよう、受を生じさせる原因はこのよう、受が維持できないことはこのよう、想はこのよう、想を生じさせる原因はこのよう、想が維持できないことはこのよう、

 すべての行はこのよう、すべての行を生じさせる原因はこのよう、すべての行が維持できないことはこのよう、識はこのよう、識を生じさせる原因はこのよう、識が維持できないことはこのよう」と、そして「これがあるからこれがあり、これが生じたからこれが生じた。これがないからこれがない。これが消滅したからこれが消滅する。これはつまり、

 無明が縁ですべての行があり、

 行が縁で識があり、、

 識が縁で名形があり、

 名形が縁で六処があり、

 六処が縁で触があり、

 触が縁で受があり、

 受が縁で欲望があり、

 欲が縁で取があり、

 取が縁で有があり、

 有が縁で生があり、

 生が縁で老死、悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが、このように揃って生じます。


 無明が消滅することですべての行が消滅し、

 行が消滅することで識が消滅し、

 識が消滅することで名形が消滅し、

 名形が消滅することで六処が消滅し、

 六処が消滅することで触が消滅し、

 触が消滅することで受が消滅し、

 受が消滅することで欲が消滅し、

 欲が消滅することで取が消滅し、

 取が消滅することで有が消滅し、

 有が消滅することで生が消滅し、

 生が消滅することで老死、悲しみ、嘆き、苦、憂い、すべての悩みがこのように揃って消滅します」と、梵輪(素晴らしい車輪。ブラフマチャック)を公開しました。





敵に危害を与える侵攻法がある

サッピニー川のほとりで
増支部ティカニバータ 20巻238頁504項

 (ここまでの話は、サラバという異教の修行者はこのダンマヴィナヤで出家したことがありましたが、挫折して異教の修行者になり「サキヤプッタサマナのダンマヴィナヤについてすべて知ったが、何も善いと思わなかったので出て来た」と振れ回っていました。

 世尊がこれを知られ、その修行者の住まいへ足を運ばれて、修行者たちが会合している場で修行者サラバに、サキヤプッタサマナのダンマヴィナヤはどのようか話すように言われました)。

 サラバさん。あなたは「サキヤプッタサマナたちのダンマヴィナヤを私は全部知った。全部知ったからそのダンマヴィナヤを出て来た」とこのように述べたと聞きましたが本当ですか。(返事がないので、再び質問なさいました)。

 サラバさん。あなたがサキヤプッタサマナのダンマヴィナヤをどう全部知ったか、お話しなさい。あなたが全部話せば、私が足りないところを補ってあげます。あなたの言葉が正しく揃っていれば、私は随喜します。(黙して答えないので、三回目目の質問をなさいました)。

 サラバさん。お話しなさい。サキャプッタサマナたちのダンマヴィナヤは私が規定したので、当然私は良く知っています。あなたが完璧に話せなければ、私が補って完璧にしてあげます。完璧に話せれば随喜します。

 (サラバが黙して答えないので、一緒にいる修行者がサラバに話すよう促しましたが、それでもサラバは黙ったままだったので、世尊が言われました)。

 修行者のみなさん。誰かが私を「あなたはサンマーサンブッダだと自慢するが、それらのダンマをあなたはまだ知っていない」と非難するなら、私はその人に(私が知らなくて、その人が知っているダンマについて)詳しく質問します。私がその人に詳しく質問すると、逃げ道がなく、三つの困った状態のいずれかになる以外に道はありません。

 つまりのらりくらりと見当はずれの返答をするか、不満や怒りや悔しさを露わにするか、あるいはこのサラバ修行者のように黙りこくって声がなく、恥入ってうな垂れ、うつむいてしょんぼりして言葉が出ません。

 修行者のみなさん。誰かが私を「あなたは漏が終わったと自慢するが、あなたのそれらの漏はまだ終わっていない」と非難するなら、私はその人に(私が知らなくてその人が知っているダンマについて)詳しく質問します。私がその人に詳しく質問すると、逃げ道がなく、三つの困った状態のどれか一つになる以外に道はありません。

 つまりのらりくらりと見当はずれの返答をするか、不満や怒りや悔しさを露わにするか、あるいはこのサラバ修行者のように黙りこくって声がなく、恥入ってうな垂れ、うつむいてしょんぼりして言葉が出ません。

 修行者のみなさん。誰かが私を「あなたはがどんな利益のためにダンマを説いても、その利益はその実践者にとって正しい苦の終りにならない」、このように非難するなら、私はその人に(私が知らなくてその人が知っているダンマについて)詳しく質問します。私がその人に詳しく質問すると、逃げ道がなく、三つの困った状態のどれか一つになる以外に道はありません。

 つまりのらりくらりと見当はずれの返答をするか、不満や怒りや悔しさを露わにするか、あるいはこのサラバ修行者のように黙りこくって声がなく、恥入ってうな垂れ、うつむいてしょんぼりして言葉が出ません。





天人界を震撼させた獅子吼ダンマがある

増支部チャトゥカニバータ 21巻42頁33項

 比丘のみなさん。獅子という名の動物の王は、夕方になると住んでいる巣穴から出て伸びをし、四方を見渡して三回吼え、それから餌を探しに出かけます。その獅子吼を聞いたすべての動物は驚愕して心が萎え、穴に棲んでいる動物は穴に戻り、水に棲んでいる動物は水に入り、森に棲んでいる動物は森に入り、小鳥の群れは一斉に空に飛び立ち、

丈夫な綱で繋がれている村や町や都の王の象は一斉に恐怖を感じ、渾身の力で綱を引切って、あちこちに大小便を垂らしながら逃げて行きます。比丘のみなさん。獅子という動物の王はこのように他のすべての獣より偉大で神聖で、非常に威厳があります。

 比丘のみなさん。同じように如行は明と明に至る実践が完璧な人であり、良く行った(スガタ)人であり、世界を明らかに知る人であり、自分で正しく大悟し阿羅漢として世界に現れた時、それに勝る人がいない訓練するべき人を訓練する人であり、天人と人間の先生で人であり、目覚めさせる人であり、ダンマを分類して動物に教える人です。

 如行はサッカーヤ(つまり苦。註)はこのようで、サッカーヤサムダヤ(つまり苦の原因)はこのようで、サッカーヤニローダ(つまり苦の滅)はこのようで、サッカーヤニローダカーミニーパティパダー(つまり苦の滅に至る道)はこのようだと説きます。塔のある城に住んで長寿で肌のツヤが良く、たくさんの幸福を長期間維持している天人たちは、如行が説くダンマを聞くとほとんど驚愕し、心が萎え、

「発展なさった方。私たちは不変ではないのに、自分は変わらないと理解し、永遠ではないのに自分は永遠だと理解し、安定ではないのに安定していると理解しています。しかし私たちは変化し、永遠でなく、不安定で、サッカーヤに至ります」と思い至ることができます。

 比丘のみなさん。私はこのように世界の動物と天人より偉大で神聖で、非常に権威があります。

訳註:サッカーヤという言葉は有身という意味ですが、ターン・プッタタートはこの場合「苦」と説明しています。





ブッダの行動を獅子の行動に例えられる

小部ダサカニバータ 24巻34頁21項

 比丘のみなさん。獅子王は夕方になると住んでいる巣穴から出て伸びをし、四方を見渡して三回吼え、それから餌を探しに出かけます。それはなぜでしょうか。獅子王は「でこぼこしたこの地域に棲んでいる小さな動物を困らせてはいけない」と考えるからです。

 比丘のみなさん。この獅子という言葉は、阿羅漢サンマーサンブッダである如行の代名詞です。比丘のみなさん。如行が教団員に説いた項目は、獅子吼の代名詞です。比丘のみなさん。この如行の十如行力が如行に完璧になったので世界の元首であると宣言し、獅子吼し、すべての教団員に梵行を公開しました。





勇壮な獅子吼ダンマがある

裸行者カッサパに
長部シーラカンダヴァッガ 9巻219頁272項

 カッサパさん。これはあり得ます。つまり異教の教祖である修行者が「ゴータマサマナが獅子吼したことは事実だが、空っぽの場所で吠えたのであって教団員の中に響かせたのではない」とこのように言うことです。あなたはそのように言うべきではありません。「ゴータマサマナはすべての教団員の中で獅子吼したのであって、空っぽの場所で獅子吼したのではありません」と(真実のままに)言うべきです。

 カッサパさん。これはあり得ます。異教の教祖である修行者が「ゴータマサマナが教団員に獅子吼したことは事実だが、勇壮に獅子吼したのではない」とこのように言うことです。あなたはそのように言うべきではありません。「ゴータマサマナはすべての教団員の中で勇壮に獅子吼しました」と(真実のままに)言うべきです。

 カッサパさん。これはあり得ます。異教の教義の修行者が「ゴータマサマナが教団員に勇壮に獅子吼したことは事実だが、そこで誰も質問した人はいない。それに質問されても彼は託宣できず、託宣しても聞く人を満足させることはできず、聞く人を喜ばせることもできても、その言葉を聞くべき重要な言葉と見ず、聞くべき重要な言葉と思っても帰依せず、帰依しても帰依した人の態度を表さず、帰依した態度を表しても教えを実践せず、教えを実践しても満足して実践しない」とこのように言うことです。

 あなたはそのように言うべきではありません。「ゴータマサマナは教団員の中で勇壮に獅子吼し、質問者に質問されると託宣し、その託宣は当然彼を喜ばせ、質問者は当然その言葉を聞くべき物として重視し、聞けば帰依し、帰依すれば帰依した人の態度を表して教えを実践し、実践すれば満足した人になります」と(真実のままに)言うべきです。

 カッサパさん。私がラージャガハに近い鷲山にいた時、ニグローダの梵行者が罪を防ぐ問題について質問したので託宣しました。その託宣で彼は思いの他満足しました。





誰も異議を唱えられないもの 

増支部サッタカニバータ 23巻84頁55項

 比丘のみなさん。如行は三つのダンマで、誰も異議を唱えることができない人です。

 比丘のみなさん。(1)如行は自分が良く述べたダンマがあり、そのダンマにサナマ・バラモン、天人、悪魔、梵天、世界の誰であろうと「あなたは自分で良く述べたダンマがある人ではない」と、異議を唱える気配は見えません。

 比丘のみなさん。(2)実践者を涅槃に至らせるパティパダー(道)は、私のすべての弟子が実践すれば、当然すべての漏が無くなって漏を探すことができないチェトーヴィムッティ(心解脱)・パンニャーヴィムッティ(智慧解脱)を、最高の智慧で明らかにし、自分が見たダンマ、解脱に到達し、常にその感覚の中にいる状態で、私がすべての弟子のために良く規定した物です。

 その実践にサナマ・バラモン、天人、悪魔、梵天、世界の誰であろうと「実践者を涅槃に至らせるパティパダーは、すべての弟子が実践すれば、当然すべての漏が無くなって漏を探すことができないチェトーヴィムッティ(心解脱)・パンニャーヴィムッティ(智慧解脱)を、最高の智慧で明らかにし、自分が見たダンマ、解脱に到達し、常にその感覚の中にいる状態であなたが規定した物ではない」とこのように異議を唱える気配は見えません。

 比丘のみなさん。(3)何百という私の弟子教団員は心解脱・智慧解脱を最高の智慧で明らかにしています。その項目に、サナマ・バラモン、天人、悪魔、梵天、世界の誰であろうと、「あなたの弟子教団員で、心解脱・智慧解脱を明らかにした人は何百もいない」とこのように異議を唱える気配は見えません。

 比丘のみなさん。その兆しが見えなければ、安私は全に達し、恐怖がない状態に達し、勇者でいることに達した人です。これが如行に異議を唱えることができない三つです。





隠してもらわなければならない秘密はない

コーサンピー国に近いゴーシタラームで
増支部パンチャカニバータ 22巻142頁100項

 モッガラーナ。如行は常に純潔な戒があるので「私は純潔な戒があります」と宣言しました。私の戒は純潔清浄で曇りがないので、すべての弟子は戒に関してみんなで如行をかばう必要がなく、如行も戒に関して弟子に庇ってもらうことを期待しません。

 モッガラーナ。如行は常に純潔な生活があるので「私は純潔な生活があります」と宣言しました。私の生活は純潔清浄で曇りがないので、すべての弟子は生業に関してみんなで如行を庇う必要がなく、如行も生業に関して弟子に庇ってもらうことを期待しません。

 モッガラーナ。如行は常に純潔なダンマを説くので「私は純潔なダンマを説く人です」と宣言しました。私が説くダンマは純潔清浄で曇りがないので、すべての弟子は説くダンマに関してみんなで如行を庇う必要がなく、如行も説くダンマに関して弟子に庇ってもらうことを期待しません。

 モッガラーナ。如行は常に純潔な回答をするので「私は純潔な回答をする人です」と宣言しました。私の回答は純潔清浄で曇りがないので、すべての弟子は回答に関してみんなで如行を庇う必要がなく、如行も回答に関して弟子に庇ってもらうことを期待しません。

 モッガラーナ。如行は常に純潔なニャーナダッサナ(智見)があるので「私は純潔な智見があります」と宣言しました。私の智見は純潔清浄で曇りがないので、すべての弟子は智見に関してみんなで如行を庇う必要がなく、如行も智見に関して弟子に庇ってもらうことを期待しません。





ブッダの本当に不思議なものを説かれる

中部ウパリヴァンナーサ 14巻254頁379項

 (生や死に関わるブッダの奇跡についてプラアーナンダと会話されている時、次のように「私たちが更に不思議だと見るべき不思議な話」と言われました。

 アーナンダ。だからこの話をみなさんは、如行に今までなかった不思議なことと記憶しておくべきです。アーナンダ。この場合は、

 受は如行にとって明らかな物にものになったので、生じて維持して消えました。

 想は如行にとって明らかな物になったので、生じて維持して消えました。

 ヴィタッカは如行にとって明らかな物になったので、生じて維持して消えました。

 アーナンダ。あなたはこれを如行に今までなかった不思議なことと記憶しておくべきです。

 「猊下。受は世尊にとって明らかな物になったので生じて維持して消え、想は世尊にとって明らかな物になったので生じて維持して消え、ヴィタッカは世尊にとって明らかな物になったので生じて維持して消えたという項目はどれでも、猊下。私は、世尊に関して今までなかった不思議なことと、このように記憶します」。





世界の人間離れした人

増支部エカニバアータ 20巻29頁141項

 比丘のみなさん。一番の人が世界に生まれる時は、当然人間離れした人として生まれます。一番の人とは誰でしょうか。自分で正しく大悟した阿羅漢である如行こそ、一番の人です。

 比丘のみなさん。これが世界に生まれた時、当然人間離れした人として生まれた一番の人です。





普通の人と違う

相応部サラーヤタナヴァッガ 18巻159頁216項

 比丘のみなさん。すべての天人と人間は喜ぶ物である形があり、形を欲しがり、形を楽しみ、すべての天人と人間は当然形の変化、拡散、崩壊による苦に耐えています。

 比丘のみなさん。すべての天人と人間は喜ぶ物である声があり、声を欲しがり、声を楽しみ、すべての天人と人間は当然声の変化、拡散、崩壊による苦に耐えています。

 すべての天人と人間は喜ぶ物である匂いがあり、匂いを欲しがり、匂いを楽しみ、すべての天人と人間は当然匂いの変化、拡散、崩壊による苦に耐えています。

 比丘のみなさん。すべての天人と人間は喜ぶ物である味があり、味を欲しがり、味を楽しみ、すべての天人と人間は当然味の変化、拡散、崩壊による苦に耐えています。

 比丘のみなさん。すべての天人と人間は喜ぶ物である接触があり、接触を欲しがり、接触を楽しみ、すべての天人と人間は当然接触の変化、拡散、崩壊による苦に耐えています。

 すべての天人と人間は喜ぶ物である考えがあり、考えを欲しがり、考えを楽しみ、すべての天人と人間は当然考えの変化、拡散、崩壊による苦に耐えています。

 比丘のみなさん。阿羅漢サンマーサンブッダである如行はすべての形を生じさせる原因、維持できないこと、味、下劣な害、そして出る方便を真実のままに明らかに知っているので、形を喜び、形を欲しがり、形を楽しむ人ではありません。比丘のみなさん。如行は当然形が変化しても、散らばっても、崩壊しても幸福です。

 比丘のみなさん。如行はすべての声・臭い・味・接触・考えを生じさせる原因、維持できないこと、美味しい味、下劣な害、そして出る方便を真実のままに明らかに知っているので、声等を喜び、声(等)を欲しがり、声(等)を楽しむ人ではありません。比丘のみなさん。如行は当然声(等)が変化しても、散らばっても崩壊しても幸福です。(世尊はこう述べられると、次のような詩にして言われました)。


  すべての形、すべての声、すべての臭い、

  すべての味、すべての接触、すべての考えは

  望むべきでなく、愛すべきでなく、喜ぶべきでない。

  更に「人間界も天人界も、それがあればあるだけ幸福と仮定する」と言うことができる。

  それがどこかで崩壊すれば、それらの動物はそこで「それは苦」と仮定する。

  すべての聖人が幸福と見る物は、すべてのサッカーヤ(有身)の消滅。

  しかしすべてを世界と見るすべての動物にとって、それは凶悪な敵として現れる。

  他の動物が幸福と言う物を、すべての聖人は苦と言い、

  他の動物が苦と言う物を、聖人は幸福と言う。





心を完璧に支配できる 

ヴァッサカーラバラモンに・ラージャガハの竹林で
増支部チャトゥカニバータ 21巻47頁35項

 バラモンさん。私はたくさんの人を支援するため、多くの人の幸福のために実践する人で、私は大衆がアリヤニャーヤダンマ、つまり美しいダンマ、善であるダンマがある人であるよう誓願しました。

 バラモンさん。私が何かをヴィタッカ(熟考)したい時はそのヴィタッカで考えることができ、何かをヴィタッカ(熟考)したくない時は、そのヴィタッカで考えないこともできます。私が何かを考え(サンカッパ)たい時はその考えをすることができ、何かを考えたくない時は、その考えをしないこともできます。

バラモさん。私はすべての考えの流れがある心の威力より上に達したので、簡単に、難しくなく、大変でなく、普段いつでもこの世での安楽な暮らしである四禅にいることができます。

 バラモンさん。私はすべての漏が無くなって漏がない心解脱・智慧解脱を明らかにし、そして常にその感覚の中にいます。




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