ブッダヴァチャナの宝箱


本書はブッダの弟子であるすべての阿羅漢への供え物として

そして

財宝を掘り出す人間同朋の気力と指針にするために


要旨

 本書はブッダ自身が説かれた言葉であり、編者の言葉は混じっていません。財宝を掘る人の学習の便宜のため、財宝を掘る人を支援するため、そして特に軌道を外れた手法で財宝を掘る人の方向転換のために、三蔵の中から、すべてブッダ自身の説明と会話である「ブッダヴァチャナ(ブッダが直接話した言葉)」だけを吟選して集めました。





挨拶(初版)

 本書が生まれたのは偶然、あるいは瓢箪から駒のようなことが切っ掛けでした。「ブッダの言葉によるブッダの伝記」の話を集めている時でも、三蔵の他の話でも、ある種の内容に目を見張りました。それは、その度に手を止めて深く熟慮しなければならないほど、強い関心を引きました。「叱る」ことも「勧め懇願する」ことも、ブッダにこれほど強い言葉があったと考えたこともない内容だったからです。それらのすべてを、この「ブッダヴァチャナの宝箱」に収めました。

 もしかしたら、「なぜこれらを『ブッダヴァチャナの宝箱』と呼ぶのだ。読者の一部に当て擦ってそう呼ぶのではないか」と疑念を持たれる方がおられるかもしれません。この問題は、編集が終わって、さて何という書名にするかという時、あるいは印刷が終わって、何と呼んだら良いかという時から繰り返し生じました。各章の間に挿入した『叱りつける人こそが、財宝を指差す人』というブッダの言葉を偶然思い出し、それで本書の題名を「ブッダヴァチャナの宝箱」としました。

タイにも昔、『叱る人は宝を持って来る人』という箴言があったのを発見しました。これで「なぜこの本をそう呼ぶのか」という問題は、共通の理解になったということです。「誘い懇願する言葉」に理由は必要ありません。極めて財宝としての価値があるからです。

 本書は、自分にふさわしくない暮らしにならないよう気付かせるものであり、ブッダの後を追うことを振興させるものであり、そして「自分はブッダが示された軌道に沿った行動をしている」と確信した時、歓喜を生じさせるものです。


 第一部を「叱責」、第二部は「推奨」と呼びます。叱責は九章一二四項、推奨は十章二一二項で、合計三四〇話、四三八頁あり、衝撃を与え、注意を喚起する物として十分と信じます。

 「ブッダの言葉による」というのは、「ブッダヴァチャナによるブッダの伝記」と同じ意味、つまりブッダバーシタ(ブッダが言われた、という意味。仏説)だけ、あるいはブッダ自身が発言された言葉だけを集めたので、深い尊敬を以て本気で熟慮するにふさわしい内容と信じます。

 読者は当然、この財宝は直接出家のためにあると、自分自身で見えます。在家にとっては、どのように財宝を掘る人に協力するかという、完璧な知識を得る利益しかありません。出家である教団員に関ついてブッダがどれほどご心配なさっていたか、出家だけについて言及しているこの種の内容で見ることができます。仏教の財宝を維持するのは、特に出家だけの責務だからです。

 在家は賛同し、自分にふさわしい生活をするだけで十分と見なします。しかしそれは協力しないこと、あるいは間違った財宝を探す人を支援することになるので、これに関した十分な知識がなければなりません。出家が舟を漕ぐ人で、在家が正しい方法で力や食糧を提供する人なら、その財宝は確実に手に入る状態になります。

 この種のブッダバーシタを吟選して、もう一冊「ブッダヴァチャナ」のような本を作るべきだと確信した時、機会あるごとに常にこの種の話の原文を集め始めました。並行して、時に応じて編集し、季刊「佛教新聞」に掲載し、最後に法施会教書局の編集担当であるS..W.に一任し、私が訳したすべての原稿を仕上げてもらいました。私がしたは確認修正と、多少アドバイスしただけでした。

 だから本書は、ほとんどS..W.の力で完成したと言うことができます。索引と巻末の辞書の作成、そしてタンマ集の編集は、S..W.と彼の友人数人が、まったく私の手を煩わすことなく完成させました。非常に尊敬に値する労働奉仕で、財団にとって大恩と見なします。本書に満足し、利益を得るみなさんは、たぶんこれらの「法施の友」の奉仕を随喜なさることと思います。

 もう一つ本書を編集する時苦労したのは、それぞれの話に題名をつけるのと、学習しやすい順に並べて章にすることでした。これは「ブッダヴァチャナによるブッダの伝記」を並べるのとは比較にならない難しさがありました。今までの本の編集経験は、本書の編集には何の役にも立ちませんでした。  ですからこれに関した欠点は避けようもないので、初版には必ずあると思うので、製作者として、法施友の会としてお詫びし、そして今後重版する時に改善するために、学習者のみなさんのご意見ご提言をお待ちしています。

 巻末の索引は可能な限り学習者の便利になるよう努力し、一つの文字を三つに分けました。つまり叱責と推奨と一般のタンマ、場所あるいは他の名前とタンマあるいは学問的名前です。学習者あるいはこの索引を使う方は、この順に並べた教えで考えれば最高の利益があります。

 最後に、編集にご協力いただいた法施友の会会員の、この非常に困難な仕事から生じた善を、仏歴2499年(西暦1956年)のマーカ祭の日に、ブッダの弟子である阿羅漢とサンガを敬う日の供物として捧げます。

 同時に財宝を求めるすべての方が、引き続きブッダが語られた方法で、特にこのブッダの時代の半分(2500年)と仮定した時代に、自分の能力の限り財宝を探索なさるよう希望します。

 O.P

法施会教書局

1956年マーカブーチャー






訳者ひとこと

 二十年くらい前に、書店で三蔵の和訳を読みたいと思って探したことがありました。しかし当時は、ブッダの口調が「○○よ。××せよ」と言うように、居丈高で威圧的なのが気になるもの、漢語を日本語の文法に従って並べ替えただけのようなもの、そして意味不明な文章も多く、心に響く言葉がなかったと記憶しています。結局、満足して読んでみたくなる訳に出合えませんでした。

 その後タンマを知ったとたんに心が非常に静まり、言葉使いがそれまでより丁寧になりました。それまで日常的に敬語を使う習慣はありませんでしたが、自然に敬語を使うようになりました。心が静まれば静まるほど、言葉使いは丁寧になると観察します。

 だからでしょうか。映画の西遊記の三蔵法師役を、女優が演じることも珍しくありません。それなのに完璧に心が静まった人ブッダが、皇帝か覇者のように居丈高で傲慢な言葉使いをするとはありえないと確信しました。

 原文では、多分インドの習慣で相手の名前を呼び捨てにしていると理解しますが、日本の習慣に合わせて「さんづけ」にしました。ブッダが現代日本語を話されれば、当然相手に敬称をつけて呼ばれると思うからです。慣れないうちは軟弱で締りがなく感じられるかもしれませんが、慣れれば障りにならないと思います。

 文章の意味、内容の意味に関しては、ターン・プッタタートの訳は、既存の邦訳と比べて、読者として非常に納得できるものでした。意味不明な部分はほとんど皆無でした。日本語の訳に苦労する語彙は時々ありましたが、「当たらずとも遠からず」であるよう願っています。

 一人の普通の青年僧プラグアムを巨人プッタタートに変えたのは、他の何物でもなく、それまでのサンガの解釈とひと味もふた味も違う、ブッダが言わんとした本当の意味を掌握できるブッダヴァチャナの解釈です。

 ブッダヴァチャナの解釈が違えば、理解も実践も別のものになり、当然結果も別のものになります。既存の知識に執着せずに、これらのブッダヴァチャナをお読みいただければ、本当のブッダの心に触れていただけると確信します。

日本語訳者・タンマダー


 


法話目次へ ホームページへ 次へ