第四章 大衆のための大乗

ナーガセーナとメナンドロス王





 仏暦(ブッダ入滅を紀元とする暦)三六三年から三八三年頃(BC180-160)、メナンドロスというギリシャ人の王が現在のトルコにサーガラという都を造った。偉大な権力のある王で、インドのラーチャガハやバータリプッタまでその勢力を広げた。王はインドの宗教に興味を示し、様々な宗教の疑問点を質した時、ナーガセーナという阿羅漢がメナンドロス王の疑義を論破し、王は仏教に帰依した。

 たくさんの神々を信仰していたギリシャ人が、仏教が盛んだったインド北部に勢力を広げると、自分たちの神々の像を崇拝したように、信仰の対象として仏像を造った。それ以前の仏教は「崇拝する像を祭らない。ブッダの代わりにプラタムを崇拝せよ」という教えで、仏像を造らなかった。ブッダの歴史を記念する物と言えば、台座や足跡をブッダと見なし、初転法輪(初めての説法)を車輪で表わす程度だった。

 ギリシャの血統の仏教教団員が仏像を建立すると、人々に受け入れられて仏像の建立が広まった。ガンダーラ地方で作られた初期の仏像には、毛髪の筋がくっきりと刻まれ、僧衣が襞になっていて、容貌はギリシャの神々に似ている。


大衆のための大乗仏教

 誰でもブッダに倣って阿羅漢果を得るよう精進する声聞派(テーラワーダ)は、解脱を目指す(目の中の)埃が少ない人のための仏教であり、人々の心のレベルは様々なので、すぐに聖果を得ることができない人々もいる。そこで広く一般大衆のために大乗仏教の考えが生まれた。

 インド北部では、ギリシャの神々のように多数の神やバラモン思想の神々を信仰していたので、インド北部での仏教の布教は障害が多く、スリランカのように容易でなかった。北部の仏教は人々の心を掴むため、民衆の心を惹くような仏教儀式を行って、土地と時代に合わせる様々な工夫をした。仏像を造って跪拝したり、仏像を潅水させてその水を聖水としたり、仏像を載せた山車行列などはその一例である。


菩薩の理想はブッダに代わること

 大乗仏教の理想は「人はブッダのように、人々の偉大な役に立ちたいと誓願するべきだ。世界の多くの動物を涅槃に到達させ、あるいはできるだけ多くの動物の毛をむしり取って涅槃の岸に渡らせる努力をするという教義である。

 ブッダは涅槃に入られてしまっても、自分はどんなに大変でも、菩薩としてブッダの代わりに仏教を維持し、布教し、仏教徒の拠り所となる菩薩がいるので、大乗はもう一つ「菩薩乗」という呼び名がある。大乗仏教を信仰する国の王は、自らを法王と名乗り、仏教を維持する菩薩の役割をする。ギリシャやバラモンの神々と競い合うために、大乗仏教教団は三種類の仏像を造った。

 つまり「タンマガーイ=法身仏」はプラタムで、人間のように生まれて死んだブッダは「サンボーグガーイ=報身仏」、煩悩のないことを表す「ニロマーナガーイ=応身仏」である。大乗仏教の寺には、このように寺の本仏を祭ってあるのがよく見られる。大乗仏教教団は信仰の対象として他にもいろんな菩薩像や女神の像を作って、神聖な神のように祭った。ゴータマ・シャカムニの宗教を維持するアワロギテースワン(観音菩薩)は、非常に繁栄した。

 大乗仏教は心の拠り所を求める人々の本能と一致したので、急速に広まった。個人的な拠り所ばかりでなく、国を治め、管理するために声聞派より利益があったので、仏教の普及しているすべての地に大乗の考えも広まった。仏像の崇拝、仏像の潅水、仏像を乗せた山車行列、各種儀式での読経、いろいろなところに「法」という言葉を使うこと(例えば法王、法皇)、誓願を立てることなどはすべて大乗の儀式である。

 大乗仏教教団は声聞派(テーラワーダ。長老の教えである宗派)は狭い世界にしか利益がないと見なし、テーラワーダを利益の少ない低級な乗物という意味で「小乗」と呼ぶようになった。


大乗仏教に関する誤解

 スリランカやビルマ、タイのような声聞派を信仰する国々の仏教教団員は、大乗と言うからには「タンマ」と「律」を勝手に変えてしまった不純な偽の教義と誤解しがちだが、大乗仏教にも知識があり、正しい実践をし、聖向聖果に到達して聖人になり、仏教の継承に尽力している人が多数存在し、仏教の布教、タンマの実践の振興という点で、広く世界に向けて活動している。

 チベット、中国、日本などの禅定やサマーディの実践施設では、戒、精進料理など正しい実践をし、本当の涅槃に到達するために正しく純粋なサマーディに励んでいる。

 純潔な仏教であれば何宗であろうと、当然同じように目的である涅槃、欲の消滅、滅苦がある。聖人の少ない時代には凡夫が聖人に代わって宗教の仕事をするので、何教でも何宗でも、衰退するのは当然である。凡夫は宗教を自分の職業と捉えるだけなので、声聞派にも大乗と同様に、偽の出家、偽の経、偽の規律が多数混入している。




ホームページへ 次へ