第二章 第二結集





律の改悪を防止するため

 ブッダ入滅後の百年間、僧のほとんどは真実の僧である聖人であり、尊敬して「タンマ」と「律」を実践することで、力を合わせて仏教を維持継承し、繁栄させた。百年を過ぎた頃、ヴェーサリーという街のワッチープッタと呼ぶ僧のグループは、誘い合って「律」の十項目の実践を避けた。

 十項目とは「僧が金銀を貰っても破戒ではない。僧が酒を飲んでも破戒ではない。僧が正午すぎに少し食事をしても破戒ではない」という類のもので、我がままで律より自分の快適さばかり考える比丘たちは、それを正しいと見て賛同し、その数はどんどん増えていった。

 ヤサテーラという阿羅漢が、ヴェーサリーに勝手に律を改革している僧たちがいるという話を聞いて、ヴェーサリーへ行ってマハーワンヴィハン(精舎)に泊まって事態を収拾する機会を探した。

 ワッチープッタの仲間の比丘たちは、菩薩堂の真ん中に盆を置いて村人に現金を布施させていたので、ヤサテーラは村人たちに「仏教徒は僧に現金を布施するべきではない。僧の破戒を助長させる行為である」と禁じた。村人たちは習慣になっているので、いつものように現金を寄進した。

 翌日、恥知らずな比丘たちは、布施された現金を全員で分けた。ヤサテーラは自分の分け前を受け取らず「現金を布施させるべきではない。破戒行為である」と非難した。ワッチープッタの仲間たちは、自分たちの方が多数派なので、比丘一人を見張りにつけて、ヤサテーラを清信士たちの所に詫びに行かせた。

 ヤサテーラは清信士の前に行くと「出家者である比丘は戒律に厳しくなければならない。仏教の本当の比丘は金銭を受け取ることを潔しとしない」と言った。人々はブッダの言葉に従って必需品を現物で布施する正しい仏教の支援者になるために、ヤサテーラをヴェーサリーに招いた。それを知った破廉恥な比丘たちは激怒し、ヤサテーラの僧房を襲って危害を加えようとしたので、ヤサテーラはゴーサンピーの街に逃れた。

 ヤサテーラはこの出来事を多くの比丘に知らせ、阿羅漢が大切にしている戒律にとって重大な危機であると報じた。戒律を厳守する比丘の数は多く(伝えるところによると百十九万人いたという)、この事態を打開するためにサハチャートの都にあるサハチャート苑に結集し、アーナンダの弟子であり、タンマと律に詳しいレーワッタテーラが、ヴェーサリーで起きたことだからヴェーサリーに集結するのがいいだろうと提案したので、比丘たちは揃ってヴェーサリーへ移動した。

 戒律を厳守する比丘百十九万人と破廉恥な比丘一万人が見守る中、レーワッタテーラは八人の阿羅漢をそれぞれ四人ずつタンマ派と非タンマ派の役を割り振って回答をさせた。

 アーナンダの弟子であり、出家して百二十年という老僧で、ブッダに拝謁したこともあるサッパーカミテーラは、「タンマ」とブッダの言葉を主張して、律の十項目を改革することは誤りであると主張した。

 比丘の統率者であるレーワッタテーラは、「タンマ」「律」を厳しく守っている阿羅漢七百人を選んで二度目の結集(三蔵の確認集会)を行い、「律」を手始めに「タンマ」「論」の再確認の作業を進め、七百人全員が正しいと認めたことを全員で唱和し、しっかりと記憶するまで唱え、タンマの一言一句も漏らさずに継承し、すべてを漏らさず実践した。

 ワッチープッタの仲間の比丘たちは、自分たちが正しいと信して、自分たちが改悪した律を取り下げようとせず、自分たちの好きなように実践したので、ここで「律」を守ることに関して二つの宗派が生じた。レーワッタテーラが結集し再確認した「律」を大切に守る比丘たちは自らテーラワーダ(長老主義)と名乗り、「律」を変革したグループをアーチャリヤワーダ(師匠主義)と呼んだ。




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