第三部 序章





 僧とはブッダの様式で実践し、聖諦が明らかに見え、聖向聖果に到達して聖人になり、能力に応じて大なり小なり、あるいは完全に苦に勝利した人である。

 ブッダの時代とその後の時代は、聖向聖果に到達して初等の聖人と阿羅漢になった比丘・比丘尼・清信士・清信女が数多くいた。ヤサは初めてタンマを聞いて預流になり、父親がタンマを聞いている時に傍で聞いて阿羅漢果に到達した。ヤサの母親と妻は初めてタンマを聞いて預流果に到達し、ピンピサラ王は初めてタンマを聞いて預流果に到達した。

 サーリープッタが異教の修行者であった時、「すべてのタンマは当然原因から生じ、原因が消滅すればすべてのタンマは消える」とアッサジから聞いて理解し、預流果に到達した。ストーダナ王は、托鉢に関して反論したブッダのタンマを聞いて預流果に到達し、崩御の前に阿羅漢果を得て般涅槃した。

 ピンパー妃は初めてタンマを聞いただけで預流果に到達したので、その後は凡夫の悲しみは無くなった。アーナンダは、出家するとブッダに一番近い比丘で、ブッダのタンマを聞いて良く記憶したが、まだ阿羅漢果に到達できず、ブッダが般涅槃した時は涙を流し、その後すぐに阿羅漢果に到達した。

 以上の例から、仏教の本当の僧になれるのは心の面の向上によってであり、聖向聖果への到達はその人だけが知ることができ、他人はハッキリと知ることはできないと見ることができる。ブッダ在世時、人は涅槃のために出家したので、阿羅漢果に到達する人が多数いて、仏教が繁栄して広まると、仏教の比丘を尊敬して供物を捧げる人が増えたので、生きるために出家する人、宗教の供物を期待して出家する人が増えた。

 それらの世を欺く比丘たちは、本当にない聖向聖果を自慢したので、ブッダは「自分に本当にない聖向聖果を自慢する比丘は仏教の比丘ではない」という規定をした。一方聖人である比丘、あるいは清信士・清信女には「自慢」という煩悩がないので、正しい実践の世界で「あの人は聖人だ。あの人は聖人ではない」と述べ合うことはない。

 ブッダ入滅後は、アショーカ王の時代のモッガリープッタティサマハーテーラ、マヒンダテーラ、サンガミッタテーラなど、偉大な利益を成した阿羅漢については多少語られることがある。プラタムはアガリコ(時を選ばない)なので、正しく実践する人がいて、正しい実践があれば当然聖向聖果への到達がある。

 しかしあの人この人が、あのような、このような聖向聖果に到達したと述べることはあるべきでない。そのように述べることはほとんどすべて誤りであり、タンマの実践に衰退をもたらすからである。

 同じようにある教典や本に「何千年後には阿羅漢はいない。比丘尼はいない」とあるのは間違った記述であり、誤解によって仏教の灯火を吹き消そうと努力する人の言葉である。

 タンマの実践が衰退すれば仏教の聖人も減少する。ほとんどの比丘はブッダや聖人のように涅槃のために出家せず、伝統のため、教育のため、職業のために出家しする。私たちは今日の比丘僧を「仮定の僧」、つまり聖人僧の代わりと仮定して呼ぶ。仮の僧と呼ぶ人の中にも、本当は聖人も含まれている。多いか少ないかは、タンマの実践が多いか少ないか、時代による。

 仏教はブッダの時代に、ブッダと当時の聖人たちが、自分を世界にとって幸福な人の見本にするタンマの実践によって発展繁栄した。世界の歴史によると、アショーカ大王の時代に仏教は努力によって非常に繁栄し、清信士アショーカと仏教の布教の義務を行う阿羅漢方の努力と、世界に対して自分を幸福な人の手本にする実践によって、仏教はスリランカ、中国、ビルマ、タイ、カンボジア、ベトナム、日本、ジャワ、スマトラ、チベット、シベリア等々まで普及した。

 そしてそれらの国々での繁栄は、タンマの実践をして、述べたような聖向聖果に到達し、タンマの実践を公開する努力をする人がいて、理解して次々に実践を受け継ぐ人がいることにより、仏教の灯火を世界の灯火として永遠に繁栄させる。現在、関心のある学生の集団に広まっているのは、その学生がプラタムの味を味わい、タンマの実践の結果を受け取り、苦がある心の、苦を次第に減少させることによってである。

 本当に仏教を理解し、ブッダが教えたようにプラタムで実践する人は誰でも、どの民族で、どの宗教を信奉していても、その人に明るい心があり、正しい実践をしている人なら、その人は仏教徒=ブッダに倣って目覚めた人と呼ばれ、ブッダの弟子である僧でなら、仏教の比丘、比丘尼と呼ばれ、在家なら清信士、清信女と呼ばれる。

 一方名前だけ仏教を信じ、行動面はブッダの教えの言葉と正反対で、まだ動物と人間を苦しめ、他人の財産を侵害している人は、自分は仏教徒と表明しても、仏教徒と呼ばれることはない。

 仏教史の中で、聖人が多い時代は仏教の要旨であるタンマの実践が盛んで、聖人が少ない時代は凡夫(聖人でない人)が仏教の名前で仕事をするので、仏教は曇り、偽の出家、偽の教典、偽りの教えが入り込み、聖人がいる時代には偽の出家、偽の教典、偽りの教えを追放し、本当の仏教の繁栄を取り戻す。仏教が今日まで純潔な繁栄を維持しているのは、聖人の方々がタンマの実践をして自分を正しい実践をする人の手本にすることで、仏教の良い継承者の義務を行っているからである。





第一章 初めての結集



ブッダ入滅の四か月後、タンマの編纂をする

 ブッダの遺骸がまだ荼毘に伏されないうちに、僧の一団がパーヴァーからやって来て、ブッダが般涅槃したという知らせを聞いて惜しんで悲しんだ。年老いて出家したスパッダという比丘は「みなさん、悲しまなくてもいい。世尊が般涅槃されたので、私らは苦から開放された。世尊がおいでの時は、あれも駄目、これも良くないと禁止されるばかりだったが、これからは何でも自由にできる。誰も禁止する人はいない」と発言した。

 ブッダの遺骸を荼毘に伏して七日後、厳格にタンマと律を実践する阿羅漢であるマハーカッサバが集会を開いてこのことに言及し、「私が滅した後は、タンマと律がみなさんの教祖です」と言い遺されたブッダの言葉にしたがって、実践規範にするべきタンマと律をまとめるために結集するよう提案した。

 僧議会は、結集する阿羅漢の選出をマハーカッサバに一任し、マハーカッサバは五百人の阿羅漢を選んだ。しかし一つだけ気掛かりがあった。それは、誰よりもブッダの近くにいて、誰よりもブッダの教えの言葉を記憶しているアーナンダが、まだ阿羅漢になっていないことだった。僧議会はアーナンダにも結集に参加するよう招請した。

 招請を受けたアーナンダは精進努力し、結集日の前に阿羅漢果を得ることができたので、結集に参加した比丘は、全員阿羅漢ということである。ブッダが般涅槃して四ヵ月後、選ばれた五百人の阿羅漢たちはラーチャガハのヴェパーラ山にあるサッタバルナという洞窟に結集し、アジャータサトル王は結集が終了するまでの七ヵ月間、結集(ダンマと律の確認作業)を支援した。

 僧議会は、比丘が実践すべき規則である「律」は宗教の基礎であり命であると見て、「律」を先に纏めてくれるよう要請した。マハーカッサバ長老が質問し、ウバーリ(ブッダの十弟子の一人で最も厳しく戒律を守った)が回答者、解説者になり、終わると五百人の阿羅漢全員が「そうだ、その通りだ」と認めたことを全員で唱和し、後の基礎にするために正確に記憶した。

 その後「ダンマ」の纏めに入り、この結集でプラタムはスッタ(経)であるブッダが語られた話と、スッタから選んだすべてのタンマの題目である「アピダンマ」に分けられた。「ダンマ」と「アピダンマ」の回答者はアーナンダで、終わると五百人の羅漢全員で唱和し、基礎にするために正確に記憶し、一語の誤りもなく記憶することができた。

 阿羅漢の心は凡夫より非常に明るく澄んでいるので、教えを継承して純潔を維持するために「タンマ」「律」をすべて記憶し、そして実践することができた。だからこそ今日まで絶えることなく、実践原則である三蔵、つまり正しい「律」「経」「論」が実践原則として永遠に受け継がれている。

 この第一のタンマと律の確認集会では、文字として記録、あるいは刻字されていない。仏教を継承する義務のある僧は、正しい方法で、つまりすべてを記憶して唱え、すべてを実践することで「タンマ」と「律」を維持した。本当のプラタムは記録された三蔵でも、印刷された三蔵でも、石に刻まれた三蔵でもない。本当のプラタムは、敬意と自分自身への誠実さでタンマを実践し、仏教の聖向聖果に到達することである。




ホームページへ 次へ