第四章 滅苦の道に関する真実

 

 病気を知ること、病気が生じる原因を知ること、病気の原因を絶てば病気が治ると知ることは、心の中に生じる知識でしかないので、まだ結果をもたらすことはできず、治療を続けて病気を完治させればその後苦しまなくても良いので、その時初めて人間の望みどおりの結果を受け取ったと見なします。

 ブッダは苦についての真実、苦の原因についての真実、滅苦の方法についての真実である「心を焼き炙って焦燥させる欲望が消滅すれば、苦から脱すことができる」という真実を大悟しましたが、この三つの真実は、すべて理論でしかありません。

 しかしブッダが発見し、ブッダが実践して焼き炙る火のない人になり、幸福を求める人々に教え、後に続いて実践する人々も苦を脱すことができる「道諦」と呼ぶ滅苦への道あるいは滅苦の方法は、すべての真実の中の最高の真実であり、ブッダをブッダにしたものであり、真実探究の極致で、この道諦がなければ前の三つの真実に関心を持つ人はいません。

 毎日何百万人もの人々が口々にブッダの名を唱え、ブッダに帰依しますと言って額づいているのは、ブッダは八正道と呼ばれる滅苦への道を示した人であり、それを実践して滅苦に成功した最初の人として心に銘じ尊敬すべき人だからです。ブッダとは、道を照らす灯火を掲げ、苦に耐える人の心を明るく憂鬱にするものの何もない所へ導く人のようです。

 普通の人は誰でも慢性の心の病気があり、その病気は喜び歓喜、そして自分の望むようにならないものに満足しないことです。その病気は常に心を煩わし、いろんな成り行きになる症状が現れます。ブッダはこの病気の治療法を発見し、自分自身の心の病気を治療し、常に心静かな幸福な人になりました。そこで病気の治療法を提唱する医師のように、心の病気の治療法を提唱したので、自分の望みに素直に実践する人は、望みどおりの幸福になれます。

 様々な宗教研究に関心がある哲学者であり、仏教徒であることを表明したイギリス人のリズ・デーヴィス教授は、表明した時、同国人から激しく非難され、その時教授は「私が仏教徒であるか否かは、大きな問題ではありません。大切なことは、世界中の宗教とその教えを研究した結果、ブッダが公開した八項目の道以上に重要なものはなかったので、私はこの道の方法で生きることに満足していることです」と答えました。

 略して「道」と呼ぶ、人間を滅苦に導くこの方法は、誰にも頼らず自由に歩いて行くことができる道で、その道を善く歩く人は誰でも、確かな結果を得ることができ、自分以外の何かに懇願したり祈願したりする必要はありません。道は病気について詳細に述べた医学書のような理論でなく、一つ一つ実践しなければならない病気の治療法ですが、一般に、道はどのようかを学んで道について話すだけで満足してしまいます。それが、仏教が人間に実践不可能な学問だけに見えてしまう原因です。

 滅苦の実践をして完璧な幸福になることに関して、人間は何と弱く堕落しているでしょうか。人間の堕落がどれほど多くのことを破滅させたでしょうか。自分の体は、欲望と怒りと惑溺の威力で仕事をしたり愉しさを求め、必死に働かされています。自分が原因で自分を焼き炙る苦と他人が原因で自分を焼き炙る苦と、どちらが多いでしょうか。家のことから国のことまで、水害や地震などの自然災害よりもはるかに多く、人間の悪によって破滅させられています。

 ケチケチしないで金はどんどん使え。仕事なんか怠けてしまえ。他人から借りられるだけ借りまくれ。酒も飲め。こういう生活の結果はどうなるか、見慣れている見本があります。生活に必要なものしか買わず勤勉に働き、酒も飲まず借金もしない。そういう生活は楽しくはありませんが、後になって困窮し苦しむことはありません。

 なぜ幸福より多くの苦を受け取らねばならない人間がいるのでしょうか。それは、自分でも良く知っていながら自分自身を追い込んでしまう心の弱さ、いい加減さのせいではないでしょうか。

 幸福への道はいつも開かれて志望者を待っています。いつの時代にも幸福な人と不幸な人の典型的な見本があるのに、未だに人間が不幸なのは、自分を滅苦の道に導かない心の弱さ、堕落のせいです。

 最悪なのは、自分が苦の道である悪の道に入るのを放置していること。そして絶対的な威力がある神聖なものが時に応じて人間に苦を与えると、誤った理解をすることです。

 何よりも堕落したもの、善を世界から消滅させたものは、仏教徒を自認する人(プッタマーマカ)と、仏教を分かるように教えられる人、そして聖向聖果と呼ばれるものがなくなってしまったことです。現代では、人は聖向聖果に到達できません。ブッダが幸福を求める人のために公開したプラタム、心を焼き焦がす苦の火を消すことができるプラタムは、今では不毛になってしまいました。

 仏教で苦を滅すことができず、欲と怒りと愚かさの火を弱めることができないなら、仏教は人類にとって何の利益があるでしょうか。ブッダの時代には大勢の人を苦から解脱させ、その後も明々と燃え続けて来た仏教の灯火が、今ほとんど消えそうなくらい小さくなってしまったのは、後に続いて歩く人がいないからです。

 この世に生きていれば、人間は常に善や悪、幸福と不幸に出遭わなければなりません。だから常に幸福と発展を受け取る生き方をするためには、生活規範がなければなりません。生活規範にしたがって行動する人は結果、つまり実践するレベルによって多いか少いかの幸福が得られ、すべての項目を完璧に実践する人は、当然まったく苦がない完璧な幸福である結果が得られます。

 二千年以上前、インドのバラナシー郡イシパタナマルカターヤワンという村で、かつてはすべての人間と同様に苦に遭遇した人間であったブッダは、すべての人が生活規範にすべき滅苦の道について説き始めました。挫けず一所懸命この道に沿って生きる人は、一人残らず完全に苦から脱すことができます。

 滅苦の道、あるいは人間のための生活規範を八正道(八聖道)と言います。

1.正しい見解

  人道と一致する見解があり、善と真実と公正を愛し、聖諦を正しく理解する。

2.正しい考え

  誤った願いを正しい願いに変える。つまり望みを愛欲や低級な自然の欲望から離し、自然で静かな生活をし、望みが少なく、恨まず、他人を苦しめない。

3.正しい言葉

  本当のこと、利益になることだけを、友好的にきれいな言葉で話す。

4.正しい業

  苦しめず、殺さず、他人の物を盗まず、賭け事をせず、淫らな交際をせず、酔わせ習慣になるものを飲まない。自分の仕事と義務に対して勤勉である。

5.正しい生活

  他人も自分も苦しめない生活。身体を維持するのに必要なだけの簡素な生活。

6.正しい努力

  悪が生じないよう注意し、すでに生じている悪を捨てる努力をする。知識と善が増えるよう努力し、知識と善を安定して維持し、最高の善、最高の知識になるまでより美しく成長させる努力をする。

7.正しい想起

  立っていても歩いていても、座っていても寝ていても、いつも自分のしていることを自覚し、いろいろな物事の真実が分かるまで熟慮し、常に心が明るく、不注意にならないよう管理し、意思が強くいつでも規則正しく、覚めているよう管理する。

8.正しい専心

  純潔でない心が戻ってきて心を曇らすことがないよう、そして一段上の「正しい見解」に後押しする力と爽快さになるために、いつでも心が静かで明るく澄んで、本来の自然でいられるよう強制する。

 


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