6.正しい努力

 努力とは勤勉なことで、自分の望み通りに成功するまで継続して行動することです。人間は何を望んでいるでしょうか。すべての人は幸福を望み、いつでも幸福でいたいと思います。それならまだその望みを捨てられない人は挫けることなく、望み通りの幸福を探す努力をしなければなりません。

 もし海で遭難して無人島にたどり着いたら、あなたは寝て助け船を待ちますか。それとも自分で何とかしようと試みますか。ロビンソンクルーソーという物語は、大洋の中の小島に漂着した主人公が、二十八年を過ごす間に家を建て、食糧である野菜や果物を収穫して蓄え、生活に必要な道具を作り、果物や野菜を栽培をして、荒れた島を自分の望み通りの楽園に変えることができ、安楽に暮らし、そればかりか、後から島に流れ着いた人を助けることもできた話です。この話にどこまで事実があっても、世俗的な努力という点で良い手本になります。

 ほとんどの人間は働かないでいられれば幸福と勘違いをしているので、自分が生活できるだけの物があると何かする努力をしないで自分自身を堕落させ、意思が弱く怠惰になり、それが習性になってしまうと、戦時下にちょっと欠乏した生活を強いられると自分はまったく幸福でないと感じてしまいます。このタイプの人間がロビンソンクルーソーのような無人島に流されたら、海に身を投げて自殺するか、あるいは海岸で飢死するに違いありません。

 一般の人はいつでも貧困に遭遇しなければならず、使うお金に困ります。彼の人間同胞はどうしたら貧困に勝つことができるでしょうか。倹約して必要なだけ使い、真面目に働いてお金や財産を蓄え、持っている財産を盗まれたり騙し取られたり紛失しないように安全に保管すれば、望みどおりお金持ちになります。貧しい人が弱さや怠惰や堕落した考えと、自分がしている仕事だけで精一杯で、これ以上何もできないという誤解を捨てれば、強い意思で勤勉に働いて真面目になり、疑うまでもなくお金持ちになれます。

 人間の苦や困難や苛立ちは心にだけ生じるので、幸福と苦に関して最も重要な部分は心です。ほとんどの人は心を変えるのは難しい、あるいはほとんど変えることはできないと考えています。これは「人はいつでも苦を受け取って耐えなければならない。いつも貧しいのは仕方ない。金持ちになり幸福になる機会などない」という誤解と同じです。

 何年でもない僅かな時間に、最も低い階層から最高の身分の人間に身を立て、裸で生まれた子供がタイの最高権力者、宰相になった人の見本を見てください。マカトーは象小屋の(高床式家屋の)床下のお金を貯めて菜種を買って蒔いたことから身を立て、モン国の王になりました。今日の各国のリーダーたちも勤勉さと真面目さで身を立て、朝起きてから夜寝るまで休むことなく、国のために働くことだけを考えています。

 真面目に努力する人の一日分の仕事の結果は、怠け者の仕事の百倍にも匹敵し、働き者が一年間にする仕事の結果は怠け者の百年、あるいは千年分以上になります。

 悪と苦にまみれた心を入れ替えて、善と幸福で満たす自己訓練も同じで、勤勉な努力家は、たった七日間で自分の心を有益な善い心に変えることができます。善い心の人は、心が怒りや欲、恐怖などに苦しめられることはありません。

 ブッダは、幸福を求める人々が後について実践すれば、誰でもブッダのように幸福に満ちた心になれる方法であり、ブッダの教えであるプラタムを公開しました。幸福を望む人は自分自身で、自分を援け、自分を頼りに、その方法を実践しなければなりません。この問題は誰も代わりにやってくれる人はいません。天人も神も神様もどのブッダも、あなたの心の訓練を助けることはできません。

 貧困と苦の岸から豊かで幸福な岸へ渡るには、あるいは悪の心を善い心に訓練するには、そう望む人が自分で可能な限り努力しなければなりません。心はその人だけの内面のものだからです。命の川を渡ろうと望む人は、軽くて水に浮く丸太や木の枝を、自分の体重を支えるに十分なだけ集めなければならず、そして丈夫な縄を探して集めた木を注意深く筏に組んで、丈夫な筏ができたら自分の手足で棹を操って向こう岸へ渡ることができます。

心の鍛練は体の鍛練と同じように上手にすることができます。フットボールやテニスを習えばフットボールやテニスができるようになり、外国語を習えば外国語を話したり書いたりできるようになるので、勉強やスポーツを練習と同じように、心の訓練をしてみてください。やればどれだけの練習でも良い結果を受け取ることができます。

貪り・何かを欲しがること

 非常に気に入った何かを欲しがる気持ちが生じると、それが望みどおり手に入るかどうか確実でないので、いつもそのことばかり考えて夜も眠れず、渇望しずぎるので喉が乾きます。この種の苦は、いつも甘やかされ泣いて玩具をねだる子供のように、あなたの心が間違ったしつけをされているから生じると知るべきです。物があなたの心を引きつけるから、あるいは持ち主があなたに譲ろうとしないから生じるのではなく、あなた自身が熱くなって燻っているからです。もしあなたがいつも誰かから甘やかされ、思い通りにならない経験をあまりしていないなら、それまで集めておいた心の燃料にすぐに火が点いてイライラと心を焦がし、様々な症状があります。あなたはその苦にどうやって勝利できるでしょうか。

 試しに次の方法でしてみてください。先ず欲しがっているもののことを考えないこと。望みを忘れる努力をし、それを欲しいと思わなかった頃の自分の心の状態を考えてみます。その時の心には焦燥もなく、今より平和で幸せでした。あなたが今欲しがっている物は、当時のあなたの生活にはまったく必要でないものに見えます。

 同じように自分自身に頼ることの必要性を見ます。あなたは頼れる人、援助してくれる人、熟睡させてくれる物、つまり精神安定剤や占い師や慰めの言葉などを探すことができますが、それは一時的なものでしかありません。あなたが強い人なら、今述べた方法は、最初にほんの少し助けになるだけで、冷静な心が最も頼りになると感じます。仏教では正しい想起と正しい専心(正しいサティと正しいサマーディ)が苦のある心を幸福な心に変えると教えています。そして正しく訓練された心は、このような苦に煩わされません。

 

 愛するものを失い悔やむ

 愛しているものを失わなければならなかったり、顔が青ざめるほどたくさんの財産を失わなければならないと喉の渇きを覚え、食べ物も喉を通らず、眠れなくなり、人生は干乾びて生きる価値もないと感じます。このような状況はあなたの心の中に自然に生じ、失った愛している物や、財産が原因ではありません。愛しているものを失った苦に勝つ解決法を、どのように探せるでしょうか。

 試しに次の方法で努力してみてください。失ったこと忘れ、失った物のことを考えない努力をし、そしてまだそれを所有していなかった頃のことだけを考えます。その頃は今失ったものがなくても欠乏感もなく幸福に暮らしていました。その後あなたは愛しているもの、あるいは財産を手にし、一緒にいて、占有して生活に深く関わると愛と執着が生じ、そして今自然の成り行きで、失うか別れるかしなければならない時になりました。愛するものを得た時は喜びと幸福に満ちていましたが、離れた今、心はすぐに所有していなかった頃の状態に戻ることができないので、欠乏、消失を苦と感じます。

 あなたは不確実なこの世界に生きていて、いつでも誰かの思いのままになるものなど何もないのに、どうして常にあなたの思い通りになるものがあるでしょうか。この世界で生きるなら、出来るかぎり自分を爽快に幸福にするしかありません。何を失っても、仏教の心の訓練はこのような問題から非常にあなたを援けることができます。

 ケチで心配性の人は布施をすることで心の訓練をするべきです。そして「布施(寄付や援助)は精神的なもの以外に何も見返りを求めないで愛しているものを犠牲にすること」と考えます。後で受け取る外部のものである見返りを期待してする布施は、仏教の目的と違う布施と見なします。布施に慣れていれば、世界によくある出来事で財産を失ってしまった時も、いつも布施をしていた時のように心で割り切ることができ、苦はありません。正しい布施をしている人は、その度に心を訓練しているのと同じで、愛しているものや財産を失っても、布施をしたことのがない人ほど残念に感じません。あるいは全然惜しくないかも知れません。

 菩薩日に八戒を守ることはとても良い心の訓練になります。次に挙げる戒を熟慮してみてください。

 菩薩日(太陰暦の八日、十五日、二十三日、三十日)に愛欲を避けることは、愛欲を避ける訓練になります。愛欲を避けるべき日に我慢できない人は心が低劣な人で、そのような人の体と心は急速に衰退します。一日一食しか食事をしないことは、味の奴隷にならない心の訓練になります。長時間何も食べないので何を食べても美味しく感じ、何を食べても美味しい状態ではご飯だけでも食べられるし、美味しく感じます。口や舌や胃はあまり味付けを要求しません。美味しく珍しい味付けは、満足することを知らないように教育された心の要求です。どんなに特別の御馳走も、お腹が一杯だったら美味しくありません。質素な食事を一日に一、二食だけ摂ることは、心の訓練に非常に効果があり、まったく身体に害はありません。

 娯楽を楽しむことや踊りを踊ること、歌を歌うことを避けるのは、心を静かにし、真ん中の感覚、生活の丁度良いという感覚(楽しくも苦しくもない状態)を知る訓練に必要です。私たちの人生には楽しい面も、普通で丁度よいのも、苦愁もあるので、人はいろんな状況に慣れて、どんな時にも衝撃を受けないようにしておかなければなりません。装身具を避け、心を誘惑する香りを使わず、(床からの高さが)高いベッドや厚い布団や快適な場所で寝ないことは、同じように真ん中の状態、適度な状態に慣れる心の訓練です。

 心の訓練をする度に心は我慢強くなり備えができるので、苦や困難が訪れても、心が負けて苦が生じることはありません。心を訓練する目的で菩薩日に八戒を守り、仕事や家庭や妻子、財産などへの懸念を断ち切れる人は、たとえ残念な事態になって、愛しているものを失っても、心の訓練をしたことがない人ほど苦ではなく、精一杯真ん中の状態を維持することができます。

 

怒りと恨み

 怒りが生じ、あなたが誰かに対して怒れば、とたんに心が熱くなり、内側から火が点いて燃え上がって心を焼き炙り、夜も眠れなくなります。仕返しや復讐を考え、関係のあるものなら何でも罰し、攻撃し、自分まで攻撃します。あなたはどうしたら怒りに勝ち、復讐心を鎮めることができるでしょうか。

 次の方法を試しにやってみてください。初めにその怒りを忘れる努力をし、そしてこの世界を住みやすくする友情と慈愛と助け合いについて考えます。怒っても怒り返さない人に喧嘩を売る人はいないので、怒り返さなければ早晩仲違いは解消します。

 もしあなたが自分自身や、自分の仕事や、自分のしたことに腹を立てたら、なぜ自分自身に腹が立つのか、なぜ怒りの炎が自分自身を焦がすのか、急いで怒りの原因を探してください。命も心もない物に腹を立てるのは、人生で最高に滑稽なことの一つで、間違をすることもあり、自分がした仕事に腹を立てるのは非常に明らかに見える愚かさです。すべては道理で変化しているので、自分が間違ったことをすれば、結果も間違った結果になり、苦になります。

人や物を使う時、道理に合わない使い方をすれば、その仕事は望みどおりになりません。使用人、特に青少年が原因の失敗は、使う人である雇い主の責任で、正しい使い方をすれば望み通りの結果になります。まだ人に使われている人は、独り立ちできる完璧な心がなく、心や体がまだ十分でないから他人に使われています。だから使用人が失敗したら、理解できるよう使い方を改めなければなりません。車のタイヤがパンクしたら、タイヤに腹を立てても何も良いことはないので、タイヤを怒らないでパンクを直すのと同じです。

 特に腹を立てないように心を訓練するのは難しいと考えがちです。自分の心の言いなりになることに慣れてしまったので、それで腹を立てないなんて無理だと考えますが、本当はいろんなスポーツの練習より簡単です。試合に負けた選手が微笑みながらコートを去るのを見たことがあるでしょう。政治家は激しく討論しても腹を立てず、戦士は笑って戦場へ赴き、国のために命を捧げる人は微笑んでその時を待ちます。科学者は九百九十九回目の実験に失敗しても微笑を浮かべて千回目の実験に挑み、心の優しい人は、子供や使用人が失敗した時も微笑みます。

 腹を立てない練習は、誰でもすれば結果があります。先ず冷静になって微笑んで、それから誰を怒っているのか、どうして怒っているのか、真実を探します。大抵は「今怒っていることは腹を立てるほどのことではない」という真実を発見します。時々ほんの小さな誤解や、命令を理解できない、後で大変なことになるのが分かっていないこともあり、それはどんな出来事でも当たり前です。

 心をコントロールする結果に繋がる体の実践法があります。苦や怒りや欲が生じたら急いで静かな場所へ行き、一人でイスに掛けても床で足を組んでも構いませんが楽な姿勢で座って、何分間も呼吸が自然で楽な状態になるまで整えます。(無理に呼吸を遅くしたり、早くしたりしてはいけません)。この方法ですれば、イライラや心の興奮は非常に静まります。できるだけ明るいこと、清々しいこと、自分より心の強い人の悪への勝利について考えます。

 

心を訓練する

 人は生まれた時、心が清潔で明るく幸福で、欲や怒りや迷いなどは僅かしかありませんが、育つ時に間違った育て方をされ、欲を持つよう、満足しないよう、満足しない時は怒るよう、そして幽霊を恐れることやすべてが自分の望みどおりになるよう望むなど、いろんなことに執着するよう育てられます。

真っ暗(無明)な社会でしつけをされると、この現世の人生で、人間はいつでも明るく幸福に生きなければならないという、人生の明るく澄みきった面の真実を知りません。その人に自然の純潔な心があれば、自然の法則の下にあるいろんな物の真実を理解でき、すべての苦から開放されて自由になります。良くしつけられた心は、水面から突き出た蓮の花に泥がつかないように悪や苦で汚れることなく、永遠に明るく澄んで爽やかです。

 仏教では罪や苦の部分が生じないよう、すでに生じて慣れている罪や苦の部分がすべて消滅するよう、善であり幸福である有益な部分を育て、善を安定して維持し、完全な純潔と善だけになるよう心を訓練する方法があります。この心の訓練は、ブッダが手本にした実践法に則って勤勉に努力しなければなりません。

 その方法には布施、持戒、サマーディ、心を静める訓練、そして真実を明らかに見る智慧を生じさせる心の訓練があり、訓練をする人は、正しく確実な目標を持って、心が本当に自然で純潔になるまで挫けることなく努力しなければなりません。

 布施と持戒がある初歩の心の訓練をしたら、心を鎮め、人生のあらゆる面に関わる真実を明らかに見る智慧が生じさせるために、次の「正しい専心」の項目で述べるようにサマーディ(三昧)の訓練をする機会があるべきです。そうすれば「心が苦から解脱した人。その後生老病死のない人」と呼ばれます。

 


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