5.正しい生活

 生活の楽しさや陶酔は丁度良い感覚を失い、生活のいろんな標準を忘れる原因になります。更に豪華にするためにいろんな物を探して飾り立て、誤った、そして命の危害になる豪華さの競い合いは、人間の心の満足するレベルをどんどん引き上げ、その結果自分で作った苦や混乱を受け取ります。そして反対に、自分の苦や混乱が何から生じたのか知らず、解決方法も知りません。

 ブッダの素晴らしい方法で暮らすには、ブッダは「正しい生活をしなさい。(すべての点、すべての面で)自分も他人も困らせる物であってはいけません」と言っています。

 ブッダを手本に生きる出家である聖人は、自然で簡素な生活をし、体が求める必要最小限の欲しかありません。村人が捨てた布を身にまとって衣にし、食事は托鉢に出てその日に献じられただけを食べ、最もふさわしい座臥所は樹の根元で、薬は腐尿薬です。

 ブッダがまだシッダッタ王子としてカビラヴァスツの都に住んでいた頃は、とても贅沢で有り余る生活をし、周囲は暮らしを豊かにし楽しませる物で満ちていました。しかし王子は熟慮してそれらの陶酔恍惚の害を見て、出家すると、「欲望の少ない簡素な生活は贅沢で有り余る生活よりもずっと心身を幸福にし、利益がある」と庶民に見せるために、手本となるような簡素な生活を始めました。

 そして簡素な生活に徹する僧を褒め、庶民にも簡素な生活をするよう勧めました。後に続いて出家した人々も自から贅沢な生活を捨て、ブッダに倣った簡素な生活をしました。

 ブッダが庶民の家を回って乞食して歩いていると聞いた父王は「食べ物を乞い歩くことは、家の名誉と名を傷つけるので控えてほしい」と言いましたが、ブッダは「托鉢して、貰った食べ物で生きることはすべてのブッダの伝統であり、受け継がれてきた聖なる遺産なので、私もその伝統に従わなければならなりません」と答えました。

 簡素な生活にはあまりお金は掛からないので、出家は庶民に多大な迷惑をかける存在ではありません。一軒の庶民の家で、何人もの僧を養うことができます。簡素な生活をしている在家の家には、人に分けてやれる物がいつでもたくさんあります。自分の要求が非常に少ないので、仕事で不正をしたり、他人を出し抜いたりする必要もなく、辺鄙な土地へ行っても、あるいは戦争が起きて物が欠乏しても苦痛はありません。

 体が要求する物は、空腹を満たすための食事と飲用水、寝る場所はどこでもいいので難しくないからです。世界中の人間の欲が少なく、身体が必要な欲望しかなければ、今世界中で起きているような奪い合いや闘争、苦しめ合いや欲の張り合いは生じません。戦争が起こる前から「戦争が起こるのではないか。もし戦争になったら自分も困難になるだろう」と心配で夜眠れないこともありません。

 平安な世界では手を差し伸べ合うことばかりで、自分は自然に生じる僅かな欲しかないので、世界の成り行きである自然はどんな不幸ももたらすことはないと、誰でも安心できます。

 高い文化があり、発展していると見なされているこの世界のたくさんの国は、庶民の生活が非常に贅沢で豪華になるのを放置し、世界の同胞である国の貧困に見向きもしないで、弱小国を権力で支配して利益を横取りし、自国で使って自国を潤します。欲望が強くなって慣れてしまうと、自分のことしか考えなくなり、「破滅」、つまり心を抑えることなく攻撃し合って破滅します。

 贅沢な生活に慣れてしまった国民が戦争状態に遭遇すると、「地面に寝て草の上で食べる」ことが出来ず、所属集団のために利己主義を捨てることもできません。不遇に陥っているにも関わらず贅沢を捨てることができないので、受け取る結果は誰も想像しないような徹底的な破滅で、外面と贅沢しか見ない文化は、一瞬にして崩壊できます。

 足るを知り、欲望の少ない(知足)国民は、当然他人を支援する情があり、欲が少ないので他人を侵略したがりませんが、非常事態には地面に寝て草の中で食べることも、所属集団のために自分の幸福を犠牲にするともでき、強い意志で見事に障害を克服することができます。この種の国民が社会の平安を支えています。

 修行者や哲学者や聖人阿羅漢のような簡素な生活は、世界と対峙する永遠に輝かしい文化です。贅沢で有り余る生活は、自分自身を焼き焦がす炎のように、一瞬繁栄して消滅します。



簡素な生活に関する重要点

1.服装

 衣服に関して標準を知らないことは何処でも見られます。一度しか着ていない服を捨てたり、一月分の収入と同じ値段の服を買うなどまったくの無駄遣いで、人が衣服を着るのは他人と差をつけるための楽しい遊びのように見えます。下層の人が着られる服は、自分も下層になってしまうのを怖れて上流の人は着たがらず、お金や能力があることを自慢するために珍しい物を探し、他人に憶えられているのが怖くて一度しか着ない人までいます。

 この種の恐れは「異常」と呼べないでしょうか。着る人を幸福にするべき衣服が、反対に苦を招きます。つまり恐れるべきでない物を恐れさせ、衣服を買うお金に回すために食費を極端に切り詰める人もいます。人間が適度な装い方を知っていれば、綺麗で楽しい装いのために一文無しにならないで、何百倍もの洋服代を節約することができます。

 ブッダは衣服について考えるよう、次のように教えています。「ただ暑さ寒さやを軽減し、蜂や虻、蚊、風や日差し、各種の爬虫類などの接触を避けるため、ただ体の恥を煽る部分を隠すためだけに」。衣服についてブッダが説いたようにすれば、今よりずっと幸福になれます。

2.食事

 胃が食べ物を欲しがっていれば、空腹という症状で感じることができますが、今の人は空腹だけの理由で食事をしていないと見ることができます。都会の高級レストランを食べ歩くのは、むしろ心の要求で、まだお腹が空かないうちに、日に何度も食事をします。お腹が空かなければ食べ物も美味しくありません。すると料理人の過ちと理解し、もっと美味しくなることを期待して料理を変え食べる場所を変える努力をします。

 料理が美味しくて満足すると、腹の要求を超えて腹痛になるまで食べます。すると胃が丈夫でないとか、胃の異常と理解し、食べすぎた自分の誤りではありません。私たちはできるだけ沢山食べられるように、すごく辛く、甘く、コクのある濃い味付けをします。胃腸は最大限に働き、そして病気になると料理や料理した人やお腹に過りがあると勝手に解釈します。

 医師の報告によると、食事に関係のある病気を患っている人の数は、食事に無関係の病気の人よりはるかに多いそうです。次のような話があります。

 ある富豪が胃の病気になり、質素な食事を少量摂るように医者に指示されると、その富豪は、自分は絶対指示どおり実行できないと確信しました。豪華で美味しい物が豊富な家の食事を我慢することはできないと。そこで医師は馬を盗むようにアドバイスしました。刑務所に入れば自宅の豪華な食事を我慢できるからです。自分で自分を管理する代わりに、馬を盗むことで病気を治すことができます。

 ブッダは食について考えるよう、次のように教えています。「遊びのためでなく、酔うためでなく、気分を良くするためでなく、健康増進のためでなく、『私は古い受(空腹)を癒さなければならない。新たな受(食べすぎ)は生じさせない。生きていられること、害がないこと、私たちの安楽はこのようにして得られる』と考えて、ただ体を維持するため、ただ命を維持するため、ただ苦を静めるため、ただ梵行を支えるためにだけ」。


3.住居

 住まいや座る場所、寝る場所は、誰にも害を与えそうに見えませんが、住まいが原因で困窮している人間がいます。大きな家を建てるために他人から借金する人も、床に座り、床に寝るのはみんなと違うと勘違いして、少ない収入の食費を切り詰めて、イスやテーブル、ベッドなどを買う人もいます。収入の少ない人にとって分相応な小さな家は、分不相応な大きな家よりずっと利益があります。

 床の上に寝ることにも、土の上に寝ることにも、他のどこにも負けない幸せがあります。宮殿や大きな屋敷に住んで苦悩に満ちているより、幸せいっぱいの茅葺き小屋に住む方が良いです。自分自身が人間の手本になったブッダは、弟子たちに樹の根元、洞窟の中、廃屋に住むように教え、ベッドの上や高くて広い場所、工芸品などで寝ること座ることを禁じました。そしてブッダ自身も樹の根元、洞窟の中、廃屋に住み、地面や床の上に直に寝ても最高の幸福にである手本として実践しました。

 ブッダは寝る所について考えるように、次のように教えています。「ただ暑さ寒さを凌ぎ、蜂や虻、蚊、雨風や日差し、すべての爬虫類などの接触を避け、ただ季節の危害を軽減するため、そして良く避けるためにだけ」。


4.薬

 病気を治療するための薬を飲むことは、周到に判断しないで飲む人や、宣伝に惑わされて飲む人にとっては命の危険になることもありますが、ここでは一般の生活についてだけ話します。

 麻薬やガム、噛み煙草、ビンロウとキンマ、煙草などは、美味しく魅惑的に作られているので、自分に甘くて理由を考えない人は、それらを飲んだり噛んだり、なめたり吸ったり嗅いだりする行為が、食事のように日常的になります。そして次第に楽しみで飲み、贅沢な気分のために飲んでいるうちに、習慣になって止められなくなります。

 酒飲みや、働き過ぎの人はしょっちゅう頭痛になり、鎮痛剤を使うと一時的に痛みが治まるので、頭痛が治ったと考えて仕事を続け、酒を飲むのを止めません。それがまた頭痛の原因になり、再び頭痛になると鎮痛剤を飲むので、最後は鎮痛剤の常習者になります。

 食欲増進剤や長寿の薬などの薬は、飲むと食事ができると宣伝するので、ご飯が食べられない人はその薬を飲み、神経が薬に慣れてしまうと、体の自然の空腹感に異常を来たし、薬を飲まないと胃液が出ず胃が正常に働かないので、途端に食事ができなくなってしまいます。

 性欲増進剤は、体のいろんな部分を自然に衰弱させます。無理に働かされる器官は当然休息を求めていて、欲貪の火に煽られている心は休息を知らないので、体が心の欲求通りに働かないと、心の望むまま、欲情するよう性欲増進剤を飲み、薬の効きめが消えると、その人の身体は一層衰弱します。

 病気の治療薬は本当に必要な時だけ使用するべきです。正しい生活をしていれば、薬が私たちの生活に関わる部分は非常に少ないです。薬はその薬の効能にピッタリ合った病人のためだけのものです。たとえば食欲を増進させるとか、いつでも欲情させるとか、自然以上のいろんな働きをさせるために飲めば、苦の結果を受け取ります。

 ブッダは治療薬の服用の仕方について、「私は絶妙に熟慮をし、いろんな病気という原因のある人が激しい苦がないよう受を和らげるためにだけに、病人のための縁である薬剤を飲む」と熟慮するよう教えています。


5.愛欲

 愛欲とは、形・声・臭・味・触などから、品物や衣服、食べ物まで、人間を満足させ、欲しがらせる物を意味します。それは欲望の基盤であるために「愛欲の野望」とよぶ渇望を生じさせます。数ある愛欲の中で頂点にあるのは、セックスと呼ぶ接触です。

 自然の要求であるセックスは、本当の身体の要求だけで、自分の権利の範囲にあり、どんな苦も困難も生じさせることはありません。満足することを知らない満足、楽しさや渇望によるセックスは、殺人や離婚や妊娠中絶など、非常に残虐な事件や困難の原因になります。正妻と愛人、養子養父母に原因する家庭内の問題は、家族と国の発展を妨げる複雑な大問題です。

 セックスの欲望は常にあり、満足することを知らないので、欲情を起こさせる多種多様な物、性欲増進剤、性欲を強くする食べ物、欲情を煽る香料、音楽、装飾品、欲情を煽る服装などが世界中に溢れています。人間の低い自然に従う結果は、畜生のように野蛮なセックス、売春、不道徳なセックスの助長、他人の夫や妻を奪うこと、激しい行為から生じる病気や性病、身体と神経や脳が衰弱して労働不能になることで、 どれもセックスの適度を知らないことから生じます。

 頭が良くて賢いと言われている人でも、性欲に支配されている人がたくさんいます。その結果後輩である若い人は「性的堕落はお偉方が好み賞賛する見習うべきこと」と誤解します。

 ブッダは、在家には正当な方法で情欲を求めるよう、出家には厳格に回避するよう教えています。愛欲に溺れている人は大切な仕事を立派に果たすことができません。愛欲に溺れて破滅して消えていった数えきれないほどの政治家を、見本として見ることができます。

 反対に道徳的で正しい政治家は、惜しみなく自分の時間と人生を国のために捧げるので、愛欲を楽しんで陶酔している暇はありません。仕事を愛する人は、仕事のために人生を捧げます。人生は今あるだけ、非常に短いので、短い人生を無駄にしたくないからです。

 ブッダや阿羅漢の方々は愛欲を嗜みませんが、心も体も明るく澄みきって爽やかな生活です。多くの哲学者や政治家はセックスも含む愛欲を回避します。それらの人たちの生活は、心も体も明るく晴れやかです。理想である素晴らしい仕事をするので、純潔な心の善行から生じる満足は、他の何よりも心身を養い、生き生きとさせる天の水だからです。


6.職業

 生活費を稼ぐための仕事は人生に必要不可欠で、人間の生活のほとんどの時間は仕事のために費やされます。だから幸福を願う人は、正しく役に立つ、自分と他人に最大限に幸福をもたらす仕事を選ばなければなりません。安定した生活ができ、人間に生まれた甲斐がある正しい職業は次のようです。

 教師は一般の職業より収入は少ないですが、収入が少ないのはお金だけの問題です。自分の使命に忠実な教師は、教え子の心に徳の種を蒔くことができ、教え子たちは大衆の危険にならない世界の利益になる立派な人になり、教えた子供の数だけ人々の役に立ちます。

 教師の仕事は、昔は出家の仕事で、賃金を貰いませんでした。昔の出家や修行者はまったくの善意で子供たちに教え、徳行で薫陶しました。立派な教師はあらゆる階層の人々から尊敬され、国王も道徳的に立派な仕事と賞賛し尊敬します。

 公務員は高級公務員なら国政を行う上で大きな権力があり、職務上の権力を行使して人々を幸福にすることができます。治世者が素晴らしい徳行で国を治める時代には、国中の誰もが平和で穏やかです。日蓮という日本の哲学者は「国の法律を仏教の教えと一致させれば、その時は黄金時代の夜明けである」と言っています。公務員は生活のための収入があるだけでなく、人々の暮らしを仏教の教えに近づけるよう改革する機会もあります。

 農業は大多数の人の職業で、世界がある限り永遠不滅な職業です。自然の褒美として収穫があるので、働けば働くほど収穫が増えます。良い農民は他人を困らせず、自分の正しい労働の結果を刈り取ります。

 この三種類の他にも、商人や職人、労働者などは正しい職業であり、教えのどの項目にも触れません。

 紛争に関わらなければならない、間接的でも他人や動物を苦しめ困難させなければならない次に述べるような仕事は、幸福に人生を送りたいと望む仏教徒は営むべきではありません。

 雇われて人や動物を殺すこと。合法でも非合法でも、つまり裁判で死刑が確定した人を殺すことも、復讐を企てる人に雇われても、殺すたびに心が残虐さに慣れ冷酷になるので、穏やかな幸福にはなれません。外国に雇われて他国のための戦争に参加することも、同じように仏教徒を自認する人は生業と見なすべきでないとブッダは禁じています。

 (自分の国のために戦うことはこの項には含まれません。国民が自国を他国の侵略から守るために、志願して命を差し出し武器を取って戦うこと、そしてそれを職業と見なさないことは、自分や自分の家族が猛獣に襲われそうな時に武器を取って戦うことと同じで、道徳に反する行為ではありません)。

 武器を売ること。大規模な武器販売者が策略を使って、間接的に国同志を疑心暗鬼にさせていく経緯をニュースで知ることができます。時には誤解から武器を取って他国に攻め込む事態になることもあります。小規模な武器販売者は武器がよく売れるように、策略を使って動物を殺害させたりします。

 肉を売ること、生きた動物を売ること、売るために動物を飼育すること、生き物を捕らえて売ることは生き物を殺すことに加担するので、仏教徒はするべきでない職業です。それらの仕事をしていると心が残虐になります。

 人間を売ること、性を売ること。人間を売って奴隷にすることは自由を断つことであり、道徳の堕落を助長する行為で、幸福になることは難しい職業です。

 酔う水を売ること。「飲めない者は男子ではない」と信じている会や仲間があり、仲間はみんな良い人も悪い人もお酒を飲み、飲んだ後は素面では出来ないような事を何でも大胆にやってしまいます。酒を売る店がどこにもあり、酒を飲む自由のある人がどこにでもいれば、それは様々な悪や暴力が入り込む隙を与える自由です。

 毒や麻薬を売ること。毒や麻薬を売る人、売る店がどこにでもあれば、欲しい人が手に入れ易くなるので、酒を売る店と同様に、人間の善の破壊に与することになります。

 ブッダは生存中、肉を売る家、猟師の家、その他不正な職業を営む家では休憩せず、正しい職業(鋳掛屋や鍛冶屋など)の家を選んで休憩しました。

 贅沢で有り余る生活に慣れている読者の方は、これを読んで「人が全員述べたような慎ましい生活をしたら、世の中の様子はおかしくなってしまう 。都会で見られるような美しく豪華に着飾った人はいなくなり、高級レストランの美味しい料理もなく、目を惹くような豪華なベッドもなく、休日の娯楽だった酒を売る店も美女を置く店もなくなったら、生活は味気なく干乾びてしまい、何が楽しいのだろう」と疑問を持たれるかも知れません。

 目を奪う豪華さや有り余る豊かさは、人類に何をもたらしたでしょうか。それぞれの時代のエジプト、中国、ギリシャ、ローマ、フランスなどは、豪華さや豊かさに我を忘れた結果いろんな障害を乗り越えることができず、大帝国は衰退しました。現代の国や名門の混乱や没落も同じです。

 日本がある時代に偉大な国力の国になったのは、その時代の国民の暮らしが勤勉で節度があり、一所懸命働いて少ししか使わず、個人の欲望が非常に少なかったからです。

 私たちの暮らしは、確実に変化しなければなりません。穏やかで恒久的な幸福を望むなら、特に悪い部分、国や家族にとっての危険はみんなで止めなければなりません。

 最後の重要項目は、正しい職業を営んで静かな暮らしをしている人は、行動と言葉が純潔で澄んでいるので、いつでも簡単に集中する原因になり、集中して混乱のない心は、当然穏やかに澄みきった幸福の原因になり、目的に到達するまで、益々深遠なタンマを理解しやすくなります。




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