第三章 滅苦、涅槃に関する真実

 

 真実を探ろうとしない弱さと真実が明らかに見えないことが原因で、ほとんどすべての人間は苦を消滅させる道が見つかると考えないので、原則もないままに生きて、委縮した心で苦や憂鬱に耐えなければならず、人生を幸福か破滅か分からない成り行きに任せたままにします。

 凡人である人間は深く考えることもなく「人はきりもなく欲望を持たなければいけない。楽しいことがなくてはならない。執着や愛、恐れや不満、怒りなどがなくてはならない。それらは人生に必要で、人生に潤いと華をもたらすのだから。それらがなければ人生は味気なく退屈で、怒りや復讐心がなければ人生に発展はなく、他人から軽蔑され虐げられる。将来や未来に起こる出来事に対する心配や恐怖心がなければ、生涯幸福を維持できない」と間違って信じています。

 大富豪は子や孫がその富から楽しさを味わえるように、もっとたくさん集めなければなりません。ほとんどの人間が考えている幸福は、自然の成り行きで得たもの、自分の能力で手に入れられるもの、そして元からあるものでは満足することでなく、努力していろんなことを自分の心が休みなく望んでいるようにすることです。

 ペルシャのお伽話があります。大王は自分が幸福だと感じないので、占い師を呼んで占わせると、完璧に幸福な人の服を着れば、大王も望みどおり完璧な幸福になれると提言しました。求める状態の人を探すよう命令が出され、その国の貴族や町中の大尽たちを調べましたが、誰一人完全に幸福な人はいませんでした。そしてついに求めている条件を満たす幸福な人、一人の労働者を探し出しましたが、悲しいことに男は生涯一枚の服も持っていなかったので、大王に幸福を献上することができませんでした。

 早く終わらせなければならないと急ぐ必要がなく、こんな仕事は自分にはできないという不満もなく明るい気持ちで働いている人は、その仕事が重労働でも、当然働くことに喜びを感じ幸福を感じ、苦や煩わしさは少しもありません。

 世の中の暮らしも仕事と同じで、生じている苦、そしてこれから生じる苦は、決して自分で解決できないほど大きなものではないと考えて、明るく爽やかに生活する人、自分に苦をもたらす原因を作らない人、あるものに満足することで心が瑞々しく潤うよう常に心を養っている人、苦が心を支配する隙を作らない人は、高級とか低級とか限定しない幸福な暮らしです。

 欲望とは、気に入ったものを手に入れたい、自分の思いどおりにしたい、自分が望まないようになって欲しくない望みで、元からある自然のものではありません。

 しかし集めてある愉しさや満足の威力で欲が生じれば、満足するものを手に入れる度に癖になり、すべて自分の満足するようになるべきだと執着(取)が生じ、執着が私は何々だ(界)、何を持っていると誤解をさせ、望み通りにならないと「この苦は自分のもの」と掌握します。

 人間が掻き集め、欲を持つよう訓練するから欲望が生じ、食欲のように元々身についているものではないので、人間には、欲望がなく、心を焼き焙る火もなく、苦や憂鬱に妨害されないで生きられるように簡単に心を訓練する方法がなければなりません。

心は最も重要なもの、身体のいろんな部分の中心で、心に欲望がなければ目・耳・鼻・舌・体の欲望も消えます。苦を生む側だった心が滅苦の手伝いをする側になるよう訓練すれば、欲望と苦は減る原因になり、最後には皆無になり、静かで穏やかになります。そして、自然の成り行きに満足するので、それは人間が自ら苦を滅すことができる方法です。

 心の欲望が減ると、その人は段階的に幸福が増え、それをそれぞれの段階の聖向聖果に達したと言い、心を炙る欲望の火がなく、心が静かな幸福になることを、涅槃に到達したと言います。

 涅槃とは、欲望を消滅させることができ、心の焦燥や煩悶が微塵もない人間の心の状況で、音楽がなくても、精神安定剤がなくても眠りたい時に安眠でき、体の維持に必要な自然で素朴な欲以外には何も欲しいものがないので、どこにいても、どんな状況の中でも幸福でいられます。

 今後自分に起こるどんなことにも、沈着冷静で完璧に自由な心で勝利できる確信があります。死の恐怖やその他のものを恐れる種もありません。世界を作って動かしていると言う人がいる、神様などの神聖なものも恐れず、誤解で苦に耐える必要はないので、未来永劫幸福です。苦があるこの世界から脱出して、苦よりも上に浮き上がってしまったからです。

 涅槃はすべての人間が望む幸福で、来世ではなく現世で自分が到達したいと望んでいますが、この望みを達成できないのは、その人の体と心が無知(無明)によって涅槃と正反対になり、知っても実行しないからです。

 欲望と苦は誤解の一種にすぎず、心に生じる執着の原因と結果です。無明があれば、つまり真実が見えなければ、苦は自分のものであり、苦から逃げきることはできないのでその苦に耐えなければならないと誤解するよう心を管理し、時とその出来事が過ぎ去った時、欲望と苦も他のものと同じように薄れて消えます。

 涅槃とは苦から脱すことで、自然では苦の対としてあります。人間が苦をどの程度消滅させるか、あるいは完全に消滅させるかは、どれだけ欲望を減らせるかによります。

 自分の心が焦燥や渇望から脱したと知る人間は、当然の見返りである結果、つまり「自分はすべての苦に勝つことができ、これからは永遠に幸福に暮らせる」という静かなタンマの味を心で受け取ることができます。

 ブッダがプラタムを公開したのは、涅槃を公開したことです。「人間はいつでもどこでも、完全に幸福な心で生きることができる。人間は冷たい水の池に咲く蓮の花のように、幸福になるために生まれた。永遠に変わることなく衰えることもない純粋な幸福は本当にあり、誰でも到達することができる。それは心の自然の一つの状態である。すべての人がいつでもどこでも、男女の区別なく、いつの時代でも、最高の幸福に現世で到達することができる」とブッダは教えています。

 


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