第二章 

苦の原因に関する真実

 

 

 苦の真実の章で、苦と戦って苦に勝利する方法について述べました。表面的に考えると、苦に勝利する方法があればその後は足掻かなくても良い「ように見えますが、苦に勝利できるだけではまだ十分ではなく、まだ苦の原因がある間は、幹は切っても根を抜いて捨ててない木は新しい幹と葉が育つように、苦は当然常に新たに発生し、生涯苦と戦い続けなければなりませんが、苦の根源を探して全部抜いて捨ててしまえば、それ以上闘う必要はありません。

 すべての生き物にある欲は、空腹になれば食物を食べ、寒い時は温かさを探し、喉が渇いたら水を飲むように、食べたり飲んだりすれば満足し、再び欲すまで探求はありません。このような欲は自然な欲です。しかしブッダが言う欲望は述べたような欲でなく、喜びの力によって生じる欲で、欲望をもてば幸福になれると誤解して、常に薪を継ぎ足している火のように満足することなく休みなく生じる欲望です。

 腹が望む満腹以上に満腹してもまだ食べたいとか、高価で綺麗な衣服を着たいというのは弱い欲望です。駅で電車を待っている時、電車が早く来て欲しいという気持ちや、大切な手紙あるいは読みたい本、会いたい人などを待ち侘びている時は望みを満たしたい欲で首が長くなります。これも弱いけれど、考えてみればこんな欲は発生させるべきでない欲望で、その間の仕事をダメにし、感情を正常でなくします。

 私たちには外からの刺激を受け入れる器官として目・耳・鼻・舌・体・心があり、自分の目、耳、鼻、舌、体、心が好むものは、もう一度受け入れたいと望みます。目は美しいものを見たいと望み、耳は綺麗な音を聞きたいと望み、舌は美味しいものを味わいたいと望み、体はきめ細かで滑らかなものに触れたがり、心は満足するものばかり受け入れたいと望み、目・耳・鼻・舌・体・心が満足を受け入れると喜びが生じて、もっともっと欲しくなって満足することを知りません。

 ブッダは、人間の目・耳・鼻・舌・体・心は、常に火で炙られていることに気づきました。何の火かは、すべてが自分が選んだ通りに運んで欲しいという望望や、嫌いなものや自分が選んだ通りにならない嫌悪や怒りなどの火で、そして迷いと呼ぶ火はいろんなものに執着して心を重くし、私たちの目・耳・鼻・舌・体・心で常に炙っています。

 火、つまり欲望と呼ぶ切望にはいろんな状態があり、次の三種類に分けられます。

    1.愛欲   好きなものを手に入れたい欲望

    2.有愛   あってほしい、こうなって欲しい欲望

    3.無有愛  あって欲しくない、なって欲しくない欲望

〔愛欲〕好きなものを手に入れたい欲望

 愛欲は目・耳・鼻・舌・体・心の飽くことない切望で、できるかぎり早く手に入れたい粗い欲望、簡単に見える楽しさの願望です。

 若い人から中高年まで、男女間の愛は欲情の威力で生じるので、タンマで一方的に幸福を与えたい慈愛ではなく、最も熾烈な欲望の一種です。

 若い人や恋愛小説の作家たちは愛は素晴らしいものと礼讃し、愛が燃え上がっている時は、熱病のように全身が熱く感じ、心はイライラして熟睡させず、熱に浮かされたような時期が治まると、いつも夢を見ます。

 今このような恋愛をしている人は、真実を覆い隠しているカーテンを開ける勇気をもち、そして人間が望むように率直に言えば、愛とは目が恋人の姿を見たがり、耳が声を聞きたがり、鼻が匂いを嗅ぎたがり、口は手料理を食べたがり、体は体に触れたがり、心は心を気にかけたがる、非常に身勝手な欲望という答えが得られます。

 愛が欲望であり、欲望が苦の原因であれば「愛のある所には苦がある」とブッダが言ったように、愛の結果は当然苦です。苦を生じさせる人間関係の中で、恋愛は何にも負けたことがなく、愛はいつの時代も悲しみや苦悩、別離や揉め事、殺人事件などを生起させます。

 もしかすると「数は少ないけれど愛が幸福にする夫婦もいるし、時には愛がお互いへの善意を生むこともある」と反論する人がいるかも知れませんので、ここで説明させていただきます。幸福に暮らしている夫婦は、伝統あるいは様式に従ってお互いの義務を正しく実践し、先祖が幸福を得て来た、そして規範にしてきた昔からの伝統を手本にしているからです。一方他人に対する善意は、他人が幸福でいてほしい仏教の慈しみです。

 満足を知らないこと、科学の発展、社会の情報などが現代人を知りすぎにし、今あるものに満足できず、より良いもの、より新しいものを欲しがります。いろいろな物、例えば音響機器、ラジオ、車、装飾品などを手に入れると、もっと新しいものが欲しくなります。物質的欲望が生じると、買うためにお金がたくさん欲しくなり、たくさん働かなければなりません。現代人は欲望が多いのでとても働かなければなりません。多くを望まず僅かなもので満足すればたくさん働かなくても良く、仕事を休んで休息もできます。人が目・耳・鼻・舌・体・心の奴隷でいる間は、休息に幸福を見い出すよりも、ご主人様のために苦労も厭わず働くことの方を喜びます。

 そして、その幸福に恍惚としている時も、自分よりむしろ主人である目・耳・鼻・舌・体・心がその喜びを味わっていて「私は貧しくて衣食にも不自由している」と嘆く人でも、苦労して手にしたお金で綺麗な衣服を買うことに満足しています。

 人間は財産を持つと、もっとあったらもっと満足するだろうと考えて財産を所有することに喜びを感じるので、休みなく探求し、欲は欲望を持ち易い人間をいろんな悪の道へ誘います。

 考えたいろんな悪の行動をすれば、その悪から生じる苦を受け取らなければならないので、自分の神経を喜ばせる物を得るためにますます悪人になり、人を殺し、家を奪い、最後には兵を挙げて凶悪な武器で殺し合いを行うまでになり、そして子と親、妻と夫を離れ離れにします。

〔有渇愛〕いてほしい、こうなって欲しい欲望

 こうなって欲しい、ああなって欲しい、つまり自分が満足するようであって欲しい思い。すべて自分が満足するようになって欲しい。離別したくない。満足しないものと会いたくない。愛している人たちのいる慣れ親しんだ所で暮らしたい。この種の欲望は強烈には表れて見えず、どのように苦をもたらすかあまり良く見えないので、詳細に観察すれば見えます。

 死を目前にした人、あるいは殺されて死ななければならない人で、子や妻、財産への未練を断てない人は、非常に後生の悪い人で、死にたくありません。死が確実になろうとする時、生への未練に苦しめられるべきではないと考えないからです。

 心配性の人は、仕事や給料がなくなったらどうしよう。先の暮らしに困窮しないだろうか」といつも将来のことを恐れていて、まだ何も起こらず、正常に生活を営んでいるのに、現在の生活を維持したい苦を捨ててしまうことができず、現在にふさわしい幸福を楽しむ代わりに、自分の心から休みなく作り出される苦を味わわなければなりません。

 怠け者と自分を弱く訓練した人は何でも他人に頼ることを考え、働かなければならない状況にあると、その仕事はきつくて自分には無理だと感じ、働かないですむ方法を考えます。この種の人は、どんな小さな仕事もきちんとすることができません。その人は一生何もしないでいたいのです。その何もしないでいたいという望みが、その人と周囲の人の幸福にとってどれほど危険か考えてみてください。

 恐怖はどこにいても生じ、寂しい森の中を歩いている人は心の中に何も入らないほど恐怖でいっぱいになり、汽車に乗っている人は脱線を恐れ、車に乗っている人は衝突を恐れ、財産のある人は泥棒や火事を恐れ、恐怖は心の中に生じ騙して幸福を味わうのを妨害します。何かに驚いた時、それが人の言う幽霊だと思って狂う人も、財産が心配で眠れない人も、車に乗っていても心配で、運転手に注意ばかりしている人もいます。

 恐怖は本当に起こる出来事の何百倍も発生し、そして人を臆病にして様々な仕事の発展を妨げます。必要以上に恐怖を生じさせなければ、人は今よりずっと幸福でいられ、いろいろな仕事も上手くやり遂げることができます。恐怖は自分の望みどおりになってほしい欲です。

何でも自分の望みどおりに運んでほしいという欲は、他の種類の欲よりも少なくない苦を生じさせます。すぐには、あるいはそれほど強く結果は現れませんが、それでも人間の心を休みなく焼き炙ります。今のまま変わらずにいたい、困窮して必死で働きたくない、満足できる生活をしていたいという望みが真実を知らない人間の心を休まず焼き炙り、人間を必死で働かなければならなくさせ、休まず他人の足を引っ張り、他人を蹴落として悪事を働き混乱を起こし続けさせます。

〔無有渇愛〕いて欲しくない、なって欲しくない、あるいは脱出したい欲望             

 通過してしまいたい望みは、当然不満なものに遭遇しなければならない時、人間が不満なものを受け取らなければならない時、我慢して受け取ることから苦が生じ、早く脱け出そうと足掻きが生じれば苦は二倍になります。

 乗り合わせた太洋を航海する船が難破したら、海に浮かぶ木片や筏に身を任せなければならず、心の足掻きを静めて心を正常にできなければ当然脱出ばかり考えて心が混乱し、危機を脱す方法を考えることができません。

 仕方なく嫌々働いている人は些細な仕事でも大変な仕事だと感じますが、喜んで働いている人は重労働でもきっと楽しく幸せです。不満、つまり脱出したい欲は様々な仕事の発展を妨げます。

 怒りは不満や通過したい気持ちから生じる症状です。怒りの感情がお互いに嫌な人や嫌な事を排除したい気持ちにさせるので、揉め事が絶えません。嫌な相手、あるいは嫌な事を狙いどおりに排除できないと、心の中で怒りに燃えている人は、自分で攻撃できるものなら何でも構わず攻撃し、自分自身を傷つけることもあります。そしてその原因である部分のあるものは何でも気に入らなくなります。

 雨や風のように自然に経過するものが気に入らないこと、そのもの自体には良いも悪いもない物質を嫌うこともあります。気に入らない物を改善し、対策しない自分を罵るべきなのに、雨や風、良くないものを罵ります。これは通過したい欲が心を炙り、そして欲に炙られるままになっているからです。

三種の欲望

 ブッダは苦を生じさせる重要な原因、焦燥・陶酔・貪欲・情愛・恐怖・不満・怒りと、その他の重要でないものも総称して、欲、欲望と呼びました。

 欲望は燃え上がる火で、いつも心を焼き炙ります。どんなに疲れていても目が冴えて探求し続け、受け取る結果は尽きることのない体と心の苦です。

 大富豪、権力者、非常に満足を受け取ったことがある人、それまで自分の思うようになってきた人は欲望が多く、欲望には喜びという燃料のようなものがあるので、いろいろなことが自然の法則、つまり無常、苦、無我で思いどおりにならなくなった時、欲望が燃料によって燃え上がります。つまりかつて心に溜めておいた喜びが、心のいろんな症状を生じさせます。

 なぜ世界には、幸福より不幸の方が、何百倍もありふれているのでしょうか。それは世界中に欲望が燃え盛っているからです。誰か欲望の火を消そうと努力している人がいるでしょうか。誰もが燃料、つまり面白く楽しいことを求め、かき集めるばかりです。

 心を焼き炙る欲望の炎の他に、すべての苦を生じさせる原因があるでしょうか。

 


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