第二部 序章 ブッダに代わるタンマ

 

 「私が般涅槃した後は、すべてのタンマが私に代わる先生でず。教祖が入滅してしまったらプラタムも消滅すると考えてはいけません」。ブッダは、最後の言葉としてそう言い遺しました。

 ブッダの教えを理解し、そして実践して、個々の能力にふさわしく苦に勝つ人は、ブッダと同じように明るく澄みきった心がある幸福な人で、その人は「プラタムが見える人。ブッダに会った人」と言われます。

 ブッダと同時代に生まれ、ブッダに会って一緒に行動し黄衣の裾に触ることができても、穏やかな幸福に満ちた心がなければ、タンマの面ではブッダに会ったと見なしません。ブッダが教えたプラタムを理解できないからです。そのような人をブッダは「無益な人」と呼びました。ブッダに会って直接説法を聞いても、何も結果を得ることができないからです。

 いつの時代に生まれても、ブッダの教えたプラタムに出合い、それを実践して欲と苦に勝つことができれば、その人は心がブッダと同じように明るく澄みきっている幸福な人で、「タンマが見えた。ブッダに会った」と言われます。

 プラタムはどこにありますかと尋ねると、ほとんどの人は三蔵の中にあると答え、それから本や経巻を見せます。しかし書籍である三蔵はプラタムを記録した文字にすぎず、本当のプラタムではありません。本当のプラタムを知りたければ一生懸命学んで心で知り(学習)、ブッダの教えを実践し(実践)、心が明るく安らかになって、タンマに出会ったと言えるようになる(結果)ことで、心で知らなければなりません。

 聖向聖果であるタンマは、全部で九段階あります。

1 預流向       預流になるために実践すべき項目

2 預流果       預流果を得て預流になること(ソ−ターパッティ)

3 一来向       一来になるために実践すべき項目

4 一来果       一来果を得て一来になること(サカターガミー)

5 不還向       不還になるために実践すべき項目

6 不還果       不還果を得て不還になること(アナーガミー)

7 阿羅漢向      阿羅漢果を得るために実践すべき項目

8 阿羅漢果      阿羅漢果を得て阿羅漢になること(オーラハン)

9 涅槃        心を焼き炙る欲や煩悩の火が消えること

             

 プラタムとはブッダの方法で実践して、結果である静かな心の幸福な人になり、次第に高くなっていくと見ることができます。最高のプラタムとはすべての人間の究極の望みであり、涅槃、苦の消滅で、涅槃に達した後も、普通の人と同じように生きていますが、苦や焦燥、恐怖などはまったくありません。涅槃は心の幸福であり、人間が望む最高の幸福です。

 仏教では、自分自身で原因を作った苦を受け取って循環(輪廻)しなければならない普通の人を凡人(凡夫)と呼び、悪の厚い人という意味で、仏教の教えで実践し聖果に到達した人、つまり悪や苦を減少させていく人、あるいは苦に完勝した人を聖人(素晴らしい人)と呼びます。

 仏教の聖人は一般の人間より高い心の人で、欲や怒りが減れば減った分だけ高くなる幸福が増えて行く人です。

 

         聖人の四段階

1.預流は八正道(詳しくは4章で説明)に則った生活をする人で、流れに至った人、八正道の実践を始めた人、涅槃の流れに入った人という意味で、その人は幸福の流れに乗って最後には涅槃に至ります。

2.一来は貪り、怒り、愚かさが預流より少ない人のことです。

3.不還は更に涅槃に近づいた心がある人で、在家である不還はたいていは八戒を守り、欲は少なく足るを知り、八戒を守る純潔な人です。

4.阿羅漢は涅槃に到達した人で、煩悩と欲望と苦をすべて消滅させた人で、薀が消滅する時、般涅槃と呼ぶ円寂(輪廻転生が終わること)の時まで、人類の幸福のために普通に成すべき義務を行います。阿羅漢は最高の幸福に達した人間の手本です。

           

無明

 普通の人が、まだ絶えず苦を受けとって耐えなければならないのは、プラタムの真実が明らかに見えないからです。目で見ること、三蔵を見ること、あるいは聖諦の本を読んでも、まだプラタムが見えると言われません。

 この「本当に明らかに見えないこと」を仏教では無明と言い、何でも間違いをする根源であり、苦の根源でもあります。本当に明らかに見えることと本当に明らかに見えないことは、明と暗のような対として現れ、闇が支配していれば自分の歩く道が見えないので、当然危険がいっぱいで、明るい光が射して来れば闇は消え、私たちの命の旅も安全になります。

 仏教には、無明が怒りや欲や苦の原因である執着を生じさせる根源という教えがあります。

    無明とは何か      無明とは無知のこと

    何を知らないのか    知るべきことを知らないこと

    知るべきこととは何か  他のどんな真実よりも素晴らしい真実

    他の真実より素晴らしい真実とは何か

                苦の真実

                苦が生じる原因に関する真実

                滅苦に関する真実(涅槃)

                道を歩く人を苦から解脱させる生き方に関する真実

 

        素晴らしい真実〔聖諦〕

 この四つの真実を聖諦(四聖諦)と言います。ブッダが発見した真理を聖諦と言います。欲望が苦の家の主人であり、欲望が消滅すれば苦もないという真実です。仏教の教えのすべては、この聖諦に集約されます。私たちを苦から脱出させる真実以上に素晴らしいものがあるでしょうか。人は生涯苦に遭遇し続け、私たちがこの素晴らしい真実を明らかに知れば、その後は苦を受け入れて闘わなくても良いのです。

 聖諦とは素晴らしい真実を明らかに見せるタンマで、次の四つです。

1〔苦〕苦の真実。人生には常に苦が混じっているという真実(病状を知る)を知る。

  生、老、死、心の渇き、嘆き、体の苦、悔しさ、恨み、嫌いなものと一緒にいなければならないこと、好きなものと離れていること、欲しいものが得られないことの十一種。つまり執着のある心と体にある苦、あるいは執着のある五蘊。

2.〔集〕苦の原因を知る(病気の原因を知る)

  常に生じる欲や願望や焦りには心の喜びがあり、願望は休まずいろんな行動をさせ、無明、無知、あるいは誤った知識は欲望を生じさせ、欲望の後押しをする。

3.〔滅〕苦の滅し方を知る(この病気を完治させる治療法があることを知る)。

  すべてのものは当然原因があって生じ、原因が終われば消滅する。欲望を満たすために駆け回っている間は、当然苦も追ってくる。涅槃、つまり欲望の完全な消滅が苦の消滅。(ブッダや他の阿羅漢が手本として残した生き方をすれば苦が滅すに違いない)。

4.〔道〕この道を歩く人を苦から解脱させる八項目ある生き方(病気の治療法)。

  1.正しい見解。聖諦に沿った正しい見解があり、人生にとって本当の学問と見る。

  2.正しい考え。聖諦に沿った見解があれば、幸福になるように心を持ち上げ、自分を騙すことはない。

  3.正しい言葉。正しい言葉は、発言に関する苦はない。

  4.正しい業。他を苦しめたり困らせたりしない仕事(仕業)。

  5.正しい生活。義務と状況にふさわしい簡素な生活。

  6.正しい努力。新たな罪を生じさせず、既にある罪を捨て、善を満たし善を衰えさせない。

  7.正しいサティ。常に体、受、心、タンマを熟慮するサティがあり、迂闊にならない。

  8.正しいサマーディ。純潔な心があり、心の内外に留まらない。

      (以上の八項目を八正道と言う)

 

訳者より

辞書によると「聖者」と「聖人」という言葉の意味はほとんど同じです。 しかしキリスト教は「聖者」という言葉を使い、その基準は精神のレベルではなく、犠牲や貢献等の『行為』によってそう呼ばれます。

日本では昔から人間的に立派な人を「聖人君子」と言い、「聖者のよう」とは言いません。「聖人」は人格的に立派な人、「聖者」は人格ではなく、存在そのものが『聖』なのかもしれません。

仏教は心が煩悩を消滅させた程度に応じて自然にそうなる(誰かに認定されなくても)と規定されているので、質の違いを区別するために「聖人」という言葉にしました。    訳者

 


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