第三章 仏教を宣言する

 

 人類を苦から脱出させるために探究し続けた真実を大悟すると、ブッダは非常に心の満足を感じ、この素晴らしい真実を発見した満足は四十九日間心と体を満足させた。

 初めの週は萱の台座の上で解脱の喜びを味わい、二週目は立ち上がって菩提樹を眺め、三週目は菩提樹の北側を歩き、四週目は菩提樹の西北に座ってプラタムについて考え、五週目は羊飼いが休憩するガジュマル(榕樹)の木の下に座って解脱の喜びを味わい、六週目はサガリバナの木の下で解脱の喜びを味わい、七週目はシタンの木の下で解脱の喜びを味わった。

 シタンの木の下に座っているとタプッサとバッリカという二人の商人が通り掛かって、旅の食糧である小麦粉の菓子と蜜団子をブッダに献じ、ブッダとプラタムに帰依すると主張した。二人の商人はブッダとプラタムに帰依することを表明した初めての人である。

 七つの場所に七週間座った後、羊飼いが休憩するガジュマルの木陰に座って「私が大悟したプラタムは非常に深遠なので、利己的な人間のほとんどは理解できないだろう」と独語したが、、利己的な程度が軽く煩悩の少ない人、真理を求めている人の中には、プラタムを理解できる人がいるかも知れないと考え、タンマを公開し広める決意をした。

 ブッダはかつて弟子入りしたことがあるアーラーラ仙人とウダカ仙人を思い出し、この二人は賢いので簡単にプラタムを理解できるだろうと考えたが、二人は既に亡くなっていたので、五人の修行者を思い出し、五比丘に最初に教えるべきだと考え、ヴァラナシーの鹿野苑へ向かった。

 

 ブッダが五比丘に「比丘のみなさん、私は阿羅漢サンマーサンブッダになりました。私が大悟したタンマを教えるので、心して聞きなさい」と言うと、五比丘は「王子が必死で苦行をしていた時でも素晴らしいタンマを悟れなかったのに、今転向して貪欲な人になり、なぜ素晴らしいタンマを悟れましょう」と反駁した。ブッダは「私が今までに悟ったと言ったことがありますか。今、敢えて言います。私は大悟しました」と忠告した。

 ブッダが五比丘にタンマを説いて聞かせると、ゴーンダンニャが初めにプラタムを理解し、ブッダはこの時から法輪を回し始めた。

 ゴーンダンニャはプラタムへの疑念がすっかり消え、具足戒を求めた最初の人であり、ブッダは出家になることを許し「あなたは比丘になりなさい。私は良くプラタムを説きました。正しく苦を終わらせるために梵行をなさい」と言った。

 ブッダは残りの四人にプラタムの説明をして理解させ、五人揃って具足戒を授けて比丘にする努力をし、その年の陰暦九月五日、ブッダが無我相経を説くと、五人の比丘は揃って無我の教えを理解し、この世界に、心が煩悩から脱して二度と欲望や無明の支配下に落ちることがない阿羅漢が五人増え、ブッダを含めて六人となった。

 

 ヴァラナシーの長者の息子であるヤサという若者は、思いのままに愉しませるいろんな物に囲まれた暮らしをしていた。ある夜若者は先に眠ってしまい、しばらくして目を覚ますと仕えている女たちが寝乱れている姿を目にし、見苦しい姿に衝撃を感じ、すっかり嫌気がさして家を出た。

「ここは本当に乱れているなぁ。ここでは差し障りがあるなぁ」と一人言を言いながら鹿野苑の森を通りかかると、散歩をしていたブッダがそれを耳にし、若者を呼び止め「ここは乱れていません。ここには支障がありません。ここへ来てお座りなさい。私がタンマを説いて聞かせましょう」と招いてタンマを説いて聞かせると、若者はプラタムを理解した。

 翌朝、父親である長者が息子を探しにやって来たので、ブッダがタンマを説いて聞かせると、父親はプラタムを理解し、息子は阿羅漢果に到達した。父親はブッダとプラタムと僧に帰依することを表明し、初めてブッダとプラタムと僧(三宝)に帰依した清信士になり、息子は具足戒を受けて出家し比丘になった。翌朝、ブッダとヤサは長者の家で食事をし、母親とヤサの妻にタンマを説くと、二人の女性はプラタムを理解し、仏教で最初の清信女であることを表明した。

 ヤサが出家したと聞いた四人の友人は、ヤサが出会ったタンマ・ヴィナヤ(教えと律)は素晴らしいものに違いないと考え、ヤサを訪ねてブッダに拝謁し、ブッダがプラタムを説いて四人に理解させ、そして具足戒を与えて比丘になることを許可し、その後ブッダが教えると、四人は阿羅漢果に達し、阿羅漢は全部で十一人になった。その後ヤサの友人五十人が出家し、ブッダを含めて阿羅漢の数は六十一人になった。

 

 弟子が六十人になったので、ブッダは全員を招集して言った。「比丘のみなさん。私は、人間のも天のも、すべての頚木から脱しました。ここにいるみなさんも私と同じです。これからはすべての人々の幸福と利益になるよう、あちこちを遊説しなさい。二人一緒に同じ方向へ行ってはいけません。初めも中間も終りも恩恵のあるタンマを、意義と語句の両面で説き、完璧な梵行を公開なさい。目の中の埃が少ないように、智慧を覆う煩悩の少ない生き物もいます。聞くべきタンマが聞けないためにその恩恵が得られない、タンマを良く理解できる人も必ずいます。私もタンマを説くためにウルヴェーダー村セーナーニガマへ行きます」。

 

 ウルヴェーラー村セーナーニガマに、火は煩悩を焼き尽くす神聖なものとして火を崇める教義の出家三兄弟がいた。名をウルヴェーラ・カッサバ、ナディー・カッサバ、ガヤー・カッサバ(三迦葉)と言い、ネランジャラー河の近くに三つの教団があった。長兄のウルヴェーラは有名で、多くの人々の尊敬を集めていた。大衆の信仰を集めている人を弟子に出来れば、簡単に仏教を広められ、そのような賢人ならすぐにプラタムを理解できると睨んで、ブッダはウルヴェーラ・カッサバを弟子にしようと考えた。

初めに教団に一緒に住まわせて欲しいと願い出、ブッダの方が知識も能力も上だということをウルヴェーラにそれとなく分からせ、それから火を祭る教義は何の価値もないことを説明すると、賢人であるウルヴェーラは真実を理解し、ブッダが二ヵ月間努力すると、終にウルヴェーラはブッダの智慧に感服し、具足戒を授けてくださいと申し出た。弟二人がウルヴェーラの転向を知って理由を尋ねると、ブッダの教えは非常に素晴らしいと分かり、同じく具足戒を求めた。

 ブッダは、三兄弟とその弟子を集めてガヤーシーサ村で「火とは人間の目・耳・鼻・舌・体・心で燃えている煩悩で、人間は欲と怒りと迷いで焦燥している。この真実が理解できる人は欲望の火を消すことができ、涅槃に到達することができる」という要旨の、アーディッタパリヤーヤスッタを説くと、それまで火は煩悩を焼き尽くす威力があるものと崇め祭ってきた比丘たちは揃ってプラタムを理解し、心が欲望と執着から脱して全員阿羅漢になった。

 

 都であるラージャガハがあるマガタ国は、大王であるピムピサーラ王が国を治め、いろんな教義の教祖たちが住む場所であり、ピムピサーラ王も以前に「素晴らしい真実を悟ったら自分にも教えてほしい」と言ったので、ブッダは最初にマガタ国で仏教の布教を始めた。ブッダは比丘たちを率いてラージャガハに入り、ラッディワンの椰子園に滞在すると、阿羅漢になったブッダがプラタムを教えるためにやって来たという噂が広まり、椰子園に滞在していることを知ったピムピサーラ王と家臣と領民が揃ってブッダに拝謁に訪れた。

 以前からウルヴェーラ・カッサバを素晴らしい人と尊敬していた家来やバラモン(祭司)や領民は、ブッダがウルヴェーラの弟子なのか、ウルヴェーラがブッダの弟子なのか疑って、ここでどちらに敬意を表したらいいか分からないのでどちらも拝まずに座る人もいた。それらの人々の怪訝そうな様子を観察して見たブッダは、その集会でウルヴェーラに質問した。

 「あなたは長い間火を祭るように弟子の修行者たちに教えておられたが、どのような理由で火を祭るのを止めたのですか」。

 「私は苦の原因である煩悩や、まとわりつく心配事のない静かな道に出合ったので、火を祭ってお供え物をするのを止めました。今は世尊の教えを受入れる弟子です」とウルヴェーラは答えた。

 大衆の疑問が消えたのを見て、それからプラタムを説くと、ピムピサーラ王と多くの領民がプラタムの流れにたどり着き、あるいは仏教の預流と呼ぶものになり、仏教の清信士になることを表明し、ピムピサーラ王はヴェルワン(竹林精舎)を滞在所として寄進した。

 

 若い二人の友達の一人はサーリー女の息子のウバディッサ、あるいはサーリープッタと言い、もう一人はモッガッリー女の息子のゴーリダ、あるいはモッガラーナと言った。二人の若者は世界の意味のない愉しさに倦怠し、誘い合って真理を探求するために出家し、ラージャガハにサンチャイという名の、多くの人に尊敬される大先生がいたので、二人はこの教団で出家して修行者になった。ある日アッサジがラージャガハへ托鉢に行くと、サーリープッタがアッサジを見かけ、その立ち居振る舞いが静かで落ちついて立派なので、しばらく後をついて行き、機会を見つけると「あなたは何方のお弟子ですか。あなたの教祖は何方ですか」と質問した。

 「私はブッダの所で出家しました」とアッサジが答えると、サーリープッタは続けて「あなたの教祖はどのように教えるのですか」と質問した。

 「私はまだ出家したばかりなので、詳しく説明することができません」。

 「簡単に要旨だけで結構ですから、どうぞ私に話して聞かせてください」

 「原因から生じるすべてのダンマは、教祖様はそのダンマの発生と、そのダンマの消滅を説明します。教祖様はこのようにお教えになります」

 サーリープッタは賢いので、その教えの意味を理解し、友人のモッカラーナを誘ってウェルワン(竹林精舎)を訪ねてブッダに拝謁し、仏教の具足戒を授かり、その後阿羅漢果を得た。サーリープッタとモッカラーナは、共に後輩僧を指導することに秀でた弟子であった。

 

 ストーダナ王はシッタッタ王子に関わる噂をいつも気に掛けていた。王子が大悟してブッダになり、今はラージャガハで遊説していると聞いた王は、ブッダを都へ招聘する遣いを出した。

 雨安居(雨期の間比丘が遠出することを慎み、寺に籠もること)が明けると、ブッダはカビラヴァスツの都まで旅をし、ニグローダラーム(榕樹園精舎)に滞在して翌朝いつものように托鉢に出かけた。

 「元は皇太子であった王子が道々乞食をして歩いている」と人が話しているのを聞いたピムパー妃がストーダナ王に知らせると、王は急いでブッダに会いに行った。

 「なぜ人々から食べ物を乞い歩いて、王家の名を辱めるのだ」と父王が尋ねると、「托鉢をすること、あるいは乞食をして得た物を食べて生きることは、私たち一族の習慣です」とブッダは答えた。

 「サキヤの王族には、乞食をした者など誰一人いない」。

 「その世界のブッダ族は、ティパンカラブッダからカッサパブッダまで、托鉢あるいは乞食で命を養っています。大悟してブッダになった時から私はサキヤ一族の人間ではなく、ブッダの一族、つまり多くのブッダの中の一人です」。(どのブッダも托鉢を回避せず、家に招聘されて食べる時も、自身の鉢で食事をされた)。

 ストーダナ王はブッダの鉢を取って持ち、ブッダと比丘僧を王宮での食事に招いた。ブッダが父王とパジャーバディー王妃や王族たちにタンマを説くと、多数の人が聖果を得ることができた。

 後日、ブッダはサーリープッタとモッカラーナを伴ってピムパー妃を訪ね、もしピムパー妃がブッダに抱きついて体に触れることがあっても、無碍に制止すると悲しみの余りに息絶えてしまって、プラタムを聞く機会を失ってしまうかもしれないので、二人の弟子に、ピムパー妃を制止しないよう命じた。

 ピムパー妃はブッダの足に抱きついて独り言を言って悶え、ストーダナ王はピムパー妃の健気さを語って聞かせた。夫が出家してからというもの、夫が渋染の布を身につけていると聞くと自分も渋染の布を身につけ、地面の上に寝ていると聞けば自身も地面の上に寝て、絶えず王子に忠実な心情があったという要旨である。ブッダがチャンダキナラジャータカの話を説いて聞かせると、ピムパー妃の悲しみは消えて預流果に到達した。

 サキヤ族の王子の多くが具足戒を授かったが、その中のアーナンダという王子はブッダ族の人気者で、ブッダの傍で仕えることが誰よりも多かった。

 

 ある日ピムパー妃は、その時七才だったラフラ王子に立派な装束を着せ、托鉢をして来るブッダを指さして「あのお坊様たちの先頭を歩いていらっしゃる、金色に輝くような体の方があなたのお父様ですよ。沢山の財産を持ってらっしゃるので、あの方の所へご挨拶に行って、私に財産を下さいとおっしゃい」と言った。

 ブッダが宮殿の前までやって来ると、ラフラ王子は母から言われた通り、ラフラ王子が相続すべきシッタッタ王子の財産を下さいと言った。ブッダは財産の相続について一言も答えないので、ラフラ王子は榕樹園精舎までついて行った。ブッダは精舎に戻ると「財産など意味のないもの。私はラフラに聖なる財産を授けよう」と独りごち、サーリープッタを戒師にしてラフラ王子を沙弥(二十歳以下の僧)にさせた。

 具足戒を授けられる年齢になると、ラフラは正式に具足戒を授かって比丘(大人の僧)になり、その後阿羅漢果を得た。つまり価値を計ることのできない聖なる遺産をもらったのである。

 

 ブッダは四五年の間、インドを遊説した。四五年間休まず村々を遊説して歩き、雨季には寄進者によって献じられた寺に籠もり、雨安居が明ければ又遊説の旅に出た。よく滞在した所はラージャガハの都に近いヴェルワン(竹林精舎)と、サーワッディー(シュラーヴァスティー)の都に近いジェッタワン(祇園精舎)であり、この二精舎ではたくさんの経を語っている。

 重病の時でも休むことなく、その苦痛に難なく耐えブッダは命の終わる最期の瞬間まで、プラタムと律を教え続けた。

 八十歳を過ぎてバイサーリーのヴァールワカーマ村で雨季籠もりをしていたブッダの体は老いて衰弱していたが、精神力は非常に高く、如意足で老衰の苦痛を軽減し、忍耐で苦に耐えていた。ある日アーナンダがブッダの痛みについて言及すると「もう八十歳を越えたので五根もすっかり変化してしまった。しかしまだ維持できるのは、サマーディバーバナーに依ってです。アーナンダ、自らを拠り所になさい。他に拠り所にできるものはありません」とブッダは言った。

 陰暦三月の満月の日(マーカブーチャーの日)、ブッダはパワーラチェディーに滞在し、三か月後に般涅槃すると内心で決意し、アーナンダに告げて公表し、すべての生き物の命の最後には死があり、それはブッダでも変わりはないと忠告した。

 ブッダはパワーラチェディーを出てパントゥカーマ村へ行き、それから順に教えを説くためにハッタティーカーマ村、アムプカーマ村、チャムプカーマ村、ポーカナガラへ行った。それからパーワー郡へ行って飾り職人の息子ジュンダのマンゴー園に滞在した。

翌朝ジュンダの家で食事をし、ジュンダがスカラマッタワ(茸の一種)もある料理を献じると、ブッダはスカラマッタワは私だけに供し、残りは埋めてしまいなさいとジュンダに命じた。食事を終えたブッダは下血し、ジュンダの家を辞した。道中でブッダはアーナンダに「スジャダーから献じられた食事は有依涅槃(煩悩が滅すこと)に至らしめ、今日ジュンダの家での食事は無有依涅槃(五蘊、つまり体が滅すこと)に至らしめ、同じ功徳がある」と言った。

 その後ククッタナディー河で水浴をし、あるマンゴー園で休憩して少し眠ると、また比丘たちを引き連れてクシナラーに近いサラ庭園へ行った。サラ(フタバガキ科の沙羅)の森に着くと、アーナンダに二本の樹の間を掃いて法衣を敷かせて横になって仮眠した。

 しばらくして目覚めると、今夜三更(〇時から三時までの間)にここで涅槃に入るとアーナンダに告げた。アーナンダが「このような小さな町で般涅槃なさらないでください。王やバラモンたちが集まって大々的に弔えるように、大きな都で般涅槃なさるべきです」と言うと、ブッダは「昔クシナラーはスタットという大王の都だった」と答えた。

 ブッダはアーナンダを領主の所に遣いにやり、ブッダの般涅槃が近いことを知らせると、領主は連れ立って拝謁に訪れた。その夜スパッダという異教の修行者が訪ねて来て、腑に落ちないことがあるのでブッダに拝謁して尋ねたいと言ったが、アーナンダは修行者を近寄せなかった。そのやり取りを耳にしたブッダは「私がわざわざクシナラーまで来たのは、その者を救うためだ」と言って修行者に八正道を説くと、修行者は具足戒を申し出、ブッダは許可して念処について説くと、出家したばかりの比丘は仏教の三相について智慧が生じ、その夜のうちに阿羅漢になった

 三更に、ブッダは比丘サンガに教誡を与え、まだ阿羅漢果を得ていない比丘だったアーナンダは、ブッダが般涅槃してしまうことを惜しんで隠れて泣いた。ブッダはアーナンダを呼んで来させ「悲しむべきではない。人が愛するものと別れなければならないのは、当たり前のことです」と諭した。

 黎明近く、ブッダは僧全員を呼び集めて、最期の言葉として言った。「私が般涅槃した後は、すべてのダンマが私に代わる師です。教祖が亡くなったらプラタムも消滅すると考えてはいけません。私はみなさんに忠告します。すべてのサンカーラ(行。原因と縁によって作られたもの)は当然のこと衰えていきます。不注意でないことで、自分を完璧に維持しなさい」。

 言い終わるとサマーパッティ(安定してサマーディになること)に入り、黎明のころ般涅槃に行った。

 領主たちはブッダの遺体を大王の遺体のように飾り、町の東門の方にあるマクダパンダナチェディーで火を点じた。

 


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