アリヤヴィナヤの清潔と不潔





1.不潔

 ジュンダさん。体の不潔は三つ、言葉の不潔は四つ、心の不潔は三つあります。

 ジュンダさん。体の不潔の三つはどのようでしょうか。ジュンダさん。この場合の人は、

①平素から息のある動物を落とし、粗野で血で汚れた手をし、殺すこと、殴ることだけで、動物を可愛がる気持ちがなく、

②平素から所有者が与えていない物を取り、つまり、町や森に住んでいる他人の物や道具や財産を取る人で、所有者が与えていない物を窃盗の形で自分のものにする人で、

③平素から愛欲の誤った行動があり、母が護り、父が護り、兄弟が護り、親戚が護り、ダンマが護っている女性、夫のいる女性、借金のカタである女性、(花輪を投げて)婚約中の女性に、これらの形の誤った振る舞いのある人です。ジュンダさん。こういうのを体の三つの不潔と言います。

 ジュンダさん。四つの言葉の不潔はどのようでしょうか。ジュンダさん。この場合の人は、

①平素から嘘を言う人で、証人として呼ばれて議会へ行っても、教団へ行っても、親戚たちの中でも、集会所へ行っても、王族たちの中でも、「発展した方。あなたは知っているように述べなさい」とこのように言われると、その男は知らなければ知っていると言い、知っていれば知らないと言い、見なければ見たと言い、見れば見ないと言います。自分の理由、他人の理由、あるいは何らかの財産の理由で、知っていて嘘を言う人です。

②告げ口をする人で、つまりこちらで聞いたことを、こちら側に損害を与えるためにあちら側で言い、あるいはあちら側で聞いたことを、あちら側に損害を与えるためにこちら側に言い、団結している人を分裂させ、分裂している人を更に分裂させる人で、分裂することを喜んで満足し、夢中になり、分裂させる言葉を言う人です。

③下品で強引で、他人に辛辣で乱暴な言葉を言う人で、他人を侮辱し、怒りに覆われていて、サマーディになりません。彼はこのような言葉のある人です。

④饒舌な人で、時にふさわしくないことを言い、真実を述べず、意義やダンマやヴィナヤに依存しない話、根拠のない話をし、時にふさわしくない話、終わりのない話、利益のない話をする人です。ジュンダさん。これが、四つの言葉の不潔です。


 ジュンダさん。三つの心の不潔はどのようでしょうか。ジュンダさん。この場合の人は

①貪りの多い人で、「他人の物は何でも自分の物になれ」と、このように他人の物や道具や財産を狙います。

②復讐心のある人で、「これらすべての動物は苦しめ。破壊されて消滅しろ。破滅しろ。生きているな」とこのように害意になる考えをします。

③誤った見方のある人で、「与える人は(結果が)ない。祭った供物に(結果は)ない。祭った祭事に(結果は)ない。動物がした善行悪行であるカンマの結果はない。この世界はない。別の世界もない。母もいない。父もいない。オッパーティカ(不還)もいない。正しく実践して、自らも行き、そして他人に公開して教えるサマナ・バラモンもいない」と、このように異常な見方をする人です。ジュンダさん。こういうのが、三つの心の不潔です。

 ジュンダさん。これを十不善業と言います。


 ジュンダさん。この十不善業がある人は、決まった時刻に寝台から起き上がって大地を撫でても清潔な人になれず、撫でなくても清潔な人になれず、新鮮な牛糞を掴んでも清潔な人になれず、青草を掴んでも清潔な人になれず、青草を掴まなくても清潔な人になれません。

 火を祭っても清潔な人になれず、太陽を拝んでも清潔な人になれず、太陽を拝まなくても清潔な人になれず、夕方三回水に入っても清潔な人になれず、夕方三回水に入らなくても清潔な人になれません。

 それはどうしてでしょうか。ジュンダさん。それはこの十悪業は不潔であり、そして不潔にする物だからです。ジュンダさん。更にこの十悪業があることが原因で当然地獄が現れ、当然畜生に生まれることが現れ、当然餓鬼の領域が現れ、あるいはまだ他の悪趣も当然あります。

 (清潔清浄な人になるために、目覚めた時大地を触る、緑の物を掴む行動は、水瓶を持って水草の花輪を被った西部地方のバラモン教の人の教義で、火を祭り水に入るのはジュンダ・カンマーラプッタが好んでいた教義の勤めです。ジュンダがアリヤヴィナヤの清潔について説明してくださいと申し上げたので、上記のように不潔について話され、それから次のように清潔について話されました)。




2.清潔

 ジュンダさん。体の清潔が三つ、言葉の清潔が四つ、心の清潔が三つあります。

 ジュンダさん。三つの体の清潔はどのようでしょうか。ジュンダさん。

①この場合の人は、息のある動物を落とすことを避け、殺生を避け、丸太を置き、武器を置き、恥があり、すべての動物に対して憐れみと援ける気持ちに至り、

②所有者が与えていないものを持たず、所有者が与えない物を持つことを避け、町でも森でも所有者が与えていない財産と、財産の道具を持たず、愛欲の誤った振る舞いを捨て、

③愛欲の誤った振る舞いを避け、母が護り、父が護り、兄弟が護り、親戚が護り、ダンマが護っている女性、夫のいる女性、借金のかたである女性、(花輪を投げて)婚約中の女性に、これらの形の誤った振る舞いを避けます。ジュンダさん。こういうのを体の三つの清潔と言います。


 ジュンダさん。四つの言葉の清潔はどのようでしょうか。ジュンダさん。この場合の人は、

①嘘を捨て、嘘を言うのを避け、証人として呼ばれて行った議会でも、教団でも、親戚たちの中でも、集会所でも、王族たちの中でも、「発展した人よ。あなたは知っているように述べなさい」とこのように言われると、その男は、知らなければ知らないと言い、知っていれば知っていると言い、見ていなければ見ていないと言い、見た時は見たと言います。

②自分の理由、他人の理由、あるいは何らかの財産の理由で、知っていて真実を言う人です。告げ口を捨て、告げ口を避け、こちらで聞いたことを、こちら側に損害を与えないために、あちら側に隠さず話し、あるいはあちら側で聞いたことを、あちら側に損害を与えないためにこちら側に隠さず話し、分裂している人を団結させ、団結している人を更に団結させる人で、団結を喜ぶ人で、団結に満足する人で、一致団結させる言葉だけを言う人です。

③乱暴な言葉を捨て、下品な言葉を言うのを避け、害のない言葉、耳に響きが良く愛を生じさせる言葉、心が膨らむ言葉、庶民が使う丁寧な言葉、大衆が満足する言葉、そのような言葉だけを言います。

④饒舌を捨て、下らない長話を避け、時にふさわしいことだけ、真実であり、愛があり、ダンマでありヴィナヤであることだけを言い、根拠のある話、時にふさわしい話、終わりのある話、利益のある話だけを言います。ジュンダさん。これが、四つの言葉の清潔です。


 ジュンダさん。三つの心の清潔はどのようでしょうか。ジュンダさん。この場合の人は、

①貪りが少ない人で、「他人の物は何でも自分の物になれ」と、このように他人の物や道具や財産に注目しない人で、

②復讐心のない人で、「これらすべての動物が加害心のない人であれ。侵略がなく、苦がなく、自分を幸福に維持するよう」と、このように害意のない考えをし、

③正しい見方のある人で、「与える人は(結果が)ある。祭った供物に(結果は)ある。祭った祭事に(結果は)ある。動物がした善行悪行であるカンマに結果はある。この世界はあり別の世界もある。母もいる。父もいる。オッパーティカ(不還)もいる。

正しく実践して、正しい智慧でこの世界と他の世界を明らかにする行動に至り、そして他人に公開して教えるサマナ・バラモンもいる」と、このように非凡な見方をする人です。ジュンダさん。こういうのが、三つの心の清潔です。

 ジュンダさん。これを十善業と言います。

 ジュンダさん。この十善業がある人は、決まった時刻に寝台から起き上がって大地を撫でても清潔な人で、大地を撫でなくても清潔な人で、新鮮な牛糞を掴んでも清潔な人で、牛糞を掴まなくても清潔な人で、青草を掴んでも清潔な人で、青草を掴まなくても清潔な人で、火を祭っても清潔な人で、太陽を拝んでも清潔な人で、太陽を拝まなくても清潔な人で、夕方三回水に入っても清潔な人で、夕方三回水に入らなくても清潔な人です。

 それはどうしてでしょうか。ジュンダさん。それはこの十善業が清潔であり、清潔にする物だからです。ジュンダさん。更にこの十善業があることが原因で当然天人たちが現れ、人間たちが現れ、あるいはまだ他のどんな善趣も当然あるからです。

増支部ダサカニバータ 24巻283頁165項





不潔な人は、地獄に閉じ込められたも同然の人

 比丘のみなさん。十項のダンマがある人は、当然地獄に入れられたも同然です。十のダンマはどのようでしょうか。十とは、この場合の人は、

①息のある動物を落とし、粗野で、血で汚れた掌をし、殺すこと殴ることだけで、動物を可愛がりません。

②平素から所有者が与えていない物を持ち、町や森に住んでいる他人の物や道具や財産を盗る人で、所有者が与えていない物を窃盗の形で自分の物にする人です。

③平素から愛欲の誤った行動があり、母が護り、父が護り、兄弟が護り、親戚が護り、ダンマが護っている女性、夫のいる女性、借金のかたである女性、(花輪を投げて)婚約中の女性に、これらの形の誤った振る舞いのある人です。

 比丘のみなさん。こういうのを体の三つの不潔と言います。

 比丘のみなさん。四つの言葉の不潔はどのようでしょうか。ジュンダさん。この場合の人は、

④平素から嘘を言う人で、証人として呼ばれて議会へ行っても、教団へ行っても、親戚たちの中でも、集会所へ行っても、王族たちの中でも、「発展した人。あなたは知っているように述べなさい」とこのように言われると、その男は、知らなければ知っていると言い、

知っていれば知らないと言い、見ていなければ見たと言い、見た時は見ないと言い、自分の理由、他人の理由、あるいは何らかの財産の理由で、知っていながら嘘を言う人です。

⑤告げ口をする人で、こちらで聞いたことを、こちら側に損害を与えるためにあちら側で言い、あるいはあちら側で聞いたことを、あちら側に損害を与えるためにこちら側に言い、団結している人を分裂させ、分裂している人を更に分裂させる人で、分裂することを喜んで満足し、夢中になって分裂させる言葉を言う人です。

⑥粗暴で強引で、他人に辛辣で、乱暴な言葉を言う人で、他人を侮辱し、怒りに包まれていて、サマーディになりません。彼はこのような言葉のある人です。

⑦饒舌な人で、時にふさわしくないことを言い、真実を述べず、要旨やダンマやヴィナヤに依存しない話をし、根拠のない話、時にふさわしくない話、結論のない話、利益のない話をする人です。

 比丘のみなさん。これが、四つの言葉の不潔です。


 比丘のみなさん。三つの心の不潔はどのようでしょうか。ジュンダさん。この場合の人は、

⑧貪りの多い人で、「他人の物は何でも自分の物になれ」と、このように他人の物や道具や財産を狙います。

⑨復讐心のある人で、「これらすべての動物は苦しめ。破壊され、消滅しろ。破滅しろ。生きているな」とこのように害意になる考えをします。

⑩誤った見方のある人で、「与える人は(結果が)ない。祭った供物に(結果は)ない。祭った祭事に(結果は)ない。動物がした善行悪行であるカンマの結果はない。この世界はない。別の世界もない。母もいない。父もいない。オッパーティカもいない。正しく実践して、自分らが行き、そして他人に公開して教えるサマナ・バラモンもいない」と、このように異常な見方をする人です。

 比丘のみなさん。こういうのが、三つの心の不潔です。

 比丘のみなさん。これを十不善業と言います。


 比丘のみなさん。この十不善業がある人は、自分の決まった時刻に、寝台から起き上がって大地を撫でても清潔な人になれず、大地を撫でなくても清潔な人になれず、新鮮な牛糞を掴んでも清潔な人になれず、青草を掴んでも清潔な人になれず、青草を掴まなくても清潔な人になれず、

火を祭っても清潔な人になれず、太陽を拝んでも清潔な人になれず、太陽を拝まなくても清潔な人になれず、夕方三回水に入っても清潔な人になれず、夕方三回水に入らなくても清潔な人になれません。

 それはどうしてでしょうか。比丘のみなさん。それは、この十悪業は不潔であり、不潔にする物だからです。

 比丘のみなさん。更にこの十悪業があることが原因で当然地獄が現れ、当然畜生に生まれることが現れ、餓鬼の範囲が当然現れ、あるいはまだどんな悪趣も、当然あるからです。比丘のみなさん。この十項がある人は、地獄に閉じ込められたも同然の人です。

増支部ダサカニバータ 24巻305頁189項





清潔な人は天国に入れられた人と同じ

 比丘のみなさん。十項のダンマがある人は、当然天国に入れられたも同然です。十のダンマはどのようでしょうか。十とは、この場合の人は、

①息のある動物を落とすことを避け、殺生を避け、丸太を置き、武器を置き、恥があり、すべての動物に対して憐れみと援ける気持ちに至り、

②所有者が与えていない物を盗らず、所有者が与えない物を盗ることを避け、町でも森でも、所有者が与えていない財産と、財産の道具を盗らず、

③愛欲の誤った振る舞いを捨て、愛欲の誤った振る舞いを避け、母が護り、父が護り、兄弟が護り、親戚が護り、ダンマが護っている女性、夫がいる女性、借金のかたである女性、(花輪を投げて)婚約中の女性に、これらの形の誤った振る舞いを避けます。

 比丘のみなさん。こういうのを体の三つの清潔と言います。

 比丘のみなさん。四つの言葉の清潔はどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の人は、

④嘘を捨て、嘘を言うのを避け、証人として呼ばれて議会へ行っても、教団へ行っても、親戚たちの中でも、集会所へ行っても、王族たちの中でも、「発展した人。あなたは知っているように述べなさい」とこのように言われると、その人は、知らなければ知らないと言い、知っていれば知っていると言い、

見ていなければ見ていないと言い、見た時は見たと言います。自分の理由、他人の理由、あるいは何らかの財産の理由で、知っていて真実を言う人で、

⑤告げ口を捨て、告げ口を避け、こちらで聞いたことを、こちら側に損害を与えるためにあちら側に隠さず話し、あるいはあちら側で聞いたことを、あちら側に損害を与えるためにこちら側に隠さず話し、分裂している人を団結させ、団結している人を更に団結させる人で、団結することを喜び、満足し、夢中になり、一致団結させる言葉を言う人で、

⑥乱暴な言葉を捨て、下品な言葉を言うのを避け、害のない、耳に美しく愛を生じさせる言葉、心が膨らむ言葉、庶民が使う丁寧な言葉、大衆が満足する言葉を言い、そのような言葉だけを話し、

⑦饒舌を捨て、下らない長話を避け、時にふさわしく、要旨やダンマやヴィナヤに依存した真実だけを述べ、根拠のある話、時にふさわしい話、終わりのある話、利益のある話をします。

 比丘のみなさん。これが、四つの言葉の清潔です。

 比丘のみなさん。三つの心の清潔はどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の人は、

⑧貪りが少ない人で、「他人の物は何でも自分の物になれ」と、このように他人の物や道具や財産を狙わない人で、

⑨復讐心のない人で、「これらすべての動物が加害心のない人であれ。迫害がなく、苦がなく、自分を幸福に維持するよう」とこのように害意のない考えをし、

⑩正しい見方のある人で、「与えた人は(結果が)ある。祭った供物に(結果は)ある。祭った祭祀に(結果は)ある。動物がした善行悪行であるカンマに結果はある。この世界はある。別の世界もある。母もいる。父もいる。オッパーティカ(不還)もいる。正しく実践して、正しい智慧でこの世界と他の世界を明らかにする行動に至り、そして他人に開示して教えるサマナ・バラモンもいる」と、このように非凡な見方をする人です。

 比丘のみなさん。こういうのが、三つの心の清潔です。

 比丘のみなさん。この十のダンマがある人は、当然極天国に入れられたも同然の人です。

増支部ダサカニバータ 24巻306頁189項

 (別の経では、十項の業道を二十項、つまり自分でするのが十項、他人に勧めるのが十項で二十項に、そして自分でするのが十項、人に勧めるのが十、他人がした時喜ぶのが十項で合計三十に、そして行動した人を称賛する十を足して四十に拡大しています。だから十項、二十項、三十項、四十項の業道があります。24巻308頁190項

 別の経では十項の業道を二十項、つまり自分でするのが十項、他人に勧めるのが十項の二十項に、そして自分でするのが十項、人に勧めるのが十項、他人がした時喜ぶのが十項の三十項に拡大しています。24巻352頁198項

 別の経では、行動の結果を、地獄に閉じ込められた人も同然を「自分の根を掘った人」「死んだら悪趣に行く」「堕落者」もあります。天国へ入れられた人は「自分の根を掘らない人」「死んだら善趣へ行く」「博学者になる」もあります。24巻332頁202項)



ブッダヴァチャナによる四聖諦 完





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