2.政治主義であるダンマ





1978年9月17日
第四回ラジオ法話

 タンマにご関心のある善男善女のみなさん、今日のお話は、「政治主義であるタンマ」と題してお話します。このように申し上げると、ほとんどの方は容認しないと思います。つまり人々は「政治とタンマは別」と見ているので、関連させることや、一緒にすることはできないと信じます。

 そう理解するなら、なぜ、どんな主義の政治でも、タンマに欠けたらどうだろうと観察して見ないのでしょうか。タンマを政治と切り離せば、どの主義の、どのレベルの、どの地域の政治も、世界の政治は汚れた物になります。

 「政治は汚れた話」という言葉は、誰もが認めるところです。つまりお互いに誠意を求めることはできず、世界全体の平和にも本気ではなく、自分や自分の政党の利益だけを目指しています。このようにタンマに欠ければ、政治は汚れた話になります。

 こう見えてもまだ、人々は必死で政治とタンマを切り離そうとします。これらの政治家は自分のため、あるいは自分の政党のために政治活動をし、人類の平和のために政治活動をしないからです。

 私は、タンマは政治主義の一つという見解があります。普通の人の政治主義ではなく、神様の政治主義でも、タンマを一つの政治主義と見なさなければなりません。私がどんなことを言うか、どうぞお聞きください。

 政治からタンマを切り離せば、政治は汚れた話になるというのは、みなさん認めると思います。そこで私は「本当は、政治は一つの意味のタンマ」と言います。政治はタンマ。これは、政治はタンマと関連がある、と言うよりももっと凄いです。今私は、政治はタンマ、と言っています。

 この項目を理解するには、「タンマ」という言葉の意味を正しく理解しなければなりません。「タンマ」とはどんな意味か、しばらくの間、興味を持って聞いてください。

 パーリ語の「タンマ」、あるいはタイ語のただの「タンマ」という言葉には、四つの意味があります。パーリ語を基準にすれば、パーリ語の「ダンマ」という言葉は、何一つ例外のないすべての物、数えきれない、森羅万象を意味すると、みなさん、知っておかなければなりません。

 しかしすべての物を分類すると、四種類、あるいは四つのグループになります。だから私は、タンマという言葉には四つの意味があると言います。初めの意味は、現象がある物も、現象がない物も、すべての自然です。このすべての「自然」を、パーリ語でダンマと言います。タイ語のただのタンマも、この意味、自然という意味です。

 二番目の意味の「タンマ」は、自然の法則です。自然がある所にはどこでも、その自然の中に、それを支配している自然の法則があります。あるいは、すべての自然は、自然の法則によって生じ、変化します。つまり「自然の法則」です。この自然の法則をタンマと言います。パーリ語のダンマの意味の二番目です。

 三番目の意味の「タンマ」は、「自然の法則に則した義務」という意味です。これは、生物が自然の法則に対して正しく行わなければならない義務を意味します。これが三番目の意味のタンマです。

 四番目の意味の「タンマ」は、「義務の実践から受け取る結果」です。世俗的な結果でも、タンマの面の世俗を超えた結果でも、何でもすべての結果を、タンマである結果と言います。

 要約すれば、タンマは自然で、タンマは自然の法則、タンマは自然の法則に合った義務、タンマはその義務の遂行によって得られる結果、と言うことができます。全部で四種類。どれも「タンマ」というたった一つの言葉の意味です。

 みなさんがこのような意味でタンマを知れば、タンマという物を完璧に知っていると言います。つまりありとあらゆる物、何百、何千、何万、何十万、何百万、何千万あろうと、すべてこの四種類の意味に集約されます。

 次に政治主義であるタンマは何番目の意味になるか、ですが、タンマの意味を順に、一番の自然、二番の自然の法則、三番の自然の法則での義務、四番の義務を行なった結果と見ていくと、それは三番目の意味えある、自然の法則に則した義務になります。すべての生き物には、生きるため、そして平和に暮らすために、自然の法則に則した行動をしなければならない義務があります。

 ここで私の考える「政治」という言葉について言えば、権力を行使せずに世界を平和にする義務です。権力を行使する政治は、汚れた政治以下で、むしろ幽霊悪霊の政治です。

 本物の政治は、権力を行使することなく、平和を構築することでなければなりません。すべての生き物が平和に暮らすために、知性でお互いに理解し合うという意味です。生き物には、お互いに平和に暮らすために、しなければならない義務があります。権力を行使することなく、噛みつくことなく、攻撃追放することなく。こういうのを、権力を行使することなく、と言います。

 三番目の意味のタンマは、人間が権力を行使することなく、しなければならない自然の法則に則した義務という意味は、何に対してでしょうか。みなさん考えてみてください。政治とは、権力を行使せずに世界の平和を目指す物です。タンマとは、生き物が権力を行使することなく平和に暮らすために、生き物がしなければならない義務です。だから政治と呼ばれる物は、三番目の意味のタンマです。

 「タンマとはすべての生き物が、自然の法則に則って行動しなければならない義務」と、もう一度主張させていただきます。平和に暮らしたいと望むなら、平和に暮らす法則に合った行動でなければなりません。苦にしたいなら、苦になる法則に合った行動でなければなりません。しかし誰も苦を望まないので、苦を生じさせる法則を話す必要はありません。幸福を生じさせる法則について話します。

 タンマとは、世界の平和のために行動しなければならない義務であり、政治とは世界に平和を生じさせる行動、自然の法則に則っていなければならない行動です。それはタンマの二番目の意味です。

 神様の政治についてお話します。神様の政治という言葉を、怪訝に思われる方がいるかも知れません。言い替えることもできます。みなさん、タンマの二番目の意味、つまり「タンマとは自然の法則」を思い出してください。

 自然の法則が先にあり、それによってすべての物が生じたと見れば、太陽や月も、この世界も、どの世界も、自然の法則によって生じた自然です。自然の法則は何よりも前から存在し、これらを生じさせる義務を行いました。だから自然の法則は、神様と呼ばれる物と同じ価値があります。

 神様という言葉の一般的な意味は、世界を創造し、支配している人という意味です。そして時には世界を破壊することもあります。発生と維持と消滅の意味の、世界を創造し、世界を支配し、世界を破壊するのは自然の法則であり、神様と呼ばれる物と同じの威力と能力があります。

 政治とは自然の法則で経過しなければならない物、神様の教えにならなければならない物です。それを純潔な政治と呼びます。純潔な政治は、自然の法則で経過します。

 神様を政治家の首領と見なすことができます。自然の法則という意味です。平和にする部分で神様の教えで行動すれば、世界をどうにでもできます。だから私たちは神様の政治にする方が良いです。

 今言っている神様とは、二番目の意味である自然の法則です。この言葉に関係ある話を、ちょっとご紹介したいと思います。西洋人たちは、仏教には神様、 God がいないと言います。

 私は親しみをこめて、「仏教にも神、つまり God はいます。神様とは自然の法則のことです。タイ語で法則のことをゴッドと言います」と言います。しかし短く発音してゴットと言います。気持長く発音すれば God、神様になります。だから仏教にも神様はいる、と言って一緒に笑いました。しかしタンマの二番目の意味である自然の法則という意味です。

 すぐに忘れるといけないので、もう一度繰り返させていただきます。タンマの初めの意味は自然、二番目の意味は自然の法則、三番目の意味は自然の法則に合った義務、四番目の意味は、義務の結果です。

 例えれば、自然のすべては神様の体であり、自然の法則は神様の心で、自然の法則に合った義務は神様の望みであり、義務の結果は神が与える報いで、タンマの四つの意味から逃れることはできません。

 神を擬人化すれば、いろんな神様のある宗教の人たちが言っているようになります。一方仏教には人物ではない神、つまりゴット(法則)という自然の法則があります。ゴットである法則があります。法則であるゴットがあります。

 人物である神様が欲しい人は、長く発音すれば、人物である神様 God になります。意味は、世界を創造し、支配し、破壊するという点にあります。タンマの抽象的な意味でも、同じ世界の創造、支配、破壊という意味です。人物の神様も、事象の神も、同じ義務があります。

 本当の神様であることは、この義務を行うことです。みなさんは人物の神様を捉えることも、自然の法則である抽象的な神を捉えることもできます。しかし、それは何にも傾かない最高に崇高な物であり、己の義務に非常に厳格な物と知らなければなりません。だから神様は「生き物は、権力を行使することなく、お互いに平和を作る義務がある」という法則を作りました。

 政治と呼ばれる物は、権力を行使することなく、世界を平和にする義務を行うために力を合わせることです。それが純潔な政治、神様の政治です。政治家の頂点に神様がいます。これと違う別の政治は、汚れた政治、非常に汚い政治で、神様に関係のない悪霊亡霊の政治です。

 どうぞみなさん、考えてみてください。人類に平和をもたらす政治を望むなら、誰もが神様の望みどおり、あるいは自然の法則どおりに行動しなければなりません。政治家の頂点に神様がいる、神様を手本にする政治を選ぶしかありません。

 どの宗教にも共通する重要な教えがあります。それは誰でも共に生まれ、共に病み、共に老いて死んでいく友人と見なすこと、同じ問題を抱え、共に苦しみ共に楽しむ友達と見なすことです。どの宗教も自分のことより他人のことを強調しています。

 自分よりも他人を、あるいは自分のように他人を愛すように教えています。どれも利己主義をなくし、他人を思い遣ることを目指しています。これが「社会主義」という意味です。つまり社会を好みます、自分だけを好んではいけません。(註:タイ語の主義という言葉には、好むという意味もある)

 私はもっとはっきり、どの宗教も社会主義の精神がある、と言いたいと思います。どの宗教にも頂点に神様がいます。冒頭で述べたとおり、擬人化された神様も、人物でない神様も、最高の物であるタンマがあります。

 だからすべての教祖の社会主義は、必ずタンマによる社会主義なので、主義自体が純潔であり、権力を行使することなく、すべての人の幸福のためになります。それを神様の社会主義と言います。

 もっと簡潔明瞭に言えば、「タンミックサンコムニヨム(タンマ社会主義)」と言い、タンマによる社会主義です。これが神様の政治主義です。このタイプの政治主義のトップに神様がいます。だから私は、政治主義であるタンマは、自然の法則に合った義務であるタンマを意味すると言います。権力を行使することなく、人間集団の平和を築くために、自然の法則に則した行動をしなければなりません。

 だから三番目の意味のタンマは、それ自体が一つの政治主義です。それ自体がタンマであり、政治主義です。あれこれ関連について話す必要はありません。自然の法則に則った義務はタンマです。この種のタンマは神様の政治主義、「正義」という意味のタンマがある人の政治主義です。

 私たちには自然の法則での義務があります。お互いに生老病死の友、という立場で行動しなければなりません。だから私たちは、特に現代の世界は、タンマを政治にし、自然の法則を政治家のトップにいる神様にするという、この項目を理解しなくてはなりません。そうすれば政治は神様の物になり、タンマの物になります。

 どうかタンマである、つまり自然の法則での義務である政治とは、こういう物と知ってください。タンマの実践は政治であり、政治はタンマの実践です。さもなければ亡霊悪霊、悪魔や魔王にチャンスを与えてしまいます。つまり「俺、俺の物」の利益が最高であり、神様を尊敬しません。

 タンマの法則を尊重せず、自分の利益を最高の物として追求します。そしてその精神で政治を行うので、それはタンマと関係のない、亡霊悪霊の政治です。

 タンマに関係のある政治なら、政治にタンマの実践があります。この世界のすべての政治家のみなさん、どうぞタンマを政治主義と見てください。あるいは政治主義は本当のタンマと見れば、みなさんには世界を管理するタンマがあります。

 中毒性薬物のような煩悩に勝てるタンマが、世界を管理する道具になります。タンマは中毒性の物ではありませんが、中毒性の物を撃退することができます。だからタンマである政治、政治であるタンマは、世界を煩悩から、凶悪さから、卑劣から、俺、俺の物だけの利己主義から救うことができます。

 人々は本当の神様の世界に住むことができ、神様の本当の望みに適った行動をします。この種の神様の世界には「政治は汚れた物」という言葉はありません。政治は正しく、公正で、最高の善であり美である話だからです。つまり権力を行使することなく、みんなで協力して世界を平和にし、いつでも平安があるようにします。地上でも地下でも、お互いにどんな危害も加えません。

 世界のすべての人の心に、四つのすべての意味でのタンマが現れるよう祈らせていただきます。そして二番目の意味、つまり自然の法則を神様と捉え、三番目の意味、つまり自然の法則での義務を、いつでも神様の望みどおりに行動しなければならない人間の政治と捉れば、私たちはこの意味の人間、つまり「高い心のある動物」と呼ばれます。

 それはどんな種類のどんな問題よりも高い心です。人間に生まれたことが無駄になりません。そして起こるべきどんな問題も無くす宗教があります。

 口先だけで神様の名前を口にしないで、本当に神様があり、善い行動、美しい行動、自然の法則による義務と一致する行動になるよう努力することで、神様に祈ってください。そうすればいずれにしても、問題より上にいることができ、述べたような政治主義であるタンマを掴みます。

 時間になりましたので、今日のお話を終わらせていただきます。



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