8 健康その他





問 : 先生。次は、聞き落としたいろんな質問です。何年も前に先生は、「雨がしとしと降っていても、スコップで土を耕している老人を見たことがある。そしてそれがその人を健康にしている」とおっしゃいました。憶えていらっしゃいますか。

答 : 何人もいました。達人と言わなければなりません。プラヤーアッタクロムマヌッティーの母親で、家が向かいにあり、雨が降るとキンマの畑へ行きました。彼女の仕事は、キンマの葉をきれいにするだけです。年寄りなので寒さを感じません。土を掻き散らしたり掘ったり、集めたり、何でもして、キンマの葉が美しく茂っても気に留めません。子や孫が収穫して売りました。苦がない人で、苦の少ない人と言います。

問 : 私はそのようにする人の話を聞いたことがありません。この土地だけの話でしょうか。

答 : 私は、どこにでもあると言います。雨の時に働きに行くと、陽射しがないので疲れないという秘訣があります。それに、雨が育てている野菜に水をやってくれて楽しいです。誰でもできます。雨が降ると家庭菜園へ行って、土を掻きました。それに水が溢れた時に、失敗が生じないように、見て正しくしました。

問 : 先生はそういうのをご覧になって、その後、雨の中を歩かれるなど、何かそれに関連したことはありましたか。

答 : 関係したかどうか思い出せません。しかし同じ理由はあります。私はその考えを農民全員に伝える気はありませんが、雨が降ると野菜畑、家庭菜園へ行きました。笠を被って、竹笠を被って家庭菜園や野菜畑にいると、良くできて楽しいです。

 子供の頃雨が降って来ると、パッと表へ飛び出して、道を捏ねて海にしてタイの陸地を浮き上がらせ、タイの地図を作りました。雨の時に遊ぶと疲れなくて、そして楽しいです。タイの地図を作って、ピン川、ワン川、ヨム川、ナーン川、ルーイ川でも、海に注ぎました。

問 : 私はスンモークに来る前、定期的にお寺へ説教を聞きに行きました。するとその方は、「仏教は無くなる。涅槃は随分前に無くなった」と教えました。だから親戚は、涅槃はずっと前に無くなったので、涅槃に行ってはいけないと信じました。

答 : それは、彼らは聖向聖果涅槃とは何かを知らないで、聞いたように言い伝えて、カーラーマスッタに反して(笑) 他人が言う通りに話すからです。仏教の状態を知るために、これらを勉強しておくべきです。本当の、本来あるべき十分な結果が出ません。なぜ停滞しているかは、捉えている人が間違っているからです。

 私たちは、みんなで障害を剥ぎ取らなければなりません。これは、彼らが罵り、何と言うのにも耐え、努力しなければなりません。私が毎日話しているような「地獄天国」「生きているうちに」を、彼らは信じようとしないで罵ります。彼は死んだら生まれると、同じ人が生まれて結果を受け取ると主張します。

 私は賛同しません。魂が再び生まれると言うのは、仏教では誤った見解です。しかし彼はそういう魂があると信じています。そしてナックタム(僧試験)の学校でも、魂が生まれると教えていることもあります。

 ケーワッタスッタ、あるいはマハータンハーサンカヤスッタを読んで見てください。サーティという比丘が「魂が生まれる」と言うと、ブッダは「仏教の正しさを守るために、そのように言ってはいけない」と言われました。私たちは「今ここに人はいない。あるのはイダッパチャヤター(因果)の流れだけだ」と言わなければなりません。人物のように魂が生まれるのはあり得ません。

 しかし道徳の角度では、彼は利益があると見まています。人に罪を恐れさせ、徳を愛し、善いことをさせるためにそう教え、そして死んだら善く生まれることを望んでいます。パーリ(ブッダの言葉である経)にも、「善趣天国へ行く、善趣へ。体が死んだ後」という言葉があります。それには、何が善趣へ行くのか質問しなければなりません。(笑) 

 「カーヤササ ベーダーパラン マラナー サガガン スガティ ウパパチャティ。当然将来、善趣、天国の世界へ到達する。しかし体の消滅なので死よりも前に」。パーリの至る所にあります。私は、二か所のブッダの言葉が矛盾しないように説明する智慧に窮してしまいます。

 それでこういうのは道徳のためにヒト語で話し、さっきのようなのは、第一義諦のため、真実のために話していると解釈することにしました。今生きている自分がないのに、何が人に生まれるのでしょう。今でさえ自分はなく、あるのは、原因と縁で、自然の元素が作る流れだけです。今人はいません。誰もいません。誰も死ぬ人はいません。それで誰が生まれるのでしょう。

 みなそう教えるので、矛盾します。人語とタンマ語の区別をしないから、凡夫のためのローギヤ(俗)と聖人のための第一義諦に分けないからです。仏教は自我がないと教えるのかと問われれば、自我はないと、そして誰も生まれないと認めます。

問 : 自然が生まれる。

答 : 決して「その人」という言葉を使いません。しかしパーリ(ブッダの言葉である経)に、「その人、その私が生まれる」とあります。

問 : しかし、昨日の私と今日の私を、私と仮定することはできますね。

答 : そう言わなければなりません。こう言うのは仮定で、ヒト語で話しています。真実は、一秒たりとも同じ人ではないので、どの私も、永遠に同一人物として生まて死にません。

問 : 先生。本当は、先生がさっきおっしゃったように、将来の地獄天国は今と繋がっているという言葉を使えば、矛盾しないで彼らに合わせて説明することもできます。こういうのは問題がありません。

答 : 現在の地獄天国次第。

問 : こうなら問題はありません。

答 : しかし非難する人がいます。私は地獄天国の話を否定すると、非難するような手紙を書いて来ました。彼らには遠くにある地獄天国という意味しかありません。

問 : 昔先生は、ハッキリした言葉を使われなかったのではないですか。今の地獄天国次第という言葉を使われませんでした。「それ次第」と言われれば、ハッキリします。

答 : しかし、その話をした時は、こういう言葉を使いました。ずっと前はこの話をしなかったので、この言葉を使う機会がありませんでした。

問 : 先生のお弟子さんが、そっちの意味に解釈することもあります。つまり先生は真ん中を歩かれていても、彼が少し間違うと、断見になります。

答 : 私は、地獄天国は心にあると捉えさせます。今の地獄の方が、死んだ後の地獄より怖いです。死んだ時のは見えず、それに怖くありません。

問 : 先生は、間違って踏み出しても、正しくすることができるとおっしゃったことがあります。間違って踏み出した足を正しく修正なさった、ご自身の重要な出来事を憶えていらっしゃいますか。

答 : 非常につまらないことです。間違った考えは、正しい考えを発見させます。非常に小さなことは何十もあります。間違った考えをし、間違ったと気づいたら、戻って正しさを見つけます。

 私は「間違いは善い先生」と、しょっちゅう言っています。正しくするために、強烈に、痛烈に教えます。苦は幸福よりも善く教え、幸福は思い上がらせるだけです。正も誤も自然の仮定で、同じ因果律です。

問 : 何十もの間違った考えが、正しい考えになるように教えた例は何か、憶えていらっしゃいますか。

答 : 憶える必要はありません。誰でも同じです。間違いは正しくするよう教えます。比較することを知っているからです。こういう話は、わざわざする必要はありません。

問 : 三蔵の中に、ブッダが一度不浄業処を教えられ、それからブッダが外出して、しばらくして戻って来ると、比丘たちが一斉に自殺をしていたので、アーナーパーナサティを教えるように変更したという話があります。どんな経緯があるのですか。

答 : それは本当です。それらの比丘の中に非常に愚かな人がいたから、まったく融通の利かない人がいたからです。

問 : 一切智という言葉は、一般には「ブッダになったら何も失敗をしない」と説明されています。それで、ブッダの教えの結果自殺したという話に出合うと、一切智という言葉に疑問が生じます。

答 : 一切智という言葉の意味は曖昧で、本当の意味は、滅苦に関わるすべてを知っているという意味です。私が「ブッダは中国語を話せない。今、車の運転をさせてもできない」と書いたら、ソムデットワットベンに叱られました。叱って、ニルカティパティサンピダーを引用され、どんな言葉も話せると言いました。

問 : 先生。今までの人生を振り返られて、必要でないことをしたと思われることはありますか。

答 : 間違ったというのは、多少あります。でも重要なことではありません。破滅しなければならない話、落ちぶれる話ではありません。幸運でした。勉強に没頭して、タンマの知識、仏教の知識を探していて、悪い考えや間違いが、どうして生じるのか知りません。やり直さなければならないほどの失敗は、思い出せません。

問 : 非常に時間を無駄にして何も利益はなかった、と感じるようなのはありますか。

答 : 思い出せません。しないから、する機会がないから、あるいはあまり試しません。前に自己流のピアノを作ろうと考えましたが、始めると金属やら何やらを使わなければならないので、完成に至らず、時間の無駄と感じて止めました。こういうのは何と言いましょう。(笑)

問 : そういうのを知りたいです。

答 : 小さすぎることです。

問 : それでは考古学の話を、時間の無駄と捉えていらっしゃいますか。

答 : 今はね。前には考古学が好きで、集めました。今でも取ってあります。時間に見合わないと感じました。滅苦ができません。考古学は滅苦にならない学問で、膨張したアビダンマと同じなので、止めました。

 一緒に楽しんだ人たちは、もっと書くよう催促し、王孫のチャオチャンチラーユ ラッチャニーは毎年来て、毎年訊き、書くよう、書く努力をするよう煽りました。私も彼を失望させたくない、あるいは苦を感じさせたくないので、「まだ」と言い、「もう好きじゃなくなった。嫌いになった。今は時間に見合わない話に見える」とは言えませんでした。

 しかし、集めた知識はこれらの人の役に立つので、もったいないと感じます。しかし後の人が、私のように執着して時間を無駄にするのも恐れます。この部分では罪を受けなければなりません。

問 : 先生がなさったすべての仕事で、大きな結果があったのは何ですか。思ったより結果が少なかったのは何ですか。

答 : 一部あります。難しいタンマの話を、庶民も理解できると考えましたが、彼らは理解できなかったので、結果が少なかったです。特に空と無我の話は結果が少ないです。

問 : しかしこれらの本は、思いの外良く売れたのですね。初め先生は、これらを印刷なさろうとしませんでしたが、印刷すると、社会面の本より、何より良く売れました。

答 : 私は知りません。しかし庶民は、私が期待したほどたくさん無我の話、空の話を知りません。空の話を誤解する人がいるとは、あのように人真似をしてからかう人がいるとは考えず、「ああ、空を知っている人が増えた。以前より増えた」という目で見ていました。

 しかし知った人が受け入れようとせず、否定して揶揄する人がたくさんいました。いずれにしても、空の話は芽を出しました。

問 : 先生。それでは期待以上に結果があったことはありますか。ちょっとしか期待しなかったのに、すごく結果があったことは。

答 : 思い出せません。あまり結果を期待しません。結果を推測しません。そういうことには興味ありません。

問 : 先生がクルンテープへ講義に行かれて、大きな結果があったか考えませんか。

答 : 結果を推測したことはありませんが、結果があったのは分かります。想像以上の結果がありました。これは関心がありません。

問 : 先生の三つの理想のうち、どれが一番結果がありましたか。

答 : (笑) これも三つ一緒にしてきたので、三つとも結果あります。しかしどれも最高の結果はありません。すべての人に自分の宗教を理解させるのと、人に物質主義を捨てさせるのと、宗教間で理解し合うのは、どれも同じくらい難しく、同じくらい障害があります。私が書いた宗教を比較する文章を読んで良く理解する人は、まだ結果として現れません。

問 : 外国へお仕事をしに行くよう勧める人はいませんでしたか。

答 : 思い出せません。ほのめかす人はすごくたくさんいました。私には意味がありません。ドイツ人たちが私をドイツへ誘い、パーサーティコー ヴィマローの世代が、学生たちに、彼らが自費で、私をドイツへ行かせる計画をするよう、仏教協会へ手紙を書かせました。

 サンヤーさんが私に言って来ましたが、私はできないと言いました。巣を見張って、直撃して来る敵を迎え撃つと宣言したので(笑)、行けません。行けないと身のほどを知っていたので、準備しませんでした。言葉もあまり得意でなく、お喋りする言葉だけで、講義などの言葉は知りません。

問 : 先生。言葉の問題以外に、行けない問題はありましたか。 

答 : あります。あったと思います。すごく暑く、すごく寒い、あるいは自然に馴染まない気候は好きじゃありません。バターの臭いも嫌いです。規則がいっぱいで、formality (形式)がいっぱいで、何でも気難しくて小うるさいです。

 プラ・ローガナートに誘われた時も、そう言いました。何度も何度も誘われましたが、私はタイでしなければならない仕事があると言いました。当時誰もが私に、ローガナートと一緒に行くよう勧めました。サンヤーさんまで、一緒に行くよう勧めました。「ローマを叩き壊しに行く(笑)、バチカンを叩き壊す」というプラ・ローガナートの宣伝に、みんな酔っていたからです。

問 : 先生がたくさん手紙を書かれたのを見たことがあります。手紙に返事を書く時の原則はありますか。

答 : たくさんではありません。何十年もなので多く見えますが、本当は多くありません。あまり返事を書きませんでした。今はもっと書きません。当時でも選んで、関わりのある人だけに返事を書きました。過ぎて来た時間に比べれば、私は多くないと言います。手紙はあれだけです。多いと見なしません。

問 : 話す仕事を除けば、手紙と著作は同じくらいです。佛教新聞に載せた書き物と手紙は同じくらいです。内容も負けません。面白さは手紙の方が多いです。

答 : 当時は返事を書くのは便利で、返事を書きたい人だけに書きました。全部には返事しません。返事をしなかった人もいます。しかし今は、返事をしない場合がほとんどです。質問してくる人にも返事ができません。助力を求める人、本や何かを求める人にも返事をしません。

 与える物がないので返事をしません。いろんな学校の先生たちが、本をくださいと書いて来ますが、返事をしません。何人もの刑務所の受刑者が、本やら何やらを求めて来ますが、返事を書きません。

問 : 誰かこの仕事をする人を決めれば、利益になるはずです。

答 : それができません。私と同じではありません。私の望みと一致しないので、決められません。

問 : 本当に関心がある人もいます。たとえば受刑者など。

答 : そうです。彼は求める状況にいますが、私はできないと見なしているので、もっと重要な、できることをします。力がありません。力が尽きました。手紙を書いてくる人が多いので、私の気持ちでは、できないと言います。

問 : ご自分で年を取ったとお感じになったのは、いつ頃からですか。

答 : 体の老いは六十五歳の時、体が老い始めたと感じました。でも心はまだ感じませんでした。

問 : 体の老いを感じた時、どんなお気持ちでしたか。

答 : 疲れやすく、今までのようにたくさん働けません。天候への適応力も弱まりました。その時から人並みに風邪を引くようになりました。六十五歳の時、観察して見て、体が老いたと感じました。

 それからどんどん老いて、今はとても老いました。立ったり座ったり歩いたりする力があまりありません。でも心は老いていません。でもあまりたくさん考えません。心は体に依存しているので、体が基本です。

 心だけの部分、つまり考えは老いません。反対に若返っています。知性は知性の働きをし、まだ老いていないと感じます。しかし心は体に関わっていて、体という基礎に依存しているので、いろんな事を切り捨てることを知っています。残っている少しは、何とかできることです。まだ何とかできること。

問 : 先生。持病はおありですか。

答 : 人が言っているように言えば、ないと言ってもいいです。持病は、便秘をすると、出血をすることです。二十歳の時から。

問 : 出血するのは痔ということですね。

答 : 痔による便秘は、いつもです。合わない食べ物を食べると、特にクレーン(マテ貝の一種)を食べると、幾つも食べなくてもこの症状が出るので、食べません。食べたらその症状を治す薬を飲まなければなりません。日本のクロンボ印の薬が良く効きます。その類を食べた日に腫れてきたら、出血する前に三十粒飲むと、何日も消えてしまい、一日おきに二週間飲むと完治します。

問 : 先生。お若いころ、重病になったことはありますか。

答 : ありません。最高で二三日マラリヤになっただけです。その後は二三日風邪をひくと重病と言いました。しかし今回(1985年-1986年)は、今回の病気と言うのは、何も重いとは言いません。今は小康状態です。

問 : 先生。入院しなければならなかったのは、手術の時一度だけですか。

答 : 盲腸の手術だけです。シリラート病院に入院したのは、脳のこと、頭蓋骨内のことで、再起できない病気ではありません。委縮というようなのではありません。脳天近くの一バーツ硬貨くらいの部分が火のように熱くなり、その時座って話していましたが、話している時眠ってしまいました。

問 : そういう眠り方は、卒中ではないですよね。

答 : 似ています。卒中の一種です。眠って、それから目が覚めたら少しだるくて、彼らが一大事と見て、卒倒という言葉を使う人もいましたが、卒倒ではなく、眠って、起きたらまだ十五分くらいじゃないかな。曲石庭の仏像の横に座っていました。その日は説法台に上らずに何か話していました。目が覚めたのは強心剤でです。(笑) 

 あの人も強心剤、この人も強心剤なので、何をしているのか訊いたら「倒れた」という人がいました。私はちょっと眠ったと感じました。そして目が覚めると、チャムナーンさんが「治療をしなければいけない。クルンテープで検査して治療をしなければいけない」と言って聞きませんでした。

 誰もが悪いことと見て、たまたま当時総理大臣だったサンヤーさんが一言、「警察のヘリコプターが迎えに来ます」。

問 : その時の入院では何の治療をなさったのですか。

答 : 彼らの方法で治療しました。薬を飲んだり、何したり。医者がシリラート寺(笑)を開山するまで、二十日くらい寝ていました。夜が明けると食事のための(供養された)弁当がいっぱいで、病院の食事は食べませんでした。

問 : 何方が担当医でしたか。

答 : 病院の部長の、ウィーキット ウィーラーヌワット医師です。特別客、総理大臣の特別患者でした。(笑)

問 : そこでプラウェート医師と、どのように知り合ったのですか。

答 : プラウェート医師は、入院する前から知っていました。彼は「医師のプラウェートです」と訪ねて来て、いつ知り合ったか、良く憶えていません。しかし彼の話を読んだことがあります。

問 : 先生。それではチエンマイで盲腸の手術をなさったのは、どんな理由ですか。

答 : 盲腸炎でした。ドーイプイという高い山に登って、とても疲れました。パンヤーさんも、ワートさんも一緒に行きました。(1962年) ドーイブアックハーに泊まって、ドーイプイへ登りました。たぶんドーイプイ登山で普段以上に疲れたからでしょう。翌日、非常に倦怠を感じました。

 しかし疲れていない人たちに恥ずかしいので、目を閉じて歩き、目を開けてどこからどこまで歩くと見当をつけ、そして目を閉じて歩き、また目を開けると、どこまでと決めてまた目を閉じました。それくらい疲れていました。誰にも言わずに宿泊所まで歩きました。

 夜になると盲腸があると思しき場所が痛んで、チャオチューンが薬を持っていて、息子の嫁が看護婦だったので準備して、チャオチューンが盲腸の位置に痛み止めの注射をして、痛みを軽減しました。ゆっくり引き攣るような痛みで、何と言ったら良いか分かりません。

 捩じれるような痛みとは違い、鈍いゆっくりした痛みで、電気ショックのように激しい痛みでした。夜が明けると歩けないので、担ぐ椅子を作って、メオ族の人が担いでドーイステープのケーブルカーに乗り、夜はウモン寺に泊まりました。

 翌朝スアンドーク病院でプラコーブという医師が手術をしました。病院に四五日いてから、ドーイステープの宿舎、ルアンシープラカード市長の家に移動し、九日か十日までいて、それからウモン寺に滞在しました。これは、運よく破れなかったと言います。彼が持って来て見せたのは、親指くらいの固まりでした。

問 : その後の病気は、先生はあまり医師の言うことをお聞きにならないのではありませんか。薬や何かのことを。

答 : 私はできるだけするように努力しています。しかし頑固にならなければならないこともあります。たとえば出家式のことや説法に行くのを医師は止めます。行かせたがりません。今でも医師の言うとおり薬を飲む努力をしています。たまに約束を破ることはあります。特別なことは何もありません。普通です。

 しかし私は、医師が言ったとおりに、あまり信じない所があります。だから私は多少頑固になったり、避けたりします。食べ物に関したことなど、誰を信じたら良いか分からないほど矛盾する話をする医師もいます。

問 : 先生。今は来客が多いです。座ってお客さんを迎えて、退屈しますか。

答 : それは人次第です。非常に退屈する人もいるし、退屈しない人もいるので、うまく答えられません。お喋りが楽しい人もいます。意味がなく、退屈な人もいます。しかし私は一つの原則があり、他人を気分よくさせるために、できるだけ努力をします。そういうのは忍耐があります。忍耐と言うこともできます。忍耐して客を迎え、忍耐して何かをします。

問 : 先生。お客や先生と話をしに来た人から、先生は何かを学ぶ方法がありますか。知識という意味で。

答 : それも、それぞれです。何か役に立つことを言ったら憶えておきます。時には考えるヒントになることもあります。昔私は、年寄りの話を聞くのが好きでした。珍しい話、昔の話、私たちが聞く機会のない話をする人もいました。昔の人はどんな話が好きか、何をするのが好きか、お客から聞く機会がありました。

今は年寄りがいなくなりました。私は年寄りの話を聞いて昔の人のことを知りました。年寄りがいなくなるまで(笑)。つまり私の方が年寄りなので、話して聞かせる役になりました。

問 : 先生の年代は、話す技術を知っていて、昔のタイ人は、お喋りが上手で、お喋りをして友達を楽しく夢中にさせ、知識を持たせたと聞いています。

答 : 私が使う言葉、たとえば「鳥には空が見えない。魚には水が見えない」というのは、年寄りが話してくれました。それを私がアレンジして、後を繋げました。「美しさは幽霊にあり、善は捨てることにあり、僧は真実にある」は私が考えたのではなく、年寄りから聞いて、そして心に刻まれて満足するのを感じました。

問 : 私の世代が大人になった頃には、そういう人たちにはあまり出会いませんでした。

答 : それです。変わりました。「ご飯を食べても米を失うな、仕事をしても力を失うな」。聞いてあまり意味が分かりません。初めて聞いた時はびっくりして、いったい何だろうと興味を持ち、自分で説明を探しました。簡単で意味が深い時もあります。

 「ご飯を食べて米を失くすな」は、米を無駄に失うな、ご飯を食べて、米を無駄にするなという意味です。「仕事をして力を失うな」は、価値のある結果を出しなさいという意味です。老人はわざわざ憶えました。

 特別に価値のある物として憶えて、私に話して聞かせました。私が維持しなければ消滅します。今書いて文章にして、利益が見えるよう、有益に使えるように説明をし、いろんな古い物を維持する手伝いをしています。

問 : 先生。スアンモークの儀式の日、新年、ウィサーカの日、いろんな日の行事を、先生はまだ満足してなさいますか。

答 : 住民のためにします。住民がすることがあるように。新年の托鉢は、住民が好きです。

問 : 先生。こういう儀式は退屈ではありませんか。まだ楽しいですか。

答 : 言うなら、あまり力もないので、退屈です。する必要がなければ良いです。しなくても良いです。いろんなことはしなくも良いです。住民を安心させるために、他の人を安心させるためにします。菩薩は他人を安心せる義務があります。

終わり


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