楽しく働くために知るべきタンマ

 

1990227

 タンマに関心のある善人のみなさん。進歩がある仕事や人生にするために、タンマの知識を求めてお出でになったことを嬉しく思います。

 明け方にお話するのは、私にとって意味があります。それは非常に元気のある時刻で、もう一つは、このような明け方は、みなさんの茶碗にお茶がない時間です。お茶が茶碗に溢れていません。つまり聞くのに良い、考えるのに良い時刻で、これも自然です。

 なぜブッダが明け方に大悟したのかは、他の時刻より条件が整っている時刻と言うことができます。一日の始まりであり、神経系統やいろんな物が新しく、聞く準備が整っています。だから明け方の時刻は、有効な使い方を知るべき時刻と思います。

 今日お話しするテーマは、「楽しく働いて、働いている間中幸福」です。今日は、働いている間中幸福で「楽しく働くために知るべきタンマ」、「知るべきタンマ」という言葉を使います。できるようにするタンマがあるので、そうできます。ですから、そのタンマは何か、関心をもって聞いてください。

 下劣な心の人は、「楽しく働けば、働いている間中幸福」というのを、大勢で大騒ぎをするから楽しい、というような考えをします。中には売春婦やゲイや、そういうものなら楽しいと言う人もいます。これは心が下劣な人の考えです。非常に下劣なので、興味を持たない方がいいです。

 ここでの「楽しく働く」という意味は、「タンマで楽しい」「タンマが楽しい原因」「タンマがある楽しさ」という意味です。ほとんどの要旨は、「楽しく働くためのタンマは何か」という点にあります。時にはそれ以上で、タンマ自体が幸福で、タンマを使うだけで十分で、それ以上する必要がないこともあります。

 さて、タンマという言葉に十分時間を費やしました。このタンマという言葉は、まだ非常に誤解されています。そして非常に不当な扱いを受け、恩を仇で返されています。つまり人が揃って関心を持って尊重すること以上の結果にします。タンマという言葉をタイ語にすれば義務です。パーリ語でタンマ、タイ語では義務です。本当はタンマという言葉にはいろんな意味があります。正しく言えば、何でもすべてがタンマで、すべてという意味がありますが、私は最も重要なものだけ、つまり義務という意味だけを採用します。

 例外なくすべての自然をタンマと言います。自然の中にある法則もタンマと言います。生き物が、自然の法則で正しく行なわなければならない義務も、タンマと言います。そしてその行動から得られる結果を、善くても悪くても、正しくても誤りでも、幸でも不幸でも、何でもタンマと言います。だから例外なくすべてを網羅する非常に広い意味です。誰がどんな質問をしても、すべての質問に「タンマ」という一語で答えることができます。信じられないなら、熟慮熟考して質問を考えて見てください。それが正しいか正しくないか、結果があるかないか、どんな障害があるか、すべてタンマと呼ぶものに関わっています。

 これは不思議な言葉で、すべてのものを意味します。しかし最も関心を持たなければならない、最も尊重しなければならない重要なものは、三番目の義務という意味です。

  一つ目の意味は「自然」

  二つ目の意味は「自然の法則」

  三つ目の意味は「自然の法則での義務」

  四つ目の意味は「義務の遂行から得られる結果」

 このようにすべてを含めた意味があります。そして一番重要なのは、三番目の意味です。

 生き物は本能でこれを知っていると言うこともできます。つまり勉強しなくても知ります。自然が強制的に教え、義務を行なわせます。そうしなければ、義務をしなければ死にます。大昔の野蛮人も義務を知っていました。初めての人間も十分に知っていました。だからそれを「タンマ」と呼びました。意味は「義務」です。今の人が理解している「ブッダの教え」あるいは「教祖である人の教え」という意味ではありません。

 学校では子供に、「タンマとはブッダの教え」と教えます。これは大きな間違いです。インド人は誰の教えも、どの教義の教祖の教えもダンマと言います。ゴータマサマナの教え、つまりブッダの教え、ニガンタナーダブッタの教え(ジャイナ教)はライバルで、サンチャヤ ヴェーラッダプッタ他大勢もライバルです。これらの人の教えや提言を全部ダンマと言います。彼らはみな義務を教えたからです。

 原始の人から、言語のある時代になり、難しい言葉になり、義務という意味のタンマという言葉を知りました。見るだけ、あるいは人から聞くだけではありません。学校での勉強はありません。しかし「おお、これをしなければ死んでしまう。しなければ死んでしまうものがある」と、心の奥深くで感じたので、古代のインドのような言葉が生まれました。

 インドの別の言語では発音が違いますが、意味は同じです。タンマという言葉には、「上げておく」、「高く上げておく」という重要な要旨があります。タンマという言葉の語根は、「維持する。持ち上げて維持する」です。これがタンマという言葉の意味です。義務というタイ語も、同じ意味です。

 義務は義務のある人を維持します。誰を維持するのかは、「義務のある人」をです。タンマがあれば、タンマのある人を維持します。義務があれば、義務のある人を維持します。義務のある人が破滅しないよう維持します。腹や口を養う問題でも、腹や口を養う面で命を維持しますが、それ以上に高い面の心を維持します。心が苦の海に落ちないように維持するので、命全体を維持するものを意味します。

命全体を維持するものをタンマと言います。だから「それがある人を維持するもの」という意味でなければなりません。分かりますか。タンマがある人を維持するもの。それをタンマと言います。タンマがある人は、タンマがその人を維持します。義務があってもタンマがあっても、それがある人を維持します。死なないのは、苦に落ちないのは、何とかなっているのはタンマが維持しているからです。だから命にとって必要なものです。維持するものがなければ死にます。破滅、あるいは崩壊します。

 そのような破滅に落ちないようにするものが、パーリ語のタンマ、タイ語でいう義務です。これが言葉の意味です。しかしそれ以上に高い意味あるいは価値は、「命にとって必要不可欠なもの」と言わなければなりません。命の伴侶ということもできます。もっと深く見れば、命そのものと見ることもできます。タンマ、あるいは義務は命そのものです。これがなければ命はありません。

 どれだけの意味を捉えるか、捉え方次第です。命の伴侶でも、命そのものでも好きな方でいいです。しかし一つの真実、あるいは重要なことを知らなければなりません。それは、分けることができないことです。「タンマ」と「命」と呼ばれるものは、分けることができません。分ければ死です。

 さてみなさん、こういう形でタンマを知っておくことは基本です。まず基礎であり、そして非常に役に立ちます。後で、タンマはどう必要か理解できます。タンマを知らない人は、「それは何か。原因は何か。何のため。どんな方法で」を何も知ることなく、何でも、鵜呑みに信じてします。正しくタンマを知れば、「命とは何か。何が原因か。何の利益のために。そしてどんな方法で」と、命を正しく知ることができます。すべてはタンマという一語に含まれます。

 

 さてここで、「タンマは人間であることを証明するもの」という意味の、もっと高いタンマを知ります。死なないために不可欠ではなく、あるいは腹や口を養うものではなく、更に高い、人間であることを証明するもの、望ましい人間であることを証明するものです。

人間性が高いか否かは、タンマがたくさんあるか否かによります。私たちに人間としての意味がどれだけあるかは、みなさんにタンマがどれだけあるかによります。少し見方を変えれば、人間の能力を表すものです。あるいは人間の能力はタンマであり、一人一人の人間性を表すものです。人間の能力がどの程度あるかは、タンマがどの程度あるかによります。

 宗教、特に仏教は更に深く、タンマは私たちの人間性を清潔に拭うものと見ます。みなさん、だいたい理解できると思います。石鹸などの洗って清潔にする物は、不潔な物を洗い落とすために使う物、物質的身体的に洗って清潔にする物です。しかしそれだけでは十分ではありません。まだ心の中に残っているので、心の中を清潔に洗い、正しく完璧な人間にする物がなければなりません。

どんなに悪臭を放つ汚物腐敗物より、人間で最も汚いのは身勝手です。この項目は、「自分のことを考えなければ、何のためにするのだ。何だってしなければならないのだ。自分のためだからするのだ」と、バカな人が反論します。それも正しさですが、しかし正しくしなければなりません。今は正しくしないで、身勝手でしています。誰も見る必要はなく、誰の顔も見る必要がなく、そしてタンマ、つまり正しさも見る必要がなく、掻き集めるためにしています。誰のことも考えず、他人のことを考えず、タンマの正しさも考えません。これが利己主義の人です。

タンマは洗い落す物です。利己主義が原因で世界は今破滅しようとしています。逸れた話と見ないでください。あるいは哲学の話にしないでください。私たちの世界は今、利己主義のせいで破滅しようとしていると、ハッキリと見てください。今破滅しかかっているのは、利己主義のせいです。利己主義を洗い落とす物がなければ、必ず破滅します。呪っているのではありません。このようだと、真実を言っています。

 今世界は発展し、どう発展していくか分からないほど発展しています。そうです。利己主義があるから発展しています。しかし利己主義を正しく管理しないので、どれほど間違っているか分からないほど間違っています。得をするために、搾取するために、他人の背中で田んぼを作るためにします。他人の背中で作るだけでは足りず、今は他人の頭で田んぼを作ります。経済面や権力面で福分や権力のある人は、他人の頭で田んぼを作ってしまいます。精いっぱい追求するので物質的な発展があります。心の面の発展なら安全ですが、今は物質面の発展です。

 本能的に利己主義があるので、物質面の発展は利己主義を増大させます。その利己主義は更に大きな役割を担い、利己主義のために何でもします。精神面の発展は、物質的発展と違って、心の面の高さがあります。物質的発展や身体的発展とは、肉体的な味、幸福で楽しいこと、これを物質的発展と言います。

 物質主義の人たちはこれを最高のものと見、精神主義の人たちは心のことを最高のものと見ます。しかし仏教は二つの間の正しさを最高と見なします。つまり物質面も心の面も正しいこと。それが人間の拠り所として最高のものです。今人間は狂って、物質(体も含める)だけに溺れて、物質だけを最高に素晴らしいと見ています。

 私たちの世界がどれだけ物質面のことに陶酔して溺れているか、特に若い男女はどれほど物質(体も)に夢中になっているか、どれくらい道徳がなくなってしまったか、国の秩序や平安が、どれだけ消滅したか、みなさん自分で見てください。混乱や妨害や荒廃がいっぱいです。見苦しいもの、望ましくないものがどれほど増えているでしょうか。利己主義は至る所にあります。障害や悪が生じるのは、すべて利己主義が原因です。いろんな障害や妨害で道路が荒廃するのも、すべて利己主義が原因です。

 今は利己主義なので、何も妥協できません。だから争いになり、叩き合い、殴り合い、社会に汚濁を生じさせます。これも利己主義が原因です。利己主義を追放しなければ、社会生態学について話すだけでは、何も良くなりません。生態学は夢にすぎません。利己主義を追放すれば成功します。そうすれば代わりに、愛すべきもの、見るべきもの、美しい物が現れます。今は利己主義しかありません。利己主義がどれほど汚いか、考えて見てください。

 利己主義があれば、自立しなければならなくても仕事をしたくありません。それほど汚い愚かさです。利己主義があれば働きたくありません。快適を求めるので寝ていたがります。しかし得はしたいんです。それほど愚かで、言い逃ればかりします。自分勝手な人は働きたがりません。寝ていて得をしたがります。それで仕事の結果を欲しがります。これを汚いと言います。

 利己主義は団結しません。利己主義の人がいるので、私たちの社会に団結はありません。利己主義者は誰とも団結しません。国のため、所属団体のために団結を呼び掛けても、身勝手なのでできません。

そればかりか、利己主義の人は妬み深くて、自分より発展した人、進歩した人を攻撃します。妬みです。通常それに関わる利益もないのに妬みます。妬みは利己主義者の特徴です。妬みがあれば妬みによる犯罪がいっぱいです。犯罪が生まれるのは妬みが原因です。怠慢から始まって、非協力、団結しないこと、そして妬みです。

利己主義はこうです。話になりません。話しても通じません。それにお金持ちはお金持ち式の利己主義で、貧乏人は貧乏人式の利己主義です。資本主義も利己主義に沈み、労働者の主義もまた違う利己主義です。どっちも利己主義なので、話になりません。だからお金持ちと貧乏人は話しができません。資本家と労働者は話しが通じません。止めなければなりません。利己主義を止めてしまいなさい。敵対することを止めれば友達になります。

友達になれば、お金持ちも貧乏も何もかも消えてしまい、残るのは生老病死の友だけです。つまり、互いに苦を背負っている友です。金持ちと貧乏人が苦の友なら、得をしようと考えません。資本家と労働者が苦の友達なら、この世界に問題はありません。今は互いに妬み合い恨み合っているように見えます。だからこの世界はこうなるしかないと、考えて見てください。

 

 次に物質的発展の面を説明したいと思います。物質的な発展は利己主義が根源なので、利己主義を増大させる道具です。物質的発展が高くなって産業になりました。産業がどういう意味かは、みなさん良く理解していると思います。世界に溢れるほどたくさん作るので、機会を使わなければなりません。産業としてたくさん作るには機械を使わなければなりません。

 しかしそれは物質面だけ、物質面の成り行きだけで、心の面を創造する産業はありません。あるのは物質面のことだけです。産業で生産して物質を世界に溢れます。生産したものはすべて物質の話で、物質的発展を促し、物質的な美味しさや楽しさを増進させ、物質に陶酔させます。それでどうなるか、考えて見てください。

 物質面が発展すればするだけ利己主義が増えます。バカみたいな学生は気をつけてください。よく注意をしてください。管理できればまだマシですが、管理できなければ破滅です。産業は利己主義を助長させるので、それは物質的な発展を促進させる話なので、だから備えておく方が良いです。この病気を治す薬があります。つまり破滅を防ぐ薬はタンマです。タンマだけがこの凶悪な病気を防ぐことができます。他の方法はありません。

 どんどん産業で発展する社会と闘うために、タンマを十分勉強しておきます。物質的に発展すればするほど、それだけたくさん防止できるものを探さなければなりません。それはタンマです。物質的発展に付随する低劣な問題を解決するには、タンマが十分あるだけでいいと断言できます。煩悩を増大させる物質的発展は、利己主義を助長し、競争や掻き集めや妬みなどは、物質的発展だけから生じます。だからみなさん、これらの凶悪なこと、あるいは悪い出来事を防げる物がなければならないと、良く見てください。

 次に問題があります。今自分の問題がどうなっているか見えないくらい、知ることができないくらいたくさんあります。自分でも自分自身を知りません。自分とは何か、自分がタンマならどのようか、煩悩ならどのようか、良く聞いてください。

 みなさんは今、自分である煩悩がありますか、それともタンマがありますか。これは大きな違いです。天と地以上の開きがあります。天と地はそれほど違いません。タンマと煩悩はもっと違いがあります。みなさんは今、自分である煩悩がありますか。それとも自分であるタンマがありますか。自分である利己主義があれば、疑うまでもなく自分である煩悩あります。煩悩の自分とタンマの自分は、言い方を変えれば、愚かさの自分と知性の自分と言うこともできます。自分の愚かさが自分か、あるいは自分の知性が自分か。これは差があると良く見てください。開き以上の開きがあります。

 みなさんは今、この項目の均衡のある正しさがありますか。つまり煩悩を崇拝していますか。それともタンマを崇拝していますか。この二つに正しさがありますか。みなさんは煩悩を崇拝しすぎ、タンマを尊重しなすぎ、この項目の均衡がとれていません。みなさんは、自分がどうか分からないほど、プラスを崇拝しすぎていますが、マイナスの危害が迫っています。つまり間接的にみなさんを苦しめます。プラスにもマイナスにも溺れない時正しさがあり、均衡があり、プラスとマイナスの威力の上にいます。

 みなさんは今プラスを崇拝しています。特に肉体的幸福、煩悩の幸福を、タンマの正しさよりはるかに崇拝しています。プラスを崇拝し、プラスの行動の結果を崇拝し、その結果正しさを忘れています。もしそうなら、身勝手は倍増し、誰の事も考えないで掻き集めます。誰のことも考えないのは、非常に汚いです。しかし世界中の人がそうなら、汚いと見る人は誰もいません。それがどんなに悪でも、世界中がそうなら汚いと見る人はいません。これはみなさん良く注意しなければならないことです。

 みなさんには権利があり、どんなものの奴隷にもなれる自由な権利を崇拝します。面白いか面白くないか、みなさんは知性の奴隷にもなれ、煩悩欲望の奴隷にもなれます。何の奴隷にでもなれます。自分が何の奴隷になるか、選ぶ権利がありますが、それは冗談です。みなさんは煩悩欲望の奴隷で、仕事をしたくありませんが、キリもなく幸福を欲しがります。尽きることがない楽しい幸福を、働きたくないのと同じくらい欲しがります。それが、煩悩欲望の奴隷であることです。

 みなさんは、自分でも気付かずそれらに支配されている真実について考えなければなりません。みなさんは限度のない幸福を求めていますが、最小限に働くこと、あるいは働かなくても良い状態を望んでいます。こういうのは公正でしょうか。そして真実でしょうか。

 仕事より得をしようとすることは、何よ有利か、公正より得をしようとすることは何よ有利か、もう一度考えてください。自分で自分の首を絞めることではないですか。自分に身勝手があると何を失い何を得るか、数えて見てください。自分にこのような利己主義がある時、何を得て何を失ったか、何が増え何が減ったか、どれだけ得たか、どれだけ失ったか、勘定して見てください。比較して見れば損失の方が多く、それは比較になりません。手に入れることだけを考えても、そういうのが実現する術はありません。そう考えることは間違いなので、損失の方が多いからです。

 次にどう対処すれば良いでしょうか。問題は、仕事をするのは楽しくない、義務をするのは嬉しくない、という点にあり、これが心を支配しています。義務を行なうことに満足する方法があれば、利己主義に支配されないので、得をすること、あるいは怠けること、あるいは利己主義に幸福を求めません。利己主義を追放することに幸福を発見し、楽しく働くので、働いている間中幸福です。

 

 「そんなことはあり得ない」と考える人もいます。楽しく働くなんてあり得ないと。そうです。身勝手なら出来ません。あり得ません。利己主義なら楽しく働けません。しかし利己主義でなければ、つまり物質的利益より上のものに満足すればできます。腹や口のために働かないで、高くなって行く人間性のために働くので、働くことに満足し、腹や口よりはるかに善いものを得たと満足します。腹や口のことしか考えない人は、得をする働き方をします。「自分には関係ない」と、必要が強いるだけ働きます。それで発展があるでしょうか

 身勝手でない人は人間であることのために、高くなって行く人間性のために働きます。正しく十分な知性があれば、十分に集めて訓練した知性がある、と言います。仕事の能力が足りない時、仕事から逃げようとか、減らそうと考えないで、能力を増やそうと考えてください。能力を創造し、能力を増やし、仕事を減らそうと考えないでください。多い仕事から逃げて少ない仕事を探さないでください。難しい仕事から逃げて簡単な仕事を探そうと考えないでください。自然に反します。

 能力がなければ、仕事を減らさないで能力を増やしてください。簡単にしないでください。能力は、自分で増やすから進歩し、掻き集めて増やすからあります。身体の能力も増え、知識や知性の能力も増えます。こういうのを、能力を増やすと言います。仕事を減らしてはいけません。あるいは難しい仕事から逃げて簡単な仕事を求めないでください。そういうのは正しくありません。だから仕事が楽しくないのです。

 「何としても能力を増やして勝つぞ」と闘えば、その仕事は楽しくなります。仕事は自分自身の人間性を試す試験と捉えてください。

 仕事を任されたら、する仕事があったら、「これは自分の人間性を試す試験だ」と捉えてください。何とかし遂げなければ、つまり試験に受からなければなりません。初級の人間性の試験に合格して、それから順に高くしなければなりません。

 その日その日を食べて行くために、必要が強いるからではありません。一日一日呑気に腹と口を養う犬猫ではありません。呑気なのは、その日その日を食い繋いでいる犬猫の話で、人間の能力を最大限に見せる人間の話ではありません。だからこのような形で問題解決をしなければなりません。

 仕事を減らすのではなく、難しい仕事から逃げて簡単な仕事を見つけるのではなく、自分の能力を増やします。困難から逃げれば、その日その日を食べて行く犬猫の話です。

 みなさんはスポーツをするように楽しく働きます。どんな仕事も、自分をスポーツ選手と見なして仕事に勝つことができます。仕事と試合をすれば、仕事との試合に勝ちます。みなさんは選手でもあり、審判でもあります。勝つか負けるか。選手つまり自分自身に褒美をやるか、あるいは罰を与えるか。こうなら仕事は楽しいです。その日その日を食い繋ぐだけではありません。自然から精一杯任された、命の試合に勝つスポーツ選手です。どうぞ熟慮して見てください。

 もっと深く見れば、悪魔と闘うために仕事をすると捉えることもできます。悪魔とは、望ましくないものすべてです。望ましくないもの、妨害や障害になるものを悪魔と言います。「私は悪魔と戦い、悪魔を殺し、悪魔を壊滅させ、二度と悪魔の顔を見なくて良いようにするために仕事をする」。このように目指せば仕事は楽しく、そして働いている間中、確実に幸福です。得をする人、敗者、煩悩が機会を窺っている人のように働きません。それは、最高に高い心を持った人間になるためには、何の利益もありません。いつでも闘う人になります。仕事が増え、仕事が以前より重くなっても、一度も逃げようと考えたことはありません。私たちは闘士なので、闘います。

 みなさん観察して見てください。仕事が増えると、みなさんは首を振って認めようとせず、少なくしたいと思います。これは闘士でない人の間違いです。闘士なら、スポーツ選手なら、「よーし、仕事を増やしなさい」と満足します。仕事が増えれば、機会が増えます。よく聞いてください。仕事の量が増え、仕事が難しくなったら、どうぞそれを、チャンスが増えると、幸運が増えると見てください。

 今、彼らはそう考えません。仕事が増えると、「適度を越えている。力を越えている」、何だかんだと文句を言って、幸運と見ません。仕事が増えたら、働ける幸運が増えたと見なければなりません。難しい仕事ができるので、自分にとって徳であり善です。それに最善を尽くして、何としても勝利します。

 「仕事が増えたら、、幸運が増えたと見なす。不運が増えたのではない」を信条にしましょう。しかし自分勝手な人にはできません。身勝手でない人にしかできません。

 資本家・労働者と分けないで、共同組合と見なします。資本家は仕事をくれます。資本家と捉えず、機会を与え、幸運を与え、人間としての役割を与えてくれる人と見ます。資本家がどう考えても資本家の自由ですが、私たちは生老病死の友になり、力を合わせて世界を美しく創り上げる友になります。

資本家がくれるお金は、賃金ではありません。みなさんは雇われ人ではありません。私たちは世界を平和にするために、世界中を望ましい善いもの、満足できるものでいっぱいにするために、仕事に報いる人です。こう考える権利があります。資本家がどう考えても、彼の自由なので気にしないで、力を合わせて世界を美しく創る類の仕事をします。そうすれば資本家の被雇用者ではなく、世界を美しく創るために遣わされた神様の人であり、ブッダの人になります。

 協同組合は価値があり名誉があります。雇われ人ではありません。組合員は被雇用者ではありません。すべては共同体です。命も共同体です。本当の命は共同体です。様々な器官が強調し合って正しく働くから命があります。体の中を見てください。腕、脚、手、足も自分の義務をし、肝臓、腎臓、腸、大腸も自分の義務をします。すべての部分のすべての細胞が自分の勤めをしているので、合わせれば協同体です。だから生きていられます。

 世界も同じです。このように暮らせば、あるのは愛と団結ばかりで、誰も身勝手でなくなり、世界は疑うまでもなく美しくなり、仕事も楽しいです。全員が平和な世界を創る組合員と言えば、平和な世界であり、働いている間中楽しいです。楽しいのは、身勝手でないからです。「煩悩の俺」を捨ててしまい、「タンマと呼ばれるものの俺」しかなれば仕事は楽しく、働いている間中幸福です。仕事が楽しいので、始めから終わりまでずっと幸福です。「正しい」と満足するので楽しく、正しく満足だと感じます。

人は能力と知性と人間の強さを見せる機会があります。そして楽しく正しく、そして満足します。だから仕事と命を分ける必要はありません。仕事は命、命は仕事で、同じです。そして、良い肥料と条件の整った植物のように成長します。命も、良い土と良い肥料のある植物のようになれます。俺が介入すれば、得する機会ばかり狙い、仕事を減らすことばかり考え、妬んで団結しません。こういうのは楽しくありません。こういう仕事は少しも楽しくありません。

 どうぞ人間性を進化させるために生まれた人であってください。腹を養い、口を養い、一日一日、命を養うために生まれたのでは、子供すぎます。

 人間性を向上させ、どんどん人間性を向上させるために生まれたという決意があれば、仕事は楽しいです。そして間違いなく働いている間中幸福です。

 どんな仕事でも正しく満足し、いつどんな瞬間でも正しく満足します。顔を洗い、歯を磨き、ご飯を食べ、水浴をし、排泄をし、食器を洗い、掃除をしても幸福で、満足します。タンマがある心があれば、家で働いていても幸福で、くつろいでいても仕事をしていても幸福です。休息するにも休息の仕方を知らないで、「俺」がいっぱいなら眠れません。俺がなければ、休息は本当の休息になり、仕事も幸福で、休息も幸福です。何でも、いつでも幸福と言います。

 物質面で発展して破滅していく世界に、みんなで協力して対抗するに十分だけ、たくさんタンマを知られるよう望みます。あるいは世界が破滅しても他の人だけで、タンマのある人は破滅しません。この世界が破滅しても、タンマのある人は破滅しません。タンマのある人は、身勝手な自分がないので死を知りません。正しい行動しかないので、正しい生活、楽しい生活しかなく、いつ、どの瞬間も幸福です。

 どうぞみなさん、今お話したこと、この自然の法則を努力して理解してください。今はまだ信じなくても結構です。信じてくださいとは言いません。しかし後で考えてください。そうすれば自分を信じます。私を信じる必要はありません。自分を信じます。話した人を信じるのでなく自分を信じなさいと言った、ブッダの教えと一致します。どんなに自分を信じても、試してみて、利益があったら信じ、それから最後まで、人間が到達できる最後まで続けます。

 だから、みなさんがこういう形で、つまり職務の中の正しさのため、あらゆる障害と闘うため、人間に生まれたことに勝利するために、タンマを求めてここへお出で戴いたことに、もう一度喜びと満足を述べさせていただきます。そして話を終わらせていただきます。

 みなさんが生活と仕事の義務で発展され、いつどの瞬間にも幸福であるよう願っています。

 


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