命の遺産






遺産Ⅰ 仕事はお金

「仕事はお金、お金は仕事」という言葉は、

仏教の教えでは正しくないと反論せていただきます。

仏教は、仕事を義務と見て働くよう教えています。

すべての種類の生き物にとって正しいのは

アパーヤムッガ(飲む打つ買うなどの遊び)の歓びに迷うために

お金を稼いで生き物を満足させることではありません。

それは一時夢中になるだけです。

この反論を、遺産として相続してください。



遺産Ⅱ タンマは義務

昼も夜もタンマがあるようにするのは、簡単です。

日常のどんな義務を行うにも、

義務はタンマという真実を思って行ないます。

義務はすべての問題を除去することができ、

そして望ましい結果をもたらすからです。

これはタンマという言葉の意味と同じで、

実践する人が苦に落ちないよう助けます。

だから一日中義務を行なえば、一日中タンマがあります。

休息もしなければならない義務の一つです。

つまり義務を行なう力になります。



遺産Ⅲ 仏像を拝むこと

知る人、目覚めた人、明るい人は、

眠り、疑い、驚き、驚愕し易いという意味の

眠りと正反対の違いがあります。

置いて拝む、あるいは首に提げる仏像は呪術の物、

つまり護り防ぐ神聖な物であり、

あるいは霊験のある物もあります。

仏教学である物は、

思い出す物、あるいはせいぜい記念する物です。

仏教教団員は、注意深く根を慎み、

ブッダの名誉を傷つけないようにしなければ、

霊魂崇拝者(animism)になってしまいます。



遺産Ⅳ 自分について

自分と呼ぶものは、幻影にすぎません。

無明の威力で自然に生じ、欲望や願望でアレンジされた

心の感覚にすぎません。

欲望から生まれた取と呼ぶものの間違った感覚でしかなく、

本当の自分ではありません。

実体のないただの感覚です。

しかし感じる人が「自分」と感じるほど濃厚です。



遺産Ⅴ タンマは世界に勝つ

タンマは、俗世に勝利して俗世で生きるためにあり、

あるいは俗世を越えて生きるためにあるのであり、

俗世から逃避させるためでも、

俗世に沈んでいるためでもありません。

俗世から逃避し、俗世を捨て、俗世を犠牲にしなければならないと

間違った理解をするように教えられることが多いです。

タンマは説教の言葉や声ではありません。

実践者一人一人が正しく義務を行なうことであり、

いつでもどこでも、自分と、自分に関わりのある他人の、

人間であることに関しての正しい

すべての立ち居振る舞いの中にあります。

それなら本当に穏やかな幸福をもたらす仏教の教えで正しいタンマです。



遺産Ⅵ 仕事はタンマ

タンマとは、

タイ語で、「肉体的にも精神的にも

自分のためにも他人のためにも、

危機を脱すためにしなければならない

すべての生き物の義務」と呼ぶものです。

この言葉の意味を「教え」「学習」「実践」と訳しても、

重要な意味は、危機を脱す義務です。

だから義務を行なえば、それがタンマの実践です。


あなたのすべての仕事と習慣をタンマになさい。

理性で義務と感じること、それがタンマです。

義務の実践をすれば、それがタンマの実践です。

そうすればいつでもどこでも、

すべての立ち居振る舞いにタンマがあります。

どんな仕事も、スポーツをするように楽しく働き、

働いている時幸福になってしまいます。

歓楽街やアパーヤムッガ(大人の悪い遊びの類)、

あるいは麻薬を求める必要はありません。


遺産Ⅶ 天国

私たちにはサンディティコ(註)の類の天国や涅槃があります。

死んだ後にあると考えられている天国より、

今触れられる天国の方が良いし、より真実です。

これをブッダは「アーヤタニカニリヤ アーヤタニガサッガ」

そして「サンディティカニッバーナ」と呼ばれました。

すべての立ち居振る舞いにある天国とは

自分は正しくタンマの実践をしていると感じ、

そして考えるたびに自分を拝めるくらい

自分のすべての行動に満足することです。

これが生きているうちの、本当の天国です。

その他の天国はすべて、この天国次第です。

(註: 自分で見ることができる)




遺産Ⅷ 苦は喜びを作る

喜びより苦の方が、何でも良く教えることができます。

つまり正確に、深く、強烈に教えます。

幸福は自分を忘れさせ、惑溺させ、迂闊にし、

そしてあまり教えません。

ヒキガエルの頭の中のダイヤモンドのような苦に感謝します。

ヒキガエルの頭の中のダイヤモンドとは、

火のある所で見つける消火のように、

苦の中で見つける滅苦です。

みなさん一人残らず、この秘密を知りなさい。

でなければ、自然一般の発見すべき物を発見できません。

 


遺産Ⅸ 本当の幸福

本当の幸福は、お金を使う必要がありません。

反対にお金が残ります。

騙す幸福は、お金が足りなくなるほどお金を使います。

本当の幸福は満足して働くことから生じます。

働いている時に幸福が生じるので、

他の種類の幸福を求めません。

だから仕事の結果であるお金は残ります。

騙す幸福は、人が煩悩を満足させます。

煩悩は満足を知らないので、お金は残りません。




遺産Ⅹ 涅槃

涅槃はお金を払わなくても、ただで上げる物です。

それは、自分という執着を棄てるだけです。

最高に完璧な人間性がある命の、

完璧な鎮まりです。

しかし仏教社会でも、まだ興味を持たれていません。

望むのは遠い未来の涅槃の縁を準備するために、

莫大なお金を失うことも厭わない

死んだ後にある類の涅槃だけです。




遺産11 女性の権利

女性の本当の義務と権利と、

人間世界を脱すためにあるべき物は、

平等で、徳と同じような権利があることでなく、

生まれた子が正しく完璧な人間になるよう

養育する義務を受け入れることだけです。

現在のように家長の仕事を奪えば、

この世界を母のいない世界にします。



遺産12 食べ物

肉しか食べなければ鬼、

野菜しか食べなければオナガザル。

仏教教団員は、自然のダートゥ(要素)という他には、

あれこれ取での思い込みのない、

煩悩から自由になることを望む人が食べるにふさわしい

純粋な食べ物だけを食べます。

本当の仏教教団員は、

これは肉、これは野菜と確信した物は食べません。

自然の元素として食べるにふさわしい、

正しく純粋な食べ物を食べます。

そして車軸に滴らす油のように、

あるいは砂漠で道に迷った時、

命を繋ぐために、死んだ我が子の肉を食べるように、

必要なだけ食べます。




プッタタート和尚の教え



 タンマの実践は、外面の行動で形式や態度を見せることではありません。

 本当は、苦を受け取ることから幸福でいっぱいに、奴隷であることから自由に変える、実践者の心の行動です。

 すべてにおいて低俗な自然、無明に覆われた心から、

 明るく澄んで、苦、あるいは自分が望まない物の根源を攻撃することに鋭い心に変えることです。

 要するに、かつて苦を作った心を、自分のために、幸福を作る心に変えることです。




道理を使わない人を感情家と言います。

感情家たちは大騒ぎで、

論理に欠け、感情ばかり、

現代人は、理論的に暮らさなければなりません。

感情で暮らしてはいけません。

なぜこのように言うかは、

現代社会は、宣伝して誘惑する社会なので、

智恵で周到に道理を探さなければ、

永遠に宣伝と誘惑より遅れを取り、

苦や困難を生じさせる原因になります。

だから現代社会の問題は、

その出来事の理由を熟考する必要が非常にあります。

それは何か、何が原因か、どんな利益があるか、

自分はそれとどのような形で関わるべきか、

このように考えなければなりません。

そうすれば誰にも遅れをとりません。




知性で働きなさい

煩悩、欲望、あるいは希望で働いてはいけません。

欲望でしてはいけません。

結果を見たいと死ぬほど望むのは、

自分に火をつけて燻ぶらせて炙るバカ者

その願望が連続すれば、希望と呼び、

望めば望むほど自分を炙るだけです。

だから、願望で働いてはいけません。

希望で働いてはいけません。

希望は、望んだとたんに失望し、

希望通りになりません。

だから希望して失望し、希望して愚かになります。

希望する必要はありません。

希望する必要はありません。

ただ最善を尽くします。

心配入りません。

これを最高のテクニック、仕事の最高の秘訣と言います。



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