命の遺産

 

 

遺産機〇纏はお金

「仕事はお金、お金は仕事」と言う言葉は、

仏教の教えでは正しくないと反論せていただきます。

仏教は、仕事を義務と見て働くよう教えています。

すべての種類の生き物にとって正しいのは

アパーヤムッガ(飲む打つ買うなどの遊び)の歓びに迷うために

お金を稼いで生き物を満足させることではありません。

それは一時夢中になるだけです。

この反論を、遺産として相続してください。

 

遺産供.織鵐泙狼遡

昼も夜もタンマがあるようにするのは、簡単です。

日常のどんな義務を行うにも、

義務はタンマという真実を思って行ないます。

義務はすべての問題を排除することができ、

そして望ましい結果をもたらすからです。

これは、タンマという言葉の意味と同じで、

実践する人が苦に落ちないよう助けます。

だから一日中義務を行なえば、一日中タンマがあります。

休息も、しなければならない義務の一つです。

つまり義務を行なう力になります。

 

遺産掘(像を拝むこと

ブッダとは知る人、目覚めた人、明るい人。

眠り、疑い、驚き、いつも驚愕しているという意味の

眠りと「ブッダ」は、正反対の違いがあります。

置いて拝む、あるいは首に提げる仏像は、

呪術の物、つまり護り防ぐ神聖な物であり、

あるいは霊験のある物もあります。

仏教学であるものは、

思い出す物、あるいはせいぜい記念するものです。

仏教教団員は、注意良く根を慎み、

ブッダの名誉を傷つけないようにしなければ、

霊魂崇拝者(animism)になってしまいます。

 

遺産検ー分について

自分と呼ぶものは、幻影にすぎません。

無明の威力で自然に生じ、欲望や願望でアレンジされた

心の感覚にすぎません。

欲望から生まれた取と呼ぶものの間違った感覚でしかなく、

本当の自分ではありません。

実体のないただの感覚です。

しかし感じる人が「自分」と感じるほど濃厚です。

遺産后.織鵐泙論こΔ望,

タンマは、俗世に勝利して俗世の中で生きるためにあり、

あるいは俗世を越えて生きるためにあるのであって、

俗世から逃避させるためでも、

俗世に沈んでいるのでもありません。

俗世から逃避し、俗世を捨て、俗世を犠牲にしなければならないと

間違った理解をするように教えられることが多いです。

タンマは説教の言葉や声ではありません。

実践者一人一人が正しく義務を行なうことであり、

いつでもどこでも、自分と、自分に関わりのある他人の、

人間であることに関しての正しい

すべての立ち居振る舞いの中にあります。

それなら本当に穏やかな幸福をもたらす仏教の教えで正しいタンマです。

 

遺産此〇纏はタンマ

タンマとは、

タイ語で、「肉体的にも精神的にも

自分のためにも他人のためにも、

危機を脱すためにしなければならない

すべての生き物の義務」と呼ぶものです。

この言葉の意味を、「教え」「学習」「実践」と訳しても、

重要な意味は、危機を脱す義務です。

だから義務を行なえば、それがタンマの実践です。

 

あなたのすべての仕事と習慣をタンマになさい。

理性で義務と感じること、それがタンマです。

義務の実践をすれば、それがタンマの実践です。

そうすればいつでもどこでも、

すべての立ち居振る舞いにタンマがあります。

どんな仕事も、スポーツをするように楽しく働き、

働いている時幸福になってしまいます。

歓楽街やアパーヤムッガ(大人の悪い遊びの類)、

あるいは麻薬を求める必要はありません。

遺産察ゞ乏

私たちにはサンディティコ(註)の類の極楽や涅槃があります。

死んだ後あると考えられている極楽より、

今触れられる極楽の方が良いし、より真実です。

これをブッダは、「アーヤタニカニリヤ アーヤタニガサッガ」

そして「サンディティカニッバーナ」と呼びました。

すべての立ち居振る舞いにある極楽とは

自分は正しくタンマの実践をしていると感じ、

そして考えるたびに自分を拝めるくらい

自分のすべての行動に満足することです。

これが生きているうちの、本当の極楽です。

その他の極楽はすべて、この極楽しだいです。

(註: 自分で見ることができる)

 

遺産次ゞ譴牢遒咾鮑遒

喜びより苦の方が、何でも良く教えることができます。

つまり正確に、深く、強烈に教えます。

幸福は自分を忘れさせ、惑溺させ、迂闊にし、

そしてあまり教えません。

ヒキガエルの頭の中のダイヤモンドのような、苦に感謝します。

ヒキガエルの頭の中のダイヤモンドとは、

火のある所で見つける消火のように、

苦の中で見つける滅苦です。

みなさん一人残らず、この秘密をお知りなさい。

でなければ、一般自然の発見すべきものを発見できません。

 

遺産宗)榲の幸福

本当の幸福は、お金を使う必要がありません。

反対にお金が残ります。

騙す幸福は、お金が足りなくなるほどお金を使います。

本当の幸福は満足して働くことから生じます。

働いている時に幸福が生じるので、

他の種類の幸福を求めません。

だから仕事の結果であるお金は残ります。

騙す幸福は、人が煩悩を満足させます。

煩悩は満足を知らないので、お金は残りません。

 

遺産勝±載

涅槃はお金を払わなくても、ただで上げます。

それは、自分という執着を棄てるだけです。

最高に完璧な人間性がある命の、

完璧な鎮まりです。

しかし仏教社会でも、まだ興味を持たれていません。

望むのは遠い未来の、

涅槃の縁を準備するために、莫大なお金を失うことも受け入れる

死んだ後にある類の涅槃だけです。

遺産11 女性の権利

女性の本当の義務と権利、

そして人間世界を脱すためにあるべきものは、

平等に、そして徳のように権利をもつことではありません。

生まれた子供が正しく完璧な人間になるよう

養育する義務を受け入れることだけです。

現在のように家長の仕事を奪えば、

この世界は、母のいない世界になります。

遺産12 食べ物

肉しか食べなければ鬼、

野菜しか食べなければオナガザル。

仏教教団員は

自然のダートゥ(要素)という他には、

あれこれ取での思い込みのない、

煩悩から自由になることを望む人が食べるにふさわしい

純粋な食べ物だけを食べます。

本当の仏教教団員は、

これは肉、これは野菜と確信した物は食べません。

自然の元素として食べるにふさわしい、

正しく純粋な食べ物を食べます。

そして車軸に滴らす油のように、

あるいは砂漠で道に迷った時、

命を繋ぐために、死んだ我が子の肉を食べるように、

必要なだけ食べます。

 


プッタタート和尚の教え

 

タンマの実践は、外面の行動で形式や態度を見せることではありません。

本当は、苦を受けることから幸福でいっぱいに変える、実践者の心の行動です。

奴隷であることから自由へ、

すべてにおいて低俗な自然、無明に覆われた心から、

明るく澄んで、苦、あるいは自分が望まないものの根源を攻撃することに鋭い心に変えることです。

要するに、かつて苦を作った心を、自分のために、幸福を作る心に変えることです。

 


ホームページへ                                           法話目次へ