ブッダヴァチャナによる縁起






世尊の弟子であるすべての阿羅漢への供物として

そして

宝を発掘する動物同朋の気力と指針にするために





要旨

 本書は「縁起が見える人はダンマが見える。ダンマが見える人は如行が見える」というブッダバーシタ(ブッダの)にふさわしく、縁起を最高に明らかに学習するに十分なように、縁起の部分である縁生(因果)の話をすべて集めました。それはダンマ語のブッダを見ることであり、涅槃の到達にとって極めて役に立つと確信します。

編集者





挨拶 (タンマコートの縁起の巻を印刷の際)


 本書は、このブッダヴァチャナ叢書を今後も継続して発行するために「ラップリータンマプラカン基金」の利子と、ブッダヴァチャナ叢書の書籍を善のために販売した売上金で印刷しました。仏教にこの種の本が欠けていると見て制作することが、みなさんの満足と喜びになるよう期待します。

 本書はブッダヴァチャナ叢書の四冊目、ダンマコート二十九冊目の三蔵タイ語版です。厚さがこの叢書の他の本の二倍なので、販売する分の価格は他の本の二倍になります。

 本書は一九六一年六月一二日のオーサーレタッパダンマの「縁起の流れを生じさせないで苦を滅す実践原則」の講義録の援けになるので、学習者はその講義録と一緒に学習してください。

 もう一つ「タンマが見える人は如行が見える、如行が見える人はタンマが見える。タンマが見える人は縁起が見える、縁起が見える人はタンマが見える」というブッダパーシタでの学習と実践を、完璧に成功させます。本当は縁起の話は苦の発生と消滅の話で、直接仏教の本物です。学習者は本書のいろんな項目で、それを自分で知ることができます。

 冒頭で述べたように本書はラップリータンマプラカン基金で印刷し、制作・印刷部は、故プラヤー・ラップリータンマプラカンに特別の善を捧げます。本書から利益を得られるみなさんも、随喜なさることと思います。

法施財団
1978年7月20日




制作者挨拶

 本書は、見た人が多少ビックリするほど、そして縁起に関わる話はどうしてこんなに多いのか、何を望んで作ったのかと戸惑わさせるほど厚いので、説明させていただきます。

 本書を最後まで読まれた方は、すべては苦と苦の消滅に関わる話、そして「過去も現在も、如行は苦と苦の消滅の話だけを(教えるために)規定する」というブッダバーシタ(ブッダが言われた言葉)に関わる話ばかりとすぐに分かります。

 だからブッダが教えたいと望まれた話だということです。ブッダが「悟ったダンマは森全体の木の葉と同じ分量だが、教えることは一掴みの木の葉だけ」と言われたのは、実践の意味では、述べられたような縁起の話は全部一掴みの木の葉で、言い方を変えれば「完璧な聖諦」です。

 もう一つ、縁起に関わる話は理解が難しく、訳し難く、訳しても意味が良く掴めず、普通のタイプの学習者には退屈なので、見捨てられ、本書の二三九頁にあるように、梵行の初めとして興味を持って学習するよう望まれた仏教の心臓部であるにも関わらず、三蔵の中に沈んでいて、誰も取り上げて教える人がいないのは、愕然すべきことと知るべきです。

 本書の作成は高齢である私にとって過重な仕事でしたが、若い梵行仲間が書き写して私に選別させ、綴って訳語を修正させ、本書の形にするために三蔵の隅々まで開いて調べたので、彼らの助力によって完成させることができました。本書から利益を得られる方は、それらの比丘の尽力を喜び、感謝してください。特にダンマヴィチットー比丘は、初めから目次、そして巻末の索引の作成まで助けてくれました。

 私は、この話は仏教の胴体であり、心臓でもあること、あるいはブッダの体が消滅した後永遠に仏教教団員と共にいる教祖にふさわしく、「イダッパチャヤター(因果。あるいは縁生)」「パティッチャサムパーダ(縁起)」という言葉が仏教教団員の日常会話の口癖になってほしいと願っています。

法施財団教書局
1978年8月24日






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