第八章 ブッダに関わる縁起





     因果の法則:縁起の要旨

  これがあれば、これが当然ある。

  これが生じたから、これが生じた。


  これが無ければ、これは当然無い。

  これが消滅したから、これが消滅する。


中部マッジマバンナーサ 13巻355頁371項
相応部ニダーナヴァッガ 16巻84頁154項







過去のブッダの轍を歩かれる(縁起の探求の場合)

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻126頁250項

 比丘のみなさん。大悟する前、私がまだ悟ってなく、まだ菩薩だった時、私に「この世界の動物は苦に至り、当然生まれ、当然老い、当然死に、当然移動し、当然発生する。この世界の動物が苦、つまり老死から出る方便を知らなければ、老死からの脱出がどうして現れよう」というパリヴィタカ(審慮)が生じました。

 比丘のみなさん。私に「何があれば老死が生じるのだろう。何が縁で老死があるのだろう」という疑問が生じました。

 比丘のみなさん。心の中を絶妙にすることで、「生があるから老死がある。生が縁で老死がある」と智慧による明らかな知識が生じました。

 「有があるから生がある。有が縁で生がある」。

 「取があるから有がある。取が縁で有がある」。

 「欲望があるから取がある。欲望が縁で取がある」。

 「受があるから欲望がある。受が縁で欲望がある」

 「触があるから受がある。触が縁で受がある」。

 「六処があるから触がある。六処が縁で触がある」。

 「名形があるから六処がある。名形が縁で六処がある」。

 「識があるから名形がある。識が縁で名形がある」と智慧による明らかな知識が生じました。

 比丘のみなさん。「何があれば識が生じるのだろう。何が識の縁だろう」という疑問が私に生じました。心を絶妙にすることで「名形があるから識がある。名形が縁で識がある」という智慧による非常に明らかな知識が生じました。

 比丘のみなさん。「この識は当然名形から引き返して、当然他の物にならない。これだけの理由で世界の動物は生まれ、老い、死に、移動し、発生する。これはつまり、名形が縁で識があり、識が縁で名形がある。名形が縁で六処があり、六処が縁で触があり、触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って生じる」とこのように、智慧によって非常に明らかな知識が生じました。

 比丘のみなさん。私に「揃って生じた! 揃って生じた!」と、私が今まで聞いたことがないすべてのダンマの目が生じ、ニャーナが生じ、智慧が生じ、明が生じ、光が生じました。



 比丘のみなさん。私に「何がなければ老死がないのだろう。何が消滅すれば老死が消滅するのだろう」という疑問が生じました。

 比丘のみなさん。心の中を絶妙にすることで、

 「生がなければ老死はない。生が消滅することで老死も消滅する

 有がなければ生はない。有が消滅することで生も消滅する。

 取がなければ有はない。取が消滅することで有も消滅する。

 欲望がなければ取はない。欲望が消滅することで取も消滅する。

 受がなければ欲望はない。受が消滅することで欲望も消滅する

 触がなければ受はない。触が消滅することで受も消滅する。

 六処がなければ触はない。六処が消滅することで触も消滅する。

 名形がなければ六処はない。名形が消滅することで六処も消滅する。

 識がなければ名形はない。識が消滅することで名形も消滅する」と智慧による極めて明らかな知識が生じました。

 比丘のみなさん。「何がなければ識が消滅するのだろう。何が消滅することで識が消滅するのだろう」という疑問が私に生じました。

 心を絶妙にすることで「名形がなければ識はない。名形が消滅することで識も消滅する」と、智慧による非常に明らかな知識が生じました。

 比丘のみなさん。「悟りの道に私は到達した。それはつまり名形が消滅することで識が消滅し、識が消滅することで名形が消滅し、名形が消滅することで六処が消滅し、六処が消滅することで触が消滅し、触が消滅することで受が消滅し、受が消滅することで欲が消滅し、欲が消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って消滅する」と、このように、智慧による極めて明らかな知識が生じました。

 比丘のみなさん。私に「すっかり消滅した! すっかり消滅した!」と、私が今まで聞いたことがないすべてのダンマの目が生じ、ニャーナが生じ、智慧が生じ、明が生じ、光が生じました。

 比丘のみなさん。密林へ入った人が、人間が歩いたことがある古道の痕跡を見つけ、その道に沿って歩いて行くと、昔たくさんの人間が暮らしていた古代の都市、豊かな庭園、豊かな木々、豊かな池、城壁の残骸があり、愉しそうな場所がある古代都市の残骸を発見します。

 比丘のみなさん。その後その人は王や王の重臣に「お知らせ申し上げます。私が密林に入りますと、人間が歩いた古道を見つけ、その道に沿って歩いて行くと、昔たくさんの人間が暮らしていた古代の都市の残骸を発見しました。豊かな庭園、豊かな木々、豊かな池、城壁の残骸があり、愉しそうな場所があります。どうぞその場所を調査なさって、都にしてください」と奏上します。

 比丘のみなさん。その後王または王の重臣がその場所を調査して都にすると、その後その都は豊かに繁栄し、大勢の人が住み、どこも人で溢れる豊かな繁栄に達します。

 比丘のみなさん。同じように、私はたくさんのサンマーサンブッダが歩いた古い道を発見しました。比丘のみなさん。たくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道とは何でしょうか。それは八正道、つまり正しい見解、正しい考え、正しい言葉、正しい業、正しい生業、正しい努力、正しいサティ、正しいサマーディです。

 比丘のみなさん。これが、たくさんのサンマーサンブッダが歩いた古い道です。私がその道にそって歩いて行くと、老死、老死が生じる原因、老死の消滅、動物を老死の消滅に至らせる実践規範を、極めて明らかに知り、

 生、生が生じる原因、生の消滅、動物を生の消滅に至らせる実践規範を、極めて明らかに知り、

 有、有が生じる原因、有の消滅、動物を有の消滅に至らせる実践規範を、極めて明らかに知り、

 取、取が生じる原因、取の消滅、動物を取の消滅に至らせる実践規範を、極めて明らかに知り、

 欲、欲が生じる原因、欲の消滅、動物を欲の消滅に至らせる実践規範を、極めて明らかに知り、

 受、受が生じる原因、受の消滅、動物を受の消滅に至らせる実践規範を、極めて明らかに知り、

 触、触が生じる原因、触の消滅、動物を触の消滅に至らせる実践規範を、極めて明らかに知り、

 六処、六処が生じる原因、六処の消滅、動物を六処の消滅に至らせる実践規範を、極めて明らかに知り、

 名形、名形が生じる原因、名形の消滅、動物を名形の消滅に至らせる実践規範を、極めて明らかに知り、

 識、識が生じる原因、識の消滅、動物を識の消滅に至らせる実践規範を、極めて明らかに知り、

 私がその道にそって歩いて行くと、すべての行、行が生じる原因、行の消滅、動物を行の消滅に至らせる実践規範を、極めて明らかに知りました。

 比丘のみなさん。その道を知り尽した時、私は比丘、比丘尼、清信士、清信女に教えました。

 比丘のみなさん。私が教えた梵行は盤石であり、繁栄した梵行であり、広く普及し、たくさんの人に知られ、その結果天人と人間のみなさんが良く開示できます。





大悟する前に縁起を発見する

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻11頁26項

 比丘のみなさん。私がまだ大悟する前、まだボーディサッタだった時、「この世界の動物は、生・老・死、移動、そしてまた生れることのすべてに至る。それは世界の動物が苦、つまり老死から脱す方法を知らないから、苦つまり老死の苦から脱すことができないのだ」という考えが生じました。

 比丘のみなさん。私に「何があるから老死があるのだろう。何が老死の要因なのだろう」という疑問が生じました。比丘のみなさん。(理で)絶妙に考えたので、智慧によって次のような極めて明らかな知識が生じました。

 生があるから老死がある。老死があるのは生が縁だから。

 有があるから生がある。生があるのは有が縁だから。

 取があるから有がある。有があるのは取が縁だから。

 欲望があるから取がある。取があるのは欲望が縁だから。

 受があるから欲望がある。欲望があるのは受が縁だから。

 触があるから受がある。受があるのは触が縁だから。

 六処があるから触がある。触があるのは六処が縁だから。

 名形があるから六処がある。六処があるのは名形が縁だから。

 識があるから名形がある。名形があるのは識が縁だから。

 行があるから識がある。識があるのは行が縁だから。

 無明があるからすべての行がある。すべての行があるのは無明が縁だからだ。

 だからこれは、無明が縁で行が生じ、行が縁で識が生じ、識が縁で名形が生じ、名形が縁で六処が生じ、六処が縁で触が生じ、触が縁で受が生じ、受が縁で欲望が生じ、欲望が縁で煩悩が生じ、煩悩が縁で有が生じ、有が縁で生が生じ、生が縁で老死、悲しみ、苦、愁苦、苦悩が生じる。苦の山はこのように生じる。

 比丘のみなさん。「苦が揃って発生する! このように苦が揃って生じる」と、今まで私が聞いたことがない眼、ニャーナ(知ること。智)、智慧、明、光が生じました。



 比丘のみなさん。私に「何がなければ老死がなくなるのだろう。どうすれば老死を消滅させることができるのだろう」という疑問が生じました。比丘のみなさん。絶妙に考えたので、智慧によって次のような最高に明らかな知識が生じました。

 生がなければ老死はない。生が消滅すれば老死も消滅する。

 有がなければ生はない。有が消滅すれば生も消滅する。

 取がなければ有はない。取が消滅すれば有も消滅する。

 欲望がなければ取はない。欲望が消滅すれば取も消滅する。

 受がなければ欲望はない。受が消滅すれば欲望も消滅する。

 触がなければ受はない。触が消滅すれば受も消滅する。

 六処がなければ触はない。六処が消滅すれば触も消滅する。

 名形がなければ六処はない。名形が消滅すれば六処も消滅する。

 識がなければ名形はない。識が消滅すれば名形も消滅する。

 行がなければ識はない。行が消滅すれば識も消滅する。

 無明がなければ行はない。無明が消滅すれば行も消滅する、とこのように。

 だからこれは、無明が消えれば行が消え、行が消えれば識が消え、識が消えれば名形が消え、名形が消えれば六処が消え、六処が消えれば触も消え、触が消えれば受も消え、受が消えれば欲望が消え、欲望が消えれば取が消え、取が消えれば有が消え、有が消えれば生が消え、生が消えれば老死、悲しみ、苦、愁苦、悩みも消える。すべての悩みはこのように消滅する。

 比丘のみなさん。「苦の滅だ! 苦の滅だ!」と、今まで私が聞いたことのない眼、ニャーナ、智慧、明、光が生じました。





過去六人のブッダの縁起の考察

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻5頁22項

 比丘のみなさん。ヴィパッシーという名前の阿羅漢サンマーサンブッダが大悟する前、まだボーディサッタだった時、「この世界の動物は生・老・死、移動、そしてまた生れることのすべてに至る。それは世界の動物が苦、つまり老死から脱す方法を知らないから、苦つまり老死から脱すことができないのだ」という考えが生まれました。

 比丘のみなさん。プラヴィパッシーボーディサッタに「何があるから老と死があるのだろう。何が老死の要因なのだろう」という疑問が生じました。比丘のみなさん。心の中を絶妙にしたので、智慧で次のように、最高に明らかな知識が生じました。

 生があるから老死がある。老死があるのは生が縁だから。

 有があるから生がある。生があるのは有が縁だから。

 取があるから有がある。有があるのは取が縁だから。

 欲望があるから取がある。取があるのは欲望が縁だから。

 受があるから欲望がある。欲望があるのは受が縁だから。

 触があるから受がある。受があるのは触が縁だから。

 六処があるから触がある。触があるのは六処が縁だから。

 名形があるから六処がある。六処があるのは名形が縁だから。

 識があるから名形がある。名形があるのは識が縁だから。

 行があるから識がある。識があるのは行が縁だから。

 その時プラヴィパッシーというボーディサッタに「 何があるから老と死があるのだろう。何が老死の要因なのだろう」という疑問が生じました。比丘のみなさん。心の中を絶妙にしたので「無明があるから行がある。行があるのは無明が縁だからだ」と、智慧で次のように極めて明らかな知識が生じました。

 だからこのことは、無明が縁ですべての行が生じ、行が縁で識が生じ、識が縁で名形が生じ、名形が縁で六処が生じ、六処が縁で触が生じ、触が縁で受が生じ、受が縁で欲望が生じ、欲望が縁で煩悩が生じ、煩悩が縁で有が生じ、有が縁で生が生じ、生が縁で老死、悲しみ、苦、愁苦、苦悩が生じる。苦の山はこのように揃って生じます。

 比丘のみなさん。「苦が揃って生じる! このように苦が揃って生じる」と、今まで聞いたことのない目、ニャーナ(知ること。智)、智慧、明、光が、ボーディサッタだったプラヴィパッシーに生じました。



 比丘のみなさん。プラヴィパッシーというボーディサッタに「何がなければ老死がなくなるのだろう。どうすれば老死を消滅させることができるのだろう」と疑問が生じました。

 比丘のみなさん。心の中を絶妙にしので、智慧によって次のように極めて明らかな知識がプラヴィパッシーボーディサッタ生じました。

 生がなければ老死はない。生が消滅すれば老死も消滅する。

 有がなければ生はない。有が消滅すれば生も消滅する。

 取がなければ有はない。取が消滅すれば有も消滅する。

 欲望がなければ取はない。欲望が消滅すれば取も消滅する。

 受がなければ欲望はない。受が消滅すれば欲望も消滅する。

 触がなければ受はない。触が消滅すれば受も消滅する。

 六処がなければ触はない。六処が消滅すれば触も消滅する。

 名形がなければ六処はない。名形が消滅すれば六処も消滅する。

 識がなければ名形はない。識が消滅すれば名形も消滅する。

 行がなければ識はない。行が消滅すれば識も消滅する。

 比丘のみなさん。その時プラヴィパッシーボーディサッタに「何がなければすべての行がなくなるのだろう。どうすれば行を消滅させることができるのだろう」と疑問が生じました。

 比丘のみなさん。心の中を絶妙にしたので、「無明がなければ行はない。無明が消滅すれば行も消滅する」と、智慧によってこのように極めて明らかな知識がプラヴィパッシーボーディサッタ生じました。

 だからこのことは、無明が消えれば行が消え、行が消えれば識が消え、識が消えれば名形が消え、名形が消えれば六処が消え、六処が消えれば触が消え、触が消えれば受が消え、受が消えれば欲望が消え、欲望が消えれば取が消え、取が消えれば有が消え、有が消えれば生が消え、生が消えれば老死、悲しみ、苦、愁苦、悩みも消える。すべての悩みはこのように消滅します。

 比丘のみなさん。「苦の消滅だ! 苦の消滅だ!」と、今まで聞いたことのない眼、ニャーナ、智慧、明、光明が、ボーディサッタだったプラヴィパッシーに生じました。

註: 過去の他の五人のブッダ、つまりプラシキー、プラカクサンダ、プラコナーガマナ、プラカッサバが縁起を熟考するのも、プラヴィパッシーの話とすべて同じに話されています。

 更に相応部の経で述べている上のプラヴィパッシーが縁起を考察する話は、長部の経で述べている内容と違う部分もあります。長部の経では識と名形で縁起の流れが止まり、無明まで行きません。第十章の「プラヴィパッシーが述べた縁起」にあるので、関心のある人は比較して見れば、今述べた違いを発見します。http://buddhadasa.hahaue.com/engi/10-1.html





発生と消滅の縁を知ったから獅子吼なさる

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻33頁64項

 比丘のみなさん。如行(ブッダの一人称。そのように行ったという意味。漢訳では如来)は十のバラニャーナ(力智)があり、四つのヴェサーラッジャニャーナ(自信智)があるので、世界の頂点にいることを宣言し、

「形はこのよう、形が生じる原因はこのよう、形が維持できないことはこのよう」、

「受はこのよう、受が生じる原因はこのよう、受が維持できないことはこのよう」、

「想はこのよう、想が生じる原因はこのよう、想が維持できないことはこのよう」、

「行はこのよう、行が生じる原因はこのよう、行が維持できないことはこのよう」、

「識はこのよう、識が生じる原因はこのよう、識が維持できないことはこのよう」、

そして「これがあるからこれがあり、これが生じたからこれが生じた。これがないからこれがない。これが消滅したからこれが消滅する」と獅子吼して教団員のみなさんに法輪を公開しました。

 それはつまり、

 無明が縁ですべての行があり、

 行が縁で識があり、

 識が縁で名形があり、

 名形が縁で六処があり、

 六処が縁で触があり、

 触が縁で受があり、

 受が縁で欲望があり、

 欲望が縁で取があり、

 取が縁で有があり、

 有が縁で生があり、

 生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが残らず生じます。

すべての苦の山の発生はこのようにあります。


 無明が消滅することですべての行が消滅し、

 行が消滅することで識が消滅し、

 識が消滅することで名形が消滅し、

 名形が消滅することで触が消滅し、

 触が消滅することで受が消滅し、

 受が消滅することで取が消滅し、

 取が消滅することで欲望が消滅し、

 欲望が消滅することで有が消滅し、

 有が消滅することで生が消滅し、

 生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に消滅します。

 すべての苦の山の消滅は、当然このようにあります。





アリヤニャーヤダンマだけを託宣なさる

増支部ダサカニパータ 24巻207頁95項

 修行者ウッティヤが、「ゴータマ様。世界は不変という言葉だけが真実で、他の言葉は無益ですか」と質問しました。

 ウッティヤさん。『世界は不変という言葉だけが真実で、他の言葉は無益』というのは、私が託宣しない真実です。

 「世界は不変ではないという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですか」。

 ウッティヤさん。『世界は不変ではない。これだけが真実の言葉で、他の言葉は無益だ』というのは、私が託宣しない真実です。

 「世界に終わりがあるという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですか」。

 ウッティヤさん。『世界は終わりがある。これだけが真実の言葉で、他の言葉は無益』というのは、私が託宣しない真実です。

 「世界には終わりがないという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですか」。

 ウッティヤさん。『世界に終わりはない。これだけが真実の言葉で、他の言葉は無益』というのは、私が託宣しない真実です。

 「命と体は同じという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですか」。

 ウッティヤさん。『命と体は同じ。これだけが真実の言葉で、他の言葉は無益』というのは、私が託宣しない真実です。

 「命と体は同じではないという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですか」。

 ウッティヤさん。『命と体は同じでない。この言葉だけが真実で、他の言葉は無益だ』というのは、私が託宣しない真実です。

 「如行は死んだ後も当然まだいるという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですか」。

 ウッティヤさん。『如行は死んだ後もまだいる。これだけが真実の言葉で、他の言葉は無益だ』というのは、私が託宣しない真実です。

 「如行が死んだ後は当然いないという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですか」。

 ウッティヤさん。『如行が死んだ後は当然いない。これだけが真実の言葉で、他の言葉は無益』というのは、私が託宣しない真実です。

 「如行が死んだ後、当然いることもあり、いないこともあるという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですか」。

  ウッティヤさん。「如行が死んだ後、当然まだいることもあり、いないこともある。これだけが真実の言葉で、他の言葉は無益だ」というのは、私が託宣しない真実です。

 「如行が死んだ後、当然いるのでもなく、いないのでもないという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですか」。

 ウッティヤさん。『如行が死んだ後、当然いるのでもなく、いないのでもない。これだけが真実の言葉で、他の言葉は無益だ』というのは、私が託宣しない真実です。


 「ゴータマ様。世界は不変という言葉だけが真実で、他の言葉は無益ですかと質問しても、あなたは、私はそれを託宣しないとお答えになり、世界は不変ではないという言葉だけだ真実で、他の言葉は無益ですかと質問しても、あなたは、私はそれを託宣しないとお答えになり、世界に終わりがあるという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですかと質問しても、あなたは、私はそれを託宣しないとお答えになり、

世界には終わりがないという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですかと質問しても、あなたは、私はそれを託宣しないとお答えになり、命と体は同じという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですかと質問しても、あなたは、私はそれを託宣しないとお答えになり、

命と体は同じではないという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですかと質問しても、あなたは、私はそれを託宣しないとお答えになり、如行は死んだ後も当然まだいるという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですかと質問しても、あなたは、私はそれを託宣しないとお答えになり、如行が死んだ後は、当然いないという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですかと質問しても、

あなたは、私はそれを託宣しないとお答えになり、如行が死んだ後、当然いることもあり、いないのもあるという真実だけが真実の言葉で、他の言葉は無益ですかと質問しても、あなたは、私はそれを託宣しないとお答えになります。あなたが託宣することはどのようですか」。

 ウッティヤさん。私は当然すべての動物の清浄のため、泣き嘆くことを越えてしまうため、苦と憂いが維持できないため、ニャーヤダンマに到達するため、涅槃を明らかにするために、最高の智慧ですべての弟子にダンマを説きます。

 「ゴータマ様。すべての動物の清潔のため、泣き嘆くことを越えてしまうため、苦と憂いが存在できないため、ニャーヤダンマ(真理)に到達するため、涅槃を明らかにするために、あなたが最高の智慧ですべての弟子に説かれるダンマ、そのダンマで苦から出られるのは、世界全体の動物ですか。それとも世界の半分の動物ですか、世界の三分の一の動物ですか」。

 ウッティヤ修行者がこのように言うと、世尊は黙ってしまわれました。

註: 学習者は、縁起の話はアリヤニャーヤダンマ(知るべき素晴らしいもの)であり、人が知れば、ウッティヤ修行者が質問し、そしてブッダが託宣しなかった十の邪見が生じる余地は当然はない。そしてブッダは託宣しないと観察して見なければなりません。

 例えば十の邪見を防ぐこと、なくすことができる縁起などのニャーヤダンマしか託宣なさらないからです。誤った見解はどれも、因果の法則つまり縁起が見えないから生じると、明らかに見てください。だから涅槃へ直行する縁起を説くことは、私も同じように宣言することです。

 更にこの話の最後で、真似をしてからかって皮肉を言う人には、ブッダは黙してしまわれると、いつでも明らかに見てください。これを本当の「ブッダの品行」と見なすべきです。





縁起に関わる仕事の努力に非常に誘い懇願なさる

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻33頁65項

 比丘のみなさん。如行は十のバラニャーナ(力智)があり、四つのヴェサーラッジャニャーナ(自信智)があるので、世界の頂点の地位を宣言し、

 「形はこのよう、形が生じる原因はこのよう、形が維持できないことはこのよう」

 「受はこのよう、受が生じる原因はこのよう、受が維持できないことはこのよう」

 「想はこのよう、想が生じる原因はこのよう、想が維持できないことはこのよう」

 「行はこのよう、行が生じる原因はこのよう、行が維持できないことはこのよう」

 「識はこのよう、識が生じる原因はこのよう、識が維持できないことはこのよう」

 「これがあるからこれがあり、これが生じたからこれが生じた。これがないからこれがない。これが消滅したからこれが消滅する」と獅子吼して、教団員のみなさんに法輪を公開しました。

 これはつまり、

   無明が縁ですべての行があり、

  行が縁で識があり、

  識が縁で名形があり、

  名形が縁で六処があり、

  六処が縁で触があり、

  触が縁で受があり、

  受が縁で欲望があり、

  欲望が縁で取があり、

  取が縁で有があり、

  有が縁で生があり、

  生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが残らず生じます。

  すべての苦の山の発生はこのようにあります。


  無明が消滅することですべての行が消滅し、

  行が消滅することで識が消滅し、

  識が消滅することで名形が消滅し、

  名形が消滅することで触が消滅し、

  触が消滅することで受が消滅し、

  受が消滅することで取が消滅し、

  取が消滅することで欲望が消滅し、

  欲望が消滅することで有が消滅し、

  有が消滅することで生が消滅し、

  生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に消滅する。

  すべての苦の山の消滅は、当然このようにあります。

 比丘のみなさん。私がこのように良く説いたダンマは、浅くして公表し、公開したダンマであり、私が削り落とした部分があります。

 比丘のみなさん。私がこのように良く説いたダンマは、浅くして公表し、公開したダンマであり、私が削り落とした部分があり、当然信仰で出家した良家の子息が「皮膚、腱、骨だけ残して体中の肉と血が干乾びようと、男子の努力で、男子の精励努力で、男子の力で到達する人の利益に到達しない時は、努力を止めることはない」と、このように努力を始めるのにふさわしいです。

 比丘のみなさん。怠慢ですべての罪悪がいっぱいの人は、当然苦で暮らし、当然自分の大きな利益を消失させます。比丘のみなさん。一方始めた努力がある比丘は当然幸福に暮らし、すべての罪悪であるダンマが静まり、そして当然自分の偉大な利益を完璧にします。

 比丘のみなさん。悪劣な行動で素晴らしいダンマに至ることは当然できませんが、素晴らしい行動で素晴らしいダンマに至ることは当然できます。比丘のみなさん。この梵行(ここで教団という意味)は醍醐のように芳醇で、教祖もここにいます。

 比丘のみなさん。だからこのことはみなさん、まだ到達していない物に到達するために、まだ理解していない物を理解するために、まだ明らかでないダンマを明らかなダンマにするために、努力を始めるべきです。

 比丘のみなさん。みなさん「このような行動で、私たちの出家生活は低劣でなく、不毛でない出家生活になる。儲けがある出家になる。更に私たち全員は、どんな人々が布施したチーヴァラ(衣)と食べ物と住まいと八物を消費しても、それらを消費することはその(布施をした)人たちにとって偉大な結果、偉大な功徳がある消費になる」とこのように心に銘じなさい。

 比丘のみなさん。人が自分の利益が見えれば、当然その利益を不注意でないことで完璧にするにふさわしく、他人のための利益が見えれば、当然その利益を不注意でないことで完璧にするにふさわしいです。あるいは双方の利益が見えれば、当然その利益を不注意でないことで完璧にするにふさわしいです。




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