第六章 実践の形で話された縁起





     因果の法則:縁起の要旨

  これがあるから、これが当然ある。

  これが生じたから、これが生じた。


  これが無ければ、これは当然無い。

  これが消滅したから、これが消滅する。

中部マッジマバンナーサ 13巻355頁371項
相応部ニダーナヴァッガ 16巻84頁154項






縁起の話は梵行の初め

相応部ニダーナヴァッガ 16巻89頁166項他

 世尊がある隠れ家に滞在なさっていたある時、このダンマの説明を(独白で)述べられました。

(1) 目と形に依存して眼識が生じ、三つのダンマ(目+形+眼識)の会合が触だ。触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁になって老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じる。すべての苦の山はこのように発生する。

(2) 耳と声に依存して耳識が生じ、三つのダンマ(耳+声+耳識)の会合が触だ。触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有あり、有が縁で生があり、生が縁になって老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じる。すべての苦の山はこのように発生する。

(3) 鼻と臭いに依存して鼻識が生じ、三つのダンマ(鼻+臭い+鼻識)の会合が触だ。触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁になって老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じる。すべての苦の山はこのように発生する。

(4) 舌と味に依存して舌識が生じ、三つのダンマ(舌+味+舌識)の会合が触だ。触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁になって老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じる。すべての苦の山はこのように発生する。

(5) 体と接触に依存して身識が生じ、三つのダンマ(体+接触+身識)の会合が触だ。触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁になって老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じる。すべての苦の山はこのように発生する。

(6) 心と想念に依存して意識が生じ、三つのダンマ(心+想念+意識)の会合が触だ。触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁になって老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じる。すべての苦の山はこのように発生する。

 すべての苦の山はこのように発生する。



(1) 目とすべての形に依存して眼識が生じ、三つのダンマ(目+形+眼識)の会合が触だ。触が縁になって受があり、受が縁になって欲がある。欲が消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って消滅する。すべての苦の山はこのように消滅する。

(2) 耳とすべての声に依存して耳識が生じ、三つのダンマ(耳+声+耳識)の会合が触だ。触が縁になって受があり、受が縁になって欲がある。欲が消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って消滅する。すべての苦の山はこのように消滅する。

(3) 鼻とすべての臭いに依存して鼻識が生じ、三つのダンマ(鼻+臭い+鼻識)の会合が触だ。触が縁になって受があり、受が縁になって欲がある。欲が縁になって取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って消滅する。すべての苦の山はこのように消滅する。

(4) 舌とすべての味に依存して舌識が生じ、三つのダンマ(舌+味+舌識)の会合が触だ。触が縁になって受があり、受が縁になって欲がある。欲が消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って消滅する。すべての苦の山はこのように消滅する。

(5) 体とすべての接触に依存して身識が生じ、三つのダンマ(体+接触+身識)の会合が触だ。触が縁になって受があり、受が縁になって欲がある。欲が消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って消滅する。すべての苦の山はこのように消滅する。

(6) 心とすべての想念に依存して意識が生じ、三つのダンマ(心+想念+意識)の会合が触だ。触が縁になって受があり、受が縁になって欲がある。欲が消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って消滅する。すべての苦の山はこのように消滅する。

 その時一人の比丘が隠れてそれを聞いていました。世尊は、隠れて聞いている比丘に視線を投げられ、「比丘。このダンマの話を聞きましたか」と言われました。

 「はい、聞かせていただきました。猊下」。

 比丘。あなたはこのダンマの話を受け取りなさい。比丘。このダンマの話を学習なさい。比丘。このダンマを維持しなさい。比丘。このダンマは利益があり、梵行の初めです。





縁起を知らない人は、まだ先生を探す義務がある

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻160頁309項

 比丘のみなさん。人が老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知らない時は、老死、老死が生じる原因、老死の消滅を、老死の消滅に至る道を真実のままに知るために先生を探すべきです。

 (生・有・取・欲・受・触・六処・名形・識の場合も、老死と同じように話されています)。

 比丘のみなさん。人がすべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅を、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知らない時はいつでも、すべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知るために先生を探すべきです。





縁起を知らない人は、まだ学習する義務がある

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻161頁310項

 比丘のみなさん。人が老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知らない時は、老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知るために学習するべきです。

 (生・有・取・欲・受・触・六処・名形・識の場合も老死と同じように話されています)。

 比丘のみなさん。人がすべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅を、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知らない時は、すべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知るために学習するべきです。





縁起を知らない人は、まだ努力をする義務がある

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻161頁310項

 比丘のみなさん。人が老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知らない時は、老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知るために十分努力(ヨーガ)をすべきです。

 (生・有・取・欲・受・触・六処・名形・識の場合も、老死の場合と同じように話されています)。

 比丘のみなさん。人がすべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅を、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知らない時はいつでも、すべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知るために努力をするべきです。





縁起を知らない人は、まだ満足する義務がある

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ16巻161頁310項

 比丘のみなさん。人が老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知らない時は、老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知るためにチャンダ(満足)があるべきです。

 (生・有・取・欲・受・触・六処・名形・識の場合も、老死と同じように話されています)。

 比丘のみなさん。人がすべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅を、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知らない時はいつでも、すべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知るために、チャンダがあるべきです。





縁起を知らない人は、まだ精励する義務がある

祇園精舎で
増支部ニダーナヴァッガ 16巻161頁310項

 比丘のみなさん。人が老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を、真実のままに知らない時は、老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知るために精励努力(ウッソーヒ)すべきです。

 (生・有・取・欲・受・触・六処・名形・識の場合も、老死と同じように話されています)。

 比丘のみなさん。人がすべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅を、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知らない時はいつでも、すべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知るために、精励努力すべきです。





縁起を知らない人は、まだ不退転の義務がある

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻161頁310項

 比丘のみなさん。人が老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を、真実のままに知らない時は、老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知るために不退転(アッパティヴァーニ)であるべきです。

 (生・有・取・欲・受・触・六処・名形・識の場合も、老死と同じように話されています)。

 比丘のみなさん。人がすべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅を、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知らない時はいつでも、すべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知るために、不退転であるべきです。





縁起を知らない人は、まだ煩悩を焼く努力をする義務がある

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻161頁310項

 比丘のみなさん。人が老死、老死が生じる原因、老死の消滅を、老死の消滅に至る道を、真実のままに知らない時は、老死を、老死が生じる原因、老死の消滅を、老死の消滅に至る道を真実のままに知るために煩悩を焼く努力をするべきです。

 (生・有・取・欲・受・触・六処・名形・識の場合も、老死の場合と同じように話されています)。

 比丘のみなさん。人がすべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅を、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知らない時はいつでも、すべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知るために、煩悩を焼く努力をするべきです。





縁起を知らない人は、まだ精進する義務がある

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻161頁310項

 比丘のみなさん。人が老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を、真実のままに知らない時は、老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知るために精進(ヴィリヤ)するべきです。

 (生・有・取・欲・受・触・六処・名形・識の場合も、老死と同じように話されています)。

 比丘のみなさん。人がすべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅を、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知らない時はいつでも、すべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知るために、精進するべきです。





縁起を知らない人は、まだ継続してする義務がある

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻161頁310項

 比丘のみなさん。人が老死を、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を、真実のままに知らない時は、老死を、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を、真実のままに知るために継続してするべきです。

 (生・有・取・欲・受・触・六処・名形・識の場合も、老死と同じように話されています)。

 比丘のみなさん。人がすべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅を、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知らない時はいつでも、すべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知るために、継続してするべきです。





縁起を知らない人は、まだサティを鍛える義務がある

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻161頁310項

 比丘のみなさん。人が老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知らない時は、老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知るためにサティを鍛えるべきです。

 (生・有・取・欲・受・触・六処・名形・識の場合も、老死と同じように話されています)。

 比丘のみなさん。人がすべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅を、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知らない時はいつでも、すべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知るために、サティの訓練するべきです。





縁起を知らない人は、まだ自覚の訓練をする義務がある

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻161頁310項

 比丘のみなさん。人が老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知らない時は、老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知るために自覚(サムパッチャンニャ)の訓練をするべきです。

 (生・有・取・欲・受・触・六処・名形・識の場合も、老死と同じように話されています)。

 比丘のみなさん。人がすべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅を、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知らない時はいつでも、すべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知るために、自覚の訓練をするべきです。





縁起を知らない人は、まだ油断をしない義務がある

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻161頁310項

 比丘のみなさん。人が老死、老死が生じる原因、老死の消滅、老死の消滅に至る道を真実のままに知らない時は、老死を、老死が生じる原因、老死の消滅を、老死の消滅に至る道を真実のままに知るために油断(パマーダ。訳注)がないようにするべきです。

 (生・有・取・欲・受・触・六処・名形・識の場合も、老死と同じように話されています)。

 比丘のみなさん。人がすべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅を、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知らない時はいつでも、すべての行、すべての行が生じる原因、すべての行の消滅、すべての行の消滅に至る道を真実のままに知るために、不注意でないことを満たすべきです。

 訳注: パマーダは、日本では放逸と訳されていますが、タイ語では「油断、不注意」といった意味で、こちらの方がブッダが言われている意味と一致すると信じます。





縁起を実践の話にするよう目指された(論理だけではない)

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻5頁19項

 比丘のみなさん。みなさんに誤った道と正しい道について説明します。みなさんこのダンマを聞いて、心の中を役立つようになさい。今話します。

 比丘たちが返事をすると、世尊は次の言葉を話されました。

 比丘のみなさん。誤ったパティパダー(道)はどのようでしょうか。比丘のみなさん。無明が縁ですべての行があり、行が縁で識があり、識が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って生じます。すべての苦の山の発生はこのようにあります。比丘のみなさん。これを誤った道と言います。

 比丘のみなさん。正しい道はどのようでしょうか。比丘のみなさん。無明が薄れて無くなることで行が消滅し、行が消滅することで識が消滅し、識が消滅することで受が消滅し、受が消滅することで欲が消滅し、欲が消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って生じます。すべての苦の山はこのように消滅します。比丘のみなさん。これを正しい道と言います。

註: 誤ったパティパダー(道)とは迂闊な人、あるいはサティが放置されている人が、目が形などに触れた時サティがぼんやりしているとで、この経で言われているようないろんな症状が全部生じ、そして最後には苦である結果を受け取ります。

 正しい道は意味が反対で、目が形等を見た時に完璧にサティがあり、無明も生じず、常自覚、あるいは智慧があるので、最後に苦になる状態のいろんな症状が生じません。要するにサティがあることが、目で形を見るなど日常生活の中での縁起の実践ということです。





隠遁は縁起を知ることを簡単にする

祇園精舎で
相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻20頁30項

 比丘のみなさん。隠遁する努力をなさい。比丘のみなさん。隠遁した比丘は当然真実のままに知ります。その比丘は何を、当然真実のままに知るのでしょうか。比丘が隠遁すれば当然形・受・想・行・識の発生と消滅を真実のままに明らかに知ります。

 比丘のみなさん。形・受・想・行・識の発生はどのようでしょうか。比丘のみなさん。この場合の比丘は当然陶酔し、褒めちぎり、惑溺します。その比丘は当然何に陶酔し、当然褒めちぎり、当然惑溺するのでしょうか。

 比丘のみなさん。その比丘は当然形に陶酔し、当然褒めちぎり、当然惑溺します。その比丘が形に陶酔して褒めちぎって惑溺すれば、ナンディ(喜びによる満足)が当然生じます。形の喜びは何でも、その喜びは取です。その比丘の取が縁になって有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って生じます。すべての苦の発生は、当然このようにあります。

 比丘のみなさん。その比丘は当然受に陶酔し、当然褒めちぎり、当然惑溺します。その比丘が受に陶酔し、褒めちぎり、惑溺すれば、ナンディ(喜びによる満足)が当然生じます。受の喜びは何でも、その喜びは取です。その比丘の取が縁になって有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って生じます。すべての苦の発生は、当然このようにあります。

 比丘のみなさん。その比丘は当然想に陶酔し、当然褒めちぎり、当然惑溺します。その比丘が想に陶酔し、褒めちぎり、惑溺すれば、ナンディ(喜びによる満足)が当然生じます。想の喜びは何でも、その喜びは取です。その比丘の取が縁になって有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って生じます。すべての苦の発生は、当然このようにあります。

 比丘のみなさん。その比丘は行に当然陶酔し、当然褒めちぎり、当然惑溺します。その比丘が行に陶酔し、褒めちぎり、惑溺すれば、ナンディ(喜びによる満足)が当然生じます。行の喜びは何でも、その喜びは取です。その比丘の取が縁になって有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って生じます。すべての苦の発生は、当然このようにあります。

 比丘のみなさん。その比丘は当然識に陶酔し、当然褒めちぎり、当然惑溺します。その比丘が識に陶酔し、褒めちぎり、惑溺すれば、ナンディ(喜びによる満足)が当然生じます。識の喜びは何でも、その喜びは取です。その比丘の取が縁になって有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って生じます。すべての苦の発生は、当然このようにあります。

 比丘のみなさん。これが形・受・想・行・識の発生です。



 比丘のみなさん。形・受・想・行・識の消滅はどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。この場合の比丘は当然陶酔せず、褒めちぎらず、惑溺しません。その比丘は当然何に陶酔せず、当然褒めちぎらず、当然惑溺しないのでしょうか。

 比丘のみなさん。その比丘は当然形に陶酔せず、当然褒めちぎらず、当然惑溺しません。その比丘が形に陶酔せず、褒めちぎらず、惑溺しなければ、当然ナンディ(喜びによる満足)は消滅します。その比丘のナンディが消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って生じます。すべての苦の山はこのように消滅します。

 比丘のみなさん。その比丘は当然受に陶酔せず、当然褒めちぎらず、当然惑溺しません。その比丘が受に陶酔せず、褒めちぎらず、惑溺しなければ、当然ナンディ(喜びによる満足)は消滅します。その比丘のナンディが消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って消滅します。すべての苦の山はこのように消滅します。

 比丘のみなさん。その比丘は当然想に陶酔せず、当然褒めちぎらず、当然惑溺しません。その比丘が想に陶酔せず、褒めちぎらず、惑溺しなければ、当然ナンディ(喜びによる満足)は消滅します。その比丘のナンディが消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って消滅します。すべての苦の山はこのように消滅します。

 比丘のみなさん。その比丘は当然行に陶酔せず、当然褒めちぎらず、当然惑溺しません。その比丘が行に陶酔せず、褒めちぎらず、惑溺しなければ、当然ナンディ(喜びによる満足)は消滅します。その比丘のナンディが消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って消滅します。すべての苦の山はこのように消滅します。

 比丘のみなさん。その比丘は当然識に陶酔せず、当然褒めちぎらず、当然惑溺しません。その比丘が識に陶酔せず、褒めちぎらず、惑溺しなければ、当然ナンディ(喜びによる満足)は消滅します。その比丘のナンディが消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って消滅します。すべての苦の山の消滅はこのように消滅します。

 比丘のみなさん。これが形・受・想・行・識の消滅です。





縁起の発見は八正道を歩くこと

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻128頁253項

 比丘のみなさん。密林へ入った男が人間が歩いたことのある古道の跡を見つけて、その道に沿って歩いて行くと、昔たくさんの人間が暮らしていた古代の都市、豊かな庭園、豊かな木々、豊かな池、城壁の残骸があり、心地よい場所がある古代都市の残骸を発見するようなものです。

 比丘のみなさん。その後その人は王や王の側近に「お知らせ申し上げます。私が密林に入りますと、人間が歩いた古道を見つけ、その道に沿って歩いて行くと、昔たくさんの人間が暮らしていた古代の都市の残骸を発見しました。豊かな庭園、豊かな木々、豊かな池、城壁の残骸があり、心地よい場所がありました。どうぞその場所を調査なさって、都にしてください」と奏上します。

 比丘のみなさん。その後、王または王の側近がその場所を調査して都にすると、その後、その都は豊かに繁栄し、大勢の人が住み、どこも人で溢れる豊かな繁栄に達します。

 比丘のみなさん。同じように私はたくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道を発見しました。比丘のみなさん。たくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道とは何でしょうか。それは八正道、すなわち正しい見解、正しい考え、正しい言葉、正しい業、正しい生業(生活)、正しい努力、正しいサティ、正しいサマーディです。

 比丘のみなさん。これがたくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道です。私がその道を歩いて行くと、老死、老死の原因、老死の消滅、老死の消滅に至る実践規範を、極めて明らかに知りました。

 比丘のみなさん。これがたくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道です。私がその道を歩いて行くと、生、生の原因、生の消滅、生の消滅に至る実践規範を、極めて明らかに知りました。

 比丘のみなさん。これがたくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道です。私がその道を歩いて行くと、有、有の原因、有の消滅、有の消滅に至る実践規範を、極めて明らかに知りました。

 比丘のみなさん。これがたくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道です。私がその道を歩いて行くと、取、取の原因、取の消滅、取の消滅に至る実践規範を、極めて明らかに知りました。

 比丘のみなさん。これがたくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道です。私がその道を歩いて行くと、欲、欲の原因、欲の消滅、欲の消滅に至る実践規範を、極めて明らかに知りました。

 比丘のみなさん。これがたくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道です。私がその道を歩いて行くと、受、受の原因、受の消滅、受の消滅に至る実践規範を、極めて明らかに知りました。

 比丘のみなさん。これが、たくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道です。私がその道を歩いて行くと、触、触の原因、触の消滅、触の消滅に至る実践規範を、極めて明らかに知りました。

 比丘のみなさん。これがたくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道です。私がその道を歩いて行くと、六処、六処の原因、六処の消滅、六処の消滅に至る実践規範を、極めて明らかに知りました。

 比丘のみなさん。これがたくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道です。私がその道を歩いて行くと、名形、名形の原因、名形の消滅、名形の消滅に至る実践規範を、極めて明らかに知りました。

 比丘のみなさん。これがたくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道です。私がその道を歩いて行くと、識、識の原因、識の消滅、識の消滅に至る実践規範を、極めて明らかに知りました。

 比丘のみなさん。これがたくさんのサンマーサンブッダが歩いた古道です。私がその道を歩いて行くと、すべての行、行の原因、行の消滅、行の消滅に至る実践規範を、極めて明らかに知りました。

 比丘のみなさん。その道を知り極めた時、私は比丘、比丘尼、清信士、清信女に教えました。

 比丘のみなさん。私が話して教えた梵行は、盤石で繁栄した梵行であり、広く普及した梵行であり、たくさんの人に知られ、その結果天人と人間のみなさんが良く公開できます。

註: 学習者は、上の内容は八正道に沿って歩いていれば、それ自体が当然次第に縁起を知ることなので、一心に縁起を考えれば八正道を歩いていると見なすことができる、と観察して見なければなりません。ほとんどの人のように、別の話と考えて見過ごさないでください。





縁起を消滅させる実践は、ダンマにふさわしいダンマの実践と呼ばれる

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻22頁46項

 比丘のみなさん。比丘が老死の倦怠のため、弛緩のため、消滅のために実践すれば、その比丘は「ダンマにふさわしいダンマを実践する比丘」と呼ぶにふさわしいです。

 比丘のみなさん。比丘が生の倦怠のため、弛緩のため、消滅のために実践すれば、その比丘は「ダンマにふさわしいダンマを実践する比丘」と呼ぶにふさわしいです。

 比丘のみなさん。比丘が有(または三界)の倦怠のため、弛緩のため、消滅のために実践すれば、その比丘は「ダンマにふさわしいダンマを実践する比丘」と呼ぶにふさわしいです。

 比丘のみなさん。比丘が取の倦怠のため、弛緩のため、消滅のために実践すれば、その比丘は「ダンマにふさわしいダンマを実践する比丘」と呼ぶにふさわしいです。

 比丘のみなさん。比丘が欲の倦怠のため、弛緩のため、消滅のために実践すれば、その比丘は「ダンマにふさわしいダンマを実践する比丘」と呼ぶにふさわしいです。

 比丘のみなさん。比丘が受の倦怠のため、弛緩のため、消滅のために実践すれば、その比丘は「ダンマにふさわしいダンマを実践する比丘」と呼ぶにふさわしいです。

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