縁起の受が生じた時に五取蘊が生じる

祇園精舎で
サラーヤタナヴィバンガスッタ
中部ウパリパンナーサ 14巻521頁826項

 比丘のみなさん。人が目を真実のままに知らず、すべての形を真実のままに知らず、眼識を真実のままに知らず、眼触を真実のままに知らず、眼触から生じる受を幸福でも苦でも、苦でも幸福でもなくても真実のままに知らず、見えなければ、その人は当然目に欲情し、すべての形に欲情し、眼識に欲情し、眼触に欲情し、幸福でも苦でも、苦でも幸福でもなくても、眼触から生じる受に欲情します。

 人が欲情すれば、夢中になって溺れその味を狙っていれば、当然その後すべての五取蘊が生じるに至ります。そして陶酔の威力による欲情があり、その感情に極めて陶酔させて新しい有に導くその人の欲は、当然最高に成長し、体の面の渇きも最高に増進し、心の面の渇きも最高に増進し、体の面の焼き炙ることも最高に増進し、心の面の焼き炙ることも最高に増進し、体の面の焦燥も最高に増進し、心の面の焦燥も最高に増進し、その人は当然体の苦も心の苦も味わいます。

 比丘のみなさん。人が耳を真実のままに知らず、すべての声を真実のままに知らず、耳識を真実のままに知らず、耳触を真実のままに知らず、耳触から生じる受を、幸福でも苦でも、苦でも幸福でもなくても、真実のままに知らず、見えなければ、その人は当然耳に欲情し、すべての声に欲情し、耳識に欲情し、耳触に欲情し、幸福でも苦でも、苦でも幸福でもなくても、耳触から生じる受に欲情します。

 人が欲情すれば、夢中になって溺れその味を狙っていれば、すべての五取蘊が当然生じるに至り、そして陶酔の威力による欲情があり、その感情に極めて陶酔させ新しい有に導くその人の欲は、当然最高に成長し、体の面の渇きも最高に増進し、心の面の渇きも最高に増進し、体の面の焼き炙ることも最高に増進し、心の面の焼き炙ることも最高に増進し、体の面の焦燥も最高に増進し、心の面の焦燥も最高に増進し、その人は当然体の苦も心の苦も味わいます。

 人が鼻を真実のままに知らず、すべての臭いを真実のままに知らず、鼻識を真実のままに知らず、鼻触を真実のままに知らず、鼻触から生じる受を、幸福でも苦でも、苦でも幸福でもなくても、真実のままに知らず、見えなければ、その人は当然鼻に欲情し、すべての臭いに欲情し、鼻識に欲情し、鼻触に欲情し、幸福でも苦でも、苦でも幸福でもなくても、鼻触から生じる受に欲情します。

 人が欲情すれば、夢中になって溺れその味を狙っていれば、次にすべての五取蘊が当然発生し、そして喜びの威力による欲情があります。その感情に極めて陶酔させ、新しい有に導く欲は、当然最高に成長し、体の面の渇きも最高に増進し、心の面の渇きも最高に増進し、体を焼き炙ることも最高に増進し、心の面の焼き炙ることも最高に増進し、体の面の焦燥も最高に増進し、心の面の焦燥も最高に増進し、その人は当然体の苦も心の苦も味わいます。

 人が舌を真実のままに知らず、すべての味を真実のままに知らず、舌識を真実のままに知らず、舌触を真実のままに知らず、舌触から生じる受を、幸福でも苦でも、苦でも幸福でもなくても、真実のままに知らず、見えなければ、その人は当然舌に欲情し、すべての味に欲情し、舌識に欲情し、舌触に欲情し、幸福でも苦でも、苦でも幸福でもなくても、舌触から生じる受に欲情します。

 人が欲情すれば、夢中になって溺れその味を狙っていれば、次にすべての五取蘊が当然発生し、そして喜びの威力による欲情があります。その感情に極めて陶酔させ、新しい有に導く欲は、当然最高に成長し、体の面の渇きも最高に増進し、心の面の渇きも最高に増進し、体の面の焼き炙ることも最高に増進し、心の面の焼き炙ることも最高に増進し、体の面の焦燥も最高に増進し、心の面の焦燥も最高に増進し、その人は当然体の苦も心の苦も味わいます。

 人が体を真実のままに知らず、すべての接触を真実のままに知らず、身識を真実のままに知らず、身触を真実のままに知らず、身触から生じる受を、幸福でも苦でも、苦でも幸福でもなくても、真実のままに知らず、見えなければ、その人は当然体に欲情し、すべての接触に欲情し、身識に欲情し、身触に欲情し、幸福でも苦でも、苦でも幸福でもなくても、身触から生じる受に欲情します。

 人が欲情すれば、夢中になって溺れその味を狙っていれば、次にすべての五取蘊が当然発生し、そして喜びの威力による欲情があります。その感情に極めて陶酔させ、新しい有に導く欲は、当然最高に成長し、体の面の渇きも最高に増進し、心の面の渇きも最高に増進し、体の面の焼き炙ることも最高に増進し、心の面の焼き炙ることも最高に増進し、体の面の焦燥も最高に増進し、心の面の焦燥も最高に増進し、その人は当然体の苦も心の苦も味わいます。

 人が意を真実のままに知らず、すべての想念を真実のままに知らず、意識を真実のままに知らず、意触を真実のままに知らず、意触から生じる受を、幸福でも苦でも、苦でも幸福でもなくても、真実のままに知らず、見えなければ、その人は当然意に欲情し、すべての想念に欲情し、意識に欲情し、意触に欲情し、幸福でも苦でも、苦でも幸福でもなくても、意触から生じる受に、欲情します。

 人が欲情すれば、夢中になって溺れその味を狙っていれば、次にすべての五取蘊が当然発生し、そして喜びの威力による欲情があります。その感情に極めて陶酔させ、新しい有に導く欲は、当然最高に成長し、体の面の渇きも最高に増進し、心の面の渇きも最高に増進し、体の面の焼き炙ることも最高に増進し、心の面の焼き炙ることも最高に増進し、体の面の焦燥も最高に増進し、心の面の焦燥も最高に増進し、その人は当然体の苦も心の苦も味わいます。





世界の発生は縁起の発生

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻87頁164項

 比丘のみなさん。みなさんに世界の発生を説明します。みなさん、これを聞いて、心の中を役立つようになさい。今から話します。

 弟子たちが返事をすると、世尊は次の言葉を話されました。

 比丘のみなさん。世界の発生はどのようでしょうか。

(1) 比丘のみなさん。目と形に依存して眼識が生じ、三つのダンマ(目+形+眼識)の会合は触です。触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じます。これが世界の発生です。

(2) 比丘のみなさん。耳と声に依存して耳識が生じ、三つのダンマ(耳+声+耳識)の会合が触です。触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じます。これが世界の発生です。

(3) 比丘のみなさん。鼻と臭いに依存して鼻識が生じ、三つのダンマ(鼻+臭い+鼻識)の会合が触です。触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じます。これが世界の発生です。

(4) 比丘のみなさん。舌と味に依存して舌識が生じ、三つのダンマ(舌+味+舌識)の会合が触です。触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じます。これが世界の発生です。

(5) 比丘のみなさん。体と接触に依存して身識が生じ、三つのダンマ(体+接触+身識)の会合が触です。触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じます。これが世界の発生です。

(6) 比丘のみなさん。心と想念に依存して意識が生じ、三つのダンマ(心+想念+意識)の会合が触です。触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じます。これが世界の発生です。

 比丘のみなさん。これが世界の発生です。





苦は、取である物を美味と見るから生じる

祇園精舎で
相応部ニンダーナヴァッガ 16巻102頁196項

 比丘のみなさん。比丘が日頃から取の基盤であるすべてのダンマ(註1)を美味と見れば、当然欲望が十分に成長します。欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じます。すべての苦の山の発生は当然このような様相であります。

 比丘のみなさん。牛車十台、二十台、三十台、四十台の薪が燃えている大きな火に、男が乾燥した草や牛糞や木を適当な合間をおいてくべれば、比丘のみなさん。このように維持する物があり、燃料がある大きな火の山は、永遠に燃え続けるように、比丘のみなさん。

 比丘が取の基盤であるすべてのダンマを美味と見れば、当然欲望が十分に成長します。欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一斉に生じます。すべての苦の山の発生は当然このような状態であります。

註1: 取の基盤であるダンマとは、形・受・想・行・識(相応部 17巻202頁309項)、目・耳・鼻・舌・体・心(相応部 18巻110頁160項)、形・声・香・味・触・考えです。(相応部 18巻136頁190項)。

註: 別の経(相応部ニダーナヴァッガ 16巻105頁206項)では、上記の経と同じ項目のダンマを説かれていますが、燃料が沢山ある火の山の例えの代わりに、根がしっかりしている大木に例えられています。

 更に別の経(相応部ニダーナヴァッガ 16巻106頁210項)では、要旨は上記の経と同じですが、先に例えを話され、それから例えられているダンマを述べられています。





苦は、結ぶ物であるダンマを美味と見るから生じる

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻103頁200項

 比丘のみなさん。比丘が日頃からサンニョージャナ(動物を輪廻に結び付ける煩悩。結)の基盤であるすべてのダンマを美味と見れば、当然十分に欲望が増進します。欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って生じます。すべての苦の山の発生は当然このようにあります。

 比丘のみなさん。油と芯に依存して燃える灯火に、男が適当な時に油を足し、芯を新しい物に替えていれば、比丘のみなさん、その間そのような状況でそのように涵養するものがあり、燃料がある灯火は永遠に燃え続けるように、比丘のみなさん。

 比丘が日頃からサンニョージャナの基盤であるすべてのダンマを美味と見れば当然欲望が十分に成長します。欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って生じます。すべての苦の山の発生は当然このようにあります。

註: 別の経(相応部ニダーナヴァッガ 16巻104頁204項)は、上の経と同じ内容ですが、先に例えを話され、それから例えたダンマを話されています。

更に別の経(相応部ニダーナヴァッガ 16巻107頁212項)は、上の経と同じ内容ですが、人が土を裏返し、水を撒き、肥料をやらなければ育たない若い木に例えられています。





苦・病・老死が生滅する場所

祇園精舎で
相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻283頁479項

1番目の経:六内処

 比丘のみなさん。目の発生、維持、極めて発生すること、現れはどれも、それは苦の発生、すべての病気の維持、老死の現れです。

 比丘のみなさん。そして目の消滅、沈静、維持できない状態になることはどれでも、それは苦の消滅、すべての病気の治癒、老死が維持できないことです。

 (耳・鼻・舌・体・心の場合も、目の場合とすべて同じに話されています。学習者は、人が死ななくても消滅できると観察して見なければなりません。だから目等の言葉は普通の意味ではなく、一回目の働きをして止まれば「目が生じて消滅した」と言います。人の体が生まれて死ぬ必要はありません。

 そして目が維持していることはすべての病気が維持していることと言うのは、「目が形を見ることから生じる、煩悩が突き刺すこと」を意味し、目が現れることは老死が現れることと言うのは、「目で見ることは、その時老と死から生じる問題が現れること」を意味すると明白に見えます。

 その中に、無明からすべての苦の山まで、縁起のすべての状態が隠れています。例えば目が目として生じれば、形を見ることで眼識が生じ、無明の威力で触れ、当然それ自体が作り出すことなので、六処に触れる度に受・欲・取・有・生・老・苦があります)。



2番目の経:六外処

 比丘のみなさん。すべての形の発生、維持、極めて発生すること、現れることはどれも、それは苦の発生、すべての病気の維持、老死の現れです。

 比丘のみなさん。そしてすべての形の消滅、静まること、維持できない状態になることはどれも、それは苦の消滅、すべての病気の治癒、老死が維持できないことです。

 (耳・鼻・舌・体・心の場合も、目の場合とすべて同じに話されています。学習者は、これらの形や声等は目が形を見、耳が声を聞くなど一回仕事をする度に一度消滅したと言うと観察して見なければなりません。

 内六処と一緒に働くので同時に生滅があり、苦を生じさせ、病気を維持させ、老死を現させる原因、あるいはそれらの物を初めの経と同じ状態で消滅させます)。



3番目の経:六識

 比丘のみなさん。眼識の発生、維持、極めて発生すること、現れることはどれも、それは苦の発生、すべての病気の維持、老死の現れです。

 比丘のみなさん。そして眼識の消滅、静まること、維持できない状態になることはどれも、それは苦の消滅、すべての病気の治癒、老死が維持できないことです。

 (耳識・鼻識・舌識・身識・意識の場合も眼識の場合とすべて同じに話されています。学習者は、内六処と外六処が触れ合うことから識が生じ、その結果触や受などが生じ、最後に苦が生じるので、その識は六処と同じように苦などを生じさせる原因と見なすと観察して見なければなりません)。



4番目の経:六触

 比丘のみなさん。眼触の発生、維持、極めて発生すること、現れることはどれも、それは苦の発生、すべての病気の維持、老死の現れです。

 比丘のみなさん。そして眼触の消滅、静まること、維持できない状態になることはどれも、それは苦の消滅、すべての病気の治癒、老死が維持できないことです。

 (耳触・鼻触・舌触・身触・意触の場合も、眼触の場合とすべて同じに話されています。学習者は、触は内六処と外六処と識の会合によって生じ、結果は受や欲などを生じさせ、一番の経で述べたのと同じ意味で、苦や病気の基盤を生じさせると観察して見なければなりません)。



5番目の経:六受

 比丘のみなさん。眼触受の発生、維持、極めて発生すること、現れることはどれも、それは苦の発生、すべての病気の維持、老死の現れです。

 比丘のみなさん。そして眼触受の消滅、静まること、維持できない状態になることはどれも、それは苦の消滅、すべての病気の治癒、老死が維持できないことです。

 (耳触受・鼻触受・舌触受・身触受・意触受の場合も、眼触受の場合とすべて同じに話されています。学習者は、受は触から生じた結果であり、欲・取、その後苦までを生じさせるので、同様に病気などが生じる場所、消滅する場所であると観察して見なければなりません)。



6番目の経:六想

 比丘のみなさん。形想の発生、維持、極めて発生すること、現れることはどれでも、それは苦が発生、すべての病気の維持、老死の現れです。

 比丘のみなさん。そして形想の消滅、静まること、維持できない状態になることはどれも、それは苦の消滅、すべての病気の治癒、老死が維持できないことです。

 (声想・香想・味想・触想・法想の場合も、目の場合とすべて同じに話されています。学習者は、形や声などという理解は、欲と取、想にとっての意味を生じさせるので、同様に病気などが生じる場所であると観察して見なければなりません)。



7番目の経:六思

 比丘のみなさん。形思(ルーパサンチェッタナー)の発生、維持、極めて発生すること、現れることはどれも、それは苦の発生、すべての病気の維持、老死の現れです。

 比丘のみなさん。そして形思の消滅、静まること、維持できない状態になることはどれも、それは苦の消滅、すべての病気の治癒、老死が維持できないことです。

 (声思・臭思・味思・触思・法思の場合も、形思の場合とすべて同じに話されています。学習者は、思は想の結果であり、つまり形や声の場合、形だ、声だという理解があれば、当然故思、つまり何らかの意図がある考えが生じるので、同様に苦の発生とすべての病気の維持であると観察して見なければなりません)。



8番目の経:六欲

 比丘のみなさん。形欲の発生、維持、極めて発生すること、現れることはどれも、それは苦の発生、すべての病気の維持、老死の現れです。

 比丘のみなさん。そして形欲の消滅、静まること、維持できない状態になることはどれも、それは苦の消滅、すべての病気の治癒、老死が維持できないことです。

 (声欲・香欲・味欲・触欲・法欲の場合も、形欲の場合とすべて同じに話されています。

 学習者は、故意、つまり六つの感情に関わる考えがあれば、愛欲でも、有欲でも、無有欲でも、次に取を生じさせるために、当然考え、あるいはそれらの感情の想によって、欲つまり何らかの願望が生じ、最後に苦が生じます。だから欲が生じることは同じように苦が生じることであり、すべての病気の基盤と観察して見なければなりません)。



9番目の経:六大種

 比丘のみなさん。土界の発生、維持、極めて発生すること、現れることはどれも、それは苦の発生、すべての病気の維持、老死の現れです。

 比丘のみなさん。そして土界の消滅、静まること、維持できない状態になることはどれも、それは苦の消滅、すべての病気の治癒、老死が維持できないことです。

 (水界・風界・火界・命界・識界の場合も、土界の場合とすべて同じに話されています。学習者は、六大種とは、本当の名形の意味がある、つまり名形の働きをする名形の、いろんな構成要素、と観察して見なければなりません。

 だからその名形を構成しているそれぞれのダートゥ(種)は、その名形に依存している六内処と六外処がその働きをしている時に生じたばかりです。その結果識・触・受と順に生じ、最後に苦の山が生じます。

 だから大種の発生はすべて苦の発生、あるいはいろんな病気の維持と言うことができます。それぞれの種は、物理の言葉で普通に話すように、いつでも生じて維持していると理解しないでください。

 ここではダンマ語で「どんな物も、それが縁起に関わる働きをしている時だけ生じている」と見なし、「終われば消滅した」と見なし、次に働きをする時は、また生じたと見なします)。



10番目の経:五蘊

 比丘のみなさん。形(蘊)の発生、維持、極めて発生すること、現れはどれも、それは苦が発生、すべての病気の維持、老死の現れです。

 比丘のみなさん。そして形蘊の消滅、静まること、維持できない状態になることはどれも、それは苦の消滅、すべての病気の治癒、老死が維持できないことです。

 (受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の場合も、形蘊の場合とすべて同じに話されています。

 学習者は、形蘊などそれぞれの蘊は六処に触れる物があって識・触・受から苦まで順に生じる度に、その時生じたばかりと観察して見なければなりません。

 その時の体を取の基盤である形蘊と言い、その時の受を取の基盤である受蘊と言い、その時の想あるいは思いを、取の基盤である想蘊と言い、その時のいろんな考えを取の基盤である行蘊と言い、初めに生じる眼識などと呼ぶ目などの感覚、その後生じるいろんな明らかな感覚を、取の基盤である識蘊と言います。

 すべては有を生じさせ、生老死つまり苦の山を生じさせるので、それぞれの蘊の発生は苦の発生、すべての病気の維持、老死の現れと言います。十の経のいろんな部分は縁起の流れのどこか一つに関わる物なので、ブッダは、全十経の五十九種類で、同じように状態、意味、原因、結果を話されています)。





世界の消滅は縁起の消滅

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻87頁164項

 比丘のみなさん。これから世界が維持できないことについて説明します。心の中を役立つようにしてこれをお聞きなさい。

 比丘のみなさん。世界が維持できないことはどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。目と形に依存して眼識が生じ、三つのダンマ(目+形+眼識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。欲望が残らず消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は、当然このようにあります。これが世界の消滅です。

 比丘のみなさん。耳と声に依存して耳識が生じ、三つのダンマ(耳+声+耳識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。欲望が残らず消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は、当然このようにあります。これが世界の消滅です。

 比丘のみなさん。鼻と臭いに依存して鼻識が生じる、三つのダンマ(鼻+臭い+鼻識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。欲望が残らず消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は、当然このようにあります。これが世界の消滅です。

 比丘のみなさん。舌と味に依存して舌識が生じる、三つのダンマ(舌+味+舌識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。欲が残らず消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は、当然このようにあります。これが世界の消滅です。

 比丘のみなさん。体と接触に依存して身識が生じる、三つのダンマ(体+接触+身識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。欲が残らず消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は、当然このようにあります。これが世界の消滅です。

 比丘のみなさん。心と想念に依存して意識が生じる、三つのダンマ(心+想念+意識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。欲が残らず消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は、当然このようにあります。これが世界の消滅です。

 比丘のみなさん。これが世界が維持できないことです。





最も分かり易く説かれた縁起(滅形)

相応部サラーヤタナヴァッガ 18巻107頁155項

 比丘のみなさん。苦の山の消滅はどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。目と形に依存して眼識が生じる、三つのダンマの会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。欲が残らず消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は、当然このような状態であります。これが苦の山の消滅です。

 耳と声に依存して耳識が生じる、三つのダンマ(耳+声+耳識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。欲が残らず消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は、当然このような状態であります。これが苦の山の消滅です。

 鼻と臭いに依存して鼻識が生じる、三つのダンマ(鼻+臭い+鼻識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。欲が残らず消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は、当然このような状態であります。これが苦の山の消滅です。

 舌と味に依存して舌識が生じる、三つのダンマ(舌+味+舌識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。欲が残らず消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有)が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は、当然このような状態であります。これが苦の山の消滅です。

 体と接触に依存して身識が生じる、三つのダンマ(体+接触+身識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。欲が残らず消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は、当然このような状態であります。これが苦の山の消滅です。

 心と想念に依存して意識が生じる、三つのダンマ(心+想念+意識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。欲が残らず消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は、当然このような状態であります。これが苦の山の消滅です。

 比丘のみなさん。これが苦の山の消滅です。





取の基盤である物を害と見れば苦が消滅する

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻102頁198項

 比丘のみなさん。比丘が日頃から取の基盤であるすべてのダンマを、アーディナヴァ(低劣な害)と見ていれば、当然欲が消滅し、欲が消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は当然このような状態であります。

 比丘のみなさん。牛車十台分、二十台分、三十台分、四十台分の薪が燃えている大きな火は、男が乾燥した草や牛糞や木を、適度に間をおいてその火にくべなければ、比丘のみなさん。このような状況で、その火は古い燃料が燃え尽き、維持する燃料がないので消えるように、比丘のみなさん。

 比丘が日頃から取の基盤であるすべてのダンマを低劣な害と見ていれば、当然欲は消滅し、欲が消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は当然このような状態であります。

註: 別の経(相応部ニダーナヴァッガ 16巻106頁208項)では、上の経と同じダンマの項目を燃料が尽きた火の例えの代わりに「縁起が見えないから動物の心はもつれている」のように、めちゃめちゃに攻撃された木に例えられています。

 更に別の経(相応部ニダーナヴァッガ 16巻107頁211項)では、上の経と内容は同じですが、例えが先で、例えられたダンマを後から話されています。





結の基盤である物を害と見れば苦は消滅する

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻104頁202項

 比丘のみなさん。比丘が日頃からサンニョージャナ(人を輪廻に結びつける煩悩。結)の基盤であるすべてのダンマを低劣な害と見ていれば、当然欲は消滅します。欲が消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は当然このような様相であります。

 比丘のみなさん。油と芯に依存して燃える灯火に、男が適当な時に油を足さず、芯を新しい物に替えなければ、比丘のみなさん。そのような状況によってその灯火は古い燃料が燃え尽き、新たに継ぎ足す油、交換する芯がないので消えるように、比丘のみなさん。比丘が日頃から、結の基盤であるすべてのダンマを低劣な害と見ていれば、当然欲は消滅します。

 欲が消滅することで取が消滅し、取が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂いすべての悩みが揃って消滅します。苦の山の消滅は当然このような様相であります。

註: 別の経(相応部ニダーナヴァッガ 16巻105頁205項)では上の経と同じ内容ですが、先に例えを話され、それから例えたダンマを話されています。 

 更に別の経(相応部ニダーナヴァッガ 16巻108頁214項)では上の経と同じ内容ですが、傷めつけられた若い木に例えられています




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